Elizabeth女王の誕生日

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英国大使館では、女王陛下の誕生日パーティーが毎年開催されます。これはどこの国の大使館でもあることですね。日本大使館では天皇誕生日に行うでしょう。

4月21日、そのパーティーに出かけてきました。ちょっと雨模様でしたが、素敵な庭でたくさんの友人達とちょっとしたひと時を過ごしました。

出された小さなパイには、いろいろな“具”を載せた新握りすし風“Sushi-Pie”。大使にも「あれはドウ?」と聞かれましたが、具によってはなかなかの味でした。

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写真: 科学アタッシェChris Pookさんたちと

英国大使館は場所も、庭も、建物もとても立派なものです。先の対戦中は「鬼畜米英」などと言っていたぐらいの敵国だったのですが、どうなっていたのでしょうか?日本が掃除も含め、しっかり維持管理していたそうです。英国は感謝というか、感心というか、妙に感じたんじゃないでしょうか?

戦時中のロンドンではどうだったでしょうか?ドイツは敵国ですから、大使館はもちろん没収され、それ以来、The Royal Societyが使っています。そこの地下には当時のドイツ大使の愛犬の墓、というか愛犬が埋まっているんだそうです。

日本は始めからこの戦争は勝てると思っていなかったのか、当時の大英帝国とは最初の同盟国だったので、親しみがあったのでしょうかね。皇室の関係に配慮したのかもしれませんね。皇室も戦争したくなかったんじゃないでしょうか。

Gairdner賞、山中、森のお二人の受賞と素晴らしい先達たち

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顕著な学術研究に対する顕彰があります。医学生命科学分野でもいろいろな賞がありますが、この分野で最も権威があるものとしてはGairdner(ガーデナー)賞、Lasker(ラスカー)賞、そしてNobel賞というところかと思います。

Nobel賞は20世紀が始まったばかりの1901年から行われていて、広く知られています。いつも10月の初めに行われるNobel賞の発表はニュースをにぎわします。受賞者リストは19世紀末から20世紀の100年の科学の変遷と大進歩を表しているといってもいいでしょう。去年は自然科学分野で南部、小林、益川、下村さんの4人の日本人(「日本人」の定義についてはそれぞれで考えてください)が受賞して大いに話題になり、私たちに自信を与えてくれました。

Lasker賞というのは1945年から始まりました。臨床医学賞と基礎医学賞が主要な賞で、基礎医学では1982年の花房秀三郎、87年の利根川 進、89年の西塚泰美、98年の増井禎夫さんたちが受賞しています。臨床医学では2008年に遠藤 章さんが受賞しました。この方たちのうち、受賞対象が日本での成果が主だったのは西塚、遠藤先生のお二方だけです。

Gairdner賞は1959年からで、今年がちょうど50年目になります。今年は山中伸弥さんと森 和俊さんが受賞され、京都大学から2人の受賞者が出たことになります。山中さんは国内外でよく知られている「iPS」で、森さんの仕事は地味ですが素晴らしいものです。

4月10日の朝日新聞の記事にもあるように、今までのGairdner受賞者にはLasker賞を受賞した利根川、増井、西塚さんのほかに、石坂公成、照子ご夫妻と小川誠二さんがいます。受賞対象が日本での研究が主だったのは、西塚先生と今回のお二人です。

Lasker、Gairdner賞ともに、受賞者のうちからNobel賞の受賞者がどれだけ出るか、意識しているようでもあり、また、同じ分野でも3つの賞の受賞者が微妙に違った人選があるところもどんな議論がされたのか、推論してみるのもいいでしょう。特に2001年のNobel医学生理学賞になぜ増井さんが入っていないのか、Natureなどでちょっとした議論がありました。

Nobel医学生理学賞はまだ利根川さんだけしか受賞していませんが、これから出てくるだろうと楽しみにしています。

小川誠二先生は、人間の脳機能研究に広く使われている「fMRA」の原理を発見したかたで、125周年を迎えるScience誌(7月1日号)で、歴史上、科学の進歩に貢献した人たち約125人の中に入っている唯一の日本人なのです。

タヒチ-4 (吉田松陰のこと)

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先日のブログ「タヒチ-3」で、灯台の入り口にあるプレートの写真を掲載しましたが、そこには以下の一文が記されています。

“ Robert Louis Stevenson、Tahiti 1888
‘Great were the feelings of emotion as I stood with mother by my side and we looked upon the edifice designed by my father when I was sixteen and worked in his office during the summer of 1866.’”

これを見たときに、「これだ!」と感じたのです。

Robert Louis Stevenson(1850-94) は「宝島」、「ジキル博士とハイド氏」などで知られる英国の作家ですが、両親、そしてお祖父さんも灯台を作るエンジニアの一家なのです。Robertは身体が弱く、家族の期待には応えられなかったのですが、文学に才能を発揮します。1874年、フランスで病気療養中、10歳年上の子連れの米国人女性と恋仲になります。病弱で死にそうになりながら1879年に渡米し、Californiaにやってきます。そして1880年に結婚するのです。

Robert Stevensonは1880~87年に家族とともに英国に帰りますが、父親の死とともに母親と家族を連れて米国へ戻り、翌1888年に太平洋に旅立つのです。ここTahitiのプレートは1888年、その年なのです。

彼は1894年暮れに太平洋の島で44歳で亡くなります。Wikipediaなどで彼のことを調べて見ると実に面白いです。人間の歴史がここにあります。

このプレートを見て「これだ!」と感じたのは何か。それは吉田松陰(1830-59)のことです。この松陰とStevensonの奇妙な関係をいつか紹介したいなと、実は何年も考えていたところだったのです。2007年5月の「天皇陛下のリンネ誕生300年のご講演」についても、いつ紹介しようかと随分考えました。

近代日本を立ち上げる大事な精神的きっかけを作った一人が吉田松陰です。彼の松下村塾は、明治維新にいたる多くの志士を生み出しました。この松陰のことを初めて書いたのが、実はこのStevensonなのです。それは1880年3月に「Yoshida-Torajiro」(吉田寅次郎とは松陰の通称)というタイトルで書かれていて(Cornhill Magazine 41)、1882年に「Familiar Studies of Men and Books」として一冊の本にまとめられて出版されています。

これは、松陰の死後20年目に英語で書かれています。では、誰が松陰の話をしたのでしょうか。その答えはStevensonのエッセイの初めに書かれています。「Taizo Masaki」です。

正木退蔵、東京工業大学(当時の名前は違いますが)の初代学長です。正木とStevensonの関係について触れているサイトはいくつもありますので、調べてみてください(参考: 123456) 。

また、“よしだみどり”さんの本で「日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 烈々たる日本人―イギリスの文豪ステーヴンスンがなぜ?」(2000年)というものもあります。いろいろと調べてみて、この不思議な縁と、偉大な松陰のこと、そして“教育の本質”について考えてみてください。

混迷の今の日本に松陰はいずこに?

それにしても、Tahitiでこのご縁に出くわすとは思いませんでした。

日韓の将来。佐藤剛蔵に学び、その遺産の継承へ

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先日のブログで、20世紀の前半、韓半島の医学教育に貢献された佐藤剛蔵先生について少し触れました。2007年の10月、ソウルへ同行してくれたジャーナリストの出口さんの名文があります(参照 12 )。

このソウル訪問から約1年と4ヶ月を経た2月20日、佐藤剛蔵先生から私たちが何を学び、将来へ向けて何をするか、そのような趣旨の会を私の所属する政策大学院大学で開催しました。

素敵な会でした。その詳細はまた出口さんの取材力とプロの素晴らしい筆の力にお任せしましょうJSTサイエンスポータル編集長の小岩井忠道さんも素敵な報告をしています。

不思議なご縁ですね。集まった皆さんが、想像もできない不思議なご縁で繋がるのです。

つい2日前の18日にCanada大使館でお会いした参事官のChristine Nakamuraさんのご両親もいらっしゃいました。

感動の一日でした。皆さんありがとう、そして明るいお隣同士の将来へ、共同作業を始めましょう。歴史に学び、行動するのです(参考)。

Canada and France大使館

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カナダから、前科学技術顧問のArthur CartyさんをリーダーとするNanotechチーム一行6名ほどが来日され、18日にCanada大使館でレセプションがありました。活気のある時間でした。去年9月に着任したFried大使ともお会いし、5年前、私が日本学術会議会長のころ、日本-Canada国交75周年を記念して「Young Woman Scientists Exchange」をはじめたことなどお話しました。いろいろ新しい知己があり、旧交があります。

翌19日は、フランスの将来予測と情報経済担当大臣のNathalie Kosciusko-Morizetさんをお迎えして、フランス大使館でディナー。2日続けて英仏語が入り混じりの会話に包まれていますが、私はフランス語が全然ダメなのです。

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写真1: 右からKosciusko-Morizet大臣、Philippe Faure大使、私、Dr Jean-Louis Armand科学技術担当公使

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写真2: 大臣と私

このカメラマンはセンスがいいですね。彼のblogも素晴らしいですよ。

大臣もblogで情報発信 ( 12 )、私たちとのことも書いています。

別途報告しますが、この日は日韓の近代医学教育史に貢献した佐藤剛蔵先生について考え、今後の日韓関係を考える企画のレセプションもあり、挨拶をしました。明日が楽しみです。

「神の雫」 150年物のChateau Lafite、究極の贅沢

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150年前の日本は明治維新(1867年)直前の大変化の時でした。英仏との公式な国交が始まったのもそうですし、慶應義塾の創立も150年前でした。去年はいろいろと150年の記念行事が開催されました。

もう一つ、Darwinの「種の起源」の出版も150年前です。

その150年前にあたる、1858年のChateau Lafite を2本味わうというとてつもない経験をさせていただきました(当たり年なのですね、しかもRothschild男爵家の所有になる10年も前のものになるそうです。)。

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写真1~3: 1858年のChateau Lafite

ロンドンへ向かう前日、1月24日のことでした。集まったのは20数人ほど。誰が集まったのかは言わないことにしましょう。こんな経験は、招かれても、関係なくても、恨まれるかもしれませんから。Gibraltarで見つかったのを、どうにかして手に入れたとか。(ご参考までにアンティークワインを取り扱っている会社のサイトをご紹介します。)

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写真4~6: 慎重に、慎重に

日本ソムリエ協会長の小飼さん(写真8)もこんなワインは初めてでしょうけど、解説を聞きながら、2本を1時間ほどの間隔で。同じ2本でもけっこう味は違うのです。

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写真7~9

ほかのワインは以下のリスト(写真10)。料理は京野菜あしらいフランス料理。

Gemurztraminer Vendange tartives 1998, Louis sipp
Puligny-Montrachet 1er Cru Champ Canet 2006, J.M. Boillot
Pommard 1er Cru Grand Clos des Epenots 2005, Courcel
Chateau Mouton Rothschild 1996
Tokaji Aszu 5 Puttonyos 2002, Torley
Philipponnat Reserve Rosee N.V

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食後酒は、75年のChateau d’Yquemを。

いやいや、究極の贅沢を、ありがとうございました。

3週間ほど前とは思えないほど、はるか昔のこと、まだ夢のようです。

日本国のビジョン、私の考え

今年の元旦のブログから「国家ビジョン」について繰り返し発信しています(参考: 1234 )。

この背景には、去年12月に2回、そして今年1月に1回、同じ趣旨で講演する機会のあったこと、オバマ新政権の布陣からの必然、そして、今後の世界の変化を踏まえて予測(「想像」とは違います)されること、その中での日本のあり方を考えた上でのことです。

これらの3つの講演は、どれも1時間弱の時間でしたが、それぞれの会場で約800人、1,000人、600人と、しかも殆ど重複はなく、社会的に重要な地位にいる方々が多かったので、3度とも大体同じ内容の話にしました。

ありがたいことに、この講演の一つがほぼ全文、(社)産業環境管理協会の「環境管理」2月号に掲載されることになりましたので、ここにもPDFで紹介します。

「何をバカな」、「無理だよ」、あるいは「できない理由」がすぐに頭の中に浮かんでしまうのでしょうか。

朝日新聞の村山論説委員が書かれた、「窓」という記事も参考にしてください。

 “グローバル時代、日本の課題は?”
 2008年12月11日に開催された「エコプロダクツ2008 記念シンポジウム」での基調講演

「大学病院革命」、慶應義塾大学病院への提案

慶応義塾医学部新聞(2008年12月20日号、第686号)の1面に、戸山病院長と私の対談、“今こそ建学の精神に立ち戻り、未来へ向けた「大学病院革命を」!”が掲載されました。慶應義塾大学病院の将来がテーマです。

私の論点は「大学病院革命」にも書いた内容で、これまでも機会あるごとに発言していますが、現在の政府が進める第5次医療計画にも通ずる基本的考え方です。

このブログを訪れてくださる方々には何度も言っていることですが、このグローバル時代、何が自分の強みで、何が弱みなのか、何が自分を他と差別する特徴なのか、リーダーの責任は何か、などにも触れてお話ししました。

私は慶應義塾の応援団と自認していますが、対談ではその理由についても触れられています。福沢諭吉の思想と行動とそのスケールを考える時、特にその時代と社会の背景を考えれば考えるほど、とてつもなく大きい人だと感じます。こんな人が今の時代、一人でもいるでしょうか。

この対談に目を通していただき、日本の医療、大学病院の役割とそこへの改革の工程を考え、実行していただければ嬉しいです。

「生物資源の保存」シンポジウム、天皇陛下のリンネの記念講演

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12月9日、神戸での学会で「生物資源保存」についてのシンポジウムがあり、基調講演(プログラムフルテキストPDF )にお招きいただきました。講演の前に、生物資源保存の展示 に伺いました。たくさんの資源が集められ、研究されていて、すばらしかったです。皆さん、とてもがんばっています。若い方たちに、「これだけ多いサンプルなのに、すべてに名前がついているのは不思議だと思わない?」と聞きました。

今回私は用意しておいた資料に沿ってお話しましたが(最近は、原則としてpowerpointを使わないことにしているのです)、講演の内容については、このブログを時々読んでくれている方には、見当がつくものだと思います。

資料の順序に沿って話しましたが、講演で特に伝えたかったのは後半部分です。

まず、去年(2007年)リンネの生誕300年にあたって、天皇皇后両陛下がSwedenをご訪問され(参照 1 2 3 )、Uppsala大学(1477年設立)の名誉会員になられました。これはSweden国王を含めて4人しかいないと聞きました。(こちらのサイトでも様々な写真が閲覧できます。

その後、Londonのリンネ学会にも訪問され(参照 1 2 )、陛下の格調高記念講演がありました。それを読んでみるととても感動します。この背景には国民が皇室を尊敬し、誇りに思う基本があると私は考えるのです。格調高い本当にすばらしい内容と構成です。多くの動植物種に学名がついていることのリンネの貢献についても触れられています。ぜひ読んでみてください。

Uppsala02写真: Uppsala大学長Hallbergさん一行が訪日のときにSweden大使館で。陛下の訪問が話題になりました。

この原稿は誰が書いたと思いますか?ほとんどが天皇陛下ご自身としか考えられません。本当にすごいことです。ご公務を考えれば、そのご努力がどれほど大変なものか、想像してみればすぐ理解できると思います。

この陛下のご講演をいつか皆さんにも読んでもらいたい、と思っていたのですが、今回は本当にいい機会でした。

もう一つは、「アメリカ大陸に最初に来たヒトはアイヌ?」という最近の話題です。資料はとにかく集めて整理しておくことが大事なのです。サンプルがなければいくら解析技術が進歩したところで何もできません。

科学でも何でもそうですが、私たちの現在は多くの先人の努力の積み重ねの上に成り立っているのです。小手先の「なんの役に立つのか?」などというばかりの学術政策、研究費配分、役所への陳情など、みな発想からして貧困です。

ローマから

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11月1日、Bellagioを朝早く出発。何かのストライキとかで道は込んでいて、Milanoの空港まで3時間。向かったRomeは快晴で、正午ごろ、スペイン広場のすぐ側にあるホテルにチェックイン。昼食をとりながら打ち合わせを行なった後、イタリア外務省へ。外務省の建物はファシスト党本部として計画され、でも建築が間に合わず本来の目的では使われなかったとか。

来年のG8サミット担当のシェルパ、Massoloさん他の政府高官と、日本で行なった「track 2」プロセスの成果と意義、それに基づいたBellagioでの議論の成果、そしてイタリアG8サミットでのGlobal Healthに関する期待などを中心に、1時間ほど討議しました。これほど多くの時間をとっていただけたことに感謝。夕方から大雨です。

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写真1~2: イタリア外務省での会議、SherpaのMassoloさんと

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翌日の2日も雨。午前中は、10年ぶりでしょうか、あわただしくVatican Museumへ行きました。入口の部分が新しい建物になっていました。いつもながら贅を尽くしたすごいコレクションです。いろいろ複雑な歴史、政治と宗教、富と庶民、芸術の力、RaffaelMichelangeloなどなど、人間の活動と宗教、そして歴史の背景について考えさせられます。Sistine Chapel(参考 1 2 )ではほとんど時間切れでしたが、2年前、British Museumの特別展示でみたMichelangeloのデッサンの下絵の一部もありました。想像するだけでも圧倒される大偉業ですね。そして、世界で一番大きいSt. Peter大聖堂にも圧倒されます。次回機会があればもっとゆっくり訪ねたいです。

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写真3~7: Vatican Museumから

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写真: St. Peter大聖堂、坂野、田辺さんと

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私が内閣顧問をしていた時の内閣官房副長官補の安藤さんがご当地の大使で赴任したばかりです。洞爺湖G8サミットのこともよくご存知なので話は早い。遅めの昼食で魚料理を頂きながら、私の今回の訪問の目的、大使からはご当地の様子などを伺いました。経済産業省から大使館に来ておられる戸部さん、私のスタッフの坂野君も参加。来年2月に再びRomeで今回のフォローアップ会議を開催予定ですので、大使のご協力、ご指導もお願いしました。

夜の便で帰国に発たちました。グローバル化時代の各国の政治のあり方の違い、一方では金融、気候変動、食料問題等々があり、各国の政治とグローバル課題の隔離をどう折り合いをつけていくのか、難しい課題です。いろいろ日本とイタリアの政治について考えることのあった旅でした。

米国ではClinton氏の国務長官就任が決まりました。