Teach For Japan 四周年のお祝い

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松田悠介くんが、あの暑い夏に奔走していた時から始まったTeach For Japan。正式に始まって四周年の集まりがありました。

私も、4年前の夏に松田くんをtwitterで見つけてから応援を続けています(12)。

それほど広くない会場は、何とも言えない、すごい熱気のあふれる、ひと、ひと、ひと。

もちろん、私も参加。お祝いの言葉を述べました。「人生で、大事なことは、頭に詰まっている知識ではなくて、実体験からくる “こころ” で感じる感性、そして成長とともに、ことあるごとにしてきた “へその下”、つまり “選択” の “決断” なのだ」という趣旨の話をしました。

松田くんの人生を見てもそうですね。実体験が突然に湧き上がる、子供の時の実体験、何かを模索しているときに「偶然の遭遇」、その時の決断。これが人生ですね。こんなことは、いくら頭の中で考えていても何の役にも立ちません。すべては原体験と、遭遇と、決断なのですね。

彼の熱気に共感して「行動への選択」をした「フェロー」たちの実体験の話は、本当に凄いのひとこと。ついつい、ウルウルしてしまいます。隣にいた、これも熱い応援団の米倉誠一郎さんも、ウルウル。人間、意識して涙を止めることはできないのです。

国民のみんなに聞いてもらいたいと心から思った今年の「フェロー」二人の体験談、去年から1年半の活動を語るフェロー。みんな熱すぎて、その経験談のリアリティーに何とも言えない、一人ひとりの恵まれない境遇の子供たちへの湧き上がる思いを共感した夕べでした。

素晴らしい若者たちに、感謝と、明るい日本のありようを共有しました。

現場で頑張っている、このフェローたちを支援している先生たちに、ありがとう。

松田くん、皆さん、ありがとう。

そしてみなさん、応援よろしく。

東京大学でCharles Castoさんを迎えたパネル

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10月9日、東大の本郷キャンパスで「3.11後の原子力を考える」というパネルがあり、私もお招きをいただきました。東大の佐倉 統さんとTemple大のKyle Clevelandさんの司会、パネルには3.11の時にすぐに米国から派遣された、米国で原子力発電の運転・規制の実務をこなしたベテラン Charles Castoさん、事故当時の内閣官房副長官だった福山哲郎さん、3.11当時は内閣府原子力委員会委員長代理だった鈴木達治郎さん、元朝日新聞主筆で、いわゆる「民間事故調」を主催した船橋洋一さん、そして私です。

パネルでは それぞれの活発な意見の開示と交換ができました。多くの方の参加とNHKの取材が入りましたが、質疑の時間になると、いつものことですが、質問ではなくて、ご自分の意見を言う方が多いのですね。司会の佐倉さんにお願いしておいたのですが、これも日本のスタイルなのでしょうか。

福島原発事故の時に、米国と政府、東電の間のつなぎ役を果たした細野補佐官(のちに大臣)が、最後のほうで参加されました。

私としては、Castoさんが福島の事故の経験から「Crisis Management: A Qualitative Study of Extreme Event Leadership」という、300ページに及ぶ素晴らしい論文を書き上げ、博士(PhD)となったことを会場の皆さんにも紹介しました。

パネルでは、いろいろ話は弾みましたが、結局、日本はIAEAの指摘する「重篤な事故の起こった時に 住民を逃がす“深層防護”をしていなかった」ことは国内外の関係者の間では広く知られていますし、今もってその備えのない原子力発電所がいくつもあることが指摘されていました。

ではどうするのか。みなさんの意見は、ついつい各論になりがちでしたが、私は基本的な考えを繰り返したと思います。「国会事故調」の骨子は、事故の事象ばかりでなく、福島原発事故の背景にある日本社会のありかた、つまり事故は「氷山の一角」であることを指摘し、「規制のとりこ」「三権分立」などの不備、つまりは日本の統治機構の問題であることを、繰り返し説明しました。

翌日のことですが、同時通訳をしてくれていた方から、以下のメールを頂だきました。うれしいですね。

「黒川様、昨日のシンポジウムでお世話になりました、通訳のXXと申します。先生のお話、裏で伺っていて鮮烈な印象で、国民としてもやるべき事は沢山あると感じました。これからも先生のご発信などで勉強を続けて行く所存です。先生の益々のご活躍をお祈りしますとともに、お世話になりました事、御礼申し上げます。」

さっそくメールで返事をしたところ、

「お返事を頂き恐縮しております。 シンポジウムを経て、先生の発信されていらっしゃる様々な情報を拝読・拝聴し続けており、大変な刺激を頂いております。これからも先生のご発言をとても楽しみにしております。」

こんな交流が、自然発生的に起こるのも、便利なネットの時代ですね。

Castoさんとはすっかり意気投合して、帰国前日には私の仲間たちと私的な議論の場、その後はディナーと、楽しい時間を過ごしました。

HPAIR 2014: Harvard Project for Asia and International Relation

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HLAB 2014が終わった翌日の日曜日、8月24日は三田の慶応大学へ。

これもHarvard大学の学生たちが開催する、HPAIR 2014に参加するのです。

この日のパネルは「Health and Public Policy」の「What are ways in which Asia addressed its aging population and widening disparities in socioeconomic status?」というかなり先進的なテーマです。主催の学生さんたちにはHLABのことを知っている人たちもいました。

講演に参加する人たちも多彩です。

私は最終日の26日(火)にも、国際フォーラムで行われた「Academic Plenary」「Risk Management in Asia」のパネルに登壇しました(トップの写真です)。500人ほどの学生さんたちが参加、ついつい気合いも入ります。講演の後は、学生さんたちと質疑、写真撮影で盛り上がりました。

前回の日本での開催はHPAIR 2005でしたが、その時も講演の機会がありました。その時のHarvard大学側に、その後World Economic Forumに仕事を見つけ、以来、日本との連携構築に大いに活躍している土屋くんがいました。彼にも久しぶりに会うことができました。時間の経つのは早いものです。

8月22~26日の5日間に、HLAB 2014、AYDPO 2014そしてHPAIR 2014と、これからの世界を担う多くの多様な若者たちと続けざまにお話をし、若者たちの涙、涙の感動に接する素敵な時間を過ごせました。

頑張れ、世界へ羽ばたく若者たち。

沖縄へ再び、AYDPOの閉会式

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「AYDPO 2014」、今年で7年目のプログラムです。

今までも何回かこのサイトで報告1234)していますが、アジアと日本の14~16歳の若者たちが、3週間を沖縄で一緒に過ごすのです。

毎年、開会式や閉会式で、一日は参加しています。今年も閉会式に参加して講演。今年の生徒たちは「GIA Green International Academy」慶良間に作ろうという提案を考え、これを発表しました。例年のように稲嶺前沖縄県知事も参加です。沖縄の新しい目玉の一つである沖縄科学技術大学院大学の新学長、Dr. Iwamaさんもこられてご挨拶。

参加の若い人たちは共通言語の英語で話しています、上手いものです。いつものことですが、仲良しになった若者たちは、大学生たちも交え、あたらしい兄弟姉妹になって、特に閉会式は、別れを惜しむ若者たちの涙、涙の感激の時間です。

実は、このプログラムは当時の安倍内閣から始まった企画で、私も特別顧問としてお手伝いしました。このようなプログラムを持続させ、広げていくことこそが、変わる世界で活躍する、感動の時間を共有する仲間を、国境を超えて持っていく人たちを育てていくことが、とても大事なのです。

このプログラムの卒業生たちは、参加する大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒にFaceBookでつながっているのです。私も初めのころに参加された大学生で、インドネシアで活躍している若者と今でも交流しています。

Web時代のつながりは大事ですし、便利ですね。

HLAB 2014

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2011年、あの東北大震災の夏に始まったHLAB1)の季節が来ました。4回目の今年は、「終戦から69年」を迎えた8月15日に始まりました。

以前のHLABに参加した大学生や、高校生として参加した今は大学生たちが中心になって、しかも何人かは海外の大学で勉強しながらの準備で、本当にとても苦労しながら、と思いますが、ここまで来たのです。

開会式の第1日は例年のようにGRIPSです。ここから8泊9日の合宿が始まるのです。今年は、私が開会の話をすることになりました。「これからの世界と皆さんの選択」、といったテーマですが、緊張している高校生たちも多いと思ったので、「今日が始まりですが、これまでの成果をみていると、参加した高校生の40%が海外の大学にも挑戦し、合格し、そちらを選んで進学している、だから今年のあなたたちが9日後に、どんな気持ちになっているのか、とても楽しみ」という趣旨のことを、励ましの意味も込めて伝えました。

今年は、第1回から応援してくださっているHarvard大学の学部生OBで大先輩、三菱商事の槙原 Ben 稔 顧問が参加され、65年前の留学時代に学んだことなど、素晴らしいごあいさつをいただきました。

これからはじまるプログラムも楽しみですし、また後日、夜の宿舎での「Reflection」にも参加、夜11時までの時間を、何人もの高校生たちとたのしみました。

今年は、特別ですが、開会に3日ほど先立つ12日、GRIPSでYale大学卒業の立川志の春さんの「英語落語」を楽しみました。素晴らしいです。

さて、最終日の23日(土)は、再びGRIPSで。Harvard大学の竹内弘高教授も参加して修了式。みんな涙、涙の、感動モノでした。

私もあいさつで、「このような実体験こそが、これからの人生のなにかの場面で、ふとこみあげてくるときがあるだろう、このような実体験こそが人生で大事なのだ」という趣旨のコメントをさせてもらいました。

過去の参加者たちが、大学生たちがOB、OGとしてとても頑張って後輩たちを応援している姿こそが、「教育は恩返し」の精神を体現しているのだと思います。

HLABを始めた小林くんは、Harvardを卒業し、今年は東京と同じときに始まった徳島でのHLAB 2014へ出かけています。ここまで本当によくきたね、ご苦労様。

Why Not Join this MIT/Harvard MOOC Class ‘Visualizing Japan’

だれでも参加できる、MIT/Harvard ジョン・ダワーズたちの授業に参加しよう。9月3日開始です。

A first-time MIT/Harvard MOOC, Visualizing Japan opens windows on Japan’s transition into the modern world through the historical visual record. Teachers include John Dower (MIT), Andrew Gordon (Harvard), Shigeru Miyagawa (MIT/UTokyo), and Gennifer Weisenfeld (Duke). Begins September 3, 2014. FREE and open to all! 5,700 have already registered (as of August 10, 2014). Register at the following site:

https://www.edx.org/course/harvardx-mitx/harvardx-mitx-vjx-visualizing-japan-2331#.U9nU2xZH9vY

This MOOC will be followed by Visualizing Postwar Tokyo by Shunya Yoshimi of the University of Tokyo.

http://harvardx.harvard.edu/visualizing-japan

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あっという間の7月

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7月になってコラムが出せていません。申し訳ありません。なんだかんだと忙しくしていました。

6月末から7月初めにかけて末吉竹二郎さんの「CSO塾」、石倉洋子さんの「Global Agenda Seminar」、国際基督教大学(ICU)の「Global Leadership Studies」など、週末も入れて4日間連続でセミナーでした。長いものは質疑を入れて3時間超。元気な人たちが多い会はいいものです。

虎ノ門ヒルズで行われた「MIT Media Lab @ Tokyo 2014」にもちょっと参加。そして、フランス大使公邸で行われた2014年度「L’Oreal‐UNESCO女性科学者 日本奨励賞」授賞式などなど、いろいろな行事がありました。

後半にはOECDの会議でパリへ。そして、4月に報告した、Londonで始まった「World Dementia Council」に参加です。半日ほど時間ができたので、Orlangerie美術館へ行ってきました。

いろいろと予測していないことが起こるので、夏休みも忙しくなっています。

Kuala Lumpur

6月16日~20日はKuala Lumpurでした。

私が日本学術会議の活動に参加し始めた2001年から、日本学術会議の主催で、それまで日本で開催していたアジア学術会議の前身となる会議体の方針を大きく変え、アジアの国々ではじめたアジア学術会議

この新たな試みを始めて14年目、当時からのタイ、マレーシアなどの「旧友たち」との久しぶりに再会となりました。その第14回アジア学術会議へ出席でKuala Lumpur へ来たのです。この会議のテーマは「Future Earth」です。

到着の夜は、現地の宮川大使(20年前にもご当地に勤務です)のお招きをいただき大使公邸でごちそうになりました。マレーシアの科学者のリーダーたちも参加して楽しい時を過ごしました。マレー人の名前の構造などの読み方なども教えてもらいました。宮川大使のご配慮に感謝です。

私は、1日目のKeynote Speechをさせていただくことになっており、これを無事に済ませて、2日目にはパネルにも出させていただき、充実した時間を過ごすことできました。これらは、当日のうちに会議のウェブサイトに掲載されていました。

日本学術会議の大西会長、春日副会長のほかの方々も参加です。

Kuala Lumpurの街の活気はなかなかのものです。中東からの人々も目につきます。日本街を模した飲食店街が新しい立派なビルの中にもありました。

滞在中に、私たちが試みている「共同作業」のフォローアップの打ち合わせもできました。

イスラム教の国ですので、公式行事ではアルコール飲料がでないのが、私たちにとってはちょっと寂しいです。

Napa Valley Wine Auction

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6月7日の午前0時5分に羽田を出発、San FranciscoからNapa Valleyへ向かいました。うれしいことにNapa ValleyのWine Auctionにお招きを受けたのです。

ディナーに少し遅れて到着。夕方のひと時を旧くからの、また新しい友人たちと楽しく過ごしました。夜の星が東京では考えられないほど多いことに気づきます。

翌日の午前は、私たちを招いてくださった方のWineryを案内していただきました。午後からWine Auctionへ。陽射しが強く、100°F近い暑さの中、会場へ向かいます。

Auctionに提示されたのは50近いアイテムがあり。見ていると最低10万ドル程度から40~50万ドルの間でした。40近くAuctionが進んだところで失礼しましたが、多分3~4百万ドルが集まったのではないかと思います。このお金は、会場に来る途中で立ち寄った病院や、子供たちの活動に寄付されるそうです。

翌日は、Napaでゴルフを楽しみ、夕方にはAppletonの友人のところへ向かいました。この辺まで90分ほどのドライブですが、ハイウェイの両側にはWineryが次々と現れます。小さな町のThe Rose Hotelというこじんまりとした素敵なホテルに泊まりました。このような小さな町が米国の良さでもありますが、私のような都会育ちには1週間程度しか耐えられないかもしれませんね。

しかし、外の気温は100°Fを超える猛暑。もちろんこの辺りでも珍しいようで、「気候変動」でしょうね。

この辺りから、California Wineが始まったのだ、という話も聞きました。

GHIT設立一周年

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GHITとは「Global Health Innovation Technology」というファンドで、世界でも初めてという、産官が共同して日本のグローバルヘルスへの新たな貢献の仕方の試みです。ちょうど一年前の6月1日に発足しました。

何が特徴か。それは日本の「強み」と「弱さ」を補完するような「仕組み」になっているのです。日本の製薬企業にはグローバルヘルスの課題に貢献できる多くの「種」、つまり化合物や、技術があるのです。これは「強さ」です。

一方で、それらの「強さ」を生かしてグローバル世界へ展開する競争には、いくつもの内的障害があるのです。それは新卒一括採用、年功序列を基本とした組織、したがってそこには「異論」を歓迎するような企業文化、国際化への対応などのスピードが遅れているのです。これが「弱さ」です。言うなれば日本の大企業に共通するともいえる企業人の「マインドセット」の問題ともいえます。

では、GHITがなぜユニークなのか。それは日本の製薬界の大企業5社が5年間の「出資」をし、これにマッチしてゲイツ財団が「出資」。この両者の額にマッチして日本政府が、厚生労働省と外務省から資金(国民からの税金)を拠出するという仕組みです。

私は、この仕組みつくりには全く関与していなかったのですが、出来上がる最終段階で代表理事就任を依頼され、引き受けたのです。その理由は、このサイトを訪ねる方にはお分かりかと思いますが、このユニークな「国際性」です。理事と監事は国内と国外が半々ですが、評議員は出資しているゲイツ財団を含めたグループという構造です。

いろいろな集会などで、キャンペーンをしていますが、従来の「日本型産学共同」と違って、「ゲイツ財団」がパートナーですから、皆さんなんとなく「世界へ」という気分になって下さるようです。

チームのみんなの努力で、この1年間で相当な進み方といえるでしょう。海外でもThe Economist、The Lancet、Financial Timesなどでも取り上げられています。1年目の6月6日、東京で開催された理事会。評議員会でもよい評価を受けることができました。

夜の会食の後、私は羽田空港へ。San Franciscoへ向かいました。