Teach For Japan 四周年のお祝い

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松田悠介くんが、あの暑い夏に奔走していた時から始まったTeach For Japan。正式に始まって四周年の集まりがありました。

私も、4年前の夏に松田くんをtwitterで見つけてから応援を続けています(12)。

それほど広くない会場は、何とも言えない、すごい熱気のあふれる、ひと、ひと、ひと。

もちろん、私も参加。お祝いの言葉を述べました。「人生で、大事なことは、頭に詰まっている知識ではなくて、実体験からくる “こころ” で感じる感性、そして成長とともに、ことあるごとにしてきた “へその下”、つまり “選択” の “決断” なのだ」という趣旨の話をしました。

松田くんの人生を見てもそうですね。実体験が突然に湧き上がる、子供の時の実体験、何かを模索しているときに「偶然の遭遇」、その時の決断。これが人生ですね。こんなことは、いくら頭の中で考えていても何の役にも立ちません。すべては原体験と、遭遇と、決断なのですね。

彼の熱気に共感して「行動への選択」をした「フェロー」たちの実体験の話は、本当に凄いのひとこと。ついつい、ウルウルしてしまいます。隣にいた、これも熱い応援団の米倉誠一郎さんも、ウルウル。人間、意識して涙を止めることはできないのです。

国民のみんなに聞いてもらいたいと心から思った今年の「フェロー」二人の体験談、去年から1年半の活動を語るフェロー。みんな熱すぎて、その経験談のリアリティーに何とも言えない、一人ひとりの恵まれない境遇の子供たちへの湧き上がる思いを共感した夕べでした。

素晴らしい若者たちに、感謝と、明るい日本のありようを共有しました。

現場で頑張っている、このフェローたちを支援している先生たちに、ありがとう。

松田くん、皆さん、ありがとう。

そしてみなさん、応援よろしく。

高校生への講演とPEAKのレセプション

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10月に入ってから、2回ほど高校生を対象にした講演をしました。いつものことですが、「変わる世界、あなたの選択」という趣旨です。

一つは、ある進学塾の主宰で、東大を受けようとしている高校生に向けての講演です。あいにくの台風来襲という大雨のなかを100人ほどが参加。多くは高校1、2年生でしたが、90分の講演の後、「10年後には何をしている、そのためには2年後に何をしているか」をグループで討議、簡潔にまとめて発表、各グループで説明、全員で評価、というセッションでした。

次いで、東大の駒場で毎月2回開催されているという「高校生のための金曜特別講座」。第300回ということでお招きを受けました。参加した高校生たちは80人ほどでしょうか。ご家族の方や一般の方もおられました。去年の東大の学部入学式の私の祝辞などの資料もあらかじめ配布していただきました。

最近、このような講演では映画「Matrix」の一部をお見せすることにしています。「権威を疑え」「常識を疑え」ということです。

参加した高校生からは、「今までの東大講座と一変した雰囲気」、「今いる社会に対しての考えが変わった」、「最初と最後のMatrixは同じなのに違って感じた」等々、多くの若者が何かに飢えている、と感じるコメントが多くありました。

若い人たちとの交流は楽しいですね。何しろ急速に変わる予測できない世界の中で、日本人として活動するのですから。

講演の後は東大のPEAKプログラムの留学生たちが集まり、ちょっとしたレセプションをしてくれました。外国からの先生たちも集まってくれて、楽しい時間を過ごしました。これはPEAKを担当している教員の一人、松田良一さんのお世話になるものです。

PEAKにも課題も多くあるようですが、留学生のニーズをくみ取って、うまく対応しながら成長させてほしいです。

研究者のモラル、小保方さんが開けたパンドラの箱

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かなり下火になっているようには見えますが、研究者をめぐっていろいろと問題が起こっています。

理研の小保方さんの事件、東大を含んだ教授と製薬企業との「癒着」の問題などです。繰り返し起こって、しばらくメディアで大きく取り上げられますが、しばらくするとまた繰り返すのです。

このような問題は どこでも起こりうることですが、そこから学ぶ姿勢、さらにもっと社会的にも、根本的な問題にも注意を払う必要があります。研究者の「自律精神」の欠如です。

国会事故調で明らかにしたのも、そのような日本社会に深く存在している問題を指摘したのです。

今年の5月19日のブログ「日本の科学と精神」でも指摘したところです。日本の研究は基本的に「家元制」だと。

米国で、独立した研究者として私と同じように長い年月を過ごした市川さんは、理研問題の外部審査の委員も務めました。そこから見えたことについて、きわめて示唆に富んだ意見を「小保方晴子が開けたパンドラの箱」として述べています。

ぜひ参考にしてください。これは正しく鋭い指摘です。

特に関係者は知っていることかもしれませんが、「不都合な真実」を無視することなく、意識して解決していくことこそが、指導者たちの責任と思います。

将来の研究者を育てる意識が不足している、あるいはその精神が受け継がれていないのではないかと思います。

HPAIR 2014: Harvard Project for Asia and International Relation

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HLAB 2014が終わった翌日の日曜日、8月24日は三田の慶応大学へ。

これもHarvard大学の学生たちが開催する、HPAIR 2014に参加するのです。

この日のパネルは「Health and Public Policy」の「What are ways in which Asia addressed its aging population and widening disparities in socioeconomic status?」というかなり先進的なテーマです。主催の学生さんたちにはHLABのことを知っている人たちもいました。

講演に参加する人たちも多彩です。

私は最終日の26日(火)にも、国際フォーラムで行われた「Academic Plenary」「Risk Management in Asia」のパネルに登壇しました(トップの写真です)。500人ほどの学生さんたちが参加、ついつい気合いも入ります。講演の後は、学生さんたちと質疑、写真撮影で盛り上がりました。

前回の日本での開催はHPAIR 2005でしたが、その時も講演の機会がありました。その時のHarvard大学側に、その後World Economic Forumに仕事を見つけ、以来、日本との連携構築に大いに活躍している土屋くんがいました。彼にも久しぶりに会うことができました。時間の経つのは早いものです。

8月22~26日の5日間に、HLAB 2014、AYDPO 2014そしてHPAIR 2014と、これからの世界を担う多くの多様な若者たちと続けざまにお話をし、若者たちの涙、涙の感動に接する素敵な時間を過ごせました。

頑張れ、世界へ羽ばたく若者たち。

沖縄へ再び、AYDPOの閉会式

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「AYDPO 2014」、今年で7年目のプログラムです。

今までも何回かこのサイトで報告1234)していますが、アジアと日本の14~16歳の若者たちが、3週間を沖縄で一緒に過ごすのです。

毎年、開会式や閉会式で、一日は参加しています。今年も閉会式に参加して講演。今年の生徒たちは「GIA Green International Academy」慶良間に作ろうという提案を考え、これを発表しました。例年のように稲嶺前沖縄県知事も参加です。沖縄の新しい目玉の一つである沖縄科学技術大学院大学の新学長、Dr. Iwamaさんもこられてご挨拶。

参加の若い人たちは共通言語の英語で話しています、上手いものです。いつものことですが、仲良しになった若者たちは、大学生たちも交え、あたらしい兄弟姉妹になって、特に閉会式は、別れを惜しむ若者たちの涙、涙の感激の時間です。

実は、このプログラムは当時の安倍内閣から始まった企画で、私も特別顧問としてお手伝いしました。このようなプログラムを持続させ、広げていくことこそが、変わる世界で活躍する、感動の時間を共有する仲間を、国境を超えて持っていく人たちを育てていくことが、とても大事なのです。

このプログラムの卒業生たちは、参加する大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒にFaceBookでつながっているのです。私も初めのころに参加された大学生で、インドネシアで活躍している若者と今でも交流しています。

Web時代のつながりは大事ですし、便利ですね。

HLAB 2014

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2011年、あの東北大震災の夏に始まったHLAB1)の季節が来ました。4回目の今年は、「終戦から69年」を迎えた8月15日に始まりました。

以前のHLABに参加した大学生や、高校生として参加した今は大学生たちが中心になって、しかも何人かは海外の大学で勉強しながらの準備で、本当にとても苦労しながら、と思いますが、ここまで来たのです。

開会式の第1日は例年のようにGRIPSです。ここから8泊9日の合宿が始まるのです。今年は、私が開会の話をすることになりました。「これからの世界と皆さんの選択」、といったテーマですが、緊張している高校生たちも多いと思ったので、「今日が始まりですが、これまでの成果をみていると、参加した高校生の40%が海外の大学にも挑戦し、合格し、そちらを選んで進学している、だから今年のあなたたちが9日後に、どんな気持ちになっているのか、とても楽しみ」という趣旨のことを、励ましの意味も込めて伝えました。

今年は、第1回から応援してくださっているHarvard大学の学部生OBで大先輩、三菱商事の槙原 Ben 稔 顧問が参加され、65年前の留学時代に学んだことなど、素晴らしいごあいさつをいただきました。

これからはじまるプログラムも楽しみですし、また後日、夜の宿舎での「Reflection」にも参加、夜11時までの時間を、何人もの高校生たちとたのしみました。

今年は、特別ですが、開会に3日ほど先立つ12日、GRIPSでYale大学卒業の立川志の春さんの「英語落語」を楽しみました。素晴らしいです。

さて、最終日の23日(土)は、再びGRIPSで。Harvard大学の竹内弘高教授も参加して修了式。みんな涙、涙の、感動モノでした。

私もあいさつで、「このような実体験こそが、これからの人生のなにかの場面で、ふとこみあげてくるときがあるだろう、このような実体験こそが人生で大事なのだ」という趣旨のコメントをさせてもらいました。

過去の参加者たちが、大学生たちがOB、OGとしてとても頑張って後輩たちを応援している姿こそが、「教育は恩返し」の精神を体現しているのだと思います。

HLABを始めた小林くんは、Harvardを卒業し、今年は東京と同じときに始まった徳島でのHLAB 2014へ出かけています。ここまで本当によくきたね、ご苦労様。

会津若松へ

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8月6日、会津若松に行ってきました。中学生1~3年生を対象にした「プラチナ未来人財育成塾@会津」に参加です。小宮山宏前東京大学長の主宰する企画の一つです。

郡山駅から車で会津へ向かう途中、私が子供のころ疎開していたところ、磐越西線の関都駅の南、もちろんすっかり様子が変わっていて、何が何だかわからない金田金曲(かねだかねまがり)のあたりを横に眺め、むかし遊びに来た天神浜に立ち寄り、次に猪苗代の野口英世の生家を訪問しました。

会場は何度か来たことのある大学のキャンパスです。集まっている大部分は、中学生ですから1999年以降に生まれているのですね。もの心ついたころから、世界は大きな変化を始めているのです。

私の前に講演をされた御手洗瑞子さんの話は、終わりの部分しか聞くことができませんでしたが、私の話と多くの共通点があったように思いました(間違っていたらごめんなさい)。みなさん、元気に質問もたくさん。いいですね。

終わってからは、御手洗さんと私のいるステージの上に多くの生徒さんたちが集まり、写真、握手、そして記念撮影、楽しい時間でした。

終わって、会津藩の有名な「日新館」1)を、閉館時間を過ぎていたのですが、しばらく案内していただきました。大いに尊敬する山川健次郎先生1)の像(2004年に建立)が立っています。日新館はなんとなく湯島聖堂とも似ていますし、同じく孔子の像が祭ってあります。今の時代から想像しても、本当に素晴らしい学校です。

その後、国会事故調の委員だった蜂須賀さんと久しぶりにお会いしました。まだ仮設住宅にお住まいです。

福島原発のあった大熊町から多くの方が会津若松に避難されています。今でも、大熊町役場はここにあります。福島原発事故直後、大熊町から避難した方々がしばらく過ごしたビジネスホテルの上にあるレストランで、支配人ともお会いし、お刺身、てんぷらなどをつまみながら、蜂須賀さんとしばしの時間を過ごしました。

福島原発事故で避難されている方たち、本当にお気の毒な状況です。

あっという間の7月

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7月になってコラムが出せていません。申し訳ありません。なんだかんだと忙しくしていました。

6月末から7月初めにかけて末吉竹二郎さんの「CSO塾」、石倉洋子さんの「Global Agenda Seminar」、国際基督教大学(ICU)の「Global Leadership Studies」など、週末も入れて4日間連続でセミナーでした。長いものは質疑を入れて3時間超。元気な人たちが多い会はいいものです。

虎ノ門ヒルズで行われた「MIT Media Lab @ Tokyo 2014」にもちょっと参加。そして、フランス大使公邸で行われた2014年度「L’Oreal‐UNESCO女性科学者 日本奨励賞」授賞式などなど、いろいろな行事がありました。

後半にはOECDの会議でパリへ。そして、4月に報告した、Londonで始まった「World Dementia Council」に参加です。半日ほど時間ができたので、Orlangerie美術館へ行ってきました。

いろいろと予測していないことが起こるので、夏休みも忙しくなっています。

TEDxTokyo 2015、ACP日本支部会、そしてWEF Japan;変わる世界のなかへ

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5月最後の日、31日は恒例のTEDxTokyoでした。

2009年に始まったTEDxTokyo、今年で6回目です。日本、また世界中で「TEDx◯◯」が広がっていますが、これは東京が世界で最初なのです。Patrick Newell、Todd Porterたちと、「やろうよ!」と言っているうちにどんどん話が進んでいったのです。これがIMPACT Japanへと進化してきているのです。

今年のTEDxTokyoも素晴らしい方たちが、素敵な話をしてくれて、とても楽しい一日でした。この様子は、ウェブサイトで見ることができます。

夜のレセプションは失礼して京都へ。世界レベルの医師を育てたいという目的で設立され、英米などで臨床研修を受けてきた若手の医師を中心にして、医学教育、研修に向けた活動をしている米国内科学会日本支部の学術集会1)です。31日はその第1日だったのですが、TEDxTokyoに参加するので失礼し、6月1日の2日目からの参加になりました。

京都ならではの小さなバーで2次会に参加。みなさん、米国での臨床研修の仲間が集まって、熱い語りでした。

翌日の第2日、医学生、研修医たちの参加も多く(全体で600人強)、熱いセッションが続きます。恒例ですが米国内科学会会長(2013-2014)のDr. Molly Cookeさんも参加です。

夕方には東京へ戻り、翌日は朝からWorld Economic Forum Japanに参加。いろいろな方たちと久しぶりに会えましたし、いろいろと議論にも参加できました。

この3日間で過ごした、世界につながる活動、どこでも若者たちの活躍が目立ち始めています。うれしいです。

沖縄OIST、そしてアジア太平洋腎臓学会

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Los Angelesから成田経由で沖縄那覇空港に夜10時半ごろに到着。タクシーで1時間ほどで恩納村にあるホテルへ到着。

翌日は、世界に開かれたOIST(Okinawa Institute of Science and Technology)の理事会に参加です。

ちょうど、Nobel Museumによる「Sketches of Sciences」1)という素敵な展示のオープニングもあり、これにも参加。

これはVolker Stegerさんの作品で、そのユニークな着眼点などの話を聞くとこができました。その50人の中の一人のTim HuntさんもOISTの理事でいっしょでしたし、なかなか素敵な展示でした。

このNobel Museumは2001年、Nobel賞100年を記念して「Cultures of Creativity」というテーマで始まった企画です。最初の海外展示は、2002年に東京で行われ、高円宮殿下によって開会(久子妃殿下も去年、ご訪問されています)、私は日本学術会議の副会長として、東京大学の安田講堂で開かれた記念シンポジウム(NHKでも特番として放映されました)など、いろいろお手伝いしたことを思い出します。

当時のNobel Museum館長のLindqvistさん(1)の話題にも触れながら、現在の館長のOlov Amelinさんと当時のころの話をしました。いろいろな方とのつながりは楽しいものです。

翌日は午前の予定のあと、東京へ向かい、フライトが遅れて少々焦りましたが、アジア太平洋腎臓学会でのKeynote講演です。ここでは、多くのアジアの旧友たちに遇えて、とても懐かしく、うれしかったです。

この学会の3日間、久しぶりにいくつかの活動に参加しました。もっぱら、海外からのお客様との会食とか「課外」活動で、台湾の仲間との再会もありました。