National Academy of Sciencesで講演; Lost in Translation -‘AccountabilityとGroupthink’も紹介

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ParisからChicago O’Hare空港経由でWashington DC Dulles空港へ.

迎えの方とホテルへ直行。しばらくプレゼンのパワーポイントなどをチェック。翌朝、2年ぶりでしょうか、国務省の向かいにある、改装が終わり少々大きくなったNational Academy of Sciences (NAS)へ.ここで一日、「CBRNE」(Chemical, Biological, Radiation, Nuclear and Explosives)対策の同盟国間の協力についてのNAS主催の会議です。 私は、もちろん「福島原発事故からの学ぶことの意義」というテーマでの基調講演です。司会はNAS国際関係担当主任である旧友John Borightさんでした。私について、とてもいい紹介をしてくれました。この会議と講演はWebで見ることができます。

テーマがテーマですから、国土安全省 Department of Homeland Security、国防省 Department of Defense、 緊急対策庁 Federal Emergency Management Agency (FEMA)、軍人さんも参加しています。

日本大使館から旧知の次田参事官も参加してくれ、また、国会事故調の時に私がWashington DC 訪問時にお会いした国防省の方も参加しておられ再会を懐かしみました。

このようなテーマでも、政府の依頼を受けて、科学アカデミー主催で、公開の場で多くの会議が開催されるところが米国の素晴らしい所です。

ちょうど今年はLincoln大統領がNASを創設して150年であり、いろいろな行事があります。そのNAS創設の精神、「独立した、私立の機関であり、政府の政策に助言する」、この精神を長い時代の変遷を経て、国民からも広く信頼される科学者コミュニティを代表する機関になっているのがNational Academy of Sciences of USAなのです。

形をまねしても、その精神と歴史の経過、国民性を知らないと、モノマネにおわり、Lost in Translationになるのです。この150年、近代の日本では、時代の国際情勢もあり、急造の近代化でしたので、このような事例には事欠きませんね。その「クセ」はちっとも治っていない事例は、今になってもいくつも見えます。

この講演では、その一例として、極めて大事な誤訳 Lost in Translation として「Accountability」についても取り上げました(Topの図、ここではちょっと修正してあります)。日本では「説明する責任」としているよ、、、と。皆さん、「ハハハ、エエッ?」といった反応でした。この言葉の意味は「与えられた責務を実行する責任」です。「Responsibility」よりもっと重い意味なのです。どんな肩書きにも責務が伴うのです。その責務を果たすことこそが「役職」である人の責務なのです。「役にある人」で責任がないなどあり得ないことです。誰がこんな「不適切な誤訳」を使い始めたのでしょうね、教えてくださいな。まさか、「役の人」ではないでしょうね。

さらに「Groupthink」(Topの図)(Googleで英語、日本語で調べてみてください)についてもコメントしました。この意味をみなさんはどう考えているのでしょうか?何も学ばない「エリート群」といったところですね。私のコメントも、このブログに書いています。

このような思考形態が「Obligation to Dissent」(Topの図)の大事さを認識せず、「異論、異質、異端」を排除する日本社会にはびこる、特に「エリート」の精神的弱さになっているのです。弱さを認識しないと謙虚さを失いがちになる、「傲慢」になるのです。

でもこのようなこと、「思い込み」が今回の福島原発のような大事故の背景にもあるのです。本当にご都合主義のいい加減な「エリート」たちが大勢いるものですね。

参加者には、私が委員長を務めた国会事故調の報告書に目を通している方も多くおられました。後から、「あなたの話を聞いてよく理解できた、日本政府の方たちとお付き合いが多くありますが、いつも理解できないな、何かが違うと思っていたことがよーく理解できました、ありがとう」、という趣旨のことを何人かの方から言われました。

国会事故調報告書は、ご存じのようにあくまでも「事実」の記述であり、委員会の解釈、価値判断をできるだけそぎおとしています。ですから「はじめに」に書いてあること以外には、文化、社会論を述べるわけにはいきませんでしたからね。なかなか本質を理解するのは難しいことなのです、多くの日本の人たちにもね。

それが国会事故調の「はじめに」にある、「マインドセット」であり、「単線路線のエリート」の意味するところなのです。英語版でも「Message from the Chairman」も同じ趣旨でまとめています。

演者、主催者たちとの会食、そして翌朝、帰国の途に。今年3回目の世界一周の旅でした。

Tallberg Forum 2013

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6月12日朝、成田を立ちCopenhagen経由でStockholmへ来ました。Tallberg Forum 2013のOpening sessionに出ないか、というのです。

13日午前は、StockholmにあるVattenfall1)というスウェーデン最大の国営電力会社本社で役員との会談、さらに職員向けへに福島事故調の話を聞きたいということです。もちろん喜んでお受けしました。そのあとスウェーデン最大の放送局 Sveriges Television AB (SVT)のインタビュー(※1)。インタビュアーのThomas von Heijne 氏は20年ほど前に3年ほど東京に在住、NHKで仕事をしていたそうです。

そこから友人のAnders WijkmanさんとSundaram Tagoreさん(※2)とTallbergへ、約3時間のドライブです。

夕方からパネル、その後は国王をお迎えしたレセプション、ディナーにお招きを受けました。国王とは日本で2、3度お会いしたことがありますが、こちらではだれもが国王を囲んでお話をしています。私は警護の武官ともいろいろお話をしました。ディナーは40人ほどですが、Forumの創始者Bo Eckmanさんたちと、国王Carl Gustaf 16世(今年の9月で国王になられて40年となります)のおられるテーブルの隣でしたので、国王のところに行ってしばらくお話をさせていただきました。ノーベル賞100年記念のこととか、リンネ生誕300年の時の天皇陛下のご訪問のことなどです。

1日目の開会のパネルでは、「気候変動」について話したRobert Corellさんが素晴らしかったです。2日目のランチには、Eckmanさんが私とあと2人を招いて、世界のアジェンダについて意見交換の場を設定してくれました。

「Globalization」の世界では、人間はどこへ行くのだろう、何をしたらよいのか、「見えない解」への多彩な意見の交換が出ますが、なんとなく不安があふれていて、真剣に考えれば考えるほど、「次への一歩」が見えないいら立ちがそこかしこにという感じでした。

素敵な場所、晴れたと思ったら、急に雨が降ったり、しかし、きれいなところです。厳しい自然と一緒に生活し、自然を大事にしている、そして要所に鉄道があったり、長い間の知恵が、そこかしこにこのような雰囲気を生んでいるのでしょう。

去年、Osloでの話を書きましたが、自然の環境がそれぞれの国民性にあるのですね、生きる知恵というようなものでしょう。

これが人間にとって自然なことなのでしょうね、なんとなくほっとする感情が湧いてくるのですね。

最終日の15日、Tallbergを昼に出発、ロンドンへ向かいました。

※1
ここでは私のコメントのうちで、日本で「Groupthink」を大事にすることは「致命的な弱さ」という認識、そして「Obligation to Dissent 異論を言う義務」という意識と行動、これらの欠如が、日本の「エリート」の「ひ弱さ」になっている、というコメントを取り上げてくれたのはうれしいことです。編集者の見識です。

SVTのインタビュー記事はこちら

インタビュー記事の日本語訳はこちら

※2
私の初めてのあいさつは「あのTagoreさんの?」でした。曾祖父ということでした。「やっぱりね」というところですが、私が知らなかっただけのことでしょう。素敵な方です、芸術家であり、映画でもよく知られています。「あのTagore」はアジア人として初めてのノーベル賞受賞者であり、岡倉天心は同世代でもあり、親交があったのです。岡倉は初めてインドへ行った時「アジアはひとつ」と気づきそのまま1年滞在し、その後も日本と米国を結ぶ大活躍など、この時代の日本人には、こういうスケールの大きい「エリート」が何人もいたのです。最近はちっとも見ないタイプですね、残念ながら。

栗原さんの手紙

栗原潤さんという”出る杭”を何回かご紹介しています。

時々お会いしていろいろな議論をしているのですが、彼はいつも個人での活動が基本ですし、その信頼に基本を置いた人脈は意外なところにいろいろ広がっているので、楽しいのです。

さらに本の読み方とその量の半端でないこと。最近はBernankeの「大恐慌論(邦題)」を訳していますが、これがけっこう売れているのだとか。

Harvard Kennedy Schoolからキャノングローバル戦略研究所に移ってきましたが、私もいろいろ共同での仕事もしています。

彼が毎月出している「Cambridge Gazatte」がいつも面白いのですが、最新号で私の4月の会合のスピーチのことにもちょっと触れてくれていますので、ご紹介します(PDF)。

すごい引用がいくつも出てくるのでびっくりです。

あまり「本流」でないところにすごい人材がいるのですよ。

St. Gallen Symposiumへ再び

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再びSt. Gallen Symposiumに参加しています。今年のテーマは「Rewarding Courage」です。こんなテーマにするのは主宰している学生さんたちの提案も良く考えている証拠です。5月1日、成田を出発。

2012年は国会事故調の最中で参加できませんでしたが、2007年から今度で4回目の参加だと思います

2日とも全体Plenary会議は素晴らしいものでした。皆さん満足していたと思います。

第1日目の最後の全体パネルは「Leaders of Tomorrow: Essay Competition」、石倉さんのダイナミックで、アドリブのきいた司会で、みなが素晴らしい時間を持ったのではないでしょうか。世界の90か国ほどの1,000人を超える若者のエッセイから、最終的に3人が選ばれましたが、このパネルでの12名ほどの若者の議論には素晴らしいものがありました。

若者たちとの交流はいつも楽しいものですし、先輩の大事な役割です。

私も2日目のWorkshopで「Global Agenda in Post-Fukushima」で対話をしようという趣向で、石倉洋子さんがmoderatorをしてくれました。このセッションでは、どちらかといえば流れがもっぱら「福島原発事故」と「国会事故調」にフォーカスされてしまったので、「タイトル」とはちょっとずれていきました。でも参加されて方たちの議論がそちらへ向かうのはスイス、ドイツの方が何人も来られたことにもあるでしょう。自分でも「出来」はあんまりよくなかったと思います。これも「福島原発事故」のインパクトと、世界の関心の高さのためと思います。これも勉強です。次にはもっとフォーカスを、と思います。

St. Gallenは1971年に始まり今年で43回目です。St. Gallenの学生たち始めたもので、今でも学生がテーマを選び、組織し、プログラムを組んでいるのです。到着した夜のレセプションですが、私のテーブルでは、私ともう一人の2名以外の6名がSt Gallenの卒業生で30年、20年、10年前にこのSymposiumにかかわったそうです。このような若い時の学生として多くの社会のリーダーとの出会いと、このような会を開催する苦労の「こころ」が、先輩として好循環として戻ってくるのだろうな、と話をしながら、ちょっと先輩-後輩のつながりに感動をし、うらやましい気持ちになりました。

第2日目のWorkshopの後、すぐにホテルへ戻りチェックアウト、飛行場へ。英国Heathrowへ向かいました。

 

いろいろな講演、そしてL’Oreal賞のお祝い、国会事故調の若者たちの企画

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いろいろな会でお話しする機会を頂きます。特に国会事故調を終えてからはこれに関する講演等も、国内外で大きなテーマとして取り上げられ、お招きされる機会も多いのです。

しかし、なんといっても私の関心、懸念の中心は、どんどん変わる世界の中での日本の方向です。そんなこともあって、国会事故調の話題といっても、これの意味することをもっと大きな枠組みでお話しすることが多いのです。今年のこのサイトでも触れているDavos、Stanford、OECD、UCLAなどでもこのような骨格で、福島原発事故の意味、グローバル世界と日本の課題等について、「Uncertain Times: Changing Principles」などというタイトルで、適宜に内容を修飾しながら話すことが多いのです。

この2週間では、東京倶楽部青山社中などでお話ししました。前者ではここで何回か紹介しているH-LAB1)の応援もしていただけそうな雰囲気になりましたし、後者ではなんといっても政策等への熱気あふれる若者中心ですから大いに議論が沸いて、楽しい時間を持ちました。

もう一つうれしい会がありました。それは黒田玲子さんL’Oreal賞を受賞のお祝いの会です。英国で10年ほど研究者として過ごし、20数年前に帰国、その当時からのお付き合いです。ご自分の研究ばかりでなく、総合科学技術会議、国際科学者連合(ICSU)などでも大変活躍されていました。とてもうれしいことです。

一方で、大学生が中心になって「国会事故調をわかりやすく広める企画」(1,2)が開催され、そこでも参加しました。このような自主的な企画はぜひ応援したいです。

5月1日からはSt. Gallen、そして英国Sussexへ出かけます。

 

私の受賞お祝いの会と吉川先生の「3つの層」の言葉

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去年、私が委員長を務めた”憲政史上初”という福島原発の「国会事故調」に対して2つの受賞、AAASのScientific Freedom and ResponsibilityとForeign Policyによる「100 Top Global Thinkers 2012」がありました。

このことを祝ってあげようと主として科学者サークルの友人たちが企画したとても楽しい会がありました。国会事故調にもいくつかの大事な指摘を頂いた元東京農工大学学長の宮田清藏さんが音頭取りで企画してくれたのです。私の国会事故調についての講演との組み合わせです。

私にとって、国会事故調に対するこのような世界の高い評価はとてもうれしいことですし、これだけの仕事を6か月という短期で達成できたのは、特に事故調のチームを中心とした多くの人たちのおかげです。

この会は東大総長、日本学術会議会長等をされた私の尊敬する吉川弘之先生の国会事故調と私の紹介で始まりました。吉川先生は21世紀に入ってすぐに、特に日本学術会議と世界の科学者アカデミーの大転換にあった時に、両方で責任ある立場でとても苦労され、日本学術会議では会長、私が副会長として、そのあとを私が会長と、何年もご一緒に仕事をさせていただいたこともあり、私のことはよく理解されているといつも思っていました。

しかし、予測もしなかったことですが、先生はこの成果について「3つの層で喜んでいる」と始められ、私の行動についての考察をされました。こんな話の展開になるとは、私も思いもしないことでしたが、多くの皆さんもと思いますが、私も感動しました。この吉川先生の「3つの層」については、出口さんのメルマガ
(英訳はこちら)がかなり正確なので、ぜひ目を通してください。当日の写真もいくつか掲載されています。

石倉洋子さんのblogにもこの集まりについて書いてくれています。

米英豪、ノルウェー、スイス、藤崎駐米大使などの参加とご挨拶ほか、根本大臣ほか何人かの参加の国会議員の方々にもご挨拶いただき、ドンペリ、KENZOワインなど、とてもとても楽しい会でした。

皆さん温かいお気持ちを感じる集まりでした。ありがとうございました。

 

San Francisco

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4月12日の午前、東京大学の入学式に参加して、一時、浜田総長ほかの方たちと、しばし歓談し、成田へ向かいました。San Franciscoで開催されているAmerican College of Physiciansの年次総会があり、わたしも ‘Meet the Professor’で‘Why Fukushima Happened: What You Can Do from Tomorrow’で、1時間ほど話をすることになっているからです。

この年次総会には2011年には参加しましたが、2012年は国会事故調の活動中でもあり欠席。

San Francisco には同じ12日の午前に到着、ホテルで一休みして学会の開催されているMoscone Centerへ。California には今年3度目となります。相変わらず青く透き通った空、素晴らしい天気です。

わたしのセッションは、思った以上に、150人ほどでしょうか、多くの方が参加され質疑応答も途切れなくありました。皆さんがそれぞれの立場で関心が高いと思いました。2011年にこの年次会でお会いしたMona Khannaも参加、去年も東北訪問に来ているので、被災地のことが気になるのでしょう。

夜は日本支部のレセプション、小林会長はじめ、今年のFellowほか何人も会員が参加、また多くの理事、会長なども顔を出され和やかな会となりました。 いつものことですが、前田先生にはお世話になります。

翌日は最終日、ディナーをUnion Square近くのScala’s Bistroに6人の方たちと。土曜日の6時ですが満杯でした。

明日は日曜日、何人かはNapaを回ってから、私は午前に帰国の途につきます。

 

New Delhiから

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Rio de Janeiroから帰国して3日後、3月3日~6日、New Delhiに行ってきました。久しぶりでしたので空港もきれいになり、街並みも以前よりも変わっているように思いました。しかし、10年前からの中国の変化に比べるとそれほど目立った変化ではないようにも見えます。

主要な目的は「India-Japan Cooperation on Disaster Preparedness and People’s Networkという会議での講演と、そこで主役のNational Disaster Management Authority(NDMA) とその指揮下で活動するNational Disaster Response Force(NDRF) の方たちとの内部の会議に参加することです。友人のDr. Sunil Chackoさん(1)が企画したのです。

インド政府は日本の協力に熱心ですし、また原子力発電もあり、福島原発から学ぶことも多いこともあり、私を招聘してくれているわけです。元東北大学で今回の災害でも活躍している上原鳴夫先生(医療事故関係で12、3年ほど前にもお会いしています)も参加。

滞在中に多くの政府関係者、高官にもお会いしましたが、5年前に初めてのHideyo Noguchi Africa Prize12)の時にしっかり私を支えてくれた外務省の駐インド塚田公使も、この会議の間に長い時間を付き合ってくれて、主催者側も大変に喜んでくれました。

インド政府のNDMAは消防、警察、軍隊とは別の組織で約11,000人が10か所に配置されている、という組織です。2011年3月の東日本大災害の時にはAlok Avasthy指揮官による50人ほどのチームが宮城県女川に派遣1)され、初期の災害救助と対応に活躍しました。そのお礼も兼ねているのですね。一人ひとりの隊員にご挨拶、私のPower-pointsもAvasthy指揮官にお渡ししてきました。

こんな政府とも独立した活動も外交の基本だと思います。国家の間でも、常日頃のいろいろなレベルでのお付き合いが大事なのです。

 

国会での国会事故調ヒアリング: 新しい第一歩となるか?

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私たちが約6ヵ月間の苦闘した憲政史上初めての「国会事故調(国会による福島原発事故調査委員会)」。この委員会の「提言1」をうけた委員会が衆議院に設置され、この衆議院の委員会による私たち国会事故調のヒアリングが、4月8日の朝の9時半から午後5時半にかけて衆議院で開催されました。10人の委員のうち、大島委員を除く9人が出席しました。

2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故から約6ヵ月半後の9月末に、この憲政史上初の事故調査委員会の法案が成立、事故から9ヵ月後の12月8日に、国会で私たち10人の委員に辞令が発令されました。

そして2012年7月5日に委員会報告書を両院議長に提出。その後さらに9ヵ月を経て、ようやく私たちの報告書のヒアリングとなったわけです。

今の時代です、このセッションは、ありがたいことにウェブで見ることができます。議事録も読むことができます。

何事も初めてということには時間のかかるものです。委員の皆さんもとても頑張ってくれました。私も何しろ初めてのことでとても疲れました。

このヒアリングの国民の皆さんの評価はどんなものでしょう。

これから、どんな展開を見せるでしょうか。

最後に、以下のようなメディアの報告がありました。

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国会事故調が自由報道協会「知る権利賞」を受賞

福島原発事故は世界に大きな問題を投げかけた大事故でした。世界の各メディアも特に事故から始めの数週間は大きく報道しました。そして、国内外の報道の在り方については、いわゆるソーシャルメディアなどを介して、いろいろ違いのあったことはかなり知られてきたように思います。その一部には、日本の大手メディアと記者クラブの存在が関与していることも従来から知られていました。福島原発事故をめぐってメディアの在り方もいろいろな検証もされ、いくつかの本(例えば、牧野洋著「官報複合体」上杉隆・烏賀陽弘道著「報道災害[原発編]」Martin Fackler著「「本当のこと」を伝えない日本の新聞」など)も出版されています。

この問題意識を新しいメディアなどを通じて活発に発信し、活動するジャーナリストも目立ちました。そのような活動を通して結成された自由報道協会という団体があります。主として「記者クラブ」制度に属しないジャーナリストたちによる団体です。

国会の中には、行政府である官邸や各省庁にあるような記者クラブはないらしいのですが、国会事故調は委員会を公開とし、ウェブでも多くの方に見ていただけるようにし、委員会後の記者会見も公開しました。しかも第1回の委員会を除き、英語の同時通訳付きです。

ちょっと古い話になりますが、この自由報道協会が、私たちの国会事故調に第2回自由報道協会賞 「知る権利賞」という賞に選んでくれました。受賞の日に私はダボスに行っていましたので失礼し、大島委員、宇田さん他の方に出席していただき、私の挨拶(PDF)代読(0:49:40~1:02:10のところ)していただきました。

いい意味で国会事故調チームの活動が認められるのはうれしいです。

民主制度を機能させるのには、その「カタチ」ばかりでなく、政府も、メディアも、国民一人ひとりにも恒常的な努力が必要なのです。