日経「人間発見」のわたし: 「「出る杭」が日本を変える」

日経夕刊に「人間発見」という月曜から金曜までの5回のシリーズでひとりの人を紹介する企画があります。

3月初めの週に私が紹介されました。編集委員の山田康昭さんが私とのインタビューからまとめてくれたものです。いろいろな話題がありましたが、いくつかのポイント絞って、上手にまとめてくれました。

 

第1回 (2013/3/4付 日本経済新聞 夕刊)


第2回 (2013/3/5付 日本経済新聞 夕刊)


第3回 (2013/3/6付 日本経済新聞 夕刊)


第4回 (2013/3/7付 日本経済新聞 夕刊)


第5回 (2013/3/8付 日本経済新聞 夕刊)


 

3つほどの全体のタイトルを考えてくれました。私は第4回のサブタイトルの「教育は恩返し」がいいと思ったのですが、「出る杭」をいれたタイトルになりました。

良いシリーズと感じていたければ、山田さんの腕です。

 

アブダビから ? 1

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久しぶりにアブダビに来ました。今回はアブダビの大学関係や日本とも関係を広げたいという趣旨で来たのです。

私と元経済産業相の豊田さん、さらに東京大学先端研所長の中野先生たちと、いくつかのご当地と関係の深い数社の方たちの20人近いグループです。もとはといえば、私がアブダビのカリファ大学の理事をしている関係、そして東京大学でも総長顧問団(President's Council)、また東京大学先端研所の理事をしていることもあって、相互の大学間の関係を構築したいと考えていたからです。もちろん、教育や研究だけでなく、日本とUnited Arab Emiratesはこの40年とはいえ、深い相互関係もあります。日本へのエネルギーの主要輸出国と輸入国という関係なのです。先月は茂木大臣が訪問され、東大先端研も含めていろいろな協定が結ばれました。

夜遅く到着して翌日の第1日、アラブ首長国連合の国立大学UAE Universityキャンパスを視察。欧米の多くの大学、企業が研究室を開設しとても活発な教育研究活動をしている様子が良く見えます。特に学部教育に熱心です。日本の名前が見えないのですね。とても残念なことです。そして、この大学には「Sakura Club」という日本を知りたい、日本と友達になりたい学生たちのクラブがあることを知りました。

午後はUAE大学本校のあるAl Ainへ向かいました。車で90分の行程です。快晴で気温は25-27Cほどの快適さ。素晴らしいキャンパス、いろいろ見せていただきました。3~4年ほど前にもこの医学部へ来たことがあります。医学部はJohns Hopkins大学と提携しています。ここも学部教育が中心です。

5時には出発の予定でしたが、本部の素晴らしい建物に入ると、なんと5~6時に「Sakura Clubのイベント」と掲示してあるではないですか。予定を急遽変更し、講堂に入ったところ、なんと着物を着た女子学生と、本格的な和服姿の日本舞踊の女性が。これがなんと服部マコ(眞湖)さんとそのチームではないですか。お互いに知っているので「なんだなんだと」、あちらも驚いたでしょうね。何しろ予測のしないところに、日本男子20人ほどが突然入ってきたのですから。みんなとてもうれしくなって、マコさんの着物の解説と踊りなど、皆さんとてもいい時間を過ごしました。

去年の11月に着任された日本の加茂大使ご夫妻もこられました。

ここで早稲田から1年間勉強に来ている女子学生に会いました。彼女もびっくりしたでしょうね。充実した大学生活をしていると言っていました。

講堂では舞台に向かって左側に女子学生、右側に男子学生と分かれて座っています。これがご当地の規則なのですね。

私たちは30分ほどで失礼しましたが、学生さんたちみんなの良い思い出になったでしょう。

こんなところでも意外な出会いがあるものですね。

 

国会事故調が自由報道協会「知る権利賞」を受賞

福島原発事故は世界に大きな問題を投げかけた大事故でした。世界の各メディアも特に事故から始めの数週間は大きく報道しました。そして、国内外の報道の在り方については、いわゆるソーシャルメディアなどを介して、いろいろ違いのあったことはかなり知られてきたように思います。その一部には、日本の大手メディアと記者クラブの存在が関与していることも従来から知られていました。福島原発事故をめぐってメディアの在り方もいろいろな検証もされ、いくつかの本(例えば、牧野洋著「官報複合体」上杉隆・烏賀陽弘道著「報道災害[原発編]」Martin Fackler著「「本当のこと」を伝えない日本の新聞」など)も出版されています。

この問題意識を新しいメディアなどを通じて活発に発信し、活動するジャーナリストも目立ちました。そのような活動を通して結成された自由報道協会という団体があります。主として「記者クラブ」制度に属しないジャーナリストたちによる団体です。

国会の中には、行政府である官邸や各省庁にあるような記者クラブはないらしいのですが、国会事故調は委員会を公開とし、ウェブでも多くの方に見ていただけるようにし、委員会後の記者会見も公開しました。しかも第1回の委員会を除き、英語の同時通訳付きです。

ちょっと古い話になりますが、この自由報道協会が、私たちの国会事故調に第2回自由報道協会賞 「知る権利賞」という賞に選んでくれました。受賞の日に私はダボスに行っていましたので失礼し、大島委員、宇田さん他の方に出席していただき、私の挨拶(PDF)代読(0:49:40~1:02:10のところ)していただきました。

いい意味で国会事故調チームの活動が認められるのはうれしいです。

民主制度を機能させるのには、その「カタチ」ばかりでなく、政府も、メディアも、国民一人ひとりにも恒常的な努力が必要なのです。

 

Health Summit、そしてRio de Janeiroへ

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Paris-Bostonから一回りして東京に1週間、いろいろ忙しくしていましたが、22日には医療政策機構HGPI恒例のHealth Summit (1)開催。素晴らしい方たちのパネルと、素晴らしい方たちの参加で盛会のうちに終わりました。いろいろな方たちからお礼と、励ましの言葉をいただきました。2011年3月11日の東北大震災と福島原発事故からほぼ2年が経って、いくつかの日本の課題をテーマにフォーカスを当てたのが良かったのかもしれませんが、パネルの方たちが素晴らしかったですね。根本 匠復興担当大臣もごあいさつに来られ、また男女共同参画パネルについてはRoos米国大使夫人も参加してくださいました。Health SummitについてはHGPI のウェブサイトを訪ねてください。随時報告を掲載します。

24日の日曜から30時間をかけて真夏のRio de Janeiroへ。Copacabana日本学術会議の要請もあり、この10年ほど、私も深くかかわってきた「InterAcademy Panel」の総会でパネルに参加することになったのです。

今回はDubai経由で、成田―Dubaiが12時間、Dubai空港で2時間、そこからRio de Janeiroまで15時間の行程で、ともにEmirates、快適でした。時々眠り、いくつか映画を見て、疲れない旅でした。

Rioは30~35度の暑さですが、ほとんど会議場の中ですし、何人もの友人たちにも会えてよい時間を過ごせました。大きなテーマは「Grand Challenges and Integrated Innovation: Science for Poverty Eradication and Sustainable Development」です。午後最後のセッションから会場へ。CanadaのPeter Singerがひっぱっています。

翌朝はCopacabanaの海岸を1時間ほど速足で気持ち良く歩き、1日中会議に参加、夜は日本学術会議の大西会長、春日副会長ほか数人で食事のあと空港へ。午前2時過ぎのEmiratesで往路と同じ経路で帰路につきました。

多様に変化していく世界の変わりようから考えると、アカデミーの役割も多様な利害関係者の一つとしての意識がもっと高くなっていかないとちょっと物足りないように思いました。その点で英国のThe Royal Societyの報告書「Science as an Open Enterprize 2012」について、NatureのEditor-in―Chief Philip Campbell(彼もこの報告書の委員の一人です…)も参加した「非公式」セッションはなかなか良かったです。先駆的テーマについての報告書を次々と発表し、いろいろな形で世界へ広げようとするところが英国の科学者(政府も同様ですね、例えば「Stern Report」など…)の意識と行動力のすごいところです。 

ところで、今回の往復各24‐27時間の機内でみた映画で、私がよかったと思ったのは「Chasing Mavericks(米国) 」、「All About My Wife (韓国) 」でした。ビジネスクラスでもスクリーンは大きいし、ラインアップは沢山あるし、「Lincoln」(アカデミー主演男優賞、良かったですね)などはとっくに見ていますから。

しかし、往復とも成田-Dubai間がFirstでないので〝例のシャワー”体験ができなかったのが残念です。