「医学生のお勉強」 Chapter5:医療事故(4)

医療事故では皆が loser〔敗者〕であり、winner〔勝者〕はいません
セッションのオリジナルタイトル/Patient Safety and Medical Accidents

 

■情報とリスクを共有して、パートナーシップの医療をしよう

――:
夏の間はみんなそれぞれに病院研修をやったと思うんですが、それは非常に素晴らしい体験だったと思ってます。
私のことを担当してくださった看護婦さんはすごく仕事に一生懸命だったのですが、実はある患者さんに輸液をする直前に輸液300mlを500mlと間違えていることに気がついて、「これはいけない」ってことでけっこう慌てていたことが一度あったんです。「婦長に報告する」って言っていましたけど。

――:
朝のミーティングで、その看護婦さんは自分のミスを発表して謝っていたんですよね。

――:
あれはちょっとミーティングの本来の目的とは違うはず。自分のミスを正直に話して、「他の人はミスをしないようにしましょう」ということでミーティングをやっていると思うんだけど。

――:
肝心なミスの内容がよく聞こえなくて、「すみません」という言葉だけが聞こえてきて、よくわからなかった。理由とか、分析しなければいけない部分がよく聞こえなくて。

――:
それこそそういうミスしたデータとかをプールしておかないと。さっき先生もおっしゃったけど、「どうして起こったか」というデータをプールできないと、その空気の中にだけ流れて終わりじゃ同じことのくり返しですよね。

黒川:
そう。だから今も事故報告というシステムを作っているわけよ。なんかあったら毎日報告することになっているんだけど、「どれが事故として報告する事柄なのかどうか」ということを、「誰が決めるか」というのがあるわけじゃない。
看護婦さんのちょっとしたミスのこと。例えば胃の薬を1錠渡さなければいけないところを2錠にしてしまった、というようなミスを報告するのは丁寧だよね。だけど注射を間違えちゃったというのは、別にたいした副作用がなくても報告したほうがいいと思うじゃない。主任さんに聞いて、婦長さんに聞いて、「何もなかったからいいよ」ってことになるかもしれないね。薬を配るのを間違えるのは看護婦さんである可能性が一番多いんだけど、薬剤師が間違えたかもしれない。お医者さんかもしれない。どこまでを一応報告する必要のある「ミス」にするかというのがあるわけ。
そうすると、「誰がそれを判断するか」という基準がはっきりとわかるわけではないから、各病棟ですごく温度差がある。報告がすごく多いところと少ないところ。難しいんだよね。報告を挙げることによって、「なんで起こるの」「共通のファクターは何か」を分析しようと思ってるんだけど。それによって、「じゃあ、こうすればよかった」とか「確かに減ってきている」ということを見てみたい。だけど同じ病院の中だけでさえもそういう温度差がある。まして違う病院のことなんて絶対わからないんだから。「みんな一生懸命やっています」って言うけどさ、じゃあ何が問題? 共通の認識として共有することは大事なんだけど、今の日本のカルチャーで「年間300件のヒヤリハットがありました」っていうと、患者さんが「もしかしたら自分もそうだったんじゃないか、教えろ」ということになって、これが難しい。

――:
どこまで言っていいのかわからないのならば、共通のチェックシートがあって・・・。

黒川:
それもあるけど、もう一つはそのデータを隠してたということもあるじゃない。

――:
チェックしなかったら?

黒川:
「チェックしてるじゃない。公表してください」と言われたときに、「公表したくありません」って言うと、何か悪いことでもあるんじゃないの? ということになって、逆に公表してみたら「こんなにあったんですか?」とやられかねない。

上級生:
本当にそうですよね。自分が医師になって本当にミスをしない保証はないわけで、何をしたら一番まずいかを考えますね。例えば点滴とか注射するときは、「入れたら取り出せないよ」と言われて、とにかく入れるときは本当に注意する。例えばクラークシップで、「注射して」って言われたときにはよく注意している。でもERで3日に1度当直するんですけど、例えば当直の終わった朝に同じことを、「やりなさい」と言われたときに、忙しくて本当に一睡もしてなかった場合、きっちりできるかというと、とても怖い。
我々は学生ですけど、本当に医者になってこれをやらなくちゃいけないとなると怖いと感じます。一つは明らかに見落としちゃいけないものがあるわけじゃないですか。見落としはまずいわけで、そのためになるべく患者さんをよく触ったり、診たり、印象づけるってこととかも大事ですけど、私は勉強するときに「勉強していて知識があれば、見落とさないで訴訟にならない」とよく思ったので、自分の身を守るために勉強する意味合いがすごく強かったですね。

黒川:
医療事故もそうだけど、ヒポクラテスが言うように、「患者さんを害しちゃいけないよ、Do no harm」と。一番大事なことだね。一番のポリシーみたいな。その患者さんに触って何かをする際のジャッジメントの問題だ。お医者さんがあまりにも知らないとか、見落とし、それから手技がへたということがないようにする。
だけどやはり医療は常にそういうリスクがあるというのが怖いんだけど、例えばペニシリンがでたことで、たくさんの人が救われた。しかしペニシリンショックが出現する。レントゲンができたために、ものすごく診断の精度が上がった。だけどレントゲンを浴びすぎてがんになる人がいる。例えばマンモグラフィーはいろいろと言われているけどベネフィットのほうが全体的に多い。今度は造影剤ができて解像度がよくなって、よく診断ができ、治療が正確にできるようになる。だけど造影剤でショックになる人がいる。全体として常にある種のリスクはあるんだけど。ある診療をするときにはベネフィットとリスクが両方あって、ベネフィットのほうが大きいなと思うから、医師の判断をある程度信用してやっていくところがある。お互いに理解しながら、その情報を患者さん、あるいはコミュニティと共有しながらやっていくことがすごく大事なことなんだ。

――:
確か医者を評価しているアメリカの本だったと思うけど、それには数字の読み方もちゃんとこと細かに書いてあって、「訴訟の数が多い、あるいは手術の失敗の確率が高いイコール悪い医者ではない」と。なぜなら腕のいいお医者さんのところには難しい患者さんがいっぱいくるから。患者さんが全然来ないお医者さんは手術を1回だけやって、へたくそだけど成功したら結果としては100%で、かたや年間何百人と来て、そのうち何人か残念ながら亡くなりました、といったら当然確率が悪くなるので、そういう数字の見方とかやれば解決できる話かな。

黒川:
社会が成熟していくまでにはいろんなことがあるわけじゃない、個人個人のレベルで。全体として社会でお互いに情報を共有しながら成長していく。
例えば去年、いろいろな病院の胃がんの手術をしたときの5年サバイバルデータがでたじゃない。それによるとすごくいい病院と悪い病院がいろいろあって、それもデータはデータなんだよ。だけど解釈をどうするかということを、もうちょっときちんとしなければならない。例えば1つの県に1つしか大きい病院がなければ、一番難しい患者さんがくるかもしれないし、どうしても手術成績が悪くなる理由があるかもしれない。そういうような解釈があるにしても、訴訟が一番多いドクターとかいるじゃない? でも一番難しいケースがその人に集まってることもありうるわけでしょ。
だから専門の先生は、東海大学に行っても、京都大学に行っても、どこに行っても、同じことを言えるようにしないと。「この手術のこの段階については2割ぐらいはかなりリスクだけど、8割はうまくいくと思いますよ」っていう話があらかじめあってから、「誰が一番うまいのか」ってことになってくるわけです。それが本当のプロでしょ。そうすればどこに行ってもデータが根拠になる。だから「抗がん剤で治療しましょう。治る可能性は5割ですけど、ほかのところに行ったら2割です。私に任せなさい!」というのが本当かどうかわからないじゃない。そうできるようになればいいなあ、って思ってる。そのためにはアメリカに行ったりして他流試合をしながら常に混ざっていく。文献を読むだけじゃなくて、そうやってたくさんの人たちとしょっちゅう交流することが大事。

――:
事故があって一番困るのは患者さん。事故が減って困る人は誰もいない。事故で幸せになる人は誰もいない。どういう方法で減らすかというと、それは病院レベルでということになるけど、医師会とか厚生省が多少リーダーシップをとらないといけないでしょう。まあ予算の問題とかもあると思うんですけど。
例えば昔企業で「TQC運動」があって、つまり工場で欠品率とかをなんとか下げよう、とすることなんですが、来週のテーマになると思うんですけど、医療も経済としてどう考えていくか、病院も医療と経済を分けて考えることができないと思います。そういう意味からいくと、今はあまり流行っていないのかもしれませんが、一般企業のTQCから学ぶもの、一般企業がどういうふうにしてミスを減らしているのか、ということが参考になると思う。
ミスを減らすということから考えると、ソフトとハードでどうチェックしていくか。例えばダブルチェックをかける、チェックシートを作るとかは誰でも思うことなんですが、ダブルチェックをいれるとなると看護婦さんの人数の問題があったりして。すべては連動してくるのですが、まずソフト面でいうとチェック体制はどうなっているか、よく見なくてはいけない。今度はハード面でチューブが入らないみたいな工夫をしてミスを減らしていく。それは病院単位でやるのか、現場の若い先生などに意見を聞きながら、それこそ医師会とメーカーで協議して医師会がリーダーシップをとりながらやるという要素があるのか。まずソフト面でどうチェックできるのか、そしてハード面でどうカバーするか。いくつかアングルを切って考えていけば、防ぐ方法も何かでてくるかなって思います。

――:
それだけチェック機構が増えるわけだから、そうすると必然的に事故は減ると思うんですよ。そのチェック機構にお医者さん、看護婦さん、薬剤師の方とかだけでなく、自分が医療の中心なんだから患者さんも文句を言うとか疑うとかではなくて、自分の病気に疑問などを持って参加してくれることが大きいと思うんですよ。そのためにもお医者さんが患者さんに情報を公開したりとかが大切になってくるのではないでしょうか。

――:
アメリカでは、例えば「救急車がくると必ず弁護士が乗る」というジョークがあるんですけど、医療事故に対して弁護士が医者を食い物にする。それは一つのカルチャーとして存在しているわけで、そういう中で消費者である患者も意識が高くて、実際いろんな医療行為に関して、契約みたいな形にして記録に残すことを非常に重視するカルチャーがあるんです。
日本の場合は、今はそういうカルチャーがでてきたと思うんですけど、まだまだ補償についてはあまり明らかでない。一つの医療行為を行う際に、こういうことが起こったら法律問題になり、どういった救済措置があるかを、実際に患者がきっちり認識できるようなシステムが私は必要だと思います。医師側も患者側もきちっと情報をシェアして、医師の側も一人ひとりが法律の知識を持つことが大事だと思います。

――:
僕はある病棟でカルテ整理のアルバイトをしていました。まず驚いたのは僕が勝手にそうじゃないと思い込んでいたんですけど、カルテの厚いこと。入院期間によって違いますが、その厚さにびっくりしました。それにはもちろん退院要約みたいなものもありますけど、ほとんどが検査データであったり、何をしたかという日々の記録があって、たとえ輸血1回でも「そのときのリスクはこうです」とあって、必ず患者さんの署名が入っていますよ。確かにそれは形としてはできあがっていると思うけど、問題はそのリスクを患者さんが考えている時間の余裕がないし、それを理解するために調べる方法もないこと。「とにかくここにサインをしてくれればやります」って言われれば、患者さんはサインしちゃうでしょ。やってることは正しいけど現実としてどうか。

――:
今までもそうだったけど、医者も少しずつでいいから、実際に噛み砕いて説明できれば。「今までこういう症例があって…」って、本当に患者のためにシェアするってことができないわけじゃないと思うんだけど。

黒川:
誰がそのお医者さんの時間に対して給料払うの? 僕らだって1時間説明してあげたいよ。だけど今の日本の医療のシステムでは難しいでしょ。それを考えないと。

――:
「こういう治療を行います、でもこういうリスクがありますし、過去にはこういう事故も起こっています」って言われたら、なかなか気持ちよく治療を受けられないんじゃないかな。
治療をしなくてもだめになるかもしれないし、しても事故が起こるかもしれないというジレンマが患者さんとその家族に生じてしまうんじゃないでしょうか。医者から「非常に小さい確率でこのような事故が起こっています」とか、「訴訟が起こっています。でもやりますか?」って言われたときに、私が患者さんだったら、治療を受けながら「私、大丈夫かしら?」っていう、無意味な不安とまではいかないけど、そういう不安が、きっと患者さん側に残ると思う。医者はそれだけやってしまえば何かあるときに、「でも私はあのとき、そのように言いました。でもあなたは同意したんですよね」ということになると思うんですけど、それはどうでしょうか?

――:
東海大での安楽死事件もそうだったんじゃないかな? 実際に患者さんの家族はプロセスをある程度は理解していたはずだったのではなかったでしょうか。治療に関してあまり理解してなかったために、十分な情報が患者と家族になかったのでは。

黒川:
「安楽死」のときにも話したように、あの安楽死問題は判決からずっと見ているけど、そこに問題があるわけじゃないんだよ。あの問題はあのお医者さんがすごく優しいから、いやだと思ってても追い込まれてしまったんだけど、その間自分の指導医に一度も相談してないんだよ。婦長さんにも受け持ちの看護婦さんにも。自分だけになっちゃうからああいうことになる。チーム医療は形だけで、実際に機能していなかったのが一つの問題だった。
それからもう一つは、カリウムを入れると死んじゃうのはわかっていたけど、どういう形で最後心臓が止まるか知らなかったのかもしれない。最初にセデーションをして麻酔をして、眠るようにしてから最後にカリウムをして、周りが見ても非常に静かに、自然に「さようなら」というようにしてあげることが必要だった。でもそのお医者さんはカリウムをすると最後にどういうふうになるか知らなかったから、患者さんがすごく苦しんでいるように家族には見えた。2つのミスがあった。あれは急に話があったわけじゃなくて1週間以上あったわけでしょ、やりとりが。でも担当医以外の誰も知らない、というのはおかしいよね。なるべく多くの人と相談しようね。

 

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Exposition:

  • ER(Emergency Room)
    救命救急室。緊急の治療を要する患者を収容し、その治療に当たる施設。大規模病院、大学病院などに設置されている場合が多い。一方で心身共に負担の大きい救命救急専門医の確保と育成が課題となっている。ちなみにドクターヘリなどの運用によって、医療過疎地を含めてより広域に救急医療体制を確立しようとする動きもある。東海大学においても2001年3月まで国と県の協力を得てドクターヘリを試験運用し一定の成果を上げた。
  • ペニシリン
    1929年イギリス人細菌学者フレミング(Alexander Fleming;1881~1955)によって青カビの一種から単離された初の抗生物質。ヒトの細胞にはないが細菌には存在する細胞成分(細菌細胞壁のペプチドグリカン)を狙い打ちできるため副作用が少なく効果が大きい。ブドウ状球菌、連鎖状球菌等による細菌感染に著効。画期的な薬剤と言われ、現在でも種々の誘導体が使用されている。
  • マンモグラフィー
    乳房専用エックス線撮影(装置)。
  • TQC運動
    品質管理を生産現場あるいはその一部門である検査セクションのみに委ねるのではなく、全社的に行うTotal Quality Controlのこと。1996年に日本のTQCを推進してきた(財)日本科学技術連盟がTQM(Total Quality Management)と呼称変更宣言をした。
  • セデーション
    鎮静。苦痛を取り除くために、眠る薬を使って意識を意図的に落とすこと。死を目的とした安楽死とは一線を画す概念。

 

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