St Gallen会議に参加しないか?

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Swissの美しい街、St GallenにあるSt Gallen大学の学生さんたちが主催する会議があります。

政財界の多くのTop方が集まる、素晴らしい会です。私も、この何年か参加しています12)。

来年は5月の初めに開催されます。従来は学生が対象でしたが、3年前から、大学院生、Post-Docなど30歳以下の若者を招待します。ぜひ、参加しませんか?応募要稿については、St Gallen会議のサイト1)などを見てください。

素晴らしい機会です。私も来年もまた参加します。

St Gallenで会いましょう。

 

AAASのScientific Freedom and Responsibility 受賞の知らせ

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AAAS (American Association of Advancement of Science) は全米、というか世界の科学者の会員を擁する最大ともいえる科学者の組織です。その活動は多岐にわたりますが、世界でよく知られているのは、毎週発行する「Science」という科学誌で、編集長は米国科学アカデミーを12年間にわたって率いたBruce Alberts1)です。

このAAASにはいくつかの賞があります。
先日、事務局から電話連絡があり、私が受賞者の一人となり、“Scientific Freedom and Responsibility”を受賞することになりました。まったく「想定外」のことです。

受賞の理由がAAASの公式サイトに掲載されました。Richard Meserveさん1)、Sunil Chackoさん1)のコメントもあります。うれしいことです。

Sunil Chackoさんは、この受賞についてもHuffingpostに投稿もしてくれています。

GRIPSのホームページにも掲載されています。

年次総会で授賞式が行われるのですが、今年は2月中旬にBostonです。なんだか、思いがけなくうれしいことが続きました。

国会事故調で一緒に活動し、また支援してくれた多くの国内外の皆さんのおかげです。ありがとう。

 

11月後半、日々の出来事

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私のブログを訪ねてくださる皆さん、いつも応援をありがとうございます。

ところで、最近の1、2週間で何度か石倉洋子さんとご一緒する機会がありました。そのたびに、石倉さんは素早くblogやtwitterで発信しているのですが、私のほうはこれがとても遅れていているのです。ほぼ1ヵ月遅れですね。

そこで、この間に私の参加していたことごとにちょっとまとめて触れておきます。

11月15日(木)にDubaiから帰国。これが2週間遅れでこのブログに出ていますが、帰国してからもほぼ毎日、朝から晩までとても忙しくしています。主なことだけですが、以下のような活動がありました。

16日(金)、Impact Japanの会議、GEW1)も終わりになりつつありますが、そのうちの“Venturing Overseas”(なかなか面白いセッションで、夜だけの3時間ほどの集まり)に参加。

17日(土)、これもいろいろな打ち合わせ等でしたが夜からSingaporeへ出発。

18日(日)~20日(火)までSingaporeでいろいろな方たちとお会いし、またNanyan Technological Univesityを訪問しました。活気がありますね、キャンパスも。3日間の訪問はなかなか良かったです。そのうちまた報告しましょう。

21日(水)早朝、成田に到着。昼からBBCの取材面会、午後は東京大学先端科学技術研究センター(一時「客員教授」で在籍していました)の理事会へ(この日は新所長の選考が主要案件でした)、夕方からFabCafeでMIT Media LabのJoi Itoさんと若者たちとのセッション(これは7月にも国会事故調の報告書提出直後にも、ここでJoi Itoさんと対談をしたのですが、、、このことは報告しませんでしたが、、)、そこからSwiss大使館へ向かいWEFのGlobal Shapers CommunitySt Gallen Symposium1)合同のレセプションへ、わたしもご挨拶。

22日(木)は、WEFの企画のJapan Gender Parity Task Forceに参加。私も一つのフォーカスとして発信している日本の最大の課題の一つですが、WEFの今年のGender Parity 報告書では、日本は世界130数か国のうちで102位なのです。最悪ですね。なぜでしょうか?よく考えてください。一人ひとりの次への行動です。

そのあと、国連のHuman RightsGroverさん他の訪問を受け、特に事故調の報告を受けて、フクシマの被災者、労働者たちへの政府の対応についての討議。よく現地なども調べておられ、厳しい質問がいくつもありました。Groverさんの報告書がいずれ出ることでしょう。記者会見もあったようですが、、。

その後は、日本学術会議のアジア学術会議の立ち位置についての面会、夜は、もとSONYの出井さんの75歳のお誕生日のお祝いの会に駆けつけ、それから別の夕食へ。

23日(金)は休日。久しぶりに友人たちと、今年2回目のゴルフへ。ちょっと雨でしたが、午後には雨もやみました。カートのないコースなので、コース全部を歩くわけで久しぶりでした。翌日にはなぜか足首が痛くなりました。

25日(日)は、石倉さんの主宰するGASの同窓会へ。私は2次会にも参加しました。

26日(月)は、朝がTeach For Japanの理事会。松田悠介くんたち本当に頑張っているのですが、まだまだ道は険しいです。皆さんの応援、支援、参加をよろしくお願いします。それから、Tokyo American Clubのインタビュー、外務省からの相談ごと、そして午後は米国議会による米国科学アカデミーのフクシマ事故調査委員会の訪問で、私がまず90分ほど、国会事故調の報告、そして“Q&A”でした。

これについてはまた別に報告しますが、この訪問自体からも、日本にとって画期的なことがいくつも明確に提示されました。

ちょっと追いつきました、まだまだです。

 

Foreign Policy: 100 Top Global Thinkers

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「Foreign Policy」という、外交政策関係の専門家にはよく読まれている月刊誌があります。同じ読者層に読まれるに「Foreign Affairs」という2か月ごとに発行される雑誌があります。どちらも、私が好きな雑誌の一つです。

4年前から、この「Foreign Policy」が「100 Top Global Thinkers」という人たちを選んで、毎年12月に発表しています。

なんと2012年、つまり今年の「100 Top Global Thinkers 2012」の一人に私が選ばれたのです。私の国会事故調の委員長としての活動が評価 されたのです。このリストで何人かはペアなので必ずしも全部で100人というわけではありませんが、思想の影響ということでは政治家が多いのは致し方ないですね。今年のトップはMyanmarのAung San Suu KyiさんとThein Seinです。もう一人、日本から村上春樹さんです。

去年2011年のリストをチョット見てみると、さすがにトップあたりは「アラブの春」の関係です。日本人では、フクシマ原発ですね、福島瑞穂さんとご主人。そしてMIT Media Lab所長に就任したJoi Itoさん、Global GivingのMari Kuraishiさんの3人がいます。

2010年はどうでしょうか。多分、日本からは「ナシ」だと思います。

2009年は?と探すのも楽しいと思います。何か見つけたら教えてください。

しかし、編集はさすがプロですね、それぞれのCitationがなかなかいいのです。

今年のトップの2人には、

For showing that change can happen anywhere, even in one of the world's most repressive states.


村上さんには

?For his vast imagination of a globalized world.

私には

For daring to tell a complacent country that groupthink can kill.

国会事故調は海外ではそれなりに評価されているようですが、国内ではちょっと…。なぜでしょうか。

 

Dubaiへ: Global Agenda Council of World Economic Forum

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台北から帰った翌日の夜、成田へ。Dubaiへ向かうのです。

成田からの便は、先日、Dubaiから搭乗した「空の上、12,000メートルでシャワーを浴びる」の機体がDubaiへ戻る便、機体A380です。

今回はビジネスクラス。しかもビジネクラスもファーストも満杯。多くの方たちが私の参加するWorld Economic Forum (WEF)のGlobal Agenda Council (GAC)に参加される方たちのようで、石倉洋子さんはじめ、おなじみの方たちが何人もおられました。

現地に朝早く到着してJumeira Al Qasrにチェックイン。WEF-GACでは今回、従来より20%近く参加者の数を増やしたようです。Councilも依然より増えて80を超える数になり、運用の仕方にもいろいろ新しい工夫がそこかしこにみられます。それだけ世界の課題が複雑に山積しているということでしょう。

このCouncilでは、国別のCouncilが10ヵ国ほどあり、日本もその一つです。そのChairが私なのですが、Japan Councilは日本の方が圧倒的に多く、しかも東京でも数回の会合があるので、課題については参加する前からかなりまとまっています。それでも近年の「日本」の状況は特に発信できる良いメッセージがないので、訪問者も少ないという状態です。でも、私は訪れる方がいると対応するのが当然ですので、かなりの時間をJapan Councilで過ごしました。でもあまりここには来られませんね、残念ながら。日本は注目度も、期待度も「いまいち」なのです。

でも、フクシマ原発事故については別ですね。私たち国会事故調のことでは、個人的レベルが多いのですが、多くの問い合わせがありました。

私は会議の合間にも、この2、3年はChina CouncilKorea CouncilのChairと個人的にもいろいろ話をしているのですが、今回は特に両国とも新しい方がChairとなったので、大事な時でもあり、いろいろ意見交換をしました。皆さんとてもフランクで、双方向の多面的な交流が必要であることを強く認識し、希望しておられます。いろいろ有益な意見交換ができました。

中国も韓国も政府のトップが交代ですし、と思っていたら、なんと最後の日の夕方に、日本では衆議院が解散になる、というニュースが入りました。やれやれですね。

ところで、韓国のChairはGuen Leeさん。話をしていると、なんとお父さんは私の良く知っている人ではありませんか。韓国科学アカデミー(KAS、Korean Academy of Sciences)の会長だったLee (Ho-Wang) 先生の息子さんなのでした。このブログにもお父上との写真がありました。このお父上との出会いが、朱先生との出会いになり、後々に続く感激的な日韓医学史123)へと発展するのです。

トップはこのGuen Leeさんとご一緒の写真ですが、あの有名なBurj Al Arabの26階での晩餐会での記念です。

帰国してから、Leeさんから「お父上がとてもよろこんでおられた」とメールがありました。人とのご縁とは面白いものです。

 

台北へ、偶然の重なり

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Prof. Yang 2nd from left. Next to the right between Prof. Yang and me is Prof. Tomino of Juntendo University.

GEWの初日に参加した翌日は、朝から台北へ向かいます。去年、約束していたChang Gung Medical Centerとの小さな研究会が「3.11」の大災害、大事故で伸びてしまっていたのです。Chih-Wei Yang教授とは長いお付き合いがあり、現在は国際腎臓学会International Society of Nephrologyの理事、Chang Gung College of Medicineを率いる学部長です。ご多忙の中、空港まで迎えに来ていただき、恐縮しました。

この間にも、偶然ですが、Chang Gung Medical CentersとArizona State University、さらにMayo Clinicも参加する予定という画期的なプロジェクト「Biosignatures」1)が始まっていることに米国側から相談を受けたばかりだったので、その偶然のタイミングがYang教授との話題の一つとなりました。

翌日はYang教授も参加した勉強会で若手の発表会に参加したのち、午後4時過ぎには羽田に向かいました。短い台北滞在でした。

でも、このようないつもの偶然に見えることは、何も偶然ではなく、いろいろな方たちとの出会いとその中から生まれる相互の信頼関係によるものだと思います。このような偶然の重なりと自分のその時々に所属する組織と関係ない、むしろ自分の履歴にみられる能力の「属性」に由来する信頼に基礎を置くユニークな人間関係は、これからの国境を超えるグローバル世界では、何よりの価値のある性格のものだろうと思います。

若いころからの自分の価値創造は、10代、20代から30代初めに自分の「属性」を世界のプロに接して磨くいくつもの機会を作ることと、そこから自分なりの目標を感じ取れる、そこへ向けた自分なりの努力目標を感じ取れることは大事なことです。

自分のユニークな価値を見つけ出す、自分にも謙虚になれる、世界での自分なりの立ち位置を設定できることは、キャリア形成にもとても役に立つことと思います。

帰国した翌日の11月11日夜には、成田からDubaiへ向けて出発です。

 

Global Entrepreneurship Week(GEW)2012始まる、Roos大使も応援に

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GEW1)が始まって4、5年になるでしょうか。世界の120を超える国が、11月12?18日の1週間、「進取の気性 entrepreneurship」あふれる人たちの活動を支援し、応援し、ネットワーキングの活動を広げる活動なのです。

この世界へ広がるイノベーション、起業家精神の活動を支援するこのイベントは、Kauffman財団が中心になって推進しています。

私もその始まりから参加123)、支援していますが、今年からは私もかかわっているImpact Japanが日本側のホストになって活動しています。

今年は、日本では少し期間を広げていろいろな企画を紹介しているので、ちょっと早めでしたが11月8日に発会のイベントを渋谷のヒカリエにある「Creative Lounge MOV」で開催しました。多くの頑張っている起業家や、応援団がこられました。日本の方は60%ぐらいだったでしょうか?

私も開会のご挨拶をさせていただき、元気いっぱいの若者たちと楽しい時間を過ごしました。

盛り上がっている終わりのころに、お忙しい中をRoos大使がこられ「起業家精神とイノベーション」の大事さを、繰り返し強調し、うれしい応援の言葉をいただきました。

翌日は、前から約束していたChang Gung Memorial Hospitalとの集まりがあり、台北に出発しました。

起業家精神あふれる若者entrepreneursたちの活動、私たちのImpact Japanの活動の応援をお願いします。

 

2日間でMalaysiaとNorwayの首相にお会いする

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Malaysiaの首相Mohd Najib Abdul Razak1)は「科学とイノベーションのグローバル顧問会議」を設置、私も委員に招聘を受けています。

今回は、11月1-3日にわたってKuala LumpurとJohor Bahruで開催。10月31日の朝に成田を出発。Kuala Lumpur空港から1時間半ほどかかってホテルへ到着、夜のレセプションに参加。

翌11月1日の第1日はKuala Lumpurの首相官邸での会議。首相のほかにも関係閣僚も数名出席、Food Security、Nutritionと環境の問題などのいくつかの進捗の報告など、活発な意見交換と政策への反映などが議論され、指示されました。特に今回はJohor Bahruを中心とした「Iskandar Malaysia Smart City Framework」の現地視察も兼ねた会議でしたが、私は残念ながら2日、3日の現地視察は失礼することとし、1日の夜にはKuala Lumpurを出発、2日の早朝に成田へ戻りました。

帰宅後、一息ついて、昼はNorwayのJens Stoltenberg首相1)との会食、日本側は私だけで、フクシマ原発の国会事故調の報告書と、去年の夏のNorwayで多数の死者が出た乱射事件でのNorwayの独立委員会の報告を踏まえた、リスクと政府の対応などについて意見交換という趣旨です。

フクシマ原発の国会事故調報告書は世界でかなり広く読まれているようで、意見交換に興味のある方が、多くの国の要職にある方たちにもおられるのはうれしいことです。

さらにStoltenberg首相は「Global Health」についての意見交換という提案です。特にNorwayはこの分野ではGAVI1)などへの積極的な支援で知られ、首相も大いにこれを推進されているのです。私たちの主宰するHGPIも、先日GAVIと共催で会議を開催したばかりでしたし、9月初めに私も参加したOsloでのKavli Science Forumでも、首相はこの点を強調されておられたのは報告したとおりです。

あっという間に時間がたち、そのあとはNorwayのテレビ局と共同通信の取材などが続きました。

夜はStoltenberg首相歓迎のレセプションへ。平野復興大臣も出席され、大勢の関係者が出席され、Salmonなど海産物料理を皆さんで楽しみました。

2日続けて、お2人の首相にお会いするなど、考えもしないことでした。

 

山中さんのノーベル賞、私のコメント

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山中伸弥さんのノーベル医学生理学賞受賞、素晴らしいですね。10月にSTS Forum出席で京都にいるときに山中さんにお会いしました。このことにはちょっと触れましたね

とてもインパクトのある素晴らしい業績ですし、世界からも期待されていたのです。はじめの論文が2006年ですから、どれだけ山中さんのiPSの発見のインパクトが大きかったかが理解されます。本当にうれしいです(1)。

私はノーベル賞について、このサイトでもいくつもコメントしていますし、今回も新聞などからもコメントを求められ、私の従来からの意見と同じコメントをいたしました。

私の意見の中心は日本の大学を含んだ、皆さんが当然と考えている日本の社会制度の課題です。つまり「タテ」社会についての意見です。

以下のようなポストで私の意見を理解していただけると思います。

1. 「東大とノーベル賞」

2. 「なぜ東大からノーベル賞が出にくいか」

3. 「ノーベル賞とアカデミー賞」

4. 「人材育成は国の根幹」

5. 「ノーベル賞100周年を記念して」

6. 「我が国の研究者養成の現状と緊急課題」

7. 「「出る杭」を伸ばす他流試合」

山中さんのような研究のインパクトは「インパクトファクター」ではないのです。世界でのインパクトなのです。

それらは多くは反骨精神であり、本流からはなかなか出てこない、“Crazy Ones”1)のすることなのです。

21世紀になって、日本の方は11人のノーベル賞になりましたが、南部さん(物理)、下村さん(化学)、根岸さん(化学)は、米国でキャリア作ってきた方たちです。利根川さんもそうです、San Diego、Baselですね。

「出る杭」「Crazy Ones」であることを恐れてはいけません。「出る杭」こそが世界を変えるのです。

 

Nairobiから -3: Olympic Schoolを再び訪れる、外交の基本はこんなところから

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Nairobi の3日目。今日、会議での私の出番はないので、UZIMAの方にお願いしてOlympic School1)へ行きました。ここは「世界最大」といわれるKiberaスラムの端っこにある、ここの子供たちの公立の学校です。

私がWHO Commissionerの時、6年前(2006年6月)のことですが、ここを訪問してとても感動したのです。何しろケニアの公立小学校(8年生までで、200校程度あるそうです)ですが、ケニア全国でトップ(本当に全国1番、最近はすこし落ちてきて、でもトップ10番)の成績、その成績で公立高校へ進学できるのです。その中の成績トップの10%程度の生徒が公立の高等学校(4年制)進学できるのだそうです。

この10年間で、生徒の数も1700人程度から3000人ほどに増えており、先生の数は26人でとても大変そうです。教室いっぱいの生徒たち、1冊の教科書(家に-といってもスラムの中です-教科書はもって帰れません)を6~8人程度で一緒に使いながら勉強しています。電灯もないのでずいぶん暗い部屋もありますが、部屋に一杯の生徒たち。1クラスに70~90人ほどの生徒ということです。

昼休みも40分ほどで、昼食はトウモロコシ(Maize)を煮たもの。ちょっと試食しましたが、大変なものですよ、これでよく、、、と思います。このような世界のあることを実際に体験して知ること、は大事なことですね。

いくつかの教室を訪ねると、生徒のみなさんが先生と一緒にご挨拶。しつけもしっかりしています。

6年前に私が訪問した時の2006年の記帳ノートがなかなか見つからないので、今回、また同じようなメッセージを記帳してきました。私の知っている、日本から世界へ、アフリカへ行く若者たちが、時々メールやツイートで「Nairobiへ、、、」という時には、この学校へ行くことを勧めています。そして私の記帳も見てもらったことが2、3回あります。

そこに私が書いたことは、

Most moving experience of my life

I saw the future of the nation

(人生で最も感動した体験、この国の将来を見た)

と書いたのです。

Kenyaに行ったらぜひOlympic Schoolを訪ねてみてください。

午後はKanyaのNCST(National Council of Science and Technology)のCEO、Prof. Shaukat Abdulrazak1)さんを訪ねました。ちょうど理事会会長Prof. Vasey Mwajaさんも来られて1時間ほど歓談しました(写真)。お2人とも日本留学・滞在の体験者です。日本への思いが伝わります。これらが国際貢献の一番の価値になるプロセスですね。

私の今の活動基盤の1つのGRIPS 政策研究大学院大学はそんな大学院大学です。

Nairobi滞在もそろそろ終わり。あと数時間で ホテルを出発、帰国の途に就きます。