TEDxTokyo 2015、ACP日本支部会、そしてWEF Japan;変わる世界のなかへ

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5月最後の日、31日は恒例のTEDxTokyoでした。

2009年に始まったTEDxTokyo、今年で6回目です。日本、また世界中で「TEDx◯◯」が広がっていますが、これは東京が世界で最初なのです。Patrick Newell、Todd Porterたちと、「やろうよ!」と言っているうちにどんどん話が進んでいったのです。これがIMPACT Japanへと進化してきているのです。

今年のTEDxTokyoも素晴らしい方たちが、素敵な話をしてくれて、とても楽しい一日でした。この様子は、ウェブサイトで見ることができます。

夜のレセプションは失礼して京都へ。世界レベルの医師を育てたいという目的で設立され、英米などで臨床研修を受けてきた若手の医師を中心にして、医学教育、研修に向けた活動をしている米国内科学会日本支部の学術集会1)です。31日はその第1日だったのですが、TEDxTokyoに参加するので失礼し、6月1日の2日目からの参加になりました。

京都ならではの小さなバーで2次会に参加。みなさん、米国での臨床研修の仲間が集まって、熱い語りでした。

翌日の第2日、医学生、研修医たちの参加も多く(全体で600人強)、熱いセッションが続きます。恒例ですが米国内科学会会長(2013-2014)のDr. Molly Cookeさんも参加です。

夕方には東京へ戻り、翌日は朝からWorld Economic Forum Japanに参加。いろいろな方たちと久しぶりに会えましたし、いろいろと議論にも参加できました。

この3日間で過ごした、世界につながる活動、どこでも若者たちの活躍が目立ち始めています。うれしいです。

沖縄OIST、そしてアジア太平洋腎臓学会

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Los Angelesから成田経由で沖縄那覇空港に夜10時半ごろに到着。タクシーで1時間ほどで恩納村にあるホテルへ到着。

翌日は、世界に開かれたOIST(Okinawa Institute of Science and Technology)の理事会に参加です。

ちょうど、Nobel Museumによる「Sketches of Sciences」1)という素敵な展示のオープニングもあり、これにも参加。

これはVolker Stegerさんの作品で、そのユニークな着眼点などの話を聞くとこができました。その50人の中の一人のTim HuntさんもOISTの理事でいっしょでしたし、なかなか素敵な展示でした。

このNobel Museumは2001年、Nobel賞100年を記念して「Cultures of Creativity」というテーマで始まった企画です。最初の海外展示は、2002年に東京で行われ、高円宮殿下によって開会(久子妃殿下も去年、ご訪問されています)、私は日本学術会議の副会長として、東京大学の安田講堂で開かれた記念シンポジウム(NHKでも特番として放映されました)など、いろいろお手伝いしたことを思い出します。

当時のNobel Museum館長のLindqvistさん(1)の話題にも触れながら、現在の館長のOlov Amelinさんと当時のころの話をしました。いろいろな方とのつながりは楽しいものです。

翌日は午前の予定のあと、東京へ向かい、フライトが遅れて少々焦りましたが、アジア太平洋腎臓学会でのKeynote講演です。ここでは、多くのアジアの旧友たちに遇えて、とても懐かしく、うれしかったです。

この学会の3日間、久しぶりにいくつかの活動に参加しました。もっぱら、海外からのお客様との会食とか「課外」活動で、台湾の仲間との再会もありました。

UCLA再訪

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5月3日にLondonから東京に帰ると、ゴールデンウィークの後半、ちょっとしたことを幾つかして、8日からLos Angelesに来ました。ここでも何回か紹介しているSt. Gallenへ行けないのがちょっと残念です。

快晴の東京から、これも快晴のロス。空はぬけるような青さです。早速、UCLAのキャンパスへ出かけて、いくつかの面談。夕方には「Issei」という、19世紀の終わり(1983頃)にSan Franciscoを中心にした日系移民の方たちと家族を取材した映画。短期の取材と少ない予算での貴重な記録です。

これらは、去年も報告しましたが、私の旧友Paul Terasakiの貢献によるPaul Terasaki Centerの活動の一部です。

翌日はUCLA Faculty Centerで、朝から「Japanese Diaspora」というテーマのForumに参加しました。いろいろな方のプレゼン、興味深い調査、考察など、学ぶことの多い、いい時間でした。私も最後にコメントしました。要旨はグローバル世界になって、これまでと違って“タレント”、いわゆる“人材”、“human capital”が積極的に国境を越えて自分の価値を生みだそうと、よそへ動く。つまりは、従来の“移民”とは違う「積極的、自発的“移民”」が増える。とすると、その1~3世代の「Diaspora」は国境超えた価値ある「Dots」になる、と。そして、積極的移民たちの「国際結婚」が増える、多様性も増すが、固有の文化の伝承はあっても、数世代後には「祖国」の概念は薄くなっていく可能も多くなる。事実、最近の日本からの“移民”の変化を示すデータも提示されていました。

夜は、ビバリーヒルズのど真ん中にあるセレブなホテル「Montage」でディナー。UCLAのChancellor BlockIrene Hiranoさんも参加です。

翌日はTerasaki Centerの会議。これもMontage Hotelで開催。Dr. Tarasakiも参加しました。

ぬけるような青い空、美しい南カリフォルニア、素敵なUCLAキャンパス。

翌日の朝、出発。成田経由で沖縄へ向かいました。沖縄?

ロンドンへ ‐1

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去年12月、英国はG8サミットにおいて‘G8 Dementia Summit’を打ちだしました。高齢化社会を迎えて、これは世界的な大問題です。家族などで体験された方も多いでしょう。日本はこの課題でも世界の最先進国です。

英国大使館から突然の連絡がありました。このDementia Summitを進める中核として、政府から独立したGlobal Action Against Dementiaを作り、私にもCouncil memberになってほしいということなのです。他のメンバーについてはまだ公表できないということなのですが、第一回の会議を4月30日にロンドンで開催するというのです。

私はアブダビ・関西とまわったばかりでしたが、Virgin Atlanticが取れ、また在英日本大使館経由でホテルも取れたので、4月29日、成田から出発。

その日の夕方5時過ぎにホテルに到着。チェックインしようとすると、なんと「この予約番号は来週」です、というのです。何か手違いがあったのでしょう。何とか大使館の方に連絡を取り、1時間ほどで問題はまあ解決。ここで1泊、後の2泊は別のホテルに決まりました。やれやれ。大使館は安倍総理の来訪を控えてあわただしくしていました。

翌日は外務省の会議室へ。英国で最大サイズの政府の建築で、名前は“Foreign and Commonwealth Office”。建物の入口で、出てくる人とぶつかりそうになりました。お互いに顔を合わせると、お互いに「オヤッ、オヤッ」と一瞬怪訝に?なんと、David Kingさんではないですか。なんという偶然。彼が5月8日に来日するので在京英国大使館からお招きを受けていたのですが、わたしの都合がつかず、残念ながらお断りの連絡をしたばかりでした。彼は現在、英国政府の「気候変動の特使Envoy」なのです。こんな偶然の出会いがあるとは、本当の驚きです。

会議は5時間ほど。私も多くの資料に目を通してきましたが、2025年への目標、この1年は何を目指すのか、などの議論が中心でした。しばらくすると、ウェブサイトにも掲載されるでしょう。

そのあと、議会へ向かい、ちょっとした案内と、Jeremy Hunt 厚生大臣と30分ほどの会談が持たれました。

英国の議会の壮大な伝統を感じさせる内部、日本の国会にも似た構造もあるな、と感じる一方で、さすがに長い歴史の重さを感じさせる時間でした。

ホテルに戻り、以前、日本医療政策機構でも仕事をしていたDr. 佐原くんに落ち合い、近くのQueenswayを歩きながら、パブとレストランに立ち寄り、佐原くんのロンドンでの美術学校(4年制です)で、充実した時間を過ごしている話を聞きながら、快晴のロンドンの明るい夕暮れの時間を楽しみました。

充実した一日でした。

アフリカ支援の集まり、アニャンゴさん

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日本の企業、ゲイツ財団、そして日本政府が資金を出して、途上国の主要病気であるマラリア、結核、HIV/AIDS、さらにほかの主要な病気に貢献しようという企画が始まっています。Global Health Innovation Technology Fund1)です。私が代表理事をしています。

Malaria No More JapanHealth and Global Policy Institute、GHIT Fund の共催で、若い人たちを中心にキャンペーンイベントを開催しました。楽しく、しかもとても明るい雰囲気の集まりでした。

2年前、ナイロビでお会いした若いお医者さん、さらに杉下先生にもお会いしました。久しぶり、懐かしかったです。杉下先生は帰国されているのですが、ご家族はナイロビにいらっしゃるということです。

ニャティティというケニアの楽器は男性だけが演奏できるのだそうですが、その例外となったアニャンゴ(向山恵理子、ムコウヤマエリコ)さん(12)がこられて素敵な演奏と歌を聞かせてくれました。

日本の女性は強いですね。アフリカの音楽に魅せられて、一人でアフリカへ、そして世界へ。いろいろな苦労もあったでしょうが、女性で初めてこの楽器を演奏する許可を獲得したということです。

素敵な一晩でした。

アブダビへ、そしてカタール王妃の日本訪問

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4月20日にアブダビへ。Khalifa Universityの理事会、そして卒業式への参加です。今年の卒業生は350人です。この大学は理工系だけの大学ですが、多くの優秀な学生が集まり始めています。

卒業式はEmirates Palaceという豪華版です。学長のTod Laursenも着任して4年、初めて自分の入学時の卒業生を送る式でした。アブダビの皇太子殿下もご列席。自ら卒業証書を一人ひとりに手渡されます。それだけの思いがおありでしょう。

私は、その夜遅く、といっても翌日の早朝3時にドバイ発で関空へ。ちょうど日本訪問中のQatar国のMoza王妃をお迎えして、Qatar財団の御一行に合流しました。翌日は京都大学へ、山中伸弥さんのiPS研究センターへの王妃のご訪問に同行。さらに翌日は神戸の理研へのご訪問にも同行し、野依理事長をはじめ、お出迎えと調印式に参加しました。

アブダビもカタールも日本との関係は石油、ガスなどでしたが、この10年ほどは科学研究などを通じた人材の育成に力を入れています。今年の初めにはアブダビの大学の首脳と、日本のいくつかの大学との交流の機会が本郷の東大で開催されました。また、3月にはアブダビ皇太子も訪日。その際、東海大学の高輪キャンパスも訪問され、山下泰裕副学長と柔道の交流、またソーラーカーの共同開発も始めています。

この様な機会を通じて、中東の人材育成への機会が増えることは、アラブ首長国、カタールというと、ついついビジネスばかり考えがちな日本の政府や企業にとっても素晴らしいことです。

世界を広く感じ取れる人材の育成は、将来にとって、日本ばかりでなくどこの国でも、大きな中心的課題です。

日本の大学もそれぞれの特徴を生かして、多彩な交流を世界へ広げてほしいものです。

元気な若者たち

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先週は、異人・変人の集まるSONY CSL遠藤 謙くんが、為末 大さん、RDSの杉原さんの3人が訪れてくれました。彼がMIT時代から進めていた義足などの研究をさらに進めるために起業したことを伝えに来たのです。

彼はMITでPhDを取得、その時代からのお付き合いです。See-D1)などでも協力してきました。

地雷や交通事故などで義足を使っているインドなどの貧しい人たちの支援を進める一方で、パラリンピックの選手の支援など、人間の可能性をさらに高める試みを始めています。彼のMITの先生の一人が、ことしのTEDで驚異的な義足の機能を見せてくれているHugh Herrさんです。こんなことが可能になると、パラリンピックの選手のほうが五体満足のオリンピック選手を超える記録を出すことも可能になるでしょうね。最近話題のコンピューターとプロ棋士の将棋の試合のように。

そこへWHILLの杉江くんも、本拠地をシリコンバレーに移して以来ですが、遊びに来てくれました。これは日本を代表する4つの企業の若いエンジ二アたちが立ち上げたベンチャーです。そして彼から、特異な才能を秘めている、また普通の勉強になじまない子供たちの教育支援の活動をしているWINGLE1)の長谷川さんを紹介されました。

先日も紹介したばかりのTeach For Japanの松田くんも、朝日新聞Globeで紹介されていましたね。

いろいろなところに、行動する、素晴らしい人たちがいます。

ルワンダのジェノサイドから20年

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先日、Charles Murigande ルワンダ大使のお招きを受けて、大使館に伺ってきました。

満開の桜並木の世田谷深沢の大使館で1時間ほど、いろいろなお話を伺いました。

もっとも、私はルワンダにはまだ行ったことはありませんが、共通の話題12)もあります。

何度もお会いしているTWAS事務局長のRomain Murenziさんのことを持ち出すと、なんと、学校もとなりの席という長い間の友達ということでした。二人は、一緒に大臣を務め、また科学者でもあります。

20年前の4月、ルワンダの虐殺の悲劇が始まりました。悲しみを乗り越えて、すっかり様相を変えている新しいルワンダです。

いくつかの資料を持っていたのですが、去年9月、GRIPSの卒業式にもおられたそうで、私の祝辞にとても感動したと話してくれました。

いろいろなところで、お互いに共通の友人や物語があるのだなと感じた1時間でした。

「アカウンタビリティ」と「リスク・コミュニケーション」;カタカナにご注意

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このブログでも、栗原潤さん1)のことを何度か紹介しています。

彼の広く、古典などを含めた読書歴と知識、しかも英語だけではなく、複数の言語で原書を読む力量などからくる洞察の深みが素晴らしいので、いつも議論が弾み、楽しい時間が持てます。

私が日ごろから発言している言葉に「アカウンタビリティ」があります。日本では「説明責任」となっていますが、これは大きな間違いです。「自分の立場に付与されている責務を果たす」という、責任よりもっともっと大事で、大きな意味がある言葉、という主張をすぐに理解してくれた一人です。

この点については、山本清さんの優れた学術書が出版されました。栗原さんも早速に引用しています。これについてはまた説明します。

去年の6月、米国科学アカデミーで行った私の講演でのことですが、この「アカウンタビリティ」を日本では「説明責任」と言っているが、これは「典型的な」「Lost in Translation」であると指摘した時の、参加している方たちの反応について触れました。

似たようなことですが、最近、栗原さんのコラムで、「リスク・コミュニケーション」についてもコメントをしてくれました。国会事故調では、この言葉を使っていません。なぜでしょうか?

外来語をすぐにカタカナにするのは大きな誤解を生む可能性もあります。皆さんも注意しましょう。

‘Be Movement’と私のインタビュー記事

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‘Be Movement’は、ウェブ時代の新しい形の「社会メディア」です。若い人たちが、グローバル時代の変化を受け取りながら、いろいろ試していることはうれしいことですね。
最近この「日本特集」が出ました。東北大震災+福島原発事故から3年を迎えたタイミングを意識した特集なのでしょう。

私も応援している“Table For Two”の小暮さんの記事が、私のインタビュー記事のすぐ後に
出ています。

このような時期ですから、国会事故調の問題も含めて、うまくまとめてくれています。

英語で数ページ、ちょっと長めかもしれませんが、時間のある時にちょっと目を通していただけると嬉しいです。

JAPAN’S SPIRIT -Strength through the Storm-
(be movement pp114-122)

Cassie Limさんとチームに感謝。