野中郁次郎さんと私の対談のお誘い

去年にも、このカラムでお知らせしましたが、イノベーションで著名な野中郁次郎さんと私の対談をご案内します。

タイトルは、「改めて「震災後」・「日本の将来」を問う」です。

前回と同じようにUniversity of California at Berkeley (UCB) と at Los Angeles (UCLA) の日本同窓会主催の企画で、9月18日(火)、夜7:00開始、東京の新丸ビル内で開催します。

詳細はこちらです→ 
9月18日UCLAイベントのご案内 (PDF)

UCB, UCLA同窓会員でない方も、特に若い人たちの参加を歓迎します。

 

国会事故調 -5: 事故調査委員会の始まりの頃の「意外な」応援メッセージ

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国会事故調は、何しろ「憲政史上初」ですから、立ち上げの頃には特にいろいろと苦労しました。

第1回が福島で12月18、19日。第2回は、1ヶ月もたった1月16日なのですから、当時の私たちが見えない先を模索している苦悩もご理解いただけると思います。

その第2回に参加していた英国のThe Economistの記者が、意外なこと(と言ってもこれは私たち事故調の狙いの一つだったのですが、、)を書いてくれました。

“Japan's nuclear crisis; The Meltdown and the media”という何とも刺激的なタイトルです。書いたのは、イニシャルからも第2回に出席していたKen Cukierさんですね。しかも同じ日付けという早業です。

世界に悪評の高い日本メディアの「記者クラブ」についてですが、私たちの委員会もそれを十分に意識して、委員会を誰にでも公開していたのです。しかも英語の同時通訳をつけて。世界にも見ていて貰いたいからです。

この点を的確に、タイムリーに書いてくれたので、私はとても嬉しかったです。

このサイトでも何回か書いていますが(12、他にもいくつもあると思います、このサイトの中で 'search' してみてください)、The Economist は私の好きな週刊誌です。

目のつけどころが「さすが」と思ったことでした。

Ken さん、ありがとう、ちょっと遅くなったけど。

 

Osloから、Kavli -2

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4日の午後、Oslo Concert Hall でのKavliの授賞式は国王の出席もあり、とても素晴らしいものでした。日本でも良く知られた俳優さんで、科学の理解への活動をしているAlan Aldaさん、地元のAse Klevelandさんの司会で進みます。しかも、若いいろいろなジャンルの芸術家を、途中にいれながらの進行です。

これもWeb(12)で見ることができます。とても良いテンポで進みました。一度、こんな式典を企画して見たいなあ、と思いました。

しかし、ステージにおられる国王とこれらの芸術家(クラシック、ジャズ、ラップなど歌ったりの他に、踊ったりもありますから、、、)の距離がとても近くなることがあり、日本ではとても考えられないような距離感でした。

全体として、特に若い人たちを励ます色彩が強いことに、この国の素晴らしい、何かを感じました。

夜は、Oslo City HallでNorway 政府主催の晩餐会に出席。ここでも国王も出席され、とても気楽にメインテーブルについておられます。ここでもいくつかの演奏や合唱などもとても素敵で、気取らず、楽しいものでした。

なにかこの国の頑固でも堅実で大人、しかし、なかなか気が利いているというか、何かがとても違うというお国柄を感じた4日間でした。

明日は朝早く出発して Bergen に行きます。はるばるここまできたのですからちょっと一足伸ばします。

 

Osloへ、Kavli PrizeとKavli Science Forum

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9月1日、成田を出発、Osloへ向かいました。今年は国会事故調があったので、海外は5月のWashington DC 以来、2度目です。

Copenhagenで乗り換え、素晴らしい快晴のOsloへ夕方に到着。今回はKavli財団の授賞式と、Kavli Science Forumへの出席です。

さっそく、Grand Hotel Osloにチェックイン。このホテルはノーベル平和賞受賞者が宿泊し、公園に面した2階のバルコニーに出てきて皆さんにご挨拶する由緒あるホテルです。駐日Norway大使 A. Waltherさんとそばの国立劇場近くのレストランで軽い夜食。

翌日の2日も快晴。久しぶりにゆっくり休んで、午後のレセプションへ。このホテル最上階の素晴らしいスイートと、外の屋上をつかったものです。夜は米国大使の公邸でのディナー。これがまた素晴らしい由緒正しい建物でした。

3日の午前はOslo大学のキャンパスで7人の受賞者の講演会。天文学が3人、ナノサイエンスが1人、脳科学が3人。しかも4人が女性、6人が米国で、そのうちMITから3人でした。講演はさすがですが、このキャンパスも緑が多く、大きな木に囲まれてとても美しいです。

午後は私の他全部で4人の“Global Health”のパネル1)。まず、首相がこられて素晴らしい開会の講演をされました。パネルの皆さんはお互いに知っている人たちで、私の現在の仕事でもいろいろと関係のある人たちです。司会はBBCの科学担当ジャーナリストとしても知られたPallab Ghoshさん。On-lineですべて見れると思います。

夜はNorwayの科学アカデミーでレセプション。東大のKavli IPMU 所長の村山 斉さんも到着しました。

2008年の第1回のKavli賞受賞の飯島さん、Caltech Kavli Professsorの大栗さん、日本学術会議から春日副会長が参加しました。

Osloはなかなか落ち着いて、何か頑固で、でも洗練された街です。

 

国会事故調 -4: 報告書が一般書店で発売へ

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私達の国会事故調の報告書は、国会で衆参両院議長に提出とともに、ウェブ上に掲載されました。

しかし、その内容の量が大きいので、多くの方達が読むのに不便であり、この内容を広く知っていただくのは難しいと感じています。

しかし、朗報です。

国会事故調査委員会報告書が徳間書店から出版されることになりました。

事故が起こってから1年半の来週9月11日に多くの書店で買い求めることができます。またAmazonからも注文できます。税込で1680円です。参考資料、委員会議事録はCD-ROMで付けてあります。

ぜひ皆さんも、この報告書に目を通し、事実に立脚する内容、そこからの「立法府への7つ提言」として、これらを生かすことへの行動を考えていただけると嬉しいです。

また一歩前進です。

 

国会事故調査委員会 -2

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8月23日、国会事故調査委員会の報告書を提出してほぼ6週間、私は「元委員長」として、福島原発事故で被災されている12市町村の首長さんを訪ねています。お見舞いと調査へのご協力へのお礼のご挨拶です。皆さん、本当にご苦労されています。

今回は最終回で、2人のスタッフと出かけ郡山駅で蜂須賀(元)委員と合流、蜂須賀さんの車で1時間ほど、川内村の役場へ遠藤村長をたずねました。

そこからまた車で約2時間、大熊町の役場が避難している会津若松へ向かいます。途中で高速道路を降りてご当地のうどんの昼食、猪苗代湖を左に眺め、蕎麦の花の咲く広い畑などを眺めながら会津若松へ到着しました。

蜂須賀さんたちの避難している仮設住宅を訪ねてから大熊町役場へ、渡辺町長さんを訪問しました。とてもとても暑い日でしたが、仮の役場は冷房もなく、皆さん扇風機の中で忙しく働いておられます。皆さんとも何枚か写真を。

日常の生活基盤を瞬時に破壊されたまま、まだ先の見えない多くの方々を抱える首長さんたちと役場の方達のご苦労には、なんとも言えず辛い気持ちで胸がいっぱいになります。

私たちの報告書が、この状況を少しでも早く、良い方向へ向けることの役にたてば、と改めて思います。

東京駅に着いて、そのまま週刊朝日のネット上での国会事故調についてのセッションへ。70分ほどでしたが、有益なやり取りができたと思います。ぜひ見て、皆さんで考えてください。

福島の被災された12市町村の首長さん訪問をやっと終えて、何か気持ちがホッとしました。

 

国会による事故調査委員会報告書 -1

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ご存知のように、私は、今年になって、このblogでも、またtwitterでも、ほとんど発信しませんでした。

それは、今年の1月1日、2日、6日のこのblogで報告したように、去年の12月8日に発足した福島原子力発電所の事故調査委員会、通称「国会事故調」の委員長に任命されたからです。わたしのblogなどで、関係ないことでの私の意見でも誤解されるといけないと考えたからです。

「国会事故調」報告書は「ほぼ6か月」という7月5日に、国会の衆議院、参議院の両議長に提出。ここまでが委員会の役割でしたので、公的には翌日で任務を終了することになりました。

ウェブで「国会事故調」を調べていただくと、いろいろな報道がされています。提出の当日の夜、さらに翌朝にも、テレビなどメデイアに出たりしましたが、これからちょっと落ち着いて、いろいろなところでも、この報告書を委員のみなさんをはじめとして広く国民の皆さんと共有していくことが大事と思っています。

国会から依頼された私たちの提言を国会がどう受け取るのか、この辺りは急変する政治状況などもあり、いろいろ報道されているところですが、私たちは限られた時間の中で、ゼロからのチームつくりに始まり、本当にみんなががんばってくれました。

この報告書は国会に対する「7つの提言」としてまとめられています。これを実現するには国民と広くこの報告の「7つの提言」を共有し、皆さんの選ぶ国会議員の行動を応援していただくことが大事です。これが、3権分立の民主制度での立法府の機能強化になる一つのプロセスです。

最近、岩波書店の「世界」に掲載された私の 「民主主義国家の常識と責任:国会事故調は何を目指したのか」、大まかですが、私の考えが出ています。

原発事故で避難させられている福島の市町村の首長さんたちを訪問しています。皆さん、本当に大変です。

 

MIT Media Lab in Tokyo

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MIT Media Lab  は世界でも日本でもよく知られた、「未来を構築しよう」という、いわば極めて「尖がった」存在です。その存在は、この(理念の)特徴で世界でも高く評価されています。

去年のことですが、このMedia Lab所長に日本人とは言っても、むしろ「グローバル市民」としてよく知られたJoi Itoさん(資料1)が就任して、日本でも色々なメデイアにも取り上げられて、話題になりました。

私のこのサイトでも紹介しました。

1月17日に「MIT Media Lab@Tokyo 2012」が東京で開催されました。Media Labを1985年に立ち上げたNegroponteさんも来日、日本企業の支援の歴史などを語ってくれました。彼はアフリカ支援のOne Laptop Per Child資料1)でも知られていますが、今度は新しい「Tablet」もみせてもらいました。

こういう「破天荒」なことをするメジャーな大学、これが世界を変える人材、「出る杭」、「Change Maker」を作り出すのでしょう。

副所長の石井さん資料1)も参加。

皆さん熱く語り、デモもありのアツアツの1日。私もJoiとのパネルに出ました。その後は、国会事故調の仕事に戻り、また夕方にMedia Labレセプションへ戻り、楽しい夜を過ごしました。

この企画は Ustream資料1)で見ることができます。

ここではJoiのOpeningで始まり (このUstreamでの大体の時間ですが「00:00:00–)、Hilgadoさん「00:23:20–」、Ishiiさん「00:45:55–」、Joiと私の対話 「01:00:50–」、Joiと日本の大企業の「変人」のパネル「01:22:45–」と続きます。それぞれを楽しんでください。

Media Labへ行ってみよう。あなたの中で何かが変わるかもしれない。もっと多くの日本企業も応援しましょう。

 

新たな大チャレンジで2012年が始まる

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あけましておめでとうございます。

この1ヶ月、つまり去年の12月6日以来、このカラムの掲載がありませんでした。twitterも発信しませんでした。

ご存知かもしれませんが、降ってわいたように「国会による、独立した」、「この60年余,憲政史上、初の」といわれる、政府からも、国会からも独立した「福島原子力発電事故調査委員会」の法律が国会を通過し、私がその委員長に任命されたのです。10人の委員とともに、12月8日に衆参両院議長から、国会で辞令をいただきました。

ウェブ上で「ニュース」などで私の名前をサーチすると、この件についていろいろ (資料1)と見ることができます。

とんでもない役目をおおせつかったものです。JST理事長を退任したばかりの北澤宏一さんが委員長を勤める「民間の福島原発事故調」にも参加していましたが、これは辞任しました。

この委員会の難しさは、いずれ折々にお伝えするので感じ取れるかと思いますが、なんと言ってもこの委員会の10人の委員と、いかに委員会のミッションを共有し、調査・検討を進めていくのか。皆さん、それぞれお忙しい方たちですし、また、事務方スタッフも、進め方のルールも、こちらが決めていくのです。委員会で一応のルールが決まるまで、私も発信を遠慮していたということなのです。

何しろ「「憲政史上初」の重み」は、その民主制度上の意義ばかりでなく、「いままで行われたことがない」ところに、数多くの難しい要件があり、この委員会の運営自体が大チャレンジなのです。

早速18(日),19日(月)の両日、委員の皆さんと福島第一原発の事故現場(重装備です、、)をはじめ、原発近くの人の気配(ひとけ)のない大熊町と除染現場、翌日には仮設住宅と別の除染現場資料1)などを訪れて戻りました。

とんでもないサプライズで2011年は終わり、2012年が始まりました。

 

沖縄科学技術大学院大学の開校式

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このカラムでも何回か紹介している「OIST」(資料1)。政府の承認を経て、11月1日からいよいよ正式に大学院大学 になりました。

日本でも大学のあり方、研究のありかたの議論はされてきましたが、私に言わせれば、基本的に変わることはありませんでした。この件については、このサイトでも時に応じて繰り返しコメントしているところです。

18日に大学としての最初の理事会。私もこのプロジェクトをはじめから支援していましたし、理事の一人として19日午前中、4人の研究者によるセミナーに出席しました。この4人のプレゼンは、本当にinterdisciplinaryな、しかも大きなスコープを持った研究のあり方を見せたようなもので、参加した世界の研究者もその研究のあり方に感心していました。このようなユニークな研究のあり方をさらに推進し、地球課題への貢献が出来るであろうこと、またそのような意識と実行力を持つ次の世代の研究者を育てて行きたいものです。

午後には設立記念式典 が行われました。川端達夫現沖縄担当大臣、このプロジェクトの提案者でもある尾身幸次、また小池百合子元大臣もご参加。仲井真沖縄県知事、稲嶺前知事など内外の方々の参加を得ることが出来ました。主要参加の方々のリストは「OIST」ウェブサイトで見ることができると思います。

4人の方のスピーチがありましたが、その中でも14年間MIT学長を務められ、現在National Academy of Engineering会長、Charles Vest氏による、特にこの新しい研究大学へ向けたメッセージとして「21世紀の大学について」のスピーチはよかったです。これらはすぐにOISTのサイトに掲載されると思います。

あいにくの雨で、この式典は素晴らしい中庭で開催される予定が、講堂での開催に変更になりましたが、幸い午後に雨は少しやみ、記念祝賀の踊りなどが20分ほどですが、中庭で開催されました。