日曜日の仙台、TEDxTohokuへ

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秋晴れのすがすがしい日曜日。朝から仙台へ出発。TEDxTohokuに参加です。

ImpactJapanは3年前からTEDxTokyoを主催していますが、チームのPatrick、Toddも久しぶり。今回の大震災を受けて、多くの若者が主催して、特別にTEDxTohokuとして開催されたものです。会場は仙台、東北大学の川内萩ホール。立派なホールです。

新幹線の中で、安倍元総理にばったりお会いしました。岩手の海岸のほうへ講演をかねてお出かけとのこと。「もし帰りがけに時間があれば、仙台にお寄りになり、チョッとお話しませんか?」とお誘いしましたが、いささか無理のようでした、当然ですね、でも残念。

それぞれの演者がすばらしい物語を語ってくださいました。これもライヴで皆さんUstreamで流しました。これらは、あとでネット上で皆さんも見れるようになると思います。皆さん「かたり」がお上手なのですね。特に、気仙沼のオイカワデニムの及川秀子女性社長さんと息子さん3人の話はとても胸を打たれる内容で、さらに話し方がトツトツとしてとてもよかったのです。最後は、Californiaから参加のIDEOのPaul Bennettさんの話。4つの動物のメタフォーで日本へのメッセージでした。パワポの具合がスムーズでなくてチョッと残念でした。

さすが杜の街、仙台。ホールの外は秋らしい天気でとても気持ちのよいものでした。レセプションに参加し、お先に退席し、東京へ。

多くの元気で、日本を災害の現場から変えようという若者との1日はとても楽しいものでした。

 

GOLDで、2つの基調講演

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建部博子さん(資料1)が主宰する第4回GOLD会議が東京のアメリカンクラブで開催されました。今年のテーマは ‘Turning Strategies into Action through 3Cs, Creativity, Collaboration and Connection’です。

基調講演は、オープニングが私、クロージングはアメリカのRoos大使夫人ということで、喜んでお受けしました。Roos夫人はご多忙にも関わらずわざわざ午前中の私のスピーチを聞きに会場までお越し下さり、大変恐縮しました。

私の講演のタイトルは ‘Turn Crisis into Opportunity: Time to Shape and Create New Generation Diversity’ (講演原稿はこちら)。皆さん喜んでくださったようです。講演を終えたあとはしばらくGRIPSの私のオフィスに戻りましたが、Roos夫人の講演 ‘Women’s Leadership: From ‘I can’t’ to ‘I will’ の時間にはもちろん会場に戻って拝聴しました。大変素晴らしいスピーチでした。

会場の80%は女性、しかも多くの外国の方々。皆さん熱心に聞いていらっしゃいましたが、これもGOLDの趣旨を思えば当然でしょう。会議全般の評判も良く、沢山の良いコメントを耳にしました。私のスピーチについてもポジティブな反応が多かったと聞き、とても嬉しかったです。

本当に良い一日でした。

 

 

講演やプレゼンする、打ち合せ会、研究会、講演会など続く

このところ、いろいろな会や委員会などで講演、プレゼン、などが続いています。

文部科学省、中央教育審議会で「グローバル人材」について、これも教育の実践で活躍している船橋 力さんと私がプレゼン。資料などは役所のサイトに出ますのでそのときにリンクします。この後、参加の方々と文部科学省の何人かと近所の安いところで夕食、ここで盛り上がりました。
別の日、「MOT」を推進する会 が発足記念とも言うべきなのでしょうか、元文部大臣の有馬朗人先生が会長をされ、今回、学術振興会の理事長に就任した元慶応義塾塾長の安西祐一郎さんが司会のパネルで、まず基調講演。これも「グローバル人材育成」です。続いて昭和女子大学長の坂東真理子さん、知る人ぞ知る渋谷教育学園長 の田村哲夫さんでした。

その後のパネルは政策通の林 芳正藤末健三両議員も参加して、だいぶ議論が盛り上がりました。しかし、日本はなかなか変われないですね、口では色々言っていますが、、。そこが、私の言っているところなのですが、、。それぞれが言っていること、提案していることを、難しいでしょうかど、どう実践するか、これが大事なのです。

ある夜は、南アフリカ大使館で、Groebler大使と日本の科学技術関係の方々(JST、CSTPなど国連大学や主要大学関係者)が集まって、南アフリカで100年ちょっと前に創設されたUniversity of Free States の研究科長Prof Stroebelをお迎えしたレセプションで、ご挨拶する機会をいただきました。ありがたいことです。前大使のNgubaneさんとは両国の子供の「スピーチコンテスト」 なども開催し、数年前にCape Town へも行きました。

来月、正式に大学院大学になる予定の沖縄科学技術大学院大学の学長になるJonathan Dorfanさん(資料1)も参加。この大学院は、2人の南アフリカ出身の科学者 Syndey Brennerさん(現理事長)とJonathan Dorfan学長におおいにお世話になっていることを、挨拶の最後にご紹介しました。

ある夜は、早稲田のスパコンのラボでも笠原博徳さんのプレゼンがあり、その会にも参加しました.。 私は日本のスパコンなどをめぐる問題、特に企業組織の課題についてコメントしました。院生のプレゼンにも問題あり、とも指摘して、学生さんたちを元気にする試みもしました。研究の成果はなかなか面白いものですが、時にプレゼンがいまいち、なのですね。学生たちもっと自信を持ってプレゼンするようにしてください。この辺は、日本の教育の共通する問題だろうと思います。多くの大学の環境では、学生がのびのびしていないように思います。

私もサポートしている「Learning for All」。これは米国発の素晴らしいプログラム「Teach for America」への段階のステップで、ここへ向けて大変苦労してがんばっているのです。1年半ほど立ちましたが、松田悠介くんをはじめとてもがんばっています。素晴らしい若者たちのグループに成長しています。が、日本の社会の景気などもあり、苦労しています。これは、将来の日本へ向かってとても意義のある、「1石3,4鳥」以上の効果のある素敵なプログラムです。企業、社会、大学などがもっと理解を示して欲しいものです、政府も言うまでもないことですが。

このような会でも感じることですが、「3.11」は、世界に向かって明確に日本の「強さと弱さ」(資料)をまる見えにしてしまいました。

皆さんそれぞれが、自分の言っている意見をどう実現へ行動するのか、はじめは小さい行動でいいのです。これが問われていると、つくづく感じます。

国連大学で、アフリカの高等教育と持続可能な開発

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国連Millennium Development Goals (MDGs)はご存知の方も多いと思います。

国連加盟国が2015年までに達成しようという意欲的な国際的な約束です。しかし、この10年の世界の激変は、国連がMDGsを始めた2000年頃に比べるとまったく違う局面に移行しつつあるといえます。

東京の青山にある国連大学で「International Symposium on the Role of Higher Education for Sustainable Development in Africa」が、10月13,14日にわたって開催されました。

私も世界科学者連合体(ICSU、IAP、IACなど)日本学術会議日本政府国連大学世界銀行などとこのテーマで、個人的にも、いくつかかかわってきました。その様な活動をご存知でのことでしょうが、私もKeynoteをするようにともお招きを受けたのです。しかし、ご存知のようにAbu Dhabi、Washington DCへの出張予定があったので、ご了解を得てビデオでメッセージを作っていただきました。

なんと、ビデオ取りの日にHideyo Noguchi African Prizeを受賞したKenyaのDr Miriam Were (資料1)が私のところへ来られることになったので、ご一緒にビデオをとり、国連大学の当日の参加者への「Surprise」としました。参加の皆さんには予想もしなかった、大きな、嬉しい「Surprise」だったと思います。国連大学の長尾先生 他の方達に感謝です。

国連大学のこの会議の報告資料1)でも、私のメッセージに触れています。うれしいことです。

このビデオ、いずれリンクしたいと思っています。

Steve Jobs特集と伝記出版

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 Bloomberg Newsweek TIME

Steve Jobs氏が亡くなって2週間が過ぎました。米国でNewsweek, Times, Bloombergなどの有数なWeekly magazineが彼の追悼特集を出したことは、20世紀後半でもJobs氏がそれだけ極めて傑出した人だったということでしょう。

特にNewsweekとBloombergは他の記事のない、全部がSteve Jobsのみの特別扱い、しかも広告もないのです。これはすごい扱いです。それだけ私達の社会を大きく変えた偉大な天才Artistという扱いでの追悼特集です。

Timesの頃からJobsとのお付き合いのあるWalter Isaacsonが、Timesの特集で付き合いのいきさつも書いていますが、彼の書く「Steve Jobs」の伝記が10月24日に出版されます。早速読んでみたい本、皆さんも本棚に入れておきたい一冊です。

Steve Jobsほど、私達の日常生活を、子供から大人まで、見える、触る、楽しむなど、色々な形で変えた人はいないでしょう。しかも、多くのファンのココロを掴まえて離さない、楽しい、うきうきした気持ちにさせながら、、。

Steve Jobs の生涯を短時間で、全体をまとめて想うにはこのビデオはいいよ。

 

 

Project Hope理事会でスピーチ、Washington DC

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東北再建支援で協力しているProject Hopeの理事会で、お礼のご挨拶とスピーチのためにAbu DhabiからWashington DCにきました。

Dubaiから早朝にWashington DCのDulles空港着。Mandarin Oriental Hotelへ。忙しく身支度を整えて、HGPIの乗竹くん、Project HopeのFred Garberさん(資料1)と合流して日本大使館へ、藤崎大使にご挨拶に向かいました。このProject Hopeと私達のImpact Japan - HGPIの作業は、「3.11」東北災害の後まもなく頂いたWashington DCの藤崎大使から私の携帯への電話から始まったのです。

大使館訪問の後、National Academy of Sciences、AAASの建物内にある、私も関与しているGlobal Knowledge Initiative へ。

Project Hopeの理事会は年4回ほど開催されるそうで、そのうちの2回はゲストをお招きして話をお聞きするのだそうです。Project Hopeは世界に展開する最大ともいえる災害医療チームですから、「どんな人たちがスピーチにきたのか?」と聞いたところ、最近では「James Jones 」だよ、といわれ気分としてチョッとあせりました。Jones氏はObama政権の安全保障の最高責任者National Security Advisorだったからです。また、Condoleezza Rice なども来たということです。

全部で40人ほど。カクテルのあとは同じテーブルの色々な方たちと話しながら、デザートの時間になり、Dr John Howeが私を紹介し、私の話しが始まります。私は20分ほど、東北の大災害とProject Hopeと藤崎大使と私達の活動、Operation Tomodachi、これからの計画、また日米関係の行方などについて話しました。ちょうど今年12月は「Pearl Harbor」から70年ですし、Washington DCの有名な桜の植樹から100年です。

いくつも質問が出て、盛り上がりました。あとで、Gerberさんから、「よかったよ、この理事会のスピーチで、こんなに質問がたくさん出ることはないのだけどね、、来てもらって本当によかった、、」と。

同じ時間にMandarin Oriental Hotel大会場では、訪米中の韓国Lee Mhung-Bak大統領歓迎会が開催されていました。こちらは多くの韓国の方達が集まっていたようで、夕方からロビーに、多くの嬉しそう、誇らしげな韓国の方達の長い列、大いに元気な様子でした。いいことですね。

Obama大統領も、Lee 大統領をState Visitの特別待遇 (資料1)でお迎えしたようですね。無理もないことです。うらやましいですね、この元気さは。勿論、問題はいくつもありますが。

韓国のお隣の日本は5年で6人の首相のありさまです、何をしたいのかさっぱりわかりませんし、大きなことは何の決断もできませんし、、、。 Lost Decadeは20年を過ぎ、EU, USに相当先行してはいますけど。

ちょうどその前の週にWashington DCでClinton国務長官がKeynote Remarksをされた、Daniel Inouye上院議員ほかが参加された日米の会議があったばかりですが、、、どんなものだったのでしょうか。

翌日は、朝早くからCSISとの共同Project  、そして11月にフクシマでの開催予定の会議など、今後の打ち合わせを済ませ、空港へ向かいました。

8日(土)の夜に成田空港出発、Abu DhabiとWashington DCでは一流ホテルで各一泊、機内で3泊して13日(木)成田着、という世界一周の旅でした。

機内ではよく眠りました。

 

GAC でAbu Dhabiへ、そしてWashington DC

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10日の夜、成田からAbu Dhabiへ、Etihadの直行便です。World Economic Forum主催のGlobal Agenda Councilへ参加です。この会議は過去3回、Dubaiで開催されています。Abu Dhabi行きの同じフライトに、この会議に日本から参加する方が何人もおられます。

Abu Dhabiに早朝に到着。10月7-9日に鈴鹿で開催されているF1 Formula Car Race (資料1)が11月に開催される会場のYAS Hotel にチェックイン。すごい施設。

会議は丸2日間に参加、会場はHotelに隣接したFormula 1の会場の一部の建物です。私は「Japan Council」のsub-Chairで出ずっぱりでしたが、Boston Consulting Groupの御立さんをはじめとした方達が、議論をうまくまとめてくれました。「3.11」からあまり発信できていない(何しろこの5年で6人の首相の国ですから、、)日本からの課題提供ですからつらいところで、皆さんとの討論に苦労しましたが、多くの方達といい議論が出来ました。

レセプションは、レースの直線コースを見下ろすRoyal Tower、UAEの首相はじめの首脳もこられました。

私は、2日目をフルに出席して、車でDubaiへ、そこから深夜の便でWashington DCへ向かいました。

とても、あわただしい2日でした。

Parisから京都へ。STS Forum参加

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秋晴れのパリを2日間楽しんで、10月2日(日)の朝、関西空港に到着。京都に向かいました。3日間のSTS Forum 資料1)に参加です。このSTS Forumnには第1回から参加しており、世界からの素晴らしい人たちの輪も広がります。何人か、素晴らしい方たちとお知り合いなりました。

今年はフクシマの件があり、はじめにエネルギー政策、原子力などのセッションが特別に扱われました。デイナーの時にはIAEAの天野事務局長の隣の席でしたので、色々お話が出来ました。

いくつも同時並行のセッションがあるので、私は教育のセッションを中心に参加しましたが、人間の行動変化(エネルギー、肥満など)ではパネルに登壇しました。

帰京して、4日夕方には何人かの政治家と夕食。翌朝はAmerican Hospital of Parisの関係者との朝食、午後はJETRO主催の講演会のパネルの司会を務めました。PanelistsはSTS Forum参加者の6人ですが、Ellis Rubinstein (NYAS、President)、Mohammad Hassan (TWAS Treasurer)、Risalia Arteaga (もとUquador大統領、女性)、Dr Annette Lraegelou (Leibniz Institute of New Materials)、Ananda Chakrabarty (Univ Illinois)、Sanwen Huang (Chinese Academy of Agricultural Sciences)。METI、 NEDO、JETROの方々の参加もあって、なかなか盛り上がった会になりました。

世界の仲間との議論は、勉強にもなりますし、いつも楽しいですね、

Steve Jobsが逝く、淋しい。。そして若い人たちへ

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世界の多くの人が、Appleを愛している。そのAppleを創造し、建て直し、Appleをこの数年で米国一番の価値ある企業したその人、Steve Jobsが逝ってしまった。

彼のStanford大学での歴史に残るスピーチにあるように、誰にでも必ず訪れる「死」。でも、これだけ、その死が世界中から惜しまれた人は極めて少ない。 (資料

Steve Jobs(50)  

若い人たち、君たちの将来には広い世界があるのだ。日本社会の常識にばかり気をとられている必要などないのだ。他の人たちと違っていることはいいことなのだ。

あなたたち一人ひとりが、情熱を燃やせるもが必ずある。それは心の中に潜んでいる、でもまだ見つからない、気が付かないのかもしれない。グローバル世界に広がる多様な社会にあって、日本で生活しているだけでは、見つからないのかも知れない。

若いときは2度とこない。広い世界に出てみよう、目的は何でもいいのだ、勉強でも何でも、とにかく違う世界へ行ってみることだ。1, 2週間、1, 2ヶ月、数ヶ月、何年間でも、とにかく広い世界の空気を吸ってくる、生活する、色々な人たちに会ってこよう。そこから、君たちの道が見えてくるかもしれない。いつか、後になって、それらの実体験が、「1つ1つのDots」になることに気が付くときがくる、必ず来る。

Steve Jobsの歴史に残るStanford大学での14分のスピーチを時々聞いてみよう。 私も時々聞いている。 実にいいスピーチだ。 とても感動的だ。今になっては涙も出るけど。

本当に素晴らしい人だったね。私たちの、子供たちの生活を、この10年もしない間にすっかり変えてしまった。

何しろ、2, 3歳の子供がテレビにタッチして、画面を動かそうとするぐらいなのだから。