La Jollaから、Entrepreneurship会議

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Kauffman財団 は「Entrepreneurship」(「起業家精神」とか、「進取の気性」(梅田望夫:「ウェブ時代 5つの定理」)とでもいいましょうか、何も事業ビジネスのことだけではありませんから)にフォーカスした財団で、去年はGlobal Entrepreneurship Weekを世界に展開し、日本でも本田財団の協力を得て、私の所属する政策大学院大学と京都でいくつかのプログラムが開催しました

このKauffman財団とUCSD(University of California San Diego)の共催で、“What Industry Wants from Universities”というテーマで、米国、英国、日本、カナダの4カ国で2日間の会議が開催されました。各国から数名ずつ参加し(ホスト国の関係者もいるので、米国の参加者は当然多いですが)、政策を含めて議論しました。プログラムの内容もなかなかで、有意義な会でした。特に英国からの参加者の、ウィットに富む発言は会議の議論の進行を和ませました。このセンスは素晴らしいものです。

会議の内容については、いずれWeb等に出たところでお話しましょう。

日本からの参加者は、私の他に、GRIPSの角南さん東北大の原山さん東大先端研のKnellerさん、そしてWilliam Saitoさんの5名でした。これは珍しいメンバーですね。皆さん、ここ数年は日本で仕事をしていますが、海外で教育を受けたりキャリアを積んだ人たちばかりでした。

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写真1: 日本からの参加仲間
このほかの写真はPicasaにUPしています。

気持ちの良い気候と素敵なキャンパス、そして楽しい仲間達というところですかね。何かすっかり気分が晴れやかになりました。会議が終わってから“Calit2”を案内してもらいました。土曜日で人は少なかったですが。

San DiegoはちょうどWBCの始まる直前でした(日本の優勝、素晴らしかったですね)。

しかし、やっぱりCaliforniaは明るい。素敵なところです。

タヒチ-4 (吉田松陰のこと)

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先日のブログ「タヒチ-3」で、灯台の入り口にあるプレートの写真を掲載しましたが、そこには以下の一文が記されています。

“ Robert Louis Stevenson、Tahiti 1888
‘Great were the feelings of emotion as I stood with mother by my side and we looked upon the edifice designed by my father when I was sixteen and worked in his office during the summer of 1866.’”

これを見たときに、「これだ!」と感じたのです。

Robert Louis Stevenson(1850-94) は「宝島」、「ジキル博士とハイド氏」などで知られる英国の作家ですが、両親、そしてお祖父さんも灯台を作るエンジニアの一家なのです。Robertは身体が弱く、家族の期待には応えられなかったのですが、文学に才能を発揮します。1874年、フランスで病気療養中、10歳年上の子連れの米国人女性と恋仲になります。病弱で死にそうになりながら1879年に渡米し、Californiaにやってきます。そして1880年に結婚するのです。

Robert Stevensonは1880~87年に家族とともに英国に帰りますが、父親の死とともに母親と家族を連れて米国へ戻り、翌1888年に太平洋に旅立つのです。ここTahitiのプレートは1888年、その年なのです。

彼は1894年暮れに太平洋の島で44歳で亡くなります。Wikipediaなどで彼のことを調べて見ると実に面白いです。人間の歴史がここにあります。

このプレートを見て「これだ!」と感じたのは何か。それは吉田松陰(1830-59)のことです。この松陰とStevensonの奇妙な関係をいつか紹介したいなと、実は何年も考えていたところだったのです。2007年5月の「天皇陛下のリンネ誕生300年のご講演」についても、いつ紹介しようかと随分考えました。

近代日本を立ち上げる大事な精神的きっかけを作った一人が吉田松陰です。彼の松下村塾は、明治維新にいたる多くの志士を生み出しました。この松陰のことを初めて書いたのが、実はこのStevensonなのです。それは1880年3月に「Yoshida-Torajiro」(吉田寅次郎とは松陰の通称)というタイトルで書かれていて(Cornhill Magazine 41)、1882年に「Familiar Studies of Men and Books」として一冊の本にまとめられて出版されています。

これは、松陰の死後20年目に英語で書かれています。では、誰が松陰の話をしたのでしょうか。その答えはStevensonのエッセイの初めに書かれています。「Taizo Masaki」です。

正木退蔵、東京工業大学(当時の名前は違いますが)の初代学長です。正木とStevensonの関係について触れているサイトはいくつもありますので、調べてみてください(参考: 123456) 。

また、“よしだみどり”さんの本で「日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 烈々たる日本人―イギリスの文豪ステーヴンスンがなぜ?」(2000年)というものもあります。いろいろと調べてみて、この不思議な縁と、偉大な松陰のこと、そして“教育の本質”について考えてみてください。

混迷の今の日本に松陰はいずこに?

それにしても、Tahitiでこのご縁に出くわすとは思いませんでした。

タヒチ-3 (Captain Cook、Baunty号、Stevensonの灯台)

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写真1

Tahitiはゴーギャン(Paul Gauguin 1848-1903)がよく知られていますが、一方でCaptain Cook(1728-1779)も有名ですよね。

3度の大航海というCookの偉業は本当にすごいものです。彼は1769年にここTahitiに来ます。この時はRoyal Society王立協会の依頼で、“Transit of Venus across the Sun”(金星が太陽を横切る)の観察に来ているのです。

話はそれますが、映画などでおなじみかと思いますが、9年後の1788年に、Cookが上陸したこの場所に到着したのが戦艦Bounty号です。Bounty号上陸の記念碑(写真2)がここにあります。

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写真2: Bounty号の上陸の碑

Cookたちが上陸したこの場所には灯台があるのですが(写真3~5)、100年後の1867年(明治元年)に有名なStevenson社(創設者 Robert Stevenson 1772-1850)によって建てられています。

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写真3: 灯台全景

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写真4: 灯台の前で

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写真5: 灯台の入り口

この灯台でとても面白いものを見つけました。それがトップの写真1で、これは写真5の左側に見えるものを拡大したものです。この「明治維新にかかわる、歴史の偶然ものがたり」は次回にしたいと思います。

同じ頃、つまり明治初期に日本で建てられた主な灯台Richard Brantonという方の設計です。彼はRobert Stevensonの弟子にあたります。

タヒチ-2

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タヒチ(参考)というと、誰もが一度は行ってみたいと思う、太平洋の遥か彼方の素敵なリゾートというイメージでしょう。特にTahiti諸島のBora-Bora島など、新婚旅行の旅先としても人気がありますね。

前回のブログの続きですが、90年もの歴史のある太平洋科学会議という由緒正しい学術会議でここに来られて幸せです。

これからもなかなか来る機会がないでしょうから、少しは珊瑚の海に入るとか、カヌーを漕いでみるだとか、自然を楽しまない手はないですね。

そこで、ちょっと時間を作って、タヒチ島を車で一周り。また、島の中心にそびえるMont Orohena (2,241m)の麓までドライブしてみました。この山の奥にはLe Relais de la Maroto Mountain Hotelというホテルもあり、土着神の野外祭儀場で地元の人たちの祭壇とも言えるmaraeもこの近くにあります(参考 1.)。

ゴーギャンの美術館(中には入れませんでしたが)や、カヌー、離れ小島でシュノーケリングなど、少し楽しみました。

しかし、市田さんがおっしゃっていましたが、ここには蝶や鳥があまりいないようです。種類も少ないとか。

でもブルーの海と空、白砂、緑の樹木、ぜひ行ってみてください。

 Picasaに写真をいくつかアップしました。

タヒチ-1

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写真1

日本から遥か南のタヒチに、初めてやって来ました。タヒチ航空(Air Tahiti Nui)の直行便で成田から11時間。成田-Tahiti島(Papeete)を週に2便飛んでいます。

今回は太平洋科学会議で、会場はTahitiのHilton Hotelです。砂浜のテントの会場(写真1)もあり、これはこれでなかなかいい雰囲気でした。Tahiti的で映画のロケにもよく使われるMoorea島も目の前(写真2)です。2年前は沖縄で開催されましたが、その時のことは以前ご紹介しました。

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写真2: Moorea島

French Polynesiaの一部ですから、フランス政府も力を入れていて、参加者は約800名。初日はやたらとフランスの国威発揚的な挨拶が多く、ちょっとやりすぎと感じるほどでした。

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写真3: Opening Session

気候変動、珊瑚礁、生物多様性、人間社会と自然保護など、太平洋をめぐる演題が盛りだくさんです。これがこの太平洋科学会議の特徴です。

バードウォッチのプロ、BirdLife International市田さんITUのeHealth理事でもある東海大学医学部の中島功教授の2人も参加され、鳥インフルエンザと渡り鳥の関係性やその監視の可能性について、素晴らしい講演がありました。

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写真4: 市田さんと

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写真5: 中島さんの講演

夜は毎晩主催が変わり、最初は学会長・French Polynesia大統領・High Commissioner共同主催。次は学会主催者側とFrench Polynesia大統領の主催、最後は学会主催のフェアウエルで、TahitiとPolynesiaの素敵な踊りが披露されました。

Picasa上でいくつか写真を公開していますので、みてください。

Canada and France大使館

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カナダから、前科学技術顧問のArthur CartyさんをリーダーとするNanotechチーム一行6名ほどが来日され、18日にCanada大使館でレセプションがありました。活気のある時間でした。去年9月に着任したFried大使ともお会いし、5年前、私が日本学術会議会長のころ、日本-Canada国交75周年を記念して「Young Woman Scientists Exchange」をはじめたことなどお話しました。いろいろ新しい知己があり、旧交があります。

翌19日は、フランスの将来予測と情報経済担当大臣のNathalie Kosciusko-Morizetさんをお迎えして、フランス大使館でディナー。2日続けて英仏語が入り混じりの会話に包まれていますが、私はフランス語が全然ダメなのです。

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写真1: 右からKosciusko-Morizet大臣、Philippe Faure大使、私、Dr Jean-Louis Armand科学技術担当公使

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写真2: 大臣と私

このカメラマンはセンスがいいですね。彼のblogも素晴らしいですよ。

大臣もblogで情報発信 ( 12 )、私たちとのことも書いています。

別途報告しますが、この日は日韓の近代医学教育史に貢献した佐藤剛蔵先生について考え、今後の日韓関係を考える企画のレセプションもあり、挨拶をしました。明日が楽しみです。

ダボスから-4

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31日は英国のGordon Brown首相の後に、麻生総理の力強い演説がありました。特にAfghanistanでの学校や医療施設の建設や援助、Kabul国際空港の復興支援、Palestineでの日本の活動、またAfricaへの援助の増加など、世界から高く評価される話題に触れられたのがよかったです。これらのことはもっともっと積極的に国内外へ政府が広報すべきですが、こういうところで私たちにも新鮮に感じられてしまうのでは、ちょっと残念に感じました。でも、全体に力のある講演でした。

その後、総理はいくつかの面談をこなされて昼食を取られましたが、ここにお招きを受けました。ここでも海外の要人たちとの活発な議論がありました。積極的な会話は大事です。

Dsc00561_pmaso 写真2~3: 麻生総理の講演と昼食会

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Dsc00575_ogata 写真4: 昼食会場でJETRO林理事長、緒方ご夫妻、UNESCO松浦事務局長と

会場での昼食はなんとユニクロ(UNIQLO)がSponsorで、大変好評でした。気の利いた展示、いくつもの映像が流れていて(最初の写真など)きれいでした。またお弁当もとてもおいしかったようで、これも大好評。この日のお昼前後は、日本の存在がとても目立ちました。皆さんご労様でした。

斉藤環境大臣も総理に同行されたようで、私の友人でもあるYale大学のDaniel Esty教授と歓談されました。

Dsc00579_three_with_kk 写真5: 斉藤大臣、Esty教授と

最終日の2月1日は、Global Agenda Councilへ参加。

最後のセッションは南アフリカのTutu大主教(Apartheidの廃止などで活躍。その後も人権問題などで活動を続けて、1984年ノーベル平和賞 を受賞しています。)と若者達の対話が、なかなか面白く、さすがに宗教家、人権問題の活動家ですね。とても話が上手です。

Dsc00599_panel 写真6: Tutuさんと若者達の会話

今回の世界の転換期を象徴するダボス会議の締めくくりは、こちらのWebサイトで見ることが出来ます。

帰りがけにホテルのロビーで、Microfinanceをはじめて、Bangladeshの女性の自立を支援したGrameen銀行のYunusさん(ノーベル平和賞受賞。グローバル時代の社会起業家という大きな存在として何度も講演などで紹介しています)にお会いしましたので、日本の若者たちの意欲などについてお話しました。3月にも来日されるそうです。またお会いできると嬉しいです。

Dsc00604_india_and_kk 写真7: Yunusさんと

この後、Zurich空港へ移動し、これからNew Delhiです。

日本国のビジョン、私の考え

今年の元旦のブログから「国家ビジョン」について繰り返し発信しています(参考: 1234 )。

この背景には、去年12月に2回、そして今年1月に1回、同じ趣旨で講演する機会のあったこと、オバマ新政権の布陣からの必然、そして、今後の世界の変化を踏まえて予測(「想像」とは違います)されること、その中での日本のあり方を考えた上でのことです。

これらの3つの講演は、どれも1時間弱の時間でしたが、それぞれの会場で約800人、1,000人、600人と、しかも殆ど重複はなく、社会的に重要な地位にいる方々が多かったので、3度とも大体同じ内容の話にしました。

ありがたいことに、この講演の一つがほぼ全文、(社)産業環境管理協会の「環境管理」2月号に掲載されることになりましたので、ここにもPDFで紹介します。

「何をバカな」、「無理だよ」、あるいは「できない理由」がすぐに頭の中に浮かんでしまうのでしょうか。

朝日新聞の村山論説委員が書かれた、「窓」という記事も参考にしてください。

 “グローバル時代、日本の課題は?”
 2008年12月11日に開催された「エコプロダクツ2008 記念シンポジウム」での基調講演

ダボスから-3

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今回から“IdeasLab with ・・・”という企画があり、何とか時間を調整してYale大学主催のセッションに参加しました。4人の先生が5分ほどで要点を整理して問題を提起し(power pointも使える形式、だからビジュアルも大事)、その後、テーマ別に議論が始まり、いくつか結論を出そうという企画です。素敵なスタイルでした。ダボス会議は毎回いろいろ工夫をしています。Yale大学のセッションは経済関係の先生が2人、友人のDaniel Estyさん(Obama政権移行チームの一員、環境が専門)もいらっしゃって、特にRobert Shillerさんの住宅バブル崩壊の歴史など、とても面白い話が聞けました。最後にRichard Levin総長が最近のYale大学の科学に関する話題について話をされ、面白かったです。一番印象的なPerformanceでしたね。さすがです。

Dsc00547_presentation_1 写真2: 右から問題提起のプレゼンするYale大学のEZ Ponce de Leon教授、Facilitator役のOxford大学のRichard Pascale教授、YaleのRobert Shiller教授とDaniel Esty教授。

Dsc00548_in_front_of_the_screen 写真3: Shiller教授の問題提起

その後の議論では私は主にLevinさんのグループに参加して、いろいろと話が弾みました。制度的に他流試合を連続させ、個人力を発掘させる英米の大学や英米の研究キャリアの強さ、という話と、ここがアジア(特に日本)の弱さだ、という議論なりました。いつも主張していることですが、ここは皆さんの意見がすぐに一致しました。特にこれからの繁華とグローバル競争時代には、若者の力と可能性を如何に伸ばすか、これが大学の使命というところが結論の一つでした。

Dsc00549_screen_with_photos 写真4~5: Levin総長のプレゼン

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30日の夜はUBS主催のディナーに招待され、英国保守党の党首Cameron氏 のスピーチがありました。英国の政治家の演説は上手いものです。

夕食の後は、10時半からCambridge大学の会へ向かいました。こじんまりした会でしたが、Allison Richard学長(Vice-Chancellor。Cambridge大学のトップがこのようなちょっと変わったタイトルである理由は以前お話しました。)が、今年はCambridge大学の創立800年ということもあって素敵な挨拶がありました。また、東大の小宮山総長、MITのSusan Hockfield 学長(President)にもお会いし、夜遅くまで歓談しました。

このRichardさんとHockfieldさんたちついては、私が何度も強調しているグローバル時代の画期的変化(参考 12)なのですが、このお二人は、ともに前職がYale大学学長(Provost)であり、それぞれCambridge、MITからトップにスカウトされたのです。HockfieldさんはYale大学でRichardさんの後任であり、これらの人事は先に紹介したLevin総長の人事(Provostは総長人事であると、何年か前にLevinさんから直接聞きました)なのです。Levinさんの慧眼のすごさです。

大学、企業、政治など等、どの組織であれ、トップはかくありたいものです。結局は、どう人を育てるか、これに尽きるのです。

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快晴が続きます。

会議のセッションや報道などは、Webサイトでいろいろと見ることができます。時間のあるときに見てください。

日本の産業界からの若い人たちが、少しずつ目立ち始めました。発言も存在も積極的でうれしいことです。でも、日本の産業界といえば、海外からは“経団連”ということになるでしょうから、積極的にもう少し多数参加していただけると、日本の存在も目立つし、活気が出ると思います。

今回の全体の雰囲気は、「金融メルトダウン」、「更なる経済低迷」ということで、いつもとは雰囲気が違います。ほかの産業であれば、不良品を出せば罰せられるのに、金融ではなぜそんなことさえ無いのか?というのも結構話題になりましたね。「貪欲」「品格の欠如」というところでしょうか。個人のレベルでは結構そのような話が出ました。また、ガザ問題Webcastで見れます)では、トルコの首相がパネルでの自分への時間の割り振り、発言のタイミングなど、IsraelのPerez大統領に比べて不公平だとして、パネル終了前に立ち上がり、帰国してしまいました。私は現場を見ていませんが、もちろんこれも話題にもなり、トルコでは熱狂的に帰国を歓迎されたという報道も含めて話題になっています。Webcastでご覧になってどう感じますか。

Dsc00533_4people写真2~4: 朝食会(ご存知の方もいると思います)

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30日の朝7時半から、“日本からの発信があまりに少ない”、“だから世界からよく見えない”、と心配してくれる友人たちの会合・・・という名目の朝食に招かれました(写真2~4)。うれしいことですね。日本からの参加の皆さんにも同じような話は内々にはあったと思います。

多くのセッションで日経新聞主幹の岡部さんJETRO理事長の林さん(写真4)など多くの方たちと話しをする機会があり、話が弾みました。皆さん忙しい方たちなので、あまり日本では会えないのです。

Dsc00537_2_japanese 写真5: 日経新聞主幹の岡部さん(右)とJETROの林さん。

私はといえば、2日目、3日目にパネルがあり、新しい知己を得ながら楽しみました。ダボス会議のWebサイトで(29日30日最終日)見ることができると思います。

メディアでは、朝日新聞主筆の船橋さん、日経新聞主幹の岡部さん、NHKの藤沢さんたちが参加していました。Reuterの脇さん(ロンドン在の女性)もこのところ毎年のように参加し、活躍しています。