私の受賞お祝いの会と吉川先生の「3つの層」の言葉

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去年、私が委員長を務めた”憲政史上初”という福島原発の「国会事故調」に対して2つの受賞、AAASのScientific Freedom and ResponsibilityとForeign Policyによる「100 Top Global Thinkers 2012」がありました。

このことを祝ってあげようと主として科学者サークルの友人たちが企画したとても楽しい会がありました。国会事故調にもいくつかの大事な指摘を頂いた元東京農工大学学長の宮田清藏さんが音頭取りで企画してくれたのです。私の国会事故調についての講演との組み合わせです。

私にとって、国会事故調に対するこのような世界の高い評価はとてもうれしいことですし、これだけの仕事を6か月という短期で達成できたのは、特に事故調のチームを中心とした多くの人たちのおかげです。

この会は東大総長、日本学術会議会長等をされた私の尊敬する吉川弘之先生の国会事故調と私の紹介で始まりました。吉川先生は21世紀に入ってすぐに、特に日本学術会議と世界の科学者アカデミーの大転換にあった時に、両方で責任ある立場でとても苦労され、日本学術会議では会長、私が副会長として、そのあとを私が会長と、何年もご一緒に仕事をさせていただいたこともあり、私のことはよく理解されているといつも思っていました。

しかし、予測もしなかったことですが、先生はこの成果について「3つの層で喜んでいる」と始められ、私の行動についての考察をされました。こんな話の展開になるとは、私も思いもしないことでしたが、多くの皆さんもと思いますが、私も感動しました。この吉川先生の「3つの層」については、出口さんのメルマガ
(英訳はこちら)がかなり正確なので、ぜひ目を通してください。当日の写真もいくつか掲載されています。

石倉洋子さんのblogにもこの集まりについて書いてくれています。

米英豪、ノルウェー、スイス、藤崎駐米大使などの参加とご挨拶ほか、根本大臣ほか何人かの参加の国会議員の方々にもご挨拶いただき、ドンペリ、KENZOワインなど、とてもとても楽しい会でした。

皆さん温かいお気持ちを感じる集まりでした。ありがとうございました。

 

東大の入学式で祝辞

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東大の入学式は毎年4月12日に行われます。

私たちが入学した頃は桜の季節でした。

日本の大学の入学式は学生さんにとって最も大事な人生の第一歩です。多くの家族の方たちも列席します。

今年の入学式で私が祝辞を述べることになりました。その連絡を受けたとき、私にはちょっと驚きでした。このサイトを時々訪れる方の中には「なぜ?」とご理解してもらえるかもしれません。でも素直にうれしかったですね、そんな時代になったのかと...。

武道館での入学式。浜田総長、そして石井教養学部長の後に、私の祝辞です。

新入生に私の気持ちを10分ほどで伝えたいと考えました。

私の祝辞はこちらです。ビデオもいずれリンクします。

 

Los Angeles、UCLA、そしてPaul Terasaki との再会

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Abu DhabiからLondon Heathrow空港経由で約24時間、Los Angelesに3月20日の午後3時に到着。ホテルへ直行、一休みして、散歩、そして夕食へ。

翌日はUCLA Luskin School of Public Affairsの日本からの留学生たちとホテルで面会。そこからUCLA へむかい、国際関係担当副学長 Cindy Fanほか数人たちといくつかの案件の会議。夜は去年、東京でも参加したGOLDのレセプション。

翌22日はUCLAのChancellor学長 Gene Blockほかと会議、さらにRoyce Hall1)の小さめのホールで‘Global Agenda in Post Fukushima’の講演。部屋は120人ほど(?)の方々で超満員。私の米国での恩師の一人Charles Kleeman教授もご夫妻で来てくださいました。

そのあとGOLDの会議へもどり講演。この日はKopernikのFounderの中村さんがOpening Keynote、私がClosing Keynoteと、去年と似た役割となりました。去年はRoos 米国大使夫人がある意味でPartnerでしたが...。

夜は再びUCLA Chancellor BlockさんたちとBeverly Hillsでも最高級のMontage Hotel Scarpettaでディナー。Irene Hiranoさん(先日亡くなられた米国上院議員Daniel Inouyeさんの奥さま)、西田国連大使桜井Japan Society会長Ralph Shapiroさん等々、UCLA Terasaki Center for Japan Studyのサポーターたちです。私もそのメンバーですが、去年の20周年記念行事には、福島原発事故調の最中で参加できませんでした。

翌日は、再びMontage Hotelで理事会。そのあと 最上階のProf. Paul Terasaki さんのPenthouseでちょっとしたレセプション。Dr. Taresakiは臓器移植の組織適合性と移植のアウトカムの研究で大きな貢献をした方で、私も腎臓の専門医ですから、腎臓移植患者も診察もしますし、UCLA時代からの仲間なのです。この組織適合性の研究成果で富を得て、UCLAに大きな寄付をされ、Japan Studyの研究所を作り、このような引退生活をされているのです。うらやましいですね。

いつものようにさわやかで、真っ青な青空の、懐かしいLos Angelesでした。Getty Museumを訪ねて、翌日帰国の途に就きました。

忙しく、またゆっくりした4日でした。

 

アブダビから ? 2

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アブダビ訪問の2日目は経済開発局(Department of Economic Development)です。Alsowaidi長官以下が参加され、私たちの一行との産官学の協力についてとても歓迎してくださいました。とくに、前日私が体験したUAE大学Al Ain校での「Sakura Club」の偶然はとても喜んでくださいました。さらにこの会談が東大先端研の発案でできたことなので、研究開発の協力についていくつもの話題に議論が進みました。このようないわば「トラック2的」な会合はとても大事な国家のお付き合いの基本要素と思います。

アブダビ側からは「アブダビ2030」というプレゼンがあり、日本サイドからは昭和医科大学の工藤教授(消化器外科)も参加して大腸ポリープの内視鏡による切除のビデオを使った説明や、参加したいくつかの企業のプレゼン、また東大先端研の紹介などがありました。

私はほかの用事で1時間ほど中座しましたが、この訪問は現地の新聞に掲載されました。もっとも、私の肩書が間違っていたのが、ちょっと残念。

皆さんご存知のように、Abu Dhabiでは原子力発電所の建設中であり、日本との交流を一層深めたいのです、そして今回の事故からも学びたいのです。

無事に予定が終わって、今度はZayed大学へ向かいました。これも驚くほど素晴らしい施設で、最先端の設備です。ここにも「日本ファンクラブ」のようなものがあるようでした。

夜は加茂大使のご厚意で、3年ぶりのことでしたが大使公邸へ伺い、夕食をいただきました。

翌日は今回の訪問の最後の日。私はといえば、私も理事を務めているKhalifa大学のLaursen学長を訪問、そのあと昼食を皆さんとゆっくりしながら それぞれが帰国の途に就きます。夜はアブダビに2年契約できている新聞記者のインタビュー、この記事も掲載されていました

彼女はHarvard大学卒業で、インタビューのあとご当地にいるHarvard関係者のPark Hyatt Hotelでのディナーに招かれ、参加しました。なかなか素敵なホテルです。いろいろな人が仕事できています。そのあと夜11時にホテルをチェックアウト、飛行場へ向かいました。

これからLondon経由でLos Angeles へ、全行程24時間ほどの旅です。

 

アブダビから ? 1

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久しぶりにアブダビに来ました。今回はアブダビの大学関係や日本とも関係を広げたいという趣旨で来たのです。

私と元経済産業相の豊田さん、さらに東京大学先端研所長の中野先生たちと、いくつかのご当地と関係の深い数社の方たちの20人近いグループです。もとはといえば、私がアブダビのカリファ大学の理事をしている関係、そして東京大学でも総長顧問団(President's Council)、また東京大学先端研所の理事をしていることもあって、相互の大学間の関係を構築したいと考えていたからです。もちろん、教育や研究だけでなく、日本とUnited Arab Emiratesはこの40年とはいえ、深い相互関係もあります。日本へのエネルギーの主要輸出国と輸入国という関係なのです。先月は茂木大臣が訪問され、東大先端研も含めていろいろな協定が結ばれました。

夜遅く到着して翌日の第1日、アラブ首長国連合の国立大学UAE Universityキャンパスを視察。欧米の多くの大学、企業が研究室を開設しとても活発な教育研究活動をしている様子が良く見えます。特に学部教育に熱心です。日本の名前が見えないのですね。とても残念なことです。そして、この大学には「Sakura Club」という日本を知りたい、日本と友達になりたい学生たちのクラブがあることを知りました。

午後はUAE大学本校のあるAl Ainへ向かいました。車で90分の行程です。快晴で気温は25-27Cほどの快適さ。素晴らしいキャンパス、いろいろ見せていただきました。3~4年ほど前にもこの医学部へ来たことがあります。医学部はJohns Hopkins大学と提携しています。ここも学部教育が中心です。

5時には出発の予定でしたが、本部の素晴らしい建物に入ると、なんと5~6時に「Sakura Clubのイベント」と掲示してあるではないですか。予定を急遽変更し、講堂に入ったところ、なんと着物を着た女子学生と、本格的な和服姿の日本舞踊の女性が。これがなんと服部マコ(眞湖)さんとそのチームではないですか。お互いに知っているので「なんだなんだと」、あちらも驚いたでしょうね。何しろ予測のしないところに、日本男子20人ほどが突然入ってきたのですから。みんなとてもうれしくなって、マコさんの着物の解説と踊りなど、皆さんとてもいい時間を過ごしました。

去年の11月に着任された日本の加茂大使ご夫妻もこられました。

ここで早稲田から1年間勉強に来ている女子学生に会いました。彼女もびっくりしたでしょうね。充実した大学生活をしていると言っていました。

講堂では舞台に向かって左側に女子学生、右側に男子学生と分かれて座っています。これがご当地の規則なのですね。

私たちは30分ほどで失礼しましたが、学生さんたちみんなの良い思い出になったでしょう。

こんなところでも意外な出会いがあるものですね。

 

大学改革は待ったなし、日経シリーズ

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大学改革は遅々として進みません。東大の秋卒発表はメディアも大きく取り上げ、一歩踏み出していますが、社会の受け皿とか、とにかく各論に入って、できない理由ばかり取り上げるのですね。

今やトップの大学は教育にも、研究にも「多様性とグローバルに開かれた大学」でなければ意味がないでしょう。

最近の日経新聞が朝刊の一面で大学改革シリーズを出していますが、これに同時並行でウェブでのシリーズも出ています。

私もこのシリーズでインタビューを受けましたが、小泉総理のころから主張していた「大学の大相撲化」(1)(こちらからこの日経シリーズがいろいろ読めます)というキーワードでまとめられています。このブログで「大学改革」「大相撲化」などで検索すると多くの記事を見ることができるでしょう。

相変わらず「知の鎖国」(12)なのです。

日本社会は日本の大学教育を本気で心配しているのでしょう。しかし、社会のほうも大学で評価し、学生本人を見る目がなったのでしょう。双方が適当だったのですね。それは所詮、過去の枠組みの中の日本だったからなのです。

国の根幹は人づくりです。どんな人を育てるのか、この先の見えない世界で、各界の「リーダーは」日本をどこへ向けたいのでしょうか。

若者たちのせいにしてはいけません。「子供は社会を映す鏡」なのですから。

すぐにでもできることは学生さんたちの選択肢です、「休学のすすめ」(1)、「Gap Year」などでしょうか。

 

MIT Media Lab in Tokyo 2013

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去年も書きましたが、今年の1月もMIT Media Lab in Tokyoが2日間にわたって開催されました。私も第1日目の最後、Media Lab所長のJoi Itoさん、SONY前会長の出井さんと3人のパネルでした。

講演者14人のリストには、所長の伊藤さん、副所長の石井さんのほか(女性がいないのはちょっと問題でしたが-大反省材料です)、偶然ですが出井さんほかSONY関係者(茂木健一郎、北野宏明、遠藤 謙、笠原俊一)が目立ちました。6人がMIT Media LabとIDEOの海外からの参加でした。

第2日目はもっぱら「Unconference」でいろいろなパラレルセッションがありました。ここかしこに工夫が凝らされています。

なかなか楽しい2日間でした。参加者も多く、相互に創発されていたのではないでしょうか。

 

大雪の日、Norman Minetaさんと昼食、AGOSで世界を目指す若者たちと対話

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1月14日、朝から雪が降り始めました。

ちょうど来日されている日系アメリカ人のリーダーのおひとりNorman Minetaさんとの昼食へ。MinetaさんはSan Jose市長、下院議員、そしてBushとClinton両政権でSecretary(大臣)を務められた方です。10月にWashington DCの米国議会Capitol Hillでもお会いしました。最近逝去されたDaniel Inouye上院議員のことなどから始まり、いろいろな話題が出ました。

Inouye上院議員とは奥様のIrene Hiranoさんとご一緒に、去年5月に国会事故調でWashington DCを訪問した時にお食事をする機会がありました。日米関係にとってほんとうに大事な方がなくなられました。

Mineta氏との朝食のあと、先日ご案内した留学支援プログラムAGOSで若い人たちとお話をする機会へ向かいましたが、とんでもない大雪が降り続き、なかなかタクシーもつかまらず、30分も遅れて到着。この雪で、参加予定の方々もかなり来られなかったのではないかと思います。

この会には国内外の大学実地検分と動向などの報告でその活躍が広く知られている山内太地さんも来られました。

外へ出てみると見えてくる「自分」、という視点での「休学のすすめ」、「留学のすすめ」、「グローバル世界」、「広がるネットワーク」などについて、セッションは主として対話式で進みました。AGOSの横山さんの進行係で、みなさんにも喜んでいただけたようです。

若者たちが、世界を経験し、感じとり、自分を見つけ、「YOU」の目で自分を見る感性を獲得しながら、日本人であることをユニークな強みとして、一人ひとりが自分のキャリアを見つけてほしいと心からねがっています。

グローバル世界はとても広く、ユニークな自分への大きな機会があるのです。

 

Tokyo American Club; Distinguished Achievement Awardの受賞

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去年の12月にTokyo American Club(TAC)から「Distinguished Achievement Award」をくださるという連絡を受けました。そこで、私の紹介記事を「iNTOUCH」という毎月発行されるTACの会誌に紹介する、というのでインタビューを受けました。

時々はTACを訪ねますし何回か講演をする機会もありましたので、うれしいことでした。

さて1月号の「iNTOUCH」がでました。TACに行かれた方は私が表紙の「iNTOUCH」がたくさん置かれているのを、そしてタイトルは「The Protruding Nail」(PDF)と出ているのをご覧になったことでしょう。

私のインタビュー(PDF)では、私の米国での指導教授の最初の言葉に衝撃を受けたこと、その後のキャリアと生活、そして帰国後の活動、最近の福島事故調のことなどを書いてくれています。読んでいただければ嬉しいです。

確かに、私はかなり変わったキャリアですね。古い懐かしい写真も掲載されています。

 

福沢諭吉記念文明塾に参加する

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明治の新時代への転換期の日本で、福沢諭吉は先見性のある素晴らしいリーダーの一人でしょう。特に「独立自尊、官に頼らず」の精神と彼の生き方は、その時代を考えてもすごいことで、私の好きな福沢諭吉の真骨頂があると思います。

この福沢諭吉の精神は、今の世界でも普遍性の高い社会的価値の一つです。福沢諭吉のすごいところは、このような思想を実践していることにもあります。つまり口先だけではないのです。慶応義塾(人材育成)、交詢社(財界交流)、時事新報(メディア)、学士院(科学者)などを立ち上げるのです。また「学問のすゝめ」、「文明論之概略」をはじめとする深い洞察と先見性のある多くの著書のあることです。まさにスーパーマンです。

そんな理由かもしれませんが、なんとなく慶応義塾とのご縁がいろいろとできるのです。私のこのサイトで「慶応義塾」とか「福沢諭吉」とか「検索」すると、福沢諭吉のことがかなりの数で出てくると思います。

湘南キャンパスでも2010、2011年の秋セメスターで1コマ授業を持ったりしました。2010年にも、なんと「グローバルアジェンダと日本の危機管理」というテーマでも話しています。

数年前から、福沢文明塾というリーダー育成の企画が始まっています。講師も素晴らしい方がラインアップされています。私も4年ほど前に参加しましたが、去年の第8期の最後のセッションにも参加しました。

若者たちの将来のキャリアを自分なりに見つけるという趣旨のほかにも、今でも、いや今だからこそ福沢諭吉の精神が大事なのだという趣旨には大いに賛成です。

多くの元気な若者たちに会いました。