昨今の医療費自己負担の増加等の議論を聞いていると
いかに医療制度の本質に関わる論点が抜けているかが、
よく理解されるのではないでしょうか
セッションのオリジナルタイトル/Healthcare System and Healthcare Economy
■これからは「セーフティネット+選択」の医療制度の導入を
井伊:
社会保障の面としての保険はなくしてはいけないので、それは守らなければいけない。どこまで社会保障としてみるのか。今みたいにすべて公的な保険でカバーしようとするとどうしても無理がありますよね。だから民間の保険をうまく導入しないと。
経済学で adverse selection=逆選択という考え方があるんです。例えば遺伝子治療みたいなものがあって、自分が病気になる確率が低いとわかった人は保険に入らないし、入る人は自分にいろいろな危険因子がある人でしょうし。だから全部私的にしてしまうと医療保険っていうのは成り立たない。公的保険は病気になる要因に関係なく、所得に関係なく、強制的に保険に加入させられる。それにプラスもっと選択できるような部分が必要。
黒川:
公的な保険で「自己負担は10%のままでいたい」という人は公的な病院に入ったら? 例えばフランスだったら公的な病院はお金がかからない。だけどサービスとかアメニティとかいろんな面でよくない。そのかわりプライバシーがあって、アメニティがあって、個室がいいというのだったら、自分で一部お金を払う。「そのために私的保険に入っておいてもいいですよ」というのはどう? 選択肢をあげる。
――:
最低ラインは保障されているんだったら。
黒川:
だけど個室はない。
――:
井伊先生のデータか何かで、保険医療における軽医療と重医療で価格弾力性を出したものってあるんですか?
井伊:
価格弾力性をはかるときに、アメリカみたいに民間保険で価格の差があるといいのですが、日本はあまり価格差がないですから。軽医療ではどうして研究ができたかというと、風邪などの軽い疾病は代替財があったので。みんな風邪をひいたときにどうしようかなと考えて、「家でおとなしくしているか」「大衆薬を買うか」とか、やっぱり病院に行こうという場合は、「大学病院に行くか」「近くのクリニックに行くか」と、選択をしている分野なので価格弾力性をはかれるんです。でも、重症のときにはとにかく病院に行かなくてはいけないので、たぶん価格弾力性は低い。
――:
医療費を考えると重医療を減らすことを考えずに、軽医療をどうするかを考えたほうがいいんですよね。
井伊:
公的保険の改革の一つの案としては、風邪など軽い病気のときは自己負担を大きくする。だけどそういうときに気軽にお医者さんに行けなくなるような制度改革をすると、日本の医療の良さが失われると反対する人がいます。それに、単なる風邪とか腹痛と思っていたのに、実は非常に重症な病気の前兆かもしれない。自分の身体のことは本当に重症だったらわかるのではないかと思うのですが。
黒川:
いや、それはなかなかわからない。だけどね、それが大きな病気の前兆だった場合、その確率が1%でも、その1%のために検査するのか。その1%を見過ごしたから、「CTをやらなかったんじゃないか」とか。だからお医者さんのクオリティがすごく大事なんです。イギリスではお医者さんの臨床技術が非常にしっかりしていて、ナショナル・ヘルス・サービスという公的健康保険制度で、みんなが主治医を持つ。そして主治医は「なるべく病気を出さないように」というプライマリーケアじゃないけど、そういうインセンティブが普段からある。そこのお医者さんの紹介がないと病院に行けないんです。自分で病院や専門医に行ってもいいけど、「それは自分で払ってください」って、そういうインセンティブが患者さんにもあるんだよ。
日本の場合はインセンティブがないから、具合悪いなというとすぐ近所の医者に行く。そこではちょっとした話だけ聞いて、薬もちょっともらったりして。でも検査をしてくれないから、次の日にほかの病院に行ってみる。そこでは検査をしてくれて、薬もくれたけど3日してもよくならないからまた次の病院に行って、またたくさん検査をして、前の病院と同じ薬をたくさんもらう。で同じ薬だから捨てちゃう。それってどうする? 選ぶほうもインセンティブがないから、ぽんぽん渡り歩いて、それまでの情報は次のお医者さんに全然いかない。それをどうするか、というのはあるね。
お医者さんも一所懸命頑張る。自分はものすごくハードに仕事をしているのに、サボっている人と給料が同じだったらやってられない。これどうするの? 両方に「よし選ぼう」というインセンティブがない。それでも今までは成り立っていた。だからちょっと困った問題だなと思って、今回、井伊先生にお話をうかがった。
「初診には30分の時間をとります。その代わり30分の時間の拘束量だけお金をもらいます」ということで、例えば2万円でその先生が30分診てくれるっていうのは悪くないんじゃない。その代わり待たせない。ちゃんと30分とってくれる。10分で終わりそうだったら、「私、20分残ってるじゃない!」って言って、「お医者さんの時間を買う」というのもいいかもしれないよ。
井伊:
知り合いの女医さんが、大阪で1時間1万円で完全予約制のレディースクリニックをやっているのですが、ある患者さんが10何年も他の病院でわからなかったことが、じっくり話していくうちに「内分泌系の症状だ」ってわかったそうです。心療内科的な部分もあるらしいんですけど、けっこうそれで成り立っている。たぶんこれから働く女性も増えてくると「1カ月に1回30分1万円で、じっくり話を聞いてもらいたい」という人と、「自分は必要最小限の医療でいい」という人と、いろいろあると思うので、「みんなが均一」というのも無理があるかな。
そう考えると最初のテーマの医療費30兆円は多いか少ないかというときに、私の祖母に使ったような医療は無駄だと思うんです。でも今、医療過誤が増えているとか、看護婦さんの数が少ないとか問題があるから、そういうところにはもっと医療費をまわす。「価格の役割」というのは適切に資源の配分をすることなのに、今はそういうこともされてないので、無駄なところもあるし、でも全然足りないところもある。そういうことがあるから、さっきみんなが答えられなかったような気がします。
――:
井伊先生は、基本的に自由化の方向で、医療産業そのものを何かと比べたりする方向でしょうか?
井伊:
アメリカみたいにすると行き過ぎるところもありますが、日本はあまりに社会主義的な制度なので、最低限、社会保障的なところは確保した上で、もうちょっと競争の原理を導入するともっとよくなるのではないかしら。
――:
具体的に先生が持っていらっしゃる応用的なモデルというのは、やはりアメリカのものですか? 例えばHMOとかの導入ですか? アメリカではHMOという保険機関があるわけで、お金を払うとHMOのデータも手に入るので問題点が指摘されています。具体的にどの患者がどこのHMOと契約をするか、医師がどれだけ報酬をもらうか。国民がHMOを選ぶ、という事態にもなっている。
実際に、「自分は大丈夫だから」ということでHMOの機関に加入していない人がアメリカにはたくさんいる。その人たちは自分が病気になってもお金を払えるという自信がある。また一方で万人に対する公的な医療、ご存じのようにメディケア、メディケイドというシステムがあります。メディケアは基本的に高齢者が入って、メディケイドはさらにそういう人の中でも医療費を払うことができない低所得者のためのプログラムですよね。
先生の資料を読んで思ったのですが、先生の持っていらっしゃるビジョンの中でなんらかのセーフティネットはないのでしょうか?
井伊:
基本的には公的な皆的保険というのを残して。ただ、今はあまりにも寛容的すぎるので・・・。
黒川:
だから二階建てだよ。「ある程度は公的に全部やる。その上の部分は自分たちで選択できる」というようにする。プライベートの医者を使いたい人は使えばいいし、そうじゃなければ、さっき言ったみたいに全部公的部分のみで面倒を見てくれる国公立にする。でも個室がほしい、○○もしてほしいというときには、「その分は高い」という私立を選んでもいいっていうチョイスが、今の制度にはない。
井伊:
どうしても新聞などでは、医療改革によって「金持ち優遇」になるって言われますが、昔みたいに感染症が主だった頃とは違って、今は多くの病気は個人の生活が反映されている。介護もそうだと思うんですけど、医療っていうのもすごく特殊なサービスだとは言えないと思うんです。例えばお金をかけてきれいになりたいと思う人もいれば、そこそこにと思う人もいる。だけど医療のときは「平等に」と言われますよね。もちろん本来私たちが思っている医療もある。そこは公的保険でカバーするべきだと思うんですけど、選択する側面もないと。
黒川:
お医者さんのほうだって選択されてない。研修医の初診料も、教授の初診料も同じだし、腕が良くても、そうじゃなくても同じ。お医者さんがいろんなところで、いろんな人と混ざりながらトレーニングをしていれば、誰がどの程度なのかわかるじゃない。でも今の日本ではわからない。卒業した医局の先生たちしか見てないから。それに上に言われたことをやっているだけだから、それが本当にいいかどうかわからない。もちろんお医者さんのほうとしては、「できるだけ標準化した人を作りますよ」と社会にアピールしなくちゃならないと思うんだけど。
アメリカでは専門医のトレーニングを受けた人は「それだけの価値があるから」っていって、専門医に患者さんを紹介してくるのはお医者さんなんだから。「内科の専門医に診てもらいたい」といって、ほかのお医者さんが紹介してくる。それでその紹介された専門医は、ちゃんとその患者さんの診察のために時間をとる。私は腎臓の専門医だから他の内科医とかが紹介してくるんだよ。だから患者さんだけでなく、紹介してくれるプロのお医者さんを相手にしてるわけ。へんなことをしたら次から紹介してもらえない。ほかにいくらでも競争相手がいるから。それで評価されれば、また患者さんを送ってくる。だけど日本ではそのように開かれて評価されるメカニズムがない。
井伊:
イギリスはどうなんでしょうか?
黒川:
イギリスはそれぞれの専門医の数を国が決めているから、ある先生が死ぬか引退しない限り専門医になれない。例えば腎臓や循環器の専門医になろうと思っても、なれない。国で人数決まってるから。だから専門医になれない人たちはアメリカに行ったりする。専門医はどこにでもいるわけじゃない。全国で数が決まっている。だからイギリスでは大部分の医師はナショナル・ヘルス・サービスの下でプライマリーケアをがっちりやる。それがいやな人たちは個人的に患者さんを診ることだけする。そういうところでは患者さんは自分でお金を払わなければならない。医師が個人で患者さんを集められるのは、お医者さんの中でも相当有名な人です。数は少ないけど。
――:
基本的な質問かもしれませんが、セーフティネットを引くときに、ある程度資本主義的な「権利」みたいなものも必要ですが、セーフティネットとエキストラの境はどこになるのでしょうか?
井伊:
延命治療のときに年齢で線引きをすることはないと思うんですけど、今言われているのは、EBMで、例えば「盲腸の手術だったら8万円ぐらいでできる」とか、そういうスタンダーダイズをすることですね。「ここまではセーフティネットでカバーする」というような形になるのではないでしょうかね。
黒川:
セーフティネットは「スタンダードな治療はします」と。国公立の病院でも重症だったら個室にするけど、ただしアメニティとかはあまりよくないかもしれない。だけどプライベートのところに行けば看護婦さんもたくさんいるしアメニティもいい。がん保険なんかあるじゃない。あれは自分で買う私的保険です。だれも強制していない。もし病気になったらどうする? 差額は払えるかな? もし民間保険に入らなかったら貯金をおろすかな? それがいやだったらセーフティネットに移ろうかな? というチョイスもある。そうしたらどう? でもセーフティネットにしたからって、医療のレベルが格段に下がるわけじゃないよ。
――:
今、話をしている内容はすごく豊かな人たちのことなのでしょうか? 個室にしたりするってことは?
黒川:
いや、そんなことはない。チョイスをあげるということ。今の保険制度は、特に金銭的に余裕はないのに「病気になったらビジネスホテルはいやだ。帝国ホテルにしてもらいたい」と言っているようなものだ。それはどうする?
――:
イギリスにはそういう制度があるみたいなんですが、イギリスにいる知人のお母さんの話なんですが、具合が悪くなって公的な病院に行ったら、「すぐ手術が必要だ」と言われたけれど半年先まで予約がいっぱいで、でもプライベートの病院は高くて行けなかったんです。それで結局亡くなってしまったんですが・・・。
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Exposition:
- 逆選択(adverse selection)
買い手が商品の品質を区別できず、よい商品にも悪い商品にも同じ値段がついてしまう時、よい商品を持っている売り手が売ることを止めてしまうために、市場に悪い商品しか流通しなくなってしまうこと。ここでは健康な人も病気がちな人も保険料が同じになるために、健康な人が保険を買いたくなくなってしまうことをいう。 - CT(computed tomography)
コンピューターを利用して、画像を再構成することにより人体内部の横断面を鮮明に得られる医療装置。最近ヘリカルあるいはスパイラルCTと呼ばれる高速CTが普及しはじめている。このCT装置はX線管球を連続回転させながら寝台も同時に移動させて撮像を行う。画像が薄いスライスで得られるので人体の三次元表示ができ臨床で有用な情報が提供されている。 - 内分泌系
血液中にホルモンを分泌する脳下垂体、副腎や甲状腺などの器官とホルモンにより調節される系を指す。 - 心療内科
心身症を扱う内科の一部。心理的側面から、内科的アプローチで診断と治療に当たる。 - メディケア
65歳以上の高齢者などを対象とするアメリカの公的医療保険制度。 - メディケイド
低所得者や身体障害者を対象とするアメリカの公的医療保険制度。
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