わたしと読書 本から感動を得る喜び!

最近はTVやDVD、インターネットなど、様々なツールを使って情報を得ることができるようになっているが、本を読むということは大事なことだ。

私自身は、新聞の書評欄などを見て気になる本や、人から「この本は素晴らしかった」という話を聞くと、すぐに注文してしまう。そうした本が山積みになっているが、出張の時に飛行機の中やホテルで夜中に読んだりする。面白いとついつい眠るのも忘れて本に集中してしまうので、寝不足になる。

そうして読んだ本の中で特に「これは!」と思えるものは、この3年間は月刊誌『ウェッジ』(JR東海)の「読書漫遊」で5回にわたって紹介させてもらっている。1度に3冊を紹介するのだが、その3冊をセットとしてどういうストーリーで、何を伝えたいかと考えていくことも楽しみの一つになっている。

歴史物やフィクションなど様々なジャンルの本があるが、これはというジャンルがあるわけではない。

しかし、どちらかといえば好きなジャンルは近代史のノンフェクション。実際にいた人物が、何を考え、どの様に行動していったのか、その思想の背景や文明史を学ぶことは意義があることだと思う。歴史を学ぶことは、過去を知るだけでなく、そこから現在を見つめることでもあり、そこを通して将来を見通して行く思考過程になるからだ。

最近読んで面白かったいくつかの本を紹介すると、立花隆の『滅びゆく国家―日本はどこへ向かうのか』、ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊―滅亡と存続の命運を分けるもの』、太田尚樹『満州裏史-甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』、星亮一『山川健次郎伝-白虎隊士から帝大総長へ』、M.K.シャルマ、山田和『喪失の国、インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」』、岸宣仁『ゲノム敗北―知財立国日本が危ない!』、中島岳志『中村屋のボースーインド独立運動と近代日本のアジア主義』、細谷雄一『大英帝国の外交官』等々。

このような歴史や、人物の生き様、外から見た日本とかは、実に面白い。そのように本に感動し、何かを考え、感じ取ることができれば幸せだ。

出典: 社団法人自然科学書協会 会報 2006 No.3 東京国際ブックフェア特集号

南アフリカ、ザンビア、日本の若者たちの交流

南アフリカ共和国、ザンビア、そして日本の若者による第1回スピーチコンテストが開催されました。今年2月に発表され、審査を経て受賞した9人の若者の表彰式を学術会議の講堂で行ないました。

日本からも多数の応募があり、それぞれの国から3人ずつ選ばれました。日本からは14歳と17歳、そして21歳の女子学生が選ばれ、南アフリカからは13歳と15歳の女子学生と27歳の男子学生、ザンビアからは17歳と20歳、23歳の男子学生が選ばれました。南アフリカからは最多の77の応募があったそうです。どれもすばらしい発表でした。南アフリカ大使、ザンビアの大臣、サハラ以南アフリカ大使等も参加され、すばらしい授賞式となりました。受賞した若者は、日本に1週間そしてアフリカへも1週間の予定で訪問します。

まだ小さいプログラムですが、あと何年か後には大きくなってくる日本とアフリカの交流の小さな基礎になってくれることを期待しています。

18日にもチュニジア大使とお会いしましたし、6月はケニアにも行っていました。このところ本当にアフリカ続きです。

 

「ブラックジャックたち」、そして医師を育てる

いつも言っていることですが、人材育成は国の根幹です。私自身、日米で医師としてのキャリアを形成する上で周りの人々にとても恵まれ、UCLA医学部と東京大学医学部では内科教授をさせてもらったし、東海大学では医学部長をする機会を得ました。どこにでも優れた人達がいる、この人達を広く若者達に知ってもらうのも私の仕事と考えています。また、若い人達でもすばらしい可能性を秘めた人達がいる。その人達にできるだけ機会を与えることが、教師の仕事と考えています。事実、できるだけその原則で行動してきたつもりです。

朝日新聞で田辺功氏の取材による「ブラックジャックたち」という優れた医師の紹介記事が15回にわたって掲載されました。その最終回に沖縄の宮城征四郎先生、アイオワ大学の木村健先生と共に紹介されました。ご覧になった方も多いかもしれませんが、ありがたいことです。お二人とも本当にすばらしい方で、皆さんにもっともっと知って頂きたい方達です。

医学生の方も研修医の方も、広く「外」の世界を見なさい。たくさんの人達に出会いなさい。そして自分の目標、お手本を見つけることです。そしてその目標へまっしぐらに向かえれば幸せですよ。

なかなか目標になる様な人には出会えないと思っていませんか?そんなことはありません。

読売ウィークリーで紹介されました。

読売ウィークリーで紹介されました。

医師不足で病棟閉鎖も・・・ 医局制の揺らぎで医療大混乱

「白い巨塔」の象徴とされた医局制度。教授を頂点とする権力構造は多くの弊善が批判され、医局を廃止する方向は世の趨勢といえる。しかし、その過濃期にあって現場の医療が混乱をきたじている。医師不足のため、満足な医療行為ができなくなる病院が続出しているのだ。(ジャーナリスト 上野 玲)

地域の有力病院で医師が足りなくなり、病棟の一部を閉鎖するという異常事態が、今年4月に起こった。千葉県の組合立国保成東病院で、勤務する内科医が開業や転職などのため、9人中7人が辞めてしまい、補充が難しくなったのだ。そのため、救急医療や、新規の入院受け入れを制限せざるを得なくなり、近隣の住民からは不安の声が上がった。「この病院には、これまで、千葉大学で研修した医師を紹介していたのですが、千葉大学としても、医師の不足により余裕がなくなって、要請に応えられなくなった」と、千葉大学医学部附属病院長・齋藤康教授は困惑した表情で説明する。だが、こうしたケースは、この病院だけではない。ここ数年、多くの地方病院が、医師不足で悲鳴を上げている現実がある。

「任意組織」にすぎない医局
その根底に横たわっているのは、徐々に表面化してきた医局制度の揺らぎである。明治時代に大学医学部が創設されて以来、連綿と続いてきた医局制度に何が起きているのか。
日本では、医学部を卒業して、医師免許を取ると、自動的に大学病院の医局に属する。それが当たり前のことだった。
この制度には法的な根拠はなく、「いわば各科の任意組織的な存在」(前出・齋藤病院長)に過ぎない。それにもかかわらず「教授を頂点としたピラミッド形式の人事体制を堅固につくつてきた。教授は絶対の権力を振るい、大学内の昇進や研究費の配分、そして関連病院への医師派遣の権限を握る。
当然、そうした独占的な形態は弊害を生みやすい。山崎豊子氏の小説『白い巨塔』は、その「象牙の塔」で繰り広げられる、生々しい医師たちの実態が描かれている。
最近になって、そのような患者不在の医療システムに対する批判が相次ぎ、医局制度を見直す大学が現れだした。青森県の弘前大学では、マスコミから不透明な資金流入を指摘され、2003年に医局制度を廃止した。その結果、大学内の透明度は高まった。だが、その一方で、「思わぬマイナス面もあった」と語るのは、弘前大学医学部の新川秀一教授だ。「かつては僻地への医師派遣は、講座や診療科の方針に従って行われていましたが、(医局制度がなくなった)今は、個人の意思を尊重しなければならず、僻地の医師確保が困難になっています。それは大学に残らず「大都市圏の病院に就職する医師が増えたから。この傾向は今後、ますます強くなっていくでしょう」
また、04年度から始まった医師臨床研修制度が、医師の大学離れに拍車をかけたと指摘する医師もいる。この制度は、出身大学にとらわれることなく、研修先の病院を、研修医が自己判断で選び、2年間にわたって各科を順番に回って研修するというもの。この制度の導入前に大学に残っていた研修医の割合が72・66%だったのに対して、導入後は5倍以下にまで減少してしまったという。
05年に厚生労働省が実施した研修医に対するアンケート調査でも、研修先の病院を決めた理由として、「症例が多い」として一般の稔合病院を選んだのが40・4%だったのに比べて、大学病院は18・9%にとどまっている。大学に残る研修医が減れば、地方病院へ派遣する余裕はなくなる。
もちろん、研修医が地方の総合病院を望めばいいのだが、「その希望は、患者数が多く、最先端医療を行っている大都市圏の有名病院に集中しています。大学病院や地方の平凡な病院は人気がなく、ここでも二極化が進んでいる」と、ある国立大学の医学部教授は、ため息を漏らす。
そうした研修医の意識が複雑に重なり合い、医師不足が各地で深刻化していると考えられる。

第三者機関の審議で医師を派遣
では、医局制度はこのまま、なし崩し的に消滅してしまうのだろうか。弘前大学だけでなく、群馬大学、東海大学などでも医局は廃止されており、その他の大学でも教授の意向を押しつけるような医局は減りつつある。元東海大学医学部長で、現在は日本学術会議会長の黒川清氏は、東海大学時代から、医局制度の見直しを唱えてきた。「社会背景の変化とともに、医師の養成システムも変わっていかなければならないが、同じ大学の空気しか吸っていない純粋培養は時代にそぐわず、多様な社会の要請に対応できない。医局にこだわらず、医師を他の大学や市中病院で育てて“混ぜる”ことにより、違う価値観、違う方法論を学び、知・心・技を備えた質の良い、順応性のある医師が生まれると思います。そのためには医学部教育を根本から変えていかなければいけない」
例えば、アメリカ、カナダのように4年間は一般の大学生と同じカリキュラムで勉強する。さらに、一度社会に出た人や、他大学の出身者も交ざって、4年間のメディカルスクールに進むのが、これからの方向だ。そして、その課程を修了した者には、医学博士の資格を授与する。就職先も出身大学だけではなく、募集のある大学や病院を自由に選ばせる。その後は、専門医、家庭医、研究医など多様なキャリアを目指すのがよいとされている。「このようなシステムによって、医師の(知・心・技という)普遍性が高まり、結果的に医学の質が上がるでしょう」(黒川氏)
こうした意見がある一方で、現行の医局制度を刷新したうえで残すべきだという意見もある。
山形大学医学部長の嘉山孝正教授は、医局制度の必要性を主張する代表的な人物だ。「山形大学でも旧弊な医局制度が残っていましたが、それを根本的に変えるシステムに取り組んできた。不透明な資金の流れは一切なくし、医師の派遣に関しても、民間人を含む第三者機関をつくり、そこで審議をして、県内の病院に適正配置するようにしたのです」
医局の長である教授の意向だけで医師派遣が行われる弊害を一掃したというのだ。医局制度の必要性については、「医師はいうなれば職人で、そのため徒弟制度的な部分が重要です。優秀な先輩の手技を若い医師が学んで成長していく―これがなくなってしまうと、マニュアル通りにしか診療ができない医師ばかりになってしまい、医療の質が下がってしまう危険性があります」(嘉山教授)。
医局制度の改革によって、山形大学医学部附属病院は患者の満足度全国一という快挙を達成した。「要は医局をどう運営していくかが問題。すべては医局の頂点に立つ教授次第です。その教授が素晴らしければ、医局はそのメリットを最大限に発揮するでしょうし、旧態依然の封建的運営しかできない教授の医局は自然淘汰されていくでしょうね」(嘉山教授)
医局をめぐる議論は、それぞれ一理あるように思える。少なくとも、山崎豊子氏が描いた「象牙の塔」は、もはや時代遅れだということはできるだろう。患者側の立場からいっても、冒頭に挙げた例のように、病院から医師がいなくなるという事態を招かないために、医局の変化が望まれるのは当然だ。

この先は、「読売ウイークリー(2006年6月4日号)を参照してください。

マサイ・マラから、「ジャンボ!」

ナイロビの仕事が終わり、せっかくここまで来たので、ケニアの大草原、マサイ・マラ国立公園に足を運びました。テレビなどで見たことがあると思いますが、ヌーの大移動などで有名な場所です。あと3、4週間ほどするとヌーとシマウマが大挙して南のタンザニアのセレンゲッティ草原からマサイ・マラへ移動を開始するそうです。そして、ここを流れてヴィクトリア湖へと注ぐマラ川を渡るのですが、それをワニが待ち構えており、またこれらの草食動物を追ってライオンなどもたくさん来ます。自然の偉大な営みですね。

この辺のケニア・タンザニア一帯はマサイ族の土地です。
到着した午後の3時間と、翌日の朝から6時間ほどサファリに行きました。サイ、ゾウ、キリン、チータ、ガゼル、水牛、カバ、ワニ、ハイエナ、ジャッカル、ダチョウ等々、たくさん見られました。動物園とはまた違っていていいですね。多くの子どもたちに見せたいです。自然はすばらしいです。時間がゆっくりと流れ、毎日の生活の忙しさがばかげてきます。何のためにワサワサしているのかと。もっと自然に近い生活でないと“不自然”ですね、本当に。

この東アフリカはヒトが出現した場所です。なんとなく、「なるほど、草原だな」とか「どんなだったのかな」なんて、しばし感慨に。いろいろ本もあるし、http://sapporo.cool.ne.jp/jpnam/sosen.htmlのようなサイトもあります。自分で見つけて楽しんでください。ダイアモンドの「銃、病原菌、鉄」とか、Rサイクスの「7人のイヴの娘」などの本を思い出しました。

今回私は日本人が経営するMpata Safari Clubに宿泊しました。なかなか素敵なロッジです。日本人旅行者のお客さんが多く、新婚旅行組あり、シルバー系ありでした。見晴らしもすばらしく、なかなかよかったです。ちょうどここで結婚式を挙げている場面にも遭遇しました。私のサファリは2組の新婚さんと一緒でちょっとお邪魔でしたね、何しろこちらは一人ですし。

お客さん担当が日本人の若い女性で、アメリカの大学でツーリズムを勉強し、アフリカが好きでここで働いているそうです。ここの人たちはみんないい人たちで好きですと言っていました。私も何日かケニアに滞在して本当にそう思いました。スワヒリ語と英語が共通語で、みんな「ジャンボ」(こんにちは)と言うのです。

ケニアの1週間で感じたことは、世界は本当に広いのだから、若い時には広い世界へ出てみるべき、生活してみるべきだということです。スラムへ行ってみるのも良し、“ニート”なんて言っていてはもったいない。あなた達を待っている人達も、機会も、たくさんあるのです。みんなが将来へ向けて、それぞれできることがいっぱいあるのです。ケニアのマータイ氏(2004年ノーベル平和賞受賞者)ではないですが、「もったいない」ですよ。