世界の大学改革の激変: 日本の「一流」大学の大相撲化は待ったなし

このブログを読んでくれている方たちには理解いただいていると思いますが、これからの時代の人材の育成は、国家の根幹をなす最も大事なことです。世界中の国が優れた人材を育て、集め、それが国の信用にもなるということを良く知っているのです。

その方策として「一流」大学を世界に開放された場所にすることが必要です。「大学の大相撲化」(このキーワードでこのブログをサーチしてみてください)です。といってもそんなにすぐには動きませんが、少なくとも先進国の一流大学は、世界の素晴らしい若者たちが集まリ、切磋琢磨する国際村となっています。こうしたことは日本の若者の視野を世界へ広げるでしょう。そして日本のことをしっかりと考えるようになるでしょう。大人に言われてするのではなく、自分でね。

繰り返し開かれた大学への転換を提唱し、東京大学総長にも提言し、「イノベーション25」にも具体的な政策として掲げ、閣議決定もされています。具体的政策には大学入学時の理系文系区分の廃止、一斉の入学試験制度の廃止、中学校時代から双方向の夏休みホームステイ、高等学校のときは1年の交換留学、大学も1年程度は双方向の交換留学、授業の20%程度は英語で(勿論ブロークン)、などなどです。

大学人は情けないですね。何を考えているのでしょう。この時代に、日本で本当の意味で「実質的に」国際的に開かれている大学は、国際教養大学とアジア太平洋大学ぐらいじゃないですか。両方とも学部学生の50%は外国人です、先生たちも。英語圏ばかりでなく、ドイツ、フランスなども同じような政策をどんどん進めています。これからの世界で活躍し、新しい価値を作る「人材」・「人財」を作ること、これが国家の将来を決めます。

最近出た月刊誌「選択」にこの辺の大学の様子を報告しています(PDF)。このグローバルへの急速な変化は怖いですね、本当に。日本だけがますます取り残され、鎖国になっていくようです。日本の若者の将来はどうなるのでしょうか?また、ここで何度も紹介している大学人が自分たちでしっかり行動してください。できない理由はどうでもいいのです。「What to do」ではなく、「How to do」ですから。時間はあまり残っていないと思いますが。

そういえば、福田総理も留学生30万人計画を出していますね。

ニューデリーから-2

ニューデリーでの2日目、3日目はもっぱらホンダと現地のビジネス関係の訪問が中心。

まずは、ホンダ(Honda Siel Cars India)へ。武田川社長はじめ、松崎副社長兼工場長とお会いしました。社長から苦労されたお話や、会社の現状と今後のPlanについてお話を伺いました。松崎さんは1982年にアメリカで工場を立ち上げ、都合15年間滞米。その後もアジア各地でご活躍され、ここの工場を立ち上げています。工場はとてもきれいで、従業員の皆さんも礼儀正しい。これはずいぶん苦労されましたね。

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写真1 Honda Siel Carsを訪問

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写真2 同じく玄関で

その後、電通の現地事務所、IITのNew Delhiキャンパスを訪問。夜は大使館でイランから着任された堂道大使と瀬戸一等書記官、角南さん等と歓談。瀬戸さんには2年前にここで開催されたアジア学術会議の時に大変お世話になった方です。

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写真3 IITのNew Delhiキャンパスで

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写真4 日本大使館で、左から角南さん、堂道大使、私、瀬戸一等書記官

翌日は現地の三井物産、Hero GroupのMunjalさん、インドビジネスの大物の一人National Manufacturing Competitiveness CouncilのChairman、V. Krishnamurthyさん(写真5)、 Confederation of Indian Industry(経団連に相当するものでしょうね)を尋ね、ビジネス中心の話になりました。インドは特に日本の会社、技術と組みたいと思っているのですが、日本のビジネス慣行は決めることも話の進み方も遅く、合弁会社は日本側が半分以上の株を持つことに執着する。これでは韓国や中国の企業にどんどん取られてしまいます。また、ヨーロッパやアメリカとのビジネスがどんどん出てきているといった話をいろいろと聴きました。

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写真5 角南さん、Krishnamurthyさんと

Hero GroupのMunjalさんのところではDymlerとの合弁の話が進み、昨日はFranceのSarkozy大統領から手紙が来たところだといっていました。

以前、インドの科学技術大臣、大蔵大臣、産業大臣、また首相等ともお会いしたことがありますが、皆さんビジネスも科学も独特で素晴らしい方が多いです。インド特有の「難しさ」はいろいろありますが、みすみす指をくわえてみていることはないでしょうね。いろいろとビジネスのやり方はあると思います。

その点ではスズキ自動車の鈴木会長は立派ですね。ご当地の車といえばスズキというぐらいになっているのですから。何でも先に出かけて汗をかかなければなければ、いい果実は取れません。また現地の慣行と、現地の人たちのインセンテイブも大事でしょう。

ビジネスの皆さん、がんばってください。インド、そしてアジアの成長に乗って、一緒に経済成長の展開をしたいですね。とにかく、日本はこの10年間、GDPが増えていない唯一のOECD国なのですから

ニューデリーから-1

2月17日にグローバルヘルスの3日間の会議を無事に終了し、翌日18日は朝からニューデリーに向かいました。夕方17時半、定刻通りにニューデリー空港に到着、そのまま郊外にあるNoidaの街に。今回は本田財団によるYES(Young Engineers and Scientists)の表彰式に出るためで、これは今では知る人ぞ知るIndian Institute of Technology(IIT)の優秀な学生5人を表彰するものです。すばらしい企画です。さすがホンダ、つまりは本田宗一郎の精神ということでしょう。

時間ぎりぎりで表彰式に到着した私と、もうひと方、Pachauriさんがゲストです。Pachauriさんとはこの数年、アジア学術会議等で何回かご一緒して、お互いに良く知った仲です。3年前もBangkokで行われたAGS-Global Alliance for Sustainabilityの会議で、一緒に基調講演をしました。去年2007年、IPCCがAl Goreさんと共にNobel平和賞を受賞したことで、IPCC議長を勤めるPachauriさんも一躍世界的に著名になったといっていいでしょう。科学者たちの間では、地球温暖化問題のリーダーとして、すでに広く知られていたのですけどね。

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写真1 表彰式で。左からHonda Siel Cars India 武田川社長、私、Pachauriさん(※)、本田財団の伴さん

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写真2 左からPachauriさん、表彰された学生の一人と私

※Pachauriさんはアメリカから前日に帰国、頭にできものができているので帽子をかぶっているとのことでした。

表彰式の後、2人で20分程ずつお祝いと激励の話をしました。私は本田宗一郎の精神について少し触れながら、受賞者がその精神を引きついで世界に羽ばたき、貢献してくれることを願っているとお話しました。このスピーチについてはまたご紹介します。本田財団の関係者や現地のホンダの方たち、そして受賞者の家族も来られていて、皆うれしそうでした。

また、1982年からホンダと合弁でオートバイを生産販売しているHero Hondaの会長、Lallさんもいらっしゃっていました。Lallさんのご子息のMunjalさんはHero Groupを引っ張る存在で、私も東京大学のPresident Councilとして一緒にお手伝いしています。

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写真3 講演する私

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写真4 受賞者たちと関係者一同(左から5人目がHero Group のBrijmohan Lall会長)

夜は政策大学院の角南さん、本田財団の伴さん、石原さんとホテルのバーで一杯。しかし、素晴らしい若者たちに会えて気持ちのいい、素敵な一晩でした。

Global Health-1

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グローバルな世界では、超大金持ちが出る一方で、貧しい人たちは、極めて貧しくなります。今、世界の66億人の約20%が超貧困“extreme poverty”で、これらの環境にある人たちは、出産時の母親の死亡率も高く、乳幼児死亡率、そして5歳までの死亡も高いのです。

毎年数百万の人たちが飢餓、そして栄養失調とそれにかかわるいろいろな病気で命を落としています。特にアフリカと南アジアの貧困は悲惨なものです。気地球温暖化の意識の変化とともに、バイオフュエルの生産が増え、とうもろこしや小麦の値段が上昇し始めています。世界はとんでもない危機的な方向へ進みつつあります。「2C」=「Climate Change」と「3F」=「Fuel, Food, and Feed」は、貧困に窮する人たちへの影響が極めて大きいのです。これらがグローバルな人間社会に大変化をもたらしつつあります。

2月15日には「Global Health: Under-Nutrition」をテーマにして世界銀行、Gates財団、厚生労働省、財務省、外務省等の後援をお願いして会議を開催しました。Gates財団のGlobal Health InitiativeのPresident、Dr. Tachi Yamadaと私が、それぞれclosing remarkとwelcome remark を行いました。昼食時にはGhanaの厚生大臣の素晴らしい講演がありました。

また、医学界の超一流雑誌であるLancetが、今年1月から世界のNutritionの特集を始めました。できるだけ多くのEvidenceに基づいたデータから、問題を見つけ、何を、どうしたらいいのか、ある種のデータ作りでもありますが、どのような行動を起こせるかが課題ですね。

日本はモンゴルにヨード入り食塩を配布するなど、日本らしい、草の根ODA運動をしています。

学校給食はいいのですが、生またれての1~2年間の栄養、必須要素の補給(ヨード、鉄等々)が大事なのです。特に生まれて6ヶ月は母乳を基本とするべきで、1~2歳のころに摂取する栄養が少ないとその後で、学校の成績はどうしても悪いとか、社会人になっても仕事がない、あまり稼げない、収入は低いといった社会的地位が固定することになるのです。いろいろと子供たちにはかわいそうな結果が多く、国民の生産性に大きな影響を与えることからも、これらの栄養に対する対策は大きな問題なのです。

この一日の会議では啓発されるところも多く、なかなかよかったと思います。

明日は2日目です。

ダボスから、その4

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ホテルの部屋の窓から見た朝の風景(写真1)。真ん中の遠くにとがった山、これはマッターホルンに似ていますが、Tinzenhornといいます。

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会議はいよいよ最終日。総理が朝に到着して、Gates、Blair、Bono等と会談。11時30分からは大ホールで講演があり、壇上にはこの会議を主催するSchwab教授とBlair英国前首相もあがられました。私はといえば、Bonoと彼のスタッフ等と最前列に座りました。やはり、総理はかなり緊張されていたようで、どうしても話し方が早くなりがちでした(写真2)。私は英語で聞いていたのですが、英語訳は原稿があるのでどうしても遅れがちです。講演の内容は良かったと思います。あとは政治家の演説として、うまく編集すればもっとよかったでしょう。Blair氏から3点、Schwab氏から2点ほど質問がありました(写真3)。NHKでもテレビ放映したそうですね。友人から早速メールが入りましたが、皆さんはどう思われましたか?

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総理の演説が行なわれる直前、この大ホールで行なわれたパネルが世界経済の動向に関するもので、超満員。Clinton政権時代の財務長官で、Harvard学長でしたが女性差別失言で学長を退任した超優秀経済学者のSommers氏などが参加されましたが、皆さんに明るい見通しは持っていないようです。このパネルからの流れで、世界経済動向についての質問が総理にあったのですが、パネルのムードとはちょっと違うコメントになってしまったのも致し方ないでしょう。こういう場では臨機応変も問われるのですが、サポート役にはとても余裕がなかったのでしょうね。日本の総理が会議に参加したのは、確か2001年の森総理以来ですから、それだけでも大変に意味がありました。総理もサポートの皆さんも本当にご苦労様でした。5月のTICAD、7月のG8と、国民のためにも、皆さんしっかり頼みますよ。

この後、総理はビジネス関係者の方たちとの昼食会。随行記者やCNN等のインタビューに答えた後、すぐに帰国の途へ着きました。

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写真4 奥田さんと

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写真5 会場で、左から氏家さん、日本碍子の柴田さんご夫妻、奥田さん、私、竹中さん

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写真6 会場で仕事をする私

夜は、ホテルで東京レセプション。石原都知事は来られず、猪瀬副知事がホストでした。その後は会議場でコンサート、諏訪内晶子さんがメインで、Bruchの「Concert, No. 1」とムソルグスキーの「展覧会の絵」でした(「展覧会の絵」を最後まで聞いたのは始めて)。諏訪内さん、素晴らしかったです。これは私の持論ですが、世界の日本人では一般的には女性が輝いています。「個人」としての存在では、男性と比べると断然存在感が違うのです。特に日本では多くが「組織の肩書きあっての男性」たちですから。ダボス会議での“日本の顔”といえば、いつもそうですが、なんと言っても緒方貞子さんなのです。

コンサートの後はソワレ。今年はトルコが主役で、トルコ料理ずくしでした。

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写真7 出井さん、竹内弘高先生ご夫妻、Schwab会長と

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写真8 出井さん、竹内弘高先生ご夫妻、MITメデイアラボのデザインで有名なジョン・マエダ教授

マエダさんはMITでTenureのある超有名教授ですが、これまた冒険で、Rhode Island School of Designの学長を引き受け、6月から移るそうです。いいですね、この精神。こういう人が何人も出てこないと日本の研究も、大学も活性化しませんし、学生、若者も元気は出ませんよね。いつも言っていることですが“個人力”ですよ。

野依さんとの対談

理研ニュース 1月号に理化学研究所理事長の野依さんとの対談が掲載されました

ご存知のように、野依さんも私も、大学・大学院教育や研究者の育成について、皆さんと同じく熱い思いを持っています。特に、グローバルに活躍する人材を育成するという思いが私たち二人には強いところが、他の多くの方たちと少し違うところかと思います。

少し短いので私たち二人の気持ちが十分にはお伝えできなかったところはありますが、私たちの思いを少しでも汲んでいただければと思います。

ニューヨークから

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ニューヨーク(New York City, NYC)に来ました。アメリカ最初の科学アカデミーであるNew York Academy of Scienceを訪問する為です。この何年かお付き合いしていて、去年移転した新しいオフィスに伺いました。会長のEllis Rubinstein(写真1)のオフィスは、9.11の起きた“グランドゼロ”の隣にあるビルの40階。“グランドゼロ”を直下に見下ろすことができる場所です。朝8時半から約45分間のインタビュー。10時からは、「Scientists Without Borders」(写真2)という新しい企画の評議会が行なわれました。聞いたことのあるような名前じゃないでしょうか?そうです、「国境なき医師団(Doctors Without Borders)」から取った名前です。同じようなミッションを考えているのです。私を入れた12人ほどがAdvisoryメンバーとなっています。

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写真1 Rubinstein会長と彼のオフィスで
(彼の奥様、Dr. Joanna Rubinsteinさんは、Jeffery Sachs氏が推進するプログラムのExecutive Directorをされていて、この日はDr. SachsとEthiopiaにいるようです)

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写真2 Advisoryに参加のメンバー、NYASスタッフと

AdvisoryメンバーにはKenyaのDr. Wakhunguも参加されています。ご存知かと思いますが、Kenyaは大統領選挙の直後で、不正の疑いがあるなどとして大騒ぎが起こっています。特にキベラスラムなど、大変なことになっていると報道されていたので状況を聞きましたが、本当に大変なようです。2006年6月のブログにも書いたOlympic学校2007年10月のブログでも触れています)も焼かれてしまったそうです。なんとか復興させたいですね。

また、昨日のWashington DCでもお会いして、ブログでも紹介したDuke UniversityのVictor Zhauさんも、このAdvisoryメンバーに参加していて、今日も一緒です。昨年10月にもご紹介したIntl AIDS Vaccine Initiative(IAVI)Dr. Seth Berkleyもメンバーの一人で、実体験に基づくアイデアをいろいろと出してくれます。3時間延々とBrain Stormingをし、このICTの時代、登録方法を含め、いろいろな可能性と運営方法、資金等、課題がたくさんありますが、いい勉強です。Columbia大学医学部M.D.-Ph.D.コースの学生(ご両親と一緒にインドから移ってきたそうです)も一人参加しています。若い人たちも参加させながら、このような新しい企画を作っていく。なかなかいいですね。時間がかかっても立ち上げたいです。

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写真3 NYASの受付に置かれたDarwinの胸像の前で、NY総領事館の三浦副領事と

午後は「Foreign Affairs」で有名なCouncil of Foreign Relationsへ。なんと昨日、以前にも紹介したGates財団のTachi Yamadaが、「Global Health」の講演をしていたのでした。私もWashington DCの世界銀行で同じテーマの講演をしていたのですから、偶然とはいえ面白いものですね。あとで早速メールしておきました。目的はこの「Foreign Affairs」2007年1・2月号に、「AIDS援助プログラムには実に無駄が多い」と指摘する素晴らしい論文を書いたSenior Fellow for Global HealthのLaurie Garrettさん(写真4)に会うためです。私はこの論文に注目して、今年の5月に横浜で開催されるTICADにあわせて第1回の受賞式が行われる、小泉元総理の提案で始まったNoguchi Hideyo Africa Prizeの選考委員になっていただいたこともあり、そのお礼も兼ねて意見交換に来たのです。

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写真4 Laurie Garrettさんと

ニューヨークも暖かいです。この街には独特で不思議な魅力がありますね。

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写真5 NYCの街角で

続いてRockefeller財団を訪問です。Managing DirectorのDr. Ariel Pablos-Mendez(写真6)に会いにいきました。彼が主催した会議の報告書、「Pocantico II:The Global Challenge of Health Systems」に注目し、意見交換に来たのです。Rockefeller財団の会長、Dr. Judith Rodinからは、「どうしても時間が合わなくて・・・」、というメッセージが残されていて、残念ながら今回は会えませんでしたが、2週間後に行なわれるダボス会議で会えることでしょう。

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写真6 Dr. Ariel Pablos-Mendezと

Dr. Rodinは、1994年にIvy Leagueの大学で初めて女性の学長になった方です。私のアメリカでのキャリアが始まったPennsylvania大学の学長としてです。今では、Ivy Leagueの8校のうち、4校(Princeton、 Pennsylvania、Brown、Harvard)で、女性が学長をされています。日本はどうでしょう、私はくどいぐらい繰り返し発言し、プッシュしているのですけどね。

彼女の前のポストはYale大学のProvostだったのですが、何度か紹介していますが、現在のCambridge大学のDr. Allison Richard、MITのDr. Susan Hockfield等も、その前職はYale大学のProvostだったのです。偶然ですかね?これはYaleの人を見る目が素晴らしいうということでしょうか。

この日はNew Hampshire州でアメリカ大統領の予備選挙が行われ、クリントン候補がIowa州での負けを取り返し、Obama氏と1勝1敗になりました。初の女性大統領となるのでしょうか。

この2日間の訪問と講演の主な目的は、今年1、2月に東京で開催されるGlobal Health関係の会議(WHO、世界銀行、Gates財団、NPO医療政策機構、日本政府などが関与しています)への準備と、それらを通して、TICAD、そしてG8サミットへの広報とその準備という面が大きいです。

夜は、午前中に一緒だったDr. RubinsteinとDr. Berkeley、そして今年の夏に東京でお会いした、今はColumbia大学大学院、School of International and Public Affairsで勉強している中曽根君を呼んでSohoでディナー。彼はとても素晴らしい若者です。世界を目指して大いにがんばってほしいですね。名前から感じたかもしれませんが、そうです、中曽根康弘前総理のお孫さんで、お父さんは中曽根弘文参議院議員です。

9日の朝、JFKAirportから帰国の途につきました。

久しぶりのCalifornia-3、Stanford大学で講演

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6日は朝からあまりぱっとしない天気。ポチポチと雨も。まず、Enhance Inc.のMs. Shizu Munekata(「シズさん」と呼ばれているのでしょうか?)とお会いし、いろいろなお話を伺いましたが、これもなかなか楽しいひと時でした。それからランチ。3年ぶりぐらいですが、バイオべンチャーでは伝説になりつつある金子さん梅田望夫さん「ウェブ時代をゆく」にも出てきます)、そしてblogや「ヒューマン2.0」などのワタナベチカさんと。みんな初対面のような感じがしないのも変な気分ですね。

ランチの後は、Silicon Valleyにベースを持つ循環器系バイオベンチャーの方とお会いしましたが、その会社の役員やらなにやらに共通の友人が何人もゾロゾロと出てくるのです。世の中、これが楽しいですね。どこで、誰に会うかわからない。そこから一人ひとりの評判が、いつの間にか広がり、ヨコ、つまり「フラット」な社会に定着していく。これがグローバル時代の「個人力」、そして「信用」になっているのです。誰がどうつながっていくかわからない。だからこそ気をつけましょう。いつも誠実に、真摯に、その都度自分のベストを尽くし、能力を磨くことです。

午後3時からProf. DasherさんとStanfordへ。歩く距離によって傘がいるかいらないかという、グズグズした雨になりました。彼のオフィスへ寄った後、4時過ぎから「アジアのイノベーション」シリーズの“トリ”で講演をしました。学生ばかりではなく、日本からの留学生や教員の方々、会場で何人も紹介されましたが、学外の方や、ご当地の著名な方も何人かおられました。

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写真1 セミナーの講堂でDasherさんと

セミナーですが、私の講演のタイトルは「Innovate Japan」です。日本人はまず、「天気が悪くて、でも来て頂いてありがとう」的な、言葉からして低姿勢で、そしてなんとなくあやまり言葉から話を始めるのか、というところから私の話をはじめました。話のポイントは、以前にもご紹介していますがこちらはウェブキャスト)、2006年2007年のNobel平和賞がグローバリゼーション時代のイノベーションブームの鍵を示しているということと、枠にとらわれない発想の源泉であるここSilicon Valleyが、いまや「クリーン、グリーンテク」のメッカ、「クリーン、グリーンバレー」になりつつあるということです。このセミナーはいずれウェブで見れるようになりますから、内容、質疑の様子などはその時までお待ちください。

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写真2 セミナーの後で、一部の参加者の皆さんと

しかし、このことこそが情報化時代の恐ろしいところですね。世界中で、誰でも映像で見ることができるのです。ここが本質的に「グローバル時代」の恐ろしいところなのです。講演録という文字よりはるかにインパクトがあり、「ナマ」と同じで隠せない。多くの場合ほぼリアルタイムで見れる、見える、知れる。「フラット」に誰もが見ていて、誰からでも見られるところで、あの人は誰?どんな人?何ができるの?どの程度に?ということが知れ、いつの間にか世界に広く知れ渡ってしまうのです。肩書きが通用しなくなっているのです。国境を越えた「個人力」の価値、これが私と石倉さんの本「世界級キャリアの作り方」でのメッセージのエッセンスと言えるものです。日本の社会での「エライ」肩書きの価値も、どの程度のものか、みんな世界に知れ渡っているのです。どこに行っても、何を言っても、これは隠せないのです。社会的地位の高い肩書きほど、「実力との乖離」があれば、グローバル時代にはそのひと個人、属している組織、そして社会、国家の信用にかかわってくるのです。

実は私も怖いですよ、見るのが。でも実はこれが勉強になるのです。人から、学生から、相手からフィードバックをもらう、自分で自分を見てみる。そこで学び、次に活かす。これが大事だと思います。自分を見つめ、そこから謙虚に学ぶ、次のステップへ向かう、という「自己研鑽」のプロセスです。

講演のあとは、いくつも質問が出ました。それも終わって、いつものようにみんなで、わいわいがやがやと(写真2)。日本の企業(主に大企業ですが)や大学から若い方たちも何人か来ていました。近所の高校から女性が一人来ていて、今度学校にも来て話してほしいといわれましたので、次の機会にとメールで返事しました。参加の皆さん、あいにくのお天気でしたが来ていただいてありがとう。皆さんに感謝です。

IMAnet の八木さんも来られていて、さっそくblogにこの日のことを書いてくれました。Thank you。

久しぶりのCalifornia-2、Palo Altoから、シリコンバレーの秘密

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5日の夕方、2時間遅れたSan Francisco飛行場でGlobal Innovation Ecosystem 2007(GIES2007)でもご一緒したDeepak Bangaloreさん(“DB”と呼んでいます)とOxford大学に通う娘さん、ソウルで開催されたWorld Knowledge Forumでお会いしたPanasonicの星さんが迎えてくれました。そのまま、大急ぎでStanford大学のある町、Silicon Valley(SV)の「へそ」、Palo Altoへ。向かった先は「TiE」(The Indus Entrepreneurs)

この場所は、その名が示すようにいくつかの事務所がわさわさと入っていて、SVのVenture Capitalistsや起業家たちがたくさん集まっています。名のとおりインド系が主流でしょうか、広い人脈です。websiteを見れば、活動が日常的に盛んなことがわかると思います。

インド系の方が多いようには見受けますが、100人ほどのたくさんの人たちが集まって、テーブルを囲みワイン、軽食等々、意見や情報の交換会。明るく密談という雰囲気です。何人もの方を紹介され名刺交換、こんな極めてオープンな集まりが、ナント毎週2、3回も行われているそうです。すごいエネルギーですね。こんな活動が日本で考えられるでしょうか?毎回出ている人は一部かもしれませんが、起業家や研究者、そして投資家がわいわいとそんな頻度でこれだけ集まるなんてとても考えられません。これがSVの強さの秘密のひとつでしょう。世界中にこの「TiE」のネットワークが広がっています。これを組織し、提供するインドの強さもすごいですね。

この夜はStanford大学の理事長(Chair, Board of Trustees)で、Pioneer of Venture CapitalistといわれるDr. Burton McMurtryの話を、対談という形式で聞きました。素晴らしかったです。このような方々が常連なのですね。McMurtryさんにしても普通の人のようで、そんな方に見えませんでしたが、このような集まりを通じて、いろいろとVenture Capitalの情報を交換し、人材の指導や育成、起業戦略などのネットワーク作り、成果作りを考え、実践しているのです。このあたりにSVの成功の秘密があるのでしょう。きわめてオープンな、こんな「場」がいくつもあるのはすごいことです。

そこからはお先に失礼して夕食。DBと娘さん、星さん、日立の広瀬さん、マサ イシイさん(元McKinsey、SVに定着しているVenture Capitalist)、そして東北大学の会議から帰ってきたばかりのProf. Richard Dasher(今回のStanfordでの私のホストです)とご一緒しました。いやはや、沢山の話題で大いに盛り上がり、石井さんの奥様もこられて2次会へ。そこへ「TiE」の今晩のホスト、次期会長のVish Mishraさんも加わり、長い、しかし、楽しい、一日でした。

久しぶりのCalifornia-1、UCLAから

12月は4日からCaliforniaへ。まずUCLA時代の恩師、Kleeman先生(写真1)ご夫妻とWestwoodのNapa Valley Grilleで昼食。その後、UCLAが新たに設立したCalifornia Nanosystems Institute(CNSI)へ(写真2)。ここはまだ全開ではありませんが、いくつか活動が始まっています。東京大学や、つくばの材料研究所などとも共同研究が始まるようでうれしいことです。ちょうど九州大学Silicon Valley OfficeのProf. Matsuiも来られていました。ここで行われる研究は、医学、工学、化学などの共同作業ですので、ちょうどこれらの学部に囲まれた真ん中に研究所が立っていて、研究者の参加システムにもいろいろ工夫が仕込んであります。このNano Tech CenterはBioとの連携が主眼で、Nano材料に主眼を置いているUniv. of California Santa Barbara(あのBlue Diodeの中村修二さんがスカウトされたところ)との連携も組んでいます。何人かの研究者と懇談、お二人の日本の方にもお会いしました。面白い研究をしています。それぞれ研究に携わってほぼ10年と20年のになるそうです。がんばっていますね、嬉しいです。

翌5日は医学部長のGerald Leveyさん(写真3)を訪ねました。本当に久しぶりです、12、3年ぶりでしょうか。お互いに健闘を祝し、1時間ほど話し込みました。その後、小児科のMcCabe教授(写真4)と面談。慈恵医大小児科の衛藤教授の友人でもあり、同じ小児遺伝学分野を専門にしています。以前いたColorado大学時代からDoublestrand Ranchで馬を育てているのだとか。優雅というか、スケールが大きいというか、うらやましいですね。

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写真1 恩師のKleeman先生と

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写真2 UCLA California Nanosystems Institute(CNSI)で

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写真3 Dr. Gerald Levey医学部長と

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写真4 Dr. McCabe、Dr. David Lundberg(UCLA-CNSI国際連携担当)と

やはり、長い間お世話になった大学は懐かしいですね。戻っておいでよと呼びかけているようなCaliforniaの突き抜けるような青い空、どこまでも明るいキャンパス、大学の町Westwood、どれもこれも懐かしい、戻りたいなぁ、という24時間でした。

飛行場へ向かい、San Franciscoへ。ところが、フライトが2時間ほど遅れて、San Francisco到着は5時半でした。