Mansfield財団の日米原子力ワーキンググループ

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大阪で行われたMansfield 財団日米ワーキンググループ公開セミナーの会議に参加しました。

このグループは日米の原子力に関する戦略的優先課題という報告書を発表し、これを日本の関係者と共有しようという企画です。福岡、大阪、東京で開催ですが、私は大阪だけにしか参加できませんでした。

提言は両国の関係から見たこれからの多様な協力関係についての提言です。内容はそれぞれに、もっともなことが多いものです。議長の一人は、去年10月に、Japan-US Council主催で、私がWashington DCの議会内で国会事故調について報告した時の座長でもあったCharles Fergusonでしたので、私の紹介では、その時の皆さんの反応を含めて、ずいぶんと持ち上げてくれました。

大阪のプログラムではパネルの皆さんの発表の後で、大阪大学の星野俊也さんと私がコメントしました。

参加された方々はそれぞれ原子力の関係者が多いようでしたので、細かいことより、国会事故調の意義、Group Thinkなどを含め、日本にかなり特異な課題ついて、具体例を挙げながらお話ししました。

その1つが、この参加の方々の構成です。全部で200人は超えていたと思いますが、同時通訳の2人の女性を除けば、参加の方の中に女性は3、4人しかいないことも指摘しました。これは確かに変ですね。かなり日本に特異なことと思います。

パネルでは4人のうち女性は1人、Sharon Squassoniさん(Director and Senior Fellow, Proliferation Prevention Program, CSIS)でした。

講演会が終わってワーキンググループの皆さんは福島へ、私は関空から沖縄へ、OISTの理事会へ向かいました。

San Diego

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San Diegoの町のすぐ向かいにあるCoronadoに来ました。1つはCell Societyという集まりがあり、これに参加するのです。この会は今年で3回目ですが、去年は国会事故調の最中で参加できませんでした。特に私がこの分野の専門というわけではないのですが、いろいろな経緯があって参加しています。脂肪幹細胞の臨床例などは医学的に見てもなかなか面白い結果がでています。

幹細胞の研究分野ではノーベル賞受賞の山中さんの大発見「iPS」も期待されているとこです。近代医学のアプローチとは違って、理論的に分子・遺伝子的解析からは理屈が付ないことでも、かなり安全だから試したら「他に治療法がないが、これでいい結果が出る」というところでしょうか。

近代科学の発祥の地、西洋では100年ほど前までは輸血、瀉血などの「治療」が、今では考えられないような理屈で行われていました。ABO血液型が発見されたのは100年前のことです。研究とはそんな経験から新たな発見が導かれることも多いのです。

時間を作ってSan Diego周辺で留学、研究、ビジネスなどで活躍している20数人の日本からの若者たちとの集まりも持たれました。ここで活躍している牧くん(PhD)が中心でUniversity of California San Diegoで勉強中の学部生、大学院生などが集まりました。いいですね、皆さん。やはり意識の変化は感じているようですし、自分のキャリアへの考えもいろいろ迷うことも多いようです。日本ばかりが活躍の拠点ではありませんし、日本人であることには変わりないのです。皆さんの選択と、活躍を期待したいです。

日を変えてUCSDのセミナーに行きました。UCSD School of International Relations and Pacific studies(IRPS)と Rady School of Managementの共催で、IRPS Professor of Japanese BisunessのProf. Ulrike Schaedeさん(去年までは星教授が担当していたとのことです…)の司会で進行しました。テーマは福島原発事故関係ですので、学生さんばかりでなく、教授の方もこのあたりで長く生活されている日本の方も来られました。福島原発事故から2年半、ちょうど福島原発の現在とこれからの状況が世界的に広く報道されているところでしたし、活発な質疑になりました。

学生さんばかりでなく、日本の方が多く見えましたし、またCONNECT1)の関係者も参加。セミナーのあとは、南Californiaらしいさわやかな夕暮れのテラスでレセプション。そのあとで、この辺ではよく知られた「Sushi Ota」で名物の「ウニ」など楽しみました。

若者たち一人ひとりが自分のキャリアの選択肢を増やす実体験はとても大事なことです。

オランダの新聞記事

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最近の福島原発の汚染水の問題、まだまだ脆弱な状況などが世界にも広く知られ、その懸念から海外でも多くの報道がされています。

私も日本の憲政史上初という国会事故調を任され、その報告書は世界でも高く評価されているところです。ですから、今回の福島の状況については、いくつもの海外メディアの取材を受けています。日本のことでもありますし、私がお断りするのもおかしなことですしね。

オランダの主要新聞‘Trouw’にもインタビュー記事が出ました。この記事を見た E. Nishimotoさんから、このサイトにメールをいただき、日本語に訳していただきました。さすがにウェッブの時代ですね。Nishimotoさんが訳してくれた原稿に、私が少し手を入れ、私なりにちょっとわかりやすくしたのが、ここにリンクした邦訳です。

 

Trouw 紙 2013年9月16日(邦訳英訳

 

Nishimotoさんありがとうございます。

この記事にある私の意見は、このサイトでも繰り返して発言しているところです。最近では、GRIPSの卒様式での祝辞にもあらわれています。

福島原発事故の現状にNatureも懸念を表明、何をすればよいのか?

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福島の事故の現況はちっともよくなっているとも思えません。だれにでもわかることです。

東電の言うことも(国民にも、世界にも理解してもらおうと意識が全く欠如していると思いますね、いつも「ひとごと」のような発言です)、政府の言っていることも、実行する工程表も、その理由、プロセスにも透明性も欠け、国内、国際的な信頼性にも欠け、しかもはっきり、わかりやすく伝えることも考えていないのでしょうか。

日本のメディアも、なぜか批判的精神をすっかり骨抜きにされているみたいで、だから、国民の声も上がらないのです。自分が知っていても、それも自分の仕事として知らせたくない人たちもいることは確かでしょうけど、これは逆効果ですね。国際的な信用もなくなりますから。

科学誌ではよく知られたNature1)も痺れを切らして、意見をしています。ネットの上では、意見の交換も見られます。Twitter1)でもいくつも見ることができます。

福島原発事故のような国際的に影響の大きな事件では、英国の狂牛病の対応12)の例などを学ぶこともよいことです。牛での発症から初期の政府の判断間違い、その後の人間での発症、EUの委員会の対応とそのプロセス、そこでの提言の受け入れ、科学の進歩等々の信頼を勝ち取るプロセス。結局、事件から英国産の牛肉が輸出されるのに20年もかかったのです(ここでも初期には日本政府も間違いを起こしているのですけどね)。

独立した、国際的に開かれた、透明性と科学性に裏打ちされた独立委員会で、対策を検討、立案してもらい、政府がこれを決定し、福島原発事故の中長期対策の計画を作成することです。それを世界と共有するのです。

独立性、透明性、公開性、科学性、国際性は、グローバル世界での政府の信頼の回復への第1歩です。これらの信頼への基本が国会事故調の報告書が世界で高い評価と信頼を受けた基本にあることを、みなさんがもっと知る必要があります。

みなさん、いかが思いますか?国家の信頼は一度失われると、その回復にはとても時間がかかるのです。

福島原発事故からもう2年半が過ぎます。

「無鉄砲娘」の大活躍、「避難弱者」を上梓

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20130908-1

福島の原発事故から30ヵ月、国会事故調の報告書が国会に提出されて14ヵ月の時が過ぎました。日本は、世界は、どんなことになっていくのでしょう。

2020年のオリンピック、東京に決まりましたね。良かった。-これを一度提出してから決まったので、加えました-

この「憲政史上初」の国会事故調に参加して、大きく、仕事・キャリアのありさまを変えた人たちもいます。 国会議員になった椎名つよしくん。「わかりやすいプロジェクト 国会事故調」を立ち上げた石橋哲さんなどなどです。

相川祐理奈さんもそのような一人です。彼女は大手新聞社に就職して2年、福島原発事故の調査に参加していたようですが、国会事故調に参加したいといってきたのです。この8月30日、彼女が独自に続けた調査をもとに書いた本、「避難弱者: あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?」が上梓されました。

私も、最後に「本書の刊行に寄せて」を書きました、とても感動したので。その一部を紹介させてもらいます。

まずはカバーの折り返しに引用されている部分ですが、

「現場感にあふれて入念なインタビューから、いろいろな事例があぶりだされてくる。多くの人たちの深い悩みと選択、もてあそばれる弱者たち、その人たちを支援する人たちの苦悩は計り知れない。ここかしこに1人ひとりの現場の人たちの生き様があぶりだされてくる。苦悩がある、多くの感動がある、そして多くの悲劇がある。
相川さんの一貫した現場からの取材によるこの報告から、何を学ぶのか。このような現実にどう対応してゆけばよいのか。これは私たち1人ひとりに突き付けられた課題である。」

そして、相川さんについて、

「国会事故調が終わった後、せっかく就職した新聞社も辞めて参加した彼女に、「本当にごくろうさま、これからどうするの?」と聞くと、なんと「私はこの調査を自分で続けます、あの人たちのことをもっと調べて記録しないと」というのだ。無鉄砲といわれようが、この様な決断をする若者がいるのだ。私たちは、相川さんが私たちのチームに参加するときの決断にも驚いたが、終わってからの決断にもさらに驚き、何か言い知れない感動に包み込まれた。
そして、相川さんの1人の戦いが始まる。協力、支援してくれる人たちも出てくる。この「無鉄砲娘」の調査の記録が、この本だ。-中略-。うれしい、ごくろう様、心からほめてあげたい。それがこの本なのである。」

皆さんも、本屋さんで見たら手に取って、よさそうだったらお買い上げください。勿論、アマゾンでもね。

前回、紹介した国会事故調をヴィジュアルにした素晴らしいビデオ1)も、若者たちの自発的な作品だ。

こういう独立精神あふれる若者たちがいるのだ、皆さん何か明るい気持ちになりませんか?

国会事故調をヴィジュアル化する若者たち(皆さんも見てね!)

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福島原発事故が起こってもう30ヵ月、2年半の時間が過ぎました。東京電力、日本政府の動きはどうでしょうか?世界も心配している一方で、あまりに情報開示と伝える力のお粗末さにあきれているでしょうね。このところ海外のニュースでもシリア問題とともに大きく扱われています。

私たちの「憲政史上初」という「国会事故調」報告書が国会に提出されてからも14ヵ月の時間が過ぎています。

さて、この報告書を国民の間にわかりやすく広げることは、私たちに任じられた事柄ではありませんが、そのような行動を始める若者たちもいるのです。素晴らしいことです。

その第一弾ともいうべき作品が「わかりやすいプロジェクト 国会事故調」という活動です。

最近、この報告書をヴィジュアルで説明するシリーズができました。

1.国会事故調ってなに?

2.事故は防げなかったの?

3.原発の中で何が起こっていたの?

4.事故の後の対応をどうしたらよかったの?

5.被害を小さくとどめられなかったの?

6.原発をめぐる社会の仕組の課題ってなに?

各2~3分でよくわかる、全部で16分ほどのヴィジュアルの素晴らしい作品です。

New York Times からびっくりする「贈り物」

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最近の福島原発事故の周辺は、極めて不安定な状況です。世界にも広く知られています、今の時代、何事も隠せないのです。

最近の福島の状況は世界でも大きな事件として扱われています。New York Timesも例外ではありません。 9月4日の朝刊「Late edition」のトップ記事(PDF)として扱われ、私のコメントの一部も入っています(電子版でも読むことができます。日本語訳はこちら 前半後半)。このNew York Timesの記事は日本の一部のメディアでも伝えられました。

驚いたのは、私のコメントが“Quotation of the Day(今日の引用)”となっていることです。うれしいというか、驚きですね。それだけインパクトがあるということなのでしょう。

“Water keeps building up inside the plant, and debris keeps piling up outside of it. This is all just one big shell game aimed at pushing off the problem until the future.” というものです。

これは取材した東京支局長Martin Facklerさんの腕です。彼は福島原発事故で明らかになった「「本当のこと」を伝えない日本の新聞」(双葉新書)という本も書いています。

世界は注目しています。世界有数の経済大国、しかも、科学や技術、エンジニアリング、製造業で高い評価を受けていた日本で起こった、地震・津波で引き起こされたとはいえ、まさかの福島原発事故。そして、2年半たっても中長期の計画も立たない、東電や政府の反応などに。

世界の英知を集め、透明性に徹することです。心配です、何とかしたいですね。

夏かぜで1週間ダウン

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8月29日(土)、日帰りで軽井沢へ出かける、昼に到着。旧軽井沢ゴルフクラブへ。なんとなく疲れるので、ゴルフ参加は辞めて、クラブハウスで休憩。きれいなコースを見ながらラウンジで過ごすのも変な気もち。

夕方みんながゴルフから上がってから、私が当日のゲストとして1時間ほど講演をした。GRIPSの同僚ともいえる竹中さんとご両親にもお会いした。元東大総長の小宮山さん他にも知人がいろいろ。

夜帰るとやはり疲れる。早く寝る。翌日の日曜日から熱が出る、時に40度になる。ご近所の主治医さんへ行って、診察してもらい、点滴を受け、一日寝る。翌日の月曜日も40度ほどの熱が出る。また主治医のところにも行く。元気がないわけではないのだが。今週の面会等はすべてキャンセルさせていただき、水曜日を迎えた。ちょっとよくなってきた感じ。

木曜日、朝からEUの代表の大臣の方々とのセッションがあり、約1時間を過ごす。もっぱら福島原発事故と今の状況などが主たるテーマ。それはそうだろう。あとは、ちょっとした会議等で、午後3時には帰宅。寝る。本当は今週は伊勢神宮に行く予定だったのだけど残念ながらキャンセル。

金曜、土曜と寝て過ごす。かなりよくなったが、今度のカゼはちょっとひどかった。

9月1日(日)、新幹線で広島へ。広島大学新診療棟のお披露目の祝賀会で記念講演。久しぶりの医学関係の多くの方々にお会いした。日がえり。

9月2日(月)、湘南国際村へ。「国連大学グローバルセミナー」主催の3日間のプログラム。David Malone 学長、そして資生堂名誉会長の福原義春さんに久しぶりにお会いした。そして私が「基調講演1: Global Agenda of Post-Fukushima」。ほとんどが大学生、大学院生で、女性が70%ぐらいか?いいね。留学生、学国人教員も多く、雰囲気はいい。楽しく話をすることができました。質問もいろいろ。もちろん全部英語。

この「オープンな雰囲気」とはどう定義できるのかわからないけど、いいですね。私は好きですよ、堅苦しくなくて、意見の交換も盛んで。

私の後の基調講演はUNDP日本代表の弓削昭子さん。歯切れがいい。質疑にもバンバン答える。

私はレセプションに参加した後、帰宅の途へ。皆さんは合宿らしい。

やっと、1週間が過ぎて、1週間が始まった感じ。ゆっくり休んだ感じでした。

MITで

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Washington DCから21日(土)にいったん帰国。日曜は休んで、月曜はいろいろ会議などが入って忙しくすごし、25日(火)の朝から、再び米国東海岸のBostonへ向かいます。成田からの直行便、去年、日本製バッテリー発火問題でいろいろ騒がれたBoeing787です。

25日の昼に現地到着。一休みしてMIT Media Labへ。これが今回の目的ではないのですが、所長のJoi Itoさん(1)、副所長の石井さん1、 twitterは@ishii_mit)もBostonにいたので4時過ぎから出かけ、いくつかのプロジェクトを紹介してもらいました。ちょうど坂本龍一さんも来てコラボの話題になりました。いろいろ面白いことをやっていますね。夜は石井さんと奥様(私はこのご夫妻2人のtwitterをフォローしているのです、奥様はジャーナリスト、去年のHarvardのNiemann fellowです)、そして秘書さんと夕食をごちそうになりました。

翌日は、以前から交流のあるRichard Lester教授、今回、私を招いた方です。彼はMIT Nuclear Science and Engineeringの所長で、今年2回に分けてInternational Nuclear Leadership Education Programという各2週間のコースを開催し、私にも来てほしいというところから、今回のMIT訪問の話が始まったのです。私はこの1日だけですが、朝8時から夕方まで参加しました。もちろん私の話は「Lessons of Fukushima Nuclear Accident」で、90分の時間がありましたが、まだ時間が足りない感じでした。話題がいろいろあり、たくさんの質問が出ましたから。参加者の皆さん、特に欧米の方たちは原子力のエクスパート、日本やIAEAとの関係ある方も多いですし、Vietnam、 Abu Dhabi、Kenya、Mongolia、Nigeriaの方たちは資格もあり、これからその道を進もうという方たちですから、議論はとても楽しかったです。

国会事故調の報告書は、その英語版は良く知られている「Executive Summary」のほかにも、本文も去年の10月から英語でWebに出ていますから、本当によかったです。世界の専門家の間で、皆さんがそれぞれに私たちの報告書を検討、評価することができますから。

夜はMuseum of Science of Bostonでレセプション。翌朝、帰国の途に就きました。