臨床研修の評価を推進すること、自律した「プロ」の責任を

例えばですが、医師になるには「国家試験」を受けて医師の資格を取得する必要があります。この試験は厚生労働省が所管し、問題の作成などは、主として医学部の先生たちなどの「専門家」が行います。ではこれらの試験問題の適正さ、評価はどうするのでしょうか?

私も何年かにわたって医師国家試験問題検討委員会にも参加し、また改革委員会の委員長も務めました。そこでは、私の米国での体験などを含めていくつも問題を提起していました。委員の皆さんには、なかなか理解されないというか、そんな体験をしました。

当時から進んだことは、問題のプール化などがありますが、例えばデータの集積や「質の評価」といったことについてはまだ不十分です。常に試験問題の「質」をチェックしている米国の試験(USMLE)の問題などを、英語のままで全問題の10%ほど採用する、といった提案もしてきましたが、当然ですが、そんな提案はなぜか「ダメ」なのですね。委員の方たちが理解できないのです。

私も関わっている日本医療教育プログラム推進機構(JAMEP)というNPOがあります。ここでは、医学部卒業とともに臨床研修が義務化されたことを受けて、研修の成果を広く評価していくことを目的とした、「基本的臨床能力評価試験」という「自主的」な試みを行っています。

臨床研修病院における研修医の成長はどうでしょうか?病院の研修プログラムそのものの評価はどうでしょうか?

このような目的で出来たのがこの「自主的」な試験です。試験問題を作成する、問題の回答を分析する、フィードバックする、問題の趣旨を生かす工夫をする、といったプロセスが入ってくるので、より質の高い試験問題となってくるのです。

まだ、5年目の成長途中ですが、科学的に問題の質、適性も向上させていこうと取り組んでいます。

この試験プログラムに参加している臨床研修病院群の研修医は、まだ全体の20数%ほどですが、参加している病院の熱意は相当なものです。もっともっと多くの研修病院に参加してほしいと思います。

この日曜日(9月18日)、試験に参加している研修病院の多くの方たちが集まる会合で、基調講演をする機会をいただきました。一方で、みなさんの発表を聞いているとその熱意、努力に頭が下がりました。

ここでは、試験のデータを集め、分析し、フィードバックして、「試験問題の質」を向上させていくことが、いかに大事なのか、について話をしました。私の講演資料はこちらです。

このような医師臨床研修という「プロ」の世界での試みは、決して「国家」に依存してはいけません。自分たちで自主的に、自律した制度の構築こそが、「プロ」社会では大事な基本的姿勢なのです。このようなプロセスが「国家試験」にも導入されてくることが大事なのです。

それにしても福沢諭吉はすごいですね。明治8年の「文明論の概略」で、いかに統計が大事なのか、を説いています。当時は日本にはそんな概念がなかったので、該当する日本語がなく、そのまま「スタチスチク」(講演資料参照)と書いて、注釈をつけています。なお、資料のベルカーブなどの図はチャ‐ルス・マレイの作成によるものです。

福沢の時代では英語の本を読んで理解していくのですから、この本を読むと感動的でさえあります。

今の時代の人は邦訳本で済ませていることが多いのを考えると、ずいぶんと楽をしている、その割に物事の本質をどれだけ理解しているのか、大変に不安でもあります。

「国家試験」などと言って他人事のように考えていては、「お上頼み」の精神です。これはよろしくないのです。

神戸、G7保健・厚生大臣サミット、サイドイベントへ

孫さんの自然エネルギー財団の翌日は、神戸に向かいました。G7保健・厚生大臣サミットの関連イベントに参加するのです。

一つは、認知症関係でWHOと厚生労働省の共催によるものです。WDCメンバーのAlzheimer’s Societyの Jeremy HughさんAlzheimer’s Disease InternationalMarc Wortmannさんなど、WDC “仲間” としておなじみの方が何人もおられます。

このパネルでは、「WDCと日本のチャレンジ」というようなテーマで10分ほどのプレゼン。今回は認知症の患者さんとサポートとしている家族、NGO、自治体などの参加もあり、皆さんのご苦労をシェアできるような時間でした。

本当に、本当に重い政治的課題です。

その後、場所を移してWorld Economic Forum Tokyo Officeが開催する長寿・高齢社会についてのセッションに参加しました。GHITも参加です。

高齢社会も難題ですね。いろいろな意見の交換は、いい”ブレスト”になります。

夜は、塩崎厚生労働大臣の主宰によるディナー。WHOのMargaret Chang事務局長(このお二人とはナイロビでもお会いしたばかりですが…)の他、数か国の厚生・保健大臣もご参加でした。

翌日は早々に帰京の途に就きました。

自然エネルギー構想の5年、孫 正義さんのすごさ

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東日本大震災をうけて、新しいエネルギー構想を打ち上げ、財団も設立、さらに、ご自身の事業でも世界を駆け巡り、超大な構想で世界を駆け回る孫正義さん。

話題提供者としてこれほどの人は、日本ではもちろん、世界のビジネス界でもなかなかいないでしょうね。批判するのはやさしいですが、自分のこととして考えるとどんなものでしょう。

孫さんは、福島原発事故後に始めた新エネルギー構想でも、休んでいるわけではないのです。9月9日に開催された、この財団の講演会にお呼びいただき、パネルに参加しました。

こちらの自然エネルギー財団のサイトで、基調講演他いろいろ見ながら聞くことができます。
http://www.renewable-ei.org/activities/events_20160909.php

久しぶりにお会いする、コーぺリエル理事長、ロビンスさん(トップのビデオの14分あたりから)、そして孫さんのスピーチ(同じく43分あたりからと、上から2つ目のビデオのはじめから)と、どれも素晴らしいものです。特に孫さんの考え、着想、行動力、話の構成など、そして質疑への回答など、見事なものです。

その後の世界や、米中ほかの動向、政策などを聞く、そしてよく考えてみても、日本が世界の潮流に取り残されていくのが感じられると思います。

悲しいことですね、国の中からしか世界を俯瞰できない、エネルギー政策に責任ある、そして日本の責任ある立場の人たちの貧しい精神構造。

生かせる技術は優れたものをたくさん持っているのが日本なのですが…。生かさなければ技術は寝ているだけ。

福島原発事故という世界史に残る大事故からも何も学べない、大きな構想を描けない悲しさ、ご都合主義のエリートたちの政治と政府とメディア、そして学者たち。「辺境の国」の人々の”マインドセット”でしょうか。

まだまだ、日本の電力政策の「規制の虜」状態は続きます。

当日は、私の近著「規制の虜」を出版社から「即売」していただいたのですが、予想を超えて、あっという間に売れてしまったようです。皆さん、ありがとうございます。

ナイロビからマサイ・マラへ

ちょうど10年前のことですが、ナイロビ訪問の機会にマサイ・マラを訪れました。

その時はWHOのコミッショナー(12)としてナイロビに来たのです。その時のキベラ・スラム(Kibera Slum)訪問オリンピック学校(Olympic School)の訪問がとても印象に残りっています。

4年前に、再度ナイロビを訪問した時も、このオリンピック学校を訪ねました

その時も今回と同じく、ノグチ・アフリカ賞のイベントを、第一回の受賞者であるウェアさん、グリーンウッド教授とご一緒に開催しました。UZIMA 財団の若者たちによるノグチ・ヒデヨの紙芝居などで歓迎してくれました。

この時は、現地で活躍する多くの日本の若者たち1)と会うことができて、とてもうれしかったことを覚えています。その中の何人かとは、その後も東京でもお会いする機会もありました。

さて、マサイ・マラですが、前回の訪問は6月で、多くの草食動物が来るGreat Migrationにはちょっと早かったのですが、今回はいい時期なのです。

ナイロビのWilson空港から1時間ほどのフライトで、ワン・ストップのあとで、マサイ・マラに到着です。今回は、Governors’ Camp Masai Maraという、ちょっとしゃれたキャンプの一つに2泊しました。何しろハイ・シーズンですし、予約が大変でした。ここは行き届いたサービス、従業員の対応がとても気持ちの良いもので、とても良かったです。

食事は、朝と昼は野外ですが、ディナーは大きな設営テントの中です。キャンプの横のマラ川には10頭ほどのカバが群れています。夜はキャンプの中にも来るのだそうです。「柵」があるわけではないので、夜の一人歩きはもちろん「不可」です。暗くなったらテントの中から懐中電灯で外を照らすと、いつでも誰かが来てくれるのです。さらに、銃を持ったガードが一晩中、キャンプの中を回っています。

マサイ・マラでは、朝6時30分から約100分ほどの草原ドライブ、キャンプにかえって朝食。90分ほど休憩して、また100分ほどのドライブ、そしてゆっくりと昼食。また、夕方から草原へといったスケジュールです。大体100分ごとぐらいのサイクルですね。第1日目は、一休みして昼食後のドライブに行きました。

2日目は朝食を持って、3時間ほどの特別メニューを作ってくれました。川辺でカバを見ながらのピクニックです。この時は、幸運にも、みなさんもおなじみのヌー(Gnu)の大群の川渡りに遭遇できました。毎日あるというわけでもないようで、2泊の滞在で出会ったのはラッキーだと言われました。

この草原ドライブは、4人が乗れるジープでした。フロリダからのご夫婦と、ナイロビで仕事をしている息子さんの三人家族と一緒でした。

ライオン、ゾウ、チーター、キリン、シマウマ、ヌー、ダチョウ、ガゼル(Gazelle)、インパラ(Impala)、ハイエナ、ヒヒ、水牛、などいろいろ見ることができました。 圧倒的に多かったのはヌーですね。

それにしても自然の環境のなかの動物は、美しい(Graceful)、気高い(Noble)、おごそか(Mejestic)、といった形容詞がよく似合います。感動的でさえあります。

しかし、この素晴らしい自然もいつまで続くのでしょうか

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐4;アフリカ起業家支援セミナーと総理主催のレセプション


27日の朝は、東京で開催されるアフリカ起業支援セミナー12)との交流です。こちらでは佐藤さんほか、みなさんがヒルトンホテルのプールサイドに集まり、11時から始まるSkypeの準備を始めます。

東京との交信も、11時には順調に始まり、みなさん大喜び。便利になったものです。こちらは佐藤さん住友化学の広岡さん1)、AAICの椿(つばき)社長、玉川顧問(元アフリカ開発銀行)、石田さん、DDM.com アフリカの石本さん、そして一年前からケニアに来て佐藤さんの仕事を手伝って起業を企てている山口はるかさん、そして私というメンバーです。

ラップトップの画面で、主催の渋沢健さんの掛け声と、東京の勢いが感じられます。こちらから東京のみなさんへのご挨拶が始まりますが、なんといってもこちらでは「現地にいる強み」がありますから、勢いも、そして発言もちょっと違うレベルですね。

私は前日にも、アニャンゴさんとか、この支援事業にも応募している薬師川さんご夫妻にもお会いしましたが、みなさん、若いし、とても素晴らしい人たちばかりです。

ついつい東京の会場の方たちに「そちらでいくら議論しても、なにも始まらないよ。そちらは当分成長しないし、こちらはいろいろ問題があるかもしれないが、確実に成長していくよ。議論もいいけど、まずはこっちに来なさい!」と伝えしました。

ナイロビ、そして東京で参加されたみなさんの、活気と元気のある一時間でした。
8月31日の読売新聞(11面)には渋沢さんの寄稿文が掲載されました。最後の一文がいいですね。「アフリカには、世界の未来がある。アフリカには、日本人の夢もあるのだ」と。)

夕方からは、安倍総理の主宰するレセプション。移動するにもいろいろ多重のセキュリティがあるのでちょっと早めに出発。会場は主として日本からの参加の方たちでした。

安倍総理、ケンヤッタ大統領が登場するまでに、しばらく時間があり、いろいろな方たちにお会いすることができました。日本のお酒などいろいろな展示、試飲もあり、あっという間の一時間でした。

今回初めてアフリカで開催されたTICAD6、そして日本の評価は、とても高かったように思います。みなさんご苦労様でした。

明日は、10年ぶりにマサイ・マラに向かいます。

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐3;GHITファンドのカンファレンス、そしてアニャンゴさん

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ヒルトンでのノグチ・アフリカ賞のカンファレンスの終了とともに、以前からの約束で、違うホテルで開催されるアフリカの”NCD”(Non Communicable Disease)のカンファレンスの基調講演に向かいました。講演終了後のパネルの途中で退席(参加者は医師が多かったのですが、後からメールがあり、予想しないような話でとてもよかったと、感想をいただきました。)、再びヒルトンに戻って、午後に予定されているGHITのカンファに出席しました。

登壇者には午前のノグチ・アフリカ賞のグリーンウッド博士、コルチイーオ博士も参加して、盛り上がりました。私は遅れて到着したので、皆さんのパネルが終わってから最後の挨拶を済ませ、プ-ルサイドで準備していたGHITファンドのレセプションに皆さんと移動しました。

このプ-ルサイドのレセプションには、若い日本の女性アーティストのアニャンゴさんにお越しいただきました。彼女はアフリカの音楽に魅せられて一人でケニアへ渡り、修行を積んで、女性には許されていなかった”楽器”の演奏の免許皆伝をもらったという、とても素晴らしい頑張り屋さんです。

彼女は、この音楽で世界を回り、DVDも出しています。今度の件で東京の事務所に連絡をしたところ、8月の終わりはケニアに行っている予定と聞いたので、早速お願いをしてこのようなことになったのです。

アニャンゴさんと現地のバンド演奏で、みなさん歌を一緒に歌いはじめ、踊りはじめるという素敵なイベントになりました。

ところで、最近のテレビでも彼女の素敵な取材が放送されました

夜は、今回のノグチ・アフリカ賞のイベントでお世話になった内閣府の方たちと、ちょっとした慰労をかねたの夕食会。ホテルのレストランで一時を過ごしました。

レストランでは日本から参加されていたいろいろな方にお会いしました。26日は朝からとても充実したナイロビの一日でした。

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐2

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8月26日の午前には、ナイロビのヒルトン・ホテルで、私が委員長を務めているHideyo Noguchi Africa Prizeカンファレンスを開催しました。

これには第1回(2003年)と第2回(2008年)の受賞者4名のうち、3名の方が参加してくれました。現地の準備は第1回の受賞者の一人で、ここナイロビで活動しているウェレ(Miriam Were)博士にお願いし、WHO‐AFROの協力を得て開催しました。特にノグチ・アフリカ賞の性格から、アフリカで公衆衛生の分野で活躍している若い人たちをお招きするようにお願いしました。

このノグチ・アフリカ賞の特徴としてアフリカの保健・公衆衛生分野での活躍、貢献があり、受賞者にはケニアのウェレ(Were)博士、ウガンダのコルチイーオ(Coutinho)博士がいらっしゃいます。このお二人は、この分野で活動しているアフリカの若い人たちにとっては、憧れでもあり、また目標となる素晴らしいロールモデルであると考えたからです。もう一人の受賞者Peter Piot博士が参加できなかったことは、以下の私の挨拶にでてきます。

会場は100人ほどで、満員、立ち見の方も多く、熱気にあふれています。私の挨拶、ケニアの保健大臣(代理)、塩崎厚生労働大臣の挨拶、WHO-AFRO代表(代理)の挨拶のあと、今回作成したノグチ・アフリカ賞のビデオ(約6分間のビデオ。英語版で、フランス語の同時通訳付き、日本語の字幕版でした)を上映しました。その後に、ウェレ博士の基調講演、ウェレ博士が主宰するUZIMA財団関係の若者たちのカラテ演武と続きました。

短いブレークのあと、2つのパネル。司会は受賞者のグリーンウッド博士とコルチイーオ博士ですが、お二人の人柄ですね、とても「熱い議論」が続きました。

朝8時半から1時間にわたって、このお二方と議論をした20人ほどのアフリカの若手の方たち、その代表の二人が、この2つのパネルの議論を最後にまとめて、パネルを終わりました。これはとても素晴らしいものでした。みなさんとても優秀です。

終わりには、日本・アフリカ議員連盟会長の逢沢一郎議員にもご挨拶いただきました。

受賞者たちのいつまでも全く変わらない、たぎるような情熱が、特に素晴らしかったですね。これが一番大事なのだな、改めて感じました。

この後は、次の「ナイロビ、TICAD6に参加 -3」に続きます。