アブダビから-3、ドバイ、そして日本の環境技術

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10月26日、Abu Dhabi、そして北京に滞在し、夜遅くに成田に到着しました。翌日は、宇沢先生の主催する講演会が行われ、楽しく土曜日を過ごしました。次の週は月曜日から金曜まで、いやはや忙しく過ごしました。そして、土曜日の早朝に再びAbu Dhabiへと出発です。

今度はまったく違った用向きで、日建設計が主催して、Abu DhabiとDubaiの2箇所で日本企業12社ほどが共同で日本の誇る環境技術の展示と紹介を行なったのです。私は科学者の視点から基調講演をしました。

しかし、10日の間に、再度Dubai空港、そしてAbu Dhabiに来ることになるとは、いろいろな偶然ではありましたが、私にも想像つかないものでした。

Dubaiに到着後、総領事公邸でレセプション。一泊した後、“10日ぶり”のAbu Dhabiへ。波多野大使、INSEADのAbu Dhabi校の事務局長等にもお会いし、ビジネス関係者、それから、先日の訪問時に日本人学校の生徒さん達と約束した日本のお菓子を、吉村校長先生から届けていただきました。夜には日本の優れた環境技術の見事な展示とビデオでの新しい都市づくりの提案の紹介等があり、その間に皇太子殿下との会見などが入ったこともあって、遅れてご挨拶の講演をしました。皇太子殿下はお話を聞いていてもとても聡明で、教育にもっともっと力を入れたいとのご認識を持たれていました。現地の子供たちを日本人学校に入学させて学ばせているのも、このようなお考えの一部で、同じ考えを持たれている波多野大使にとても感謝されているようでした。

しかし、この時期のAbu Dhabiは過ごしやすい天候ですね。Los Angelesみたいです。

Img_0884写真1 Abu Dhabi Golf Clubで、左から私、波多野大使、INSEAD Abu Dhabi校Peter Jadersten事務局長、友人の野村さん、斉藤さん

Img_0885 写真2 Abu Dhabi Golf Clubで、私と斉藤さん

Img_0887 写真3 大使公邸前で、左から斉藤さん、野村さん、私

Img_0888 写真4 大使公邸の庭のテラスでオムライスのご馳走。左から、是永さん、私、余路さん、波多野大使、斉藤さん、野村さん

日本の石油輸入の25%がAbu Dhabiからですが、一方でここではMASDARという、クリーンエネルギーを使ってCO2を排出しない、究極の未来の街づくり計画があり、とても意欲的に取り組んでいます。講演でもこの意欲的なプロジェクトについて言及しました

※ 講演原稿
Planet in Peril: Nation with Clear Vision as a New Global Leader of Sustainable Urban Development, Abu Dhabi and the United Arab Emirates

翌日のDubaiで行った講演では、少し内容は変えていますが、最近、やはり意欲的なプロジェクト「Enpark」が発表されていることについて言及しました。

6日の夜、成田に到着です。

アブダビから-2、思いがけない歴史の偶然に居合わせること

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遅くなりました。普段使っているLaptopが壊れてしまいました。これから、少しずつ追いつきます。

「アブダビから-1」でお話したように、10月22日からAbu Dhabiに滞在していました。Festival of Thinkersでは開会式に始まり、いろいろとすばらしいプログラムがありました。いくつか関連したサイトを紹介します。このブログの内容を補完してくれます。

http://www.apumate.net/news/2007/11/news000903.html
http://www.apu.ac.jp/home/modules/news/article.php?%20storyid=631

Blog
Yoko Ishikura blog (123
New York Social Diary (12) 私も含めてたくさんの素敵な写真が掲載されています。

オープニングと午前の特別講演では、特に2004年のNobel Peace Prizeを受賞されたKeynaのMaataiさんが、皆の心を揺さぶるような感動的な講演をされました。Nobel賞を受賞した後のことですが、小泉総理の時に訪日し、日本の「もったいない」精神に感激して、この言葉を世界に広めています。開会式のステージ後方のスクリーンには私の写真(写真1)も入っていました。素直に喜びましょう。

Img_0872 写真1 オープニング。私の写真が見えますか?

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写真2 会場のEmirates Palaceで、波多野大使ご夫妻、石倉さん、そして私

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写真3 同じく会場で、池坊さん、石倉さん、私、そしてCassimさん

立命館大学の大分分校とも言うべきアジア太平洋大学APUのCassim学長の主催で行なわれた、日本に関するパネル、Theme 7 「The Rising from the Ashes-Japan special」に参加したのですが、Festival of Thinkersのプログラムに掲載されているこのパネルの目的と内容は前回紹介しました広島UNITAR所長のAzimiさんが書かれたものだと思います。よくまとめてありました。今回のKeynoteも彼女が話をしました。

さて、このセッションは、まず波多野大使とCassimさんの挨拶、池坊さんによる池坊流の生け花の形と精神について、さらに佐々木教授による生け花の実演があり、その後で、Cassimさん、Azimiさん、石倉さん、そして私が参加してパネルが行なわれました。パネルの様子は上に紹介したblogなどにも書かれています。

この後に行われたパネルも私の出番でした。Theme 8 「Moving Beyond Conflicts」で、この内容はプログラムのサイトを見てください。私の右隣にはCubaのCastro大統領のご子息、やはり名前はFidel Castroさんが座られました。旧ソ連で教育を受けた物理学者で、大統領の科学顧問をされています。4年ほど前に国連大学でお会いしたことがあって、パネルの前にお互いに久しぶりの再会を話題にしました。

パネリストの一番左端にはアメリカの方が座られましたが、自己紹介では「私は視力が落ちている(I have a poor vision)ので、ちょっと歩くのに不便だが、しかし、今のアメリカ大統領よりは明確なビジョンがある(I have a clear vision)」と話されていました。このパネルが終わってみて知ったのですが、この方はJohn F Kennedy大統領に最も信頼を受けていた顧問で(JFKが大統領になってその顧問団に参加した1961年、彼は若干31歳です)、JFKの主要なスピーチを書いていた、Theodore ‘Ted’ Sorensen だったのです。

彼は自分の身分を明かさず、ちょうどこの日の前日が、冷戦の中でも最も核戦争に近かった危機、1962年10月15日から13日間続いたCubaのミサイル危機の“13日目”から45年目であったことに触れ、このパネルに問いかけていらっしゃいました(「13日 Thirteen Days」という映画にもなっていますね)。この辺の彼のインタビューコメンタリーもあります。皆さんはどう考えますか?素晴らしい方ですね。

パネルが終わり、会場とのQ&Aの時に、会場にいた一人の方が、「この人こそ、私が一番会いたかった人物、あの冷戦の核戦争を救ったJFKの顧問、あの文章を書いたその人、Ted Sorensenだ」と言われ、皆びっくりしたのです。この人の言葉の端々にJFKへの尊敬がなんとなくにじみ出ているなと感じていたのは、私だけではなかったと思います。さもありなんですね。上に紹介したblogに、このパネルとTed Sorensenのこと、そしてCastroさんと私のことなどが書かれています(パネルでの私の「晴れ姿」も見られます)。しかし、思いがけないことがあるものですね、だから楽しいですね。

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写真4 左からTed Sorenseon、Fidel Castro Jr、私、UNITAR所長のAzimiさん

夜は、またもや波多野大使公邸に。そして、Dubai経由で北京で行われるWHOの会議に向かいました。

Abu Dhabiでは皆さん、ご苦労さま、お世話になりました、そしてありがとうございました。

ところで、北京の会議を終えて帰国した数日後、CastroさんとCuba大使館の方たちが私の事務所を訪問され、Nanotech研究について物質・材料研究機構の岸輝雄所長や理研の富田悟先生にコンタクトをとりました。私の言う「Science as a Foreign Policy」の実践です。これは力強い外交でもあるのです。

北京WHO、東京で宇沢先生と医療政策論議とblog

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10月24日、Abu DhabiからDubai空港を経由して北京へ到着。WHOのCommission会議に参加です。今年の会議は1月にGeneva、そして6月にVancouverで行なわれました。来年には最終報告を出すことになっているため、今が追い込みです。ここまでくるとCommissionersだけでのクローズドセッションが中心でした。

24日は厚生労働省に相応する衛生部の副大臣主催で夕食会がありました(写真1)。副大臣は外科医で肝臓移植などがご専門だそうです。いまでも時には病院で手術をされるとか。衛生部の大臣は、IAPなどでこの5年ほどお付き合いのある、旧友のChen Zhuさんですが、残念ながら今回は会えませんでした。

Beijin012 写真1 Yan Guo Commissioner、Marmot Commission議長、衛生部副部長、そして私

会議最終日の26日の夕方、北京空港は霧で多くの欠航が出ました。幸いなことに私の便は1時間遅れで出発し、成田へは夜の10時50分に到着。この時間だとバスも電車もタクシーもないのですね。いやはや、これで「経済大国」の首都の国際空港でしょうか?

翌27日は台風が近づく雨の土曜日。私の尊敬する宇沢弘文先生(このサイトで何度か紹介しているので、Searchしてください)の主催する、同志社大学の「生命医科学部」開設記念シンポジウムに出席しました。宇沢先生の熱い思いのこもったシンポジウム開催の趣旨説明(PDF) には、私の「大学病院革命」が紹介されていました。嬉しいやら、恥ずかしいやら。この本を来場者の皆さんに差し上げましたが、正解でした。

Uzawa013 写真2 いつもお元気な宇沢先生と。話が弾みました。

この後、あるblogでこのときの宇沢先生の話(今年8月にHelsinkiでの講演でもつかったイントロですが)を高く評価してくださっていました。嬉しいことです。お礼のコメントを差し上げました。

アブダビから-1、日本人学校へ

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17日にソウルから帰国して、あわただしく日本で数日を過ごし、22日の昼に、United Arab Emirates(UAE)の首都Abu Dhabiにやって来ました。“Festival of Thinkers”という会議に参加するのが目的で、ノーベル賞受賞者も15名ほど参加されます。Dubai空港には何度か来ましたが、飛行場の外に出るのは今回が初めて。日本側はAsian Pacific UniversityのCassim学長のお世話です。

21日の夕方、羽田から関西空港に移動。ラウンジで今回ご一緒するNassrine Azimiさんと合流し、夜中12時ちょっと前の便で出発。彼女は広島にあるUNITARの所長です。イランの出身ですが、スイスで教育を受けた、教養豊かな知的な国際人です。3年前のことですが、彼女が広島に就任した頃セミナーに行きましたが(ブログ 2004年10月21日)、その時はちょうど台風が近づいている真っ最中で、新潟の中越地震があった日でした。

そんなこともあって、久し振りにお会いする彼女とはいろいと話が弾みました。そして今回行なうパネルのこともあって、MITのMiyagawa教授をメールで紹介しました。Miyagawa先生はMITのOpen Course Wareを考案したチームのメンバーで、最近ではPulitzer Prizesを受賞した「敗北を抱きしめて」の著者John Dowers教授等と、Visualizing Culturesという素晴らしいプログラムを開設されています。MIyagawa教授-Azimiさんお二人の共同作業から何か素晴らしいものが生まれるような予感がします。わき道にそれますが、Miyagawa教授はこの1年間は日本にいらっしゃるので、先日政策大学院へお招きし、武蔵学園の中・高校生を何人か呼んで、お話いただきました。どんないきさつだったかは、いずれまたご紹介しましょう(ブログ 2005年1月4日)。

さて、Dubai空港に到着して、Abu Dhabiに向けて車で90分ほど移動。砂漠の中にニョキニョキと新しい建造物が建っていて、やたらと活気に溢れています。「何がなんでもお金」といった風情ですかね。世界中のクレーンの60%がここに持ってこられているのだとか。市外を抜けて砂漠の中のハイウェイをひたすら走り、Abu Dhabiに近づくにつれて今度は木と緑が多くなり、南カリフォルニアにも似た光景もあって気が休まる感じがしました。これは先代のAbu Dhabi首長のザイード大帝が、「砂漠を緑に、国土を緑に」と、自ずから先頭に立って、植樹、緑化運動をされたからということでした。立派なことですね。

午後早くAbu Dhabiに到着。ホテルはEmirates Palace(このサイトはお勧め: http://virtual-emiratespalace-uk.com/)。宮殿のようにとてつもなく大きな建物で、きれいなPrivate Beachもあります。今年の初めでしょうか、安倍前総理以下、財界の大勢が宿泊されたそうです。その時の逸話もいくつか聞きましたよ。3日間滞在しましたが、結局どこに何があるのかさっぱり分かりませんでしたね。ホテルの中を歩くのだけで疲れました。

Abudhabi001写真1~2 Emirates Palaceのホールと天井(こんなのがいくつもある)

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Abudhabi003写真3 Cassimさんと石倉さん

Abudhabi004写真4 主催者側をまとめているHCT(Higher College of Technology)のVice Chancellor Dr. Tayeb A Kamaliさんと石倉さん

波多野大使のお誘いで、その日の午後、日本人学校に行きました。幼稚園から中学3年までで、全体で50~60人ほどの生徒がいらっしゃいます。吉崎校長先生をはじめ、日本からの先生、現地のお手伝いの皆さん、ご苦労様。幼稚園では、波多野大使の提案で現地の子供も4人ほど入っていました。各クラスで現地の子供達を増やす方向のようで、子供達の親も日本の学校の規律や、みなが同じものを食べる給食など、とてもいい経験と喜ばれているようです。このような小さなことが親善、交流、相互理解の元になるでしょう。

私の話は30分ほど、何人かのお母さんたちも来られていました。3歳児から中学3年生までを対象に話をするのはとても難しいです。でも、私が昔Los Angelesにいた頃に、日本人学校が整備され始め(これは補習校で土曜日だけでした)、何年かして「帰国子女入学制度」ができた頃から見ると、ここの日本人学校はとても恵まれているように思うこと、これからのグローバル時代には普通の人にはできない経験がとても役に立つだろうこと、そしてグロ-バル時代の子供たちへの期待などについて話をしました。

Abudhabi005写真5 アブダビの日本人学校で

「今までどこの学校がよかったですか?」、これは難問でした。そこで、去年ナイロビのKiberaスラム参考1)のOlympic Primary Schoolを訪問したときの話をしました(ブログ 2006年6月27日)。このスラムの子供たちは、家にトイレはなく、台所もない、電気もない、汚い、狭い、そんな状態でひしめき合って生活し、必死に毎日を生きている。どの教室も生徒で溢れ、学校まで歩いて1時間なんて当たり前です。でも、みんな目が輝いている、一生懸命に生き生きと勉強している、先生も自信に溢れている。この学校は1~8年生まで、ケニアで一番の成績なのです。「人生で一番感動したひととき、この国の将来をここに見た」、と記帳してきたことをお話しました。いつか、誰かが、私のこの記帳を見れくれると嬉しいですね。いつのことになるでしょうか、お便りを待っています。

生徒さんからたくさんの素晴らしい質問がありました。嬉しかったです。年長の生徒の悩みは、当然ですが進路に関するものが多いです。自分の将来について、日本の大学へ行くのか、どんな目標を持てばいいのかなど。子供たちも、親御さんも一番悩むところでしょうね。特にここは全日制の日本人学校ですから、International Schoolではないだけに、そのための悩みもあるのでしょう。

エジプトからきている中学3年生の女の子。日本語も、アラビア語も、自在にこなすのですが、この子もこれからの進路について迷っていましたが、どうしても日本へ行きたいという明確な理由や目標がないのであれば、これからの世界を考えると、英語圏、あるいは英語を主体とする学校を目指したほうがいいのではいか、とお話しました。

子供たちの目を見ていると、大きな可能性を抱えながら、日本と外国との間で不安とも戦っているのがわかります。感動します。一人ひとりが大きな将来、夢をつかんで欲しいです。

Abudhabi006写真6 波多野大使公邸で、大使、日本人学校の幼稚園の副園長 余語麻里亜さん(ヨゴマリアさん。日本のお名前です。ご家族にはお医者さんが多いとか。)

Abudhabi007写真7 Nobel Museum館長のLindqvist教授ご夫妻と石倉さん

Abudhabi008写真8 Nobel化学賞を受賞した「変人」、いまは誰でも使っている遺伝子増幅法PCRを発明したKary Mullisさんとご同伴の方、光に関する本などを書いたりしている“Physicist and Author”のDr. J Barbourさん

夜は、大使公邸で夕食を頂き、会議のレセプションで旧友、新しい知己を得る素晴らしいひと時でした。

少ない「投資」資金、新成長産業が伸びない日本

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10月3日、JASDAQに招かれて講演しました。参加者は700人程でしょうか。熱気に溢れてはいましたが、もっと元気でもいいのでは(?)、とちょっと感じました。なぜかはよく分かりませんが、おとなしい感じがします。主宰者のJASDAQ社長の筒井さん、またパネルに参加されたザインエレクトロニクス(THine)飯塚さん(飯塚さんのインタビュー記事はこちら)とは、先日ご紹介した大連でも一緒でした。パネルは筒井さんの司会で、日本マクドナルドホールディングス社長の原田泳幸さん、ジュピターテレコム副社長の福田峰夫さん、ザイン社長の飯塚哲哉さん、そして私というメンバーでした。

日本は新産業、成長産業を盛り上げるお金が、OECDなど経済の大きな国としては極端に少ない国です(図1・2:どうしてこの図表がもっと広く使われ、メディアなどで知られないのでしょうか?)。1960年代から30余年にわたる大量の規格製品、石油という安いエネルギー源(1974年のオイルショックまで)、消費文化、供給者側の論理で引っ張られたFreeman and Perezの言う「第4のパラダイム」の下での経済成長で、“緩んで”しまっている感じがします。特にこの数年の景気回復は、アジアの経済成長とともに到来した感があるので、なおさらですね。日本の基本的な構造改革はまだまだなのに、です。危険ですね。冨山和彦さんの著書「会社は頭から腐る」「指一本の執念が勝負を決める」などで指摘されているとおりです。世界は急激に変化しているのに、成功体験が邪魔になって変われないのです。特に過去の成功体験をもった既得権者が高い地位に多すぎて、大抵抗勢力になっているのです。現場はまだまだ強いのに、企業はそれを生かしきれていないと思います。

図1: ベンチャーへの乏しい資金供給量–その1:日米欧のVC投資残高の推移

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図2: ベンチャーへの乏しい資金供給量–その2:諸国でのステージ別ベンチャー投資(GDP比)(1998-2001)

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出所: 「ベンチャーキャピタル等投資動向調査(平成17年度)」
注1: 米国は107円/ドル換算
注2: 欧州は139円/ユーロ換算

この辺の社会背景については、サイトにいろいろと書かれてもいますし私の講演なども参考にしてください。この40数年、日本と米欧の3極の枠で済んでいたものが、アジアの急成長でアジアの日本が追いまくられている、という構図です。慢心も安心も、決してあってはなりません。

「投資」は国のお金、また税制だけではないのです。これらは政策としての一つの誘い水です。日本の「政産官」の「既得権の大きいところ」が、過去の成功体験、大銀行による中央集権的間接金融などに慣れてしまって、「融資」は考えても、「投資」ができない精神構造になっているのでしょう。起業家精神溢れる「出る杭」たちが、日本社会にはあまりにも少ないのです。これでは新しい産業は出てきません。、新しいグローバル時代のパラダイムでの産業構造と経済成長の競争は難しいです。産業革命以来の、産業と経済の歴史が繰り返し示すところです。新世代(年齢に関わらず)が出てくるのが大事です。

情報が広がるこの時代、世界は日本の状況を“よーく”知っています。上の2つの図をどう解釈しますか?どうすればいいのか、一人ひとりが考えてください。多分、いつものように自己の狭い過去体験にとらわれた縦割りの論理で、“too little, too late”の政策・戦略しか打てないのではないかと危惧しています。変れないのですかね、所詮は。最近、日本孤立、日本沈没論がではじめていますが、そうかも知れませんね。できない理由ばかり言って、ガチンコ勝負を経験したことのない人ばかりが上に立っているのですから。

海外のムードは、世界第2の経済規模ですが、日本はどうでもいいや、日本は“irrelevant”、関係ないね、という感じです。2010年には中国がGDPで日本を追い越す予測です。

優秀な、高い理想を追いかけようとする人たちは世界へと出て行くようになるでしょう。情けないことですが、これがグローバル時代なのです。

講演が終わって成田へ向かい、いつもの夜行便でパリへ出発しました。

西湖の街、美しい杭州から

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20~22日にかけて、マルコポーロが東方見聞記で「最も美しい街」と伝えた杭州に来ました(参考:「杭州について」「杭州の文化」「杭州の楽しみ方」)。緑が多く、西湖を囲む町並みは素晴らしいです。西湖の周り(約12キロ)を一回りすると、柳と楠、またプラタナスなどがたくさんあり、柳の並木も素晴らしく、この街の緑の多さに感動します(参考:杭州ナビ「杭州花園」)。

テレビなどで見たことがあるかもしれませんが、旧暦の8月15日前後(新暦で9月末)には、銭塘江が高潮によって幅の広い河口から徐々に川幅が狭くなる数百キロを、場所によっては2~3メートルの高さで海水が遡上する大奇観、とても珍しい現象が見られるのです。この現象はアマゾン河でもみられます。あと1週間だというのにすぐに帰国しなければならず、とても残念。

今回は中国内科学会総会の基調講演(「高齢社会の社会政策」)のために来たのですが、他のゲストも友人が多く、旧交を温められました。MelborneのMonach大学医学部のThomson教授、New England Journal of MedicineのEditor-in-ChiefのDrazen教授、Bern(Switzerland)の国際内科学会事務局長のKohler教授、Hong Kong大学医学部腎臓主任のK. N. Lai教授、中華医学会誌“Chainese Medical Journal”の編集長のZhaori教授たちです。ホストは中国内科学会会長、これも旧友のWang Haiyan教授(女性)です(写真1)。どこもグローバル時代を受けての改革、国際展開とそのダイナミズムがすごいですね。うらやましいかぎりです。

20070921001_2 写真1 レセプションで、左からLai、Drazen、Kohler、Wang、Thomson各教授、そして私

翌日には、私も「体液異常」の章で手伝っている、“Current Medical Diagnosis and Treatment”の編集長で、東大時代にも2、3度、私の臨床講義に来てもらった、UCSFのLawrence Tierney教授も到着しました。松村理司先生の「“大リーガー医”に学ぶ」(医学書院 2002年)でも紹介されていますが、彼は、毎年のように日本に来ていて、世界中で引っ張りだこの、すばらしい臨床の先生です。来月からも一月ほど日本に来ているということです。

このサイトを見てくださっている方はお分かりかと思いますが、世界中へいろいろと行きますが、普段は残念ながらあまり観光には行かないのです。というか、時間がなくて行けないのです。でも、今回は招請講演者以外の講演が全て中国語で、時間に余裕があったので、福井医科大学に留学経験のあるDr. Zhangfei Shou(寿 張飛先生:浙江大学医学院の関連病院に勤務、ここの医学部長が先週ご紹介した巴 徳年(Ba Denian)先生です。)がいろいろと案内してくれました。感謝、感謝。

霊隠寺(写真2・3)、そのお隣の飛来峰(写真4)、そして銭塘江を見下ろす六和塔(この「六」とは天地、東西南北の六つとか)(写真5)に行きました。杭州は昔からお茶と絹の産地として有名で、静岡市と姉妹都市を結んでいます。お茶の博物館「中国茶葉博物館」も訪ねました。この茶葉博物館では久し振りに、自然のなかでゆっくりとした気持ちになれました(写真6)。

20070921002 写真2・3  寿先生と霊隠寺で(山門の「霊隠寺」の額は江沢民氏の書いたもの)

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20070921004 写真4  寿先生と飛来峰で

20070921005_2 写真5  寿先生と六和塔で

20070921006 写真6  お茶畑

20070921007 写真7  寿先生と西湖のほとりで

先月の大連に続いて、お隣の大国と、学術や民間で広範囲の交流が確実に広まっているのを実感できるのは嬉しいことです。

私がブログで引用しているサイトは、公式なものに限らず、実感のあるblogなども多く紹介しています。皆さんも興味があれば、どんどん情報豊富なサイトを探してください。

10月も、WHOの会議で北京に参ります。

世界華商大会へ、神戸から

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日本で始めての世界華商大会が神戸で開かれ、医療についてのパネルにお招きを受けました。

中国からは杭州の浙江大学医学院長の巴徳年(Ba Denian)先生(昔、北海道大学で学ばれました、米国の医学アカデミーの会員でもあります)、Singaporeからは国立大学の臨床薬理学のリーダーのEdmund Lee教授、 Hong Kongからは私とRENAALを一緒に走らせた、Juliana ChanのプログラムのDr. Maggie Ngさん、そして司会は、京都大学の福島雅典教授でした。時間が足りなかったような気がしましたが、議論はなかなかよかったです。各国の競争ですが、私に言わせると、申し訳ないけど日本の遅さは際立っています。なんといっても大事なのは、研究者ばかりでなく、すべての関係者の一人ひとりに「起業家精神」での行動がかけているのだと思います。何度も言うように、これが私の「イノベーション」への中心的メッセージですが。

では、このパネルで私は何語でしゃべるのか。ちょっと不安で前日のレセプションへ参加、幹事の意見を聞きにいきましたが、スライドは英語にして、日本語で話すことにしました。勿論、中国語(Mandarin)、英語、日本語の同時通訳がありました。この会についても、参加者の一人、森下竜一さんが相変わらずすばやい報告をしています

前夜のレセプションでは船橋洋一さん、元日本経済新聞の小島明さん、元フィリピン大統領のラモスさん、言論NPO関係者や多くの友人にお会いしました。山本かなえ経済産業省政務官も見えました。中国大使館からは、中国衛生局から着任しておられる劉 志貴一等書記官にもお会いしました。大統領をされているときからでしょうか、ラモスさんは眼鏡をしていますが、これはレンズの入っていないもので、格好付け。また、最近は使わないそうですが、いつも葉巻きシガーを持っていますが、吸うわけではないのだそうです。これらも「印象」を意識してのことだとか、なかなかですね。

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写真 神戸で友人と。左から小島さん、私、一人おいてラモスさん

翌朝は神戸市長の矢田市長と面会し、神戸市のこれからのバイオ関係の計画等のお話を伺いました。基盤集積はできましたが、これをどのように生かすか、これが課題ですね。

日本で最大に成長しつつある臨床試験企業になっているEPSの厳社長、許常務以下の方々にはいろいろお世話になりました。お礼申し上げます。

20日からは杭州へ行きます。

やはり私は「変人」?「日本のステレオタイプを壊す人」?

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9月19日の朝、横浜パシフィコで行なわれた「BioJapan 2007-World Business Forum」で基調講演をしました。まず始めに、米国のAlnylam Pharmaceuticals CEOのDr. Maraganoreさん(3年ほど前にこの会社のことでお会いしたことがあります)による“Progress in development of a new class of innovative medicines”。次に、DenmarkのNovozymes CEO、Mr. Riisgaardさんの“Bioethanol-A suatainable contritbution to the future energy supply”という題目の講演があって、そして私が“バイオ技術におけるイノベーション:どこへ向かうのか?”というタイトルで話しをしました。

OECDの方たちも見えていて、前夜、6人で夕食をしながら、歓談しました。旧知の方もお二人いました。結構、世界は狭いですね。

ところで、「東京特派員の告白」というカバーのNewsweek日本語版(9月19日号)が出ましたね。この中で、David McNeillさんが「本当の日本を伝えたい」という記事を書いています。彼は英国のIndependent紙の東京特派員ですが、他のいくつかの海外の新聞にも記事を寄稿しています。また彼は“Japan Focus”のコーディネーターでもあります。

さて、“エキゾチックな面の紹介を日本の当局者は好むが”という中見出しの所ですが、こんな一文があります。

「・・・また、日本は巨大な機械で、日本人はそこで働く顔のない働きバチのようなものだというステレオタイプを壊す人物を探し出し、紹介するのも好きだ。日本珍道具学会を主宰する川上賢司、内閣特別顧問の黒川清、デザイナーの高橋盾、作曲家の水嶋一江、和太鼓奏者の林英哲など、日本には個性的で才能豊かな人がたくさんいる。彼らの仕事を記事にまとめることで報酬を得られるのだから、私は恵まれている。・・・」

やはり、私は普通の日本人とは違うのでしょうか?特に気にはしませんが、むしろそのように「真っ当に」見ていただけると嬉しいですね。

夜は、英国の医療政策関係者やIndependent紙など英国メディアの方たちと、会食でした。

素敵な若者の会「プロジェクト13%」の講演

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私の友人の一人に渋沢健さんという方がいます。最近人気の渋沢栄一の5代目で、UCLAのAndersen Business Schoolでも学んだビジネスマンです。彼のブログ、「オルタナティブ投資日記」「渋沢栄一の『論語と算盤』を今、考える」等、情報発信の量は相当なものですし、最近では渋沢栄一の思想に関する本もいくつか出版しています。Amazon等で調べてみてください。

少し前になりますが、9月9日(日)の午後、この渋沢さんが主宰する“プロジェクト13%”に呼ばれて、六本木にある由緒正しい国際文化会館でお話しました。集まった人たちは150人ほど。まず一見して若い人たち、そして女性が多かったです。多くは起業家たちで、これは日本で行なわれている多くの講演会では珍しいことです。先日紹介したRedHerringの時とは少し違う層のように感じましたが、多くは同様のスピリットを持った方たちと見受けしました。

私の基調講演から始まったのですが、最初に「40歳以上の人は手を挙げて」といったところ、約30%がそうでした。そして女性は約40%で、このことにもコメントしてイノベーションの話を始めました。

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写真1 私の講演。日曜の午後はカジュアルで。

私の後は、五百旗頭薫(東京大学)、西澤直子(慶応義塾)、島田昌和(文京学院大学)の、気鋭の若手学者3名によるパネルで、始めに、五百旗頭さんが「大隈重信」、西澤さんが「福澤諭吉」、そして島田さんが「渋沢栄一」について、一人ずつこれらの偉大な先人達を紹介し、見解を述べ、そしてパネルに入るといった流れでした(写真2)。このような若く、情熱あふれる学者のいることは、とても嬉しいことです。大隈重信について話をされた五百旗頭さんは、8月のブログでご紹介した、神戸大学教授から防衛大学校校長に就任された五百旗頭真(いおきべまこと)先生のご子息でした。苗字がかなり珍しいですし、学問分野も近かったので、そうではないかなと思っていました。皆、素晴らしかったですが、ちょっと時間が足りなかったですかね。

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写真2 パネルの様子。左から五百旗頭さん、西澤さん、島田さん、司会は小笹俊一さん(ブルームバーグTV)。

最後は、渋沢さんと最近何度かご紹介している多摩大学大学院教授の田坂広志さんの対談でした。

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写真3  田坂さん(左)と渋沢さんの対談。

素晴らしい晴天の日曜日の午後、燦々とした太陽の光の中で輝く素敵な樹木の自然に囲まれた庭園をみながら、久し振りに気分のよい、会合でした。

いろいろな方にお会いしました。皆さんとてもハッピーな午後を過ごしたようです。

今回のプロジェクト 13%のセミナーについては、たくさんのブログで紹介されているのでいくつか紹介します。

 「クロスワイズ代表取締役です☆」

 「港区ではたらく女社長のblog」

 「Capriのゆる~い日記」

 「team_yama with Toshi」

など。

元気いっぱいな人たちなので嬉しくなります。

参加された皆さん、元気でね。

また、次の機会に。

天城学長会議から

毎年7月の終わりに、伊豆の天城で大学学長会議が開催されています。

今回は担当幹事の東海大学高野学長、東京工業大学相沢学長のお招きで、1日目の午後の基調講演に参りました。2日目の朝の基調講演は、JR東海の葛西会長がされるそうです。一般的には、私たち二人は意見がかなり対立していると思われているかもしれませんが、面白い組み合わせと思います。実は葛西さんとは個人レベルでのお付き合いもあって、二人ともどちらかといえば「歯に衣を着せない」ほうですし、歴史観も、哲学も明晰で(とにかく沢山の本を読んでおられる)、気骨のある方として意気投合しています。ですから、葛西さんたちの音頭とりで始まった「海陽学園」という6年一貫、全寮制の男子校の応援もしているのです。人材育成は国家の根幹ですからね。

しかし、この学長会議の最近5~6年の議事録や基調講演などを見てみると、問題点の認識と、課題はすべて議論されつくしていると思いました。最近の大学の状況、社会の変容、グローバル時代の世界の大学をめぐる大きな流れの変わり様、具体的な動きなどについてお話しましたが、私の主張はこのブログを読んでいただいている方にはおなじみのことと思います。

問題は、それぞれの大学で学長という立場の人がどんな決断をして、それを実行するかにかかっているのです、と申し上げました。皆さん問題は十分に分かっておられるのですから、どのようにして自分の信念を実現していくかにかかっていると思います。もちろん難しいがあることも十分に理解しています。それでも、実践していくこと、これこそがリーダー、責任者に求められていることではないでしょうか。学長という立場は評論家でいられるはずがありません。

学長の先生方にはこのことを理解してもらった上で、この会議が終わるまでに一人一人が今年中にやることを紙に書いて約束し、来年のこの会議でどこまで実行できたかを検証することをお勧めしました。そうでもしないと、いつまでたっても前進しませんからね。将来を担う若者たち、学生さんがかわいそうだと思いませんか。

学長先生方、ご苦労様です。でも仕方ないですね、これがお仕事ですから。

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