国連大学で、アフリカの高等教育と持続可能な開発

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国連Millennium Development Goals (MDGs)はご存知の方も多いと思います。

国連加盟国が2015年までに達成しようという意欲的な国際的な約束です。しかし、この10年の世界の激変は、国連がMDGsを始めた2000年頃に比べるとまったく違う局面に移行しつつあるといえます。

東京の青山にある国連大学で「International Symposium on the Role of Higher Education for Sustainable Development in Africa」が、10月13,14日にわたって開催されました。

私も世界科学者連合体(ICSU、IAP、IACなど)日本学術会議日本政府国連大学世界銀行などとこのテーマで、個人的にも、いくつかかかわってきました。その様な活動をご存知でのことでしょうが、私もKeynoteをするようにともお招きを受けたのです。しかし、ご存知のようにAbu Dhabi、Washington DCへの出張予定があったので、ご了解を得てビデオでメッセージを作っていただきました。

なんと、ビデオ取りの日にHideyo Noguchi African Prizeを受賞したKenyaのDr Miriam Were (資料1)が私のところへ来られることになったので、ご一緒にビデオをとり、国連大学の当日の参加者への「Surprise」としました。参加の皆さんには予想もしなかった、大きな、嬉しい「Surprise」だったと思います。国連大学の長尾先生 他の方達に感謝です。

国連大学のこの会議の報告資料1)でも、私のメッセージに触れています。うれしいことです。

このビデオ、いずれリンクしたいと思っています。

Project Hope理事会でスピーチ、Washington DC

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東北再建支援で協力しているProject Hopeの理事会で、お礼のご挨拶とスピーチのためにAbu DhabiからWashington DCにきました。

Dubaiから早朝にWashington DCのDulles空港着。Mandarin Oriental Hotelへ。忙しく身支度を整えて、HGPIの乗竹くん、Project HopeのFred Garberさん(資料1)と合流して日本大使館へ、藤崎大使にご挨拶に向かいました。このProject Hopeと私達のImpact Japan - HGPIの作業は、「3.11」東北災害の後まもなく頂いたWashington DCの藤崎大使から私の携帯への電話から始まったのです。

大使館訪問の後、National Academy of Sciences、AAASの建物内にある、私も関与しているGlobal Knowledge Initiative へ。

Project Hopeの理事会は年4回ほど開催されるそうで、そのうちの2回はゲストをお招きして話をお聞きするのだそうです。Project Hopeは世界に展開する最大ともいえる災害医療チームですから、「どんな人たちがスピーチにきたのか?」と聞いたところ、最近では「James Jones 」だよ、といわれ気分としてチョッとあせりました。Jones氏はObama政権の安全保障の最高責任者National Security Advisorだったからです。また、Condoleezza Rice なども来たということです。

全部で40人ほど。カクテルのあとは同じテーブルの色々な方たちと話しながら、デザートの時間になり、Dr John Howeが私を紹介し、私の話しが始まります。私は20分ほど、東北の大災害とProject Hopeと藤崎大使と私達の活動、Operation Tomodachi、これからの計画、また日米関係の行方などについて話しました。ちょうど今年12月は「Pearl Harbor」から70年ですし、Washington DCの有名な桜の植樹から100年です。

いくつも質問が出て、盛り上がりました。あとで、Gerberさんから、「よかったよ、この理事会のスピーチで、こんなに質問がたくさん出ることはないのだけどね、、来てもらって本当によかった、、」と。

同じ時間にMandarin Oriental Hotel大会場では、訪米中の韓国Lee Mhung-Bak大統領歓迎会が開催されていました。こちらは多くの韓国の方達が集まっていたようで、夕方からロビーに、多くの嬉しそう、誇らしげな韓国の方達の長い列、大いに元気な様子でした。いいことですね。

Obama大統領も、Lee 大統領をState Visitの特別待遇 (資料1)でお迎えしたようですね。無理もないことです。うらやましいですね、この元気さは。勿論、問題はいくつもありますが。

韓国のお隣の日本は5年で6人の首相のありさまです、何をしたいのかさっぱりわかりませんし、大きなことは何の決断もできませんし、、、。 Lost Decadeは20年を過ぎ、EU, USに相当先行してはいますけど。

ちょうどその前の週にWashington DCでClinton国務長官がKeynote Remarksをされた、Daniel Inouye上院議員ほかが参加された日米の会議があったばかりですが、、、どんなものだったのでしょうか。

翌日は、朝早くからCSISとの共同Project  、そして11月にフクシマでの開催予定の会議など、今後の打ち合わせを済ませ、空港へ向かいました。

8日(土)の夜に成田空港出発、Abu DhabiとWashington DCでは一流ホテルで各一泊、機内で3泊して13日(木)成田着、という世界一周の旅でした。

機内ではよく眠りました。

 

GAC でAbu Dhabiへ、そしてWashington DC

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10日の夜、成田からAbu Dhabiへ、Etihadの直行便です。World Economic Forum主催のGlobal Agenda Councilへ参加です。この会議は過去3回、Dubaiで開催されています。Abu Dhabi行きの同じフライトに、この会議に日本から参加する方が何人もおられます。

Abu Dhabiに早朝に到着。10月7-9日に鈴鹿で開催されているF1 Formula Car Race (資料1)が11月に開催される会場のYAS Hotel にチェックイン。すごい施設。

会議は丸2日間に参加、会場はHotelに隣接したFormula 1の会場の一部の建物です。私は「Japan Council」のsub-Chairで出ずっぱりでしたが、Boston Consulting Groupの御立さんをはじめとした方達が、議論をうまくまとめてくれました。「3.11」からあまり発信できていない(何しろこの5年で6人の首相の国ですから、、)日本からの課題提供ですからつらいところで、皆さんとの討論に苦労しましたが、多くの方達といい議論が出来ました。

レセプションは、レースの直線コースを見下ろすRoyal Tower、UAEの首相はじめの首脳もこられました。

私は、2日目をフルに出席して、車でDubaiへ、そこから深夜の便でWashington DCへ向かいました。

とても、あわただしい2日でした。

Parisから京都へ。STS Forum参加

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秋晴れのパリを2日間楽しんで、10月2日(日)の朝、関西空港に到着。京都に向かいました。3日間のSTS Forum 資料1)に参加です。このSTS Forumnには第1回から参加しており、世界からの素晴らしい人たちの輪も広がります。何人か、素晴らしい方たちとお知り合いなりました。

今年はフクシマの件があり、はじめにエネルギー政策、原子力などのセッションが特別に扱われました。デイナーの時にはIAEAの天野事務局長の隣の席でしたので、色々お話が出来ました。

いくつも同時並行のセッションがあるので、私は教育のセッションを中心に参加しましたが、人間の行動変化(エネルギー、肥満など)ではパネルに登壇しました。

帰京して、4日夕方には何人かの政治家と夕食。翌朝はAmerican Hospital of Parisの関係者との朝食、午後はJETRO主催の講演会のパネルの司会を務めました。PanelistsはSTS Forum参加者の6人ですが、Ellis Rubinstein (NYAS、President)、Mohammad Hassan (TWAS Treasurer)、Risalia Arteaga (もとUquador大統領、女性)、Dr Annette Lraegelou (Leibniz Institute of New Materials)、Ananda Chakrabarty (Univ Illinois)、Sanwen Huang (Chinese Academy of Agricultural Sciences)。METI、 NEDO、JETROの方々の参加もあって、なかなか盛り上がった会になりました。

世界の仲間との議論は、勉強にもなりますし、いつも楽しいですね、

Impact Japanの理事会

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Impact Japan を立ち上げて6ヶ月、「出る杭」の人、特に若者達のいろんな自発的な活動を支援し、東日本大震災ではProject Hopeとの共同作業を立ち上げて、またHarvard College Initiative Japanとの教育プログラムを開催し、みんなが力を合わせて、この6ヶ月が過ぎました。

これも、気の合う仲間達とTEDxTokyoの立ち上げの頃から始まったことですね。自然発展的に成長してきているのです。

Impact Japan で「Google」してください。また、このサイトでも「Impact Japan」で「サーチ」していただけるとたくさんのpostsを見ることができます。

これらのサイトを見ていただければ、私達が何をしているのかどんな活動に力を入れようとしているのか、ご理解いただけると思います。

正式の組織となって6ヶ月たちました。正式の理事会を開催しました。名誉会長の駐日大使Roosさんも、1時間ほど参加して下さり、色々な提案をいただきました。

多くの課題を乗り越えて、Impact Japanが、若者達を元気づけ、「出る杭たち」を激励し、多様な力を組み合わせ、日本を変える力になることを応援していきたいですね。

Impact Japanにかかわる皆さんの支援と活動に心からお礼の気持ちで一杯です。これからもご支援よろしく。

 

 

 

すばらしい若者たち –2

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前回も同じタイトルでの話でしたが、この1週間、またまた素晴らしい若者たちとちょっとした時間をすごしました。

このサイトでも何回も紹介しているGCMP、ことしの夏のBangledeshでの体験記の発表会に参加しました。皆さん、日本とまったく違った現場で苦労しながら、「水、ごみ、健康、教育」などのテーマに取り組んでいます。私もチョッとお話と、いくつかの提案もさせてもらいました。皆さん、視野も広がり、成長していますし、グループの広がりも出来始めています。

次は、もとSONYの出井さんの主催するAsian Innovation Forum資料1) 。これも4年続けて参加 させていただいています。私は、2年前は過激に、去年はおとなしく、でしたが、今年は再びチョッと過激モードに戻しました。何しろ「3.11」から6ヶ月たって、この有様ですから。総理もまた新しくなりましたし。急速に変わる世界にあって、日本の「リーダー」という人たちは何を考えているのでしょうね。東京都副知事の猪瀬さんの話も本音で、示唆に富むものでした。

今年の私は、「人・企業・社会を変えるイノベーションの仕掛け、さらにClosing SessionでのkeynoteとPanelをしました。この中で出井さんの考えが何回か聞けますが、構想もなかなかのものです。

この2日間、参加した若い人たちとランチとか、会場でもお話をする機会があり、なかなか頼もしい人たちがいるな、と感じました。もっともっと、若い人たちの背中を押し、「外」への目を向かせるなど、活躍の場を作ること、示唆することが大事と思います。多くの「大人たち」は、違った時代を生きてきた、その時代と現在との大きな違いを基本的に理解していないのではないか、と思うことが多いです。

2日間のForumを終わって外に出たら猛烈な暴風雨でした。

16日にはGRIPSの卒業式写真)がありました。例年のことですが、秋の卒業はほぼ全員が留学生です。各国大使、大使館の方達、関係者のご列席、さらにカラフルな国旗がキャンパスにならび、極めて「非日本的」です。

それぞれの国の「リーダー」になっていく若者たちを送り出すGRIPS卒業式、チョッと参加するだけでもひときわ感動的です。

 

Sydney Opera House

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<上:Australiaにて、Hayman、Sydney、Bondi Beachの写真>

ADC Forumが終わりHayman島を出ると、時間の都合からSydneyで一泊。

翌日は快晴。次の予定まで半日の時間が。そこで行く先はモチロン、まずはOpera House。そこで、ゆったりした時間をすごしました。

このOpera House。見れば見るみるほど、外側も内側も、このプロジェクトの将来ヴィジョン、それへ向けた全体構想,そして出来た建物だけではなく、そこに現在にも続く、しかも世界を引くつけるコンテンツ、プログラムの素晴らしさ。長期の展望から生まれる、すばらしい「引力」です。

日本の国家政策は、どちらかといえば、このOpera Houseのような、世界での自分達の存在とその将来を見据えた大きな構想力に欠けているように思います。なんのかんの言っても基本的には各省庁由来の「ムラ社会発想」であり、そこが内田 樹さんによれば「日本辺境論」(資料1)である所以(ゆえん)なのだと思います。

残りの時間はあまりないので、Bondi Beach へ出かけてイタリアン・レストランでランチ。経営者はIsraelから来たユダヤ人の若者、いろいろな話が出来ました。Bondi Beachは Life Saving Club Icebergs などでも有名な海岸です。

ホテルで荷物をPick-upして空港へ、Singaporeへ向かいます。

「2010 ACCJ Person of the Year」のこと再度

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去年2010年の終わりに、2010 ACCJ Person of the Year に私が選ばれ、今年の2月にTokyo American Clubで受賞講演の午餐会が開かれて、その講演もこのサイトに掲載しました。

最近、ある方が教えてくれたのですが、このときの話からの記事だと思うのですが、私のことを「Kiyoshi Kurokawa, The Maverick」として、Tokyo Weekenderに、Richard Smartさんが書いてくれていることを知りました。

まあ、私は確かに、皆さんが嫌がることを多く発言していますから、無理もない話しですが、しかし、私の言っていることが間違っているなどとは思ったことはありません。日本社会はあまりに閉鎖的な「タテ社会」だ、ということを指摘してきた、ということですから。

本当のことを指摘されると気分を悪くする人も多く居ることはいたし方ありませんが、本当のことを言うことは大事です。

「3.11」以後の日本では、いかに取り繕った政府サイドよりの報道が多かったかは、皆さんご存知の通りです。権力寄りの日本のジャーナリズムの姿勢でその信用はガタ落ちです。これは政府や保安院、東京電力だけの話でないことは世界に広く知られてしまいましたね。

日本はどこへ行くのでしょうか?ちょっと心配です。

 

浅田次郎の清朝末期の小説

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浅田次郎さんのファンは多いと思います。私も彼の作品は好きです、全部読んでいるわけではありませんが。

清朝末期の中国を描いた4部作、「蒼穹の昴」、「珍妃の井戸」、「中原の虹」、そして去年の「マンチュアン・リポート」の4部作シリーズは好きです。ぞれぞれの「ものがたり」の構成と分析と視点です。読み始めると、引きこまれてしまい、終わりまでついついやめられなくなるのです。

去年、浅田次郎さんの「蒼穹の昴」が日中合作でNHKシリーズとして放映されました。清朝末期、西太后と春児(チュンル)とその周りの人々を中心とした物語です。田中裕子さんが西太后を演じてとてもいい感じを出していたと思います。そのあと「珍妃の井戸」が出版されます。言うまでもないことですが、珍妃は「蒼穹の昴」にも出てきましたね。

数年前に北京に行ったとき、ちょっと時間があって紫禁城へ行きました。案内の方に「どう案内しましょうか?」といわれたので、「時間がないので「珍妃の井戸」へお願い」、といって直行、後はほとんどなにも見る時間がなかったことがありました。それぐらい浅田さんの話は面白いのですね、引き込まれてしまいます。「珍妃の井戸」へ行っての感想ですか?それは行ってみての感想をお聞きしたいものです。

そのシリーズ第3弾が「中原の虹」。流民の子の馬賊の長となる張作霖、中原で待ち受けるラストエンペラー溥儀、袁世凱、そこへ絡む西欧諸国、関東軍などをめぐるものがたりです。これもわくわくする話です。

去年の秋に出版されたのが「マンチュリアン・リポート」。関東軍による満鉄奉天駅近くでの張作霖爆殺事件へいたる素晴らしい構成と語り口です。

プロの作家の取材と書きぶりは、ほんとうにすばらしいです。

ところで、このような20世紀へ入る直前から20世紀前半の日本と近隣諸国、朝鮮半島、中国、満州との関係を色々書いたものは数多くありますが、人物のものがたりから見たこのような著作は「non-fiction」でもあるし、とても面白いので、私は好きですね。ほかにも、いくつもあるでしょうが「阿片王」の里見甫の話(佐野真一さん)、それらにも関係するのですが「満州裏史; 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの」(太田尚樹さん)、また当時の「日朝関係」のものがたりも、人のいとなみ、歴史の出来かたなど、色々教えられるものが多いです。

このような「歴史小説」は、妙な愛国心などとは関係なく、その時代時代の人間の営みから見た、世界と国家の動き、それぞれの立場の人たちの生活などを多角的に双方の立場から考えるのに、とても役に立つことだと思います、特にグローバルに世界が広がっていく世界での対応を考える上では。

この4部作でも「語り部」を通した浅田さんの考えの一部が伺えます。例えば;
「(日本の)政府も軍も目先の利益にこだわって、大局を読むことができない、、」
「日本人はその国土の規模に応じた小さな考えしかできない、、」
「「満州は日本の生命線」(東方会議で)と口を滑らせた、「わが国の国益のために他国を侵略する」といったも同然で、、」
とかとか。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」はよく知れられた言葉です。「長い歴史を学ばない人間たちは、単なるバカの集まりだ」と誰かが言いましたが、けだし名言です。

 

「公明党」紙、「自由民主党」紙に私の意見

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先月、公明党の機関紙「公明」に斉藤鉄夫さん(元環境大臣、現公明党幹事長代行)との対談 「危機を乗り越え世界に貢献する日本へー原発事故の教訓を世界の共有財産に」  が掲載されました。大震災1か月後、4月13日の対談です。このサイトに紹介するのをうっかり忘れていました。ごめんなさい。

以下のような中見出しです。
? 日本の本当の姿
? 危機に弱いリーダー
? 震災復興の青写真
? 世界の中の日本

民主党現政権の課題についても「政治のリーダーシップ」(p. 3)にもはっきりと書いてあります。

私の前後の号では軍事評論家の小川和久さん、歴史学者の山内昌之さんとの対談になっています。

7月には自由民主党の機関紙「自由民主」の3回のシリーズ物です。「国のかたちを考える」シリーズ、私のテーマは「社会保障」。以下のようなタイトルになりました。

「グローバル化遅れ、社会構造改革進まず」
「変化する世界のグローバル化に対応せよ」  
「社会の幅広い分野から新しい力と知恵を」 

編集者に「このような大きなテーマで、このスペースで3回では、、、各論だけ書いても理解しにくいし、それでは意味がないので、、、」と電話で話をしたところ、「何人かの方から同じことを言われます、、」、と。

3回で大きな枠組みだけを論じていることになりましたが、これが私の言いたいことになると思います。

最終回が出た今日の昼過ぎに、たまたま自由民主党のある議員さんの事務所に行きました。ちょうど目を通していただいていたようで、コメントいただきました。

自由民主党にもきついことを書いてあります、当然ですが。

いま、きわめて危機的な状況にある日本、政治家の責任はとてつもなく大きいですよ。