San Diego

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San Diegoの町のすぐ向かいにあるCoronadoに来ました。1つはCell Societyという集まりがあり、これに参加するのです。この会は今年で3回目ですが、去年は国会事故調の最中で参加できませんでした。特に私がこの分野の専門というわけではないのですが、いろいろな経緯があって参加しています。脂肪幹細胞の臨床例などは医学的に見てもなかなか面白い結果がでています。

幹細胞の研究分野ではノーベル賞受賞の山中さんの大発見「iPS」も期待されているとこです。近代医学のアプローチとは違って、理論的に分子・遺伝子的解析からは理屈が付ないことでも、かなり安全だから試したら「他に治療法がないが、これでいい結果が出る」というところでしょうか。

近代科学の発祥の地、西洋では100年ほど前までは輸血、瀉血などの「治療」が、今では考えられないような理屈で行われていました。ABO血液型が発見されたのは100年前のことです。研究とはそんな経験から新たな発見が導かれることも多いのです。

時間を作ってSan Diego周辺で留学、研究、ビジネスなどで活躍している20数人の日本からの若者たちとの集まりも持たれました。ここで活躍している牧くん(PhD)が中心でUniversity of California San Diegoで勉強中の学部生、大学院生などが集まりました。いいですね、皆さん。やはり意識の変化は感じているようですし、自分のキャリアへの考えもいろいろ迷うことも多いようです。日本ばかりが活躍の拠点ではありませんし、日本人であることには変わりないのです。皆さんの選択と、活躍を期待したいです。

日を変えてUCSDのセミナーに行きました。UCSD School of International Relations and Pacific studies(IRPS)と Rady School of Managementの共催で、IRPS Professor of Japanese BisunessのProf. Ulrike Schaedeさん(去年までは星教授が担当していたとのことです…)の司会で進行しました。テーマは福島原発事故関係ですので、学生さんばかりでなく、教授の方もこのあたりで長く生活されている日本の方も来られました。福島原発事故から2年半、ちょうど福島原発の現在とこれからの状況が世界的に広く報道されているところでしたし、活発な質疑になりました。

学生さんばかりでなく、日本の方が多く見えましたし、またCONNECT1)の関係者も参加。セミナーのあとは、南Californiaらしいさわやかな夕暮れのテラスでレセプション。そのあとで、この辺ではよく知られた「Sushi Ota」で名物の「ウニ」など楽しみました。

若者たち一人ひとりが自分のキャリアの選択肢を増やす実体験はとても大事なことです。

オランダの新聞記事

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最近の福島原発の汚染水の問題、まだまだ脆弱な状況などが世界にも広く知られ、その懸念から海外でも多くの報道がされています。

私も日本の憲政史上初という国会事故調を任され、その報告書は世界でも高く評価されているところです。ですから、今回の福島の状況については、いくつもの海外メディアの取材を受けています。日本のことでもありますし、私がお断りするのもおかしなことですしね。

オランダの主要新聞‘Trouw’にもインタビュー記事が出ました。この記事を見た E. Nishimotoさんから、このサイトにメールをいただき、日本語に訳していただきました。さすがにウェッブの時代ですね。Nishimotoさんが訳してくれた原稿に、私が少し手を入れ、私なりにちょっとわかりやすくしたのが、ここにリンクした邦訳です。

 

Trouw 紙 2013年9月16日(邦訳英訳

 

Nishimotoさんありがとうございます。

この記事にある私の意見は、このサイトでも繰り返して発言しているところです。最近では、GRIPSの卒様式での祝辞にもあらわれています。

政策研究大学院大学GRIPSの秋の卒業式で、私の祝辞

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私が所属している政策研究大学院大学(GRIPS)の秋の卒業式は、ほとんど全員が留学生(学生のほぼ70%が60数か国からの留学生です)で、それぞれの国の色彩も豊かで、ある意味でとても感動的な、日本では珍しい卒業式です。留学生の母国の大使、大使館スタッフの多くが臨席されます。

9月17日、今年もその時が来ました。学位記授与、成績優秀者表彰、学長式辞、卒業生代表挨拶などのプログラムです。

そこで、私が祝辞、Commencement speechをすることになりました。ありがたいことです。私にとって、今年3回目です。4月の東大の入学式1)(ちょっと意味が違いますが、海外の卒業式祝辞に相当すると思います)、7月の国連大学の卒業式です。

このGRIPS卒業式では海外でよくあるように、最近では一人の方にスピーチをしていただくことになりました。去年のCommencement SpeechはASEANの事務局長を務めたSurin Pitsuwanさん(スピーチはこちら)でした。

2010年にも、今や世界の注目を集めている日銀総裁の黒田東彦(はるひこ)さんが、当時はAsian Development Bank総裁として活躍していたころ、スピーチをされています。

私の祝辞にこめた思いも、皆さんに届いてほしいと思います。

世界の将来を背負っていく若者の旅出を送りだす卒業式は、いつも何かの感動に包まれます。

教育に関わるものの特権(Privilege)です。

Philadelphia-2: Fireside Chat With Dr. Kiyoshi Kurokawa

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今回の主目的は、何年もお誘いを受けていながら、参加できなかったJapan America Society of Philadelphiaが企画する”Health Sciences Dialogue”、2日間の集まりです。いろいろ聞いてみましたが、日米の製薬企業、バイオべンチャーをつなぐ会としてよい評価を受けています。

朝7時から、日本からの参加者との朝食がセットされ、10人ほどですがいろいろな話題に花が咲きました。

9時からセッションが始まり。New York から日本総領事館から相(あい)広報センター長も参加し、ご挨拶。

バイオテクべンチャー、べンチャーキャピタル等々の良いテーマとパネリストで、製薬、米国と日本の動きなどを中心に話が進みます。昼食の終わりを見計らって、私の登場、”Fireside Chat with Dr Kiyoshi Kurokawa: How Can Japan Better Foster Innovation?” というセッティングで80分ほど、David Flores(Co-Founder of BioCentury Publications)とHoward Brooks(Partner, Americas Life Sciences Sector Leader, Earnst and Young; この会議中に同じ部門のGlen Giovannettiともいろいろ話ができましたが、、)の2人からの質問に答え、あとは会場との質疑応答という趣向です。

Philadelphiaは私といろいろ関係というか、ご縁があります。University of Pennsvlaniaは私にとって初めての外国ですし、ここでの2年間が私のキャリア1)を日本から世界へと変えたところですし、私のとても尊敬している津田梅子(このサイトの中で「検索」してください)が学んだところですし、私の関係しているNoguchi Hideyo Africa賞1)の野口英世の世界的キャリアの始まったところでもあります。ほかにもいろいろなつかしい思い出のあるところです。

この会議では、充実した1日を過ごせました。

翌朝は朝7時に出発、3時間弱、車でJFKへ向かい、帰国の途に就きました。

あっという間でしたが、Philadelphiaは、なにか懐かしかったです。

Philadelphia-1: Swarthmore College を訪問

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Philadelphiaは私が初めて米国(初めての海外です、当時は)でくらした場所です。University of Pennsylvaniaで2年間、研究をしていたのです。もう40年以上前の話です。その時の“ボス” Prof Howard Rasmussenとの出会いが衝撃的1)で、その後の私の進路に大きな影響をあたえたのだと思います。

久しぶりのことですが、9月9日に羽田発、New York CityのJFK 到着、迎えの車でPhiladelphiaへ3時間。宿泊は町の中心にある、150年前にLincoln大統領支援の目的で建設された由緒ある、共和党ゆかりのThe Union League1)へチェックイン。ここには、歴代の共和党の米国大統領の肖像画があります。

一休みしてさっそくSwarthmore Collegeへ、学長のRebecca Choppさんに、3年ぶりですが会いに行きました。

Swarthmore Collegeは米国でもトップにランクされるLiberal Arts Collegeで、この近辺ではBryn Mawr College(19世紀の終わりごろ津田梅子123)が留学した)、Haverford College(Harvard大学歴史学教授でよく知られている、私の高校の先輩でもある入江昭さんも学んだところ)とも近く、「Tri-College Consortium 」を形成する名門中の名門です。この3校を巡回するバスもあります。

Chopp学長1)、さらに3人の日本の女性で教鞭を取る角田こずえさん、城よしこさんと須田あつこさんたち(海外で独立して活躍している日本人には女性が多いな、と私は思っているので、「やっぱりね」と感じました)、また日本文化について教鞭をとっているDr William Gardnerさん(JETプログラムで日本にいたことがある)ともお会いしました。いろいろな話題について、1時間ほど時間を過ごしました。

この大学は一学年400人弱、1年目はみなさんキャンパス内の寮で、そのあとも大体90%以上はキャンパス内の寮生活、大学院はなし。ここの生徒は優秀でよく勉強し、教育の評価が高いので、卒業生は大学院に行くときはどこでも大歓迎のようです。

この大学の所在地は私が昔住んでいたところに数キロほどと近いので、そのあたりを回ってみましたが、すっかり変わってしまっていて、当時の面影は全くなく、電車の線路だけが変わらずあるといった風情でした。

素晴らしい大学キャンパス、そして懐かしい思い出の場所、時のたつのは早いものです。

福島原発事故の現状にNatureも懸念を表明、何をすればよいのか?

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福島の事故の現況はちっともよくなっているとも思えません。だれにでもわかることです。

東電の言うことも(国民にも、世界にも理解してもらおうと意識が全く欠如していると思いますね、いつも「ひとごと」のような発言です)、政府の言っていることも、実行する工程表も、その理由、プロセスにも透明性も欠け、国内、国際的な信頼性にも欠け、しかもはっきり、わかりやすく伝えることも考えていないのでしょうか。

日本のメディアも、なぜか批判的精神をすっかり骨抜きにされているみたいで、だから、国民の声も上がらないのです。自分が知っていても、それも自分の仕事として知らせたくない人たちもいることは確かでしょうけど、これは逆効果ですね。国際的な信用もなくなりますから。

科学誌ではよく知られたNature1)も痺れを切らして、意見をしています。ネットの上では、意見の交換も見られます。Twitter1)でもいくつも見ることができます。

福島原発事故のような国際的に影響の大きな事件では、英国の狂牛病の対応12)の例などを学ぶこともよいことです。牛での発症から初期の政府の判断間違い、その後の人間での発症、EUの委員会の対応とそのプロセス、そこでの提言の受け入れ、科学の進歩等々の信頼を勝ち取るプロセス。結局、事件から英国産の牛肉が輸出されるのに20年もかかったのです(ここでも初期には日本政府も間違いを起こしているのですけどね)。

独立した、国際的に開かれた、透明性と科学性に裏打ちされた独立委員会で、対策を検討、立案してもらい、政府がこれを決定し、福島原発事故の中長期対策の計画を作成することです。それを世界と共有するのです。

独立性、透明性、公開性、科学性、国際性は、グローバル世界での政府の信頼の回復への第1歩です。これらの信頼への基本が国会事故調の報告書が世界で高い評価と信頼を受けた基本にあることを、みなさんがもっと知る必要があります。

みなさん、いかが思いますか?国家の信頼は一度失われると、その回復にはとても時間がかかるのです。

福島原発事故からもう2年半が過ぎます。

New York Times からびっくりする「贈り物」

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最近の福島原発事故の周辺は、極めて不安定な状況です。世界にも広く知られています、今の時代、何事も隠せないのです。

最近の福島の状況は世界でも大きな事件として扱われています。New York Timesも例外ではありません。 9月4日の朝刊「Late edition」のトップ記事(PDF)として扱われ、私のコメントの一部も入っています(電子版でも読むことができます。日本語訳はこちら 前半後半)。このNew York Timesの記事は日本の一部のメディアでも伝えられました。

驚いたのは、私のコメントが“Quotation of the Day(今日の引用)”となっていることです。うれしいというか、驚きですね。それだけインパクトがあるということなのでしょう。

“Water keeps building up inside the plant, and debris keeps piling up outside of it. This is all just one big shell game aimed at pushing off the problem until the future.” というものです。

これは取材した東京支局長Martin Facklerさんの腕です。彼は福島原発事故で明らかになった「「本当のこと」を伝えない日本の新聞」(双葉新書)という本も書いています。

世界は注目しています。世界有数の経済大国、しかも、科学や技術、エンジニアリング、製造業で高い評価を受けていた日本で起こった、地震・津波で引き起こされたとはいえ、まさかの福島原発事故。そして、2年半たっても中長期の計画も立たない、東電や政府の反応などに。

世界の英知を集め、透明性に徹することです。心配です、何とかしたいですね。

夏かぜで1週間ダウン

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8月29日(土)、日帰りで軽井沢へ出かける、昼に到着。旧軽井沢ゴルフクラブへ。なんとなく疲れるので、ゴルフ参加は辞めて、クラブハウスで休憩。きれいなコースを見ながらラウンジで過ごすのも変な気もち。

夕方みんながゴルフから上がってから、私が当日のゲストとして1時間ほど講演をした。GRIPSの同僚ともいえる竹中さんとご両親にもお会いした。元東大総長の小宮山さん他にも知人がいろいろ。

夜帰るとやはり疲れる。早く寝る。翌日の日曜日から熱が出る、時に40度になる。ご近所の主治医さんへ行って、診察してもらい、点滴を受け、一日寝る。翌日の月曜日も40度ほどの熱が出る。また主治医のところにも行く。元気がないわけではないのだが。今週の面会等はすべてキャンセルさせていただき、水曜日を迎えた。ちょっとよくなってきた感じ。

木曜日、朝からEUの代表の大臣の方々とのセッションがあり、約1時間を過ごす。もっぱら福島原発事故と今の状況などが主たるテーマ。それはそうだろう。あとは、ちょっとした会議等で、午後3時には帰宅。寝る。本当は今週は伊勢神宮に行く予定だったのだけど残念ながらキャンセル。

金曜、土曜と寝て過ごす。かなりよくなったが、今度のカゼはちょっとひどかった。

9月1日(日)、新幹線で広島へ。広島大学新診療棟のお披露目の祝賀会で記念講演。久しぶりの医学関係の多くの方々にお会いした。日がえり。

9月2日(月)、湘南国際村へ。「国連大学グローバルセミナー」主催の3日間のプログラム。David Malone 学長、そして資生堂名誉会長の福原義春さんに久しぶりにお会いした。そして私が「基調講演1: Global Agenda of Post-Fukushima」。ほとんどが大学生、大学院生で、女性が70%ぐらいか?いいね。留学生、学国人教員も多く、雰囲気はいい。楽しく話をすることができました。質問もいろいろ。もちろん全部英語。

この「オープンな雰囲気」とはどう定義できるのかわからないけど、いいですね。私は好きですよ、堅苦しくなくて、意見の交換も盛んで。

私の後の基調講演はUNDP日本代表の弓削昭子さん。歯切れがいい。質疑にもバンバン答える。

私はレセプションに参加した後、帰宅の途へ。皆さんは合宿らしい。

やっと、1週間が過ぎて、1週間が始まった感じ。ゆっくり休んだ感じでした。

HLABへ再び

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先日紹介した、驚愕の成果を上げているHLAB。

2011年の夏が初めでだけど、この2年で受講した高校生の40%が、自分の選択として海外の大学へ進学するのだから、すごい。

今年の夏、HLABがまたやってきた。私もまた参加。2 日休んだ蓼科から帰京し、みなさんと合流、そして30分ほどお話をしました。

これに参加しているHarvardの学生さんたち、2011年から3回続けて参加の方もいるなんて、とてもうれしい。彼女は今年のHarvard卒業式でラテン語の語りを見せてくれました。メキシコの貧しい村からお母さんがSan Diegoへ移住して、苦労して育ててくれた話をする男子学生。祖国の教育へ貢献したいと、、、。みんな素晴らしい。

その後はみんなでレセプションへ。応援してくださっている三菱商事のHarvard Alumniの槙原さんも参加。毎回このプログラムを支援してくれています。

数日後、再びGRIPSでのセッションへ。一橋大学B-Schoolを立ち上げ、今はHarvard B-School教授として活躍する竹内弘高さんのWise Leaderのセッション。さすが世界で一流の先生はすごい。授業の内容もさることながら、これが一流のエンターテイメントなのだよ。竹内さんはHarvardで日本企業のケースをいくつも紹介しています。

翌日の夜は、参加みんなが合宿している本郷の古びた旅館でのリフレクションに参加。いろいろな方が参加していて、お会いできて、私ももちろんですが、学生さんたちも本当にうれしそう。

こんな若者を見ていると、日本の将来も結構いける、と感じます。

幹事の皆さん、ご苦労様、ほんとにありがとう。

沖縄から -2

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8月10日(土)、再度沖縄へ。宮城征四郎先生の始めた、これからの医療に対応する、ある意味では「最先端」を行っているともいえる「群星(ムリブシと読みます)臨床研修プログラム」の10周年記念のお祝いです。私もご挨拶をさせていただきました。10年前、このプログラム発足の時には講演をさせていただきました。

ここからは、その先輩の県立中部病院の時代から、臨床研修医のOB/OGのかなりの方たちが米国で臨床研修を受け、日本でも、世界でも、グローバル時代にふさわしい活躍をしています。

この10年、医療の現場に対応する医師の能力のニーズはかなり変化してきていると思います。ACP日本支部12)の開設、New York Beth Israel病院の臨床研修プログラムのOB/OGたちなど、世界に通用する臨床医の活躍は目覚ましいものがあります。

私は、挨拶でこのような臨床研修を受けた人たちが、後輩に優れた教育を伝えていく好循環“Virtuous Cycle”を生んでいくことに触れ、ちょうど沖縄に来ていた私のUCLA時代のフェローだったDr Harry Wardをみなさんに紹介しました。これも好循環の一例です。

11日の午後はBirdLife Internationalの市田さんに案内していただきながら、沖縄の北部へ。沖縄の蝶(註1)の観察ができる「秘密の場所」へ連れていっていただき、ヤンバルクイナを見に行きました。今年、道路で車にぶつかって死んだヤンバルクイナは今日現在で28羽。以前は、年に10羽程度だったそうです。

脚注: 写真に出てくる順番に 1)コノハチョウ(表 オモテ) Orange Oakleaf、必ず下を向いて止まる、沖縄以南のアジアに分布、コノハチョウ(裏 ウラ) 枯れ葉に似せている; 2)ルリタテハ Blue Admiral、翅の両脇にブルーのライン; 3)ツマベニチョウ Great Orange Tip、白い大きなチョウ、前翅の先端がオレンジ色、鹿児島以南のアジアに分布。

3日目の12日は、OISTで、この全く新しい研究大学院の将来計画を皆さんと考える集まりに参加しました。丸一日、いろいろな課題について議論が続きます。

これが日本の研究制度の変革に役立つことを祈っています。