思いがけない出会い

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先日、ダボスからの第4報で、最終日の夜に行われたコンサートで、世界的なViolinistの諏訪内晶子さんが素晴らしい演奏を世界のリーダーの皆さんに聞かせてくれたことを書きました。帰国してしばらくして、突然、諏訪内晶子さんからメールが届き、「ダボス会議での演奏会にいらしていただいたことを、ブログで知りました。今度日本で公演しますので、是非お招きさせてください」と。うれしいやら、びっくりです。

そのYury Bashmet(conductor and Viola) and Moscow Soloistsの公演が12日の夜、Suntory Halllで行われ、家内と一緒に素敵な演奏を一晩楽しみました。ダボスで何回かお会いしているUNIQLOの堂前さんもいらっしゃっていましたし、皇太子殿下もお見えになられていました。

曲目は:
1. JS Bach: Brandenburg Concert No 3 in G major BWV1048
2. WA Mozart: Sinfonia Concertante for Violin, Viola and Orchestra in E flat major K364
3. WA Mozart: Violin Concerto No 2 in D minor K211
4. Bruch: Kol Nidrei Op 47 for Viola ad Orchestra (version with strings)
5. WA Mozart: Serenade No 13 in G major ‘Eine Kleine Nachtmusik’ K525.

諏訪内さんは2曲目と3曲目。BashmetさんはViolaで2曲目と4曲目を演奏されました。

公演が終わって楽屋を訪ねましたが、諏訪内さんのお母様とは以前お会いたことがあって、その時に晶子さんにもちょっとだけお会いしていたことがわかりました。

blogの効用はありますね。思いがけない楽しい夜、そして嬉しいつながりができました。

科学者の不正行為。日本に特異な課題はないか?

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この数年、科学者の不正行為については、メディア、新聞紙上問わず、そして国内外を問わず報道されています。グローバルな研究成果の競争、研究費の急増、知的財産や大学発ベンチャーへの圧力、情報の公開、名誉欲、国の威信等々、いろいろな要因があるでしょう。行政による不正防止や不正の検証等々、侃侃諤諤、ともかくうるさいぐらいです。

これらは特に日本固有の問題ではありません。どこからでも聞こえてきますし、時には有名科学誌といわれるNatureやScienceなどにも取り上げられます。

これらの不祥事を防ぐには、どうしたらいいか。これはいつにかかって科学者自身たち全体の社会的責任なのです。この問題について書かれた「科学を志す人びとへ」という本が日本学術会議と化学同人の合作として出版されました。私も、この件については懸念をし、繰り返し発言してきましたし、日本学術会議からの活動や発信もしてきました。

この出版にあたって「序」として「科学研究を担う人たちへ」という一文を寄稿しました。お読みいただければと思います。

このブログでも繰り返し発言していることですが、日本社会特有の社会構造的な問題についてフォーカスを絞って論じました。社会的責任の大きい人たちにこそ問題があるのです。最近もまたぞろ出てくる社会保険庁や高級官僚の不祥事、企業経営人の不正、政治家の不祥事、皆、同じ構図と思います。あまりにもお粗末、どこでも組織に、そして組織を構成する責任者たちに自律機能がないのです。

なぜでしょうか?トカゲの尻尾きりでは何も変わらないのです。これを読んでみて、素直に、一人ひとりが、胸に手を当ててよく考え、どうすればいいのか、しっかり考え、行動して欲しいのです。

「Cool Earth 50」の外国記者会見

6月にSlovaniaで行なわれたG8の科学顧問会議から帰国してすぐの7月2日、プレスクラブで外国人記者たちを相手に「Cool Earth 50」について記者会見をしました。皆さん、楽しんでくれたようです。その方たちからメールを何通か頂きましたが、その内容は、いつもとは違った記者会見で、オープン、フランク、どんな質問にも答えてくれて楽しかった、という趣旨でした。普段は堅苦しいものばかりで、HPに出ている以上の情報があるわけではないといった感じだそうです。英語のハンデもあるし、役所のことですから致し方ないところでしょう。

Von Martin KoellingさんがドイツのTechnology Reviewに書いてくれました。楽しめましたし、良い内容です。ドイツ語は読めない方も多いでしょうから、その英訳(ちょっと訂正もあります)をここに掲載しますので読んでみてください。

   "Impossible? It’s a Matter of  Vision and Will to Challenge!"
   Technology Review, July 10, 2007

Red Herringで日本特集

だいぶ遅くなりましたが、以前このブログでも紹介したシリコンバレーのメディア「Red Herring」が、7月に行なわれた会議をもとに、今回、日本特集を出版しました。

Red Herringは印刷物では発行しないそうなので、Red HerringのWebサイトで閲覧してください。p.4のEditor’s Note、p.15~30が特集になっています。私のことも結構カバーしてくれています。楽しんでください。

北京WHO、東京で宇沢先生と医療政策論議とblog

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10月24日、Abu DhabiからDubai空港を経由して北京へ到着。WHOのCommission会議に参加です。今年の会議は1月にGeneva、そして6月にVancouverで行なわれました。来年には最終報告を出すことになっているため、今が追い込みです。ここまでくるとCommissionersだけでのクローズドセッションが中心でした。

24日は厚生労働省に相応する衛生部の副大臣主催で夕食会がありました(写真1)。副大臣は外科医で肝臓移植などがご専門だそうです。いまでも時には病院で手術をされるとか。衛生部の大臣は、IAPなどでこの5年ほどお付き合いのある、旧友のChen Zhuさんですが、残念ながら今回は会えませんでした。

Beijin012 写真1 Yan Guo Commissioner、Marmot Commission議長、衛生部副部長、そして私

会議最終日の26日の夕方、北京空港は霧で多くの欠航が出ました。幸いなことに私の便は1時間遅れで出発し、成田へは夜の10時50分に到着。この時間だとバスも電車もタクシーもないのですね。いやはや、これで「経済大国」の首都の国際空港でしょうか?

翌27日は台風が近づく雨の土曜日。私の尊敬する宇沢弘文先生(このサイトで何度か紹介しているので、Searchしてください)の主催する、同志社大学の「生命医科学部」開設記念シンポジウムに出席しました。宇沢先生の熱い思いのこもったシンポジウム開催の趣旨説明(PDF) には、私の「大学病院革命」が紹介されていました。嬉しいやら、恥ずかしいやら。この本を来場者の皆さんに差し上げましたが、正解でした。

Uzawa013 写真2 いつもお元気な宇沢先生と。話が弾みました。

この後、あるblogでこのときの宇沢先生の話(今年8月にHelsinkiでの講演でもつかったイントロですが)を高く評価してくださっていました。嬉しいことです。お礼のコメントを差し上げました。

ソウルから

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13~17日、ソウルに行ってきました。

13日の朝早くに東京を出発し、その日の夕方、韓国の医学教育に一生を捧げた佐藤剛蔵先生のお孫さんの佐々木定さんと、佐藤先生の教え子たち3人(83~86歳)との再会に立ち会いました。佐藤先生が朝鮮半島に渡ってちょうど100年目。そして大韓医院(現在のソウル大学医学部の前身)の始まりの100年目でもあります。佐々木定さんは生まれて14年間、佐藤先生とソウルに住んでいたのです。佐々木さんは1945年の終戦とともに日本に帰国し、それから初めての韓国訪問になったそうです。何たる奇遇、何たる100年目の偶然。佐々木さんが当時住んでいた場所も訪ねました。

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写真1 左から石田さん、佐々木さん、朱先生、私

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写真2 朱先生(韓国学士院副会長)と私

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写真3 大韓医院

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写真4 京城帝国大学医学部本部(現在のソウル大学医学部キャンパス)

この訪問が一番近い二つの国の歴史を超えて、将来への扉を開くことを期待します。今回の訪問については、一緒に参加してくれた元ジャーナリストの出口さんがご自身のメルマガ(10月10日号17日号)で感動的なレポートをされていますので、読んでください。

翌日は佐藤先生のゆかりの場所を、佐々木さん、石田先生と訪ねて歩きました。夜は魚市場で生きた魚を目の前で調理してもらって食す、“贅沢”な夕食。

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写真5 ソウルの魚市場

15日は素敵な女性研究者、ソウル大学のNarry Kimさんにお会いしました(写真6)。RNAの研究で素晴らしい業績を上げているので、是非ともお会いしたいと思っていたのです。お子さん二人を育てながらの研究、そしてその業績の背景を知りたかったのです。この件については近いうちに別のコラムで報告しましょう。今はお話できないこともあるので、楽しみにしていてください。

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写真6 ソウル大学のNarry Kimさんと

16日からはWalkerhill Sheratonで開催された、World Knowledge Forumに参加しました。2日目の17日には、米国の前国務長官Colin Powell氏のKeynote Lectureがありました。原稿なし、メモなしで45分ほど、よどみなく、ベトナム戦争、韓国で過ごした時代、冷戦時のソ連訪問、中国訪問、冷戦終結前のゴルバチョフとの密会等、具体的なエピソードを交えながら話され、今の中国とその将来への期待などについて、興味の尽きないすばらしい内容と品格のある講演でした。

私はというと、インド、そしてSilicon Valleyでも活躍するD Bangaloreさん「世界級キャリアの作り方」でご一緒した石倉洋子さんとのパネルに参加しました。

このパネルの後、飛行場へと向かい、羽田行きの便で戻ってきました。

老いた日本、自分の殻に閉じこもる

先日、フランスのジャーナリスト数人が、日本の各界のリーダー30人ほどに数日間に渡ってインタービューを行っていて、私のところにも来られました。数日後、そのジャーナリストの方からメールをもらい、インタービューした皆さんがなぜか極めて悲観的なコメントばかりで、私だけが何が問題で、どのように解決すべきかを積極的に発言した唯一の人だったといわれました。

その時の取材記事が「Le Figaro」9月25日号に掲載されていました(資料1)。日本語訳(経済広報センター:資料2)もいただきましたので、両方を掲載します。

 資料1 フランス語 (オリジナル)

 資料2 日本語 “老いた日本、自分の殻に閉じこもる”

海外プレスのインタービューは報道されるかどうかは別として、広報としてとても大事です

世界の若者、世界のリーダーたち、そして英国大使館でDavid King卿~世界から見た日本への期待と課題

前回のUNESCO-L’Oreal賞の選考でパリから帰国した翌日、10月7日から9日までの活動報告です。

7日の朝8時からBioCampへ。これは世界で活躍するNovartisが40人ほどのアジアの若者を対象に、2年前から年1回行っている“キャンプ”です(参考:12)。第1回は台湾で行なわれ、1986年のノーベル化学賞受賞者、李遠哲(Yuan T Lee)博士の基調講演がありました。第2回はSingaporeで、基調講演は科学担当大臣のPhilip Yeo氏、そして今回は、私と2002年のノーベル医学生理学賞を受賞されたMITのR. Horwitzさんが基調講演を行ないました。40人ほどの参加でしょうか、男女比は5:5。このうち日本からの参加が15人ほどで、男女比は7:3で男性が多かったです(ということは、他の国からの参加者は女性のほうが多いということです)。前日にパリで女性の研究者の選考をしたばかりでしたので、ちょっと寂しい感じがしました。

後で知ったのですが、翌朝の「みのもんたの朝ズバ」で90秒ほどですが、私の講演部分も含めて放映されていたそうです。私企業が世界の若者育成への貢献の例として取り上げたようです。

この基調講演を終えた後、すぐに京都へ。第4回のSTS Forumです。午前のセッションでは福田総理のご挨拶があり、好評だったようです。これには間に合わず、午後のセッションから参加しました。今年は4回目ということでかなり盛り上がっていましたし、数多くの世界のリーダー、友人たちと再会、新しい知己を得られる素晴らしい機会でした(写真1~4)。世界の多くの課題や政策等についての討論からしても、去年の会議から更に成長した感じがしました。なんといっても、気候変動や持続可能な社会といった問題は、世界の中心的な課題になっていることは間違いないというところです。ここでも日本への期待は大きいのですが。

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写真1 左から私、李遠哲(Yuan T Lee)先生吉川弘之先生、そしてWaldvogel博士

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写真2 左から私、Charles Vestさん、そしてYoungsuk Chiさん

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写真3 左から私、Egypt大使、Alexandria図書館 館長のSerageldin博士

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写真4 George Atkinson氏の後任として米国国務省Rice長官の科学顧問に就任したNina V. Fedoroff博士

9日、STS Forumの会議終了とともに帰京の途へ。品川駅から東京大学医科学研究所へ向かい、国際エイズワクチン推進構想(IAVI)創設者のSeth Berkley氏(2年前のダボス会議からの知り合いで、今回のSTS Forumにも参加していました。)とワクチン開発の講演に参加しました。

この日の夜は、英国大使館に英国首相の科学顧問、David King卿(参考:12)との夕食へ向かいました。勿論、来年日本が主宰する7月のG8サミットの話題が中心で、私のスタッフ4人(内閣官房、外務省、総合科学技術会議、日本学術会議から)にも同席してもらいました。

国内外にいろいろと課題が満載のG8サミットのホスト国ではありますが、気候変動、アフリカ問題等をどうするのか?台頭するアジアと、これらの地球規模の課題への日本のリーダーシップは?等、世界が注目する中で、ここが21世紀初頭の日本の正念場はないかと、私はヒシヒシと感じているのですが・・・。

今年のドイツでのG8サミットは日本の提案が大きく貢献 しましたが(その割には、国内外で評価が広がっていないのは、いつものことですが報道戦略が上手くないのだと思います)、さてそこで気候変動に関して日本は何を打ち出せるのか。さらに、アフリカ問題へはTICAD(参考:12)をサミット直前の5月に横浜で開催するという絶好の機会であるにも関わらず、いづれのテーマにおいても、世界が注目する中で、「国家の意思」が伝わってこないもどかしさがあるのです。

これは世界でも同じように感じているところです。「急激に動く世界の中の日本」が見えてこないのです。もっとも、これは予期しなかった政権交代があったとはいえ、とのことを認識した上でのことではありますが。

さて、皆さんはどのようにこれを感じ、どのように考えているのでしょうか?

しかし、疲れますね。私にはやれやれといった感じでしょうか。

UNESCO-L’Oreal賞、素晴らしい女性科学者たち

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L’Orealという化粧品企業があります。UNESCOと行なっている、素晴らしい女性科学者を表彰するUNESCO-L’Oreal賞の選考委員として招聘され、4日の朝、パリに来ました。

ホテルは凱旋門や日本大使館、日本のOECD事務所などにも近いHilton。昼はUNESCOの近藤大使と公邸でお食事、日本学術会議時代から知り合いの秋葉さん、新任の坂下さん、そして、今年の5月にもご紹介した世界的な建築家のバンシゲル(坂茂)さんもパリにいたのでご一緒(写真1)しました。今は、国際コンペで勝ち取った第2ポンピドーセンターの建設で毎月2週間ほどはパリにいるそうです。

近藤大使は文化にも造詣が深く、「パリ マルメゾンの森から-外交と文化に関する24のエッセイ」という本も出しています。また、大方の予想を覆して、今年6月のUNESCOの会議で石見銀山世界遺産に選ばれたことにも深く関わっておられます。環境という点が高く評価されたのです。これは時代ですね。この6月末の会議に近藤大使がNew Zealandへ向けてパリCDG空港を出発する夜、私もちょうど東京への最終便を待って空港にいましたので、つかの間でしたが夕食をご一緒しました。

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写真1 右から坂さん、私、近藤大使、秋葉公使

5日はL’Oreal賞の選考委員会が開催され、委員長は1999年に医学生理学の分野でノーベル賞を受賞されたGunter Blobelさんで、審査員にはいままでの受賞者が何人もいらっしゃって、素晴らしいメンバーでした。UNESCOからは旧友のNaleczさん(Poland出身)が担当として出席していました。3年ぶりでしょうか、久し振りにお会いしました。一次選考の上で推薦されてきたのは、5つの地区(North America、Europe、Asia-Pacific、Latin America、Africa-Arab)の各地区の候補者5~10人で、素晴らしい方ばかりで難しかったです。活発な議論の結果、最終的にそれぞれの地区で一人ずつ、5人が選ばれました。結果はL’Oreal賞のサイトでみてください。来年3月にはUNESCO-L’Oreal賞は10周年を迎え、パリでは授賞式とともに盛大な事業が企画されているようです。これまで日本人の受賞者には、岡崎恒子さんと日本学術会議や科学ジャーナリスト協会賞の選考などでご一緒する米沢富美子さんがいらっしゃいます。

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写真2 Naleczさんと

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写真3 選考委員会の様子

夜はRadio France Philharmonic Orchestraのコンサートに出かけました。Gustavo Dudamel指揮、Leif Ove Andsnesのピアノ、ここはMyung-Whun Chungが監督です。曲目はBrahmsのConcerto for Piano with Orchestra 第2番でした。演奏終了後、休憩時間で失礼し、パリCDG空港へ。前回、近藤大使とCDG空港でお会いした時と同じ、23時30分発のAir France便で帰国の途につきました。

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写真4 夜のオーケストラ

しかし、このL’Orealも世界的規模の上手な広報戦略ですね。グローバル時代には特にこうした貢献が、企業の大事な社会貢献(CSR)として、見えない“intangible”、企業価値として評価されるのです。日本の企業もかなり貢献しているところもありますが、もっともっと必要です。

少ない「投資」資金、新成長産業が伸びない日本

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10月3日、JASDAQに招かれて講演しました。参加者は700人程でしょうか。熱気に溢れてはいましたが、もっと元気でもいいのでは(?)、とちょっと感じました。なぜかはよく分かりませんが、おとなしい感じがします。主宰者のJASDAQ社長の筒井さん、またパネルに参加されたザインエレクトロニクス(THine)飯塚さん(飯塚さんのインタビュー記事はこちら)とは、先日ご紹介した大連でも一緒でした。パネルは筒井さんの司会で、日本マクドナルドホールディングス社長の原田泳幸さん、ジュピターテレコム副社長の福田峰夫さん、ザイン社長の飯塚哲哉さん、そして私というメンバーでした。

日本は新産業、成長産業を盛り上げるお金が、OECDなど経済の大きな国としては極端に少ない国です(図1・2:どうしてこの図表がもっと広く使われ、メディアなどで知られないのでしょうか?)。1960年代から30余年にわたる大量の規格製品、石油という安いエネルギー源(1974年のオイルショックまで)、消費文化、供給者側の論理で引っ張られたFreeman and Perezの言う「第4のパラダイム」の下での経済成長で、“緩んで”しまっている感じがします。特にこの数年の景気回復は、アジアの経済成長とともに到来した感があるので、なおさらですね。日本の基本的な構造改革はまだまだなのに、です。危険ですね。冨山和彦さんの著書「会社は頭から腐る」「指一本の執念が勝負を決める」などで指摘されているとおりです。世界は急激に変化しているのに、成功体験が邪魔になって変われないのです。特に過去の成功体験をもった既得権者が高い地位に多すぎて、大抵抗勢力になっているのです。現場はまだまだ強いのに、企業はそれを生かしきれていないと思います。

図1: ベンチャーへの乏しい資金供給量–その1:日米欧のVC投資残高の推移

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図2: ベンチャーへの乏しい資金供給量–その2:諸国でのステージ別ベンチャー投資(GDP比)(1998-2001)

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出所: 「ベンチャーキャピタル等投資動向調査(平成17年度)」
注1: 米国は107円/ドル換算
注2: 欧州は139円/ユーロ換算

この辺の社会背景については、サイトにいろいろと書かれてもいますし私の講演なども参考にしてください。この40数年、日本と米欧の3極の枠で済んでいたものが、アジアの急成長でアジアの日本が追いまくられている、という構図です。慢心も安心も、決してあってはなりません。

「投資」は国のお金、また税制だけではないのです。これらは政策としての一つの誘い水です。日本の「政産官」の「既得権の大きいところ」が、過去の成功体験、大銀行による中央集権的間接金融などに慣れてしまって、「融資」は考えても、「投資」ができない精神構造になっているのでしょう。起業家精神溢れる「出る杭」たちが、日本社会にはあまりにも少ないのです。これでは新しい産業は出てきません。、新しいグローバル時代のパラダイムでの産業構造と経済成長の競争は難しいです。産業革命以来の、産業と経済の歴史が繰り返し示すところです。新世代(年齢に関わらず)が出てくるのが大事です。

情報が広がるこの時代、世界は日本の状況を“よーく”知っています。上の2つの図をどう解釈しますか?どうすればいいのか、一人ひとりが考えてください。多分、いつものように自己の狭い過去体験にとらわれた縦割りの論理で、“too little, too late”の政策・戦略しか打てないのではないかと危惧しています。変れないのですかね、所詮は。最近、日本孤立、日本沈没論がではじめていますが、そうかも知れませんね。できない理由ばかり言って、ガチンコ勝負を経験したことのない人ばかりが上に立っているのですから。

海外のムードは、世界第2の経済規模ですが、日本はどうでもいいや、日本は“irrelevant”、関係ないね、という感じです。2010年には中国がGDPで日本を追い越す予測です。

優秀な、高い理想を追いかけようとする人たちは世界へと出て行くようになるでしょう。情けないことですが、これがグローバル時代なのです。

講演が終わって成田へ向かい、いつもの夜行便でパリへ出発しました。