津田梅子とTH Morganの1894年の論文を読む

3月15日のブログで紹介した津田塾大学創立者の津田梅子さんは、皆さんご存知のとおり、近代日本女子教育の偉大なる貢献者です。明治初頭の岩倉使節団に参加した女性5人の内の一人で、当時7歳(8歳という説もある。誰か本当のことを教えてください)。11年後に帰国し、その後、再度渡米。Philadelphia郊外の女子大学Brym Mawrで学び、帰国後、津田塾大学を創設する事になります。

以前、津田梅子さんのことを書いた本も紹介しました(『津田梅子』 大庭みな子著 朝日新聞社 1993年発行)。その中で津田さんがTH Morgan先生と蛙の卵についての論文を書いた事を紹介しましたが、この論文のコピーを手に入れて読んでみました。『TH Morgan and Ume Tsuda; The Orientation of the Frog’s Egg, Quarterly Journal of Microscopic Science, vol 35, New Series, p373-405,1894.』というもので、108年前に書かれた論文です。感激しますね。蛙の卵の発生についての注意深い観察の記述、図が合計45枚もあります。1893年に投稿された論文で、5つのセクションから構成されています。第2章(これと第3章が論文の実験の部分)が津田さんの1891~1892年(明治24~25年)の冬の仕事であり、1892年の春に書かれ、投稿に際して「ちょっとしか変えてない(’Only very slight alterations have been made’)」と書かれています。当時の津田梅子の所属は“Teacher in the Peeress’ School, Tokio, Japan”となっています。これについても誰か知っていましたら教えてください。

ところで、当時Associate Professor of BiologyであったTH Morganは、その後Columbia Universityに移り、ショウジョウバエで遺伝と染色体について突然変異と染色体の関係の研究を精力的に進め、1933年にNobel賞を受賞しました。何しろ染色体の遺伝子の座の所属する場所を示す単位が“Morgan”ですからね。彼の仕事の偉大さについては最近出版された、Y遺伝子について書かれている『アダムの呪い』(ブライアン・サイクス著、大野晶子訳。ソニーマガジンズ、2004年)を読んでみてください。非常に面白い本です。もうすこし学術的な話に興味のある人は、http://nobelprize.org/がお薦めです。

http://nobelprize.org/にはノーベル賞受賞者について様々なことが書いてあります。特に受賞者の自叙伝、受賞講演はお勧めです。非常に明示的であり感動的でもあります。若い研究者には大いに参考になるでしょう。もっとも研究の本質に感性のない人には「猫に小判」でしょうけどね。ここでもっとMogan先生のことを知ることができるでしょう。

『東大講義録:文明を解く』、『なぜ日本は行き詰まったか?』、『世界の歴史』

JR東海新幹線グリーン車の車内誌(Kioskでも販売)「Wedge」9月号(8月20日発行)の「読書漫遊」に、2月号に続き3冊の本を紹介します。歴史的・文明史的な日本の現状認識と考察です。内容を以下に紹介します(最終的にはこれを15%ほど減らしたものが掲載されます)。ここで紹介した本を時間のあるときに読んでみてください。

『バブルがはじけて15年。日本の景気は中国への輸出増もあって持ち直しているようにも見える。しかし、本当に元気になっているとは感じられない。15年前までは「ジャパン アズ ナンバーワン」、その秘密は「政産官の鉄のトライアングル」と言われ、誰も疑問すら抱いていなかったようであるのに、21世紀に入って世界をめぐる様相は一変した。2001年の9.11事件から3年、アフガン、イラクをへて世界とアメリカの様相は、21世紀の初めには予想もしない方向へと変わりつつある。人間の文明史から見れば、この100~200年の変化はすっかり世界の有様を変えたとはいえ、これからの世界はどのように動くのか。日本はどうか。S.ハンチントンによれば日本は独自の文明を築いてきたという。中西輝政氏の『国民の文明史』(産経新聞社 2003年)でも述べられているが、文明は大きな波と、小さな60~70年の波の変化があるとする説に私も賛同する。歴史の大きなうねりを見られないリーダー達に率いられている日本は漂流している。

今年はライト兄弟が初めて動力飛行を成功させてから101年目、日露戦争突入から100年目にあたる。日露戦争に勝利して初めてヨーロッパ文明の帝国主義から独立できた日本は、傲慢で自信過剰になり、満州への進出、太平洋戦争敗戦を経て、冷戦と日米安保の枠組みと規格大量生産型の近代工業社会時代の要請に応え、経済的に大成功して、またここでも傲慢で自信過剰になった。日本に何が起こったのか。文明史的に俯瞰して初めて見えるものがある。

堺屋太一氏は通産省退官後、多くの書物を著しているが、氏の『東大講義録:文明を解く』(講談社 2003年)は日本と世界の歴史、文明史を解きつつ、近代と20世紀の日本を描いている。戦後の日本の近代工業社会は1980年頃から終焉しており、次の社会は「知価社会」と予測している。工業社会の成功体験から、この変化に対応できない日本の「鉄のトライアングル」の利権構造と無能な官僚支配社会を解き明かす。豊富な知識に裏打ちされる論理の展開の説得力は強い。ヒエラルキー秩序の「個」のない社会から、「個」のネットワーク社会へとなかなか転換できない。それでも、少しずつ変化が見え始めているようであるが、動きは遅い。

在英の経済学者の森嶋通夫氏は(2週間程前の7月13日にご逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。)、20年前に書かれた『なぜ日本は「成功」したか?』の中で、冷戦構造と日米安保の枠組みにおいて、政治家と官僚が卑屈なまでに忠実な敗戦国であったことが、世界で羨ましがられるほどの成功の一因であると喝破している。この20年後の『なぜ日本は行き詰まったか?』(岩波書店 2004年)でも、近代日本の歴史を振り返りつつ、20世紀後半の成長の間に経済を世界に開放し、国際市場システムの構築の貢献に失敗し、政府と民間企業の結託、不良投資へのずさんな金融、政府と一流企業にまつわる無数の経済犯罪等が今になって発覚する「成功の一因」の背景を示す。そこから、現在すでに現れている症状を分析し、戦後のリーダーの 「エートス」欠如を指摘する。「ノブレス・オブリージ」の精神は今の日本社会のどこにもない。日本は、知識人が指導的役割を演ずるように形づくられる儒教社会であるとすれば、リーダーの道徳観の欠如は日本にとって決定的な打撃であり、日本は底辺からではなく、トップから崩壊する危険が大きいと指摘する。道徳水準の崩壊を短期間に取り戻す事は非常に難しいし、勇気や公明正大さや正直という資質を備えている、有能なやる気のある人物に乏しいことを指摘する。 2050年の60歳は既に14歳、2050年の50歳は既に4歳であり、今の社会に子供のお手本になる大人がいない日本はどうなるのか。子供は社会を映す鏡なのである。このような時には、国民の国に対する自信を高めるため「心ある」人たちによる右傾化が生じてくるのは歴史的にも極めてありうる事で、政界でも、学界でも、ジャーナリズムでもすでに聞こえ始めている。日本に必要なのは個人主義と自由主義の真の本質を教える、意味のある教育改革であろうが、果たしてできるだろうか。できたとしても、これらの人たちの社会までには40~50年かかるので、21世紀半ばの日本は、生活水準はまあ高いが国際的には重要でない国であろうと予測する、「悲愴」と名付けられる日本社会分析のシンフォニーの書なのである。

大きな世界の文明の流れを俯瞰的に知るには、最近逝去した英国の歴史学者JMロバーツの『世界の歴史』(1~10巻、創元社 2003年)が非常に読みやすく楽しめる。日本は第5、8、9巻に出てくる。日本を、西洋文明が世界を制覇した19世紀に上手く「西洋化」し、日露戦争を経て始めて西洋文明に対抗して独立できた国、と評価するが、第9巻監修の五百旗頭氏が指摘するように、日本の帝国主義は日本の目論見とは違って、皮肉にも東アジアの植民地解放と第3世界を出現させ、中国革命を成功させ、結果として中国が東アジアの大国への道を開いた。では、21世紀の動きは何であろうか。科学と科学技術の驚異的進歩によって、20世紀の100年で世界はすっかり変貌した。文明は物質的豊かさをもたらした一方で、1900年に16億だった人口は、1970年には30億、その30年後には60億に達して現在も増え続けている。そして人口の80%が恵まれない生活を強いられている。予測もできなかった人口増加はエネルギー、食料、水等の地球規模の環境劣化を引き起こす。さらに交通と情報の発達によって南北格差は広がる一方で、不安と不満が鬱積する。これが21世紀の底流であろう。』

どう思われますか?

このような背景で、日本はどこへ向かうのか。20世紀の日本のアジア諸国との関係、アメリカとの関係、ヨーロッパとの関係を文明史的に俯瞰すれば、21世紀の日本の方向も、何をするのかも見えているように思う。これができるのか?歴史のうねりを見てとれるリーダーは出るのか?

『私が見た南原、矢内原時代』

私が時々お話する、若い時に啓発されて大きな足跡を残した人の中に、戦後の東京大学総長を勤めた南原繁、矢内原忠雄両先生がいらっしゃいます。今の若い人達はあまり知らないかもしれませんが、戦前、戦後という混乱期の「学」のトップとして、多くの「おもねらない」正論を社会へ向けて発していた立派な方達です。

偉大な「学」を代表したこの立派なお二方について、そして、そのような「リーダー」の「エートス」に触れられるエッセイを紹介します。

こちらも私が尊敬する元国立医療センター総長の鴨下重彦先生が書かれたもので、このエッセイは、明治時代のクラーク先生の薫陶を受けた、今「武士道」が再び人気の新渡戸稲造先生と内村鑑三先生(クラーク先生の教えを受けたのは14~15歳の頃だそうです)、その精神を受け継いだ矢内原先生、南原先生のお話です。是非、読んでください。

 『私が見た南原、矢内原時代』

クラーク先生の精神は脈々と引き続がれているのだと思います。これが教育なのです。

ロンドンにて(2)

今はロンドンに来ています。

ロンドンは今が1年で一番良い気候の時です。アスコット、ウィンブルドン、そしてジ・オープンと続くのです。秋から冬はとても暗いですから、このような太陽がさんさんと降り注ぐ時が来ると、皆うきうきするのは、日本ではなかなか理解できない感情かもしれません。しかしこのような自然環境の人間に与える影響が、多くの文化や芸術の背景にあるのでしょう。いまのような「国際化」の時代には想像もつかないかも知れませんが、それぞれの文化の違いの理由を理解できるような気がします。歴史や哲学の由来を理解しようとする心持も大切でしょう。お互いの違いへの理解を深めますからね。歴史や哲学の本をいくつも読んでください。

ロンドンに来る前は、国際学術会議の仕事でパリに滞在しました。American Hospital of Paris(AHP)をたずね、岡田正人先生とも会ってきました。大阪市立大学医学部の6年生の学生さんも勉強に来ていました。岡田先生はパリに来て6年目ですが、アメリカで内科専門医の資格を取り、そしてイェール大学でリウマチの専門医となった後、パリに来ました。とてもすばらしい先生で、ここの病院やパリの日本人社会でとても信頼されています。このように多くの若い人たちが国際的な場所で活躍していることをもっと多くの人たちに知ってもらい、あとに続く人たちが出てくることを期待したいですね。

パリでは岡田先生、大阪市立大学医学部の学生さんとオペラ座で「L’Histoire de Manon(マノンの生涯)」というオペラを観ましたし、ロンドンでは南へ車で50分のところにあるGlyndebourneで、オペラ「La Boheme」を観てきました。こういう時間も大切ですね。

この夏の予定はなんですか?楽しく充実したひと時をもってください。

「リスク」をとった若者たちの出会いの「場」

このブログでいろいろと“とんでもない”すごい人たちを紹介しています。白州次郎、蜂須賀正氏、津田梅子、朝河貫一、「Wedge」の記事(『リーダーに不可欠な歴史観、世界観、志』)、またダボス会議での報告でも世界のリーダー達の紹介をしています。医学でも、北里柴三郎、野口英世、高峰譲吉、高木兼寛等の話もよく講演等でしています。

このような“とんでもない”すごい人たちを紹介するのは、こんな人たちが今の豊かな日本にはあまり見あたらないからです。日露戦争からちょうど100年目の日本ですが、今になって当時の日本や東洋を囲む状況を考えると、これは極めて歴史的な結果が出るわけですが、太平洋戦争の前後までの経過を見てみると、「官僚」と「民僚」しかいない国になってしまったのでしょう。野中郁次郎他による『失敗の本質』(1991年、中央公論(新)社)にもいくつもの歴史的実例が書かれているにも関わらず、ようやく最近になって「失敗学」が認識されるなんて、いまさら何を言っているのかという気になりますね。M自動車、T電力、S印、XX銀行、みんな同じ構図です。

それにしても驚いたのは、5月4日のブログで森嶋通夫・ロンドン大学名誉教授著『なぜ日本は行き詰まったか』(2004年、岩波書店)を少し紹介したら、college-med メーリングリストで大変な話題になっていた事です。このような基本的問題と歴史的、社会的背景に興味と造詣の深い人たちも多く、なかなか捨てたものでもないなと思っているところです。しかし、このような議論が中学や高等、大学教育のレベルで何故起きてこないのか。そこに日本の教育問題の深さがあるように思います。同じブログでバランスを考えて中西輝政・京都大学教授著の『国民の文明史』(2003年、産経新聞社)も紹介しましたが、もっぱら森嶋さんに議論が集中しているのもすごい事ですね。皆さんすごいです。

ところで、このような意識を持った人たちが「社会のおもて」に出てこないのは何故かも考える必要があるでしょう。何度か発言していますが、日本の社会が「Low Risk- High Return」になっている可能性が高いからかもしれません。つまり、「偏差値の高い大学」へ行って、大会社、官僚になっている可能性が高く、従ってリスクを取らなくなっているのではないでしょうか。しかし、個人的には鬱々としているのではないでしょうか。だから私はリスクを取らない人は信用できないと言っているのです。所詮は「評論家」ですからね。社会的にそれなりの地位にいるのに、情けないことに、その社会的責任に対する「当事者意識」が欠如しているのです。

この視点から見ると面白い本があります。『東大に入って、東大を出る事』という本です(2003年、プレジデント社)。日本社会の「いかがわしさ」に気がついて、大きなリスクをとってしまった、まだ若い東大卒業生3人の自叙伝です。このような人たちが交流する場所があれば、時と共にすごいエネルギーが爆発するのではないか、と考えているところです。江戸末期の松下村塾もこんな人たちが集まり、吉田松陰たちが感化された、「場」だったのでしょう。このリスクを取る個々のエネルギーと、「場」が大事なのではないでしょうか。一人ひとりの志の高さの問題と、それを生かす社会の問題でしょう。

パリにて

時間のたつのは早いもので、もう6月になってしまいました。最近もまた、年金問題と法案の通過、民主党党首選挙、首相の北朝鮮訪問等々、これからの日本の行方を左右しかねない大きな問題がいくつも起こっていますね。

国際学術会議(ICSU)の企画委員会出席のためパリに来て3日がたちます。パリは今が一番よい季節。ノルマンディー上陸60周年の記念行事も行われていました。

さて、パリではアメリカ病院(American Hospital of Paris)の岡田正人先生ともお会いしました。昨年6月17日のブログでもご紹介していますが、岡田正人先生は日本の大学をご卒業後、アメリカでの臨床研修を経て、イェール大学でリウマチのフェローを経験。それからパリに来て6年が経ちます。日本の医療制度や医学教育、研修の課題等について、いろいろお話しをしてきました。

ちょうどパリに来る前の週の金曜日に、ニューヨークのベスイスラエル病院のレジデントに選考された同じような方たちの壮行会があり、参加しました。このような方たちが、将来の日本の医学教育、研修、医療を背負っていってくれるとよいのですが、帰国すると少数派になってしまい、多くのすばらしいリーダー達がつぶれてしまうように思われてなりません。もったいない事です。ちなみに岡田先生もこのプログラムの卒業生です。

4月13日と5月3日のブログで報告しましたアメリカ内科学会日本支部の立ち上げも、そうしたリーダー達を多く育てることが大きな目的のひとつなのです。

ところで、college-med メーリングリストをはじめとして、多くの医療関係者のメーリングリストやwebsiteが立ち上がり、情報交換には大変役に立っているようです。しかし一方で、2万近くあると言われる医療関係サイトの、品質、内容のチェック、責任、著作権等はどうなるのでしょうか。国際的な情報時代の新しい悩みのひとつでしょう。これについては、国際的にも大きな問題として認識されております。その国際的な枠組みの中で、日本の医療健康関係の「website」をチェックし、品質等を認証しようというNPO法人医療健康情報認証機構が設立されました。公開講演会が6月14日午後に開催されますので、講演予定を見てください。

日本の「リーダー」

→English

イラクで起こったNGOや民間人拘留で、ずいぶん過激で一方的な論調が多く、なんとも未熟というか、社会性がないというか、国だけがすべてのような戦前に戻ったような危ない感じがします。

「Wedge」2月号で、3冊の本(『名誉と順応』、『敗北を抱きしめて』、『日本の禍機』)の紹介を書きましたが、日本の問題は「リーダー」にあるのです。この数日に読んだ本も同じ趣旨でした。両方とも素晴らしい本ですのでご紹介します。

ひとつは、森嶋通夫・ロンドン大学名誉教授(高名な経済学者です)著の『なぜ日本は行き詰まったか』(岩波書店 2004年)です。経済からではなく、社会科学全体における世界の歴史と人々のエートスを観察する事からはじめ、日本の将来を、過去から、世界の歴史から探るというものです。伝統的エートスを失った国民の将来は、という問いです。歴史と資本主義社会の形成、ドイツ・イギリス・アメリカ等の違いの考察等が述べられている、優れた著書です。

もうひとつは、中西輝政・京都大学教授著の『国民の文明史』(産経新聞社 2003年)です。これは日本の課題を文明史的視点から考察しています。サミュエル・ハンチントン教授が『文明の衝突』で言うように、日本はひとつの文明である、という視点を支持していますが、この本は、その背景から、文明の動きの歴史的考察を中心に据えた、優れた著書です。

両方とも大変に読み応えがありますし、歴史観にあふれる優れた学者の書です。成功した「日本システム」の迷走と、「政・産・官の鉄のトライアングル」の「リーダー」の、歴史観や世界観、志の欠如に問題があるという点では一致しています。しかし、解釈は違います。森嶋先生は歴史的にも「右翼的動き」の可能性の危険を一応は指摘するのに対し、中西先生はどちらかといえば「その右翼的支持」を転機に考えているようでもあります。しかし、両者の文脈は分析と視点は違っても、同じ指摘が多い点で参考になります。日本の「リーダー」は本当にどうしてしまったのでしょうか。

この点でもうひとつ読んだのが「Saving the Sun」(HarperBusiness、2003)です。Financial Times日本支局長だったMs. Gillian Tettさんによる長期信用銀行問題をめぐるnon-fictionです。小野木さん、大蔵省官僚、八城さん、Collins氏等々実名で出ており、「日本株式会社」に共通する問題がきっちり書かれています。このように日本の問題は世界中で広く知られているのです。

アメリカ~カナダ 世界の知識人たちと

4月22日からアメリカ、カナダと周って、本日日本に戻ってきました。ゴールデンウィークとヤンキースの試合がNYで行われた事も重なって、日本からの観光客がホテルにあふれていました。

アメリカではまずNew Orleansでアメリカ内科学会(ACP)年次総会に出席しました。4月13日にも書きましたが、アメリカ大陸以外で初めてACPの支部(Chapter)が日本に設立されました。その第1回総会が東京で開催されたこともあり、今回は日本から何人かのフェローの認証式典がありました。厳かでとてもよい式典で、みんな喜んでくれました。きっとこの人たちが将来の日本の内科医、指導医の中心になってくれるでしょう。

25日からはカナダのオタワに入り、翌日にはカナダ科学アカデミー会長のAlperさんの招待により、「Industry Canada」で21世紀科学技術政策についての講演をしました。「Industry Canada」はカナダ政府の科学技術政策決定に一番重要な委員会だそうです。ディナーの時にAlperさんに、参加者から講演を称賛する電話がたくさんあったと言われ嬉しかったです。

トロント大学では、学長(MITの理学部長を務めていたBergeneau博士)と昼食をご一緒し、多くの幹部の方とお会いできました。その後、腎臓グループで高血圧の講演を行い、理学部のレセプションでは何人かの日本からの研究者たちにも会う事ができました。

今年はカナダと日本の外交75周年で、11月には東京のカナダ大使館で記念に2~3日のカンファレンスを企画しています。今のところ「科学、技術、工学と女性科学者」に焦点をあわせようと考えています。衆議院議員の野田聖子さんもお呼びしています。

この後、ニューヨークで今年11月に開催する「社会のための科学技術国際フォーラム」の打ち合わせ会議があり、尾身大臣、MITのFreedman博士(ノーベル物理学賞を受賞されています)たちと一日過ごしました。翌日は、New York Academy of SciencesでChairmanの前Rockfeller University学長、Wiesel博士(ノーベル医学生理学賞を受賞しています)や、PresidentのEllis Rubinstein(元Science誌編集長)、そしてColumbia大学医学部循環器科のDr. Shunichi Honma先生達と、メトロポリタン美術館でディナーをとりました。皆さん素晴らしい人たちで、話も大変弾みました。

ところで、Rockefeller Universityの後任の学長には、2年前にノーベル医学・生理学賞を受賞したPaul Nurse氏がイギリスから招かれました。ここまでの人事とは言わないまでも、日本では国立大学の法人化に至っても、全員が教授会内部から互選で選ばれた学部長、そしてその学部長経験者からの内部昇格なのですから、「学」の世界でも世界の常識とかなり外れているのです。それにも気がつかない「学」も大したものですが。

明治6年に『学問の勧め』で福沢諭吉はこの点を指摘しているのですからすごいものです。

「医者がいない」!

臨床研修の必須化に伴って、地方や辺地の医療機関に勤務している医師が大学へ引き上げられて不足しているという深刻な問題が話題になっています。北海道大学や東北大では、大学医局からの“医師派遣”を確保するために、医学部や同窓会に寄付金を出したり、“名義貸し”が行われていたというのです。公立の医療機関がこのようなお金を大学に寄付する事は大いに問題があります。しかも一部では教授の収入にもなっていたとも言われるのですから問題外です。

さて皆さんはどう思いますか?

こうした問題は以前からあったのに、局部的な問題として扱われていたところに問題があるのです。大学の医局制度が問題だなどとされてきましたが、ではこの問題に対し、何が行われたでしょうか?

このように“医師不足”、“医局支配”等は、全国的な問題になってはじめて、国民も行政も、医師会も大学も、問題の根本はどこにあるのかが少しわかるようになるのではないかと思います。地方の患者さんを困らせるのは勿論本位ではありません。一人一人が自分自身で何が今一番大事なのかを「考え、決断し、実行する」事です。これが社会を変える、政策をつくる正当な方策なのです。結局は国民が政府を作るのです。今まではどうだったでしょうか。お役所にお任せだったのではないですか?

厚生労働省の卒後臨床研修委員会等でも発言しましたが、もし本当に将来の医師の育成、医療制度の構築に医療人が責任を持つというのであれば、何をすべきかよく考えるべきです。現在、大学医局の人手が足りないからといって、指導医の引き上げをするのはあくまでも自分たち中心の都合であり、正規の助手をはじめとしたスタッフがもっと時間をとるなりして診療、指導に当たるのはやむをえないのではないでしょうか。2年したら研修を終えた人たちも大学にくることが出来るのですから、少しの我慢なのです。みんなで痛みを分かち合う事が大切です。そして、その間にことの本質への解決を考えていく事です。今の状況は、一部の大学病院で研修医が予測していた以上に集まらなかったので、あわてて自分たちの都合を優先させている点もあるでしょう。しかし、この一連の出来事でようやく国民のより広い範囲の人たちが、いかに医師不足が深刻かを理解してくれるきっかけになればと思います。またそのような認識を深めてもらうよい機会なのです。

では、どうしたらこのメッセージが国民につたえられるか、これが課題でしょう。鈴木明先生が書いているように、今まで国民は(行政の責任もありますが)、日本の医療はあまりにも医師や看護師等、医療人たちの献身という思い込みに頼りすぎだったのです。この医療が進歩し、疾病構造が変化し、国民の意識が変化しているにもかかわらず、医療費が少なすぎるのです。日本の医療費は32兆円ですが、そのうち国からはたったの10兆円、GDPの2%にすぎません。何も知らない、政府の規制改革委員会の大好きな“アメリカ”では医療費は150兆円でGDPの14%ですが、アメリカでの医療に対する税金投入は50兆円、medicare、medicaid等はGDPの5%なのです。パチンコは30兆円、葬式には15兆円、ダムをまだ370箇所とか。どう考えますか?ヨーロッパの国々でも医療への国からの投資はもっと多く、GDPの10~11%程度です。イギリスでは日本と同じぐらい少なすぎる医療費に不満が山積し、「国民からの圧力」で税金投入を増やしています。

勿論、医師たちはより高い質の医師の育成と、自己研鑽に勤める事で社会的責任を果たして行く事は当然ですが、どこに問題があるのか、どうすれば解決できるかをよく考える事です。「株式会社」による病院経営とか、「外国人医師」なんてことは国民を馬鹿にしています。そんなことをする前に、する事は沢山あります。つまり公的セクターの医療機関の再編と充実です。大体、地域ニーズにあった公的病院なんてありますか?なぜ、20万の県庁所在地に国立病院、国立大学付属病院、県立中央病院、市民病院等があり、みんな自前で、救急、消化器内科、循環器内科、血液内科、消化器外科、泌尿器科、眼科、皮膚科等々がなくてはいけないのですか?ばかげていると思います。

公的病院は地域ごとに「24時間の救急(もちろん小児救急も)」をたとえば人口30万について1~2箇所にして、公的病院がなければ私的機関病院に公費を提供するとか考える必要があります。さらに救急以外はどこにも消化器内科、循環器内科、消化器外科、皮膚科とか人口と患者数から割り出した適正数にするとか、人的資源をはじめとして集中する等の抜本的な再編をする、ただし公的医療機関では個室はないとか、でも医療費自己負担は10%にするとか、生活習慣病の診察検査は2ヶ月に1度以上は50%負担にするとか、自己管理への誘導とか、いくらでもする事はあるのです。まず地域単位で安心を提供する事です。

医療制度についても色々と発言しています。私の見解についてこのブログに書いていますので、是非ご意見ください。黙っていても何も起こりません。これからの方向をしっかり見つめ、責任ある行動をとり、発言をする事です。特に「社会的に高い地位」にいる人たちの責任は重大なのです。

“Country Gentleman” 白洲次郎氏

昨年12月8日のブログで紹介した白洲次郎さん。白洲正子さんのほうを知っている人も多いでしょうが、白洲次郎さんは正子さんのご主人です。すばらしい紳士、ワイルド、“Country Gentleman”(この意味は本を読んでくださいね)です。是非、知ってもらいたくて、もう一度ここに紹介します。弱いものにやさしく、権力におごるものに強い。こんなエリートがいますか?

「白洲次郎という人を知っていますか?1902年の生まれです。17歳でケンブリッジ大学、英国で8年過ごして、本当に格好よい「紳士」として、「原則」に厳しく、肩書きや権力で威張る人を嫌い、アメリカ占領下の日本でも活躍した人です。今の日本に、白洲氏のような「個」に生き、「原則」を大切にし、世界と日本を知って「本音」で生きる、こんな人がエリート層に一人でもいるとほっとするのですが、なかなかいませんね。そこに日本の問題があるのです。このコラムでも何回か言ってることです。(中略)白洲次郎さんのこともいくつか本がありますので(最近のものでは「風の男白洲次郎」新潮文庫、青柳恵介著、平成12年、400円)読んでみてください。スカッとしますよ。若い時には世界に出かけて視野を広げることです。」

これと同じ趣旨で、津田梅子、朝河貫一、蜂須賀正といった方たちも、ここで紹介しているのです。皆さんもぜひ一度、彼らの生き方にふれてみてください。