台北へ、偶然の重なり

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Prof-Kurokawa-CGMH-visit
Prof. Yang 2nd from left. Next to the right between Prof. Yang and me is Prof. Tomino of Juntendo University.

GEWの初日に参加した翌日は、朝から台北へ向かいます。去年、約束していたChang Gung Medical Centerとの小さな研究会が「3.11」の大災害、大事故で伸びてしまっていたのです。Chih-Wei Yang教授とは長いお付き合いがあり、現在は国際腎臓学会International Society of Nephrologyの理事、Chang Gung College of Medicineを率いる学部長です。ご多忙の中、空港まで迎えに来ていただき、恐縮しました。

この間にも、偶然ですが、Chang Gung Medical CentersとArizona State University、さらにMayo Clinicも参加する予定という画期的なプロジェクト「Biosignatures」1)が始まっていることに米国側から相談を受けたばかりだったので、その偶然のタイミングがYang教授との話題の一つとなりました。

翌日はYang教授も参加した勉強会で若手の発表会に参加したのち、午後4時過ぎには羽田に向かいました。短い台北滞在でした。

でも、このようないつもの偶然に見えることは、何も偶然ではなく、いろいろな方たちとの出会いとその中から生まれる相互の信頼関係によるものだと思います。このような偶然の重なりと自分のその時々に所属する組織と関係ない、むしろ自分の履歴にみられる能力の「属性」に由来する信頼に基礎を置くユニークな人間関係は、これからの国境を超えるグローバル世界では、何よりの価値のある性格のものだろうと思います。

若いころからの自分の価値創造は、10代、20代から30代初めに自分の「属性」を世界のプロに接して磨くいくつもの機会を作ることと、そこから自分なりの目標を感じ取れる、そこへ向けた自分なりの努力目標を感じ取れることは大事なことです。

自分のユニークな価値を見つけ出す、自分にも謙虚になれる、世界での自分なりの立ち位置を設定できることは、キャリア形成にもとても役に立つことと思います。

帰国した翌日の11月11日夜には、成田からDubaiへ向けて出発です。

 

国会事故調の私の考え方: 民主制度を機能させる

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国会事故調については、いろいろとこのサイトでも、また他のメディアでも意見を発表しています。

今度のフクシマの教訓から学び、社会のいろいろな制度疲労を変えられなければ、日本は沈没しかねないと思っています。産経新聞10月11日の私のコメント、「今回変わらねば日本沈没」にあるとおりです。

最近の東京新聞(中日新聞にも)の11月8日に掲載された「そこのけお手盛り人事、原子力ムラ支配復活」にも私のコメントが出ています。

確かに、フクシマ原発事故以来の日本の事故への対応、エネルギー政策と原子力発電の方向、新しい原子力規制委員会、使用済み核燃料棒処理等々、原子力関係の議論も政策も、どこへ向かっているのかよく分かりません。

時間をかけて議論が必要なのは言うまでもありませんが、どうも「「脱原発」か「原発容認」か」、という狭い視野の議論になっているように思われます。

そして、原発関係のいろいろなことがうやむやの中で進んでいるようにも思われます。相も変わらず発想は近視眼的、透明性も低いのです。

皆さんはどうお考えですか?

私たちの国会事故調報告書の中心は、国会という「立法府」が、原子力に関するいろいろな問題について「行政府」をしっかり監視しろ、ということです。

三権分立は民主制度の基本ですが、日本では基本的には行政府の各省庁が政策を作り、それら執行しているのです。なにか変ですね。政府としての統治が機能していないのです。

最近でも、司法が選挙の1票の格差の「1:5」は「違憲」である、としているのに、立法府は何もしてきませんでしたね。国民も立法府も一票の差「1:3、1:4」などを容認していたのです。今までは司法もずいぶん弱腰でした、そして立法府も責任ある対応をしていなかったということです。なぜなのか、考えてください。

私のこれらのコメントについても考えて頂き、皆さんが、皆さんの選んでいる、そしてこれからの選挙で選ぶ国会議員に対して、国会事故調の提言の実現へ向けるよう、行動を起こしてほしいのです。

このような意識と行動こそが日本の民主制度を機能させる大事な基本の一つなのです。

 

2日間でMalaysiaとNorwayの首相にお会いする

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Malaysiaの首相Mohd Najib Abdul Razak1)は「科学とイノベーションのグローバル顧問会議」を設置、私も委員に招聘を受けています。

今回は、11月1-3日にわたってKuala LumpurとJohor Bahruで開催。10月31日の朝に成田を出発。Kuala Lumpur空港から1時間半ほどかかってホテルへ到着、夜のレセプションに参加。

翌11月1日の第1日はKuala Lumpurの首相官邸での会議。首相のほかにも関係閣僚も数名出席、Food Security、Nutritionと環境の問題などのいくつかの進捗の報告など、活発な意見交換と政策への反映などが議論され、指示されました。特に今回はJohor Bahruを中心とした「Iskandar Malaysia Smart City Framework」の現地視察も兼ねた会議でしたが、私は残念ながら2日、3日の現地視察は失礼することとし、1日の夜にはKuala Lumpurを出発、2日の早朝に成田へ戻りました。

帰宅後、一息ついて、昼はNorwayのJens Stoltenberg首相1)との会食、日本側は私だけで、フクシマ原発の国会事故調の報告書と、去年の夏のNorwayで多数の死者が出た乱射事件でのNorwayの独立委員会の報告を踏まえた、リスクと政府の対応などについて意見交換という趣旨です。

フクシマ原発の国会事故調報告書は世界でかなり広く読まれているようで、意見交換に興味のある方が、多くの国の要職にある方たちにもおられるのはうれしいことです。

さらにStoltenberg首相は「Global Health」についての意見交換という提案です。特にNorwayはこの分野ではGAVI1)などへの積極的な支援で知られ、首相も大いにこれを推進されているのです。私たちの主宰するHGPIも、先日GAVIと共催で会議を開催したばかりでしたし、9月初めに私も参加したOsloでのKavli Science Forumでも、首相はこの点を強調されておられたのは報告したとおりです。

あっという間に時間がたち、そのあとはNorwayのテレビ局と共同通信の取材などが続きました。

夜はStoltenberg首相歓迎のレセプションへ。平野復興大臣も出席され、大勢の関係者が出席され、Salmonなど海産物料理を皆さんで楽しみました。

2日続けて、お2人の首相にお会いするなど、考えもしないことでした。

 

国会事故調 -12: New York Cityへ、Japan Societyでの講演、そして世界へチャレンジ

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Photo credit to Mr. Ken Levinson for 3 photos at Japan Society Lecture, and to Dr. Y. Kuwama for 6 photos at its private reception.

Washington DCでの2日間の後は、New York Cityへ移動。Japan Societyで講演です。

もちろんフクシマ原発と私たちの国会事故調は世界に共通して関心が高いテーマですから、日米の多くの方がこられました。

私の講演は「Yoko Makino Policy Series」としてThomson ReutersのDaniel Basesの司会で進行。私は30分ほど国会事故調のグローバル世界での意義、活動の内容、報告書とその提言などについてお話ししました。その後はBasesさんと私の2人で2、3の意見交換後はご来場の方たちとの質疑応答でした。

この講演のビデオはhttp://www.japansociety.org/(Adobe Flash Player が必要です)で見ることが出来ます。日本英語ですが何とかですね(関連記事はこちら)。

大変に盛り上がったセッションで、私も皆さんと一緒に充実した時間を持つことができました。ちょうど1週間前には私の“部下(?)”のWilliam 斎藤さん(そのあとWashington DCで私に合流)もここで講演をしていて、日本社会の問題について私と同じことを指摘していた、ということでした。皆さん、かなり刺激を受けたようでした。Japan Societyの桜井理事長、Yoko Makinoさんにはいろいろお世話になりました。

参加者の中には、10年余前に、西元さんの努力で始まった(一部なのですが私もちょっと関与している、、)、New Yorkの病院での臨床研修プログラムで活動している日本の若いお医者さんたち、そして、彼らの先輩で私の東大時代の学生さんの一人で、今は臨床医としてNew Yorkで活躍している、Dr. Kuwama もいました。Japan Societyのレセプション、そのあとはTrump Towerの40階あたりの、Manhattanを見下ろす素敵なコンドのPrivate Receptionにもお招きいただきました、私が主賓でしたが、、、。

翌日は快晴で、気持ちの良い秋のNew Yorkの散歩を楽しみ、昼は廣木総領事と広報センターの金子さんと昼食といろいろな会話を楽しみました。

夕方はHarvard Clubで、Yoko Makinoさん、ご当地の若いお医者さんも参加して、その後は、Makinoさんのお友達3人とでBroadwayの「Chicago」へ。素晴らしいプロの仕事ですね。

この「Chicago」に、この夏と思いますが米倉涼子さん12)がRoxy役で出演したのですが、それに備えて1年ほどの猛練習をしておられたとか。これは並大抵の努力ではできない仕事ですね。何しろ世界のプロの競争の中での出演ですから。お相手はAmra-Faye Wrigh1)です。

でも、このチャレンジで米倉さんにとっては一皮むけたというか、とてつもなく大きく一つステップアップしたという感じだったのではないでしょうか。世界のトップ舞台での実体験は、何物にも代えがたい大きな自信になったと思います。世界での他流試合なのですから。

どの分野でもよいのです、日本の若者たちが、もっともっと多くの人たちが、日本からどんどん世界のトップの中で、自分の力で挑戦してほしいです。その体験は、どんなにつらくても、そして結果としてうまくいかなくても、何事にも代えられない貴重な経験になって将来の人生に大きな自信となり、自分を、そして自分の進路を見つめる良い機会になるしょう。

もっと多くの日本の人たちが世界で活躍できるのは間違いないことです。さあ挑戦してみよう、決してマイナスにはならないよ。もっと世界はグローバルに広がるよ。

 

国会事故調 -11: The U.S. CapitolとCSISでの講演、国会事故調英語版がウェブへ

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毎日、忙しい時間が過ぎていきます。事故調のスタッフの何人かは事務局仕舞いに忙しくしています。

私といえば、15日の午前11時直後に成田を出発、Chicago O’Hare空港経由でWashington DCに、同じ15日の午後1時30分に到着。

さっそくCSISへ向かい明日の講演、現在継続中の活動の打ち合わせなど。さらに国会事故調の第5回委員会にも参加し、いろいろと知見を頂いたCarnegie InstituteのRichard Meserveさんを訪問、そしてさらにNational Academyで米国議会の設定した福島原発事故調査委員会の活動について、委員長 Dr. Norman Neureiterとそれをまとめる主任Dr. Kevin Crowleyといろいろ議論をしました。以前に一緒に仕事をした、日本大使館勤務になっている次田さんたちがアテンドしてくれて、大変に助かりました。夜は次田さんのお宅でご馳走になりました。

国会事故調報告の英語版が、この日にウェブサイトに乗せられたのはとてもよかったです。このチームの方たちが本当によく仕事をしてくれました。そして、世界の皆さんが待っていたのです。

翌日の午前はU.S. Capitol1)へ。US-Japan CouncilとNBRの主催で国会事故調の報告1)です。Clinton、Bush両大統領の下で大臣Secretaryを務めたNorman Mineta さんも来られ、ご挨拶をいたしました。皆さん熱心に聞いてくれて質疑応答など、反応はとてもよかったと思います。

午後には、CSISでの講演で、国会事故調の報告です。会場が少し狭かったので、部屋いっぱいの方がこられ、ドアの外にも席が設けられました。80-90人ほどだったのでしょうか。この講演1) については、日本でもNHKのニュースがあったようです。

あと3週間で任期を終え、帰国される藤崎大使公邸へご挨拶。日米関係についてはいろいろ予測もしない事件がいくつも起こった大変な時の駐米大使、本当にご苦労様でした。

夜はこちらにいる、JETプログラムで日本を体験している数人の若い多様な米国人たちと、ご一緒。このような日本ファンを増やしていくことこそが、安全保障の根幹ですね。実感します。

今日の一日でも、私たちの国会事故調報告書とその背景、目的や意味が国内外に広がるのは、とてもうれしいことです。

翌日、主催者の方から以下のようなメールをいただきました。すこしでもお役にたててうれしいです。

Dear Kurokawa-sensei,

It was our great pleasure to host you at the Capitol Hill briefing on Tuesday on the findings of the Diet of Japan’s NAIIC report on Fukushima and a treat to moderate such an interesting and important exchange. We are deeply appreciative of your leadership and willingness to share your views on these findings with the Washington, D.C. policy community. It was a very powerful demonstration of the high standard of transparency that the Commission brought to the proceedings and your personal commitment to preventing future nuclear disasters.

We have received tremendous feedback on the discussion from those who attended and NBR, the U.S.-Japan Council, the Congressional Study Group on Japan, and the Senate Committee on Environment and Public Works were all honored to host you.

Thank you for your many contributions to global policy. We look forward to future opportunities and in the meantime, please let us know if there is anything we can do to support your work.

Best regards,

 

京都のSTS Forum、広がる世界、山中さんのノーベル賞など

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STS Forum1)では、例年のことですが、たくさんの友人に再会し、新しい知人もできます。

私は前日午後に開催された「EU-Japan」で国会事故調の成果と意味について講演、趣旨、内容、意義について話しましたが、皆さんとても喜んでくれました。特に世界各国の原子力発電事業者連合 WANO (World Association of Nuclear Operators)のLauren Stricker会長がとても大事な報告だ、大変参考になる、とコメントしてくれました。

夜はフランスの高等教育大臣Genevieve Fioraso さんを迎えてMasset駐日フランス大使はじめとしたフランス関係者20名ほどのディナーにお招きを受け、大臣とWANOのStricker会長に挟まれた「一等席」に座ることになっていました。ありがたいことです。しかも初めに挨拶もするように頼まれました。フランスの関係者の私たちの国会事故調の認識であり、評価ともいえます。

STS Forumの公式プログラム第1日目はいくつかのPlenary Panelがあり、みな素晴らしものでした。フクシマ原発問題があったのでエネルギーは注目の案件です。

Global HealthではiPSの京都大学の山中伸弥さん もパネルに。司会者はKarolinska Instituteの学長のHarriet Wallberg-Henrikssonです。 翌日の夜のレセプションの始まる時に山中さんノーベル賞受賞の発表とは、予測はしていた人も多かったでしょうしょうけど、素晴らしいことでした。もちろん山中さんはその場にはいませんでしたけど。

第2日、出席できなくなった方がいて、代理で私が「Capacity Building」のセッションの司会を任されました。場所の設定、パネリストの背景、どの程度の人が参加してくれるのか、いろいろ考えながら、その場でかなり違ったやり方を工夫して運営しました。皆さんとてもハッピーで、「よかった、、」という実感で過ごせたようでした。しかし、皆さんそれぞれが違う背景で、違う課題を持っているので、この辺が苦労するところです。ケニアの科学技術担当大臣ほかの関係者も何人かおられたので、私が数年前に訪問したNairobiのKiberaスラムのOlympic Schoolについてもちょっと触れ、私が今月の22日からナイロビへ行く予定であることもお話ししました。「ぜひ、、」と言って頂きましたが、その時にお会いできるかもしれませんね。

いろいろな機会に人との出会いが、大きく変わりながら広がる世界とどうつながっていくのか、そういう意味でもこのような機会はとても貴重です。

 

国会事故調 ‐9: 活動は続く、Swedenの視察団、取材記事など

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 国会事故調の報告書は「たなざらし」という意見、報道が多く聞かれます。

国会議員さんたちは、解散・選挙でそれどころではない様子ですし、竹島、尖閣などと、周辺国とのいざこざで、政府の対応も容易ではないでしょう。日本のことなどどうあっても世界はどんどん動いています。

先見を持ってしっかりと政府をリードしていく政治家、また官僚たちにもそれなりの責任感と覚悟があるはずとは思いますが、あまり感じられません、と多くの人が感じているのではと思います。

一方で、私たちの国会事故調報告書は、出版もされ書店でも販売され、アマゾンなどネットでも購入できます。より広く読まれる(全部ではなくてよいのですよ、、、)ことになるでしょう。

一方で、私たち委員、調査担当の方たちも機会をとらえて、国会事故調の意義、経過、報告書の骨格、これから国民の皆さんにしてほしいこと、などについて、広く知っていただけるよう、機会をとらえては(といっても限りがありますが、、、)講演会、テレビ、新聞などのインタビューなどにも対応しています。

岩波書店の「科学」にも、国会事故調の民主制度での私の意見が出ています。読んでいただけると、とてもうれしいです。

経済同友会、二本松での講演会などについても報告しました。このサイトの「記事・講演録の一覧」を見ていただけると、そのような活動の一部(他の記事などは「有料でないと掲載できない」とか、いろいろあるのです)をご覧にいただけます。このサイトでも8月16日のポスト以来、いくつもの報告をしています。

最近ではSweden大使館東北被災地のKamedo視察団(Topの写真はこの会見の時のものです)、再度の福島での講演、またいくつもの取材記事もあります。

皆さんと一緒に「国会事故調」を考え、一人ひとりに何ができるのか、これを考えながら、日本を変えていきたいですね。

 

「強さ」と「弱さ」を認識する、日本は変われるのか

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3.11から1年半がたちました。

あの大災害で世界が見たものは、巨大津波で多くの親族を失い、生活をすっかり失ってしまったとてつもない被害にあった人たちが、大きな悲しみの中で黙々として、大きな騒動もなく、自分たちで助け合う美しい姿でした。

福島原発事故でも、「フクシマ50」と言われたような現場の人たちの、自己犠牲の献身的な活躍に、ある種の感動を共有したのでは、と思います。

でも、あの大事件から1年半の時間がたって日本には何か変化の兆しが見えているのでしょうか?

私は、国会事故調の始まるチョット前の12月1日に、一緒に仕事をしているHiromi MurakamiさんとJapan Timesに、 "Fukushima crisis fueling the third opening of Japan"という意見を投稿しました。ちょうどTTPが話題になっていた頃でした。「日本の第3の開国はボトムアップからだ」というタイトルです。3.11をきっかけに多くの若者たちが新しい社会構築に活躍をはじめていますが、これらが新しい日本の、「第3の開国」のきっかけになってほしい、という期待です。国全体としては、世界が変化しても、いろいろな利害関係者との利害が複雑に絡まって、TTPや近隣諸国との関係などについての、国の政策がほとんど動かなくなっているからです。

日本の政産官などのリーダーのひどい有様は「3.11」ですっかり世界に知られてしまい、国家の信用は大きく損なわれてしまいました。

このタイトル「Third Opening of Japan」が何人かの目を引いて、3.11の1周年にあたる今年の3月11日に出版されたReconstructing 3.11amazon) というeBook本に"History: Japan's third opening rises from black waters"(by Hiromi Mukrakami and Kiyoshi Kurokawa)というエッセイを掲載していただきました。

しかし、大災害から1年半がたち、復興へ向けて、特にフクシマでは何が起こっているのでしょうか?この日本人の辛抱強さなどが、大きなうねりとなって動き始めているのでしょうか?却って、福島、岩手などの現地で黙々と日常的に働いている方たちを見ると胸が痛みます。政治も、行政も、この多くの被害にあわれた方々の、あきらめにも似た従順性を利用している、というか、少々甘く見て、対策が遅れているのではないかと思えるこの頃です。

そんな時に同じような意見がNew York Timesにも掲載されていました。日本語は「変わり始めた日本人」ですが、英語では“In Fukushima, Surreal Serenity”として掲載されています。クミコ・マキハラさんの記事です。

毎週金曜日午後6時の官邸前での粛々とした「反原発デモ」は、従来と違った自発的な行動のようですが、このような権力に対する意見が目に見える形で出始めたのは、日本人がちょっと変わり始めている一つの証左かもしれません。

しかし、メディアの報道などを見ていても、政治の世界は相も変わらず小粒の権力闘争ばかりで、国家の行方も見えず、変わり映えがしません。政治の力の弱いことをよいことに、各役所は自分たちの「仕事(というか利権の維持)」を粛々と進めながら、何も変えようとしない、既存勢力の恐ろしいほどの抵抗が、変わる世界の情勢の中で、「変われない日本」「漂流する日本」の底流にあるように見えます。

なぜでしょう、どうしたらよいのでしょう。

それは、マキハラさんの記事の最後にあるように、「この国が現在取り組まなければならない難しい課題、それは賞賛に値する日本の人々の忍耐力はそのままに、国家や組織に対する健全な批判精神をどう育てていくか、という事…」なのでしょう。

 

国会事故調 ‐8: FACTAの記事、2つ

FACTAといえば、政治、経済、産業界等に対して素晴らしい切込みで知られた、いわゆる質の高い月刊誌だと思います。

去年の夏にはオリンパスの問題を取材掲載していたところで、この記事から社長が突然解雇され、あの大問題が起こる発端になったことでも知られています。

この編集長の宮嶋さんは、私たち国会事故調が始まってからほとんどすべての委員会に出席されて、鋭い質問を浴びせるので、私もどうなるかとチョット心配をしていました。

でもずいぶんと私たちの活動を応援してくださっていることは、次第にわかり始めました。報告書が出た後、2回ほどこの国会事故調関係の記事を掲載してくれました。

第1回は、10月号に掲載された民主党の荒井 聰議員と私の対談、そして11月号にはこの事故調の調査統括を引き受け、この委員会の推進に中心的な役割を果たしてくれた宇田左近さんの特別寄稿PDF)です。

いつも本質をついてくる宮嶋さんらしい企画として取り上げていただき、うれしかったです。特に宇田さんの特別寄稿は、国会事故調の中の経緯を書き取って、私たち委員の一人一人が知らないところも多く、とても緊張感のあるいい記事になっていると思います。

宇田さんと、彼とこの「大事業」を動かしてくれた人たちみんなに、委員を代表して本当にありがとう。

 

国会事故調 -7: メディアの反応

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国会事故調査報告書を発表したとき、メディアの反応は否定的ではなくとも、褒める事のない事は予測していました。それがメディアの特徴だからです。

特に同時に発表した日本語版の「要約」と、英語での「Executive
Summary」の最初の部分が「同じでない」、しかも英語では「日本文化のせい」というフレーズがいくつかのメディアで批判されました。

海外ではThe GuardianFinancial Timesへの投稿で「文化のせいにすると責任を問えない」などと批判されました。

しかし、この「要約」と「Executive Summary」はほぼ同じページ数ですが、内容は違います。

海外メディアでも評価されるコメントは多いようです。

例えばCNNのコメント等です。

http://edition.cnn.com/2012/07/06/opinion/takeshita-fukushima-management/index.html

http://www.pbs.org/newshour/bb/world/july-dec12/fukushima_07-05.html

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-18718486

特にこのDr. Chackoの記事はよく分析しています。何しろDr. Chackoは、私のことを良く知っていますから。

http://www.huffingtonpost.ca/sunil-chacko/safety-metrics-made-in-ja_b_1680670.html

メディアもいろいろです。海外でも多くの報道がなされました。