Impact Japanの理事会

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Impact Japan を立ち上げて6ヶ月、「出る杭」の人、特に若者達のいろんな自発的な活動を支援し、東日本大震災ではProject Hopeとの共同作業を立ち上げて、またHarvard College Initiative Japanとの教育プログラムを開催し、みんなが力を合わせて、この6ヶ月が過ぎました。

これも、気の合う仲間達とTEDxTokyoの立ち上げの頃から始まったことですね。自然発展的に成長してきているのです。

Impact Japan で「Google」してください。また、このサイトでも「Impact Japan」で「サーチ」していただけるとたくさんのpostsを見ることができます。

これらのサイトを見ていただければ、私達が何をしているのかどんな活動に力を入れようとしているのか、ご理解いただけると思います。

正式の組織となって6ヶ月たちました。正式の理事会を開催しました。名誉会長の駐日大使Roosさんも、1時間ほど参加して下さり、色々な提案をいただきました。

多くの課題を乗り越えて、Impact Japanが、若者達を元気づけ、「出る杭たち」を激励し、多様な力を組み合わせ、日本を変える力になることを応援していきたいですね。

Impact Japanにかかわる皆さんの支援と活動に心からお礼の気持ちで一杯です。これからもご支援よろしく。

 

 

 

最近の活動サマリー: Singapore、広島、SoftBank、そして金沢工業大学

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最近も、相も変わらず、忙しくしています。カラムの掲載が遅れがちですが、最近の活動のサマリーを。

SydneyからSingaporeへ。私なりに相互の関係を推進しようと、日本からの友人と連れ立って、TemasekNational Research FoundationEDB (Economic Development Board)A*STAR SPRINGなどの政府機関を訪問。このサイトの中で「Singapore」で「search」すればお分かりのように、私も何年もお付き合いがあるので、面会等はスムーズです。またいくつかのPrivateの起業家や企業の方達とも面会や会食に時間を使いました。とにかく、何でもあちらは話が早い、理解が早い、前向き、こちら側のフォローのスピードが心配だ、というぐらいです。大変化の時代、何よりも個人的信頼とネットワークとスピードは大事です。

会食はいつものことですが、A*STARの伊藤教授、そして今回は米国でPhD、UCSDでポスドクのあと、National University of SingaporeにAssistant Professorとして今年から研究活動を始めたShigeki Sugii くんと。またLee Kuan YewとともにSingaporeを立ち上げた1人Goh Keng Sweeさんの義理の娘のTan Siok Sunさん、などと。

10日は広島に出かけました。今年の春、広島大学医学部教授を退任した腎臓関係の長い友人、頼岡さんの3月に予定されていた会へ出席。大震災で延期になり、この時期になったのです。1時間ほどの講演をしました。このところの講演は、時期的にも世界の大変化のときでもありますし、「Age of Uncertainty」を中心に話しています。このテーマは特に教育関係の方たちにとっては、分野を超えて大事なテーマだと考えているからです。久しぶりに多くの友人に会え、楽しい時間をすごしました。

翌日11日(日)は、もとUNITARの所長をしていたAzimiさん(資料1)と久しぶりにお会いしました。ここでも話題が尽きませんが、時間切れで東京へ向かいました。

この日はまさに「9.11」、10年の日。世界中が注目する中、皆さんが10年前のその日を思いつつ、この10年で世界の様相がどんなに大きく変わったのかを実感したのではないかと思います。そして、この日は私の誕生日。わたしは10年前と確か同じ場所で身内で食事へ出かけました。たくさんのHappy Birthdayメールをいただきました。この返事で夜中までかかってしまいました。

12日(月)は、大いに話題になっているSoftBankの孫 正義さんの立ち上げた「自然エネルギー財団」設立の国際会議」 に出席。孫さんの基調講演はなかなか好評資料1)のようでした。世界から多くのお客様もお招きして、なかなかのプログラムでした。3日間の会議です。

夕方から、金沢工業大学 が主催する企業の方々をお招きしての講演会で、ここでも「Age of Uncertainly」の話。広島とは同じタイトルですが、筋書きはちょっと変えていますが、大枠は同様の趣旨での話です。広い会場に多くの方がこられました。企業の方々、また特に主催の大学の皆さんにとても喜んでいただけたようです。この大学は、1学年1000以上の定員の大学で就職率は95%を超え、就職ランキング(色々のがありますが、、)でも相当に高い、ある調査では全国9位ということを知っていましたので、この辺の背景・意味・企業の課題などについてもコメントしました。

多くの方にお会いし、とても忙しく、色々なことが後手に回りがちなこの1、2週間です。

 

MIT Media Labの2人、Itoさんと石井さん

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MIT Media Labといえば、世界でもよく知られている研究センターです。1985年に発足、多くの日本企業が共同研究などに参加していたので、日本では特によく知られているのかもしれません。

最近、この所長にJoi Ito (伊藤穣一)くんが就任 したことは、明るいBig Newsです。先日、Joiと、もう一人、Media Lab副所長も勤める石井裕さんと一緒に夕食の機会を持ちました。石井さんは今年のTEDxTokyoにお招きして、素晴らしい熱いスピーチをしていただきました。

話題は色々でしたが、要は日本の若者をもっと世界と交流させたいということです。Joiは「3.11」以後、フクシマを中心にした放射能測定も積極的に実施しているので、この件についても意見交換。

今年のAERA、4月25日号で石井さんが「現代の肖像」で紹介され、また8月8日号でJoi Itoが「表紙の人」になり、「「世界の未来を作る場所」の未来」という記事が掲載されました。

Joiは10年来、世界のalpha-bloggerの一人、石井さんはtwitter (@ishii_mit)のとおり、いつも熱い2人です。

 

日本の将来、輝く「なでしこ」たち

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「3.11」以後、グロ-バル世界のなか日本のエスタブリッシュメント、つまり政府も、政治も、大企業も、科学者たちもなんとなく元気がないというか、存在感がないように思います。国を揺るがすような大事件にも右往左往しているという感じですね。問題に遭遇すると、「出来ない理由」がいくつか頭に浮かぶ人たちはだめですね。特に今回のような大問題ではなおさらのことです。

日本のメデイアをみているだけではわからないかもしれませんが、世界ではいくつも大きな変化が起こっています。戸惑う日本にとって、そこで起こったことが「なでしこ日本」の大快挙でした。

元気な「なでしこ」達にお会いする機会が、最近2つありました。

1つは、例年のことですが、L’Oreal日本主催の若手女性科学者への奨励賞 の表彰式です。私はL’Oreal-UNESCO女性科学者賞の委員でもありますし、この何年かこの表彰式にも出席しています。

いつものようなL’Orealらしいミルク色調の美しい会場設定。入り口にいつもより大勢のメデイア、カメラが集まっているので、さすがにL’Oreal、広報にも力を入れているなと、感じました。

L’Oreal日本支社長さん、UNESCO事務局長時代にL’Oreal女性科学者賞のUNESCO協力を始められた松浦さん他の多くの方達がご出席。4人の素晴らしい受賞者たち、また特別賞として東北大学Science Angelが表彰されました。この表彰式に黒木メイサさんをお呼びしていたのです、だからいつもよりはるかに多くのカメラが来ていたのですね。

もう1つは、e-Woman佐々木さんの主催している国際女性ビジネス会議 です。土曜日の朝8時に始まりました。ビジネスで活躍する石黒不二代さん、国際機関ILOで活躍する荒井由希子さんのお2人のすばらしい講演のあと、私は石倉洋子さんとの対談資料1)という形式の30分、とても楽しめました。その後のパネルセッション「日本の発信力」に石黒さんと参加、多くの元気一杯の女性達にお会いすることが出来ました。男性の参加者は全体の5%程度でしょうか、でも男性も楽しい方たち、ほとんどが「出る杭」ですが、にお会いしました。

日本の将来にとって、私は女性たち特に若手に大いに期待したいのです。「なでしこ」たちです。

この会議のblogの感想(123)もありました。

 

最後のSpace Shuttle、私のアメリカ

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最後のSpace Shuttle ‘Endeavor’ 打ち上げが成功しました。

ひとつの時代の終わりですね。皆さんの一人ひとりに色々な思い出があるでしょう。

私達の世代ならばApollo 11でしょうね。1969年7月20日に月面へ。それらの一部はライブでテレビを見ていたのです。初めて人間Neil Armstrongが母船から離れたEagle号に乗って月面に降りて、歩いたのをテレビで見ていたのです。はるか月面からです。そして帰ってくるのですから。7月16日Florida 13:32:00 lift off出発、20日20:17:39 Lunar landing月面着陸

あんな興奮する時間はめったにないでしょうね。前人未到のことです。それをテレビで見せている。日本人の一人として、こんな初めての大冒険、失敗するかもしれないのに、これらのシーンを世界にライブで見せるなんて、アメリカという国を思いつつ見ていたものです。

すごいことをするものだと世界の多くの人たちが見ていたでしょう。アメリカの科学技術の絶頂期ですね。日本は東京Olympicの5年後、かなり自信がついてきたころです。

日本は「1$=360円」、ドル海外持ち出しが500$から700$になったころ。大学卒の初任月給が3万円程度、という時代です。

この頃、フクシマの原発第1号が建設中で、翌年1970年に核燃料が入ったのです。

一方で、米国ではJFKの暗殺 (Nov 1963)後6年、ヴェトナム戦争でのトンキン湾事件・北爆(Aug 1964)とヴェトナム戦線拡大、国内ではMartin Ruther King Jr、Robert Kennedyの暗殺(それぞれApr and June 1968年)、公民権運動と暴動などの真最中でした。

1969年7月、テレビのApollo11の快挙を見てから、私は米国への留学へと出発したのです。初めての海外。羽田からハワイにホノルル空港到着、そのときもらったパインアップルジュースのおいしかったこと。

その日、24日16:50:35にハワイ沖にApollo11が無事に着水、無事に帰還したのです。歴史に残る人類の大冒険でした。私にとってもなんというタイミングだったのでしょう。思い出しても、まったくの偶然ですが、忘れられない日です。

この時から私の15年にわたる米国生活の初めになるなど、これも想像もつかないことでした。

皆さんが「最後のシャトル」から思いをはせるのはなんでしょう。

 

沖縄の新しい研究大学院の芽、OIST

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このカラムで何回か資料1)沖縄に出来つつあるまったく新しいグロ-バル世界に開かれた研究機構OIST を紹介しています。

これを大学院大学へと移行する計画を進めています。私もその責任者、また応援団の一人です。先日のカラムで、私がKuala Lumpurから理事会に電話会議で参加したのですが、うまくつながらなかったことをお伝えしました。

そのときの理事会でさらに一歩前進の様子になりました。

この画期的な大学院への移行の可能性は、「そんなことが本当に日本でも起こるのかな、、」と、世界でも注目を受けており、今回の理事会については、Natureに2つの記事が掲載されました。

1.‘Okinawa goes recruiting’

2. ‘Made in Japan’

このような記事がさらに増えていくと期待しています。

ここまで来るだけでも本当に大変でした。 Drs Sydney Brenner, Jonathan Dorfan, Torsten Wiesel 以下の錚々たる世界を代表する支持者、応援団としての関係者、そして国内関係者に、心から感謝です。

でも本当のチャレンジはこれからです。「開国日本」の研究大学院として世界の科学者に認められるよう、皆さんと一層の努力ですね。ある意味で、日本国の意思と科学者たちの信用がかかっている、と思います。

皆さんの応援をお願いします。

とても嬉しいです。

 

NBRとのインタヴュー

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「3.11」東北大災害の地震・津波災害、さらにフクシマ事故への日本の対応についての私の意見がNBRに掲載されました。「Moving Forward: Relief Efforts, Health System Reforms, and Japan’s Role in Global Aid」というタイトルです

この中でも、日本の信用低下と風評被害を止めるためにも「独立した、国際的なタスクフォース」の設立を述べています。政治が、早急にアクションを起こすべきです。そして「失敗から学ぶ」、世界とその「教訓を共有しよう」という姿勢こそが大事なのです。

皆さまはこのインターヴューから、何を、どのように感じ取られたでしょうか?

何人か、私の友人のインタビュー (資料1)も掲載されています。素晴らしいことです。日本からの少なくとも英語での対外発信があまりにも少ない、だから何が起こっているのかがわからない、不安だ、というのが一般的な世界の反応ですから。

新しい色々な発信ツールがあります。twitterも半分で良いので英語で出してみましょう。

 

野中郁次郎先生との対話へのお誘い

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University of California (UC) はCalifornia州の10箇所にキャンパスを持つ米国西海岸、いや米国でも屈指の名門大学です。特にこの中でもBerkeley校とLos Angeles校は日本の同窓生も一番多いキャンパスです。

UCLA日本同窓会とUCバークレー日本同窓会・共同幹事による「震災後の日本のイノベーションはどうあるべきか」という「野中郁次郎先生とわたしの対談」に参加しませんか? 7月1日、6:30pmから「東京21c Club」です。

UC同窓会員である必要はありません。皆さんにお会いできるのを楽しみにしています、
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● 第4回 「Berkeley知の広場」   
震災後の日本のイノベーションはどうあるべきか
対談:
UCバークレー日本同窓会長  野中郁次郎
UCLA日本同窓会長       黒川 清
■ 日時: 2011年7月1日(金曜日) 6:30PM~9:30PM
■ 場所:東京21c Club (新丸ビル10F)
      http://www.tokyo21c-club.com/open/info/access.html
■ 参加費: UCB・UCLA会員 3,000円 (食事付き・飲み物なし)        
UCB・UCLA会員以外 4,000円 (食事付き・飲み物なし)        
セミナー後、野中先生・黒川先生も参加の懇親会有り        
(飲み物は、キャッシュ・オン・デリバリー)
■ スピーチは原則日本語。英語でのパワー・ポイント表示(英語での質問ももちろん可)
■ RSVP(お申し込み締め切り):6月28日までに下記登録フォームにご登録ださい。
http://tinyurl.com/ucevent0701  

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企画の趣旨は以下です。
● 第4回「Berkeley知の広場」をUCLAとBerkeley同窓会の共催でおこないます。
● 私たちは現在、片やUCLAのProfessor of Medicineの経歴の黒川清先生、他方バークレーの Fuji-Xerox Professor of Knowledgeの野中郁次郎に同窓会の会長をお願いしていますが、お二人はともに世界的にも名の知られたイノベーション論の大家です。
● 一方が国家予算を使った科学技術の政策策定に深く関与すれば、他方はR&Dの大宗を握る企業のイノベーションに鋭い目を向けて暗黙知・形式知のスパイラルからなるSECI理論で広く知られています。
● イノベーションなくして震災後の日本の再建はありません。そこで同窓会の事務局は、そうしたお二人に大震災後の日本のイノベーションのあり方について語っていただこうと「Berkeley知の広場」の拡大版を企画しました。
● お二人はすでに現場力の凄さと、リーダーのあり方に問題があることをメディアでも指摘しています。知識社会におけるリーダーシップのあり方では、野中さんのフロネシスというキーワード、黒川さんの「出る杭」は、福島原発の事故をもってより妥当するように見えます。
● お二人には射程を短くした議論もして頂く予定です。会の進め方としては、最初に野中・黒川さんにそれぞれ30分程度、問題提起的なお話をいただき、それぞれがコメントし、さらに参加の皆さんと議論を深めていく形を採りたいと思います(ですが、議論好きの黒川先生ですから、いきなり議論へと展開するかもしれません)。
● 使用言語は日本語です(ですが、参加者の介入によっては英語のモードに変わることもあるかも知れません、、)。
● このセミナーの後には立食ですが食事の用意をし、出席者の懇談ができる時間を設けています。ただし飲み物の代金は含まれていないので、キャッシュアンドキャリーでお願いします。
● セミナーの純益は全額東日本大震災の被災者の義援金に当てられます。

 

新しいフロンテイアを拓く「異端児」たち

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17日の朝早く、Kuala Lumpur(KL)から成田空港着。

16、17日はOkinawa Institute of Science and Technology (OIST) 新しい大学院大学への最終段階に入り、理事会が開催されました。KLからTeleconferenceの接続具合が悪くて、ほとんど参加できませんでした。17日午前の最後のセッションに、東京からちょっとだけ参加できましたが、ここでも接続の具合があまりよくなくて、残念でした。

これは新しい時代を先取りする世界の研究機構になれる可能性が大きい、日本にとって「異端」でしょうけど、これからの日本にはとても大事な計画です。なんとしても、支援しなくてはいけません。

午後はKavli財団CEOのDr Robert W Conn、東京大学IPMU(本当の意味でのグローバルな研究所です、、)所長の村山 斉(ヒトシ)さん他との懇談です。村山さんは本当の意味での数少ないグローバルな研究者資料1)です。この機構を数年間で、とてもユニークで、世界に広く知られる素晴らしいものに育て上げました。これは世界でかなり認められていることです。村山さんにはTEDxTokyo2010でも話をしてもらいました

Kelviさんも、Connさんも「異端児」なのです。ちょうど10日前にWhite HouseでObama大統領 と会っていたばかりです。

Connさんは私のblogなどを読んでいて、UCLAでもちょっと重複していた、ということでたちまち意気投合して話が盛り上がりました。世界の主要大学の研究所を支援する、また宇宙、ナノ科学、脳研究を支援するKelvi財団のミッションなど、いろいろお話をうかがうことが出来ました。ぜひ、日本との関係構築の役に立てるといいな、と考えています。

その後、先日ご紹介したMIT Mediaラボ所長に就任した伊藤ジョイさんと、村山さんもある意味では「似たもの同士」ですのでご紹介し、しばらく楽しい懇談の時間をすごしました。

Media Labにも日本からの院生などをもっともっと行かせたいです。

村山さんも伊藤さんも、日本では「異端児」です。このような「異端児」をもっともっと増やすことこそが日本の活性化に必須の課題です。

 

Kuala Lumpur -Pacific Science Congress

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 8年前に推挙されて太平洋科学連合Pacific Science Association (PSA)のPresidentを勤め、2007年に沖縄で本会議 Pacific Science Congress (資料1) を、そして2009年にはTahitiで中間会議資料1)を開催させていただきました。これらについてはこのサイトでもご紹介したところです。

日本学術会議にも委員会があり、また国際科学連合(ICSU)にも所属しています。また創立98年目という、歴史ある学会なのです。

今年は、6月14-17日にわたってKuala Lumpur (KL)で本会議が開催され、私も役員(Immediate Past President) ですし、またKeynote講演者の1人にも推薦していただきました。13日からKLへ来ました。

さすがにKeynote Lectureは素晴らしいものが多くて、楽しめます。また、いくつかのセッションも多彩な発表もあり、多くの友人にも会うことが出来て、14-16日という素敵な3日を過ごすことが出来ました。

さすがに活気のある成長している国のエネルギー、また教育、科学技術イノベーション政策にも熱心です。政府の応援もあって多くの地元の研究者の参加もあってとても良い会議でした。

私のKeynoteは「Age of Uncertainty: Have We Become Wiser?」というタイトルで、出来るだけ刺激的に物語を進めました。勿論、今回の東日本津波への支援、またフクシマについて皆さんの懸念についてもはじめにコメントしました。

講演については、皆さん、とても面白かったといっていただき、いくつもの質問が出ました。翌日にはテレビで25分ほど、ライブのインタビューを受けました。長崎大学のGregさんがblogで、私のKeynoteで「会場のテンションが上がりました。」と書いて下さり、うれしいです。

日本学術会議のHatai Medal塚本教授資料1)が太平洋のウナギの生まれる場所と移動についての研究で受賞されました。奥様もご一緒でした。おめでとうございます。

Guam大学のDr Underwood学長 (左下の写真)は1993-2003下院議員を勤めた方です。広い太平洋の諸島群についての教育や医療問題など、また、米国との独特な関係など、なかなか面白い視点で議論しました。私にぜひGuamに、とお誘いを受けました。1年以内に行ってみたいと思います。多くの友人、また新しい友人や、若い研究者にお会いするのは学会の楽しさです。

With underwood Group photo 

 また、先日ご紹介したMalaysia首相直属のGlobal Science and Innovation Advisory Council (GSIAC) について、首相のChief Science AdvisorのZakri博士とそのスタッフとの1時間ほどの会議も設けていただけました。なかなかのメンバー であり、私もその一人であること、楽しみです。

次回の中間会議は2年後にUniversity of South Pacific (Fiji) で開催の予定です。皆さんも参加を計画してみませんか?