科学者の不正行為

科学者の不正行為が大きな社会問題になっています。世界のどこででもこの問題は起こりますが、これには様々な背景があります。 8月31日にこの問題について総合科学技術会議でお話ししました。

内容は、“研究費を受け入れ、執行、管理する能力が大学等にまだないこと”そして“研究費の管理が研究者にまかされていること”、“米国のシステムを一部取り入れても日本の社会構造と整合しないことがあること”、“日本では研究に対して指導者の責任と指導の能力が弱いこと”、また“大学初ベンチャーとの関係についても研究者に責任が押し付けられている現状”等々です。最後の点については、2004年7月30日の朝日新聞に掲載された「私の視点:治験と株保有 強制力ある規制が必要」でも指摘しています。科学者がもっと発言することが必要です。

また、“不正行為”と“間違い”は別物であることを明確にしておくことの大事さも強調しました。これらについてはまた改めて書くつもりです。

9月3日の読売新聞朝刊に、「研究者こそ改革の旗手」というタイトルで私のコメントが掲載されました。

韓国の黄教授のES細胞不正事件のときにも、東京新聞(2005年12月23日、朝刊)に私のコメントが掲載されています。

また今年もノーベル賞発表の季節がやってきますね。

Arts, Technology and Science

東京大学の安田講堂で“Arts, Technology and Science”というテーマの講演会があり、パネルに参加しました。

夏休みでしたが400人ほど集まり、結構な盛会でした。アインシュタインとピカソなどについての著作がありますが、元はMITの物理学者で科学を学び、今はImperial College of Londonで哲学を教えているArthur Miller教授や理化学研究所の野依先生等の講演があり、美術館や舞台や照明デザイナーの方などの参加もあって、大変面白かったです。

いろんな方のブログでも取り上げられていました。
(参考) http://d.hatena.ne.jp/lackofxx/20060831
     http://nanax.exblog.jp/5586872

しかし、なぜ最近になって急に「科学とアート」という考えが出てきたのでしょうか?なんとなくそんな気がしませんか?考えてみてください。

本来はアートも科学も同じ根っこだと思いますが、なぜ最近になってこの話題が目立つのでしょうね。

UNESCO講演会と国連大学ウタント講演会~ハタミ前イラン大統領と会いました

8月23日・24日にUNESCOと国連大学の共催で「グローバリゼーションと科学技術」というタイトルの国際会議が横浜で開催されました。 1日目の23日はUNESCOの戦略局長のd’Orville氏とパネルの司会をさせていただきました。UNESCO事務局長の松浦さん、タイのSirindhorn王女の講演等、充実した内容でした。(会議のプログラム、講演資料等はhttp://www.unu.edu/globalization/で見ることができます。)

翌日24日はイランのKhatami前大統領を迎えイラン大使館で夕食をし、翌日は国連大学と日本学術会議が共同で主催しているウタント講演会で開会の挨拶をしました。
この講演は元国連事務局長のUThant氏を記念した講演会で、毎年2~3回開催し、国家元首やノーベル賞受賞者クラスの方が講演をされます

Khatami氏の講演のタイトルは「Dialogues Among Civilizations」というもので、大変格調の高いものでした。私ははじめの挨拶で、人間には一人ひとりに、年長-年下、男-女、夫-妻、父-息子、先生-生徒、部下-上司などといった複数の「Identity」があり、みんなが同じであるはずのないこと、そしてこの「Identity」が時に暴力の元になること、特に宗教の違いが暴力の元になりがちで、多数が少数意見を無視したり、意見の違いを認めないことが間違いを起すこと、「Identity」の多様性や違いがあるからこそ楽しく面白いのであるから、人間同士が理解しあえるために対話が必要なのだと言うことを話しました。(宗教の違いが民族の違いということに結びつく。これは最近購入したAmartya Sen氏の「Idendity and Violence」という本の趣旨でもありました。)

講演のあとで、Khatami氏が私の話を評価してくださり、この話の趣旨をこれからもっと伝えていきたいと話されていました。京都での宗教者会議に出席したあと、Tehranに戻り、3日後にはアメリカへ行くそうです。イランは微妙な国際政治の真っ只中にあるのです。

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戦没者慰霊祭と国家の品格

早朝の小泉純一郎首相の靖国参拝で始まったこの日、正午からは、毎年、戦没者慰霊祭が行われます。天皇皇后陛下のお言葉のあと、首相、衆参両院議長等々が慰霊の柱へ慰霊の言葉を述べ、一人一人が献花をします。私はこの4年、慰霊祭に毎年出席してきました。日本学術会議の会長は日本の科学者の代表として、毎年献花をするのです。

これは素晴らしいことだと思います。3年前、友人の研究者がこれを見てとても感動したと言っていました。国の「学」の代表をこの様な形で扱う国は、なかなかの見識を持っていると思います。

昨年、学術会議主催で「アジアのダイナミズムと不確実性」というかなり過激なテーマの国際会議を開催しました。中国、韓国、インド等、各国の論客をお呼びし、日本からは政治学のリーダーである五百旗部(いおきべ)真氏、田中明彦氏、猪口孝氏等が参加くださいました。この会議は100名程度で「クローズド」にしました。お分かりだと思いますが、靖国参拝問題が議題になることが明らかだからです。そして、やはり問題提起として議論されました。

この議論の中で、インドネシアの著名なシンクタンクCSISのワナンデイ所長が、国(日本)の正式な戦没者慰霊は8月15日の天皇皇后陛下の来られる戦没者慰霊祭で、靖国とは別にあるという話をされました。そこで私が、この慰霊祭では学術会議の会長は必ず出席し、献花をしていることを伝えると、素晴らしいことだと感心されていました。

こういったことが国家の品格を表すのです。この様なことを深く考える人は多くないかもしれませんが、そんな国では困るのです。ちょっと考えてみてください。

躍動するシンガポール、そして「ウェブ進化論」

モンゴルから帰国した2日後に、今度はシンガポールに4日間行ってきました。シンガポールはすごい活気ですね。日本と違い若さとエネルギーに溢れています。明確なヴィジョンの政索のもと、国が世界へ開かれています。もちろん、人口が400万人程度ですから日本と違う政策をとるのは当然にしても、日本の「鎖国マインド」との違いは明らかです。

アジアのバイオセンターを目指すバイオポリス(BioPolis)に行き、5年前からこちらで活躍している伊藤嘉明先生(元京都大学教授、ウイルス研究所長)にもお会いしてきました。先生が京都大学からここに拠点を移した時には、日本から10人のスタッフを連れてきたそうです。いまは人の入れ替わりがあり、日本人が6人程度で、国際色豊かなチームになっているそうです。楽しそうですね。このような機会を掴む若者がもっともっと増えることを期待しています。世界の若者と仕事を通して沢山の時間を共有し、沢山の友達を作ること。これは間違いなくすごい財産になります。

いまや研究の仕事も場所もグローバルなのです。活躍の場所を日本に限ってしまうことは、意識はしていなくとも日本の権威にすり寄る心情になりますし、世界を目指しているのであれば、あまり意味のないことです。例えば、サッカーで世界を目指す時、若いうちから世界で育たないと「日本の常識」が知らず知らずのうちに身についてしまい、世界とはちょっと違うな、ということになってしまうのです。サッカーの中田英寿選手がそうでしたね。今回のドイツのワールドカップに出場した日本チームに欠けていた何かを、皆さん何となく感じたと思います。でも、それが何かわかりますか?本当の意味で、独立した個人としての経験をしていないと、これがなかなか見えてこないのです。

この喩え(たとえ)は、2005年5月の科学新聞に掲載された座談会「オープンアクセスで何が変わる?」(2005/5/20・27)に分かりやすく紹介されています。世界は広いのです。自分の将来は自分で掴みに行かないと、というところでしょう。

私と石倉洋子さんの共著「世界級キャリアの作り方」でもこのような視点を示しましたが、梅田望夫氏著書の「ウェブ進化論」にもこのような視点が示されています。これは「Google」という怪物とその背景を書いたものです。Googleの発想はすごいですね。梅田さんの説明と展望には教えられることが多いです。ぜひ読んでみてください。きっと知的好奇心、想像力をかき立てられるでしょう。もしそうでなければちょっと考えたほうがいいですよ。結構、脳が老成しているのかもしれません。

モンゴルから-続き

モンゴルについては、http://www.mongoliatourism.gov.mn/http://www.oneearthadventures.com/gobi/people/people.htmを参照してください。

モンゴル滞在3日目の8月7日、アカデミーで名誉会員を頂きました。これには「たまたま私が日本学術会議の会長なので、日本の科学者を代表して頂いておきます。これからもモンゴルと日本の学術研究交流の推進に向け、皆で協力していきます」と返礼しました。モンゴルの礼服を着て皆さんと記念撮影をし、私と同行して頂いた獣医学・食品安全等がご専門の唐木英明会員ともども講演をさせていただきました。

8日の午前2時頃に、後発の春日文子会員が合流し、皆で国際モンゴル研究会議に出席しました。この会議は数十年の歴史があり、参加者はロシア、ドイツ、東ヨーロッパ、中国からなどで、国際的な広がりが感じられました。会議では市橋在モンゴル日本国大使が力強いご挨拶をされました。聞くところによると、この会議の会長は日本人だそうです。お名前を伺えず、またお身体の具合が悪いとかでメッセージが読み上げられました。お会い出来ずに残念でしたが、会長が日本の方と言うことを知り大変嬉しく思いました。

9日に帰国しました。帰国時は日本に台風が来ており飛行機が遅れに遅れ、午後1時頃帰国の予定が、夜10時なってしまいました。さすがに疲れました。飛行場のロビーでは何人かの国会議員の方々ともお会いし、また市橋大使にもお会いしました。大使館のスタッフの皆様は、翌日に小泉純一郎首相のモンゴル訪問を控えて、本当にお忙しかったと思います。ありがとうございました。

Mongol028 モンゴル科学アカデミー会長のチャドラ氏と

モンゴルから

5日からモンゴルの首都ウランバートル(Ulaanbaatar)に来ています。

モンゴルは今年、ジンギスカーンによるモンゴル帝国の成立から800年目にあたり、国家的行事が色々と行われています。私はアカデミーの交流で招かれました。10日には小泉首相も訪問される予定です。モンゴル科学アカデミー会長のチャドラ氏とは何度もお会いしていて、共にアジア学術会議にも参加している良く知った仲です。

直行便が満席だったので、成田からソウルのインチョン空港経由でウランバートルに入りました。到着したときは雨が降っていたのですが、何しろ降雨量の少ない国ですから、雨を持ってくるお客さんは大歓迎ということでした。

6日は、モンゴルの大切な財産である経典や、医薬を記載した記録、天体図等々、何百年も前の古い資料が大事に保存されている記念館を訪問しました。この記念館はアカデミーが管理しています。さらに僧院とお寺を訪問。大きな仏陀も立っていました。

お昼は、在モンゴルの市橋大使にご招待頂きました。その後、ジンギスカーンが若い頃生活していた、60キロ程離れた山の彼方に遠出しました。ここは今では自然保護地域になっています。ここからロシア国境までは600キロ程度あるそうですが、その間にはほとんど人は住んでいないようです。広い広い。見晴らしが素晴らしいです。ジンギスカーンは如何に、とつい思ってしまいます。

ロシアと中国、2つの大きな国家に挟まれ、それぞれの国境が数千キロにわたっているのですから、歴史から見てもわかるとおり大変な地域です。海に囲まれた日本では想像もつかないことです。1920年頃からソ連に直接的、また、間接的に支配され、冷戦の終わりとともに自由経済体制になり、日本も随分と貢献していますが、これもそう簡単なことではありません。

モンゴルの広さは日本の国土の4倍です。全人口が250万人。ウランバートルに約100万人が住んでいます。モンゴルの皆さんは日本人にそっくりで、今や大変な人気の朝青龍や白鳳のように体格のがっちりしている人も多く、なかなか強そうな人たちです。

Mongol013ジンギスカーンが育ったといわれる丘で、モンゴル科学アカデミー会長のチャドラ氏と、モンゴルのウォッカ(「arkhi」)で乾杯

Mongol018 ゲルの中で、右からチャドラ会長、私、唐木さん、西ヶ廣局長

東京-北京フォーラム

言論NPOに参加しています。話題の提供をしたり、私達のNPO日本医療政策機構と共同で、東京大学経済学部教授・経済財政諮問会議議員の吉川洋先生をお招きしてフォーラムの開催を行ったりしています。

この言論NPOは、昨年から年に1度、「China Daily」という中国の主要メディアと共同で、「東京-北京フォーラム」を開始しました。これは両国の関係改善を議論する、いわゆる“Track 2”と言われる、政府間ではない対話の場です。もちろん政府関係者も参加できますが、主催はNGOや民間です。昨年、北京で第1回が開催され、中国では相当大きく取り上げられました。

そして、第2回「東京-北京フォーラム」が、8月3日と4日に東京で開催されました。安倍晋三内閣官房長官と王駐日中国大使が挨拶をされましたが、これは中国の首脳にテレビ中継がされていたそうです。日本でも主要紙では取り上げられていました。午後のセッションの第1分科会に参加しましたが、ここでは中川秀直自民党幹事長の基調講演があり、これもなかなか良かったです。

中国の「China Daily」でも大きく報じられていました。

塩崎恭久外務副大臣も高校生の留学プログラムの成果について話をされていましたが、この様な“Track 2”的な対話の道から、若者や学者や民間で、現実的ないくつものプロジェクトが始まるのはよい傾向で、実際かなり動いています。日本と中国国民の意識調査では両国の関係はかなり冷え込んでいる感がありますが、この様なプロセスが市民社会のあり方の基本の一つであり、私たちのNPOや言論NPOは、これらを体現しているのです。

私は中国と日本の関係はアジア全体、ひいては世界への影響が大きいという視点から、両国だけの問題として捉えないことの重要性を強調しました。昨年、学術会議が開催した「アジアのダイナミズムと不確実性」というシンポジウムにお招きした、北京大学国際関係学院副院長の賈 慶国氏が、「中国から日本へのビザ取得が、学会に出席する学者でも結構面倒なので何とかしてほしい」という発言がありました。政府間ではまだそんなレベルなのです。

言論NPOのサイトを時々訪ねてみてください。

 

わたしと読書 本から感動を得る喜び!

最近はTVやDVD、インターネットなど、様々なツールを使って情報を得ることができるようになっているが、本を読むということは大事なことだ。

私自身は、新聞の書評欄などを見て気になる本や、人から「この本は素晴らしかった」という話を聞くと、すぐに注文してしまう。そうした本が山積みになっているが、出張の時に飛行機の中やホテルで夜中に読んだりする。面白いとついつい眠るのも忘れて本に集中してしまうので、寝不足になる。

そうして読んだ本の中で特に「これは!」と思えるものは、この3年間は月刊誌『ウェッジ』(JR東海)の「読書漫遊」で5回にわたって紹介させてもらっている。1度に3冊を紹介するのだが、その3冊をセットとしてどういうストーリーで、何を伝えたいかと考えていくことも楽しみの一つになっている。

歴史物やフィクションなど様々なジャンルの本があるが、これはというジャンルがあるわけではない。

しかし、どちらかといえば好きなジャンルは近代史のノンフェクション。実際にいた人物が、何を考え、どの様に行動していったのか、その思想の背景や文明史を学ぶことは意義があることだと思う。歴史を学ぶことは、過去を知るだけでなく、そこから現在を見つめることでもあり、そこを通して将来を見通して行く思考過程になるからだ。

最近読んで面白かったいくつかの本を紹介すると、立花隆の『滅びゆく国家―日本はどこへ向かうのか』、ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊―滅亡と存続の命運を分けるもの』、太田尚樹『満州裏史-甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』、星亮一『山川健次郎伝-白虎隊士から帝大総長へ』、M.K.シャルマ、山田和『喪失の国、インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」』、岸宣仁『ゲノム敗北―知財立国日本が危ない!』、中島岳志『中村屋のボースーインド独立運動と近代日本のアジア主義』、細谷雄一『大英帝国の外交官』等々。

このような歴史や、人物の生き様、外から見た日本とかは、実に面白い。そのように本に感動し、何かを考え、感じ取ることができれば幸せだ。

出典: 社団法人自然科学書協会 会報 2006 No.3 東京国際ブックフェア特集号

南アフリカ、ザンビア、日本の若者たちの交流

南アフリカ共和国、ザンビア、そして日本の若者による第1回スピーチコンテストが開催されました。今年2月に発表され、審査を経て受賞した9人の若者の表彰式を学術会議の講堂で行ないました。

日本からも多数の応募があり、それぞれの国から3人ずつ選ばれました。日本からは14歳と17歳、そして21歳の女子学生が選ばれ、南アフリカからは13歳と15歳の女子学生と27歳の男子学生、ザンビアからは17歳と20歳、23歳の男子学生が選ばれました。南アフリカからは最多の77の応募があったそうです。どれもすばらしい発表でした。南アフリカ大使、ザンビアの大臣、サハラ以南アフリカ大使等も参加され、すばらしい授賞式となりました。受賞した若者は、日本に1週間そしてアフリカへも1週間の予定で訪問します。

まだ小さいプログラムですが、あと何年か後には大きくなってくる日本とアフリカの交流の小さな基礎になってくれることを期待しています。

18日にもチュニジア大使とお会いしましたし、6月はケニアにも行っていました。このところ本当にアフリカ続きです。