衆議院原子力問題調査特別委員会

2022年5月10日に開催された衆議院原子力問題調査特別委員会の議事録が公開されました。

 

2022年5月10日 第208回国会 衆議院原子力問題調査特別委員会(赤澤亮正委員長)

 

これまでの議事録はこちら。

2021年4月27日 第204回国会 衆議院原子力問題調査特別委員会(渡辺博道委員長)

2019年12月5日 第200回国会 衆議院原子力問題調査特別委員会(江渡聡徳委員長)

2018年12月7日 第197回国会 衆議院原子力問題調査特別委員会(高木毅委員長)

2017年9月14日 第193回国会 衆議院原子力問題調査特別委員会(三原朝彦委員長)

2017年6月12日 第193回国会 衆議院原子力問題調査特別委員会(三原朝彦委員長)

2017年5月25日 第193回国会 衆議院原子力問題調査特別委員会(三原朝彦委員長)
*アドバイザリーボードが設置されました。

 

お知らせ

先日、日本科学技術ジャーナリスト会議のインタビューを受け、その内容がウェブサイトに掲載されましたので、ご紹介します。
 

「規制の虜は克服されたか –黒川 清 国会事故調委員長に聞く–」(JASTJ原発事故再検証委員会 2018年6月26日)
 

インタビュー映像はこちら: https://jastj.jp/valid/valid_06/video_interview_kurokawa/
3つの原発事故調委員長のインタビューはこちら: https://jastj.jp/valid/valid_06/top/

 

巨大構造物を訪問する:浜岡原発、君津製鉄所・発電所

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12月11日(日)、一日がかりで中部電力の浜岡原子力発電所を、三人の友人と訪問する機会を持つことができました。

福島原発事故をうけて、新しく整備された5つの発電所、津波防壁、かさ上げされたいろいろな器具・構造物、電源車や消火車などを見てきました。

1、2号機は廃炉へ、3~5号機は再稼働に向けて、真面目に安全対策を進めていることころです。

3、4号機の中に行ってみると、これもさらに補強がしてあり、中には複雑な修理のための補強物などがあり、内部を見て回るにも、下から上へ、また下へと、狭い階段と種々なパイプなどがあり、これは本当に大変です。

建屋のトップから使用済燃料棒のタンクの水を見ながら、なぜ最近の福島第二原発で60ガル程度の地震でこの水が減ってしまったのか、などの質問もしました。

しかし、この巨大構造物と、複雑極まりなく縦横斜めにつながりあう器具、チューブなどを見ていると、停電、地震、火事、津波、雨、台風、夜中など、条件の悪いところで、それなりの大きな事故が起きた時に、この巨大で複雑な内部構造の中で、果たして多くの人たちがうまく機能するのか?直感的にでも考えてしまいます。

昔から、人間は巨大構造物を作り、人々を驚かせ、治めてきました。ピラミッド、万里の長城、東大寺の大仏と大仏殿、ヴェルサイユ宮殿、紫禁城などなどです。

この原発のような複雑な機能と巨大構造物を、人間がいざというときに制御できるのか?と直感的に感じてしまうのは普通の感情でしょう。まさに、”畏れ”、”Awesome, Stunning”でした。

Facebookにも「とき放たれたプロテウスを人間がコントロールできるのか、という「根源的な問い」なのだろうか?」と記しましたが...。

13日(火)は、これも一日がかりで、駐日UAE大使のHis Excellency Mr Khaled Omran Sqait Alameri大使たちと、千葉県の君津にある新日鉄住金の製鉄所と、その隣にある東電の火力発電所を訪問しました。これらも巨大建造物です。すごいものです。

ところで、Alameri大使は、私が医学部長をしていた頃に、東海大学工学部電気工学科に留学していた方なのです。うれしいですね、このような関係は。

 

福島原発、地震と津波再び:福島原発の事故から何を学ぶのか?

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11月22日(火)の早朝、東日本沿岸でまたM7.4の地震があり、場所によっては1.4Mに達する津波もありました。あの大災害、そして歴史的な福島原発大惨事から5年半のことです。

言うまでもなく、5年前の大惨事に比べれば、幸いにしてそれほどの被害の状況ではありませんが、福島第2原発ではちょっとした事故がありました。その3号基では、保管されている約2,500本の使用済燃料棒を冷やしている水の循環が約100分の間、止まったとのことです。

あまりメディアなどでは取り上げられていませんが、この福島第2原発の事故は、あまり軽く見ることはできないと思いました。

第1に、日本は地震大国という事実です。世界で起こるM6以上の地震の約20%は、日本の周辺で起こっているのです。「地震、かみなり、火事、おやじ」、地震は予測できませんし、「2011.3.11」のような大きな地震の後は地盤の動きが続くので、地震、火山活動は当分のあいだ油断できないということになります。

政府は、南海トラフで大地震が起こるとの想定でいろいろと対策をしているということです。しかも、11月5日が「世界津波の日」となり、この11月26日には高知・黒潮町で世界30か国の360人もの若者の集まりが開催されました。

第2に、日本には、まだ50基という多くの原発があり、その中に多くの使用済燃料棒が原発建屋で水の中に保管されているということです。今回の福島第2原発は、5年以上も止まっていたので、使用済燃料棒の熱もそれほど高くはなかったという幸運もありました。3.11の事故の時には、米国は停止中の福島第1原発4号基で「使用済み燃料棒を冷やす水」の喪失に大きな懸念を持っていたことはよく知られています。

第3に、今度の地震のユレは100ガル以下のものでした。日本の原発は400~600ガル以上の地震にも耐えるように設計され、その対策(”バックフィット”)がされている”建前”になっているのですが、それがどこまで本当に想定されているのでしょうか?「使用済燃料棒の対応」については想定外なのかも?まさかね?とは思いますが。大体、「使用済燃料棒」は建屋の上の方にあるので、地震によるユレは、地表に比べれば、相当なものになるはずです。この「燃料棒を冷やす水」は大丈夫なのでしょうか?

これらの対策にしても、日本の原発は、福島の教訓として何か対応がなされているのでしょうか?川内では?ほかの再稼働予定のものでは?大いに心配です。

あまり聞いたことがないような気もしますね。たとえば「ドライキャストで...」などと時々つぶやいているようですが、具体的に何か進んでいるとも思えませんね。形だけの議論は、その都度しているようにも聞きますが...。

原発の再稼働ばかりを言っている割には、しっかりと対策を進めているような気もしません。今度の事件で、いい加減な対策の一部が、世界の関係者にまたまた「バレてしまった」とも言えます。

ところで、私が委員長を務めた「国会事故調」の報告書の最後に、私のメッセージとして、以下のように記しています。

「...私たちの身近に教訓となり得る現実がある。2004年12月にマグニチュード(M)9.1を記録したスマトラ島沖地震では、翌年にM8.6の地震が、今年(註;2017年7月時点です)も8.6という大地震が起きている。同じことが、今回の東北地方太平洋沖地震で起こらない保証はない。脆弱な福島原子力発電所は言うまでもないが、安全基準が整っていない原子力発電所への対策は、時間との競争である。...」、と。

今回の地震については、New York Timesの記事にも、私のコメントの一部が掲載されています。

日本は、けっこうお粗末な状態なのです。外からは、いろいろ聞こえてきますし、いろいろと聞かれるのですが...。

会談などいろいろ

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このところ、いろいろな「ユニーク」な会食、パーティー、レセプションなどの機会をいただきました。私的なものは数えるほど無いのですが、大使館関係のものがいくつかありました。

BirdLife International恒例のファンドレイジング(名誉総裁の高円宮妃殿下は、三笠宮様の喪でご欠席)、フランスのPasteur研究所と東京大学、京都大学との新しい協定関係のセレモニー、仙台卸町(おろしまち)に設置されたカタールの東日本大震災復興義捐金によるIntilaqイノベーションハブ1)の開所式、ノルウェー大使館で外務大臣を迎えてのレセプション、フランス大使館、スイス大使館、オランダ大使館、英国関係のいくつかの会合などなど。

そこでちょっと感じたこと。

ある大使館から大臣訪問のランチにお招きを受けました。「10人ほどで」ということだったのですが、出かけてみるとなんと日本側は私一人で、後は大臣とそのご一行5人ほどと、駐日大使、大使館スタッフといった会でした。

しばらくお話を聞いていると、福島原発事故とその後についてもっと知りたいというものでした。このような経験は、国会の事故調査委員会を終えてから何度もあったことです。

ある時は国賓として訪日された国家のトップから、福島以後の日本の原発政策について政府の関係者や担当者たちに問いわせても、理解できるような説明がなく実に不可解である、との理由で、私に説明してほしいとお招きを受けたこともあります。

確かに、役所の担当者の説明は、通訳が入るにせよ、入らないにせよ、原発事故後の政策の説明は、もっと別次元の、実にわかりにくい理由があるのだろうと思います。わかりやすく説明しようがないほど、「理屈に合わない」こともいろいろありますからね。政府の担当者にとっては、わかるように説明のしようがないのだろうということでしょう。

しかし、福島原発事故のような「歴史的原発災害」について、世界共通の理屈で説明できないというのは困ったものです。

今年3月に出版した「規制の虜」にも書いているところですが、実に困った問題なのです。

これは、国家統治のありようの信頼の基本なのですから。

自然エネルギー構想の5年、孫 正義さんのすごさ

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東日本大震災をうけて、新しいエネルギー構想を打ち上げ、財団も設立、さらに、ご自身の事業でも世界を駆け巡り、超大な構想で世界を駆け回る孫正義さん。

話題提供者としてこれほどの人は、日本ではもちろん、世界のビジネス界でもなかなかいないでしょうね。批判するのはやさしいですが、自分のこととして考えるとどんなものでしょう。

孫さんは、福島原発事故後に始めた新エネルギー構想でも、休んでいるわけではないのです。9月9日に開催された、この財団の講演会にお呼びいただき、パネルに参加しました。

こちらの自然エネルギー財団のサイトで、基調講演他いろいろ見ながら聞くことができます。
http://www.renewable-ei.org/activities/events_20160909.php

久しぶりにお会いする、コーぺリエル理事長、ロビンスさん(トップのビデオの14分あたりから)、そして孫さんのスピーチ(同じく43分あたりからと、上から2つ目のビデオのはじめから)と、どれも素晴らしいものです。特に孫さんの考え、着想、行動力、話の構成など、そして質疑への回答など、見事なものです。

その後の世界や、米中ほかの動向、政策などを聞く、そしてよく考えてみても、日本が世界の潮流に取り残されていくのが感じられると思います。

悲しいことですね、国の中からしか世界を俯瞰できない、エネルギー政策に責任ある、そして日本の責任ある立場の人たちの貧しい精神構造。

生かせる技術は優れたものをたくさん持っているのが日本なのですが…。生かさなければ技術は寝ているだけ。

福島原発事故という世界史に残る大事故からも何も学べない、大きな構想を描けない悲しさ、ご都合主義のエリートたちの政治と政府とメディア、そして学者たち。「辺境の国」の人々の”マインドセット”でしょうか。

まだまだ、日本の電力政策の「規制の虜」状態は続きます。

当日は、私の近著「規制の虜」を出版社から「即売」していただいたのですが、予想を超えて、あっという間に売れてしまったようです。皆さん、ありがとうございます。

福島高校へ出かける

20160704_fukushima high↑ こちらをクリック ↑

今年の3月10日に福島原発事故から5年のタイミングで出版した「規制の虜」1)を読んでくれた方たちに誘われて、福島県立高校へ行って来ました。

福島高校は県立安積(あさか)高校とともに福島県ではトップの進学校です。ちなみに安積高校は、福島原発事故の国会による事故調査委員会の報告書の「はじめに」に引用した「日本の禍機」を著した、朝河貫一先生の出身校。朝河博士は日本人で初めて欧米の主要大学の一つ、イエール大学の教授となった人物です。

全校生徒960人ほど、先生、父兄、また近くの方たちも参加して、室内体育館で私の話と質疑で約2時間、みなさん熱心に聞き、活発に質疑をしてくれました。

そのあと、10人ほどの学生たちと私が車座で、他の皆さんもその周りを囲んで討論。初めの発言は一年生、「黒川先生の意見ですが、私は違っていると思います」と。私が「いいねぇ、それはどこ?」で始まりました。本当にいいですね、このようなやり取り。

この後、さらに希望者たち30人ほどと、更に90分近く討論する時間を持ちました。

この午後の半日はとても楽しい時間でした。みなさんもハッピーそう、先生たちも。

ところで、今回の訪問では福島原発の事故当時、相馬高校で教鞭を取っていて、2年後の2013年に相馬高校から東大に入学した「いなむらたける」君の先生だった松村先生にもお会いできました。

この年、震災で大きな打撃を受けた、岩手、宮城、福島の三県から東大に入学した生徒は、三県とも「進学校」といわれる各県の二つの高校からだけでした。「いなむら」君だけがただ一人の例外でした。

この2013年の東大の入学式では、私が祝辞を述べる栄誉を受けました。そのお祝いの式辞のはじめの部分で私は、「いなむら」君と松村先生のことに触れたのです1)。

特に「いなむら」君とご両親は(そして松村先生は多分、後でこのことを聞いて)驚いたことでしょう。まだ会ったこともない私が、祝辞のはじめに突然に自分の名前を呼んだのですから。これは本当に「想定外」のことでしょうね。松村先生には事前にお電話をさせて頂いて、ちょっと「あること」だけを確認させていただきましたが...。

そんな思い出を持っていたものですから、松村先生に初めてお会いできたのは本当にうれしいことでした。

さらに日本のトップの進学校のひとつである灘高校で教鞭を取っていた前川先生。この方も東北大震災の後に灘高校をお辞めになり、福島で教育活動をしていることを知っていました。ですから、前川先生にもお会いできたのはとてもうれしかったのです。

この福島高校での一日は、私が委員長を務めた「国会事故調」の宇田統括の右腕を務めてくれた石橋哲さんがアレンジしてくれたものです。石橋さんは「国会事故調」が終わった後も大学生、高校生と一緒になって、考え、行動する若者たちの支援をしています

翌日の現地の新聞にも、この訪問についてちょっと書いてありました。

福島高校の生徒が取材編集している学校新聞の記事を紹介します。

2016年度こ梅章10号1面「こ梅章」10号1面(平成28年7月21日発行)

素晴らしい人達との素晴らしい一日でした。

北緯78度のノルウェー領へ

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アムステルダムでの蘭日貿易協会の方たちとの夕食の後、スキポール空港を出発。90分ほどでオスロに到着し、ここで一泊。翌朝、140人ほどを乗せたチャーター機で北へ約3時間ほど、今回の目的のLongyearbyenへ到着しました。北緯78度に位置します。

この小さな町はSvalbard諸島の中心であるSpitzbergen島にあり、ノルウェー領です。その歴史からも、ノルウェー、ロシア、米国などの参加もある統治構造になっているようです。最近になって、世界の課題の一つでのある北極への足掛かりの一つですね。

この会はAurora Borealis Foundation1)主催の集まりです。Tallberg会議のBo Eckman氏が中心になって企画したようです。

2013年のことですが、福島原発事故の国会事故調の委員長をした関係で、北欧の主要電力会社のVattenhall社のお招きを受けてストックホルムを訪問した時に、このTallberg会議に参加しました。

今回の会議では日本からはソニーの所さんも参加されていて、私もちょっとホッとしました。台湾メディア出身のChristopher ChuangさんとEckmanさんの共同主催の形で、中国からの参加者が多かったのですが、プログラム、話の内容からいっても、かなりリベラルな発言の方が多い印象でした。数人で行われたブレストなどもなかなか良かったです。

このブレストのメンバーで、グロ-バルヘルスで活躍しているちょっと変わった経歴のDr. Eric Rasmussenと知り合いになりました。いろいろと私の活動と重なるところも多く、これは特に有意義な議論の時間でした。

3日目は、いくつかオプションがあったのですが、船で片道約2時間半弱のBerentsburgへ行きました。ここでもなかなか良い時間を過ごすことができました。

中国人の方で、とても変わった帽子をかぶったユニ-クな男性がいました。どこかで見た人だなと思っていたのですが、あちらもそのように思っていたようです。

著名なデザイナーの方で、去年の12月にノーベル賞の授賞式に参加した時に、会場やホテルで何度も見かけたので、お互いに「おや?」と思ったのですね。大村先生と一緒に受賞した中国のYouYu Tuさんのスタイリストだったのです。イケメンのお弟子さんと一緒で、またお会いする機会があるのを楽しみにしたいです。

帰りは小雪の降る中、空港近くにあるGlobal Seed Vaultに立ちよりました。チャーター便でしたが、多くの方たちがOsloに滞在するようで、遅れるのです。私はOslo空港から、ぎりぎり間に合って、パリ経由で羽田へ向かいました。

荷物はOslo空港に置き去りになりましたが、3日後に東京に着きました。

3月11日、福島原発事故から5年、「規制の虜」を出版、そしてコーネル大学へ

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あの悲惨な東日本大震災と福島原発事故から5年の時が流れました。どの程度の復興が進んでいるのでしょうか?むずかしい問題ですね。

いくつかの原発が再稼働されていますが、すぐに事故とか、ちょっとしたことがいろいろ起こっているようです。

福島の原発事故も、この処理についてはこれから何十年もかかるでしょう。想像もできないような時間ですし、今でも、またその先にもいくつもの難問・難関があります。

この機会ですので、「憲政史上初めて」の国会による福島原発事故調査委員会の委員長を務めたものとして、「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」という著書を出版しました。書店でも、アマゾンでも購入できます。できるだけ多くの方に読んでいただけると幸甚です。日本の”将来”はいまのままでは厳しいと思います。

出版に先立って、日本記者クラブ外国人記者クラブで、記者会見を開催しました。これらはYouTubeでも見ることができます。

日本記者クラブでは、福島原発事故に関係した講演は今回で5回目なのですが、その都度のメッセージは、基本的に「変わる世界、変われるのか日本」でした。

その後すぐにIthaca(NY)にあるコーネル大学にいきました。ここのマリオ・アイナウディ国際関係研究センター(センタ―長は宮崎教授)による企画で、3月11日に合わせて、「原発事故から何を学んだのか」を議論しようという目的です。

議論の相手は、プリンストン大学のペロウ教授、ヴァージニア・ポリテクのシュミット教授1)です。こういう議論に参加するのは、いつも楽しいです。その後は、レセプション・ディナー。

翌日も日本からの学生、先生たちとの朝食。快晴の中、広いキャンパスを散歩し、夜は日本と中国からの二人のポスドクをディナーにお誘いして、いろいろと話を聞きました。

共通の話題は、日本からの学生も先生も、”数が少ない”ということでした。

世界は広いのです、若い人たち、もっともっとチャレンジしてください。世界のみんなが待っていますよ。