好機を捉える、大変革のとき。しかし、リーダーはどこに?

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日本の状況はすこぶるよろしくありません。もちろん世界中がよろしくない状況です。変革を起こし、政治、産業、経済、教育等々、将来の展望を皆が模索しているところです。

私の国家ビジョンについては、今年の始めから繰り返し発信していますが、4月25日発売の週刊ダイヤモンドにも「クリーンエネルギー技術を、中国・インドに売り込め!」というインタビュー記事が掲載されました。相変わらず、変われない理由、できない理由を言う人たちばかり。政治家も、産業界でも、リーダーたるものしっかりして欲しいものです。

民主党の党首が鳩山さんになりました。政治はどう動くでしょうか?

日本では公的資金の“投売り的”な補正予算の話ばかりで、もっぱらこれが政局がらみになっています。既得権グループへの“ばら撒き”の様相、または省庁の“つかみ取り”の様相です。将来への展望、ビジョンが示されず、せっかくの大転換のチャンスを捉えていないのです。誰かさんたちの無責任な大笑いが聞こえてきます。

科学技術政策も同じです。降って沸いたような3,000億円の大型補正予算ですが、これを何にどう使うのか?皆さんも良く見ておいてください。オバマ大統領の科学政策とはずいぶん違います。

若者に投資しない国に将来はありません。グローバル時代へ向かう若者たちには、広い世界を見せ、体験させることが大事なのです。若者たちこそが将来の財産なのですから。

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写真1: トロント大学Naylor学長と

5月1日、Washington DCからTorontoにやってきました。5年ぶりになります。今回はUniversity of TorontoMunk Center for International Studiesへの訪問が主目的です。

まずは、Le Royal Meridien King Edward Hotel にチェックインし、一息ついて出かけます。

最初の訪問では、DirectorのJanice Steinさん、Vice-President for University Relations のJudith Wolfsonさん、L.J. Edmondsさん、そしてGRIPSの角南さんと、今年の「Japan-Canada修好80周年」計画の打ち合わせ。特に広い意味でのイノベーションに焦点を絞ろうと双方で提案をしました。しかし、向こうの3人は、女性で皆それぞれがPhD、弁護士、政府関係など、多彩なキャリアを持っており、たいしたものです。

ところで、75周年のときは日本学術会議と「Gender Issue」をテーマで会議を開催し、そこから「日本-カナダ女性研究者交流プログラム」 が始まっています。

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写真2: Munk CenterでSteinさん、角南さんと

ちょうど講堂ではMunk Center Asia Institute主催の「Asian Foodprints」が開催されており、ちょっとのぞきました。今回が第1回目ということで、食から知る文化、今年は「China、Hong Kong」がテーマで、とても面白そうでした。

その後、学長との面談。5年前に訪問した時は、現在のUC Berkeleyの学長に就任する直前だったBirgenenauさんと学長室で昼食をとりました。就任間もないDr. David Naylorさん(写真1)ですが、私と同じ医師であり、医学部長だった方です。まだ若いですがなかなかのキャリアがあり、共通の話題も多く話が弾みました。

その晩は、Munk Center Asia Institute主催の「食から知る文化」のdinner。お客様も大勢で、所長のJohn WongIto Peng教授をはじめ、Stein, Wolfson, Edmondsさんも参加、全体がすばらしい企画でした。来年は日本をテーマにするということです。会場では在トロントの山下総領事在トロント国際交流基金 鈴木所長ご夫妻にもお会いしました。

7月には天皇皇后両陛下がカナダをご訪問されます。これも皆さんの話題になっていました。うれしいことです。

ワシントン、その3: 世界銀行から

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2008年1月に世界銀行で講演(参考 12 )をし、また直後の2月には東京でGlobal Health Summitが開催されましたが、これらから双方向で大きな信頼関係を築くことができました。今回のWashington DC訪問にあわせて、30日の朝から4時間にわたって、科学技術政策と特にアフリカの開発について議論する機会がありました

日本では、昨年のTICAD4 (参考 12 )やG8 Summit 関連会議などを通して、アフリカ支援の強化と、さらに「科学技術外交」(この数年主張し続けていることです。参考 12 )を展開しようという政策が、日米その他各国のアカデミーでも策定されるようになり、それぞれが協力体制を作りつつあります。

大きく動く世界の中で、グローバルな課題に対して世界銀行の科学技術政策はどのような役割が果たせるのだろうか?これは大きな課題です。ちょうど、日本の科学技術の視察団がアフリカを訪問し、その報告会が東京で開催されたばかりでしたので、こちらとしても日本の政策の宣伝にもなるいい機会でした。国際投資銀行(JBIC)国際協力機構(JICA)など、日本からの参加もあり、活発な議論が行われました。なかなか好評でした。

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写真1: 世界銀行で、大使館の上田書記官と

以下、世界銀行での朝食会とパネル「Science, Technology and Innovation Capacity Building Partnership Meeting」の様子です。

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写真2: 朝食会

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写真3: Dr. Nina Fedoroff (参考 1)と Dr. Peter McPherson

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写真4: 世界銀行のDr. Alfred Watkins (参考 1)とUNAIDのDr. Andrew Reynolds

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写真5: 左から、Drs Victor Hwang (T2 Venture Capital)Christian DelvoiePhillip Griffiths

世界の日本に対する期待も大きいですし、日本が世界に貢献できることも大きいはずなのですが、何か内向きの国内事情が寂しいです。この「100年に一度」といわれる危機的な世界の状況に対して、なかなか変われない日本を大改革するという覚悟を示すような、明確な国家ビジョンを政治のリーダー達が示すことが大事です。

それでなければ、いくら国際交渉やトップ外交をしたところで、冷徹な世界では本気で相手にはされないのです(船橋主幹による、註)。世界第2の経済大国といっても、どの程度、日本の国家の意思とその政策が世界に発信され、世界からどの程度信じられているでしょうか。世界は“Japan Missing”と感じているのです。

註: 日本語は「脱力状態の日本外交」(朝日新聞 4月27日 朝刊3ページ)

ワシントン、その2: Atlantic Council

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ワシントンにはいろいろなシンクタンクがあります。日本でもよく知られているのはCSISBrookingsなどでしょう。日本からも勉強に来ている人がいますが、世界第2位の経済大国として考えると、それほど多いとは思えません。勉強ばかりでなく、ワシントンでの人脈作りや、政治の動き、政策などを理解するのにとても大事なことなのです。もっと、本気で取り組む必要があります。

その中の一つにAtlantic Councilがあります。政治にも極めて近いところに位置しているシンクタンクです。Wall Street Journalで活躍していたFred Kempe氏がトップに就任し、とても活発になっています。そして、ホワイトハウスでも最も重要なポジションの国家安全保障顧問(National Security Advisor)ですが、そこにはAtlantic Councilの理事長であったGeneral James Jonesが就任しています。

Atlantic Councilはホームページを見れば分かるように大西洋の両側の関係を重視して設立されたのですが、このグローバル時代の中、積極的に米中関係や、新エネルギー等に関する報告書、またアジアにも力を入れています。こうした中でも日本のプレゼンスは極めて弱いのです。

今回はKempe氏に招待されて2009 Leadership Award Dinnerに参加しました。約900人もの人が出席しました。今年はベルリンの壁崩壊20年目ということで当時の米国と西ドイツのトップだったBush大統領(お父さんのほうです)とKohl首相が表彰され、さらにPalmisano IBM会長、Petraeus将軍、Thomas Hampson(歌手)等が表彰されました。

Colin Powell前国務長官Gates国防長官等々の多くの政治家や世界46カ国の大使等々、本当にすごい顔ぶれです。私は藤崎大使のお隣に席を設けてくれていました。

受賞のスピーチは皆さん手馴れたものです。Petraeus将軍の「ジョーク」は面白かったです。これらはサイトで見ることができます。

中国の友人にも会いましたが、しっかりテーブルを一つに中国人脈を招いていました。

オバマ大統領のスピーチと科学技術政策

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Washington DCにやって来ました。東京を出発する前夜の27日、オバマ大統領がNational Academyの総会で、科学技術に関する政策についてスピーチがあり、インターネットのライブで聞きました。National Academyでスピーチを行った大統領は4人目で、しかも20年ぶりだということです。National AcademyのWebサイトでこのスピーチを見ることができます。力強い、将来を見据えた素晴らしい構成と内容です。

科学技術研究開発(R/D)への投資をGDPの3%を目指すという目標を掲げ、さらに将来へ向けて一番大事なこととして、特に数学と科学教育の予算増を挙げ、その内容について踏み込んで明確にコミットメントを示しました。これらの政策は従来からNational Academy等の独立したシンクタンクから提言されている政策、つまり客観性を保証した、しかも根拠を明確にした上で予算化しているということです。このプロセスは大事です。

現在の経済危機ではこうした「将来への明確なメッセージ」、つまり将来への明確な展望とコミットメントが大事なのです。

日本の大型補正予算でも、新しい予算でもいいですが、この経済危機的状況では、まず(1)さしあたりの出血への手当としての支出、(2)この2~3年の雇用と社会保障、そして医療等の社会インフラへの手当て、そして(3)将来の社会像を見せる新しい産業と成長への投資、つまり新しい産業の「芽」としての基礎研究と、人材の育成に多く予算をつぎ込むなどが必要です(今の教育制度へいくらつぎ込んでもグローバル時代の人材育成へとはあまり効果はないでしょう。OECDの中でも日本の教員予算はあまりにも少ないです)。
各省庁から出てくる政策ばかりでは変わらないでしょう。官邸で行われる有識者の総理への提言をみてください。どの程度上の(1)~(3)の視点に立った提案がされているのか、皆さんで調べてください。私の提案もこの中の「低炭素、環境」で見ることができます。

政治家のリーダーシップと社会へのメッセージは多くの人々に力を与えるパワーがあるのですけどね・・・。

Human Rights Watch 東京事務所開設

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Human Rights Watchをご存知ですか?なかなかすごい活動をしています。先日ここの東京事務所が開設されました

土井香苗さんが少女時代に悲惨な場所を見聞し、何とかしないと、何かしたい、という長い間の思いが実現したものです。

この事務所開設の案内と資金集めも兼ねて、4月9日に素敵な会が開かれました。東京の調布にあるAmerican Schoolの学生さんによるコーラスに始まり、土井さん、Kenneth Rothさんの挨拶、ロシアがグルジアに侵攻したときに撮影された活動のフィルム。また、ミャンマーの政治犯として7年間余拘束されていたBo Kyi氏もGuest of Honorとして参加し、彼の生活、活動のフィルムも流されました。彼とは席が隣だったので、いろいろ話を聞くことができました。

このような個人から始まる、というか「草の根的活動」、「市民運動」、「NGO」といったものは、今後さらに広がっていくでしょう。これがグローバル社会の動き資料1) なのです。この流れを侮ったり、抵抗してはいけません。これがフラットな世界の本流になっていくでしょう。皆さん一人ひとりができる分だけ、土井さんを応援、支援していきましょう。

私の大変に尊敬する緒方貞子さんをはじめ、こういう活動は女性によるものが多いのですね、これも世界的な傾向です。

当日の会場の様子はここ

さまよう医療政策改革、「プリンシプル」のない日本の政策

医療崩壊とか医師の定員増といい、卒後臨床研修もご都合で後退し、この国の政策はどんな目的で、何をしようとしているのかさっぱり分かりませんね。皆さんもそう感じているのではありませんか?

皆さんが、それぞれいろいろな立場で、多様な意見をお持ちなのは当然です。しかし、政策というのは大きな流れとその背景を踏まえて、基本的な認識があり、その手段としてあるべきものです。手続きは「民主的なプロセス」のはずですが、わが国では必ずしもよく機能しているわけではありません。

最近の医療制度対策といわれるもののどこに問題があるのでしょうか?それをテーマにした木村健先生との対談記事「プリンシプルのない日本:"医療崩壊"の打開策とは」 が出ましたので、紹介します。

このブログでも繰り返し述べていることですが、日本の政策の多くは手段としての議論であり、いつの間にか、本来の大きな目標がどこかに行ってしまう。つまり、「原理、原則=プリンシプル」がない。あるいはいつの間にか「手段」が「目標」になってしまうのです。これは「外」から見るとよく見えるのですね(「岡目八目」とかね)。

以前もある書評でこのことについて触れましたね。

La Jollaから、Entrepreneurship会議

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Kauffman財団 は「Entrepreneurship」(「起業家精神」とか、「進取の気性」(梅田望夫:「ウェブ時代 5つの定理」)とでもいいましょうか、何も事業ビジネスのことだけではありませんから)にフォーカスした財団で、去年はGlobal Entrepreneurship Weekを世界に展開し、日本でも本田財団の協力を得て、私の所属する政策大学院大学と京都でいくつかのプログラムが開催しました

このKauffman財団とUCSD(University of California San Diego)の共催で、“What Industry Wants from Universities”というテーマで、米国、英国、日本、カナダの4カ国で2日間の会議が開催されました。各国から数名ずつ参加し(ホスト国の関係者もいるので、米国の参加者は当然多いですが)、政策を含めて議論しました。プログラムの内容もなかなかで、有意義な会でした。特に英国からの参加者の、ウィットに富む発言は会議の議論の進行を和ませました。このセンスは素晴らしいものです。

会議の内容については、いずれWeb等に出たところでお話しましょう。

日本からの参加者は、私の他に、GRIPSの角南さん東北大の原山さん東大先端研のKnellerさん、そしてWilliam Saitoさんの5名でした。これは珍しいメンバーですね。皆さん、ここ数年は日本で仕事をしていますが、海外で教育を受けたりキャリアを積んだ人たちばかりでした。

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写真1: 日本からの参加仲間
このほかの写真はPicasaにUPしています。

気持ちの良い気候と素敵なキャンパス、そして楽しい仲間達というところですかね。何かすっかり気分が晴れやかになりました。会議が終わってから“Calit2”を案内してもらいました。土曜日で人は少なかったですが。

San DiegoはちょうどWBCの始まる直前でした(日本の優勝、素晴らしかったですね)。

しかし、やっぱりCaliforniaは明るい。素敵なところです。

タヒチ-4 (吉田松陰のこと)

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先日のブログ「タヒチ-3」で、灯台の入り口にあるプレートの写真を掲載しましたが、そこには以下の一文が記されています。

“ Robert Louis Stevenson、Tahiti 1888
‘Great were the feelings of emotion as I stood with mother by my side and we looked upon the edifice designed by my father when I was sixteen and worked in his office during the summer of 1866.’”

これを見たときに、「これだ!」と感じたのです。

Robert Louis Stevenson(1850-94) は「宝島」、「ジキル博士とハイド氏」などで知られる英国の作家ですが、両親、そしてお祖父さんも灯台を作るエンジニアの一家なのです。Robertは身体が弱く、家族の期待には応えられなかったのですが、文学に才能を発揮します。1874年、フランスで病気療養中、10歳年上の子連れの米国人女性と恋仲になります。病弱で死にそうになりながら1879年に渡米し、Californiaにやってきます。そして1880年に結婚するのです。

Robert Stevensonは1880~87年に家族とともに英国に帰りますが、父親の死とともに母親と家族を連れて米国へ戻り、翌1888年に太平洋に旅立つのです。ここTahitiのプレートは1888年、その年なのです。

彼は1894年暮れに太平洋の島で44歳で亡くなります。Wikipediaなどで彼のことを調べて見ると実に面白いです。人間の歴史がここにあります。

このプレートを見て「これだ!」と感じたのは何か。それは吉田松陰(1830-59)のことです。この松陰とStevensonの奇妙な関係をいつか紹介したいなと、実は何年も考えていたところだったのです。2007年5月の「天皇陛下のリンネ誕生300年のご講演」についても、いつ紹介しようかと随分考えました。

近代日本を立ち上げる大事な精神的きっかけを作った一人が吉田松陰です。彼の松下村塾は、明治維新にいたる多くの志士を生み出しました。この松陰のことを初めて書いたのが、実はこのStevensonなのです。それは1880年3月に「Yoshida-Torajiro」(吉田寅次郎とは松陰の通称)というタイトルで書かれていて(Cornhill Magazine 41)、1882年に「Familiar Studies of Men and Books」として一冊の本にまとめられて出版されています。

これは、松陰の死後20年目に英語で書かれています。では、誰が松陰の話をしたのでしょうか。その答えはStevensonのエッセイの初めに書かれています。「Taizo Masaki」です。

正木退蔵、東京工業大学(当時の名前は違いますが)の初代学長です。正木とStevensonの関係について触れているサイトはいくつもありますので、調べてみてください(参考: 123456) 。

また、“よしだみどり”さんの本で「日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 烈々たる日本人―イギリスの文豪ステーヴンスンがなぜ?」(2000年)というものもあります。いろいろと調べてみて、この不思議な縁と、偉大な松陰のこと、そして“教育の本質”について考えてみてください。

混迷の今の日本に松陰はいずこに?

それにしても、Tahitiでこのご縁に出くわすとは思いませんでした。

日韓の将来。佐藤剛蔵に学び、その遺産の継承へ

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先日のブログで、20世紀の前半、韓半島の医学教育に貢献された佐藤剛蔵先生について少し触れました。2007年の10月、ソウルへ同行してくれたジャーナリストの出口さんの名文があります(参照 12 )。

このソウル訪問から約1年と4ヶ月を経た2月20日、佐藤剛蔵先生から私たちが何を学び、将来へ向けて何をするか、そのような趣旨の会を私の所属する政策大学院大学で開催しました。

素敵な会でした。その詳細はまた出口さんの取材力とプロの素晴らしい筆の力にお任せしましょうJSTサイエンスポータル編集長の小岩井忠道さんも素敵な報告をしています。

不思議なご縁ですね。集まった皆さんが、想像もできない不思議なご縁で繋がるのです。

つい2日前の18日にCanada大使館でお会いした参事官のChristine Nakamuraさんのご両親もいらっしゃいました。

感動の一日でした。皆さんありがとう、そして明るいお隣同士の将来へ、共同作業を始めましょう。歴史に学び、行動するのです(参考)。