ハノイ Hanoi、腎センター開設10周年

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冨山さんとの対話の翌日の9日朝、Hanoi へ出発。去年もご紹介したDr Tang やDr Annと立ち上げた腎臓センターの10周年記念の式典の参加です。この計画は20年ほど前から国際腎臓学会が途上国へのプログラムとその主要な活動をフォーカスし始めたこととも関係しています。

1990年に東京で国際腎臓学会が開催されました。そのころから国際腎臓学会の活動の中心に参加し、理事、また理事長(1997-99)として、私もこの途上国への活動COMGANには検討の段階から参加していましたし、私自身もアジアほか、世界のいろいろな国へ積極的に出かけました。COMGANなど多くの活動により、国際腎臓学会では、15年程前から途上国も含めて人材が世界中で結ばれています。先月、国際腎臓学会発足50周年の集まりもありました。私は都合で、これには参加できませんでしたが、、。

アジア太平洋腎臓学会資料1)などを通して、20年以上もアジアの方たちともお付き合いが広がっていたところで、Dr Tangたちと知り合いになり、HanoiやHo Chi Ming City (もとはSaigonですが)を訪れ、15年ほど前からでしょうか、腎センターの構想が始まったのです。当時の病院の有様は想像できないほど大変な有様でした。

この腎センターは運輸省の病院の1部に設置されています。Vietnam政府と日本の民間企業との、今で言えば「Public Private Partnership」です。日本企業は特に儲ける訳ではないですが、雇用の創出、現地の方たちのビジネスの成長などにおいて、きわめて成功しているといえるでしょう。5周年記念のときにも訪問しましたが、もう10年目です。多くの関係者が集まって大いに盛り上がりました。

HanoiではIntercontinental Hotel、湖畔に立っている素敵な雰囲気、皆さんにお勧めです。

11日はHo Chi Ming City を訪れましたが、ここはさすがにHanoiに比べるとかなり「発展」していて、まったく違ったエネルギーがあります。現地の方たちともCham Charmで夕食。Cham Charmも大いにお勧めです。

しかし、どちらの街もとにかくバイクが多い多い、1台に家族で乗っていたり、すごい元気さです。

帰国はHo Chi Ming Cityを11日深夜出発でしたので、日本の参議院選挙の結果の概略が出ました。しかし、World Cupの決勝戦を見ることができなかったのは残念、でもおめでとうSpain。

ガーナから-3

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10日は、まずAccra郊外にあるAchimota病院 (写真)へ。ここは英国植民地時代1927年設立、Ghanaの超名門Achimota学校の広い敷地内にあります。この学校の校章にあるように高い理想と、この時代に英国人もアフリカ人も一緒、男女共学という革新的な思想でできていて、多くの人材を輩出しています。病院もこの学校付属の診療所だったそうです。独立後の3人のガーナ大統領を含めて多くのアフリカのリーダーを育てています。どの時代でも大きく将来を見据えた人材育成こそがいつの時代でも、最も重要であることを思い起こさせます。

ところで、やはり英国ですね。この敷地内にGolf Courseを作ります。名門Achimota Golf Clubです。英米の名門校にもよく見られます。

院長先生をはじめ(医師は4人とか)、多くの看護師さんが活躍。Computerは診療所全体で1つとか。手術などは市内の大きな病院に移送するとか。毎日、妊婦さんが200人ほど受診するとか。訪問したときに1人赤ちゃんが生まれました。Dr Greenwood, Wereさんもご一緒しましたが、Wereさんは大もてです。Africaのヒロインですから。

そこから日本が設立した「Noguchi Memorial Institute for Medical Research」(このサイトのトップに私たちの訪問の写真が出ています)。これは近郊のLegonにある広大なUniversity of Ghana (資料) のなかにあります。東京大学、医科歯科大学から先生がHIV/AIDS、H1N1などの研究にも参加しています。頼もしい限りです。研究所の見学、討論などとても活発で、楽しかったです。

昼食時に空を見上げると、なんと頭の真上にある太陽の周りを丸く囲んだ「虹 Circle Rainbow;
暈(かさ)Halo」(写真)が出ていました。

ここに別れを告げて、次は82年前に野口英世が研究していた研究室へ。皇太子殿下も訪問されたばかりです。University of Ghanaキャンパスとは別にAccra市内にある大学病院敷地の一部にあります。1993年にここをご訪問された高円宮殿下、妃殿下のご記帳があります。今から80年前は、ここはどんなところだったでしょうね。でも、野口博士からNew York Cityの野口夫人への電報も展示されています。これが現在でも「鎖国の日本」の例として私が指摘している「Western Union」 です。もちろん今回の旅でもGhana、Botswanaでも町の中で「Western Union」を見かけます。日本ほか世界の4カ国にだけにこのサービスがないのです。実に異常です。

夕方に片上大使にお招きを受け、大使館で夕食をいただきました。大使館の庭も広くとても素敵でした。この日はそれほど暑くなく、快適でした。食後酒にはご当地の名物「Takai」。Tia Mariaのような味、おいしいので、つい飲み過ぎそう。

ところで、Ghanaはココア生産で有名、主要産業です。最近Off Shoreに石油も見つかりました、日本で有名なチョコレート「Ghana」ですが、ご当地のチョコレートはこの暑さでも溶けないということです。私たちの味覚には合わないそうですが。

夜に飛行場へ、London経由で故国の途に。2晩が機内泊で2月23日に出発した18日の旅を終えます。

パリから-2

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L’Oreal賞の翌日は、朝からAmerican Hospital of Paris (AHP)へ。30余年、AHP理事を勤めているMadame Christiane Guerlainさん(有名な香水です)、いつもお会いしているやはり理事のJohn Crowfordさん、院長のDr BlochほかDrs Khayat, Bard, Matsushita, Mimuraなどと話を伺った後、主な施設を見せていただき、新しく設立された透析施設も訪問しました。去年秋からAHPに就任した三村先生Dr Mimuraの評判も上々で、皆さんも喜んでいるのがよくわかります。

午後は、Canadaほかの10人ほどでGlobal Healthについて2時間ほど電話会議、4時過ぎからSchlumberger社のParis 本社の技術担当の2人の役員(その1人、Ashok Belaniさんは最年少役員だとか、インドの方です)。知的で、興味ある話題に会話が弾み、日本とのグローバル課題への共同作業などの可能性など、いろいろ議論しました。30年ほど前からに日本に支社を設け、いろいろ活躍しています。

夜は、以前在日フランス大使館に勤務していたDrs Jean-Louis ArmandとYves Mieux、Dr三村さん夫妻たちと、最近人気の高いKGB 「Kitchen Galeise Bis」(資料1) (3、4週間前に予約がいっぱいになるとか)で食事。うわさにたがわない面白いメニュー、おいしい料理でした。そして、楽しい会話が弾みます。

翌日は日曜日。服部OECD大使公邸でお昼にお招きを受け、ゆったりとした時間をすごすことができました。服部大使とはVietnam大使在任中にハノイでアジア学術会議の際に大変お世話になりまし。今度も本当に久しぶりでしたが、ありがとうございます。

Musee Bourdelle資料1) で「Isadora Duncun」の展示をしていたので、時間をすごしました。小ぶりですが、きれいな美術館です。DuncanはSan Francisco生まれ、主としてヨーロッパ、ロシアで活躍、きわめてunconventional dancerです。さしあたり、今風でいえば「風変わり、スキャンダラスな女性」と言われているところでしょうか。彫刻家Rodinとその親友の画家Carrie (資料1)などとも親交があり、Isadoreを表したRodinの彫刻、CarrieやBourdelleのデッサンがいくつか展示されていました。RodinとCarrieはとても仲がよく、この2人については「Molecular Imaging」についての基調講演とその骨子をエッセイで紹介したことがあります。

翌日の昼にCharles de Gaulle CDG空港を出発、LondonのHeathrow経由でGhanaのAccraへ向かいます。

Parisはいつでも美しく、たくさんの見所があり、魅力的な都会です。

2週間を超えるAfricaの2つの国、Parisでの仕事もあり、Franceでは久しぶりに個人的な楽しみの時間もできた旅です。

ボツワナからフランスワインの中心へ

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March2010 Burgundy 010
Romanee Conti

ボツワナに5日間滞在し、2月28日の夕方には別れを告げて、現地を出発。Johannesburg経由で、翌日3月1日の朝にはParis CDG空港に到着。TGVDijonへ(写真1)。そこからBurgundy wineの中心へ向かいます。Route des Grands Cru を走り、誰でも立ち寄ってみたい「Romanee-Conti」 (たった1.8 ha程度の土地ですが、、)(写真topと2)に立ち寄ったあと、まずSavigny les Beauneに到着。 このあたりは、なんといってもBurgundy Wine (資料1)の中心です。40kmにもわたってワイン畑が伸びているのですね。

午後はゆったりと地元のワイナリーのひとつ、「Simon Bize et Fils」写真)で宿泊。ゆったりと時の流れるところです。おいしいワインを何種類も味わいます。

翌日はThe Center of the Burgundy WineといわれるBeauneの街(写真)で半日を過ごしました。落ち着いた町並み、おいしい食べ物、お菓子、チョコレート。昼食は「Caves Madeleine」 (資料1)、 奥様のリカさんは、名前からいうまでもなく日本の方です。

March2010 Burgundy 006 写真1TGVでDijonへ

March2010 Burgundy 008 写真2 Romanee-Conti

March2010 Burgundy 064 Caves Madeleine、リカさんとご主人のRawlandさん。

このあたり、食べ物も自然のものばかり、ワインはもちろん本場、とても素敵な生活です。日本からの若者も何人かがワインつくりなど、修行にきています。中にはここでじっくり腰をすえて生活していく計画の若者もいます。頼もしい限りです。

ここには世界でもよく知られた15世紀にできたホスピス「Hospices les Beaune」写真)があります。

もちろん、このあたりはDijonのマスタード でも有名です。

私はここで2泊して、パリへ向かいます。