11月の海外いろいろ -3: アブダビへ

→English

夜の成田からEtihadで、アブダビへ。World Economic Forum(WEF)のGlobal Agenda Council(GAC)に。

これにも、もう6年程度出席しているでしょうか。宿泊は前回と同じく、これも豪華なYAS Vicery Hotel。会議は、隣接するつい最近F1レースが開催された会場です。

夕方まで、理事を務めるKhalifa科学技術大学(KUSTAR)を訪問したり、いくつかの関連の方々にも面会。翌朝到着する予定だった日本からの参加者の多くが乗る飛行機が、機械の故障で成田を出発できなくなった、というニュースが入ります。こちらはご当地におられる日本の友人何人かと楽しく夕食を楽しみました。

今回のGACは今年の3月にお会いした経済発展庁長官のNasser Al Sowaidiさんがホスト側のCo-Chairの1人でしたので、ちょっとご挨拶。

2日間の会議は、私が座長を務めるJapan Councilと、中国と韓国のCouncilとの会談、Council for ASEANなどを開催しました。3日目にはパネルに出ました。まずパネルの3人で問題を討論したうえで、グループに分かれての議論から何かを作り上げていく、そこでまた質疑応答がある、という楽しさを味わうこともできました。

1日遅れて日本から到着された方たちはほんとにご苦労様でした。2日間フルとはいえない参加でしたが、みなさん疲れた事でしょう。でも皆さん、お元気でした。

この辺のことは石倉洋子さんのblog12かれているので。

夜は、久しぶりに岡本行夫さんも誘って、慶応義塾の村井 純さん稲蔭 正彦さんたちと久しぶりにEmirate Palaceに夕食に出かけました。

今回、私のアブダビ滞在はそれだけではありませんでした。GACが終わった翌日、国会事故調査委員会で協力をいただいた佐藤さんと合流してKhalifa大学(KUSTAR)へ。ご当地は原子力発電を建設中でもあり、国会事故調の話、国際的な原子力の情勢等について議論をすることができました。原子力関係の方々も多くが出席してくれました。なかなか好評でした。

ところで、アブダビ政府が、この大学にかける意気込みは相当なものです。これからの計画等についても話を聞いて、夕食後、空港へ向かい、帰国の途に就きました。

New Yorkに始まる、けっこう長い旅でした。

11月の海外いろいろ -2: NYCからKLへ

→English

New York City(NYC)から、成田へ。そこで寒いNYCで必要だった防寒用の衣類を自宅に送り、Singapore Airlineへ乗り換え。A380で、初めてSuiteに乗ることになりました。なかなかのものですがEmiratesと違ってシャワーは無いのです。でも素敵な個室です。

午前3時過ぎにChangi空港着、そこで乗り換えて朝6時過ぎにKuala Lumpurへ。朝10時からの会議にでかけます。

San Franciscoまでにかなり進めた協力計画の最後の調整で、何とか調印にこぎつけます。関係者の皆さんに感謝。でも、もう一息の過程があるのです。とにかく前に進む、実行してみることが大事。この経験値が、関係者の間でも、そのうち役に立つでしょう。

同じ日の最終便で成田へ。成田から帰宅したものの、いろいろ詰め替えて、夕方には成田へ戻り、Etihadでアブダビへ、World Economic Forum、Global Agenda Council に参加するのです。

ちょっとクレイジー?まあそうかもしれませんね。

11月の海外いろいろ -1

→English

11月は忙しかったです。すっかりBlogもご無沙汰しました。

10日からNew York City(NYC)へ。到着した午後、現地で臨床研修をしている日本からの医師の方々にお会いしました。今回は10人ほど、3人は女医さんで、お子さん連れで研修している方もいるのです。素晴らしい若者たちです。その方たちの先輩にもあたる桑間先生も参加。夜はBroadwayのWickedを見に行きました。今年が10周年ということですが、二人の女性主役の歌の力は素晴らしかったです。役者さんたちの層の厚さを考えると、競争のすごさにも同情しますが、何かすごさを感じます。

翌日は友人と3人でNYCの紀伊国屋、MoMAの内庭を見ながらの素敵なランチ、先日六本木でご一緒した館長のGlenn Lowryさんとしばらく館内を散策して、Magritte特別展示を見てからGHITFUNDの理事たちと、明日の理事会に備えて会食です。場所はなんとThe River Club、このNYCでも最も格式の高いClubとか。130億ドルのコンド1)が5つあり、現在Henry Kissingerさんも住人の一人とか。地下にはテニスコートがあるのです。

翌日は1日、GHITFUNDの理事会でした。5月末に立ち上がったばかりですが、世界初ともいえる、日本発の画期的なPublic-Private-Partnershipで、日本政府、企業6社とGates財団とでGlobal Healthへの新しい貢献のメカニズムです。今年の5月末に発足しましたが、私が理事長を務めています。

夕方から、Japan Societyで、New York Academy of Sciencesと共催でGHITFUNDについて紹介するパネルが開催されました。

レセプションの後は GHITFUNDの理事さんたちとShun Lee Palaceで夜遅いディナー。

New York Cityは寒く、ちょっと雪も降りました。

翌日は成田へ、そこで乗り換えてKuala Lumpurへ向かいます。

MIT Media Lab at Tokyo Designers Week

→English


神宮外苑で開催されたTokyo Designers Week 2013でMIT Media Labの企画があり、2日目の午後に副所長の石井さんの講演「Remembering the Future」を聞きに行きました。

石井さんの情熱のほとばしるプレゼンは熱い。内容も筋書きもバツグン、とても納得です。しかし、会場からのQ&Aになると、若い人たちが多いのですが、質問者の意図が石井さんの言いたいこととなかなか合わないのですね。もっともっとチャレンジングな気持ちで立ち向かわないとね。

石井さんは真剣な人なので、「なんでそんな質問なの?」といった風情で、不満そう。だから返事ができないことが多かったのですね。私は一番前に座っていたので、私に「どう?」と振られたので2、3度、私がとても感動した石井さんの言葉の意味と私の感じたことなどについて、話をしました。石井さんの話は、頭でなくて、「こころ」で感じ取れないとね。

この後は石井さん、茂木健一郎さん、林 信行さんの3人が進行役になる2つのパネル。

まずは大学を退学して格闘家、その後は「3D Printer」などで活躍している原 雄司さん1)の話。そのあと建築家の隈 研吾さんの木材を使った建築物などとてもいい話。さすがお二人とも現在までに至る実体験からしか出てこない話ですし、特に格闘家として世界を徘徊していた人の話は身体性があるだけ感覚的にすごい。「右脳」で感じとる部分が大きいので、多くの感動があるのでしょうか。

石井さんと、茂木さんがちょいちょい私に発言を振ってくるので、かなりきわどいことを発言させてもらって、とても楽しい時間を過ごしました。「日本の大学では、研究までもが「家元制度」になっている、、、」とか。そう思いませんか?

でもモギケン、ちょっと元気なかったなあ。忙しすぎるの?

福島原発の現状、Washington Postの記事

→English

福島原発の事故から2年半を超える時間がたっていますが、この事故が収束状態などと考える人はいないでしょう。メディアは地下水の問題で騒ぐ、汚染水がもれては騒ぐ、大雨が降れば騒ぐ。福島原発事故は、現在も大きな日本の、そして世界の大きな問題なのです。

東電の能力、日本政府が何を考え、行動しているのか、これには国民も、世界もかなりの懸念を持っています。政府も国際廃炉研究開発機構という、いつものような政府の得意なやり方の組織を作っていますが、どれだけ開放的か、透明性と国際性が高いか、みなさんもよく見ていましょう。

東電も国際的な諮問委員をお招きしてはいますが、どれだけ真剣に学び、意見を取りいれ、実行しようとしているのか、このプロセス全体の透明性が大事です。これにもずいぶん問題があると聞いています。その一人、東電の福島原発の監視委員会副委員長Lady Judgeの東電の対応について不満が10月22日の日経新聞朝刊16ページにも出ていました。

10月21日のWashington Postの10月21日号では、1面トップから3ページという大きな扱いは、9日4日のNew York Timesの扱いと同じと思います。Washington Post(PDF)とOn-line版では体裁も違いますし、それぞれに見る人へのインパクトがちょっと違いますが、on-line版のイラストは、なかなかの出来ですね。このあたりが新聞紙面と違うところです。これらの米国主要紙の扱いは、福島原発の現状への懸念の大きさを意味しているのです。世界の見る目は厳しいです。

ところで海外の主要報道の日本語訳を毎日1本作成している小林順一さんのblog(Twitterは@idonochawan)があります。最近は福島関係が多いのは致し方ないですが、「世界の日本を見る目」を感じ取るのにもとても良いと思います。

大変な努力ですが、ありがたいことです。

「無鉄砲娘」の活躍つづく、そして私の意見も

→English

国会事故調に参加してから、ずいぶん違ったキャリアを選び始めた人たちがいます。先日のコラムで紹介した椎名くん、石橋さん、「無鉄砲娘」相川さんの3人はそんな人たちです。

相川さんの本「避難弱者」は、広く読まれているようですが、最近ウェブにも記事が出ています。彼女のメッセージが広がるのはうれしいです。「若い者たちは行動する」のです。大したものです。

ところで、この3人のことも含めて、国会事故調のその後の在り様を、外国記者クラブの発行する機関誌「Number 1」 (英語)で紹介しました

国会事故調は、日本では「憲政史上初」です。「初」ということは、政治家も、官僚たちも、メディアも、学者も、広く国民もですが、この「国会事故調」が何を意味しているのか、あまり理解していないのでしょう。日本国内の反応は、海外の反応12)に比べればはるかに小さいですしね。

民主制度を機能させるのは、時間のかかることなのです。

私も福島のことは本当に心配です。そして世界では日本のことを本気で心配している人たちも多いことをお忘れなく。

グアム大学へ

→English

2年前の太平洋会議でお会いしてからのお付き合いですが、グアム大学学長のRobert Underwoodさんのお招きで10月13日から3泊4日の予定でグアムに行きました。ここの主産業は観光で日本からのお客さんが一番多いのです。

東海大学の救急医学の中島 功教授とBirdLife Internationalの市田さんも、グアムで進行中のクイナ再生プログラム1)の見学などもあり同行してくれました。沖縄のクイナとくちばしの色は違いますが、とても近い関係ということです。

翌日はPresidential Lectureシリーズで教員、役員、学生さんも参加で、講堂に大勢の方が参加してくれました。質疑も活発で楽しい時間を過ごすことができました。カリフォルニア大学バークレイ校出身のクラシナ名誉教授はじめとした大学の幹部の皆さんにCalvoグアム知事も参加した会食となりました。

翌日は学生さんたちとのセミナーでしたが、多くの教員も参加して、みなで討論を楽しみました。そのあとグアムの議員さんたちともお会いして、いろいろとご意見をうかがうことができました。

沖縄との関係もあり沖縄科学技術研究大学院(OIST)の話などをしました。

翌日は日本へ台風が向かっていましたが、正午の便は予定どおり出発し、成田の上空では千葉県の北部が一面の水浸しで驚きました。

台風はちょっと前に過ぎ去った様子でしたが、そうとうな被害が出てしまったようです。

いろいろなところへ

→English

大阪で行われたMansfield財団による原子力の日米協力のパネル(10月1日)の後は、すぐに沖縄へ。OISTの理事会へ向かいました。

ここでは2泊(10月2、3日)の予定でしたが、風邪気味で、2日目を終わって東京へもどり、翌日4日はテレビ会議で参加しました。いろいろな課題はありますが、10年でここまで来たのは素晴らしいことです。しかし、これからが一つの転換期になるように思います。

5日の午前中は日本腎臓学会の「男女共同参画のパネル」に参加、その後は京都へ、STS Forum(10月5日~8日)です。これも今年で10周年を迎えました。素晴らしいことです。参加者も1,000人ほどと増加し、安倍総理のスピーチに始まる良い出だしでした。私も「ICTと教育」というセッションのパネルに出ました。期間中に多くの友人にお会いしますが、今年はQatar財団の方々も初めて見えられ、会談のほかにも、日本から協力していただけそうな何人かの研究者をご紹介しました。

8日、京都から帰ってからは、東京で某外資系企業の役員と会食。9日、10日はオリエンタル技研の35周年で2日にわたってOISTの設計を担当したKen Kornbergと講演をしました。彼はノーベル医学・生理学賞を受賞したArther Kornbergの息子さんで、お兄さんのRoger Kornbergはノーベル化学賞を受賞しています。
もう一人のお兄さんThomasもすごい分子生物学者です。

11日は自民党で新しい原子力規制委員会の在り方について議論、その後HGPI主催のグローバルヘルスの夏のセミナーでお世話になった「IOCA」のアトリエを訪問。これは企業役員などにも評価されているということで、一度は参加してみようと思いました。

夜はスイス大使館で、環境・交通・エネルギー・通信を担当する実力大臣Mrs Doris Leuthardさんを迎えて、主として原子力についての話題をめぐってお招きを受けました。

相も変わらずいろいろと忙しくしていますが、私が何かの成果が出しているのか(?)、貢献をしているのか(?)、といわれるとちょっと考えてしまいます。

Mansfield財団の日米原子力ワーキンググループ

→English

大阪で行われたMansfield 財団日米ワーキンググループ公開セミナーの会議に参加しました。

このグループは日米の原子力に関する戦略的優先課題という報告書を発表し、これを日本の関係者と共有しようという企画です。福岡、大阪、東京で開催ですが、私は大阪だけにしか参加できませんでした。

提言は両国の関係から見たこれからの多様な協力関係についての提言です。内容はそれぞれに、もっともなことが多いものです。議長の一人は、去年10月に、Japan-US Council主催で、私がWashington DCの議会内で国会事故調について報告した時の座長でもあったCharles Fergusonでしたので、私の紹介では、その時の皆さんの反応を含めて、ずいぶんと持ち上げてくれました。

大阪のプログラムではパネルの皆さんの発表の後で、大阪大学の星野俊也さんと私がコメントしました。

参加された方々はそれぞれ原子力の関係者が多いようでしたので、細かいことより、国会事故調の意義、Group Thinkなどを含め、日本にかなり特異な課題ついて、具体例を挙げながらお話ししました。

その1つが、この参加の方々の構成です。全部で200人は超えていたと思いますが、同時通訳の2人の女性を除けば、参加の方の中に女性は3、4人しかいないことも指摘しました。これは確かに変ですね。かなり日本に特異なことと思います。

パネルでは4人のうち女性は1人、Sharon Squassoniさん(Director and Senior Fellow, Proliferation Prevention Program, CSIS)でした。

講演会が終わってワーキンググループの皆さんは福島へ、私は関空から沖縄へ、OISTの理事会へ向かいました。

San Franciscoへ

→English

San DiegoからSan Franciscoへ。今年3回目1)です。

今回は「America’s Cupの最終ラウンドを見に来た」、といいたいところですが、残念ながら違うのです。 以前にも書きましたがMalaysiaのNajib首相の「GSIAC」12)で、Fairmont Hotelです。America’s Cup、特にOracle 関係者らしい人たちも多くみられました。

なにしろこの1、2日でAmerica’s Cupの最終ラウンドの勝負が決まるかどうかというところです。‘Emirates Team New Zealand’ vs Defending Champion ‘Oracle Team USA’ で 「8:5」、挑戦者があと1レースで勝つというところでしたから。Hotelもはるかに高い料金、なかなか空きがない状況のようでした。

1日目はレセプション、2日目の午前中は「High Level Forum Green Future」のテーマで3つのパネル、私は最初のパネルに出ました。3つともなかなか良かったです。

昼食ではNajib首相のスピーチ、4つのMOUのセレモニーがあり、私も日本との協力の調印に参加しました。これは首相の科学顧問が、私と旧知のZakriさんだからできたことです。これからも両国間の関係も政府間ばかりでなく、民間も含めて多様で、多層な、いろいろな協力関係ができるといいのですが。

夜はご当地のビジネス関係の主宰で晩餐会があり、首相の講演とインタビューもありましたが、公式の会なのでワインも含めアルコール類が出ないのでチョットさびしい感じがします、仕方のないことですが。

特に私のような大学人、科学者同士の付き合いから生まれる信頼関係は、政府や企業とは違った、利害関係のない関係から、新しいプロジェクトを始められる利点があります。

America’s CupはOracleが勝って、まだ勝負がつかないところでの帰国となりました。

帰国の翌日のレースでは、Oracle Team USAが1歩も後へ引けないところから大逆転劇を演じました。