長崎にて~高校生を迎えての講演会

16日、長崎で日本学術会議の講演会がありました。出来るだけ若い人達、つまり高校生に参加して欲しいという事で、日曜日の午後に開催しました。センター試験当日であったにも関わらず、地元の高校の協力のもと、300人程の学生(主に2年生)が来場してくれました。

「ムツゴロウの目から見た有明海」、「熱帯における新しい脳炎ウイルスの発見」、「地域教育のためのネットワーク型プロジェクト」、「ロボット技術を生かした地域のための福祉用具開発の取り組み」、「半世紀を経てなお持続する原爆の人体影響」といった講師の方の興味深いお話は大変楽しかったです。

私はというと、「日本のビジョンは?」というタイトルで、このブログで取り上げている内容を中心に話しました。この100年の世界、そして日本の大きな変化、100年前の日露戦争の意義、山川健次郎や津田梅子について等々。そして、これからの課題と若者への期待、というところです。

すばらしい質問がたくさん出て、とても良かったと思います。参加された講師の先生方や学生の皆さん、その他、参加された全員が楽しめたと思います。私にとっても、大変楽しくて充実した一日でした。

実は、この講演会が決まってからどうしても避けられない予定が入り、11日からSan Francicso、14 日の午後に帰国して、15日夜に博多入りしました。今朝(17日)は福岡-成田経由でWashington DCに向かいます。ブッシュ大統領就任式の2日前。出来れば行きたくないところですね。

ところで、長崎は17世紀から約250年間、日本の世界への窓だったわけで、会場になった長崎大学医学部キャンパスにはポンペ等ゆかりの資料が展示されていました。また、原爆の落下地点にも近く、大学はほぼ全滅し多くの教員・医学生や病院職員が犠牲となり、その資料も展示されています。

過去を知り、前を向く、という姿勢がとても大事に思います。

偉大な思想家、福沢諭吉のこと-後半

前回のブログに続きまして、「Wedge」で紹介される偉大な思想家、教育者、福沢諭吉についての私のコメントの後半部分を紹介します。福沢諭吉は現在の日本の問題をそのまま指摘しています。という事は、当時から日本人の考え方は「鎖国状態」のままなのではないか、というのが私の考えです。なぜか?これが私から皆さんへの“問いかけ”です。

 この福沢、そして丸山の思想の底流を流れるものに「議論の本質を定る事」、「権力の偏重」、「古習の惑溺」などがある。これが日本の思想、文化の根底にある「官尊民卑」であり、現代の日本の問題にそのまま当てはまる。「故習の惑溺」とは「ひとつの事に溺れて正しい判断に迷う」事であり、その刷り込み現象によってもたらせている権力、官僚組織の病理的側面に具体的に光を当てているのが福井秀夫の「官の詭弁学」である。これは議事録の公開で明らかになった各種政府審議会のまか不思議な答弁集である。「行政訴訟法」、「労災保険」、各種規制改革に関する珍問答集である。個人としては優能なのであろう多くの官僚が詭弁とも言える「できない理由」を繰り返えす。立法と行政の違いも不明瞭、司法の独立さえ危うい民主国家といわれる日本。福沢の指摘は今もそのまま当てはまるのである。日本はどうする、どこへ向かうか。

 「文明論之概略」、そしてその丸山の「読む」でも不可解なのが、福沢の「脱亜論」であろう。しかし、最近この疑問が解けた。平山洋「福沢諭吉の真実」である。福沢の多くの著作、私信、そして「時事新報」をめぐる編集者と全「社説」とその発表された時代背景と意義、また明治版、大正版、昭和版、現行版「福沢全集」の分析と編集責任等を詳細に分析した最高級の福沢研究の成果といえる。これによると、脱亜論の趣旨は福沢の真意ではなく、むしろ意図を持って石河幹明(1988-1922年の「時事新報」社説担当)が創造、いや捏造した福沢諭吉像なのである。しかも、脱亜論は1960年代から出始めたのである。このような展開を、当時の時代背景と福沢の時代背景、また鍵となる福沢研究者が自分自身で原点を充分に検証する事がなかったことなどの理由と解釈も示している。平山は、研究者自身が原点を読み、検証することの大切さを教えてくれる。

 福沢の指摘していたのは、維新時代の日本の課題は、単に制度の改革ではなく精神革命の問題ということだ。しかし、これは正しくいまの日本の問題ではないか?精神状態は今でも鎖国のままなのではないか、そして開国できない理由ばかり言っているのでは、と私には思われるのである。そして福沢諭吉の偉大さに感動する。

「少子化と女性の健康」

昨年11月にも書きましたが、現在、医療や社会公共政策に関するシンクタンクを立ち上げています。その活動の一環として、医療政策の提案と発信をしていきたいと考えていますが、第一弾として「少子化と女性の健康」に関する政策提言を準備中です。また、同テーマのシンポジウムを3月12日に開催する予定となっています。

12月に行なわれた日本とカナダのシンポジウムでも課題となっていた、女性の社会進出はやはり大きな問題です。それと同時に語られることの多い少子化の問題にも、女性の健康問題が大きく関わってきているのです。少子化に関しては、社会・経済的な要因のみが議論されがちですが、医学的な観点からも議論されるべき問題です。

今回のシンポジウムでは、私が研究会をとりまとめ、「少子化と女性の健康」に関する政策提言を内閣特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策)の南野大臣に提出します。概要としては、出産を担う女性を取りまく医療にスポットをあて、高齢出産、不妊治療、若年層の中絶・性感染症に伴う心身への負荷・不妊リスクの増加など、女性の健康という観点から少子化問題を討議する、というものです。私が委員となって1999年に認可された経口避妊薬も、未だ誤解が多くあまり普及していないのが現状ですが、本来であれば性感染症にはコンドーム、避妊には経口避妊薬という意識が諸外国のように日本においても浸透すべきであって、特に将来の日本を背負って立つ若者には、これらを徹底させてもらいたいものです。

シンポジウムには、南野大臣を始め、慶應大学の島田晴雄教授や、自民党の野田聖子さん、民主党の古川元久さん、厚生労働省の母子保健課長などにも来ていただき、議論を進めていきます。詳細はスケジュールでも紹介する予定です。

偉大な思想家、福沢諭吉のこと

明治維新の頃の日本が進む方向性について、明確な指針を与えたのが福沢諭吉でしょう。実に立派な思想家、教育者です。明治8年に書いた「文明論之概略」が彼の思想の中心となる集大成ですが、邦訳本の少ないこの頃に原文を英語で読み、日本語にないいくつもの言葉の意味を正確に理解しているさまはすごいと思います。この福沢の本(岩波文庫 1995年)を読むことはできますが、あわせて昭和の偉大な思想家である丸山真男氏の「「文明論之概略」を読む」は福沢思想のすばらしい解説書ですので是非読むことをお勧めします。

という事で、この本を含めて3冊の本を紹介したのが私の「読書漫遊」です。新幹線JR東海の社内誌「Wedge」の平成17年2月号に掲載されますが、ほぼ最終のゲラの前半をここで紹介したいと思います。是非、読んで、偉大な思想に触れてください。

紹介する本は以下の3冊です。
丸山真男:「「文明論之概略」を読む」」 岩波新書 1986年
福井秀夫:「官の詭弁学」 日本経済新聞社 2004年
平山 洋:「福沢諭吉の真実」 文芸新書 2004年

 回復基調とはいえ不透明な日本経済と増え続ける国の借金、急変する中国とアジア、そしてユーロとロシア動向、中東とアフリカ、米国の国際政策等、不安定要素を多く抱える国際政治の動向、さらに増加する地球人口、環境問題、南北格差拡大等を中心とした地球規模問題等、不安定、不確定要素を数多く抱え、目標の見えにくい2005年が始まった。「政産官の鉄のトライアングル」の「ジャパンアズナンバーワン」の終焉から15年、では次の15年、2020年への日本の航路は、戦略は、何か。ここは歴史観、文明史観が必要だ。そのような「リーダー」はいるのか。明治の新時代日本の最も偉大な思想家、知識人、教育者である福沢諭吉の思想の体系的原論「文明論之概略」(岩波文庫)は明治7年(1875年)の出版、「古典」なのである。「政府と名のる籠の中に閉じ込められた」知識人の枠を破り、自由独立の知識人、福沢の思想は事の本質を深く考察し、いまも説得力がある。邦訳本のすくない時代、多くの原書を読み、西洋文明を理解し、日本の将来を思い、そこから思想と言葉の意味を汲み取る能力は想像しただけでもすごい。身震いがする。「スタチスチク」(統計)、「カラッスインタレスト」(階級の利害)等、読者が英語をほとんど理解しない時代のカタカナは、本質をよく理解しないままの今のカタカナ氾濫の対極だ。

 昭和を代表する思想家、丸山真男が解説した「「文明論之概略」を読む」は現在の日本国の根本的課題を考えるのに最もふさわしい書である。「序」の「古典からどう学ぶ」から、全編にわたって福沢への畏れにも似た尊敬の念と、福沢思想への洞察が伝わってくる。福沢の思想と日本への思いと懸念は現在に通用する普遍性がある。いまだに「人民」と「国家」、「公」と「パブリック」、「外国交際の基本」等の本質を理解せず、むしろ勘違いしている(としか思えない)多くの責任ある立場の人も、将来を担う若い人たちも読むべき本である。福沢の思想は、20世紀の日本を知らないにもかかわらず、なのである。文明史的に本質を見抜き、大局観ある人はここまで違う、すごいの一言である。

後半に続く・・・

2005年 新年あけましておめでとう

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あけましておめでとうございます。去年も結構忙しくて、もっと頻繁にとは思いながら、なかなかブログを更新できませんでした。残念です。

さて、日本学術会議は4月1日から内閣府に移り、10月1日から新体制で出発します。今年は、“annis mirabilis”(意味がわからない人はネットで調べてください)という事で、アインシュタインを記念する「国際物理年」として世界中でいろいろな行事が開催されます。

20世紀を大きく変えた物理の年、1901年に始まった第1回ノーベル物理学賞の受賞者はレントゲンでした。このX線はその後の100年に物理や生物学の分野で大きな貢献をしました。日本も物理の分野で世界的に貢献をされた人たちを数多く輩出しました。ノーベル賞だけでも湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈、小柴昌俊さんがいます。明治に日本の物理を立ち上げたのが、第6代東京帝国大学総長の山川健次郎です。田中館愛橘、永岡半太郎という日本の物理研究を築いたのは山川先生の最初の教え子達です。

2004年は山川先生の生誕150周年でした。山川先生は会津の人で、14歳で白虎隊に入隊(病弱だったため正隊員にはなれず)。鶴ヶ城で生き残り、17歳で黒田清輝の口添えもあって留学の機会を得て、アメリカのイェール大学へ。物理を学び、22歳で帰国。東大の前身である開成学校教員を経て、東京大学教授、そして東大総長となります。科学教育に一生をささげた信念の人。1905年、日露戦争後の戸水事件の責任を取って東大総長を辞任、その後、博多の明治専門学校(現在の九州工科大学)の学長、さらに新設された九州帝国大学総長を兼務。その後東京帝国大学総長、京都帝国大学総長等を勤め、さらに武蔵高等学校校長(2代目ですが、事実上の初代)という、教育者として一生をささげた偉大な方、信念の人、反骨の人です。

こんな人こそが今の日本に必要なのです。星亮一さんの「山川健次郎伝」(平凡社)という本が出版されていますのでぜひ読んでみてください。津田梅子らと岩倉使節団で渡航した大山捨松は、この山川先生の妹で、Vassar Collegeを卒業して帰国。大山大将の後妻、鹿鳴館でも活躍し、津田梅子を支援した人物です。山川先生のお兄さんは会津の家老、維新後は多くの苦難を超えて軍人として、また明治19年には時の文部大臣、森有礼に請われて陸軍大佐からいまの筑波大学となる東京高等師範学校長に就任、多くの人材を育てました。

国際物理年の催しの一つとして、山川健次郎先生の事を若い人たち伝える催しなどを考えて欲しいと思います。

ところで、東京麻布のスイス大使館では1月半ば頃まで、アインシュタインが1922年に日本を訪問した時の写真等の展示が行われているようですよ。

2005年1月

平成16年度日本学術会議 九州・沖縄地区会議学術講演
「21世紀の日本と長崎の科学研究 ~最前線の科学者から若者たちへ~」
日程: 2005年1月16日(日)
会場: 長崎大学医学部記念講堂
演題: 「日本のビジョンは?」

MEフォーラム2005 「未来をひらく医用生体工学」
日程: 2005年1月24日(月)
会場: 東京大学本郷キャンパス山上会館大会議室
演題: 「科学技術の振興と日本学術会議の役割」