米国式 症例プレゼンテーションが劇的に上手くなる方法

Book040818

米国式症例プレゼンテーションが劇的に上手くなる方法
-病歴・身体所見の取り方から診療録の記載,症例呈示までの実践テクニック

岸本 暢将 (編集)

いよいよ臨床研修が必修化される。新しい研修医も指導医も期待と不安にその日の来るのを待っている。特に大学病院では従来と違って、他の大学卒業生も多く、このシステムが相互評価の第1歩と考えると、「他流試合」を通じたこれからの教育(卒業生を他大学や病院で評価される)と研修(他大学や病院からの卒業生に評価される)という点で、これからの医師の育成に期待できるシステムといえる。人間は言葉で相互理解を進める能力を獲得している点で、ほかの種とは際立って違うのである。では、臨床教育、研修の要点は何か。まず、「症例プレゼンテーション(プレゼン)」である。自分の担当した症例をカンファレンスで、回診で、また電話でのコンサルテーションで、どこでも明確に、要点を抑えて、呈示することが相互の理解と討論の始まりであり、優れた教育の第1歩であろう。この方式で初めて「考える」能力が育成され、プレゼンのプロセスでより適正な診断仮説を構築し、検査の理由が理解でき、治療戦略への共同作業が始まるのである。このような対話こそが医師としての「頭の運動」とスキル向上へのきわめて効果的で、必須の方策である。

この本の著者は、いまや人気抜群の沖縄県立中部病院で臨床研修を終えた後、ハワイ大学での内科レジデント、さらに今年からニューヨーク大学でのリウマチのフェローを予定される新進気鋭の医師である。先日も、きわめて具体的でわかりやすいアメリカでの臨床研修への手引きの書『アメリカ臨床留学大作戦』(羊土社)を上梓し、大変な好評を得ている。何しろ、これも自身の体験を明確に記載して、しかも痒いところに手の届くような具体的な記述がすばらしい「How to」ものになっている。協力された先生たちのご努力にも感謝したい。

新患のプレゼンは通常5分、せいぜい7分で終わらないと、失格である。フォローアップの症例のプレゼンは1~2分。新患では、現病歴から始まり、これに関係して意味があると担当医が考える既往歴、家族歴、職業、社会活動などが述べられる。そして身体所見。「positive findings」ばかりでなく、「pertinent negative」について一言、二言入れないと、担当医が何を考えているのか、聞き手に何を考えているのか理解されにくい。ここではじめて基本ラボデータとなる。プレゼンする人と聞き手の知的対話であり、腕を見せ合う「格闘技」なのである。相互評価の基本である。だからこそ楽しいのであり、お互いに「生き生き」とプレゼンを通して意見を交換する。プレゼンに知的刺激を受けないのであれば、ただ疲れるだけであろう。

皆さんにもおなじみかもしれない日本びいきのTierney先生の言葉「病歴と身体所見だけで疾患の診断は8割方つく」も引用されている。翻って日本ではどうか。B4判にぎっしり書かれたコピーが配布され、だらだらとプレゼンし、ずらずらと検査成績、画像を並べてはいないか。第一、いまだ主訴の後に、「既往歴、家族歴、現病歴」と並べるプレゼンがあるのだからあきれる。これが学会の症例呈示にもまだまだ見られるのだから、どんな教授か、なんという教室か、どんな教育を受けているのか、悲しくなる。まず「集めた情報をどう分析し、どう呈示するか」これが腕の見せ所なのである。「SOAP」でプレゼンするが、まず「Opening Statementと主訴」でパチンと始まる。楽しいねえ。これが臨床の醍醐味なのです。ところが、これを身をもって理解し、「やって見せ」られる先生が少ないところに悲しい現実があるのではないでしょうか。だから学生にも研修医にも理解が難しいのです。

しかしそんなことは言っていられない。プレゼンはくり返し練習し、上手い人のを真似するのが一番。「真似」をする、そして、失敗は上手くなる糧です。先日、町淳二先生(ハワイ大学外科)、児島邦明先生(順天堂大学外科)のカンファレンスのあり方について書かれた本『米国式Problem-Based Conference-問題解決、自己学習能力を高める医学教育・卒後研修ガイド』(医学書院)が出たが、同じようにこれは理屈ではなく、実践なのだ。「習うより慣れろ」なのだ。だからこそできるだけ多くの人と接して自分なりのプレゼンを練習し、構築していくしかない。テニスでもいくら本を読んで、ビデオを見ていても、上手くはならない。実際にラケットで球を打ってみて、コートに出てみて、また本を読む、ビデオを見る。またコートに出る。コーチにつく。これですね、プレゼンは。型から入る、習い事なのです。また、この本は実に多くの細かい配慮がされている。各章のタイトルを見ただけで、わくわくしませんか? しかし、早くよい先生に会わないといけませんね。この本を参考にしながら、恥もかくのも上達の道、と心得てぜひ読んで、お互いに実践してください。本当にわかりやすくて、親切で、具体的で、著者の実体験の苦労がにじみ出て、すばらしい「お習い事のお手本」です。真似しましょう。そして、皆さん、すばらしい研修を、診療を、そして指導をお願いします。

津田梅子とTH Morganの1894年の論文を読む

3月15日のブログで紹介した津田塾大学創立者の津田梅子さんは、皆さんご存知のとおり、近代日本女子教育の偉大なる貢献者です。明治初頭の岩倉使節団に参加した女性5人の内の一人で、当時7歳(8歳という説もある。誰か本当のことを教えてください)。11年後に帰国し、その後、再度渡米。Philadelphia郊外の女子大学Brym Mawrで学び、帰国後、津田塾大学を創設する事になります。

以前、津田梅子さんのことを書いた本も紹介しました(『津田梅子』 大庭みな子著 朝日新聞社 1993年発行)。その中で津田さんがTH Morgan先生と蛙の卵についての論文を書いた事を紹介しましたが、この論文のコピーを手に入れて読んでみました。『TH Morgan and Ume Tsuda; The Orientation of the Frog’s Egg, Quarterly Journal of Microscopic Science, vol 35, New Series, p373-405,1894.』というもので、108年前に書かれた論文です。感激しますね。蛙の卵の発生についての注意深い観察の記述、図が合計45枚もあります。1893年に投稿された論文で、5つのセクションから構成されています。第2章(これと第3章が論文の実験の部分)が津田さんの1891~1892年(明治24~25年)の冬の仕事であり、1892年の春に書かれ、投稿に際して「ちょっとしか変えてない(’Only very slight alterations have been made’)」と書かれています。当時の津田梅子の所属は“Teacher in the Peeress’ School, Tokio, Japan”となっています。これについても誰か知っていましたら教えてください。

ところで、当時Associate Professor of BiologyであったTH Morganは、その後Columbia Universityに移り、ショウジョウバエで遺伝と染色体について突然変異と染色体の関係の研究を精力的に進め、1933年にNobel賞を受賞しました。何しろ染色体の遺伝子の座の所属する場所を示す単位が“Morgan”ですからね。彼の仕事の偉大さについては最近出版された、Y遺伝子について書かれている『アダムの呪い』(ブライアン・サイクス著、大野晶子訳。ソニーマガジンズ、2004年)を読んでみてください。非常に面白い本です。もうすこし学術的な話に興味のある人は、http://nobelprize.org/がお薦めです。

http://nobelprize.org/にはノーベル賞受賞者について様々なことが書いてあります。特に受賞者の自叙伝、受賞講演はお勧めです。非常に明示的であり感動的でもあります。若い研究者には大いに参考になるでしょう。もっとも研究の本質に感性のない人には「猫に小判」でしょうけどね。ここでもっとMogan先生のことを知ることができるでしょう。

2004年8月

高血圧と糖尿病フォーラム(大阪)
日程: 2004年8月7日(土)
会場: 帝国ホテル大阪 本館3階「孔雀の間」
演題: 「糖尿病合併高血圧の治療が変わる」

横浜倉庫講演
日程: 2004年8月23日(月)
会場: 横浜倉庫(株)ヨコソーレインボータワー13階
演題: 「21世紀の日本の課題」