カンボジア、そして新しい縁結び

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以前、このブログでワタミの渡辺美樹さんをご紹介しました。「夢を実現させよう」と広く発信し、実践している素晴らしい起業家です。教育にもとても熱心で、自分で学校を経営し、またカンボジアで学校建設を手伝い、教育に貢献をされています。若者を元気づける本もいくつか書かれています。

もう一人の友人に、McKinsey日本支社長のエアン・ショーさんがいます。あの大虐殺が起こっていた頃にカンボジアからフランスに逃れ、そこでも苦労を重ねつらいことを多く経験しながら勉強し、いまやMcKinsey JapanのTOPです。とても真摯で素晴らしい方です。

先日、このお二人を引き合わせました。私は海外でしたのでお二人の昼食会に参加できませんでしたが、とてもいい時間をすごしたようです。

カンボジアという共通のテーマで協力関係が進むでしょう。楽しみです。

このような素晴らしい方々の「縁結び」も楽しいものです。

インドとカリフォルニアと東京

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東京でIndian Institute of Technology(IIT)University of California at Los Angeles(UCLA)University of California at Berkeley(UCB)の日本同窓会の主催で、“インド-日本-アメリカの関係”という楽しい集まりがありました。

前インド大使の榎木さんや前駐日インド大使のSethさんも参加され、パネルがあり、また楽しいNetworkingの時間でした。集まりの様子はanimoto slideshowで見れます。

この様な会合が開催されるのはうれしいことです。

TEDが東京へ

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TEDが東京へ」といわれて、「いよいよ来たか」と思う方は相当な人ですね。でも本当なのですよ、これが。

5月22日、TEDxTokyoがお台場の科学未来館で開催されました。200人限定で全て英語。日本の方は40%までという設定。私もお手伝いしたのですが、ライブの時間は最長でも1人18分と限る方式で進められ、TEDからいくつか選んだ映像も織り交ぜながら、とても楽しく、そしてinspireされる一日でした。

企画の2人、Todd and Patrickの息のあったコンビ、テンポのよい司会進行がとてもおしゃれ。

TEDxTokyoのサイト、また、本場のTEDのサイトも訪ねてみてください。

ボランティアで参加した多くの若者たちに感謝。

好機を捉える、大変革のとき。しかし、リーダーはどこに?

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日本の状況はすこぶるよろしくありません。もちろん世界中がよろしくない状況です。変革を起こし、政治、産業、経済、教育等々、将来の展望を皆が模索しているところです。

私の国家ビジョンについては、今年の始めから繰り返し発信していますが、4月25日発売の週刊ダイヤモンドにも「クリーンエネルギー技術を、中国・インドに売り込め!」というインタビュー記事が掲載されました。相変わらず、変われない理由、できない理由を言う人たちばかり。政治家も、産業界でも、リーダーたるものしっかりして欲しいものです。

民主党の党首が鳩山さんになりました。政治はどう動くでしょうか?

日本では公的資金の“投売り的”な補正予算の話ばかりで、もっぱらこれが政局がらみになっています。既得権グループへの“ばら撒き”の様相、または省庁の“つかみ取り”の様相です。将来への展望、ビジョンが示されず、せっかくの大転換のチャンスを捉えていないのです。誰かさんたちの無責任な大笑いが聞こえてきます。

科学技術政策も同じです。降って沸いたような3,000億円の大型補正予算ですが、これを何にどう使うのか?皆さんも良く見ておいてください。オバマ大統領の科学政策とはずいぶん違います。

若者に投資しない国に将来はありません。グローバル時代へ向かう若者たちには、広い世界を見せ、体験させることが大事なのです。若者たちこそが将来の財産なのですから。

Torontoから-1

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写真1: トロント大学Naylor学長と

5月1日、Washington DCからTorontoにやってきました。5年ぶりになります。今回はUniversity of TorontoMunk Center for International Studiesへの訪問が主目的です。

まずは、Le Royal Meridien King Edward Hotel にチェックインし、一息ついて出かけます。

最初の訪問では、DirectorのJanice Steinさん、Vice-President for University Relations のJudith Wolfsonさん、L.J. Edmondsさん、そしてGRIPSの角南さんと、今年の「Japan-Canada修好80周年」計画の打ち合わせ。特に広い意味でのイノベーションに焦点を絞ろうと双方で提案をしました。しかし、向こうの3人は、女性で皆それぞれがPhD、弁護士、政府関係など、多彩なキャリアを持っており、たいしたものです。

ところで、75周年のときは日本学術会議と「Gender Issue」をテーマで会議を開催し、そこから「日本-カナダ女性研究者交流プログラム」 が始まっています。

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写真2: Munk CenterでSteinさん、角南さんと

ちょうど講堂ではMunk Center Asia Institute主催の「Asian Foodprints」が開催されており、ちょっとのぞきました。今回が第1回目ということで、食から知る文化、今年は「China、Hong Kong」がテーマで、とても面白そうでした。

その後、学長との面談。5年前に訪問した時は、現在のUC Berkeleyの学長に就任する直前だったBirgenenauさんと学長室で昼食をとりました。就任間もないDr. David Naylorさん(写真1)ですが、私と同じ医師であり、医学部長だった方です。まだ若いですがなかなかのキャリアがあり、共通の話題も多く話が弾みました。

その晩は、Munk Center Asia Institute主催の「食から知る文化」のdinner。お客様も大勢で、所長のJohn WongIto Peng教授をはじめ、Stein, Wolfson, Edmondsさんも参加、全体がすばらしい企画でした。来年は日本をテーマにするということです。会場では在トロントの山下総領事在トロント国際交流基金 鈴木所長ご夫妻にもお会いしました。

7月には天皇皇后両陛下がカナダをご訪問されます。これも皆さんの話題になっていました。うれしいことです。

オバマ大統領のスピーチと科学技術政策

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Washington DCにやって来ました。東京を出発する前夜の27日、オバマ大統領がNational Academyの総会で、科学技術に関する政策についてスピーチがあり、インターネットのライブで聞きました。National Academyでスピーチを行った大統領は4人目で、しかも20年ぶりだということです。National AcademyのWebサイトでこのスピーチを見ることができます。力強い、将来を見据えた素晴らしい構成と内容です。

科学技術研究開発(R/D)への投資をGDPの3%を目指すという目標を掲げ、さらに将来へ向けて一番大事なこととして、特に数学と科学教育の予算増を挙げ、その内容について踏み込んで明確にコミットメントを示しました。これらの政策は従来からNational Academy等の独立したシンクタンクから提言されている政策、つまり客観性を保証した、しかも根拠を明確にした上で予算化しているということです。このプロセスは大事です。

現在の経済危機ではこうした「将来への明確なメッセージ」、つまり将来への明確な展望とコミットメントが大事なのです。

日本の大型補正予算でも、新しい予算でもいいですが、この経済危機的状況では、まず(1)さしあたりの出血への手当としての支出、(2)この2~3年の雇用と社会保障、そして医療等の社会インフラへの手当て、そして(3)将来の社会像を見せる新しい産業と成長への投資、つまり新しい産業の「芽」としての基礎研究と、人材の育成に多く予算をつぎ込むなどが必要です(今の教育制度へいくらつぎ込んでもグローバル時代の人材育成へとはあまり効果はないでしょう。OECDの中でも日本の教員予算はあまりにも少ないです)。
各省庁から出てくる政策ばかりでは変わらないでしょう。官邸で行われる有識者の総理への提言をみてください。どの程度上の(1)~(3)の視点に立った提案がされているのか、皆さんで調べてください。私の提案もこの中の「低炭素、環境」で見ることができます。

政治家のリーダーシップと社会へのメッセージは多くの人々に力を与えるパワーがあるのですけどね・・・。

「出る杭」を伸ばす他流試合

4月17日のブログでGairdner賞について書きましたが、その中で、京都大学の2人の教授、森和俊さんと山中伸弥さんが主として日本での研究成果で受賞したと紹介しました。これまでの日本人受賞者の経歴から見ても、珍しいことだったことが見て取れると思います。

森先生は、若いときに退路を絶って米国で研究するようになりました。日本プロ野球の、ある意味「ムラの掟」を破ってメジャーに行った野茂投手(私と石倉洋子先生が書いた「世界級キャリアの作り方」でもこの事の本質を書いています)を見ても、米国で置かれた立場の、切なく追い込まれている感じが出ていませんか。

若い時にこのような境遇の中で実体験を積んだ経験があるということも「出る杭」の特徴の一つでしょう。これは「出る杭」がブレイクするのに大事な条件だと思います。特にこのフラットでグローバルな時代ではね。研究に関してだけじゃなく、世界中のどんな分野においても、成功している人たちに共通して見られるパターンです。組織でなく、個人で修羅場をくぐる経験、そして多くの異質な人たちとの出会い。これらは何物にも代えがたい「人生の心棒」をくれるでしょう。世界観も変わるでしょう。

最近、この山中先生と生体肝臓移植を確立した田中紘一先生と鼎談を行う機会がありました。山中先生も日本の研究者としてはとても“変”な「出る杭」の経歴の持ち主です。紆余曲折の経歴、しっかりしたお考えで「iPS」という多様な細胞に分化可能な細胞を皮膚細胞から作成したのです。この田中先生、山中先生、そして私の鼎談の記事は、下記からPDFをダウンロードしてみることができます。

 「iPS細胞作製で、日本の研究環境は変わったか」 (DOCTOR’S MAGAZINE 2009年5月号)

科学雑誌「Science」でも2008年のBreakthrough of the Yearで山中さんを取り上げています。このInterview記事はWebで見ることができます。英語での受け答えなど、なかなか落ち着いていますよね。たいしたものです。

若い人を伸ばす、若者を世界に触れさせる、これが日本の人材育成に一番欠けている部分なのです。

外科医 木村 健さん:日米の「違い」から学ぶ実践的改革

アイオワ大学で小児外科医として腕を振るってきた木村 健先生と久しぶりに対談の機会がありました。

日米では社会制度も医療制度も医師の教育や研修にも大きな違いがあります。実体験に基づく違いを知ることによって参考になる点を、そしてどのように日本の制度にあわせながら、この悲惨な「医療崩壊」の現状を変えていく参考になるのか、考えさせられるところも多いです。

木村先生は広島大学での「医学部付属病院」から「大学付属病院」への思い切った大学病院改革にも、お力添えされました。これも大いに参考になります。

「違い」の本質を身をもって体験から知ってこそ、実践的な“知恵”が出てくるのです。実体験のない“知識”は今の日本の「医療崩壊」のような修羅場にはあまり役に立たないのです。

この対談が医学界新聞に掲載されましたので紹介します。

 「Principleのない日本、“医療崩壊”の打開策とは」PDF

“できない理由”を言わないで、どうしたら“できるか”を考え、行動することこそが、責任ある立場の人たちの責務であり、リーダーなのです。今こそ、そのような人たちが本当に必要なのですけどね。

La Jollaから、Entrepreneurship会議

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Kauffman財団 は「Entrepreneurship」(「起業家精神」とか、「進取の気性」(梅田望夫:「ウェブ時代 5つの定理」)とでもいいましょうか、何も事業ビジネスのことだけではありませんから)にフォーカスした財団で、去年はGlobal Entrepreneurship Weekを世界に展開し、日本でも本田財団の協力を得て、私の所属する政策大学院大学と京都でいくつかのプログラムが開催しました

このKauffman財団とUCSD(University of California San Diego)の共催で、“What Industry Wants from Universities”というテーマで、米国、英国、日本、カナダの4カ国で2日間の会議が開催されました。各国から数名ずつ参加し(ホスト国の関係者もいるので、米国の参加者は当然多いですが)、政策を含めて議論しました。プログラムの内容もなかなかで、有意義な会でした。特に英国からの参加者の、ウィットに富む発言は会議の議論の進行を和ませました。このセンスは素晴らしいものです。

会議の内容については、いずれWeb等に出たところでお話しましょう。

日本からの参加者は、私の他に、GRIPSの角南さん東北大の原山さん東大先端研のKnellerさん、そしてWilliam Saitoさんの5名でした。これは珍しいメンバーですね。皆さん、ここ数年は日本で仕事をしていますが、海外で教育を受けたりキャリアを積んだ人たちばかりでした。

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写真1: 日本からの参加仲間
このほかの写真はPicasaにUPしています。

気持ちの良い気候と素敵なキャンパス、そして楽しい仲間達というところですかね。何かすっかり気分が晴れやかになりました。会議が終わってから“Calit2”を案内してもらいました。土曜日で人は少なかったですが。

San DiegoはちょうどWBCの始まる直前でした(日本の優勝、素晴らしかったですね)。

しかし、やっぱりCaliforniaは明るい。素敵なところです。

タヒチ-4 (吉田松陰のこと)

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先日のブログ「タヒチ-3」で、灯台の入り口にあるプレートの写真を掲載しましたが、そこには以下の一文が記されています。

“ Robert Louis Stevenson、Tahiti 1888
‘Great were the feelings of emotion as I stood with mother by my side and we looked upon the edifice designed by my father when I was sixteen and worked in his office during the summer of 1866.’”

これを見たときに、「これだ!」と感じたのです。

Robert Louis Stevenson(1850-94) は「宝島」、「ジキル博士とハイド氏」などで知られる英国の作家ですが、両親、そしてお祖父さんも灯台を作るエンジニアの一家なのです。Robertは身体が弱く、家族の期待には応えられなかったのですが、文学に才能を発揮します。1874年、フランスで病気療養中、10歳年上の子連れの米国人女性と恋仲になります。病弱で死にそうになりながら1879年に渡米し、Californiaにやってきます。そして1880年に結婚するのです。

Robert Stevensonは1880~87年に家族とともに英国に帰りますが、父親の死とともに母親と家族を連れて米国へ戻り、翌1888年に太平洋に旅立つのです。ここTahitiのプレートは1888年、その年なのです。

彼は1894年暮れに太平洋の島で44歳で亡くなります。Wikipediaなどで彼のことを調べて見ると実に面白いです。人間の歴史がここにあります。

このプレートを見て「これだ!」と感じたのは何か。それは吉田松陰(1830-59)のことです。この松陰とStevensonの奇妙な関係をいつか紹介したいなと、実は何年も考えていたところだったのです。2007年5月の「天皇陛下のリンネ誕生300年のご講演」についても、いつ紹介しようかと随分考えました。

近代日本を立ち上げる大事な精神的きっかけを作った一人が吉田松陰です。彼の松下村塾は、明治維新にいたる多くの志士を生み出しました。この松陰のことを初めて書いたのが、実はこのStevensonなのです。それは1880年3月に「Yoshida-Torajiro」(吉田寅次郎とは松陰の通称)というタイトルで書かれていて(Cornhill Magazine 41)、1882年に「Familiar Studies of Men and Books」として一冊の本にまとめられて出版されています。

これは、松陰の死後20年目に英語で書かれています。では、誰が松陰の話をしたのでしょうか。その答えはStevensonのエッセイの初めに書かれています。「Taizo Masaki」です。

正木退蔵、東京工業大学(当時の名前は違いますが)の初代学長です。正木とStevensonの関係について触れているサイトはいくつもありますので、調べてみてください(参考: 123456) 。

また、“よしだみどり”さんの本で「日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 烈々たる日本人―イギリスの文豪ステーヴンスンがなぜ?」(2000年)というものもあります。いろいろと調べてみて、この不思議な縁と、偉大な松陰のこと、そして“教育の本質”について考えてみてください。

混迷の今の日本に松陰はいずこに?

それにしても、Tahitiでこのご縁に出くわすとは思いませんでした。