立命館西園寺塾

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先日、立命館西園寺塾で、土曜日の午後の4時間、40人の塾生さんを相手に講演をしました。みなさん40歳前後のバリバリのキャリアの方たち。

あらかじめ私の本「規制の虜」と、他にいくつかの資料を読んでもらい、事前にがっちりと意見を書いてもらいました。これらに目を通してからいよいよ当日。

この長丁場、15分の休みを入れていろいろ議論ができたし、みなさんにも喜んでいただけた様子。

ただ、40人の塾生で女性が一人だったのはさびしかったですね。

立命館大学ヘは、10年前に大分のAPUにも行って、また京都キャンパスにも講演で出向いたことがあります。

この会の前日は、西園寺家ゆかりの方のお世話で、20人ほどで有馬頼底猊下のお話を伺い、今の世界と日本の課題などをいろいろ語る機会がありました。

いろいろな機会をいただけるのは、うれしいことです。

 

企業研究所での講演

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パナソニックヘルスケアは、四国松山を拠点としている会社で、10数年前に講演で一度行ったところです。

その後、パナソニックから独立。三洋電機と合併し、KKRという外資が80%の株主で、外から小谷さんという新しい社長を迎えて活動している企業です。最近、三井物産がKKRの株の一部(20%)を購入しました。

このパナソニックヘルスケアの群馬拠点で講演の機会をいただき、出かけてきました。500人ほどの技術者の方たちを対象に行った講演ですが、他の2カ所の研究開発拠点の方々も参加し、活気のあるセッションを持つことができました。

質疑応答も活発で、若い人たちにも元気が感じられました。ただ、ほとんどが男性で、しかも外国の方は中国のをはじめ、ほんのちょっとでした。これは困ったこと、というか弱みですね。

ここでお話ししたことは、”よその会社との合併、外資が大株主となり、外部から社長が来るという、日本で起こり始めた企業としての歴史、統治のあり方の変化が、みんなの気持ちの変化に出てきているのではないか。そしてこれらのあまりなじみのない会社の変化こそが、みんなの意識を全体としてはよい方向に変えてきるのではないか”、ということから始めて、「イノベーション」の意味、これからの課題などについて話をしました。

企業で行う講演は久しぶりでしたので、ちょっとわくわくしました。いい時間を過ごせたと思います。

皆さん、がんばってくださいね、期待していますよ。

2016年のノーベル医学生理学賞、大隅先生が単独受賞

10月3日の夜に、去年の大村さんに続いて、大隅先生が2016年のノーベル医学賞を単独受賞されたと発表されました。とてもうれしいです。

私は京都で行われていたSTS Forum(セッションのサマリーはこちら)に出席していて、レセプションの時のニュースでした。

日経新聞の4日の朝刊に大隅先生と江崎先生と私の電話鼎談が、また、共同通信の配信した大隅先生と私のインタビューが毎日新聞に出ています。

とてもうれしいです。みなさんも同じと思いますが、若手の育成については、大隅先生も私も、共通した懸念を持っています。

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐4;アフリカ起業家支援セミナーと総理主催のレセプション


27日の朝は、東京で開催されるアフリカ起業支援セミナー12)との交流です。こちらでは佐藤さんほか、みなさんがヒルトンホテルのプールサイドに集まり、11時から始まるSkypeの準備を始めます。

東京との交信も、11時には順調に始まり、みなさん大喜び。便利になったものです。こちらは佐藤さん住友化学の広岡さん1)、AAICの椿(つばき)社長、玉川顧問(元アフリカ開発銀行)、石田さん、DDM.com アフリカの石本さん、そして一年前からケニアに来て佐藤さんの仕事を手伝って起業を企てている山口はるかさん、そして私というメンバーです。

ラップトップの画面で、主催の渋沢健さんの掛け声と、東京の勢いが感じられます。こちらから東京のみなさんへのご挨拶が始まりますが、なんといってもこちらでは「現地にいる強み」がありますから、勢いも、そして発言もちょっと違うレベルですね。

私は前日にも、アニャンゴさんとか、この支援事業にも応募している薬師川さんご夫妻にもお会いしましたが、みなさん、若いし、とても素晴らしい人たちばかりです。

ついつい東京の会場の方たちに「そちらでいくら議論しても、なにも始まらないよ。そちらは当分成長しないし、こちらはいろいろ問題があるかもしれないが、確実に成長していくよ。議論もいいけど、まずはこっちに来なさい!」と伝えしました。

ナイロビ、そして東京で参加されたみなさんの、活気と元気のある一時間でした。
8月31日の読売新聞(11面)には渋沢さんの寄稿文が掲載されました。最後の一文がいいですね。「アフリカには、世界の未来がある。アフリカには、日本人の夢もあるのだ」と。)

夕方からは、安倍総理の主宰するレセプション。移動するにもいろいろ多重のセキュリティがあるのでちょっと早めに出発。会場は主として日本からの参加の方たちでした。

安倍総理、ケンヤッタ大統領が登場するまでに、しばらく時間があり、いろいろな方たちにお会いすることができました。日本のお酒などいろいろな展示、試飲もあり、あっという間の一時間でした。

今回初めてアフリカで開催されたTICAD6、そして日本の評価は、とても高かったように思います。みなさんご苦労様でした。

明日は、10年ぶりにマサイ・マラに向かいます。

福島高校へ出かける

20160704_fukushima high↑ こちらをクリック ↑

今年の3月10日に福島原発事故から5年のタイミングで出版した「規制の虜」1)を読んでくれた方たちに誘われて、福島県立高校へ行って来ました。

福島高校は県立安積(あさか)高校とともに福島県ではトップの進学校です。ちなみに安積高校は、福島原発事故の国会による事故調査委員会の報告書の「はじめに」に引用した「日本の禍機」を著した、朝河貫一先生の出身校。朝河博士は日本人で初めて欧米の主要大学の一つ、イエール大学の教授となった人物です。

全校生徒960人ほど、先生、父兄、また近くの方たちも参加して、室内体育館で私の話と質疑で約2時間、みなさん熱心に聞き、活発に質疑をしてくれました。

そのあと、10人ほどの学生たちと私が車座で、他の皆さんもその周りを囲んで討論。初めの発言は一年生、「黒川先生の意見ですが、私は違っていると思います」と。私が「いいねぇ、それはどこ?」で始まりました。本当にいいですね、このようなやり取り。

この後、さらに希望者たち30人ほどと、更に90分近く討論する時間を持ちました。

この午後の半日はとても楽しい時間でした。みなさんもハッピーそう、先生たちも。

ところで、今回の訪問では福島原発の事故当時、相馬高校で教鞭を取っていて、2年後の2013年に相馬高校から東大に入学した「いなむらたける」君の先生だった松村先生にもお会いできました。

この年、震災で大きな打撃を受けた、岩手、宮城、福島の三県から東大に入学した生徒は、三県とも「進学校」といわれる各県の二つの高校からだけでした。「いなむら」君だけがただ一人の例外でした。

この2013年の東大の入学式では、私が祝辞を述べる栄誉を受けました。そのお祝いの式辞のはじめの部分で私は、「いなむら」君と松村先生のことに触れたのです1)。

特に「いなむら」君とご両親は(そして松村先生は多分、後でこのことを聞いて)驚いたことでしょう。まだ会ったこともない私が、祝辞のはじめに突然に自分の名前を呼んだのですから。これは本当に「想定外」のことでしょうね。松村先生には事前にお電話をさせて頂いて、ちょっと「あること」だけを確認させていただきましたが...。

そんな思い出を持っていたものですから、松村先生に初めてお会いできたのは本当にうれしいことでした。

さらに日本のトップの進学校のひとつである灘高校で教鞭を取っていた前川先生。この方も東北大震災の後に灘高校をお辞めになり、福島で教育活動をしていることを知っていました。ですから、前川先生にもお会いできたのはとてもうれしかったのです。

この福島高校での一日は、私が委員長を務めた「国会事故調」の宇田統括の右腕を務めてくれた石橋哲さんがアレンジしてくれたものです。石橋さんは「国会事故調」が終わった後も大学生、高校生と一緒になって、考え、行動する若者たちの支援をしています

翌日の現地の新聞にも、この訪問についてちょっと書いてありました。

福島高校の生徒が取材編集している学校新聞の記事を紹介します。

2016年度こ梅章10号1面「こ梅章」10号1面(平成28年7月21日発行)

素晴らしい人達との素晴らしい一日でした。

いろいろな集まりと出会い

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このところ若い人たち、素敵な女性たちの集まりなどに続けて参加する機会がありました。

一つは、女性ばかりで企画・運営している(たまたまなのですが)、ワシントン・ベースの女性たちが始めた企画です。事業で大成功したDr. Sachiko KunoとCSISを拠点にして活動している日本医療政策機構理事の村上博美さんたちが始めた活動です。去年の第一回もパネルにも参加、応援させていただきました。今年の企画も若い女性の活動を支援するワークショップという趣旨で、Dr. Kunoに加えて、シリコンバレーで活躍するAri Horieさんの参加がありました。参加された皆さんがとても元気で良かったです。

もう一つの女性中心の会は、例年のことですがロレアル女性科学者奨励賞の授賞式で、フランス大使公邸で開催されました。3人の素敵な女性科学者、北村未歩さん、田仲玲奈さん、丹治裕美さん、今年はみなさん東京大学でしたね。また特別賞としてMITメデイアラボ で活躍している科学者アーティストのスプツニ子!さん(1)。大使館のレセプションもおしゃれでした。

土曜日の午後は、この秋からUCLAの学部に留学する何人かの若者たちを送り出す応援の会。代官山のちょっとおしゃれな店でした。

その間にも、グローバル世界のなかで、とんでもない大きなことを考え、しかしとても素敵な企画の相談にこられた女性にもお会いしました。

若い人たちではないのですが、先日のアムステルダムでのご縁があり、オランダ大使館でのオランダと日本の交易の会(DUJAT)のお招きを受けて、いろいろご意見を伺う機会がありました。なんといっても話題はBrexit。レセプションでは私の中高同窓の山本学さんもご一緒でした。DUJATの事務局長 Radboud Molijnさんの日本での人生の始まりは、数十年まえに山本さんにお世話になったのが日本で活動することになったご縁だったのです。

そして都内某所で〇〇さんのお誕生日を祝い、数人でディナー。いくつもの素晴らしいワインで時間の過ぎるのを忘れそうになりました。

UCLA学長を迎える

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毎年6月にUCLA学長(Chancellor)のBlockさんがアジア訪問をされます。日本人のお弟子さんが多いこともあり、いつも日本訪問を楽しみにされています。

私も2週間ほど前に訪ねたばかりです。

今年も、この機会をとらえて、UCLAの同窓会を開催しました。この2・3年、同窓会には若いメンバーが増えてきています。特に学部を卒業している人たちが多くなっているのはとてもうれしいことです。

大学院についても、例えばUCLA Laskin School of Public Policyには、今まで毎年3人ほどが留学していたのですが、去年は10人ほどが留学しています。

2019年はUCLAの設立100年ということで、ファンドレイジングが企画されています。日本では、東京とつくば市の中間辺りで「柏の森」プロジェクトが進んでいるのですが、そこの一角に「UCLAジャパン・センター」を開設することを計画しています。村井勝さんのお力によるものです。

この辺りにはいくつもの研究センターなどがあり、UCLAの研究者の訪問も多いところなのです。このような記念企画はなかなか他にはないものであり、学長もとても喜んでいました。

私はこの同窓会の会長を2010年から6年間にわたって務めましたが、今年からTMI法律事務所の遠山さんに引き継ぐことができました。

若いメンバーが増えてきていることは、私には一番うれしいことです。なんといっても、若い人たちが日本の将来なのですから。

東大の医学教育「改革」はどこへ?イヌイ教授の思い

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世界の動きに比べると、日本の高等教育の「改革」は、医学教育を含めてなかなか進まないように感じられます。

1980年ごろから、生命科学の革命的な変化を受けて、欧米ではいくつもの大学で医学教育の大きな改革が進み始めました。 McMaster大学の教育、さらにはHarvard大学のNew Pathwayなどがその例です。

日本の大学では、そのような実情はあまり理解されないようでしたが、いろいろな「改革」の名前で制度の変革が国の制度として行われました。1990年代に入ると大学院大学の導入、大学大綱の「改革」などが、さらに独立法人化への動きがありましたが、今になって高等教育の流れの何かが、本質的に変わってきたのでしょうか?

私は、1983~1996年には東京大学に在籍していたので、いろいろ提案などを試みたのですが、「総論賛成、各論反対」はいつものことでした。医療をかこむ社会の環境も様変わり始めていました。1996年に行った最終講義、また内科学会の講演でも述べた「5つのM」で表わされる社会の変化です。

その試みの一つに、Harvard大学との交渉でNew Pathwayを実際に学生さんたちに体験させるというプログラムがあります。私が東大から東海大学へ移る一年前、1995年に始めたのです。資金は自分で3年分を集めました。日本の学生さん8名、Harvard大学医学部からは学生6名と教員2名が、春の終わりごろ、1週間ほど東大に来るのです。東大の学生は、秋にHarvard大学を1週間訪問します。

当時の記録や報告を見ると、双方の学生さんたち、特に東大の学生さんたちにインパクトのある良い体験であったことがわかります。

2年目の1996年に参加したHarvardの先生がトマス・イヌイさんでした。イヌイさんは日系3世で、米国での医学教育の先駆者の一人でもあります。

その後、東大でも医学教育改革という名目の動きはあり、その一つとしてイヌイさんが3ヵ月招かれて、真剣に視察、懇談などを繰り返した上で、改革に対するがっちりとした内容の濃い提案書を提出しました。15年前のことです。

その後の経過を見ていると、その提案が生かされ、実行されているようでもないのです。そこでこの6月、イヌイさんが米国内科学会の日本支部会に参加された機会に東大にお招きし、「15年後の東大の医学教育」について、イヌイさんの講演とパネルが開催されました。私もパネルにお招きをうけました。(当日の報告はこちら

予想どおりというか、参加の人は少なくて25人ほど。現役教授では、ともにHarvard大学のSchool of Public HealthでPh.D.を取得されている(これは結構大変なのです…)公衆衛生分野の橋本・渋谷の両教授だけのようでした。

イヌイさんの講演のタイトルは「Curriculum Stagnation at Todai School of Medicine – A Sober Analysis」、日本語では「東大医学部教育の停滞 – 思い込みのない冷静な現状の評価」です。

学部長をはじめとした協力を得て、あれだけ力を注いだ提言がほとんど生かされて、実行されてるわけでもないこと、そして世界はどんどん変わるっているのだよ、という暖かい、しかも心からの懸念の講演でした。

日本の高等教育機関の現状については、変わる世界の大学、そして台頭する多くのアジアの大学のありようを見るとき、私もその懸念を共有するのです。

京都、米国内科学会日本支部の年次会へ再び

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例年のことですが、今年も米国内科学会日本支部の年次総会12)に参加しました。

今年も、盛りだくさんの活気にあふれた企画1)でした。米国内科学会会長も毎年参加されますが、今年もDr Weyne Rileyが参加、私との司会のセッションでは、意気投合して、学生さんや研修医のプレゼン、表彰など、一緒に楽しみました。

今年は、聖マリアンナ大学の柴垣さんをリーダーとした若い人たちが、企画からいろいろな活動に参加してくれたので、とても活気がありました。

旧友のイヌイさんも参加してくれました。この後、東大の医学教育センターでの講演会があるのです。それにも私は参加の予定です。

彼は、私が東海大学に就任する前日の1996年6月30日の夕方に、一緒に東海大学医学部へ行ってくれ、これからの医学教育について熱く語ってくれた人です。

成蹊学園の3日間

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私は成蹊中・高校を卒業しました。多くの人にとって、この時期こそが懐かしい母校というところですね。

今までも、成蹊学園の理事などをしていたのですが、今年から「理事長・理事会へのアドバイサー」の役を務めることになりました。

このメンバーをどうするのかいろいろ考えた挙句、MITのShigeru Miyagawa 教授渋沢健さんにお願いしました。お二人とも日米で教育を受け、日英語に堪能なバイリンガル、教育にとても熱心な方たちです。

この3人で、まずは成蹊のキャンパスを訪問して、執行部の方たちとお会いすることが、まずは大事なご挨拶です。みなさんのご都合を合わせるのに2、3か月かかってしまい、結局、5月26日(木)の午後ということになりました。

学園長、学長、中高校長、小学校長と各1時間、またキャンパスの案内をしていただきました。図書館、小学校は、ともに成蹊のOBでもある、あの坂茂さん1)の設計によるもので、素晴らしいものです。

学校は本当に大変です。こちらも、なんとか出来るだけのことをしようと、活動を始めます。

翌日の午後は、都内で成蹊学園の理事会と評議員会。

その翌日の土曜の午後は、去年に続いて国際教育部が主催の、中高校生とご家族を対象にした「外へ出てみよう」企画です。今年のタイトルは『私の留学 ‐ 黒川清さんをお迎えして ‐』で、OB/OGの永井くん、宮崎さんが参加、素晴らしい自分たちの話をしてくれました。そのあと私も参加したパネル、またAFSの説明、そしてレセプション。

若者の将来へ、学校は何ができるのか、ですね。

皆さん、ご家族も参加して楽しい土曜のひと時を過ごしました。亀嶋学園長、跡部校長先生、国際教育部主任の桂先生、中高事務室、またSt Paul’s校に通う島村君や今秋派遣される阿部さんをはじめとする関係者の皆さんのお骨折りです。去年に引き続き、ご支援ありがとうございました。