Washington DCで: 30時間の充実した訪問

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Golden Week明け早々の5月9日(月)、Washington DCへ向かいました。同じ日付けの午後2時近くに到着、早速Hotelへ。着替えなどちょっと一休みして、Carnegie Institution of Scienceへ、以前からの友人でもあるDr Richard Meserveさん(資料1)との面会です。米国の原子力政策の重要人物の1人ですし、福島原発関係のことなどです。先日も参議院の藤田議員が訪問したばかりです。

40分ほどで、次はCSISへ向かいました。ここでは先日も報告した私達HGPI との共同作業資料1)(ビデオはここ)の進捗の打ち合わせ、そして先日4月20日に発表されたCSISによる「‘3.11’以後の日本再興プラン」 の協力などの打ち合わせです。

1時間ほどで、National Academies of Sciencesへ。Drs Michael Clegg (Foreign Secretary)、John Boright (Executive Director, International Affairs)、 Kevin Crowley (Senior Board Director, Nuclear and Radiation Studies Board), Richard Bissell (Executive Director, Policy and Global Affairs Division)という 原子力、国際関係の専門家、担当者を入れての議論が中心です。Michael CleggもJohn Borightも、この10年ほど、科学者の行動がグローバル時代へ政策提言も含めて動き出した、私が日本学術会議副会長、会長時代からの付き合いが長く、お互いに時々連絡などしているので、今回の訪問の要件をよく理解してくれており、とてもいい議論が出来ました。このような個人的な、相互の信頼関係を築いていることが、いざという時にとても大事なことなのです。

いろいろ難しい課題はありますが、今回の福島原発の問題は、世界での大関心事であるだけでなく、危機管理とその対応、放射線の健康、環境、農業や工業製品への影響、さらに海洋への放出対策など含めて、日本の対応全体が世界中に観察されているのです。「予測できない」事が起こったときこそ、その対応は国の信用の根幹なのです。

このような状況には、国際的な専門家による諮問会議の設置は、国家の信用に欠かせない時代であり、きわめて大事な政治のプロセスなのです。

1980年代に始まった英国のBSE問題でも、結局はEUの科学委員会への諮問とその結果を待つまで、結局のところ英国の信用回復には20年近くの年月を必要としたのです。

グローバル時代、国際的にも相互信頼がますます重要になる中で、今回の原発の対応とそのプロセスの透明性、客観性が極めて大事な時代になっているのに、どうも日本の政府も大企業も、そしてメデイアも、科学者たちも、そのような認識に著しく欠けています。だから、世界から見て信頼される、スピード感のある対応とその決断が出来ない、国内から見た、場当たり的な政策しかでてこない、としか思えないのです。それが世界中で認識され、あっという間に、国家の信頼と、産業などへの風評が広がっている大きな原因のひとつなのです。

翌日は朝7時からWashington DC の藤崎駐米大使と朝食、その後は高齢社会Think Tank10数人の専門家グループの議論に1日参加。さらに昼食は、ちょうどJohannesburgからDulles空港に到着したばかりのProject Hopeを引っ張るPresidentのDr John Howe、 さらに先週まで日本で一緒だった、Drs Darrel Porr and Frederic Gerber (Dr GerberもJohannesburgから直行) を迎えて、藤崎大使のお招きで、短い時間でしたが、楽しい会話のひと時を持つことが出来ました。

再び会議へ戻り、私の話題提供、会議終了直前の夕方5時にDulles空港へ、London経由、Zurich、そこからSt Gallenへ向けて出発しました。

たった30時間ほどのDC滞在でしたが、とても忙しく、しかし、きわめて充実した時間をすごすことが出来ました。藤崎大使ほかに日本大使館ほかの方達に、大変お世話になりました。

この旅が、今の日本の状況に対して役に立てることになるといいのですが、、。