沖縄へ、週に2回訪れる -1

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Other photos: https://picasaweb.google.com/101937154598536516246/Aug5Day04?authkey=Gv1sRgCOrRi5ry9tOHfw

8月4日からの週は沖縄に2度伺います。

5日の月曜日、この日は日帰りです。ここでも何度か紹介している沖縄でのアジア青年の家プログラム1)です。沖縄で14~16歳の若者50数名が約3週間の合宿をするのです。大学生も10数人が参加しますが、何人かのOB/OGも参加します。

私が安倍総理の特別顧問をしているときの内閣の企画で、もう6回目になるでしょうか。今までの参加者はFaceBookでつながっていて、いつもこの時期になると盛り上がっています。第1回、第2回に大学生のチューターとして参加していたインドネシアのOBと先日お会いして、彼の進めている母国での事業の相談にものりました。

私は第1回から参加しています。今年は開会式での講演です。アジアの将来を担っていく若者たちといろいろ議論が広がり、大いに盛り上がりました。

日本からの参加者は、第1回から大体2:1で女性が多いのですが、今年の沖縄からの参加者は全員女性でした。男子も頑張って参加してほしいですね。みんな楽しい時間を過ごし、OB/OGたちは大きく成長しています。アジア各国からの参加者は、送り出す国の推薦で、男女1:1です。

このようなプログラムが、日本のいろいろな地域で、学校から、町から、できる範囲でよいので、ホームステイとか、どれだけ小さくてもよいので始まることを期待します。

日本の将来は若者にかかっています。

女性の活躍に期待する、2つのパネルに

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東北大学女子学生入学100周年記念シンポジウムの写真はこちら:https://plus.google.com/photos/105840412439031950380/albums/5910115686676869777?authkey=CKPXlJPgwpSp-QE

日本の一つの問題に女性の活躍の場が、ほかの国に比べて、まだまだということがあります。いわゆる男女参画社会、Gender Development、とかGender Empowermentなどとかいろいろ言われる社会的課題です。

わたしは、これについても“問題”発言をしているので(このサイトの中でも「検索」してみてください)、この問題に関係する機会にも時々お招きを受けます。

8月4日、ewomanの佐々木さんの企画、第18回国際女性ビジネス会議で翁百合さんとの対談です。翁さんとは経済同友会でのパネル以来ですし、この会議では2年前に石倉洋子さんとの対談にお招きを受けました。

大勢の、特に若い女性が多く、一日中の充実したプログラムです。主催の佐々木さんの挨拶に始まり、キャシー松井さん、二人の女性大臣で弁護士、子育ての森さんと稲田さん、横浜市長の林さんの説得力あるお話などのあと私の翁さんの対談。午後もいろいろなセッションがありました。

そして、フェンシングのオリンピック銀メダリスト太田さん、さすがに「超世界級」は、お話も、感覚も、すごいです。

私は、石倉さんとの共著「世界級キャリアの作り方」を私のサイン入りで50部ほど購入していただきましたが、中にはご自分で持ってこられ、私のサインをもらいに来た方もいて、これはうれしかったです。

8月8日は東北大学へ。100年前に3人の女学生を入学させた初めての帝国大学の記念行事の一環のシンポジウムに参加です。皆さん、元気の出る発言、特に英米国のお客様、Drs ColwellとHaynigenの話も素敵でしたし、久保さん、辻村さん、向井さん、小谷さん、2人の高橋さん、元村さん、小谷さん、2人の黒田さん、原山さん、植木さん、みんなよかった。

このイベントの報告も、トップの写真とは別に、いずれ東北大学のサイトにでも掲載されるかもしれません。何しろ大隅典子さんが企画担当ですから。

第18回 国際女性ビジネス会議
全体リポート(会議当日のダイジェスト版)はこちら
トークショーリポートはこちら

そして、最後に里見学長から「約束」とはいかないけど、何かやってもらえそうな気分のお話しがありました。いつまでに実現するのか、これが課題でしょうか。

Rita Colwellさんとは今年これで4回目ですし、そして翌日は元村さんとNature Caféで2日連続でのご一緒となりました。

忙しいですが、それなりに楽しい時間も続きます。

Nature Café 「変われるか、ニッポン?」

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このブログでも案内していましたが、科学誌としてよく知られたNatureで、「Nature Café」という企画をしています。

今回は第12回で、沖縄科学技術大学院大学(OIST)との企画。日本ではどちらかといえば「Crazy Ones、変人」らしい科学者のパネルを企画しました。タイトルが「変われるか、ニッポン?~変化を迫られる大学、研究機関~」というタイトルです。

場所はSONY CSL「天才、異人」1)を生み出してきた小さな研究所です。

パネルは、この研究所の所長の北野宏明さん1)、東大で天文学と数学のコラボを試みる機構のリーダーをしている村山斉さん(たくさんのビデオがあります)、OIST の杉山(矢崎)陽子さん、そして私です。司会は毎日新聞の元村有希子さん

大部分が学生さん、いいね。パネルの皆さんが10分ずつ、元気のよい「変な話」をして、そこからパネル。そこへ、MIT Media Lab 所長のJoi Itoさん(1)が参入してくるサプライズ。

参加の若者たちと、大いに、大いに盛り上がった夕べでした。

刺激的で、よかった。

「H-LAB」:海外の大学へ進学する高校生たち、実体験のインパクト

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2011年1)、2012年の8月に開催した、私もImpactJapanも、初めから応援している「H-LAB」

これはHarvard大学と日本のいくつかの大学の学部生が中心になって開催する、1週間ちょっとの「高校生たちを対象とする夏の合宿」です。

「リベラルアーツ」の大事さを高校生に感じ取ってほしいということなのです。これが英米流の大学教育の基本なのだ、ということも。

ところで、2011年に参加した高校2・3年生、2012年に参加した高校3年生たちは、この春ごろから進学先が順次決まり始め、みなさんが進学する大学がほぼ決まったようです。

その結果を見ると、この「夏の合宿」は若者たちに予想した以上のインパクトがあったようです。

参加した高校生の選択肢をまとめるてみると以下のようです。

男子高校生22人中11人が海外の大学へ!!
女子高校生32人中12人が海外の大学へ!!

海外の大学といっても米国を選んだ人が19名、英国2名、Canada1名、Australiaが1名。 皆さんがすぐに気にするようなHarvard、Yale、Imperialなどの合格者もいます。海外で複数受かって、選択に困っていた人も何人かいます。

東大に受かっている人も何人かいますが、東大(に学籍を置いているかもしれませんが)ではなく留学を選択した人も3名いるのです。

頭で考えている教育ではない実体験、しかも自分たちのちょっと年上の大学生との合宿は「Peer Mentoring」でもあり、高校生が自分のモチベーションを見つける、そこにこそインパクトがあるのでしょう。

このような海外への選択肢へ挑戦する高校生はこれからも広がっていくでしょう。楽しみです。

北岡伸一さんとの対談

北岡さんは日本政治外交史の学者ですが、国連代表部次席大使を務めたこともあるという点で、異色の体験・経験をされた学者です。もっとも諸国ではこんな任命は良くあることですが、、、。つまり、日本のような、極めて狭い「タテの単線路線エリート」人事で動いているというわけではない、適材適所の任官は、大使、外交官ばかりでなく、政府高官にでも当然のこととしてよくあることです。

奥様も社会活動に熱心で、MDGなどでも活躍しているJeff Sachs12)さんとも一緒になってアフリカ支援などにも参加しておられ、ご主人が国連大使でNew Yorkにおられる時でも、ご自分は別行動で、個人の身分でアフリカ諸国にも出かけられていたと思います。

「北岡さんとの対談」の企画を提案されましたので、このようなちょっと違った方との話は面白いでの、北岡さんが引き受けるのなら、と引き受けました。

対談に出かけてみると、この企画した方の思惑にあっているのか、私たち2人ともよくわからなくなりましたが、2人ともに、企画の方のほうからの質問には、忌憚のない議論をしましたので、それなりに楽しい時間でした。

対談を終わってから、北岡さんとは、「言いたい意見は、遠慮なく言えたし、これでいいか」ということにしました。

この対談の原稿を読まれるとわかるのですが、タイトルや見出し、添付の写真には、編集の専権事項ですから、こちらからは特に意見を出しませんでしたが、編集の方の苦労がうかがわれます。

私たちは2人とも素直なものですね。いかが思われますか?

“Bula”、Fijiから

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Manabaに参加して翌日の7月6日、羽田を出発、Hong Kong経由で翌日にFijiのNadiへ。そこからさらに乗り継いで首都Suvaに来ました。

Pacific Science AssociationInter-Congress1)に参加です。

どこでもまずは‘Bula’。「こんにちわ」のように皆の使う挨拶です。

この学会は1920年に発足し、私も2003年からかなり関わることになり、いろいろ仕事をさせてもらいました。このサイトでは沖縄1234、吉田松陰の秘話も出てきます)、そして2011年の大震災の後のKuala Lumpurでの活動があります。

今回の会場はThe University of The South Pacificで、大勢の学生さんたちがVolunteersとして運営に関わっていて、なかなか素敵な雰囲気です。ここで教鞭をとっておられる日本の先生たちにもお会いしました。

翌日の開会式典にはRatu Epeli Nailatikau大統領もご出席、力強いスピーチをされました。開会式では、わたし、そして次にProf Nordin Hasan, Director of Asia Pacific Regional Office of ICSUが基調講演をしました。ご当地の大嶋英一大使も出席されました。

私を含めた何人かがテレビのインタビューを受け、夕方のニュースで取り上げられたということでした。翌日の新聞でもかなり取り上げられていました。

2日目、3日目は分科会を中心にしていろいろな活動がありました。私は、3時間ほどは観光、USP Vice-Chancellor and President Chandraさんとの夕食、また大嶋大使から昼食のお招きを受け、大使館の方々、ご当地で活躍している日本の方々の活動などについてお話を伺いました。UNDP職員として、Pakistan、Sudan、Fujiと活躍してこられた日本の女性にもお会いできました。

ここの日本大使公邸は20年ほど前に購入したそうですが、Fijiの首都Suvaでも一等地にあり、素晴らしい眺めです。

Fijiは歴史的に英国領、インドとの関係、最近では中国、韓国の活動も顕著です。マグロ取りの中国の漁船が何艘も来ています。日本の活動は現地でも知られているのですが、ここでもあまり日本人の姿が見えない、ということのようです。

大使のご苦労はこの辺にもあるようです。

Manabaセミナー + 基調講演と飯吉さんのパネル

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Manabaとは教育の新しいplatformを提供する企業で、このサービスは世界の大学へも広がっています。なかなか意欲的な試みです。

大学や学校の先生たち、事務の方たちを主要な対象としたセミナーが7月5日に東京で開催されました。大勢の方たちが参加されました。

プログラムはManabaを実際に使用している大学の試み、などが主体ですが、私は全体の「世界の動向、それは何故なのか」という視点で、1時間の基調講演の機会をいただきました。現場で活動している人たち、いろいろ試行錯誤し、学生さんたちのために、大きな枠組みを提示する、そのうえで自分たちがしていることの大きな流れを考えてもらう、これが私のしたいことですから。

参加の方たちは、教育、就職など広範にわたる大学の関係者が多く、後のパネルでの質疑からして日常的に苦闘している方たちが多かったようです。

私の講演のタイトルは「Uncertain Times; あなたの選択」です。私のスライドはもちろん映像と文字はすべて英語、でっかい文字を使います。

大きな流れをなんとなくでよいので、感じ取ったうえで、みなさんに「自分の立場で果たすべき責任」を感じ取ってもらいたい、という趣旨です。

あっという間に1時間が過ぎました。しかし、私のメッセージを皆さんも感じ取ってくれたらしいことは、最後のパネル、レセプションなど、後でよくわかりました。

最後のパネルは久しぶりの飯吉さん1)。飯吉さんは教育とは「狂気だ」と繰り返す。私も“Crazy Ones”1)が世界を変える、と主張する。そして文部科学省では異色の佐藤くん、そして経済産業省の福岡くん。飯吉さんの厳しいパンチ、「狂気」が次々と飛んできます。パネルの二人の官僚も、「ふつう」とは変わった「若手官僚」です。参加の方たちからも、苦闘する教育界の現場の悩み、良心のような質問がいくつか出てきました。皆さん苦闘していますね。

「発想の枠組み」を変えてみることです。出る杭、異論、枠を超えて考えてみることです。

グローバル世界での日本の将来は若者にしかありません。このことをどのくらい一人ひとりの日本の「責任ある立場」の人たちが、自分のこととして考え、行動しているのでしょうか。

世界の変化の本質を、肌で、心で、下腹(ガッツ)で直感的に感じ取っている、日本国でより大きな責任ある立場にあって、グローバル世界での日本へ向けた「その役職の責任を実行している人」はそれほどいないのですね。もっとも「学歴エリート」、「東大話法」の人たちが多いですから、所詮は無理なことなのでしょうか。

問題を認識したとしても、まず「できない理由」がいくつも頭に浮かぶ人のほうがはるかに多いのです。それが日本の現状です。考えながら、実行してみることです、難しいでしょうけど。

国連大学の卒業式でスピーチ

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東京青山にある国連大学。ここでは、世界に広がる研究所群と横浜にある高等研究所と、ほかのいくつかの大学とも連携して正式な修士課程が新しく設置されていますが、7月3日に卒業式が開催されました。

私は日本学術会議に関わったころから、日本の科学者コミュニティと国連大学との関係を強くしようと積極的にいろいろと協力してきました。過去2代の学長さんともいろいろお手伝いをさせていただきましたし、今度着任したDavid Malone 学長ともCanadaに共通の友人もおり、着任前からいろいろコンタクトができていました。

この10年ほどのことですが、ここで開催されるいろいろな会議でも話をする機会が、数多くありました。

国連大学の大学院の発足は2010年の9月ですから、極めて新しい大学院ですし、まだ規模は小さいのです。今年、12か国からの12人(最大の多様性ですね)の修士課程修了(あと数人が春に卒業していることのことでした、、)の学生さんたちを送り出す卒業式に、私はCommencement Speechのお招きを受けました。うれしいことです。

私のSpeech原稿はこちらです。

皆さんとてもうれしそうな素敵な卒業式でした。Malone学長は急用で海外となり、ビデオでのメッセージ、竹内副学長の挨拶、私のSpeech、学位授与式、そして卒業生3人のSpeechなどがあり、レセプションで終了しました。

新しい門出をする若者たちを世界に送り出すのは、何とも言えない感動の時間です。

MITで

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Washington DCから21日(土)にいったん帰国。日曜は休んで、月曜はいろいろ会議などが入って忙しくすごし、25日(火)の朝から、再び米国東海岸のBostonへ向かいます。成田からの直行便、去年、日本製バッテリー発火問題でいろいろ騒がれたBoeing787です。

25日の昼に現地到着。一休みしてMIT Media Labへ。これが今回の目的ではないのですが、所長のJoi Itoさん(1)、副所長の石井さん1、 twitterは@ishii_mit)もBostonにいたので4時過ぎから出かけ、いくつかのプロジェクトを紹介してもらいました。ちょうど坂本龍一さんも来てコラボの話題になりました。いろいろ面白いことをやっていますね。夜は石井さんと奥様(私はこのご夫妻2人のtwitterをフォローしているのです、奥様はジャーナリスト、去年のHarvardのNiemann fellowです)、そして秘書さんと夕食をごちそうになりました。

翌日は、以前から交流のあるRichard Lester教授、今回、私を招いた方です。彼はMIT Nuclear Science and Engineeringの所長で、今年2回に分けてInternational Nuclear Leadership Education Programという各2週間のコースを開催し、私にも来てほしいというところから、今回のMIT訪問の話が始まったのです。私はこの1日だけですが、朝8時から夕方まで参加しました。もちろん私の話は「Lessons of Fukushima Nuclear Accident」で、90分の時間がありましたが、まだ時間が足りない感じでした。話題がいろいろあり、たくさんの質問が出ましたから。参加者の皆さん、特に欧米の方たちは原子力のエクスパート、日本やIAEAとの関係ある方も多いですし、Vietnam、 Abu Dhabi、Kenya、Mongolia、Nigeriaの方たちは資格もあり、これからその道を進もうという方たちですから、議論はとても楽しかったです。

国会事故調の報告書は、その英語版は良く知られている「Executive Summary」のほかにも、本文も去年の10月から英語でWebに出ていますから、本当によかったです。世界の専門家の間で、皆さんがそれぞれに私たちの報告書を検討、評価することができますから。

夜はMuseum of Science of Bostonでレセプション。翌朝、帰国の途に就きました。

National Academy of Sciencesで講演; Lost in Translation -‘AccountabilityとGroupthink’も紹介

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ParisからChicago O’Hare空港経由でWashington DC Dulles空港へ.

迎えの方とホテルへ直行。しばらくプレゼンのパワーポイントなどをチェック。翌朝、2年ぶりでしょうか、国務省の向かいにある、改装が終わり少々大きくなったNational Academy of Sciences (NAS)へ.ここで一日、「CBRNE」(Chemical, Biological, Radiation, Nuclear and Explosives)対策の同盟国間の協力についてのNAS主催の会議です。 私は、もちろん「福島原発事故からの学ぶことの意義」というテーマでの基調講演です。司会はNAS国際関係担当主任である旧友John Borightさんでした。私について、とてもいい紹介をしてくれました。この会議と講演はWebで見ることができます。

テーマがテーマですから、国土安全省 Department of Homeland Security、国防省 Department of Defense、 緊急対策庁 Federal Emergency Management Agency (FEMA)、軍人さんも参加しています。

日本大使館から旧知の次田参事官も参加してくれ、また、国会事故調の時に私がWashington DC 訪問時にお会いした国防省の方も参加しておられ再会を懐かしみました。

このようなテーマでも、政府の依頼を受けて、科学アカデミー主催で、公開の場で多くの会議が開催されるところが米国の素晴らしい所です。

ちょうど今年はLincoln大統領がNASを創設して150年であり、いろいろな行事があります。そのNAS創設の精神、「独立した、私立の機関であり、政府の政策に助言する」、この精神を長い時代の変遷を経て、国民からも広く信頼される科学者コミュニティを代表する機関になっているのがNational Academy of Sciences of USAなのです。

形をまねしても、その精神と歴史の経過、国民性を知らないと、モノマネにおわり、Lost in Translationになるのです。この150年、近代の日本では、時代の国際情勢もあり、急造の近代化でしたので、このような事例には事欠きませんね。その「クセ」はちっとも治っていない事例は、今になってもいくつも見えます。

この講演では、その一例として、極めて大事な誤訳 Lost in Translation として「Accountability」についても取り上げました(Topの図、ここではちょっと修正してあります)。日本では「説明する責任」としているよ、、、と。皆さん、「ハハハ、エエッ?」といった反応でした。この言葉の意味は「与えられた責務を実行する責任」です。「Responsibility」よりもっと重い意味なのです。どんな肩書きにも責務が伴うのです。その責務を果たすことこそが「役職」である人の責務なのです。「役にある人」で責任がないなどあり得ないことです。誰がこんな「不適切な誤訳」を使い始めたのでしょうね、教えてくださいな。まさか、「役の人」ではないでしょうね。

さらに「Groupthink」(Topの図)(Googleで英語、日本語で調べてみてください)についてもコメントしました。この意味をみなさんはどう考えているのでしょうか?何も学ばない「エリート群」といったところですね。私のコメントも、このブログに書いています。

このような思考形態が「Obligation to Dissent」(Topの図)の大事さを認識せず、「異論、異質、異端」を排除する日本社会にはびこる、特に「エリート」の精神的弱さになっているのです。弱さを認識しないと謙虚さを失いがちになる、「傲慢」になるのです。

でもこのようなこと、「思い込み」が今回の福島原発のような大事故の背景にもあるのです。本当にご都合主義のいい加減な「エリート」たちが大勢いるものですね。

参加者には、私が委員長を務めた国会事故調の報告書に目を通している方も多くおられました。後から、「あなたの話を聞いてよく理解できた、日本政府の方たちとお付き合いが多くありますが、いつも理解できないな、何かが違うと思っていたことがよーく理解できました、ありがとう」、という趣旨のことを何人かの方から言われました。

国会事故調報告書は、ご存じのようにあくまでも「事実」の記述であり、委員会の解釈、価値判断をできるだけそぎおとしています。ですから「はじめに」に書いてあること以外には、文化、社会論を述べるわけにはいきませんでしたからね。なかなか本質を理解するのは難しいことなのです、多くの日本の人たちにもね。

それが国会事故調の「はじめに」にある、「マインドセット」であり、「単線路線のエリート」の意味するところなのです。英語版でも「Message from the Chairman」も同じ趣旨でまとめています。

演者、主催者たちとの会食、そして翌朝、帰国の途に。今年3回目の世界一周の旅でした。