最近の出来事

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このブログ、最近は途絶えがち。なんだか、やたらと忙しくて、5月31日の早朝にBangkokから戻り、英国大使館での朝食のあとから途絶えていました。

いずれご報告と思いますが、5月31日の午後からはHGPIとJCIEとのジョイントで、TICAD5へむけたアフリカ開発シンポジウム(5回シリーズの最終回)1)を主催。夜は翌日の朝から開催されるGHIT(Global Health Innovation Technology)理事会の理事の皆さんとの会食で横浜へ向かいました。横浜で一泊です。

GHITは、世界でも珍しい、日本でも初めての官民とGates財団とがタッグを組んだ5年企画。これからのかじ取りが大変そうです。

翌日は朝からGHITの理事会、続いて評議員会、記者会見と続いて、一瞬、東京へ。石倉洋子さんとの「Global Agenda Seminar 2013」の始まりにお話しをしに東京へ戻り、またすぐに横浜へとんぼ返り。夕方からHideyo Noguchi Africa Prize授賞式へ。まずは受賞のお二人、Dr Peter PiotDr Alex Cortinhoをお迎えし、天皇皇后陛下へ受賞者のご紹介、夜は表彰式と晩餐会に追われて、夜遅くに帰宅しました。

これが5月31日のBangkokから翌日6月1日の2日間の出来事のあらましです。やれやれ、いくつかの大役を果たしました。

6月2日は、10年という間に、世界に通用する本物の大学生を育ててきた、今や最も評価が高いとも言われる国際教養大学中嶋嶺雄先生12)のお別れの会へ。素晴らしい学者であり、本物の教育者、本当に、本当に惜しい方をなくしました。先生が亡くなられたのは本当に急なことでした。合掌。

東大入学式の私の祝辞のスライドビデオ

今年の4月12日、東大の入学式で私が祝辞を述べるという機会を頂きました。

このサイトでは祝辞をすぐに読めるようにしましたが、何人かの方から、「聞くことはできないの?」というメールをいただきました。東京大学にもお願いしてビデオを頂きましたが、別の知人から頂いたビデオのほうが見やすいので、ここに掲載します。時々写真のシャッターの音が聞こえるのはマイナスですが、こちらのほうが見やすいと掲載します。

ちょうど2日まえ5月22日、NHKの「クローズアップ現代」にも「ギャップイヤー」が取り上げられ、私も取材は受けましたが、番組の初めに私の東大での祝辞の大写しが出てきたのには、びっくりしました。

St. Gallen Symposiumへ再び

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再びSt. Gallen Symposiumに参加しています。今年のテーマは「Rewarding Courage」です。こんなテーマにするのは主宰している学生さんたちの提案も良く考えている証拠です。5月1日、成田を出発。

2012年は国会事故調の最中で参加できませんでしたが、2007年から今度で4回目の参加だと思います

2日とも全体Plenary会議は素晴らしいものでした。皆さん満足していたと思います。

第1日目の最後の全体パネルは「Leaders of Tomorrow: Essay Competition」、石倉さんのダイナミックで、アドリブのきいた司会で、みなが素晴らしい時間を持ったのではないでしょうか。世界の90か国ほどの1,000人を超える若者のエッセイから、最終的に3人が選ばれましたが、このパネルでの12名ほどの若者の議論には素晴らしいものがありました。

若者たちとの交流はいつも楽しいものですし、先輩の大事な役割です。

私も2日目のWorkshopで「Global Agenda in Post-Fukushima」で対話をしようという趣向で、石倉洋子さんがmoderatorをしてくれました。このセッションでは、どちらかといえば流れがもっぱら「福島原発事故」と「国会事故調」にフォーカスされてしまったので、「タイトル」とはちょっとずれていきました。でも参加されて方たちの議論がそちらへ向かうのはスイス、ドイツの方が何人も来られたことにもあるでしょう。自分でも「出来」はあんまりよくなかったと思います。これも「福島原発事故」のインパクトと、世界の関心の高さのためと思います。これも勉強です。次にはもっとフォーカスを、と思います。

St. Gallenは1971年に始まり今年で43回目です。St. Gallenの学生たち始めたもので、今でも学生がテーマを選び、組織し、プログラムを組んでいるのです。到着した夜のレセプションですが、私のテーブルでは、私ともう一人の2名以外の6名がSt Gallenの卒業生で30年、20年、10年前にこのSymposiumにかかわったそうです。このような若い時の学生として多くの社会のリーダーとの出会いと、このような会を開催する苦労の「こころ」が、先輩として好循環として戻ってくるのだろうな、と話をしながら、ちょっと先輩-後輩のつながりに感動をし、うらやましい気持ちになりました。

第2日目のWorkshopの後、すぐにホテルへ戻りチェックアウト、飛行場へ。英国Heathrowへ向かいました。

 

いろいろな講演、そしてL’Oreal賞のお祝い、国会事故調の若者たちの企画

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いろいろな会でお話しする機会を頂きます。特に国会事故調を終えてからはこれに関する講演等も、国内外で大きなテーマとして取り上げられ、お招きされる機会も多いのです。

しかし、なんといっても私の関心、懸念の中心は、どんどん変わる世界の中での日本の方向です。そんなこともあって、国会事故調の話題といっても、これの意味することをもっと大きな枠組みでお話しすることが多いのです。今年のこのサイトでも触れているDavos、Stanford、OECD、UCLAなどでもこのような骨格で、福島原発事故の意味、グローバル世界と日本の課題等について、「Uncertain Times: Changing Principles」などというタイトルで、適宜に内容を修飾しながら話すことが多いのです。

この2週間では、東京倶楽部青山社中などでお話ししました。前者ではここで何回か紹介しているH-LAB1)の応援もしていただけそうな雰囲気になりましたし、後者ではなんといっても政策等への熱気あふれる若者中心ですから大いに議論が沸いて、楽しい時間を持ちました。

もう一つうれしい会がありました。それは黒田玲子さんL’Oreal賞を受賞のお祝いの会です。英国で10年ほど研究者として過ごし、20数年前に帰国、その当時からのお付き合いです。ご自分の研究ばかりでなく、総合科学技術会議、国際科学者連合(ICSU)などでも大変活躍されていました。とてもうれしいことです。

一方で、大学生が中心になって「国会事故調をわかりやすく広める企画」(1,2)が開催され、そこでも参加しました。このような自主的な企画はぜひ応援したいです。

5月1日からはSt. Gallen、そして英国Sussexへ出かけます。

 

私の受賞お祝いの会と吉川先生の「3つの層」の言葉

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去年、私が委員長を務めた”憲政史上初”という福島原発の「国会事故調」に対して2つの受賞、AAASのScientific Freedom and ResponsibilityとForeign Policyによる「100 Top Global Thinkers 2012」がありました。

このことを祝ってあげようと主として科学者サークルの友人たちが企画したとても楽しい会がありました。国会事故調にもいくつかの大事な指摘を頂いた元東京農工大学学長の宮田清藏さんが音頭取りで企画してくれたのです。私の国会事故調についての講演との組み合わせです。

私にとって、国会事故調に対するこのような世界の高い評価はとてもうれしいことですし、これだけの仕事を6か月という短期で達成できたのは、特に事故調のチームを中心とした多くの人たちのおかげです。

この会は東大総長、日本学術会議会長等をされた私の尊敬する吉川弘之先生の国会事故調と私の紹介で始まりました。吉川先生は21世紀に入ってすぐに、特に日本学術会議と世界の科学者アカデミーの大転換にあった時に、両方で責任ある立場でとても苦労され、日本学術会議では会長、私が副会長として、そのあとを私が会長と、何年もご一緒に仕事をさせていただいたこともあり、私のことはよく理解されているといつも思っていました。

しかし、予測もしなかったことですが、先生はこの成果について「3つの層で喜んでいる」と始められ、私の行動についての考察をされました。こんな話の展開になるとは、私も思いもしないことでしたが、多くの皆さんもと思いますが、私も感動しました。この吉川先生の「3つの層」については、出口さんのメルマガ
(英訳はこちら)がかなり正確なので、ぜひ目を通してください。当日の写真もいくつか掲載されています。

石倉洋子さんのblogにもこの集まりについて書いてくれています。

米英豪、ノルウェー、スイス、藤崎駐米大使などの参加とご挨拶ほか、根本大臣ほか何人かの参加の国会議員の方々にもご挨拶いただき、ドンペリ、KENZOワインなど、とてもとても楽しい会でした。

皆さん温かいお気持ちを感じる集まりでした。ありがとうございました。

 

San Francisco

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4月12日の午前、東京大学の入学式に参加して、一時、浜田総長ほかの方たちと、しばし歓談し、成田へ向かいました。San Franciscoで開催されているAmerican College of Physiciansの年次総会があり、わたしも ‘Meet the Professor’で‘Why Fukushima Happened: What You Can Do from Tomorrow’で、1時間ほど話をすることになっているからです。

この年次総会には2011年には参加しましたが、2012年は国会事故調の活動中でもあり欠席。

San Francisco には同じ12日の午前に到着、ホテルで一休みして学会の開催されているMoscone Centerへ。California には今年3度目となります。相変わらず青く透き通った空、素晴らしい天気です。

わたしのセッションは、思った以上に、150人ほどでしょうか、多くの方が参加され質疑応答も途切れなくありました。皆さんがそれぞれの立場で関心が高いと思いました。2011年にこの年次会でお会いしたMona Khannaも参加、去年も東北訪問に来ているので、被災地のことが気になるのでしょう。

夜は日本支部のレセプション、小林会長はじめ、今年のFellowほか何人も会員が参加、また多くの理事、会長なども顔を出され和やかな会となりました。 いつものことですが、前田先生にはお世話になります。

翌日は最終日、ディナーをUnion Square近くのScala’s Bistroに6人の方たちと。土曜日の6時ですが満杯でした。

明日は日曜日、何人かはNapaを回ってから、私は午前に帰国の途につきます。

 

New Delhiから

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Rio de Janeiroから帰国して3日後、3月3日~6日、New Delhiに行ってきました。久しぶりでしたので空港もきれいになり、街並みも以前よりも変わっているように思いました。しかし、10年前からの中国の変化に比べるとそれほど目立った変化ではないようにも見えます。

主要な目的は「India-Japan Cooperation on Disaster Preparedness and People’s Networkという会議での講演と、そこで主役のNational Disaster Management Authority(NDMA) とその指揮下で活動するNational Disaster Response Force(NDRF) の方たちとの内部の会議に参加することです。友人のDr. Sunil Chackoさん(1)が企画したのです。

インド政府は日本の協力に熱心ですし、また原子力発電もあり、福島原発から学ぶことも多いこともあり、私を招聘してくれているわけです。元東北大学で今回の災害でも活躍している上原鳴夫先生(医療事故関係で12、3年ほど前にもお会いしています)も参加。

滞在中に多くの政府関係者、高官にもお会いしましたが、5年前に初めてのHideyo Noguchi Africa Prize12)の時にしっかり私を支えてくれた外務省の駐インド塚田公使も、この会議の間に長い時間を付き合ってくれて、主催者側も大変に喜んでくれました。

インド政府のNDMAは消防、警察、軍隊とは別の組織で約11,000人が10か所に配置されている、という組織です。2011年3月の東日本大災害の時にはAlok Avasthy指揮官による50人ほどのチームが宮城県女川に派遣1)され、初期の災害救助と対応に活躍しました。そのお礼も兼ねているのですね。一人ひとりの隊員にご挨拶、私のPower-pointsもAvasthy指揮官にお渡ししてきました。

こんな政府とも独立した活動も外交の基本だと思います。国家の間でも、常日頃のいろいろなレベルでのお付き合いが大事なのです。

 

東大の入学式で祝辞

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東大の入学式は毎年4月12日に行われます。

私たちが入学した頃は桜の季節でした。

日本の大学の入学式は学生さんにとって最も大事な人生の第一歩です。多くの家族の方たちも列席します。

今年の入学式で私が祝辞を述べることになりました。その連絡を受けたとき、私にはちょっと驚きでした。このサイトを時々訪れる方の中には「なぜ?」とご理解してもらえるかもしれません。でも素直にうれしかったですね、そんな時代になったのかと...。

武道館での入学式。浜田総長、そして石井教養学部長の後に、私の祝辞です。

新入生に私の気持ちを10分ほどで伝えたいと考えました。

私の祝辞はこちらです。ビデオもいずれリンクします。

 

Los Angeles、UCLA、そしてPaul Terasaki との再会

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Abu DhabiからLondon Heathrow空港経由で約24時間、Los Angelesに3月20日の午後3時に到着。ホテルへ直行、一休みして、散歩、そして夕食へ。

翌日はUCLA Luskin School of Public Affairsの日本からの留学生たちとホテルで面会。そこからUCLA へむかい、国際関係担当副学長 Cindy Fanほか数人たちといくつかの案件の会議。夜は去年、東京でも参加したGOLDのレセプション。

翌22日はUCLAのChancellor学長 Gene Blockほかと会議、さらにRoyce Hall1)の小さめのホールで‘Global Agenda in Post Fukushima’の講演。部屋は120人ほど(?)の方々で超満員。私の米国での恩師の一人Charles Kleeman教授もご夫妻で来てくださいました。

そのあとGOLDの会議へもどり講演。この日はKopernikのFounderの中村さんがOpening Keynote、私がClosing Keynoteと、去年と似た役割となりました。去年はRoos 米国大使夫人がある意味でPartnerでしたが...。

夜は再びUCLA Chancellor BlockさんたちとBeverly Hillsでも最高級のMontage Hotel Scarpettaでディナー。Irene Hiranoさん(先日亡くなられた米国上院議員Daniel Inouyeさんの奥さま)、西田国連大使桜井Japan Society会長Ralph Shapiroさん等々、UCLA Terasaki Center for Japan Studyのサポーターたちです。私もそのメンバーですが、去年の20周年記念行事には、福島原発事故調の最中で参加できませんでした。

翌日は、再びMontage Hotelで理事会。そのあと 最上階のProf. Paul Terasaki さんのPenthouseでちょっとしたレセプション。Dr. Taresakiは臓器移植の組織適合性と移植のアウトカムの研究で大きな貢献をした方で、私も腎臓の専門医ですから、腎臓移植患者も診察もしますし、UCLA時代からの仲間なのです。この組織適合性の研究成果で富を得て、UCLAに大きな寄付をされ、Japan Studyの研究所を作り、このような引退生活をされているのです。うらやましいですね。

いつものようにさわやかで、真っ青な青空の、懐かしいLos Angelesでした。Getty Museumを訪ねて、翌日帰国の途に就きました。

忙しく、またゆっくりした4日でした。

 

Distinguished Achievement Award by the Tokyo American Club

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Tokyo American Club (TAC) からDistinguished Achievement Awardという名誉をいただきました。1995年に始まった賞だそうです。過去の受賞者リストを見ても、ここに加わると思うだけで、とても誇らしく、うれしいことです。

「iTOUCH」という月刊誌の1月号の表紙に私が出ていて、これは成田空港のラウンジなどにも置いてあるので何人かの方からメールをいただきました。私のインタビュー記事がそのpp. 23-27 に「The Protruding Nail」という題で掲載されています。わたしのCalifornia大学時代の仲間との古いちっぽけな写真も掲載されていてちょっと照れてしまいますね。

記事を読んでみると、だれが推薦してくれたのかわかりますね。素直にお礼です。

Bostonから帰国した翌日2月18日にTACでお祝いの会がありました。三菱商事の槙原稔相談役、Roos大使夫人、去年まで駐米日本大使だった藤崎大使ご夫妻(大使は所要で先に出られましたが)ほかの、GRIPSHGPIIMPACTJapanなどの多くの友人が集まってくれました。

授与式は私の紹介に始まり、私の短いスピーチがあり、そのあと40分ほどの和やかな意見交換がありました。

スピーチでは私は「まともな」日本人であること、日米の懸け橋になられた何人かの方、特に去年暮れに亡くなられたBeate Sirota Gordonさんについて触れました。ちょっと読んでいただけるとうれしいです。

いろいろとうれしいことが続きました。