4月17日のブログでGairdner賞について書きましたが、その中で、京都大学の2人の教授、森和俊さんと山中伸弥さんが主として日本での研究成果で受賞したと紹介しました。これまでの日本人受賞者の経歴から見ても、珍しいことだったことが見て取れると思います。
森先生は、若いときに退路を絶って米国で研究するようになりました。日本プロ野球の、ある意味「ムラの掟」を破ってメジャーに行った野茂投手(私と石倉洋子先生が書いた「世界級キャリアの作り方」でもこの事の本質を書いています)を見ても、米国で置かれた立場の、切なく追い込まれている感じが出ていませんか。
若い時にこのような境遇の中で実体験を積んだ経験があるということも「出る杭」の特徴の一つでしょう。これは「出る杭」がブレイクするのに大事な条件だと思います。特にこのフラットでグローバルな時代ではね。研究に関してだけじゃなく、世界中のどんな分野においても、成功している人たちに共通して見られるパターンです。組織でなく、個人で修羅場をくぐる経験、そして多くの異質な人たちとの出会い。これらは何物にも代えがたい「人生の心棒」をくれるでしょう。世界観も変わるでしょう。
最近、この山中先生と生体肝臓移植を確立した田中紘一先生と鼎談を行う機会がありました。山中先生も日本の研究者としてはとても“変”な「出る杭」の経歴の持ち主です。紆余曲折の経歴、しっかりしたお考えで「iPS」という多様な細胞に分化可能な細胞を皮膚細胞から作成したのです。この田中先生、山中先生、そして私の鼎談の記事は、下記からPDFをダウンロードしてみることができます。
「iPS細胞作製で、日本の研究環境は変わったか」 (DOCTOR’S MAGAZINE 2009年5月号)
科学雑誌「Science」でも2008年のBreakthrough of the Yearで山中さんを取り上げています。このInterview記事はWebで見ることができます。英語での受け答えなど、なかなか落ち着いていますよね。たいしたものです。
若い人を伸ばす、若者を世界に触れさせる、これが日本の人材育成に一番欠けている部分なのです。