次期大統領オバマ氏、U Street(ワシントンDC市街)へサプライズ訪問

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先週ワシントンに3日間出張してきました(出張については近くブログでご報告します)が、滞在中に、クリントン政権で仕事をしていたこともある旧友とU Streetに出かけました。金曜日の夜のことです。このあたりは以前あまり治安が良くなかったのですが、ここ数年間で小さなレストランや洒落たジャズの店が立ち並ぶ安全な場所に変身しました。私達はその通りをぶらぶら歩き、店の一つにも入って楽しい時間を過ごしました。

翌日の午後、私が会議で一日中缶詰めになっている間に、なんと次期大統領のオバマ氏がFenty行政長官と共に同じエリアを訪問されたそうです。明らかに予定外のサプライズ訪問です。写真付の現地レポート(ワシントンポスト)がありますのでご覧下さい。

新しい国家ビジョンを

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元旦に、「新年を迎えて、日本の国家ビジョンを」というコラムを書きました。そして、12月8日と11日に、私なりに提案する国家ビジョン、「2030年までに、食糧とクリーンエネルギーの輸出国になる!」について触れた2つの講演も紹介しました。

その11日の講演要旨が「日本物流新聞」(1月1日版)に掲載されました。「食糧とエネルギーの純輸出国になろう」という見出しで、以下のような内容です(数箇所、テニオハや言葉など少し加筆しています)。

●「イントロ」
東京で開かれた環境展示会「エコプロダクツ2008」(産業環境管理協会、日本経済新聞社主催)で政策研究大学院大学の黒川清教授が12月11日、基調講演(抄録はこちら)をした。歯に衣着せぬ物言いで、グローバル時代に日本が生き残るための課題やエネルギー問題を指摘した。

■日本のモノづくりは垂直型に終始している。世界で1日に携帯電話は300万個売れているが、そのうち40%はノキア製。モトローラ、サムスン(各15%)と続き、4位にようやく日本のソニーエリクソン(9%)が入る。が最近、韓国LG に抜かれ、モノづくり立国といってもぜんぜん売れないのが実情。とはいえ部品の65%はメイド・イン・ジャパン。質がいいから。部品で生きていこうとするならインテルみたいにならないとだめだろう。日本は2次、3次、4次の下請けをせっせとやっているが、物語のつくり方、想像力、世界観が欠如しているのではないか。

●「使える技術はいくらでも」
■エネルギー問題でも日本の強さをどう生かすかが重要。与えられた自然の条件としては水、森、温泉、、、がある。もちろん地震という弱さもあるが。それらをどうしてエネルギーとして使わないのか。電力を例に挙げると、火力65%、水力10%、原子力25%のままでいいのか。やはり日本はやるな、と世界に思わせる国にしたいと思いませんか?

■原子力はこれからも一時的にはいいと思うが、アメリカのような大きな国でもその廃棄物を捨てるための法案がなかなか通らない。そのくらい廃棄物についてはみんな神経質になる。事故は今の技術では起こらないといわれるが、絶対にないとは言い切れない。テロはどうか(加筆した)。他国に対し技術導入することはあっても、日本には原子力を使わなくてすむ技術がまだいくらでもあることを訴えたい。たとえば地球にふりそそぐ太陽エネルギーの2%だけで、世界中のエネルギーがまかなえることがわかっている。

■既存の照明から消費電力の少ないLEDなどに代わるのに反対する企業もあるが、反対するのはそれをつくってないメーカーだろう。こうした問題はアルミサッシにもあり、先進国で一番多く使っているのは日本だろう。断熱を進めるうえでは熱を通しやすいアルミを窓に用いるのはばかげている。使うなら塩ビや木だろう。これもアルミ業界が反対しているだけか。世界は変わっているんだから、遅れをとるようなことはやめた方がいい。

●「将来の絵、描くのは若手に」
■食糧とクリーンエネルギーの純輸出国になろうという目標を私は提案するが、その気になれば2030年までに達成できるのではないか。そのためには10年計画を立て各5年ごとのミッションをあげてロードマップをつくる。それを常に皆で評価する。計画を立てるのは役所でもシンクタンクでもいいが、将来の絵を描くのだから45歳以上の人は参加しないでほしい(笑)。

■ 節目の年を迎えた。ダーウィンの『種の起源』出版からちょうど150年。その一番のメッセージは、長い歴史でサバイブしてきたのはその時代の一番強い者ではない。一番賢い者でもない。環境の変化に適応した者だと。いま環境はものすごく変わった。日本は相変わらず人の後ろに続くのか。

こんな趣旨なのですが、いかがでしょうか?

ばかげてる?そういう方は、元旦のコラムの最後の5行を読んでください。

講演の全体の概略はこちらで読むことができます。

新年を迎えて、日本の国家ビジョンを

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去年は本当にひどい年でした。アメリカは新大統領を迎えて、経済危機にさしあたりどう対処するでしょうか。

地球温暖化の問題に対しエネルギー政策はどうあるべきか?これはどこの国でも大きな課題です。福田前総理のときにこの課題についての特別懇談会が設置され、トヨタの奥田さんを座長に、洞爺湖サミットに向けてまとめを準備することになりました。今の政権ではそれどころか、京都議定書の動き自体止まってしまっているようです。“それどころでない”ということもあるでしょうが、ここで誤ってはいけません。これはある意味で日本のチャンスなのです。

私の低炭素社会へのエネルギー政策の考えの一部をまとめた資料があります。皆さんはどうお考えでしょうか?

 ・総理懇談会第2回(4月5日)資料
 ・総理懇談会第3回(4月22日)資料
 ・自民党の農業委員会(加藤紘一座長)資料

私なりに考える日本の国家ヴィジョンは「2030年までに、食糧とクリーンエネルギーの輸出国になる!」というものです。

そのために、10年、20年後の目標を立て、まず第1次、そして第2次5ヵ年計画を書き上げるのです。学者、官僚、企業など多くの参加を得ながら、「ミッション、戦略的ロードマップ、1年ごとの目標」を、省庁横断的に従来の構造を無視して書き上げるのです。

大蔵省も、より革新的な予算を作れ、構造改革への政策推進できるでしょう。もちろん、定期的国民への報告、プロセスの透明性は重要です。

また、これは長期将来計画ですので45歳以下の人で作成していくのです。もちろん、外国人も入れましょう、ヒアリングもいろいろ入れましょう。

以上のような趣旨で、去年の12月8日(月)に資源エネルギー庁主催のエネルギー政策で基調講演を50分、また、12月11日(木)には日本経済新聞主催のエコプロダクトの会議で、両方とも1,000人近い多くの熱心なかたがたがにお話しする機会があり、私の考えを聞いていただきました。講演の全体の概要はこちらで読むことができます。

2030年までにそんなことは不可能だというかもしれませんが、それでは1年前にオバマさんが米国大統領になると予想した人がいますか?

この国家ビジョンは政治と国民の意志の問題なのです。

「Yes, We Can」です。

2009年、日本は、世界はどのような年になるでしょうか。

ひどい風邪で講演

11月はひどい風邪を引いて、一週間ほど、ほとんど声がでない時がありました。そんな時に限って、4日も続けざまに講演の予定が入っていました。これらの会合に聴きに来ていただいた方たちには聞きにくい声での講演で申し訳なかったです。ごめんなさい。

一つは慶応大学の丸の内キャンパスでの講演。これはすごい人たちをお招きしています。私もお招きいただき感激。私の講演の感想も出ています。ありがとうございます。慶応義塾も今年で150年。無事にその式典も終ったそうですが、残念ながら私は海外にいたので参加できませんでした。おめでとうございます。

二つ目は、GRIPSで共産党中央学校の60人ほどの方たちの訪問を受けてのセミナーです。こことは、相互交流をしています。学問の場がこのような活動を続けていることは大事なことと思います。

次いで、日経ウーマンなどが主催するWomens Health Forum。この私のサイトを探索してみるとわかるように、私は明確に女性の応援団と思われています。今回は基調講演ということで、しかも私の後には専門の方たちが「乳がん」「動脈硬化」「女性医療」等のお話があるので、もっと広い視点でお話しをしました。「ピル」「10代の人工中絶」についても触れました。短くまとまったものが「日経ヘルス」(日経BP社)2009年1月号に出ました。聴きに来てくれた方たちの反応はどうだったのでしょうね、興味あるところです。

次の日に神戸で「神戸先端医療構想10周年」で記念講演をさせていただきました。出版物が出るかどうかわかりませんが、要点はblog(ページ4 and 5)で見ることができます(こちらのブログもご覧ください)。週末でもあり、国会解散があるかも、といううわさで持ちきりの時期でしたので、渡海元文部科学大臣を始め、地元の代議士さんも大勢見えておられました。本当にごくろう様です。

‘From Japan With Love’ (日本から愛をこめて)

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最近TIME誌に掲載された巻頭記事、From Japan With Love (日本から愛を込めて)”に気づかれましたか?

表紙のデザインもとてもセンス良くできていますね。記事を読めない方でも、この記事に込められているメッセージのフィーリングはこちらから感じ取っていただけるのではないかと思います。

ソフトパワーの威力に乾杯!

自分の力に誇りを持つことは大切です。ただし、弱点もきちんと自覚すること。

ローマから

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11月1日、Bellagioを朝早く出発。何かのストライキとかで道は込んでいて、Milanoの空港まで3時間。向かったRomeは快晴で、正午ごろ、スペイン広場のすぐ側にあるホテルにチェックイン。昼食をとりながら打ち合わせを行なった後、イタリア外務省へ。外務省の建物はファシスト党本部として計画され、でも建築が間に合わず本来の目的では使われなかったとか。

来年のG8サミット担当のシェルパ、Massoloさん他の政府高官と、日本で行なった「track 2」プロセスの成果と意義、それに基づいたBellagioでの議論の成果、そしてイタリアG8サミットでのGlobal Healthに関する期待などを中心に、1時間ほど討議しました。これほど多くの時間をとっていただけたことに感謝。夕方から大雨です。

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写真1~2: イタリア外務省での会議、SherpaのMassoloさんと

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翌日の2日も雨。午前中は、10年ぶりでしょうか、あわただしくVatican Museumへ行きました。入口の部分が新しい建物になっていました。いつもながら贅を尽くしたすごいコレクションです。いろいろ複雑な歴史、政治と宗教、富と庶民、芸術の力、RaffaelMichelangeloなどなど、人間の活動と宗教、そして歴史の背景について考えさせられます。Sistine Chapel(参考 1 2 )ではほとんど時間切れでしたが、2年前、British Museumの特別展示でみたMichelangeloのデッサンの下絵の一部もありました。想像するだけでも圧倒される大偉業ですね。そして、世界で一番大きいSt. Peter大聖堂にも圧倒されます。次回機会があればもっとゆっくり訪ねたいです。

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写真3~7: Vatican Museumから

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写真: St. Peter大聖堂、坂野、田辺さんと

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私が内閣顧問をしていた時の内閣官房副長官補の安藤さんがご当地の大使で赴任したばかりです。洞爺湖G8サミットのこともよくご存知なので話は早い。遅めの昼食で魚料理を頂きながら、私の今回の訪問の目的、大使からはご当地の様子などを伺いました。経済産業省から大使館に来ておられる戸部さん、私のスタッフの坂野君も参加。来年2月に再びRomeで今回のフォローアップ会議を開催予定ですので、大使のご協力、ご指導もお願いしました。

夜の便で帰国に発たちました。グローバル化時代の各国の政治のあり方の違い、一方では金融、気候変動、食料問題等々があり、各国の政治とグローバル課題の隔離をどう折り合いをつけていくのか、難しい課題です。いろいろ日本とイタリアの政治について考えることのあった旅でした。

米国ではClinton氏の国務長官就任が決まりました。

Bellagioから、「G8 Summit and Global Health」日本からイタリアへ

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イタリア北部のComo湖のほとりBellagioにあるRockfeller財団のセンターにきました。10月29日です。つい最近に雪が降ったばかりです。残念なことに天気はあまりよくありません。

写真1~4: センターの会議室から見たComo湖とまわりの俯瞰

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今年の初めに私たちが主宰する“Think Tank”、Health Policy Institute世界銀行と開催した「Global Health Summit」 で、政府から独立したプロセスで洞爺湖G8サミットのアジェンダ作りの手伝いをしたわけです。今回は同じようなメカニズムがイタリアで可能なのか、現地のいくつかの関係者をお招きして討議し、どう可能にできるのかを模索するため行われました。日本とイタリア政府の公式なサミット議長国の移行とは別に、私たちのThink Tankが取り持つ独立したアジェンダ継続の働きかけです。このようなMultistakeholdersを巻き込んだ政策プロセスは“フラット”になっていく世界の動きであり、それを政府がどう受け止めるか、これも“Transparency”等として政府の評価の一部になってきているのです。

Bellagioetable01写真5: 会議での私とRockefelloer財団を代表して参加のLinda Dormentさん、そしてHealth Policy Instituteの近藤さんと坂野さん

JCIEが中心になって外務省等関係省庁とまとめた報告(参考 1 )を山本理事長(参考 2 )が紹介し、議論にも参加していただきました。

グローバル時代には一国の政治は、グローバルネットワークを持つMutlistakeholders(多様な利害関係者)や、関係するNGOなどを無視しては動きにくくなっているのです。これについては今年のG8環境大臣会議で行った基調講演  でも指摘しているところです。

イタリアの政治プロセスにどのように関われるのか、いろいろ意見を聞き、イタリアでの可能性を探ろうと思います。明日は、ローマへ向かいます。

医療改革へ、また一言

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最近の医療改革の動きは目覚しいものがあります。しかし、どのような政策に基づいて行動に起すのかが、とても重要な所です。関係者がつい自分たちの立場から発言をしてしまうのはやむを得ないところもあります。これが政治のプロセスなのですから。

しかし、一方で歴史的背景に立脚し、中長期的な展望を持った政策という視点からの発言は極めて大事です。どうしても政府案は近視眼的になりがちですから。

私はできるだけこのような立場に立って、このブログ書籍新聞などで発言するようにしています。あまりにも展望を持った政策への発言が少ないと感じるからです。

最近、読売新聞が医療改革への提言を大きく取り上げました(10月16日朝刊)。また、11月21日の読売新聞(21面)「医療ルネサンス No.4479 提言 現場の声1:医療体制、まず効率化を」では私のコメントも掲載されています。記事は以下のような流れでした。

「■読売新聞社の医療改革提言(10月16日朝刊)には、医師ら医療現場からも多くの反響が寄せられた。4回にわたり、その一部と専門家の意見を紹介する。

■医師不足対策として、提言で打ち出したのが「医師の計画配置」だ。地方や、救急、小児科、産科などで医師不足が目立っている。こうした医師の偏在を解消するため、地域・診療科ごとに定員を設け、医師を計画的に配置する。

■まず、医学部卒業後2年間の初期研修を終えた後、専門医を目指して後期研修を受ける若手医師が対象となる。そのために、大学病院や地域の基幹病院、医師会、自治体が中心となって、新たな医師配置機関を都道府県ごとに創設するよう提案した。配属は、医師の希望に基づいて行われるが、希望者の多い診療科や地域では働けない場合もある。読者の医師からは「憲法で保障された『職業選択の自由』『居住・移転の自由』に反するのではないか」という意見が寄せられた。」

なかなかの滑り出しです。

「■これに対し、早稲田大学大学院法務研究科教授の和田仁孝(よしたか)さんは「地域ごとの医師配置を法規制することは難しいが、医療界が自ら工夫して配置の仕組みを作るなら問題ない。診療科の偏在は、専門医に定数を決めれば解決するはず」という見解だ。

■医療機器に敬称を鳴らす著書のある埼玉県済生会栗橋病院副院長の本田宏さんは、「計画配置の考え方は理解できるし、可能だ」と話す。仮に、医師が希望していた渡海の病院の定員枠が埋まり、第2希望の地方勤務になっても、地方での経験は必ず勉強になる、と考えるからだ。「ただし、一度勤務したら戻れない“片道切符”では困る。地方で一定期間、勤務した後は、大学に戻って専門医四角を取れる道を保証するなど、安心して働ける仕組みを作らなければならない」

■政策研究大学院大学教授で内科医の黒川清さんも、医師の計画配置には賛同する。ただ、「地域・診療科ごとに必要な医師数を決めるには、医療提供体制の効率化を進めることが不可欠」と指摘する。救急たらい回しを防ぐため、基幹病院に地域の医師や看護師が常に参加し、24時間体制の救急医療を行う。また大学など大病院は入院医療に専念し、必要なら、外来には開業医も参加するのが効率的だという。黒川さんは「教育、環境など重要課題のほとんどに基本法があるのに、医療にはない。今こそ『医療基本法』を制定し、改革の理念を打ち出す時だ」と話す。」

いかがでしょうか。読売新聞もがんばりますね。皆さんのご意見をお寄せいただけると担当の記者たちも喜ぶでしょう。皆さんも政策のプロセスに少しでも参加しましょう。

Summit on the Global Agenda、ドバイから-2

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9日、朝早くから会議場のテラスで、日本からの参加者と朝食をとりながら会議(写真1~4)。日本からの参加者のほぼ全員でしたが誰かわかりますか?

写真1~4: 日本からの参加者の会議

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その後はBrain stormingの続きとまとめのセッション。前日から引き続き、8つのテーマにまとめ、各6分程度でプレゼンするというものです。是非このBBCのNick Gowingが司会するセッションをwebcastで見て、聞いてください。皆さん、時間と競争しながらまとめ、話すのはなかなか見事です。

会議終了後は、ホテルでひと休みした後、世界で一番高い建物になる建築中のBurj DubaiのすぐそばにできたばかりのDubai Mallに足を運びました。SONY、Canon、Panasonicなどの日本のflagshipが見える中、本屋の紀伊国屋が出ています。中には大きな水族館がありここの壁の厚さは75cmとか。もちろんこんなものを作れるのは日本の企業、日プラです。

写真5~10: Dubai Mall

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今回の会議参加者は400人ほどでしょうか、いつもより多くの日本の方が参加しました。金融危機、経済低迷をきっかけに世界は新しいパラダイムへの移行をうかがわせる大混乱のときに、このような会議で日本のプレゼンスが上がることはいいことです。しかし、全体として、金融、経済の不確実なタイミングになったので、政治、ビジネスなど実務関係者は欠席が多かったと見えます。日本を含めて学者や「独立系」が比較的多かったというのが私の直感でした。金融関係者はもちろんダメです。

夜は波多野大使たちとレストラン、鄭和 Zheng He参考:この人がコロンブスに先立つこと50年余も前にアメリカ大陸を発見したという説があります)で食事。

「鄭和」でのディナーの写真です。

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10日の午前2時45分、ドバイ空港を発ち、関空経由で10日の夜に帰京しました。