北緯78度のノルウェー領へ

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アムステルダムでの蘭日貿易協会の方たちとの夕食の後、スキポール空港を出発。90分ほどでオスロに到着し、ここで一泊。翌朝、140人ほどを乗せたチャーター機で北へ約3時間ほど、今回の目的のLongyearbyenへ到着しました。北緯78度に位置します。

この小さな町はSvalbard諸島の中心であるSpitzbergen島にあり、ノルウェー領です。その歴史からも、ノルウェー、ロシア、米国などの参加もある統治構造になっているようです。最近になって、世界の課題の一つでのある北極への足掛かりの一つですね。

この会はAurora Borealis Foundation1)主催の集まりです。Tallberg会議のBo Eckman氏が中心になって企画したようです。

2013年のことですが、福島原発事故の国会事故調の委員長をした関係で、北欧の主要電力会社のVattenhall社のお招きを受けてストックホルムを訪問した時に、このTallberg会議に参加しました。

今回の会議では日本からはソニーの所さんも参加されていて、私もちょっとホッとしました。台湾メディア出身のChristopher ChuangさんとEckmanさんの共同主催の形で、中国からの参加者が多かったのですが、プログラム、話の内容からいっても、かなりリベラルな発言の方が多い印象でした。数人で行われたブレストなどもなかなか良かったです。

このブレストのメンバーで、グロ-バルヘルスで活躍しているちょっと変わった経歴のDr. Eric Rasmussenと知り合いになりました。いろいろと私の活動と重なるところも多く、これは特に有意義な議論の時間でした。

3日目は、いくつかオプションがあったのですが、船で片道約2時間半弱のBerentsburgへ行きました。ここでもなかなか良い時間を過ごすことができました。

中国人の方で、とても変わった帽子をかぶったユニ-クな男性がいました。どこかで見た人だなと思っていたのですが、あちらもそのように思っていたようです。

著名なデザイナーの方で、去年の12月にノーベル賞の授賞式に参加した時に、会場やホテルで何度も見かけたので、お互いに「おや?」と思ったのですね。大村先生と一緒に受賞した中国のYouYu Tuさんのスタイリストだったのです。イケメンのお弟子さんと一緒で、またお会いする機会があるのを楽しみにしたいです。

帰りは小雪の降る中、空港近くにあるGlobal Seed Vaultに立ちよりました。チャーター便でしたが、多くの方たちがOsloに滞在するようで、遅れるのです。私はOslo空港から、ぎりぎり間に合って、パリ経由で羽田へ向かいました。

荷物はOslo空港に置き去りになりましたが、3日後に東京に着きました。

3月11日、福島原発事故から5年、「規制の虜」を出版、そしてコーネル大学へ

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あの悲惨な東日本大震災と福島原発事故から5年の時が流れました。どの程度の復興が進んでいるのでしょうか?むずかしい問題ですね。

いくつかの原発が再稼働されていますが、すぐに事故とか、ちょっとしたことがいろいろ起こっているようです。

福島の原発事故も、この処理についてはこれから何十年もかかるでしょう。想像もできないような時間ですし、今でも、またその先にもいくつもの難問・難関があります。

この機会ですので、「憲政史上初めて」の国会による福島原発事故調査委員会の委員長を務めたものとして、「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」という著書を出版しました。書店でも、アマゾンでも購入できます。できるだけ多くの方に読んでいただけると幸甚です。日本の”将来”はいまのままでは厳しいと思います。

出版に先立って、日本記者クラブ外国人記者クラブで、記者会見を開催しました。これらはYouTubeでも見ることができます。

日本記者クラブでは、福島原発事故に関係した講演は今回で5回目なのですが、その都度のメッセージは、基本的に「変わる世界、変われるのか日本」でした。

その後すぐにIthaca(NY)にあるコーネル大学にいきました。ここのマリオ・アイナウディ国際関係研究センター(センタ―長は宮崎教授)による企画で、3月11日に合わせて、「原発事故から何を学んだのか」を議論しようという目的です。

議論の相手は、プリンストン大学のペロウ教授、ヴァージニア・ポリテクのシュミット教授1)です。こういう議論に参加するのは、いつも楽しいです。その後は、レセプション・ディナー。

翌日も日本からの学生、先生たちとの朝食。快晴の中、広いキャンパスを散歩し、夜は日本と中国からの二人のポスドクをディナーにお誘いして、いろいろと話を聞きました。

共通の話題は、日本からの学生も先生も、”数が少ない”ということでした。

世界は広いのです、若い人たち、もっともっとチャレンジしてください。世界のみんなが待っていますよ。

国会事故調の本「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」を上梓

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2011年3月11日の東日本大震災、そして歴史的に残る福島原発の大事故。あれからもう5年の月日がたとうとしています。

あの大震災と原発大事故の3ヵ月前には、今や世界を席巻している「アラブの春」が、チュニジアで始まったのです。

このアラブの春は、その後、北アフリカ、中東に広がり、今では、北アフリカやシリアから、欧州へ多数の難民が押し寄せるという、予想もしない状況となっています。

この5年の世界の大変化の中で、日本はどうなのでしょうか?

そんな思いもあって、「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」というタイトルで、福島原発事故から5年、私が委員長を務めた、”日本憲政史上初”の国会による、独立した「福島原発事故の調査委員会(通称「国会事故調」)」を通して、「あまりにも変わらない日本」について、この本を書き上げました。

3月10日に発売予定ですが、アマゾンから予約もできます

今日は日本記者クラブで、この本の紹介を兼ねて、記者会見をしました。

この本を、みなさんが手にしていただけると幸甚です。

お知らせ

福島原子力事故から見えてしまった今までの日本社会、責任逃れする「責任ある立場」の大人たち、そして事故から学び、自分のこととして行動する若者たち。

河北新報の掲載記事を紹介します。

1:「<話そう原発>「なぜ」生徒ら問う」 国会事故調報告書を読んで(上)

2:「<話そう原発> 自主性を引き出す」 国会事故調報告書を読んで(下)

3:「<話そう原発> 民主主義が機能せず」

 

オタワへ

2015-11-17 08.58.20

トロントからカナダの首都オタワへ。今回の日本の外務省、カナダのアジア太平洋財団のご支援による講演の最後回です。

2日間とも雨だったバンクーバーと違って、オタワは快晴です。宿泊はLord Elgin Hotel。名門ですが、まだまだすることがありそうです、私の部屋のお風呂なども含めてね。そして、大使公邸で軽部公使ほかとの夕食。

何年か前のことですが、門司大使には前任地のドーハでお会いして以来だったのですが、大使は急遽マニラのAPECに出席とのことで、「お会いできずにとても残念」との「メッセージ」を代理大使の軽部公使から伺いました。

翌日はオタワ大学で国際担当、研究担当などの方たちとお会いした後、夕方から講演会が開催されました。いろいろと議論、質問も出て、活気のある楽しい時間でした。

翌日は、カナダの原子力安全委員会へ向かい、幹部の方たち10人ほどと約1時間の会談の機会を持ちました。委員長のBinderさんは素晴らしい方で、鋭い質問をいくつも投げかけてきました。彼が最近行った講演録をいただきましたが、さすがと思われる指摘がいくつも見られます。

ことしの1月にも書いたのですが、カナダの原子力関係者との会合も、みなさんのフランクな意見交換など、お国柄を見るような議論でした。

このカナダの旅では、若い、新しいリーダーを迎えて、新しいカナダへの期待、またパリのテロ事件への対応などの不確定要素など、みなさんといろいろな議論の機会が持てました。

うれしい便り – 2

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英米カナダで広く学び、教鞭を取ってきた歴史学者、ジャーナリスト、いくつもの著書を表し、カナダの野党党首(Liberal Party 自由党; 2008-2011)でもあり、現在はHarvard Kennedy Schoolの教授であるMichael Ignatieff氏が、6月4日の午後、面会に来られました。

Carnegie Council, The Voices for Ethics in International Affairsの100周年記念のプログラム「Ethics for a Connected World」を主催していて、その講演シリーズの一つ、「“Resilience and the Unimaginable” Technology and Risk: Lessons from Japan」で来られたのです。

翌日の午前10時過ぎには、「会談のお礼と、今晩の講演の原稿です」と、メールと原稿を送ってくれました。さすがですね。原稿の速さと、わたしの報告・文献などにもキチンと目を通しているのが、はっきりしています。さすがに一流大学で勉強してきた学者、歴史家、著書でも受賞しているぐらいの政治家でもあった方です。

彼の講演原稿をここにリンクしてあります。ちょっと目を通してみてください、なかなかの内容だと思います。

数日後、6月8~10日はWorld Dementia Councilでハーグに行きましたが、10日の午前、帰国前にマウリッツハイス王立美術館に行ったところ、ばったり国連大学学長のDavid Maloneさんにお会いしました。Maloneさんは国連大学着任前はカナダの外交官ですから、Ignatieff氏をよく知っているわけで、「Prof Ingatieffの講演は良かったよ、あなたの国会の福島原発事故調査委員会の報告書について何度も触れていた」と。

うれしいですね、こういうの。

 

最近のうれしい便り

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ウェブの時代には思いがけないことがあるものです。このブログへ時々メールが舞い込んでくるのですが、今度は米国海軍の軍人 John Zimmerman、Program Manager Submarine Combat and Weapons Control からです。福島原発事故の「国会事故調」の報告書について、とても感動し、彼のLinkedInにも書いたので、見てくださいというものでした。

以下が、彼のメッセージです。私もお礼の返事を書き込みました。

The Most Honorable Act
May 17, 2015

On 11 March 2011 a magnitude 9.0 earthquake occurred off the eastern coast of Japan. The resulting tsunami killed over 15,000 people and destroyed over 400,000 homes and buildings. Fifty minutes after the earthquake struck a tsunami measuring over 40 feet high overflowed the seawall at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. While the plant’s nuclear reactors had already been shutdown in response to the earthquake, the flooding resulted in a loss of power to pumps that were needed to cool the nuclear power plants’ reactors. In the days to come reactor core damage and hydrogen explosions would cause substantial radioactivity to be released to the environment.

In response to the disaster Japan’s government set up an independent commission to investigate what had occurred. The report can be found on the internet – Fukushima Nuclear Accident Independent Investigation Commission.

If the commission wanted to find excuses for this tragedy it would not have been difficult to do given the natural disaster that had occurred. Yet it is clear to me that this commission wasn’t looking for excuses. It was looking for the truth. What struck me very hard in the beginning of the report was Kiyoshi Kurokawa’s ‘Message from the Chairman’.

“What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster “Made in Japan.” Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with the program’; our groupism; and our insularity.”…

“The consequences of negligence at Fukushima stand out as catastrophic, but the mindset that supported it can be found across Japan. In recognizing that fact, each of us should reflect on our responsibility as individuals in a democratic society.” …

With all of Japan and the world watching the commission’s main message was – this horrible tragedy was of our own making.

How often do you confront issues that you don’t address because you are worried about what might occur, people or organizations that could be embarrassed, retribution that might occur? Today we seek leaders and organizations we can trust. Honor, Courage, and Commitment are our Navy’s core values. We want people who have the courage to confront real problems and ‘tell it like it is’. Only through courage and commitment can the most challenging issues be addressed.

Some may have thought the commission’s report brought dishonor on Japan. To me Chairman Kurokawa’s Message and the report’s honesty, integrity, and transparency was – The Most Honorable Act, befitting the very best traditions of a great country and people.

“Having chosen our course, without guile and with pure purpose, let us renew our trust in God, and go forward without fear and with manly hearts”  Abraham Lincoln

Chatham Houseでの原稿

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この2,3年、Chatham Houseとの交流がいくつかありました。今年の2月はじめにもロンドンに出向きました。

去年の10月のはじめ、 2日間にわたって、東京でChatham Houseと日本財団の共催で「The Role of the Nation State in Addressing Global Challenges: Japan-UK Perspectives」のテーマで会議が開催されました。

私は「福島原発事故」のパネルに参加、その時の私の原稿が、John Swenson-Wright氏のIntroduction、そしてAdam Roberts、David Steinbergの3人との論文からなる小冊子(私のPartはpp18-23です)(日本語版 pp19-24)として、Chatham House のWebサイトに掲載されました。

お時間のあるときにでも、ちょっと目を通していただけるとうれしいです。

SafeCastの4周年、東京と郡山で「スーパープレゼンテーション」

SafeCastについてご存知ですか?福島原発事故直後から、ガイガー測定器は手に入らないし、政府や報道では何が何だかはっきりしない。それで、何人かがネット上で集まって、つなぎ、ひろげ、出来上がった、本当の意味での「グローバル市民ネットワーク」で作り上げてきた、時代の先端をいく放射能測定システム。いまや世界60ヵ国に広がり、IAEAも認めている「SafeCast」です。

SafeCastグループと、NHK Eテレの「TED、スーパープレゼンテーション」でよく知られるMIT Media LabのJoi伊藤さん1)が中心になって、3月22日と25日に、それぞれ東京と福島県郡山市で「トーク・イべント」がありました。

東京でのイベントのテーマは「Citizen Science, Open Science, Big Government」、郡山のイベントは「スーパープレゼンテーション in 郡山」。後者は郡山市の品川市長さんの企画によるご招待です。

両方とも、Joiのイントロから、福島100年構想委員会の渡辺利一さん、SafeCastのPieter Frenkenさん、そして私も、話をもちまわり、なるべく楽しく刺激的な雰囲気を盛り上げたいと奮闘しました。東京は英語中心、郡山は、日本語が基本でした。

私の最近の講演では、映画「Matrix」の中心的なテーマの部分を短く見せたり、「わかりやすい国会事故調」のビデオを紹介したり、また、最後の「シメの言葉」を工夫したり、プレゼンに気を使っています。

講演のシメの言葉では、今年になって、3・4回ほど、有名なJFKの大統領就任の時の「Ask Not 、、、」の修飾版を使っています。今回の、東京での講演でもこれを使いました。

これらのイベントの様子は、こちらから観ることができます。

https://vimeo.com/safecast/videos

https://vimeo.com/123727406