沖縄OIST、そしてアジア太平洋腎臓学会

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Los Angelesから成田経由で沖縄那覇空港に夜10時半ごろに到着。タクシーで1時間ほどで恩納村にあるホテルへ到着。

翌日は、世界に開かれたOIST(Okinawa Institute of Science and Technology)の理事会に参加です。

ちょうど、Nobel Museumによる「Sketches of Sciences」1)という素敵な展示のオープニングもあり、これにも参加。

これはVolker Stegerさんの作品で、そのユニークな着眼点などの話を聞くとこができました。その50人の中の一人のTim HuntさんもOISTの理事でいっしょでしたし、なかなか素敵な展示でした。

このNobel Museumは2001年、Nobel賞100年を記念して「Cultures of Creativity」というテーマで始まった企画です。最初の海外展示は、2002年に東京で行われ、高円宮殿下によって開会(久子妃殿下も去年、ご訪問されています)、私は日本学術会議の副会長として、東京大学の安田講堂で開かれた記念シンポジウム(NHKでも特番として放映されました)など、いろいろお手伝いしたことを思い出します。

当時のNobel Museum館長のLindqvistさん(1)の話題にも触れながら、現在の館長のOlov Amelinさんと当時のころの話をしました。いろいろな方とのつながりは楽しいものです。

翌日は午前の予定のあと、東京へ向かい、フライトが遅れて少々焦りましたが、アジア太平洋腎臓学会でのKeynote講演です。ここでは、多くのアジアの旧友たちに遇えて、とても懐かしく、うれしかったです。

この学会の3日間、久しぶりにいくつかの活動に参加しました。もっぱら、海外からのお客様との会食とか「課外」活動で、台湾の仲間との再会もありました。

講演スケジュール – 2014年5月

“Uncertain Times: Our common agenda”
-第14回アジア太平洋腎臓学会議 スポンサードレクチャーにて講演-
日時: 2014年5月14日(水)17:30-18:30
場所: 品川プリンスホテルアネックスタワー5階 アネックスホール(東京都港区高輪4‐10‐30)

お申し込みはこちら: http://www.mtoyou.jp/apcn2014/registration/index.html
お問い合せ: 第14回アジア太平洋腎臓学会議(APCN2014)運営事務局
株式会社メディカル東友 コンベンション事業部
E-mail: apcn2014@mtoyou.jp
TEL: 046-220-1705 / FAX: 046-220-1706

「異論」を言うこと、言わせること

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“日本の憲政史上初めて”として立法府に設立された国会事故調(2011.12.08 – 2012.07.05)ですが、報告書を国会両院議長に提出後の状況を見ていると、世界では高い評価の一方で、日本では「不都合な真実」とでもいうか、ほぼ「無視」の状況です。

一方で若者たちの自発的な活動もあることは、最近のこのブログでもコメントしています。

この国会事故調の「調査統轄」を引き受けてくれた宇田左近さんの著、「なぜ「異論」の出ない組織は間違うか」1)が出版されました。

その本の最後に、「解説」として、日本の組織、統治などの課題について20ページほど書かせてもらいました。

この本は国会事故調の話ではなくて、日本の組織運営の課題に共通する問題点、集団思考「グループシンク:Groupthink」、責任の在り方「アカウンタビリティ:Accountability」などが、いかに大事な要素なのかを解説している著書です。

皆さんにも参考になることも多いと思いますので、読んでいただけるとうれしいです。

UCLA再訪

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5月3日にLondonから東京に帰ると、ゴールデンウィークの後半、ちょっとしたことを幾つかして、8日からLos Angelesに来ました。ここでも何回か紹介しているSt. Gallenへ行けないのがちょっと残念です。

快晴の東京から、これも快晴のロス。空はぬけるような青さです。早速、UCLAのキャンパスへ出かけて、いくつかの面談。夕方には「Issei」という、19世紀の終わり(1983頃)にSan Franciscoを中心にした日系移民の方たちと家族を取材した映画。短期の取材と少ない予算での貴重な記録です。

これらは、去年も報告しましたが、私の旧友Paul Terasakiの貢献によるPaul Terasaki Centerの活動の一部です。

翌日はUCLA Faculty Centerで、朝から「Japanese Diaspora」というテーマのForumに参加しました。いろいろな方のプレゼン、興味深い調査、考察など、学ぶことの多い、いい時間でした。私も最後にコメントしました。要旨はグローバル世界になって、これまでと違って“タレント”、いわゆる“人材”、“human capital”が積極的に国境を越えて自分の価値を生みだそうと、よそへ動く。つまりは、従来の“移民”とは違う「積極的、自発的“移民”」が増える。とすると、その1~3世代の「Diaspora」は国境超えた価値ある「Dots」になる、と。そして、積極的移民たちの「国際結婚」が増える、多様性も増すが、固有の文化の伝承はあっても、数世代後には「祖国」の概念は薄くなっていく可能も多くなる。事実、最近の日本からの“移民”の変化を示すデータも提示されていました。

夜は、ビバリーヒルズのど真ん中にあるセレブなホテル「Montage」でディナー。UCLAのChancellor BlockIrene Hiranoさんも参加です。

翌日はTerasaki Centerの会議。これもMontage Hotelで開催。Dr. Tarasakiも参加しました。

ぬけるような青い空、美しい南カリフォルニア、素敵なUCLAキャンパス。

翌日の朝、出発。成田経由で沖縄へ向かいました。沖縄?

日本の科学と精神

このところちょっと静かになりましたが、科学研究の不正の問題がいくつか騒がれています。今に始まったことではないですが。

小保方さんの件はメディアの取り上げ方も異常でしたが、他にもいろいろありましたね。製薬界の大手N社、T社、これにかかわる大学の研究者の問題などなど。

科学研究はあるテーマについての「仮説の証明」の連続ですから、いつも「正解」はなく、それをさらに進めるところで私たちの世界の「進歩」があるわけです。400年前のガリレオの「地動説」では死罪に値するとされたものです。400年後にお赦しを得たわけですが…。

特に実験系では実験手法の正確さと再現性が大事です。それが科学を進める原動力になっているのです。

小保方さんの場合は、「発見した成果」のインパクトが強かっただけに、本人ばかりでなく、研究責任者、共著者は、もっともっと神経質になり、他のグループが独自に確認してくれるまで、毎日ハラハラドキドキだったはずです。なんであんなユルユルな態度で論文として投稿したのか、これがちょっと理解できないところです。指導の方たち、共著者の責任は重いです。どうしてこんなことが起こるのか。

メディアやネットなどでいろいろ議論されていますが、私は「応用物理」の巻頭言の原稿のゲラができたところだったので、その内容に沿った趣旨の返事を2、3の新聞等の問いに返事をしました。例としては以下のように書かれています。

「日本の研究者は、次の世代の研究者をトレーニングすることの重要性をどこまで自覚しているのか心配になる。欧米では、どんな大学院生を育てあげたかで、教員の評価が決まる。小保方さんをスケープゴートに仕立てて終わってはいけない」と語る、と。

つまりは、研究者の社会への責任の自覚ということです。

私の考えはこの巻頭言にあるとおりです。そして、100年前(明治34年11月22日)にベルツ先生が指摘している「科学の精神」を、現在の日本の研究者たちが自分のこととして理解し、行動しているのか、という点なのです。

制度を変えるだけでは不十分。指導者は何のために後進を教育し、後進を指導しているのか、この一点でしょう。

日本では研究でさえも「家元制度」だと私は指摘しているのです。不正をなくす対策を、というお題目だけではだめなのです。また、同じことが繰り返されるでしょう。

科学者が、科学する精神を理解し、実践しているか、なのです。そこから、この精神を次の世代が受け継いでいくのです。指導者は「家元」ではありません。

「自由と正義」2014年4月号

元国会事故調委員の櫻井弁護士、総務統括宇都宮弁護士他の方々の「国会事故調」についての論文が、日本弁護士連合会の機関誌「自由と正義」に掲載されました。

「元委員が振り返る国会事故調」
櫻井正史

「国会事故調の事務局運営とリスク管理」
宇都宮純子

「国会事故調における調査活動の統括とプロジェクトマネジメント」
松澤香、高橋尚子

「国会事故調における弁護士の調査活動」
渋谷卓司、芝 昭彦、藤戸久寿、美﨑貴子

ロンドンへ ‐2: Shakespeare’s Globe

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→ Images of Shakespeare’s Globe

ロンドン3日目の5月1日、少々雨の降る、ちょっと寒い日となりました。

午前は、傘をさして、小雨のHyde Parkを20分ほど歩いて、Marble Arch近くへ。2年ぶりにSingapore勤務から帰国したばかりの英国人の友人のオフィスで1時間ほど面会。今年の初めに東京に支店を開設し、先日、東京の英国大使館でのレセプションでもお会いしたばかりですが、ちょっとゆっくり話をしようということになったのです。

昼に、Oxfordの大学院で政治学を学んでいる、国会事故調の英語版翻訳・編集チームに参加した二宮さんと落ち合いました。ちょうど修士論文を提出し、6月に最終試験ということです(この2年弱、このBlogの英訳は彼女の作品が多いです)。ここからChatham Houseに向かい、前任の駐日英国大使 David Warrenさんと1時間ほど、今年10月に東京で予定している会議の打ち合わせもしました。Warren大使は2週前にも東京に来られ、私のGRIPSを訪ねてくださったばかりですが…。その後、私も参加している「日本版NIH」会議の参与もしている水野さんが帰英したばかりということで、彼の所属するクラブでお茶。

夜はShakespeare’s GlobeEnglish)へ。

出し物は“Titus Andronicus”English)。Shakespeare作品の中でも最も残忍な復讐劇で、Warren大使も2日前にご覧になったとかで、しかも新聞によると観客の何人かが失神したそうだよ、と言われていました。

開演が午後7時30分、終わりが10時30分という3時間の長丁場。劇場は写真にもあるように、天井から雨が降り込む、窓も木の枠だけなので寒い。中央のステージの前の立見席(ここは6ポンドほど)の方たちはそれを承知で見ているという、いかにも英国らしいアレンジです。それにしても、皆さん、我慢強いですね。俳優さんたちもこのステージの前も使って舞台が進むので、それも楽しみなのでしょう。

二宮さんは帰りも遅くなりましたが、Oxfordへのバスは24時間運転されているそうで、これも学生さんたちのためもあるのでしょうね。

翌日はVirgin Atlanticで出発でしたが、空港での受付も、サービスも、ラウンジも、なかなか良かったです。

ロンドンへ ‐1

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去年12月、英国はG8サミットにおいて‘G8 Dementia Summit’を打ちだしました。高齢化社会を迎えて、これは世界的な大問題です。家族などで体験された方も多いでしょう。日本はこの課題でも世界の最先進国です。

英国大使館から突然の連絡がありました。このDementia Summitを進める中核として、政府から独立したGlobal Action Against Dementiaを作り、私にもCouncil memberになってほしいということなのです。他のメンバーについてはまだ公表できないということなのですが、第一回の会議を4月30日にロンドンで開催するというのです。

私はアブダビ・関西とまわったばかりでしたが、Virgin Atlanticが取れ、また在英日本大使館経由でホテルも取れたので、4月29日、成田から出発。

その日の夕方5時過ぎにホテルに到着。チェックインしようとすると、なんと「この予約番号は来週」です、というのです。何か手違いがあったのでしょう。何とか大使館の方に連絡を取り、1時間ほどで問題はまあ解決。ここで1泊、後の2泊は別のホテルに決まりました。やれやれ。大使館は安倍総理の来訪を控えてあわただしくしていました。

翌日は外務省の会議室へ。英国で最大サイズの政府の建築で、名前は“Foreign and Commonwealth Office”。建物の入口で、出てくる人とぶつかりそうになりました。お互いに顔を合わせると、お互いに「オヤッ、オヤッ」と一瞬怪訝に?なんと、David Kingさんではないですか。なんという偶然。彼が5月8日に来日するので在京英国大使館からお招きを受けていたのですが、わたしの都合がつかず、残念ながらお断りの連絡をしたばかりでした。彼は現在、英国政府の「気候変動の特使Envoy」なのです。こんな偶然の出会いがあるとは、本当の驚きです。

会議は5時間ほど。私も多くの資料に目を通してきましたが、2025年への目標、この1年は何を目指すのか、などの議論が中心でした。しばらくすると、ウェブサイトにも掲載されるでしょう。

そのあと、議会へ向かい、ちょっとした案内と、Jeremy Hunt 厚生大臣と30分ほどの会談が持たれました。

英国の議会の壮大な伝統を感じさせる内部、日本の国会にも似た構造もあるな、と感じる一方で、さすがに長い歴史の重さを感じさせる時間でした。

ホテルに戻り、以前、日本医療政策機構でも仕事をしていたDr. 佐原くんに落ち合い、近くのQueenswayを歩きながら、パブとレストランに立ち寄り、佐原くんのロンドンでの美術学校(4年制です)で、充実した時間を過ごしている話を聞きながら、快晴のロンドンの明るい夕暮れの時間を楽しみました。

充実した一日でした。