AAAS授賞式

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14日の朝Parisを出発、Bostonへ向かいました。15日夜のAAASの授賞式、私はScientific Freedom and Responsibility賞受賞なので参加です。

ParisからJFKで乗り継ぎ。ラウンジで時間を過ごしていると、1月にお会いしたばかりのMIT Media Labの石井先生が「Got to JFK airport from Barcelona. 1 more jump to Boston」とつぶやいているではないですか。「Are we on the same plane – AA1790 to Boston?」とつぶやき返して10分もすると、私の前を石井さんが歩いているではないですか。面白いですね、しばらく歓談しました。

Bostonの空港からホテルまでは道がとても混んでいて、1時間以上かかりました。前の週末の大雪のせいもあるのでしょう。チェックインのあと友人と落ち会い、夕食へ。

翌日は、AAASの登録を済ませ、会場に行ってみると展示会場を入ったところに「Japan」ブースがあるので寄ってみました。RIKENWPIなどの精鋭プログラムが展示されていて、いろいろな方とお話ができました。ちょっと離れてOIST1)の展示ブースもあるではないですか。来年からは一緒に展示することも検討するようにお願いしました。

いろいろ会場を歩いていると、どのセッションへ行こうかずいぶん迷ってしまいます。特にPlenaryは選りすぐりなので、知的興奮も大きいし、視野も広がります。MITのSheryl Turkle教授(1)の「The Robotic Moment」は、科学技術の進歩と人間の生活の変化を、特に子供たちのこと、高齢社会のことなどについて、深く考えさせられる講演でした。彼女の著作、総説を少し読んでみたいと考えています。

AAASの授賞式では8つほどの賞があり、一人ひとりの受賞理由がDr Press会長から紹介され、AAAS CEOのDr Leschnerから受賞の「盾」を渡され、3~4分ほどの挨拶をするのです。私の挨拶は好評でした。このサイトでも紹介しているDr Bruce AlbertsEditor-in-Chief of ‘Science’)、Nina Fedroff(AAASの去年の会長で今年は理事長)(1)、Norman Neureiter1)の他に、日本からも何人かの友人が出席してくれました。

レセプションのあと、私の賞の選考の委員会の関係者たちと夕食のあと、日本の関係者の2次会へ移動しました。

Bostonは2泊の滞在でしたが、世界の科学者たち、科学ジャーナリストなど広い皆さんからの国会事故調の評価の高さに、国会事故調のチームへの感謝と福島の人たちへの思い、これからの福島原発事故の行方に、ますます不確実な世界の中で、日本の在り方と信頼が思われます。

翌朝5時に空港へ、7日間の世界一周の帰途に就きました。やれやれですが、Paris、Bostonともに充実した時間でした。

 

パリのOECD会議

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2月11日、パリへ向かいました。13、14日のOECD Knowledge Based Capital のパネルにお招きを受けたのです。1日早い出発ですが、いろいろな方のお招きを受けているので、この機会にと出かけました。

午後5時にホテルへチェックイン、夜はOECD吉川大使公邸でディナーです。前任の服部大使の時にも訪れたところです。

12日の午前はTable For Twoの現地の活動をしているお2人とOECDへ。そこからWANO会長のLaurent Strickerさんと昼食へ、フランス原子力安全委員会委員のPhilippe Jametさんとは12月にも東京でお会いしています。

夜はAHPの関係で10人ほどのパリのフランス財界、日本企業の方たちと、Dominique Bouchetでちょっとしゃれたフランス料理でした。ここでの話題は国会事故調のことから、いろいろ広い話題でした。AHPのことはほとんど話題になりませんでしたが、多彩な方たちですから、とても楽しかったです。

翌日はOECD会議です。私は始まりのパネル、英国 Willetts大臣とSwedenのLjung大臣、そしてUSのLandefeldさんもご一緒で、司会はOECDのWyckoffさんです。ついつい立ち上がって10分ほど。参加者は主として官庁や政策の方たちのようなので、今の世界が大変化を起こしているという産業革命以来の大変化なのではないか、というプレゼンをしました。スライドは2枚、MIT Media LabのJoi Ito所長と三菱総研の小宮山理事長のスライドを修飾したものをお見せし、コピーを配布しました。

何人もの日本からの出向でOECDで活躍している方たちともお会いしました。去年まで2年間ここで活躍していた原山優子さんも英国からの帰りとかで、この会議へ出席。久しぶりにお会いしました。

途中で抜けだして、フランスの放射能研究所(IRSN)へ。昼食を囲んでJacques Repussardさんと上級役員といろいろ議論しました。ここヘは去年の3月には国会事故調のメンバーの訪問もあったところです。オープンな意見交換はとても相互理解に訳に立つことです。

再びOECDへ戻り、最後の2つのパネルのあとレセプション、デイナーと続きホテルへ。ここでもいろいろな方とお話しする機会がありました。

何人もの方たちから、私の話はとてもよかった、といわれました。会議の始まりに、参加者の皆さんと大きくものを考える枠組みを提示したことがよかったのでしょうね。

明日の朝にはBostonへ向け出発です。

 

San FranciscoとStanford大学へ

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EDF環境問題団体があります。1967年設立ですからRachael Carsonの「沈黙の春」(1962年) 、Vietnam戦争などがあり、米国でも新しいムーヴメントが出てきた頃です。EDFは科学者と法律家が連携して、問題を政治、法律へと動かそうという動機からなのでしょう。私もそのころ(1969年)に渡米したので、当時の米国の社会的背景が少しは感じられる気がします。

その理事会に関連して「Science Day」というのがあり、この講演に来てほしいというので、これはお受けすることにしてSan Franciscoに来ました。今回のテーマが原子力ということで参加を要請したのでしょう。

2月4日の夕方、1日早く到着し、翌日Stanford大学のAPARCでセミナーをしました。一つには20年近く在籍していたUC San DiegoからStanfordに移ったばかりの経済学者の星 岳雄教授(1)にお会いする目的もあったのです。セミナーには青木昌彦先生のほか多くの方が来てくださり、90分のセミナーのあと2時間ほどの短い時間でしたがいろいろ歓談することができました。

翌日のEDFの集まりではRichard RichterJohn Ahearn (Three Mile Island原発事故の時 ‐ March, 1979 ‐ のNRC原子力規制委員会(NRC)委員の一人で、Kemenyレポート提出の2か月後にNRC委員長の重責を担った方です)などのこの分野でのそうそうたる演者たちですが、参加している方たちも環境問題の専門家などが多く、活発な議論が行われました。このような活発な議論のやり取りに結構な時間をとっている会議は楽しいです。
宿泊したところはGolden Gate Bridgeを降りてすぐのSausalitoにあるCavallo Point

いかにもCaliforniaらしい好天気の充実した3日でした。

 

若い人たちとの交流 「長崎大学」

先日、長崎大学へ行った話は報告しましたが、講演のほかに学生さんたちの企画による「白熱クロストーク」1)が企画されていました。学生さんたちだけとの対話。楽しいですね。これも長崎大学の広報誌に掲載されました。

いろいろと参加者の反応を送って頂きましたが、やはり反応は良いですね。まずは「白熱クロストーク」の学生さんから。

・「先日は長崎大学リレー講座の前の、学生との白熱したクロストークをありがとうございました。クロストークの時司会を務めさせていただきました。

本当はリレー講座後すぐにご連絡をすべきだったのですが、遅くなってしまいました。お恥ずかしいのですが、やはり先生にこの気持ちを伝えたくてご連絡しました。

今回、先生とのクロストークで司会を行うにあたり事前に勉強会を主催し、先生のブログや記事を読みあさった中で先生の考えに感激を覚えていた私ですが、クロストークで先生のお考えを生で聞かせて頂き、その意味を深めたことでさらに感銘を受けて、あれからまた成長を少しでもできるように頑張っている毎日です。

先生のお話を聞いて自分のやっていることは間違ってないと思えたこと、世界のフィールドに立てるような人間になりたいと思ったことなど今回先生と共有できた素敵な時間は大きな学びであり宝物です。

私事ですが、先生とお会いする前から韓国、スイス・オランダ、ニカラグアへ研修に行く予定を立てており、家族に猛反対されていたのですが、家族を説得して何日かづつではありますが来年韓国、ニカラグアへの研修。再来年にはスイス・オランダの研修に行けるようになりました。

これからたくさんのことを学んで自分ってこんな人間なんだよ!っと胸をはって日本でも世界でも沢山の人と関わっていけるよう頑張りたいと思っています。まだまだですがその分のびしろもあるはず…。と雑草根性でおります。
そして、今回の学生とのクロストーク、本当にありがとうございました。」

・「先日の長崎大学リレー講座での講演と、それに先立つ学生セッションでのお話、とても感銘を受けました。
自分が何者かを言えるようになる、それが一貫性を持つということ。そしてその一貫性をもった哲学をベースにひとつひとつの決断をしていくこと。

そして海外に行く事で、日本だけでは上手く見つけられていない「これだ」と思えるものへの気づきを得る―それによってもっと自分の可能性が増える。

そういった先生のお話を聴いて、来年4月からの1ヶ月のドイツ短期留学の選考に向けて準備を始めています。選考に合格したら、海外に滞在する事で気づける新たな自分の可能性を見つけたいと思います。今後ともよろしくお願いします。」

以下は講演会からです。

【アンケート結果】

回収数:280件(回収率70%) 高校生 19件(4.8%)、30歳以下(高校生含む) 85件(30.4%)

【アンケートの主な声】

・よくわからない言葉があったが、日本や若者や女性がこれからどうすべきかがわかるような気がした(17歳)。

・原発事故を通して、どんなことが明らかになったのか、今、私たちは何をすべきかがわかりました。まだ若い私たちが、日本だけにとどめるのではなく、世界に公開していくことが重要なのだなと思いました(18歳)。

・現在の日本が抱える問題点とどう改善すべきかを知ることができました(18歳)。

・自分の知識がないのでわからないことが多かったが、世界において私たち若い世代が頑張らないといけないと思いました(17歳)。

・まだ成人ではないが、今後、何を考えるべきかがわかりました(17歳)。

・内容の深い講演でしたが、とてもわかりやすい解説を添えてくださったので、共感できる場面が多々ありました。素晴らしい講演、ありがとうございました(17歳)。

以上は高校生です。

・日本の世界からの見方について勘違いしていた。もっとグローバル化しないといけないと思いました(20歳)。

・最後に私たちにもできることを提示してくださって、できることがあると気づけたことがよかったです(20歳、熊本大学)。

・これまでのゲストとは違う切り口で、とても新鮮でした(22歳)。

・私、世界に出ます(21歳)。

・日本について違う視点から見るきっかけができたと思う(23歳)。

・若者、女性に対するメッセージに心を打たれた。これまで「日本のために」という気持ちをあまり持つことができなかったが、一人ひとりの意識を変えていかなければと思った(21歳)。

以上は大学生の意見です。

・「昨日は大変印象深い講義ありがとうございました。

役所の性格や取扱方法についてのお話は私の思考の中に新たな切り口を作っていただいたように思います。また、Twitterの投稿、フォロワーの話題は非常に興味深くFacebookの利用をはじめた私にとってもやりがいのある宿題をいただきました。

昨日の講義について1点質問があります。黒川様は原発事故調査委員会の話題の中で9つの結論と、7つの提言を紹介されていました。

結論と提言ともに奇数になっていますがこれらは偶然導き出された数なのでしょうか。
それとも、7や9、奇数に何か意図があるのでしょうか。意図があるとすれば、伝える対象によって数はどのように変化するのでしょうか。」
 
・「生徒に何かを伝え、導く仕事に活かせるヒントがあるように感じご連絡いたしました。今夜は期待通りの熱い講演でした。足を運んだ甲斐がありました。

私の専門は経営学・経営組織論ですので、官僚制の逆機能のところはとくによくわかりました。
以下、自身のフェイスブックでのつぶやき投稿です。

黒川清・石倉洋子(2006)『世界級キャリアのつくり方』東洋経済新報社。

これしか読んでなかったけど、黒川先生の講演を聴いた。今夜は日本語でしゃべっておられたけど、どこかの講演会場では英語でもおやりになるんだろうな。

PPTが英語混じりだったし。ふだん何を食べておられるんだろう・・・

ドーピングでもしないと90分フルであの勢いのままトークを続けるのは無理だわ。」

 

皆さん、特に若い人たちに気持ちを伝えられたのはうれしいです。

 

米国の「フクシマ国会事故調」、長崎大学、そして選挙と機能する民主制度

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国会事故調が始まって1年、報告書を提出して5か月がたちました。

米国議会は独立したフクシマ事故調査委員会を科学アカデミーに依頼して立ち上げて、この7月に活動を開始しました(委員のリストはこちら)。

この活動はウェブでも見ることができます。

その第3回は日本で開催され、東京とフクシマ視察の行程です。これは立法府によるも独立委員会ですから、米国側は基本的に、日本側の行政府も関わらないと判断しているようでした。

東京の第1日目は、GRIPSで私のプレゼンと討論に始まる3日間の会議、ヒアリングなどが行われました。各委員も私たちの報告書を詳しく見ていて、国会事故調の評価がとても高いことがわかりました。

基本的に公開ですが、質問は委員に限られていました。この様子はちょっとだけ朝日新聞などに報道されました。

別の日にはDaiwa Capital Markets Conferenceで、「Global Agenda in Post-Fukushima」という基調講演をしました。講演者も参加者も半分以上が日本人ではないので、英語が使用言語のようでした。私は「「国会事故調」は立法府である国会による、憲政史上初めての独立検証委員会」と紹介し、私の話を始めました。

講演後、ある方がこられ、「私は英国で10年ほど大蔵省勤務の公務員、その後は私企業にいるが…」と自己紹介をして、「このような立法府による独立した検証委員会が初めてなんて信じられない…今、英国では2つ委員会が動いているよ…」と伝えに来られました。

海外の評価に比べて、日本では反応が弱いようですが、それは多くの国民も、多くの議員さんたちも、役所の人たちも、民主制度の機能についてよく理解していないのでしょうね。8月16日のブログでも指摘したところです。

また、別の日には、長崎大学に講演で参りました。多くの若者たちが参加しました。結構な数の高校生も参加していいて、高校生たちがすばらしい感想を大学に寄せてきました。

この若者たちが、この国会事故調というプロセスは、立法府の機能強化の一つであり、これが民主制度の基本にあるということを理解できた、ということなのです。

選挙に参加するということはこういう意味なのです。すぐには国の姿は変わらないでしょうけどね。機能する民主制度の構築には時間がかかるのです。

だからこそ、若い人たちはよく考え、選挙に参加し、投票しなくてはいけないのです。日本の将来のためにも、あなたたちの将来のためにも。

 

国会事故調 -12: New York Cityへ、Japan Societyでの講演、そして世界へチャレンジ

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Photo credit to Mr. Ken Levinson for 3 photos at Japan Society Lecture, and to Dr. Y. Kuwama for 6 photos at its private reception.

Washington DCでの2日間の後は、New York Cityへ移動。Japan Societyで講演です。

もちろんフクシマ原発と私たちの国会事故調は世界に共通して関心が高いテーマですから、日米の多くの方がこられました。

私の講演は「Yoko Makino Policy Series」としてThomson ReutersのDaniel Basesの司会で進行。私は30分ほど国会事故調のグローバル世界での意義、活動の内容、報告書とその提言などについてお話ししました。その後はBasesさんと私の2人で2、3の意見交換後はご来場の方たちとの質疑応答でした。

この講演のビデオはhttp://www.japansociety.org/(Adobe Flash Player が必要です)で見ることが出来ます。日本英語ですが何とかですね(関連記事はこちら)。

大変に盛り上がったセッションで、私も皆さんと一緒に充実した時間を持つことができました。ちょうど1週間前には私の“部下(?)”のWilliam 斎藤さん(そのあとWashington DCで私に合流)もここで講演をしていて、日本社会の問題について私と同じことを指摘していた、ということでした。皆さん、かなり刺激を受けたようでした。Japan Societyの桜井理事長、Yoko Makinoさんにはいろいろお世話になりました。

参加者の中には、10年余前に、西元さんの努力で始まった(一部なのですが私もちょっと関与している、、)、New Yorkの病院での臨床研修プログラムで活動している日本の若いお医者さんたち、そして、彼らの先輩で私の東大時代の学生さんの一人で、今は臨床医としてNew Yorkで活躍している、Dr. Kuwama もいました。Japan Societyのレセプション、そのあとはTrump Towerの40階あたりの、Manhattanを見下ろす素敵なコンドのPrivate Receptionにもお招きいただきました、私が主賓でしたが、、、。

翌日は快晴で、気持ちの良い秋のNew Yorkの散歩を楽しみ、昼は廣木総領事と広報センターの金子さんと昼食といろいろな会話を楽しみました。

夕方はHarvard Clubで、Yoko Makinoさん、ご当地の若いお医者さんも参加して、その後は、Makinoさんのお友達3人とでBroadwayの「Chicago」へ。素晴らしいプロの仕事ですね。

この「Chicago」に、この夏と思いますが米倉涼子さん12)がRoxy役で出演したのですが、それに備えて1年ほどの猛練習をしておられたとか。これは並大抵の努力ではできない仕事ですね。何しろ世界のプロの競争の中での出演ですから。お相手はAmra-Faye Wrigh1)です。

でも、このチャレンジで米倉さんにとっては一皮むけたというか、とてつもなく大きく一つステップアップしたという感じだったのではないでしょうか。世界のトップ舞台での実体験は、何物にも代えがたい大きな自信になったと思います。世界での他流試合なのですから。

どの分野でもよいのです、日本の若者たちが、もっともっと多くの人たちが、日本からどんどん世界のトップの中で、自分の力で挑戦してほしいです。その体験は、どんなにつらくても、そして結果としてうまくいかなくても、何事にも代えられない貴重な経験になって将来の人生に大きな自信となり、自分を、そして自分の進路を見つめる良い機会になるしょう。

もっと多くの日本の人たちが世界で活躍できるのは間違いないことです。さあ挑戦してみよう、決してマイナスにはならないよ。もっと世界はグローバルに広がるよ。

 

国会事故調 -11: The U.S. CapitolとCSISでの講演、国会事故調英語版がウェブへ

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毎日、忙しい時間が過ぎていきます。事故調のスタッフの何人かは事務局仕舞いに忙しくしています。

私といえば、15日の午前11時直後に成田を出発、Chicago O’Hare空港経由でWashington DCに、同じ15日の午後1時30分に到着。

さっそくCSISへ向かい明日の講演、現在継続中の活動の打ち合わせなど。さらに国会事故調の第5回委員会にも参加し、いろいろと知見を頂いたCarnegie InstituteのRichard Meserveさんを訪問、そしてさらにNational Academyで米国議会の設定した福島原発事故調査委員会の活動について、委員長 Dr. Norman Neureiterとそれをまとめる主任Dr. Kevin Crowleyといろいろ議論をしました。以前に一緒に仕事をした、日本大使館勤務になっている次田さんたちがアテンドしてくれて、大変に助かりました。夜は次田さんのお宅でご馳走になりました。

国会事故調報告の英語版が、この日にウェブサイトに乗せられたのはとてもよかったです。このチームの方たちが本当によく仕事をしてくれました。そして、世界の皆さんが待っていたのです。

翌日の午前はU.S. Capitol1)へ。US-Japan CouncilとNBRの主催で国会事故調の報告1)です。Clinton、Bush両大統領の下で大臣Secretaryを務めたNorman Mineta さんも来られ、ご挨拶をいたしました。皆さん熱心に聞いてくれて質疑応答など、反応はとてもよかったと思います。

午後には、CSISでの講演で、国会事故調の報告です。会場が少し狭かったので、部屋いっぱいの方がこられ、ドアの外にも席が設けられました。80-90人ほどだったのでしょうか。この講演1) については、日本でもNHKのニュースがあったようです。

あと3週間で任期を終え、帰国される藤崎大使公邸へご挨拶。日米関係についてはいろいろ予測もしない事件がいくつも起こった大変な時の駐米大使、本当にご苦労様でした。

夜はこちらにいる、JETプログラムで日本を体験している数人の若い多様な米国人たちと、ご一緒。このような日本ファンを増やしていくことこそが、安全保障の根幹ですね。実感します。

今日の一日でも、私たちの国会事故調報告書とその背景、目的や意味が国内外に広がるのは、とてもうれしいことです。

翌日、主催者の方から以下のようなメールをいただきました。すこしでもお役にたててうれしいです。

Dear Kurokawa-sensei,

It was our great pleasure to host you at the Capitol Hill briefing on Tuesday on the findings of the Diet of Japan’s NAIIC report on Fukushima and a treat to moderate such an interesting and important exchange. We are deeply appreciative of your leadership and willingness to share your views on these findings with the Washington, D.C. policy community. It was a very powerful demonstration of the high standard of transparency that the Commission brought to the proceedings and your personal commitment to preventing future nuclear disasters.

We have received tremendous feedback on the discussion from those who attended and NBR, the U.S.-Japan Council, the Congressional Study Group on Japan, and the Senate Committee on Environment and Public Works were all honored to host you.

Thank you for your many contributions to global policy. We look forward to future opportunities and in the meantime, please let us know if there is anything we can do to support your work.

Best regards,

 

京都のSTS Forum、広がる世界、山中さんのノーベル賞など

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STS Forum1)では、例年のことですが、たくさんの友人に再会し、新しい知人もできます。

私は前日午後に開催された「EU-Japan」で国会事故調の成果と意味について講演、趣旨、内容、意義について話しましたが、皆さんとても喜んでくれました。特に世界各国の原子力発電事業者連合 WANO (World Association of Nuclear Operators)のLauren Stricker会長がとても大事な報告だ、大変参考になる、とコメントしてくれました。

夜はフランスの高等教育大臣Genevieve Fioraso さんを迎えてMasset駐日フランス大使はじめとしたフランス関係者20名ほどのディナーにお招きを受け、大臣とWANOのStricker会長に挟まれた「一等席」に座ることになっていました。ありがたいことです。しかも初めに挨拶もするように頼まれました。フランスの関係者の私たちの国会事故調の認識であり、評価ともいえます。

STS Forumの公式プログラム第1日目はいくつかのPlenary Panelがあり、みな素晴らしものでした。フクシマ原発問題があったのでエネルギーは注目の案件です。

Global HealthではiPSの京都大学の山中伸弥さん もパネルに。司会者はKarolinska Instituteの学長のHarriet Wallberg-Henrikssonです。 翌日の夜のレセプションの始まる時に山中さんノーベル賞受賞の発表とは、予測はしていた人も多かったでしょうしょうけど、素晴らしいことでした。もちろん山中さんはその場にはいませんでしたけど。

第2日、出席できなくなった方がいて、代理で私が「Capacity Building」のセッションの司会を任されました。場所の設定、パネリストの背景、どの程度の人が参加してくれるのか、いろいろ考えながら、その場でかなり違ったやり方を工夫して運営しました。皆さんとてもハッピーで、「よかった、、」という実感で過ごせたようでした。しかし、皆さんそれぞれが違う背景で、違う課題を持っているので、この辺が苦労するところです。ケニアの科学技術担当大臣ほかの関係者も何人かおられたので、私が数年前に訪問したNairobiのKiberaスラムのOlympic Schoolについてもちょっと触れ、私が今月の22日からナイロビへ行く予定であることもお話ししました。「ぜひ、、」と言って頂きましたが、その時にお会いできるかもしれませんね。

いろいろな機会に人との出会いが、大きく変わりながら広がる世界とどうつながっていくのか、そういう意味でもこのような機会はとても貴重です。

 

国会事故調 -10: Harvard Club of Japanで講演

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Harvard Club of Japanから国会事故調についての講演に招かれました。60人ほどの方がこられ、70~80%程度が日本の方という印象でしょうか。日本の方は多くが大学院での留学した方たちですが、何人かカレッジ(学部)で勉強された方もいました。

びっくりしたことに、Mike Yoshino Business School名誉教授も参加され、私について素晴らしい紹介をしてくださいました。うれしい「サプライズ」でした。Yoshino先生とは5、6年前から東京大学President Councilでご一緒しており、その海外での会議でNew York、Genevaなど何度かご一緒しています。

私の講演の後の質疑も活発で、良い時間を過ごせました。終わってからも、何人もからさらに質問、提案がありました。

盛り上がりが続いていましたので、終わってから、吉野先生と国会事故調の“Jikocho’s Angels”(Charlie’s Angelsのもじりですが、、、)のお2人を加えた4人でチョット一杯の楽しい時間を過ごしました。

翌日から、参加の方たちから以下のようなメールを、間接(1)、直接(2~4)、、いただきました。

1) Thank you for arranging the presentation and introducing me to Kurokawa sensei.  It was a great chance to hear his anecdotes and get a sense of his mission and perception of the issues.  I was impressed with his compassion, integrity and sense of hope that things can change in Japan for the benefit of not the few but for the many.  I hope he can continue, despite his age, to speak out and energize Japanese to get more involved in their affairs of the country. 

2) Your presentation was titled Independent Commission on Fukushima, but its message was more broad.  I believe you have some important transformational ideas as well as a healthy appreciation for the need to change.  I hope the recommendation for an annual (3/11) event to measure progress will both cause action and help keep public engaged and knowledgeable.

3) I wish to take this opportunity for your most stimulating and thoughtful provoking presentation yesterday evening.  Although I have read what is already available on the analysis and recommendations your commission has made, it is quite a different matter to directly hear your thoughts, commitment and above all your passion to the work of the Commission.  It is indeed one of the blackest chapter in the history of Japan, but your presentation has clearly pointed out the opportunity to seize on the accident to change Japan.

Throughout the discussion period after your presentation, I have heard numerous comments from the audience that they found your presentation the best they have heard or read on this Fukushima accident.

I am also very encouraged that not only do you have further plans to publish your results in English but, you are going around the world to share your report to the interested and concerned audience.

4) I apologize for the lateness of this e-mail, but I just wanted to thank you and your team again for last week’s event.

Your insightful comments, presentation of the thinking and process that went into this report, and your far-reaching conclusions gave us all much to think about.

Having lived in Japan for much of the lost decade(s), I have heard the call “for change” many times from different quarters.  I personally think it is up to all of us who live and work here to do what we can in our own ways to build the foundations and environment for a new era in the society and history of Japan. Promoting connected-ness between individuals of like minds both domestically and overseas, sharing of information and an awareness and curiosity about new ideas and ways of doing things, and a spirit encouraging challenges to the status quo by those who have new ideas and new outlooks ? these are the traits that I think will help to bring renewed vigor and power to the people, society, and culture of Japan.

国会事故調を進める意義を共有する、広げることができたと思います。

毎日が忙しいですが、充実した時間で一日が終わりました。

 

「2010 ACCJ Person of the Year」のこと再度

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去年2010年の終わりに、2010 ACCJ Person of the Year に私が選ばれ、今年の2月にTokyo American Clubで受賞講演の午餐会が開かれて、その講演もこのサイトに掲載しました。

最近、ある方が教えてくれたのですが、このときの話からの記事だと思うのですが、私のことを「Kiyoshi Kurokawa, The Maverick」として、Tokyo Weekenderに、Richard Smartさんが書いてくれていることを知りました。

まあ、私は確かに、皆さんが嫌がることを多く発言していますから、無理もない話しですが、しかし、私の言っていることが間違っているなどとは思ったことはありません。日本社会はあまりに閉鎖的な「タテ社会」だ、ということを指摘してきた、ということですから。

本当のことを指摘されると気分を悪くする人も多く居ることはいたし方ありませんが、本当のことを言うことは大事です。

「3.11」以後の日本では、いかに取り繕った政府サイドよりの報道が多かったかは、皆さんご存知の通りです。権力寄りの日本のジャーナリズムの姿勢でその信用はガタ落ちです。これは政府や保安院、東京電力だけの話でないことは世界に広く知られてしまいましたね。

日本はどこへ行くのでしょうか?ちょっと心配です。