ベルツ先生の教え

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今年は、日本に近代医学、医学教育の基礎を築くのに指導的な立場で貢献してくれた医学者、ベルツ先生が来日して140年になります。

そして、1901年(明治34年)11月22日はベルツ先生の滞在25周年を記念した大祝賀会が行われた日なのです。

この11月22日のことは「ベルツの日記」にも記述があり、多くの人に引用される大事なメッセージが残されています。

偶然なのですが、「医学界新聞」という医学関係の方たちに広く読まれている週刊新聞の11月21日号に、ベルツの先生について非常に詳しい自治医大学長の永井良三さん、ベルツ先生の弟のひ孫のモリツ・ベルツさんと私の鼎談PDF)が掲載されました。そしてこの出版日が、ちょうどこの講演の115年の日だったのです。偶然ですね。

この企画は、1年前から始まり、今年の春ごろから具体化したものなので、この発行日が11月21日になったのはまったくの偶然なのですが、何か不思議な気持ちになります。

特に医学、臨床医学、診療、そして医学研究など、広く社会で医学、医療に関係している方たち、そして多くの医学生たちにも、ぜひぜひ読んでもらいたいので、ここに掲載します。

この鼎談について何か感想などあったら、お寄せください。

人生には、ベルツさんとの出会い、この鼎談の出版日など、本当にいろいろな偶然があるものですね。

「漱石、熊本、牛込、そしてわたし」、不思議な偶然

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先日7月8日のブログでもちょっと書きましたが、偶然のご縁で英国のロイヤルバレーの仲間たちが、災害の中の熊本を慰問されました。ブログでも書いたように、熊本でのちょっと明るいニュースがいくつかのメディアでも報道されました。

それから一週間ほどして、蒲島熊本県知事から電話があり、記者会見で「ロイヤルバレーの訪問は友人の黒川さんからの紹介で・・・」といった発言について、一人の記者の方から「その黒川さんとは、黒川漱石の関係者なのですか?」と聞かれたというのです。

「それは、私の曾祖父です。私もこの”もう一人の漱石”についてもっと知りたいと思っていたので、その質問をされた方を紹介してもらえないですか?」とお願いしました。

数日後に、お手紙と資料が届き、実は10月、12月に、熊本と東京で舞台劇「アイラブくまもと、漱石の四年三ヵ月」がある、ついてはプログラムに掲載するので、私に何か「短い文を書いてくれないか?」ということでした。プログラムに掲載されている私の一文はこちら

「漱石、熊本、牛込、わたし」と、不思議な偶然がいくつもあるものですね。

今年は夏目漱石の没100年ということで、NHKでは「夏目漱石の妻」というシリーズが放映されたばかりですし、「夏目漱石」に関する企画が他にもいろいろとあるようです。12月の東京公演はこちらに案内されています1)。この舞台でも、「二人の「漱石」の出会い」が描かれています。

もし、ご興味、お時間があったら、お出かけいただけるとうれしいです。

がんばれ!熊本。

長崎で Pugwash 会議

「Holy Mother in Nagasaki」
https://www.google.co.jp/search?q=holy+mother+in+nagasaki&rlz=1C1CAFB_enJP633JP633&espv=2&biw=1440&bih=799&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CCYQsARqFQoTCO-0noyn-MgCFeMcpgod1McGxw&dpr=1#imgrc=A-oWpQ8RAuYZuM%3A

Pugwash 会議が、戦後70年の今年、初めて長崎で開催されました。私もパネルで話しをする機会をいただきました。

Pugwash 会議は Einstein などの科学者が、原爆による広島・長崎での悲惨な有様から、”核のない世界を”という趣旨で、1955年の有名な「Russel- Einstein Manifesto」 から始まった、核兵器をはじめとする大量殺戮兵器の廃絶に向けた「科学者の良心」とも言われる自発的な会議です。 この宣言にサインをした11人の科学者、そのうちの一人が湯川先生、10人がノーベル賞受賞者です。

第一回の会議は1957年、Pugwash, Nova Scotia, Canada で開催されました。

戦後50年の1995年、原爆被爆国の日本ではじめて、そして60年の2005年には広島で開催されています。そして戦後70年の今年、長崎で開催されたのです。この1995年にはこの Pugwash 会議と Sir Joseph Rotblat ノーベル平和賞を受賞しています。

私は3日目の11月3日に長崎へ、2年前にもうかがった長崎大学医学部が会場です。パネル「Risk of Civil Use of Nuclear Energy」は、と Princeton の Frank von Hippel のプレゼン、旧知の CSIS の Ms Sharon Squassoni とインドの Prof Ramamurti Rajaraman のコメントという構成でした。

私のプレゼンは20分、テンポは速いのですが、その後二日の間に多くの方たちから好評をいただきました。日本のメディアの英語版1)でも早速取り上げてくれました。これは良かったです。

その後、長崎出身で、ノーベル賞受賞者の下村さん1)から被爆者であるからこその感動的な話がありました。そのうち、これも紹介できると思います。

夜は特別に、会場のステージで、私も良く知っている日本を代表する免疫学者で、文筆家でもあり、著書も多く、創作「能」など幅広い活動をされた多田富雄さん(2010年、享年76歳で没、残念です)の能の一つ、「長崎の聖母」(Holy Mother in Nagaskai)1)が演じられました。グレゴリオ歌は地元の名門「純心女子高校音楽部」。ほんとうに感動的な時間でした。

夜は Glaver 邸1)でのレセプッション。河野洋平元衆議院議長からご挨拶をいただきました。

翌日、もう一日参加。会場は伊王島のホテル。午後の講演では MIT の PhD でもある、イランの原発の専門家で外務大臣も勤めた Dr Ali Akbal Salehi の「Twelve Years of the Iranian Nuclear Controversy and Negotiations: Lesson Learned」がなかなかのもので、多くのするどい質問が出ましたが、丁寧に答えられていました。さすが外交官でもあり、感心しました。

長崎は快晴でしたが、外を尋ねる時間がなく残念。しかし、なかなか充実した時間でもありました。

ところで、今年も二人の日本人がノーベル賞を受賞しました。広島、長崎、Pugwash、ノーベル受賞者とその意義、湯川博士の受賞のメッセージ、ノーベル平和賞などなど、ノーベル賞にはそれなりの大きな社会的、世界的なメッセージが明示的に込められていると思います。興味のある人は、例えば伊東乾さんの「日本にノーベル賞が来る理由」を読むのもいいですよ。

今回の Pugwash 会議も原爆、広島、長崎、湯川さんπ中間子の発見、核の時代の冷戦などなど、深い思考的メッセージがあると思います。

ニュースリリース

このブログでも何度か紹介している朝河貫一先生123)について、3人の福島出身の方々が「100年前からの警告-福島原発事故と朝河寛一-」という書籍を花伝社から出版されました。

私もこの本のオビを書かせていただいたのですが、2014年5月21日の福島民報に紹介記事が掲載されましたので、皆さんにお知らせします。

いまこそ是非、皆さんに手に取って読んでいただきたい1冊です。

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UCLA再訪

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5月3日にLondonから東京に帰ると、ゴールデンウィークの後半、ちょっとしたことを幾つかして、8日からLos Angelesに来ました。ここでも何回か紹介しているSt. Gallenへ行けないのがちょっと残念です。

快晴の東京から、これも快晴のロス。空はぬけるような青さです。早速、UCLAのキャンパスへ出かけて、いくつかの面談。夕方には「Issei」という、19世紀の終わり(1983頃)にSan Franciscoを中心にした日系移民の方たちと家族を取材した映画。短期の取材と少ない予算での貴重な記録です。

これらは、去年も報告しましたが、私の旧友Paul Terasakiの貢献によるPaul Terasaki Centerの活動の一部です。

翌日はUCLA Faculty Centerで、朝から「Japanese Diaspora」というテーマのForumに参加しました。いろいろな方のプレゼン、興味深い調査、考察など、学ぶことの多い、いい時間でした。私も最後にコメントしました。要旨はグローバル世界になって、これまでと違って“タレント”、いわゆる“人材”、“human capital”が積極的に国境を越えて自分の価値を生みだそうと、よそへ動く。つまりは、従来の“移民”とは違う「積極的、自発的“移民”」が増える。とすると、その1~3世代の「Diaspora」は国境超えた価値ある「Dots」になる、と。そして、積極的移民たちの「国際結婚」が増える、多様性も増すが、固有の文化の伝承はあっても、数世代後には「祖国」の概念は薄くなっていく可能も多くなる。事実、最近の日本からの“移民”の変化を示すデータも提示されていました。

夜は、ビバリーヒルズのど真ん中にあるセレブなホテル「Montage」でディナー。UCLAのChancellor BlockIrene Hiranoさんも参加です。

翌日はTerasaki Centerの会議。これもMontage Hotelで開催。Dr. Tarasakiも参加しました。

ぬけるような青い空、美しい南カリフォルニア、素敵なUCLAキャンパス。

翌日の朝、出発。成田経由で沖縄へ向かいました。沖縄?

ロンドンへ ‐2: Shakespeare’s Globe

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→ Images of Shakespeare’s Globe

ロンドン3日目の5月1日、少々雨の降る、ちょっと寒い日となりました。

午前は、傘をさして、小雨のHyde Parkを20分ほど歩いて、Marble Arch近くへ。2年ぶりにSingapore勤務から帰国したばかりの英国人の友人のオフィスで1時間ほど面会。今年の初めに東京に支店を開設し、先日、東京の英国大使館でのレセプションでもお会いしたばかりですが、ちょっとゆっくり話をしようということになったのです。

昼に、Oxfordの大学院で政治学を学んでいる、国会事故調の英語版翻訳・編集チームに参加した二宮さんと落ち合いました。ちょうど修士論文を提出し、6月に最終試験ということです(この2年弱、このBlogの英訳は彼女の作品が多いです)。ここからChatham Houseに向かい、前任の駐日英国大使 David Warrenさんと1時間ほど、今年10月に東京で予定している会議の打ち合わせもしました。Warren大使は2週前にも東京に来られ、私のGRIPSを訪ねてくださったばかりですが…。その後、私も参加している「日本版NIH」会議の参与もしている水野さんが帰英したばかりということで、彼の所属するクラブでお茶。

夜はShakespeare’s GlobeEnglish)へ。

出し物は“Titus Andronicus”English)。Shakespeare作品の中でも最も残忍な復讐劇で、Warren大使も2日前にご覧になったとかで、しかも新聞によると観客の何人かが失神したそうだよ、と言われていました。

開演が午後7時30分、終わりが10時30分という3時間の長丁場。劇場は写真にもあるように、天井から雨が降り込む、窓も木の枠だけなので寒い。中央のステージの前の立見席(ここは6ポンドほど)の方たちはそれを承知で見ているという、いかにも英国らしいアレンジです。それにしても、皆さん、我慢強いですね。俳優さんたちもこのステージの前も使って舞台が進むので、それも楽しみなのでしょう。

二宮さんは帰りも遅くなりましたが、Oxfordへのバスは24時間運転されているそうで、これも学生さんたちのためもあるのでしょうね。

翌日はVirgin Atlanticで出発でしたが、空港での受付も、サービスも、ラウンジも、なかなか良かったです。

Philadelphia-1: Swarthmore College を訪問

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Philadelphiaは私が初めて米国(初めての海外です、当時は)でくらした場所です。University of Pennsylvaniaで2年間、研究をしていたのです。もう40年以上前の話です。その時の“ボス” Prof Howard Rasmussenとの出会いが衝撃的1)で、その後の私の進路に大きな影響をあたえたのだと思います。

久しぶりのことですが、9月9日に羽田発、New York CityのJFK 到着、迎えの車でPhiladelphiaへ3時間。宿泊は町の中心にある、150年前にLincoln大統領支援の目的で建設された由緒ある、共和党ゆかりのThe Union League1)へチェックイン。ここには、歴代の共和党の米国大統領の肖像画があります。

一休みしてさっそくSwarthmore Collegeへ、学長のRebecca Choppさんに、3年ぶりですが会いに行きました。

Swarthmore Collegeは米国でもトップにランクされるLiberal Arts Collegeで、この近辺ではBryn Mawr College(19世紀の終わりごろ津田梅子123)が留学した)、Haverford College(Harvard大学歴史学教授でよく知られている、私の高校の先輩でもある入江昭さんも学んだところ)とも近く、「Tri-College Consortium 」を形成する名門中の名門です。この3校を巡回するバスもあります。

Chopp学長1)、さらに3人の日本の女性で教鞭を取る角田こずえさん、城よしこさんと須田あつこさんたち(海外で独立して活躍している日本人には女性が多いな、と私は思っているので、「やっぱりね」と感じました)、また日本文化について教鞭をとっているDr William Gardnerさん(JETプログラムで日本にいたことがある)ともお会いしました。いろいろな話題について、1時間ほど時間を過ごしました。

この大学は一学年400人弱、1年目はみなさんキャンパス内の寮で、そのあとも大体90%以上はキャンパス内の寮生活、大学院はなし。ここの生徒は優秀でよく勉強し、教育の評価が高いので、卒業生は大学院に行くときはどこでも大歓迎のようです。

この大学の所在地は私が昔住んでいたところに数キロほどと近いので、そのあたりを回ってみましたが、すっかり変わってしまっていて、当時の面影は全くなく、電車の線路だけが変わらずあるといった風情でした。

素晴らしい大学キャンパス、そして懐かしい思い出の場所、時のたつのは早いものです。

Tallberg Forum 2013

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6月12日朝、成田を立ちCopenhagen経由でStockholmへ来ました。Tallberg Forum 2013のOpening sessionに出ないか、というのです。

13日午前は、StockholmにあるVattenfall1)というスウェーデン最大の国営電力会社本社で役員との会談、さらに職員向けへに福島事故調の話を聞きたいということです。もちろん喜んでお受けしました。そのあとスウェーデン最大の放送局 Sveriges Television AB (SVT)のインタビュー(※1)。インタビュアーのThomas von Heijne 氏は20年ほど前に3年ほど東京に在住、NHKで仕事をしていたそうです。

そこから友人のAnders WijkmanさんとSundaram Tagoreさん(※2)とTallbergへ、約3時間のドライブです。

夕方からパネル、その後は国王をお迎えしたレセプション、ディナーにお招きを受けました。国王とは日本で2、3度お会いしたことがありますが、こちらではだれもが国王を囲んでお話をしています。私は警護の武官ともいろいろお話をしました。ディナーは40人ほどですが、Forumの創始者Bo Eckmanさんたちと、国王Carl Gustaf 16世(今年の9月で国王になられて40年となります)のおられるテーブルの隣でしたので、国王のところに行ってしばらくお話をさせていただきました。ノーベル賞100年記念のこととか、リンネ生誕300年の時の天皇陛下のご訪問のことなどです。

1日目の開会のパネルでは、「気候変動」について話したRobert Corellさんが素晴らしかったです。2日目のランチには、Eckmanさんが私とあと2人を招いて、世界のアジェンダについて意見交換の場を設定してくれました。

「Globalization」の世界では、人間はどこへ行くのだろう、何をしたらよいのか、「見えない解」への多彩な意見の交換が出ますが、なんとなく不安があふれていて、真剣に考えれば考えるほど、「次への一歩」が見えないいら立ちがそこかしこにという感じでした。

素敵な場所、晴れたと思ったら、急に雨が降ったり、しかし、きれいなところです。厳しい自然と一緒に生活し、自然を大事にしている、そして要所に鉄道があったり、長い間の知恵が、そこかしこにこのような雰囲気を生んでいるのでしょう。

去年、Osloでの話を書きましたが、自然の環境がそれぞれの国民性にあるのですね、生きる知恵というようなものでしょう。

これが人間にとって自然なことなのでしょうね、なんとなくほっとする感情が湧いてくるのですね。

最終日の15日、Tallbergを昼に出発、ロンドンへ向かいました。

※1
ここでは私のコメントのうちで、日本で「Groupthink」を大事にすることは「致命的な弱さ」という認識、そして「Obligation to Dissent 異論を言う義務」という意識と行動、これらの欠如が、日本の「エリート」の「ひ弱さ」になっている、というコメントを取り上げてくれたのはうれしいことです。編集者の見識です。

SVTのインタビュー記事はこちら

インタビュー記事の日本語訳はこちら

※2
私の初めてのあいさつは「あのTagoreさんの?」でした。曾祖父ということでした。「やっぱりね」というところですが、私が知らなかっただけのことでしょう。素敵な方です、芸術家であり、映画でもよく知られています。「あのTagore」はアジア人として初めてのノーベル賞受賞者であり、岡倉天心は同世代でもあり、親交があったのです。岡倉は初めてインドへ行った時「アジアはひとつ」と気づきそのまま1年滞在し、その後も日本と米国を結ぶ大活躍など、この時代の日本人には、こういうスケールの大きい「エリート」が何人もいたのです。最近はちっとも見ないタイプですね、残念ながら。

福沢諭吉記念文明塾に参加する

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明治の新時代への転換期の日本で、福沢諭吉は先見性のある素晴らしいリーダーの一人でしょう。特に「独立自尊、官に頼らず」の精神と彼の生き方は、その時代を考えてもすごいことで、私の好きな福沢諭吉の真骨頂があると思います。

この福沢諭吉の精神は、今の世界でも普遍性の高い社会的価値の一つです。福沢諭吉のすごいところは、このような思想を実践していることにもあります。つまり口先だけではないのです。慶応義塾(人材育成)、交詢社(財界交流)、時事新報(メディア)、学士院(科学者)などを立ち上げるのです。また「学問のすゝめ」、「文明論之概略」をはじめとする深い洞察と先見性のある多くの著書のあることです。まさにスーパーマンです。

そんな理由かもしれませんが、なんとなく慶応義塾とのご縁がいろいろとできるのです。私のこのサイトで「慶応義塾」とか「福沢諭吉」とか「検索」すると、福沢諭吉のことがかなりの数で出てくると思います。

湘南キャンパスでも2010、2011年の秋セメスターで1コマ授業を持ったりしました。2010年にも、なんと「グローバルアジェンダと日本の危機管理」というテーマでも話しています。

数年前から、福沢文明塾というリーダー育成の企画が始まっています。講師も素晴らしい方がラインアップされています。私も4年ほど前に参加しましたが、去年の第8期の最後のセッションにも参加しました。

若者たちの将来のキャリアを自分なりに見つけるという趣旨のほかにも、今でも、いや今だからこそ福沢諭吉の精神が大事なのだという趣旨には大いに賛成です。

多くの元気な若者たちに会いました。

 

野中郁次郎さんと私の対談のお誘い

去年にも、このカラムでお知らせしましたが、イノベーションで著名な野中郁次郎さんと私の対談をご案内します。

タイトルは、「改めて「震災後」・「日本の将来」を問う」です。

前回と同じようにUniversity of California at Berkeley (UCB) と at Los Angeles (UCLA) の日本同窓会主催の企画で、9月18日(火)、夜7:00開始、東京の新丸ビル内で開催します。

詳細はこちらです→ 
9月18日UCLAイベントのご案内 (PDF)

UCB, UCLA同窓会員でない方も、特に若い人たちの参加を歓迎します。