3月15日のブログで紹介した津田塾大学創立者の津田梅子さんは、皆さんご存知のとおり、近代日本女子教育の偉大なる貢献者です。明治初頭の岩倉使節団に参加した女性5人の内の一人で、当時7歳(8歳という説もある。誰か本当のことを教えてください)。11年後に帰国し、その後、再度渡米。Philadelphia郊外の女子大学Brym Mawrで学び、帰国後、津田塾大学を創設する事になります。
以前、津田梅子さんのことを書いた本も紹介しました(『津田梅子』 大庭みな子著 朝日新聞社 1993年発行)。その中で津田さんがTH Morgan先生と蛙の卵についての論文を書いた事を紹介しましたが、この論文のコピーを手に入れて読んでみました。『TH Morgan and Ume Tsuda; The Orientation of the Frog’s Egg, Quarterly Journal of Microscopic Science, vol 35, New Series, p373-405,1894.』というもので、108年前に書かれた論文です。感激しますね。蛙の卵の発生についての注意深い観察の記述、図が合計45枚もあります。1893年に投稿された論文で、5つのセクションから構成されています。第2章(これと第3章が論文の実験の部分)が津田さんの1891~1892年(明治24~25年)の冬の仕事であり、1892年の春に書かれ、投稿に際して「ちょっとしか変えてない(’Only very slight alterations have been made’)」と書かれています。当時の津田梅子の所属は“Teacher in the Peeress’ School, Tokio, Japan”となっています。これについても誰か知っていましたら教えてください。
ところで、当時Associate Professor of BiologyであったTH Morganは、その後Columbia Universityに移り、ショウジョウバエで遺伝と染色体について突然変異と染色体の関係の研究を精力的に進め、1933年にNobel賞を受賞しました。何しろ染色体の遺伝子の座の所属する場所を示す単位が“Morgan”ですからね。彼の仕事の偉大さについては最近出版された、Y遺伝子について書かれている『アダムの呪い』(ブライアン・サイクス著、大野晶子訳。ソニーマガジンズ、2004年)を読んでみてください。非常に面白い本です。もうすこし学術的な話に興味のある人は、http://nobelprize.org/がお薦めです。
http://nobelprize.org/にはノーベル賞受賞者について様々なことが書いてあります。特に受賞者の自叙伝、受賞講演はお勧めです。非常に明示的であり感動的でもあります。若い研究者には大いに参考になるでしょう。もっとも研究の本質に感性のない人には「猫に小判」でしょうけどね。ここでもっとMogan先生のことを知ることができるでしょう。