女性の活躍、そして世界の一流大学 学長人事

先日ご案内したように11月29・30日、12月1日の3日間にわたり、東京・青山のカナダ大使館にて、新世紀の日本・カナダの課題として「女性と科学、貿易、ビジネス」をテーマにした講演会が行われました。私は「なぜ女性?なぜカナダ?」というタイトルの基調講演をしました。先日のブログにも書きましたが、国連の統計によると、女性能力開発(Gender Development Index;参政権、教育機会等)ではカナダが1位、日本は8位と国際的に上位なのですが、女性の社会活動(Gender Empowerment Index)では北欧諸国が上位を占め、カナダ8位、日本は41位という事実から話を始めました。少子高齢社会、人口減少を迎える日本では、特に女性の社会活動の推進が大事です。パネル・セッションでは、カナダ・日本から女性2名ずつの演者が各テーマについて話し合い、衆議院議員の野田聖子さんも大変良い話をしていました。女性パワーが感じられた大変活気のある3日間でした。ところで、カナダの演者が、日本の女性の社会進出が遅々として進まないのならば、カナダは移民国家ですし、日本女性をカナダの大学等に積極的に誘致すると言っていました。カナダには素晴らしい大学が多いですから、本当にこんな事にならないようにして欲しいものです。

夜に行われたレセプション、晩餐にはカナダに縁の深い高円宮妃殿下、緒方貞子さん、遠山敦子元文部科学大臣らが参加してくださいました。来年初めには、野田聖子さんの招きで、女性と社会についての話を自由民主党にて行う予定です。

また、講演では女性の活躍が目立つ大学についても話しをしました。最近のことですが、MIT学長に49歳のYale大学学長の女性が招かれました。びっくりです。Cambridge大学学長(Cambridge大学卒、この人も Yale大学の学長でした)とPrinceton大学の学長(CanadaのQueen大学卒)も女性であることを紹介しました。また、これは男性なのですが、Rockefeller大学の学長もイギリスからNobel賞受賞者のDr. Paul Nurseを、California大学Berkeley校の学長はToronto大学の学長を招聘するなど、活発な人事が行われています。また、韓国の先端科学技術大学(KAIST、1971年設立;超一流の人材を輩出している)はNobel物理学賞受賞者のStanford大学教授 Robert Laughlinを学長に招聘しました。日本で一流といわれる大学では考えもつかないことでしょう。困ったものです。

「学」の中心たるべき大学からして、日本は鎖国マインド状態です。ほかは推して知るべしでしょう。

男女共同参画社会: 日本とカナダ

24日、そして来週の月曜、火曜と「男女共同参画社会」をテーマにした講演に参加します。24日は日本学術会議が主催するシンポジウムで、遠山前文部科学大臣等の参加を得て大変な盛会でした。少子化と騒がれていますが、女性の社会進出に関して言えば国連調査で日本は41位です。これがこれからの日本社会の大きなテーマになるでしょう。日本に比べてカナダは女性の能力開発、社会進出、どれもトップだそうです。

講演ではCurie夫人や、このブログでも何度かご紹介している、津田梅子氏の話もしました。

来週(11月29日・30日、12月1日)は、日本とカナダの国交75周年記念行事の一環としてカナダ大使館で開催されるシンポジウムで講演を行います。わたしとカナダのRoyal Academy会長Howard Alper氏とが相談して、基本的な計画を立てましたが、コンセプトは「女性と科学技術、ビジネス」としました。私は「なぜ女性?なぜカナダ?」という題で基調講演をします。最後の講演はAlper氏が行いますが、2日間にわたって行われる講演の演者はすべて女性です。各セッションにおいてカナダと日本からそれぞれ2名という構成です。このシンポジウムは無料ですので是非参加してください。

科学技術の「ダボス」会議:世界のリーダーとの対話

14~16日にわたり京都で“Science and Technology in Society Forum (STS Forum)が開催されました。

「科学技術のダボス会議」と通称されているものです。50カ国、500名が参加し、ノーベル賞受賞者が10名ほど、各国科学技術関係担当大臣が20名ほど、米英その他の科学アカデミー代表、産業界の代表等の多彩な方たち、つまり、世界の政産学のリーダーたちが集結しました。前科学技術担当大臣の尾身幸次議員の発案によるもので、これからの地球規模の課題へのフリーな対話を、基本的に個人のレベルで自由に交わそうという会合です。

従来は、「学」は「学」で、「産」は「産」で、「政」は「政」で、という会合ばかりでした。しかし、CO2京都議定書に見られるように、20世紀の科学技術の急速な進歩によってもたらされた現代社会における問題は、従来の政治・産業・経済・学問等のそれぞれの世界だけで解決に結び付けようとするには余りにも問題が大きくなっているのです。地球人口はこの100年で16億から64億になり、それに伴って生じるエネルギー、食料、水、森林等の環境問題は地球温暖化等の地球規模の大問題をもたらしています。さらに、情報と交通手段の急速な発達でもたらされる南北格差の拡大は、地球人口の80%が低開発、開発途上国にあることを考えれば、これからの人類社会の大きな課題である事は自明でしょう。つまり、人類はこの地球上で「持続可能」なのかという大命題です。さあどうなるのでしょう。「Science and Technology in Society Forum」はこのような趣旨で開催された初めての会合なのです。これらの命題については、このサイトでも繰り返し書いていますので読んでみてください。

小泉首相も開幕に参加し、「科学技術によって環境と経済は両立しうる」と、実例を挙げながら10分ほど良いお話をされていました。また、先進国における科学技術投資や途上国援助の一定比率を、途上国の科学技術とその人材育成に当てる政策を強制するべきだ(カナダが始めました)等の建設的な意見も出され、大変有意義な会でした。来年9月にまた京都で開催する事になりました。

この会をどのようにして「持続可能」な場にしていくのかが、これからの大きな課題です。このテーマは今を生きている世代の、将来の世代へ対する最大の責任であり、最大の課題でしょう。

医療政策シンクタンクの活動

10月28日(木)の午後に都心を出発して成田へ。同日の昼にSan Franciscoに到着し、そのままStanford大学を訪問しました。Stanford Institute of International Studyで、私たちが立ち上げている東京大学先端科学技術研究センター(RCAST)を中心とした、医療や社会公共政策の「シンクタンク」関係の相談と講演を行いました。ちょうど青木昌彦教授、そして野口悠紀雄氏(前RCAST教授)も来てくださり、楽しい講演となりました。夕食後空港へ戻り、深夜の“Red Eyes Express”でWashington DCへ。朝に到着し、少し休んでからシンクタンクの運営や連携の可能性を探るためにAcademy Healthを訪問しました。翌日、帰郷の途につき日曜日に帰国しました。きつい行程でしたが得る事は多かったです。

これらの「医療政策シンクタンク」の活動はよく知られており、彼らとの連携は、日本でも大きな課題である医療政策の提案と発信を行っていく私たちのシンクタンクの重要な戦略のひとつと考えています。医療政策人材育成のコースも開催していますが、アジアや世界との医療政策での連携も、アジアの先進国としては重要な課題と考えています。

嬉しいメール

19日、台風を迎えつつある広島に国連機関のUnited Nations Institute for Training and Research(UNITAR)の講演に行ってきました。所長のイラン人でスイス育ちのAzimiさんは、大変に教養のある素敵な女性です。彼女からこんな嬉しいメールをいただきました。皆さんにご紹介します。

※UNITAR Roundtablesで行った講演の内容はこちらです。

Dear Professor Kurokawa

Your expose of yesterday was like lightening — and it clearly touched the minds and hearts of many: since this morning I have been receiving numerous impressed, thoughtful and, clearly, moved testimonies from some of yesterday’s participants. I think part of UNITAR’s duty is to contribute to elevating the thinking and the conversation wherever we are, and I think I speak if not on behalf of everyone at least on behalf of my own colleagues at UNITAR — you most definitely succeeded in doing so. Thank you for your presence and also for your generosity in sharing with us what must have taken you decades to learn, think through and understand.

We normally do not do a summary of the roundtables after the event — however in light of the importance of yesterday’s topic we intend to produce a brief summary and post it on our website. I will send this to you for your review, as well as an official letter requesting that our website be linked to the Science Council’s site.

I hope you were able to make your way back peacefully and safely to Tokyo and that the typhoon did not cause any concern?

with my warm personal regards.

では、また。

津田梅子の“Peeress’ School”

久しぶりです。このところ、出張でやたらと忙しいのです。何故かと考えてしまう程です。

8月17日のブログに書いた「津田梅子とTH Morganの1894年の論文を読む」で、津田梅子の所属の“Teacher in the Peeress’ School, Tokio, Japan”について何か教えてくださいとお願いしたところ、ありがたい事にちゃんと調べてくれた方がおられるのです。

それによりますと;

『“Peeress”は、「1.貴族婦人、2.(自らが爵位を持つ)有爵婦人」と訳され、Peer(貴族、華族)+essということでしょうか。津田塾大学ホームページ日本語版では、「塾創立まで」の中で、「1886年(明治19) 梅子、華族女学校教授となる」とあり、同英語版では、津田梅子が帰国後、“She accepted the position of lecturer at the Peeresses’ School”とあります。最後の“es”の有無でスペルは若干違いますが、以上から、黒川先生のサイトホームページにある“Peeress’ School”は、「華族女学校」のことだと考えられます。

津田梅子は最初の帰国後もこの学校で教えていましたので、その当時の事でしょうか。

さらに、「華族女学校」についてですが、学習院大学のホームページ日本語版には、明治18年9月(1885)に「華族女学校を創設する(四谷区尾張町)」、明治39年4月(1906)「華族女学校と学習院を併合し、華族女学校を学習院女子部と改称する」等の沿革が記されています。学習院女子大学のホームページ英語版では、“September 1885, The Peeress’ School (Predecessor of the Girl’s Division of Gakushuin)was founded.”とあります。その後、学習院女子部は女子学習院となり、戦後、学習院と女子学習院が統合され、さらに創設された短期大学が学習院女子大学に変わっていったということのようなので、華族女学校がそのまま現在の学習院女子大学につながったわけではないようです。』

ありがとうございました。

「大学発」ベンチャー

7月に新聞紙上で、大阪大学発のバイオベンチャーで、大学で初めてバイオ関連で上場したという「AnGes」についていくつかの報道がされていました。公開前の株の売買で学部長が儲けたとか、株を所有している研究者と患者さんの間に利益相反がある事などについて報道されたのです。これは結構難しい問題ですが、現在の世界の状況と、最終的な成果が国際的市場を目指しているので、どうしても海外のルールの傾向と変化を知っている必要があるでしょう。国内的視点からだけの問題提起では解決できませんし、問題の認識、提起ごとに、知恵を絞って、しっかりした透明性の高いプロセスと透明性の高い「ルール」を構築していく必要があります。これは各研究者や、各大学に任せるようなことではありません。国の政策の問題です。こんな事を研究者の責任ととらえているようでは、研究者は研究に集中できません。これは上場した会社の経営者の責任でもあります。

このようにリスクの高い「大学発」ベンチャーを奨励しておきながら、所詮素人の大学の研究者の責任追及をするばかりでは、研究者はやる気をなくし、社会や患者さんから疑いの目で見られ、しかも社会の理解も支援もなく、明確なルールもないとなれば、戸惑ってしまうばかりです。いくら政府が研究費を投資し、大学発ベンチャーを奨励して、数の増えた事ばかり宣伝しても、本来、多くは失敗する可能性の高い(だから「ベンチャー」というのです)「大学発ベンチャー」は、結局は失速してしまうでしょう。

これらについては、朝日新聞の7月30日の朝刊に「私の視点: 治験と株保有、強制力ある規制が必要」としてコメントをしました。

皆さん、どう思いますか。

アウトカム研究会

9月2日、3日と軽井沢へ行ってきました。

京都大学の福原教授を中心に、臨床研究をどのように進めるのかといった本格的なブレインストーミング目的とした、アウトカム研究会というものに招待されて、講演を行ってきました。今回は腎臓病をターゲットとしたもので、若い人たち12人が参加、1週間の合宿を行っていました。以前からこのような研究の重要性は認識されていますが、誰もやってこなかったことです。例えば、なぜ New England Journal of Medicineとか、British Medical Journalなどの世界の主要な臨床学術誌が、1980年はじめから臨床研究の成績が中心になったのでしょう。EBMという言葉が出てきたのもこの後ですが、日本ではもっぱら医学博士号のための分子とか、遺伝子の研究が中心で、臨床医学の中でも重要な臨床研究は、ほとんど見向きもされませんでした。日本では臨床研究をやっている人はどこの大学でも教授になれないのですかね。しかし、会に参加していた若い人たちは本当によく勉強していました。これからもがんばってほしいです。応援しています。

今度、厚生労働省で「戦略的臨床研究アウトカム研究計画」のグループを立ち上げました。政策的に重要な臨床研究のアウトカムを予測できるように、計画、推進しようというものです。はじめに「糖尿病」と「うつ」を取り上げたいというのが行政の政策と言う事で、関係学会や専門家と意見を交換しながらも、研究のデザインはこの研究班で立案、計画するということを考えています。どれだけ理解されるか、見物です。こういったやり方が米国のNIHや英国の政策を見据えた公的資金による臨床研究のあり方なのです。

今回の軽井沢に参加した若者たちはこのような研究の立案にどっぷりと頭をひねったという事です。皆さん、初めての経験に目が輝いていました。

StockholmからSingaporeへ

お久しぶりです。

先月26日からStockholmで開催されたEuroScience Open Forumに招かれ、“The Future of European Science Policy in a Global Context”で、“Asian Perspective”という演題で話をしました。この会議では、もっぱら米国に対してのECの科学政策に話題が集中しており、よく知られていることですが、ECの中心であるBrusselの官僚的対応についてちょいちょいと話が飛び火しました。かなりの危機感と人材育成への配慮の不足が話題に挙がりました。これらについてはちょうどNatureの8月19日号に、英国科学アカデミー会長のLord Mayのコメントが載っていたので、彼に私も同感だという旨をすぐにメールで送っておきました。

StockholmではRoyal Swedish Academyを訪問しました。18世紀にかの有名なLinneらによって設立され、毎年、物理、化学のNobel受賞者が発表されるところです。ところで、Linneが私たち哺乳類の名前を“mammal”とした人であることを知っていますか?このことをちょっと前にお話しましたが、皆さんあまりご存知なかったようでしたね。

さて、Stockholmには尾身前科学技術担当大臣もいらっしゃっていて、お会いする機会がありました。それから、大塚在スウェーデン大使らとホテルで昼食をとっていた時に、偶然Nobel博物館館長のLindqvistに2年ぶりにお会いしました。お母さんの85歳の誕生日とかで一家総出でランチに来ておられたとのことです。どこにいても誰かに会いますね。

Stockholmに2泊してからSingaporeへ飛びました。Nobel医学賞受賞者のBrenner博士と沖縄大学院プロジェクトについて3時間ほど打ち合わせた後、内科医・腎臓専門医として以前から良く知っているシンガポール国立大学(NUS)のTan学長を訪問しました。まだお若い方ですが、今年4月に就任されたばかりで、それまでは厚生省に4年いらっしゃいました。

また、ここで活躍している元京都大学教授で現ウイルス研究所長の伊藤教授、そして腫瘍内科のWong教授とも夕食の席でお会いしました。Singaporeでは何事にも前向きで、決断が早く、人のつながりを介しながら国の将来の戦略を進めている事をひしひしと感じます。

米国式 症例プレゼンテーションが劇的に上手くなる方法

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米国式症例プレゼンテーションが劇的に上手くなる方法
-病歴・身体所見の取り方から診療録の記載,症例呈示までの実践テクニック

岸本 暢将 (編集)

いよいよ臨床研修が必修化される。新しい研修医も指導医も期待と不安にその日の来るのを待っている。特に大学病院では従来と違って、他の大学卒業生も多く、このシステムが相互評価の第1歩と考えると、「他流試合」を通じたこれからの教育(卒業生を他大学や病院で評価される)と研修(他大学や病院からの卒業生に評価される)という点で、これからの医師の育成に期待できるシステムといえる。人間は言葉で相互理解を進める能力を獲得している点で、ほかの種とは際立って違うのである。では、臨床教育、研修の要点は何か。まず、「症例プレゼンテーション(プレゼン)」である。自分の担当した症例をカンファレンスで、回診で、また電話でのコンサルテーションで、どこでも明確に、要点を抑えて、呈示することが相互の理解と討論の始まりであり、優れた教育の第1歩であろう。この方式で初めて「考える」能力が育成され、プレゼンのプロセスでより適正な診断仮説を構築し、検査の理由が理解でき、治療戦略への共同作業が始まるのである。このような対話こそが医師としての「頭の運動」とスキル向上へのきわめて効果的で、必須の方策である。

この本の著者は、いまや人気抜群の沖縄県立中部病院で臨床研修を終えた後、ハワイ大学での内科レジデント、さらに今年からニューヨーク大学でのリウマチのフェローを予定される新進気鋭の医師である。先日も、きわめて具体的でわかりやすいアメリカでの臨床研修への手引きの書『アメリカ臨床留学大作戦』(羊土社)を上梓し、大変な好評を得ている。何しろ、これも自身の体験を明確に記載して、しかも痒いところに手の届くような具体的な記述がすばらしい「How to」ものになっている。協力された先生たちのご努力にも感謝したい。

新患のプレゼンは通常5分、せいぜい7分で終わらないと、失格である。フォローアップの症例のプレゼンは1~2分。新患では、現病歴から始まり、これに関係して意味があると担当医が考える既往歴、家族歴、職業、社会活動などが述べられる。そして身体所見。「positive findings」ばかりでなく、「pertinent negative」について一言、二言入れないと、担当医が何を考えているのか、聞き手に何を考えているのか理解されにくい。ここではじめて基本ラボデータとなる。プレゼンする人と聞き手の知的対話であり、腕を見せ合う「格闘技」なのである。相互評価の基本である。だからこそ楽しいのであり、お互いに「生き生き」とプレゼンを通して意見を交換する。プレゼンに知的刺激を受けないのであれば、ただ疲れるだけであろう。

皆さんにもおなじみかもしれない日本びいきのTierney先生の言葉「病歴と身体所見だけで疾患の診断は8割方つく」も引用されている。翻って日本ではどうか。B4判にぎっしり書かれたコピーが配布され、だらだらとプレゼンし、ずらずらと検査成績、画像を並べてはいないか。第一、いまだ主訴の後に、「既往歴、家族歴、現病歴」と並べるプレゼンがあるのだからあきれる。これが学会の症例呈示にもまだまだ見られるのだから、どんな教授か、なんという教室か、どんな教育を受けているのか、悲しくなる。まず「集めた情報をどう分析し、どう呈示するか」これが腕の見せ所なのである。「SOAP」でプレゼンするが、まず「Opening Statementと主訴」でパチンと始まる。楽しいねえ。これが臨床の醍醐味なのです。ところが、これを身をもって理解し、「やって見せ」られる先生が少ないところに悲しい現実があるのではないでしょうか。だから学生にも研修医にも理解が難しいのです。

しかしそんなことは言っていられない。プレゼンはくり返し練習し、上手い人のを真似するのが一番。「真似」をする、そして、失敗は上手くなる糧です。先日、町淳二先生(ハワイ大学外科)、児島邦明先生(順天堂大学外科)のカンファレンスのあり方について書かれた本『米国式Problem-Based Conference-問題解決、自己学習能力を高める医学教育・卒後研修ガイド』(医学書院)が出たが、同じようにこれは理屈ではなく、実践なのだ。「習うより慣れろ」なのだ。だからこそできるだけ多くの人と接して自分なりのプレゼンを練習し、構築していくしかない。テニスでもいくら本を読んで、ビデオを見ていても、上手くはならない。実際にラケットで球を打ってみて、コートに出てみて、また本を読む、ビデオを見る。またコートに出る。コーチにつく。これですね、プレゼンは。型から入る、習い事なのです。また、この本は実に多くの細かい配慮がされている。各章のタイトルを見ただけで、わくわくしませんか? しかし、早くよい先生に会わないといけませんね。この本を参考にしながら、恥もかくのも上達の道、と心得てぜひ読んで、お互いに実践してください。本当にわかりやすくて、親切で、具体的で、著者の実体験の苦労がにじみ出て、すばらしい「お習い事のお手本」です。真似しましょう。そして、皆さん、すばらしい研修を、診療を、そして指導をお願いします。