主張<2> 次世代のサイエンティストをどのようにつくるか?

一夜にして症状を緩和する特効薬はない


 前回のコラムでも述べたように、日本の科学研究力は凋落の一途をたどっています。残念ながら何十年もかけて進行したこの病を、小手先の対応で治すことはできません。可能性があるとすれば、極めて当然ですが、優秀な若手の博士研究員(ポスドク)の育成でしょう。人を育てるのですから、それは一朝一夕にはできないことです。ただ、次世代のサイエンティストの育成に真剣に取り組まないかぎり、日本の科学研究に未来はありません。

 今となっては日本でもメジャーな「ポスドク」は、元々アメリカで生まれた制度でした。日本では、90年代に「大学院重点化計画」というものを立ち上げた際に、アメリカをまねしてポスドク制度が広く導入されました。日本に研究者を増やし、日本の基礎研究力を強化するのが目的でした。1996年度から2001年度までの5カ年計画として閣議決定された科学技術基本計画では、「ポスドク一万人創出」という目標が掲げられ、実際1996年には6224人しかいなかったポスドクは2002年には1万1127人に増えました。数字の上では、見事目標は達成されたのです。しかし、実際のところ、日本のポスドク制度とアメリカのポスドク制度は似て非なるものでした。雇用慣行や社会制度のちがいもあるでしょうが、本来、ポスドクは何のためにあるのかを理解しないままに制度が導入され、これが問題でした。

 

外に出ない日本のポスドク


 私も身をもって経験していますが、アメリカにおけるポスドクは研究者の「武者修行の場」です。大学院で博士号を取得した後、古巣とは別の研究室に任期付きで所属し、テニュアトラック、そしてテニュア(終身雇用)の地位を目指します。これが非常に狭き門で、生き馬の目を抜くような世界です。ポスドクに進んだ若手研究者は自らの研究室を主宰できるようになる日を目指し、死に物狂いで勉強し、働きます。このとき、「別の研究室に行く」というのがポイントです。欧米のアカデミアに、古巣にずっといるような研究者はいません。

 私が渡った半世紀ほど前から今まで変わらず、世界の研究の中心にあるのはアメリカです。そのアメリカに一時ビザで滞在して研究をする人たちの国籍別データがあります。年によって多少の変動はありますが、近年は中国からの滞在者が最も多くて毎年4000~5000人。インドが約2000人、韓国が1200人、台湾が700人。さて、日本はというと、これがなんと200人以下です。人口7000万人のタイにも及ばないのですから、いかに日本の研究者が、外に出ずに閉じこもっているかがわかるでしょう。

 むかしから、日本人の研究者は海外に出て行こうとしないのですね。出たとしてもたいていは2~3年。それで「十分に箔は付いた」とばかりに、帰国して元いた研究室で働き始める。そんな人がひところは大勢いました。教授の手足として働き続けて、そのうち助教なり准教授なりに取り立ててもらおうという考えです。

 文部科学省の学校教員統計調査によれば、日本の大学教員の自校出身者の割合は、全体平均で約32%、国立大学教員では42%超え。欧米の大学に比べて非常に高い数字です。同じ環境にずっといて、教授の下で教授のテーマに関連する研究をやったとして、そこに研究者としての創造性はあるでしょうか? 教授のひも付きで数年しか「武者修行」をしなかった研究者が古巣に持ち帰るアイデアやコネクションなど、どれほどのものでしょうか? そんな日本の研究室には魅力がないのでしょう、海外からの研究者もやって来ません。国際的な研究ネットワークは、日本の研究室を「孤島」と揶揄しています。

 

日本のポスドクのキャリアパスの不透明さ


 日本のポスドクが国際的に活躍できないのは、そのキャリアパスが極めて不透明であることも影響しているでしょう。科学技術政策研究所の「研究組織の人材の現状と流動性に関する調査」によれば、海外で研究したいという若手研究者の意欲を阻害する最大の要因が「海外へ移籍した後、日本に帰ってくるポストがあるか不安である」ということでした。

 日本でアメリカのポスドク制度を導入したとき、その出口については深く考えられませんでした。文部科学省の「ポスドク調査」によれば、日本でポスドクから正規職に移行できる研究者はわずか6.3%。内訳は大学教員が約5割、4割が研究機関の研究員であり、研究開発職以外の雇用は1割もありません。日本の若手研究者は大学にしかポジションがなく、その枠も極めて小さいということです。これが欧米では、民間企業の博士採用がそれなりにあり、博士号を持った人材が社会でしっかりと活躍しています。「博士号をとった後に路頭に迷う」ということが日本ほどは起こりません。

 

若手研究者は海外に出ましょう/出しましょう


 ただ、やはり、いま日本でポスドクをやっている人、これからやろうとしている人は、積極的に海外に出ていくべきです。非常に厳しい研究競争の世界ですが、そこで5~10年と組織を渡り歩いて居着けるようであれば、「高等教育を受け、高度な専門性を持つのに、食うにも困る人々」いわゆる「高学歴ワーキングプア」などにはならないでしょう。若いときのある時期に必死に勉強や研究に取り組んで「独立」した人であれば、欧米の大学や企業はその取り組みをフェアに評価してくれます。

 そして、日本の大学の教授は、大学院生や若手研究者に海外に出るチャンスを積極的に与えましょう。自分の研究テーマや知識を引き継ぐ「弟子」を育成することが、教授の仕事ではありません。次世代を切り開く独立した研究者を育てることこそが、高等教育に携わる者の責務です。人材を「育てる」ということとは、「知識を与える」ことではありません。若者は、機会が適切に与えられさえすれば自然と知識を会得し、自ら走りだします。

 独立した若手研究者は大学、企業、研究機関を、自らの自由意志で渡り歩きます。そのような人が増えれば、たこつぼに引きこもっている日本の研究現場の人材流動性も高まるでしょう。研究者は、渡り歩いたさまざまな組織が持っているノウハウ、新しいアイデア、多様なアプローチ方法、発想などを、滞在する先々にもたらします。海外では当たり前に行われているこのことが日本ではできていないから、日本の研究力は落ち続けているのです。