UNESCO-L’Oreal女性科学者賞10周年、Parisから

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5日の夜、成田からパリへ。UNESCO-L’Oreal For Women in Science賞が始まって10周年の記念行事です。今年、10年目の2008年受賞式もあります。Laureates(受賞者)は50人を越え、そのほかにもInternational Fellowship、National Fellowshipを入れると500人近い女性科学者がこの10年で表彰を受けています。素晴らしい社会貢献です。今年はその中の40人弱のLaureatesが参加しました。

6日の朝に到着して一休み。午後からUNESCO本部で行事が始まります。まず、LaureatesによるCharter(宣言書)として10のCommitments(約束)の紹介とサインの儀式がありました。10の約束についてはサイトを見てください。なかなかいいですよ、皆さんも実践してください。私は今年の選考委員の一人として参加しました。記念行事は1週間続くのですが、私は授賞式だけの参加になりました。

この後に今年の受賞者の表彰式が行われました。松浦UNESCO事務局長、L’Oreal社長Sir. Linsey Owen-Jonesが流暢なフランス語でご挨拶。受賞者の紹介は選考委員長で1999年Nobel医学生理学賞を受賞したRockefeller大学のBlobelさんです。受賞者お一人ずつ、まず受賞者を訪問して作成された数分の映画から始まり、受賞者の業績をBlobelさんがわかりやすく紹介。そして受賞者登壇と挨拶があり、これが5人について順々に行われました。その後で、受賞者一人ひとりに松浦さんとSir. Linseyによる賞状の授与。なかなか素晴らしい演出でした。

アジア太平洋を代表した受賞者では、日本の岡崎恒子さん(2000年)と米沢富美子さん(2005年、今回は欠席)、中国のFang-Hua Liさん(2003年)、前からよく知っているHong KongのNancy Ip さん(2004年)、そして今年は韓国のNarry Kimさんが受賞されました。

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写真1 岡崎さん

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写真2 Nancy Ipさん

選考委員の注目するところは独創性などの業績の質ですが、一番大事なことは「独立した研究者としての成果か?」という点です。今年のKimさんはsmall RNAの研究ですが、37歳でソウル大学のAssistant Professor(助教授)です。素晴らしい業績で、全員一致で推薦し、問題なく決まりました。私は、なぜ独立して研究業績を挙げることができたのかを知りたくて、選考委員会の翌週にソウルに行き、Kimさんにお会いして話を聴きました

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写真3 Blobelさん、松浦さんと

ソウル大学で修士、Oxford大学でPhD、Pensylvania大学でPost-doctoral fellow、帰国して助教授。教授は帰国して何年かは研究費を支援し、機器も自由に使わせてくれ、大学院生も2~3人をつけてくれたそうです。論文は全てKimさんの仕事だからと、共著者になることは辞退されていたということでした。そして独立することができ、教授のサポートに本当に感謝していると言っていました。この教授は彼女を独立した研究者に育てていたのですね。なぜでしょう?いつか聞いて見たいと思っています。日本では若い人たちが独立せず、競争の中で育って来ないので、外からは誰が伸びてくるのか、そして誰が次世代を担えるのかが見えないのです。基本的に教授になるまで、外から将来を担う人材の比較が見えないのです。これでは独創性はなかなか育ちませんね。かわいい子には旅をさせろ、です。

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写真4 Narry Kimさん

Kimさんの受賞の言葉では、子供が二人いるので一時は研究をやめようと思った、託児所などの社会のサポートが大事だと訴えていました。当然ですよね。彼女のお子さんにも会いました。日本も若い才能ある人たちに素晴らしい機会を、そして独立して才能を伸ばす機会を広げたいものです。独立した研究者とは教授である必要はないのです。教授であることは結果です。教授は若い人を育て、才能を伸ばす機会を提供することが大事だと思います。若者が将来を切り開くのですから。

ホテルはConcorde広場とSt. Honore、日本大使館に隣接したSofitel。場所は最高でしたが、あまり時間に余裕がなく、翌日午前に出発。帰国の途へ。残念。

空港には映画のスクリーンほどもあるLaureates一人ひとりの写真が、ここかしこに展示されていました。

The Economistの会議: 日本の強み、弱み。

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3月5日、朝8時から総理官邸で「地球温暖化に関する懇談会」の第1回に参加。ちょっとスタートが遅すぎる感じもありますが、ダボス会議の講演をはじめ、総理の考えがだんだん前進しているのです。結構なことです。でも国会は予算委員会、道路財源、ガソリン税、日銀総裁人事等々、課題が山積です。

世界で最も読まれている経済紙の「The Economist」は、最近の号で「JAPAIN」(「JAPAN」ではない)という見出しの特集で、世界第2位の経済大国にもかかわらず、この危機的な状況になっても日本は政治的リーダーシップがないと報告をしていました。その「The Economist」主催の会議があり、午後のパネルに出席しました。昼前のセッションにも少し顔を出しましたが、渡辺喜美大臣、松井証券の松井さん等の論客が「社会主義国日本の苦悩」について話していました。また午後には政務官の方(勿論、政治家です)も出ていましたが、政務官は大臣の補佐をする役目なのに、役人の書いたものをそのまま読んでいるなんて変ですね。世界とは逆です。「ギャグ」か?だから“leader”ではなくて“reader”と言われるのです。参加者の半分は外国人なのにこれではね。日本人に「R」と「L」の発音が区別しにくいのはわかりますが、こうまで言われるようでは・・・。日本の役所と大臣の関係は世界からまったく理解できない変な政府なのです。

昼食時には民主との岩国哲人議員の講演がありました。午後の最初のパネルに参加したのですが、この内容は石倉さんのblogを見てください。Panelistsは4人でそれぞれ10分ほどプレゼンしました。私は最後の締めくくりとして、4つのことについて話をしました。(1)まず「We ‘eated’ lunch next room and enjoyed a lecture by Iwakuni-san」という言葉からはじめました。「We eated lunch」は間違った言い方ですが、誰も私をとがめもしないし、笑いもしませんでした。英語としてちゃんと通じているのです。ここで「We eated」じゃなくて「We ate」だというのは正論ですが、「eated」で十分に通じるのです。正しい文法を気にするのもいいですが、「まず英語を喋ることからはじめましょう」という一例です。これがグローバル時代の共通語としての「ブロークン英語」なのです。

Panelistの一人、Nokiaの役員はいい話をしました。世界で毎日100万台の携帯電話が売れていると。そこで、私の(2)は世界の携帯シェアは38%がNokia、14%がMotorola、12%がSamsung、9%がSONY-Ericksonで、日本の携帯電話は10数社を合わせても世界の5%程度のシェアですと話しました。DoCoMoなどのキャリアが縛っているからだということを言う人もいますが、その通りでしょう。でも部品では日本製の性能は良く、世界中の携帯電話の部品の65%程度が“made in Japan”なのです。日本の強さと弱さをしっかり認識して、グローバルにビジネスをしなくてはいけないということです。

次に(3)として、AppleがiPhoneを出したら日本の各キャリアが、是非うちに取扱わせて欲しいとAppleに陳情に行くのですから、日本の携帯電話産業にかかわる人たち、技術者、経営者とその組織の全体に問題ありと指摘しました。“世界”のお客さんのほうを見くことが大事です。大体、Appleは1997年には、資金が5週間分しかなくて、もう破産かどこかに吸収されると言われていたのですよ。日本の企業もここまで追い込まれないとダメなのですかね。すぐに役所に陳情という企業体質も問題ですね。

大企業、役所、老舗で次々と起こる、信じられないほど幼稚なトップの不祥事。これはなぜ起こるのか良く考えてください。しかも、経営者は自ら辞めもしない、社長を辞めるといっても取締役として残っているとか、本当にみっともない。こんな社会の「上の方たち」が“品格”などとよく言うよ!と覚めた感じが社会、そして若者に蔓延しているのも当然です。社会のどこもかしこもトップは腐っています。自分から、きちんと社会的責任を取ってもらいたいものです。これでは経済成長もどんなものでしょうか。

最後に(4)として、ポケットからiPodを取り出して、このピカピカした裏のデザインと試作品は日本、生産は台湾企業、その生産工場は中国、内部部品もいくつか日本製品が入っている。でもこれはすべて部品メーカー。Appleは何も作らず、全体のシステムとコンセプトを作り出したこと、そして一つの製品の利益率が50%などという話しをし、「ものつくり」は大事だが、何を目的に、何を作るのか、そしてどう顧客を掴むかが大事だという話をしました。iPodの使用説明書は至極簡単ですね。全部ネットでみれます。日本の携帯電話をはじめとする電気製品の説明書の判り難さ、想像を絶しっていますね。技術者が書いているのでしょうが、根本的にユーザーを向いていないのです(「理科系の作文技術」-1981年、中公新書など、木下是雄先生の著書が面白いですよ)。この辺については林信行さんが書かれた「iPhoneショック」(日経BP社、2007年)が参考になるでしょう。

日本の強さと弱さ。技術は素晴らしいですが、構想力と世界への行動力の欠如。所詮は経営ですね、弱いのは。社長も「2年2期」など、勝手な内向き規則で平気な顔をしているなんていうのは、この世界の情報化時代に信じられないことなのです。これは市場経済の基本的事項。日産がゴーンさんを招いた時に「2年2期」などという内規を伝達したとは思えませんが、どうでしょう。日本の常識ばかりに囚われるのもいい加減にしてください。

今の日本に必要なのは1960年代の「SONYの盛田さん」のような経営者でしょうか、と言うとすぐに時代が違うとか、あの人は特別、誰それがいたからなどとまずできない理由を考える人は経営者として失格ですね。

 

世界の大学改革の激変: 日本の「一流」大学の大相撲化は待ったなし

このブログを読んでくれている方たちには理解いただいていると思いますが、これからの時代の人材の育成は、国家の根幹をなす最も大事なことです。世界中の国が優れた人材を育て、集め、それが国の信用にもなるということを良く知っているのです。

その方策として「一流」大学を世界に開放された場所にすることが必要です。「大学の大相撲化」(このキーワードでこのブログをサーチしてみてください)です。といってもそんなにすぐには動きませんが、少なくとも先進国の一流大学は、世界の素晴らしい若者たちが集まリ、切磋琢磨する国際村となっています。こうしたことは日本の若者の視野を世界へ広げるでしょう。そして日本のことをしっかりと考えるようになるでしょう。大人に言われてするのではなく、自分でね。

繰り返し開かれた大学への転換を提唱し、東京大学総長にも提言し、「イノベーション25」にも具体的な政策として掲げ、閣議決定もされています。具体的政策には大学入学時の理系文系区分の廃止、一斉の入学試験制度の廃止、中学校時代から双方向の夏休みホームステイ、高等学校のときは1年の交換留学、大学も1年程度は双方向の交換留学、授業の20%程度は英語で(勿論ブロークン)、などなどです。

大学人は情けないですね。何を考えているのでしょう。この時代に、日本で本当の意味で「実質的に」国際的に開かれている大学は、国際教養大学とアジア太平洋大学ぐらいじゃないですか。両方とも学部学生の50%は外国人です、先生たちも。英語圏ばかりでなく、ドイツ、フランスなども同じような政策をどんどん進めています。これからの世界で活躍し、新しい価値を作る「人材」・「人財」を作ること、これが国家の将来を決めます。

最近出た月刊誌「選択」にこの辺の大学の様子を報告しています(PDF)。このグローバルへの急速な変化は怖いですね、本当に。日本だけがますます取り残され、鎖国になっていくようです。日本の若者の将来はどうなるのでしょうか?また、ここで何度も紹介している大学人が自分たちでしっかり行動してください。できない理由はどうでもいいのです。「What to do」ではなく、「How to do」ですから。時間はあまり残っていないと思いますが。

そういえば、福田総理も留学生30万人計画を出していますね。

ニューデリーから-2

ニューデリーでの2日目、3日目はもっぱらホンダと現地のビジネス関係の訪問が中心。

まずは、ホンダ(Honda Siel Cars India)へ。武田川社長はじめ、松崎副社長兼工場長とお会いしました。社長から苦労されたお話や、会社の現状と今後のPlanについてお話を伺いました。松崎さんは1982年にアメリカで工場を立ち上げ、都合15年間滞米。その後もアジア各地でご活躍され、ここの工場を立ち上げています。工場はとてもきれいで、従業員の皆さんも礼儀正しい。これはずいぶん苦労されましたね。

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写真1 Honda Siel Carsを訪問

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写真2 同じく玄関で

その後、電通の現地事務所、IITのNew Delhiキャンパスを訪問。夜は大使館でイランから着任された堂道大使と瀬戸一等書記官、角南さん等と歓談。瀬戸さんには2年前にここで開催されたアジア学術会議の時に大変お世話になった方です。

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写真3 IITのNew Delhiキャンパスで

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写真4 日本大使館で、左から角南さん、堂道大使、私、瀬戸一等書記官

翌日は現地の三井物産、Hero GroupのMunjalさん、インドビジネスの大物の一人National Manufacturing Competitiveness CouncilのChairman、V. Krishnamurthyさん(写真5)、 Confederation of Indian Industry(経団連に相当するものでしょうね)を尋ね、ビジネス中心の話になりました。インドは特に日本の会社、技術と組みたいと思っているのですが、日本のビジネス慣行は決めることも話の進み方も遅く、合弁会社は日本側が半分以上の株を持つことに執着する。これでは韓国や中国の企業にどんどん取られてしまいます。また、ヨーロッパやアメリカとのビジネスがどんどん出てきているといった話をいろいろと聴きました。

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写真5 角南さん、Krishnamurthyさんと

Hero GroupのMunjalさんのところではDymlerとの合弁の話が進み、昨日はFranceのSarkozy大統領から手紙が来たところだといっていました。

以前、インドの科学技術大臣、大蔵大臣、産業大臣、また首相等ともお会いしたことがありますが、皆さんビジネスも科学も独特で素晴らしい方が多いです。インド特有の「難しさ」はいろいろありますが、みすみす指をくわえてみていることはないでしょうね。いろいろとビジネスのやり方はあると思います。

その点ではスズキ自動車の鈴木会長は立派ですね。ご当地の車といえばスズキというぐらいになっているのですから。何でも先に出かけて汗をかかなければなければ、いい果実は取れません。また現地の慣行と、現地の人たちのインセンテイブも大事でしょう。

ビジネスの皆さん、がんばってください。インド、そしてアジアの成長に乗って、一緒に経済成長の展開をしたいですね。とにかく、日本はこの10年間、GDPが増えていない唯一のOECD国なのですから

ニューデリーから-1

2月17日にグローバルヘルスの3日間の会議を無事に終了し、翌日18日は朝からニューデリーに向かいました。夕方17時半、定刻通りにニューデリー空港に到着、そのまま郊外にあるNoidaの街に。今回は本田財団によるYES(Young Engineers and Scientists)の表彰式に出るためで、これは今では知る人ぞ知るIndian Institute of Technology(IIT)の優秀な学生5人を表彰するものです。すばらしい企画です。さすがホンダ、つまりは本田宗一郎の精神ということでしょう。

時間ぎりぎりで表彰式に到着した私と、もうひと方、Pachauriさんがゲストです。Pachauriさんとはこの数年、アジア学術会議等で何回かご一緒して、お互いに良く知った仲です。3年前もBangkokで行われたAGS-Global Alliance for Sustainabilityの会議で、一緒に基調講演をしました。去年2007年、IPCCがAl Goreさんと共にNobel平和賞を受賞したことで、IPCC議長を勤めるPachauriさんも一躍世界的に著名になったといっていいでしょう。科学者たちの間では、地球温暖化問題のリーダーとして、すでに広く知られていたのですけどね。

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写真1 表彰式で。左からHonda Siel Cars India 武田川社長、私、Pachauriさん(※)、本田財団の伴さん

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写真2 左からPachauriさん、表彰された学生の一人と私

※Pachauriさんはアメリカから前日に帰国、頭にできものができているので帽子をかぶっているとのことでした。

表彰式の後、2人で20分程ずつお祝いと激励の話をしました。私は本田宗一郎の精神について少し触れながら、受賞者がその精神を引きついで世界に羽ばたき、貢献してくれることを願っているとお話しました。このスピーチについてはまたご紹介します。本田財団の関係者や現地のホンダの方たち、そして受賞者の家族も来られていて、皆うれしそうでした。

また、1982年からホンダと合弁でオートバイを生産販売しているHero Hondaの会長、Lallさんもいらっしゃっていました。Lallさんのご子息のMunjalさんはHero Groupを引っ張る存在で、私も東京大学のPresident Councilとして一緒にお手伝いしています。

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写真3 講演する私

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写真4 受賞者たちと関係者一同(左から5人目がHero Group のBrijmohan Lall会長)

夜は政策大学院の角南さん、本田財団の伴さん、石原さんとホテルのバーで一杯。しかし、素晴らしい若者たちに会えて気持ちのいい、素敵な一晩でした。

Global Health-2

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2月16日の午前は、私たちのNPO Heath Policy Institute(HPI)が例年行っている「医療政策サミット」を開催しました。理事や顧問の方たち、それから普段からお世話になっている方々をお招きして、わが国の医療制度をめぐるセッションを行いました。

そして午後は、これまで3年間のHPIの活動の経過を踏まえ、「Global Health Summit: Advancing our promises for TICAD/G8 and Beyond」というテーマで、国際会議を開催しました。司会はNHKの道傳さんです。

基調講演は小泉純一郎元総理の「健康と環境」というテーマでした。さすがにお話が上手くて、皆さんを惹きつけていました。原稿なしで、時間はきっちり30分。脚気から、食生活の変化、長寿社会となった日本、そして「変人」は“eccentric, crazy”ではなくて“extraordinary”という話、三浦安針・William Adamsと壊血病の知識、2日前に宮古島へ行って見たサトウキビから作るバイオエタノールと石油業界からの抵抗の話等々。参加者の半分は海外の方でしたが、素晴らしいオープニングでした。

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写真1 小泉元総理の講演

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写真2 世界銀行のPhumaphi副総裁

緒方貞子さんはアフリカへご出張中で、ビデオで挨拶をされました。ついで世界銀行副総裁の一人Phumaphiさんの講演、パネルはDevelopment Bank of South Africa、そしてGAINを率いるJay Naidooさん(今年のダボスでBonoたちと行ったセッションでお会いしました)、このブログで何度も紹介しているGates財団のDr. Tachi Yamada、マラリアにすばらしい効果を挙げている蚊帳(Olyset Net)で世界的にも有名な住友化学の米倉社長、日本の本格的なNPOの元祖ともいえる日本国際交流センター山本正理事長、そして世界銀行のWashington DC本部で活躍している前田明子さんという豪華なメンバーで、実りの多い議論が進みました。多くの日本の方たちにはアフリカでの日本の貢献など、新しいことも多かったと思います。そして、外務省の鶴岡審議官がTICAD、G8サミット等への日本政府の考え方等について話をしました。締めくくりはサミットの開催地である洞爺湖が地元の、民主党 鳩山幹事長からのビデオメッセージでした。

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写真3 パネルで、手前からNaidooさん、Yamadaさん、米倉さん

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写真4 パネルで、手前から道傳さん、前田さん、山本さん

それぞれがGlobal Healthを考える世界のリーダーたちです。Naidooさんは日本が大好きという13歳のお嬢さんを初めて日本に連れてこられたということでした。

レセプションも大いに盛り上がり、TICAD、G8サミットの主催国である日本への期待の大きさが感じられました。

翌日17日(日)は、G8 NGO Forumの主催で、日本でGlobal Healthの分野で活動をしているNGOの方たちとの意見交換の場が設けられ、これも実り多いものでした。

いつも言っていることですが、今年の日本は5月のTICAD、7月のG8サミットと、世界の注目を集める大事業があり、特にG8サミットは日本での開催が最後になる可能性が高いと思います。そういった面でも、今回の会議は大変にタイムリーで、実りの多いものだったと思います。

HPIという独立したシンクタンクが、世界銀行、外務省、財務省、厚生労働省、Gates財団等と協働して会議を開催することは、必ずしも官主導ではない形で政策にかかわる、開かれたプロセスです。グローバル時代の日本の方向性を垣間見せたような会議であったと感じます。

参加して頂いた方たちに心からお礼申し上げます。また企画・運営に参加した人たち皆さん、ご苦労様でした。

(写真撮影:工藤 哲)

Global Health-1

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グローバルな世界では、超大金持ちが出る一方で、貧しい人たちは、極めて貧しくなります。今、世界の66億人の約20%が超貧困“extreme poverty”で、これらの環境にある人たちは、出産時の母親の死亡率も高く、乳幼児死亡率、そして5歳までの死亡も高いのです。

毎年数百万の人たちが飢餓、そして栄養失調とそれにかかわるいろいろな病気で命を落としています。特にアフリカと南アジアの貧困は悲惨なものです。気地球温暖化の意識の変化とともに、バイオフュエルの生産が増え、とうもろこしや小麦の値段が上昇し始めています。世界はとんでもない危機的な方向へ進みつつあります。「2C」=「Climate Change」と「3F」=「Fuel, Food, and Feed」は、貧困に窮する人たちへの影響が極めて大きいのです。これらがグローバルな人間社会に大変化をもたらしつつあります。

2月15日には「Global Health: Under-Nutrition」をテーマにして世界銀行、Gates財団、厚生労働省、財務省、外務省等の後援をお願いして会議を開催しました。Gates財団のGlobal Health InitiativeのPresident、Dr. Tachi Yamadaと私が、それぞれclosing remarkとwelcome remark を行いました。昼食時にはGhanaの厚生大臣の素晴らしい講演がありました。

また、医学界の超一流雑誌であるLancetが、今年1月から世界のNutritionの特集を始めました。できるだけ多くのEvidenceに基づいたデータから、問題を見つけ、何を、どうしたらいいのか、ある種のデータ作りでもありますが、どのような行動を起こせるかが課題ですね。

日本はモンゴルにヨード入り食塩を配布するなど、日本らしい、草の根ODA運動をしています。

学校給食はいいのですが、生またれての1~2年間の栄養、必須要素の補給(ヨード、鉄等々)が大事なのです。特に生まれて6ヶ月は母乳を基本とするべきで、1~2歳のころに摂取する栄養が少ないとその後で、学校の成績はどうしても悪いとか、社会人になっても仕事がない、あまり稼げない、収入は低いといった社会的地位が固定することになるのです。いろいろと子供たちにはかわいそうな結果が多く、国民の生産性に大きな影響を与えることからも、これらの栄養に対する対策は大きな問題なのです。

この一日の会議では啓発されるところも多く、なかなかよかったと思います。

明日は2日目です。

国境なき医師団

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国境なき医師団(MSF:Medecins San Frontieres)のことは皆さん聞いたことがあるでしょう。この医師団は1971年にできたのですが、もともとはその前からフランスにある救急医療制度(SAMU)から発展したもので、そのきっかけとなった一つがBiafra, Nigeriaの大飢餓だったそうです。1999年にはNobel Peace Prizeを受賞しています。立派な活動で、日本の医師たちも数多く参加しています。

2月1日のことですが、この医師団の立ち上げに関わったDr. Xavier Emmanuelliが、同僚のDr. Tartiere、そしてFrance大使館のY. Miauxさんたちとお見えになりました(写真1)。話題は、いろいろと広がりましたが、日本でのホームレスにも関心がおありで、山谷に行かれたそうです。

Msf04写真1 Dr. Xavier Emmanuelliと。左はDr. Tartiere、中央はMiauxさん、左にFrance大使館のスタッフ

私的なことで恐縮ですが、私の娘はアメリカで医師をしていますが、2006年4月から6ヶ月間、Liberiaの奥地へMSFの活動で行っていました。医師は彼女一人で、電気も1日2時間程度しか使えないのです。この国は2005年11月に選挙が行われ、初めての女性大統領 Madame Ellen Johnson-Sirleaf(2007年のダボス会議でお会いしました)が選出され、ようやく治安が回復し始めていた頃でした。MSFは現地の安全はある程度確認したうえで医師を派遣するのですが、娘もよくも行ったものですが、何事もなく無事に戻り、ひと安心。得がたい経験をしたといっていました。そこでは日本の若い人たちにも会うことがあったそうです。日本の若者も捨てたものではありません。

私もその年の6月にKenyaのNairobiに行きました。今、暴動で話題になっているNairobiのスラムKiberaに行ったのですが、その時は、ホテルから携帯電話で「Liberiaはどうか」と話し、メールのやり取りもしました。便利なものですね。

日本経済‐長くゆっくりとした下り坂

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2月3日(日)のワシントンポスト誌に「日本にとっては長くゆっくりとした下り坂:生産性と人口の低下が経済成長を逼迫している」とありましたが、これは最近の日本に関する特集記事や日本や諸外国で発行されているさまざまな書籍とも関連しています。日本が活力のある経済を取り戻すには改革を力強く推し進めなくてはならないことは明らかであり、残された時間はわずかです。政治の舵取りは今大変かもしれませんが、それでもしっかり行わなくてはなりませんし、ビジネスはコアコンピタンスにフォーカスし、まさに「act globally」する必要があります。日本のビジネス界では60年代のソニーの盛田さんのような存在がもっと必要ですね。

ダボスで「日本:忘れられた大国?」というセッションがあったのですが、モデレーターもパネリストも全員日本人だったことに違和感というか居心地の悪さを覚えました。過去の似たようなセッションには必ず外国人の専門家が含まれていたものです。私はセッションの最後の方に参加したのですが、部屋にはほんの数人の外国人しかいませんでしたし、使われている言語は明らかに日本語でした。(もしかしたら私が部屋に入る前に誰かが英語を使われていたのかもしれませんが・・・)しかも話されている内容がグローバル社会における日本の役割よりも女性の活用や移民政策など国内のことばかりでした。国内のことだったら日本で議論すればいいのではないでしょうか?

名目GDPで見ると日本はまだ世界第二位の経済大国とはいうもののグローバル社会からは身を引きたいつもりなのでしょうか?少なくとも私にはそう見えます。

ダボスから、その4

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ホテルの部屋の窓から見た朝の風景(写真1)。真ん中の遠くにとがった山、これはマッターホルンに似ていますが、Tinzenhornといいます。

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会議はいよいよ最終日。総理が朝に到着して、Gates、Blair、Bono等と会談。11時30分からは大ホールで講演があり、壇上にはこの会議を主催するSchwab教授とBlair英国前首相もあがられました。私はといえば、Bonoと彼のスタッフ等と最前列に座りました。やはり、総理はかなり緊張されていたようで、どうしても話し方が早くなりがちでした(写真2)。私は英語で聞いていたのですが、英語訳は原稿があるのでどうしても遅れがちです。講演の内容は良かったと思います。あとは政治家の演説として、うまく編集すればもっとよかったでしょう。Blair氏から3点、Schwab氏から2点ほど質問がありました(写真3)。NHKでもテレビ放映したそうですね。友人から早速メールが入りましたが、皆さんはどう思われましたか?

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総理の演説が行なわれる直前、この大ホールで行なわれたパネルが世界経済の動向に関するもので、超満員。Clinton政権時代の財務長官で、Harvard学長でしたが女性差別失言で学長を退任した超優秀経済学者のSommers氏などが参加されましたが、皆さんに明るい見通しは持っていないようです。このパネルからの流れで、世界経済動向についての質問が総理にあったのですが、パネルのムードとはちょっと違うコメントになってしまったのも致し方ないでしょう。こういう場では臨機応変も問われるのですが、サポート役にはとても余裕がなかったのでしょうね。日本の総理が会議に参加したのは、確か2001年の森総理以来ですから、それだけでも大変に意味がありました。総理もサポートの皆さんも本当にご苦労様でした。5月のTICAD、7月のG8と、国民のためにも、皆さんしっかり頼みますよ。

この後、総理はビジネス関係者の方たちとの昼食会。随行記者やCNN等のインタビューに答えた後、すぐに帰国の途へ着きました。

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写真4 奥田さんと

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写真5 会場で、左から氏家さん、日本碍子の柴田さんご夫妻、奥田さん、私、竹中さん

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写真6 会場で仕事をする私

夜は、ホテルで東京レセプション。石原都知事は来られず、猪瀬副知事がホストでした。その後は会議場でコンサート、諏訪内晶子さんがメインで、Bruchの「Concert, No. 1」とムソルグスキーの「展覧会の絵」でした(「展覧会の絵」を最後まで聞いたのは始めて)。諏訪内さん、素晴らしかったです。これは私の持論ですが、世界の日本人では一般的には女性が輝いています。「個人」としての存在では、男性と比べると断然存在感が違うのです。特に日本では多くが「組織の肩書きあっての男性」たちですから。ダボス会議での“日本の顔”といえば、いつもそうですが、なんと言っても緒方貞子さんなのです。

コンサートの後はソワレ。今年はトルコが主役で、トルコ料理ずくしでした。

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写真7 出井さん、竹内弘高先生ご夫妻、Schwab会長と

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写真8 出井さん、竹内弘高先生ご夫妻、MITメデイアラボのデザインで有名なジョン・マエダ教授

マエダさんはMITでTenureのある超有名教授ですが、これまた冒険で、Rhode Island School of Designの学長を引き受け、6月から移るそうです。いいですね、この精神。こういう人が何人も出てこないと日本の研究も、大学も活性化しませんし、学生、若者も元気は出ませんよね。いつも言っていることですが“個人力”ですよ。