ノーベル賞授賞式、ストックホルムへ −1

例年のことですが、10月初めにノーベル賞の発表があります。今年の発表の時、私は京都にいたのですが、大村先生の受賞について、その夜に2社のインタビューを受けました。その記事についてはこのサイトで紹介しました。

思いもかけないことに、大村先生から受賞式へのご招待をいただき、12月6日、ストックホルムへ向かうことになりました。

先生のご業績などについてはよく知っていましたし、先生の2014年のGairdner賞受賞のお手伝いをさせていただいたご縁でしょうか、この賞の委員長を務める私の長年の友人でもあるJohn Dirksさんもお招きいただきました。

フランクフルト経由でストックホルム着、グランドホテルへのチェックインは6日の深夜過ぎの7日になったところでした。1901年以来、ノーベル賞受賞者とゲストはこのホテルに宿泊されるそうです。

翌日は、Karolinska研究所でノーベル生理・医学賞受賞者の講演と、レセプションがありました。

3人の受賞者の皆さんが30分ずつ、それぞれが晴れがましく、でも印象的な講演をされました。大村先生1)のスピーチは素晴らしいものでした。キャンベルさん1)の講演もいい話でした。トウさん1)は、ご体調のせいでしょう、座ったまま中国語で話され、そのパワポでは、図と英語の説明が並べられる配慮がされていました。

その後のレセプションでは、みなさん受賞者の周りで、お祝いの華やかさにあふれていました。

大村先生、お疲れ様でした。お招きありがとうございました。

More Photos→ http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/

長崎で Pugwash 会議

「Holy Mother in Nagasaki」
https://www.google.co.jp/search?q=holy+mother+in+nagasaki&rlz=1C1CAFB_enJP633JP633&espv=2&biw=1440&bih=799&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CCYQsARqFQoTCO-0noyn-MgCFeMcpgod1McGxw&dpr=1#imgrc=A-oWpQ8RAuYZuM%3A

Pugwash 会議が、戦後70年の今年、初めて長崎で開催されました。私もパネルで話しをする機会をいただきました。

Pugwash 会議は Einstein などの科学者が、原爆による広島・長崎での悲惨な有様から、”核のない世界を”という趣旨で、1955年の有名な「Russel- Einstein Manifesto」 から始まった、核兵器をはじめとする大量殺戮兵器の廃絶に向けた「科学者の良心」とも言われる自発的な会議です。 この宣言にサインをした11人の科学者、そのうちの一人が湯川先生、10人がノーベル賞受賞者です。

第一回の会議は1957年、Pugwash, Nova Scotia, Canada で開催されました。

戦後50年の1995年、原爆被爆国の日本ではじめて、そして60年の2005年には広島で開催されています。そして戦後70年の今年、長崎で開催されたのです。この1995年にはこの Pugwash 会議と Sir Joseph Rotblat ノーベル平和賞を受賞しています。

私は3日目の11月3日に長崎へ、2年前にもうかがった長崎大学医学部が会場です。パネル「Risk of Civil Use of Nuclear Energy」は、と Princeton の Frank von Hippel のプレゼン、旧知の CSIS の Ms Sharon Squassoni とインドの Prof Ramamurti Rajaraman のコメントという構成でした。

私のプレゼンは20分、テンポは速いのですが、その後二日の間に多くの方たちから好評をいただきました。日本のメディアの英語版1)でも早速取り上げてくれました。これは良かったです。

その後、長崎出身で、ノーベル賞受賞者の下村さん1)から被爆者であるからこその感動的な話がありました。そのうち、これも紹介できると思います。

夜は特別に、会場のステージで、私も良く知っている日本を代表する免疫学者で、文筆家でもあり、著書も多く、創作「能」など幅広い活動をされた多田富雄さん(2010年、享年76歳で没、残念です)の能の一つ、「長崎の聖母」(Holy Mother in Nagaskai)1)が演じられました。グレゴリオ歌は地元の名門「純心女子高校音楽部」。ほんとうに感動的な時間でした。

夜は Glaver 邸1)でのレセプッション。河野洋平元衆議院議長からご挨拶をいただきました。

翌日、もう一日参加。会場は伊王島のホテル。午後の講演では MIT の PhD でもある、イランの原発の専門家で外務大臣も勤めた Dr Ali Akbal Salehi の「Twelve Years of the Iranian Nuclear Controversy and Negotiations: Lesson Learned」がなかなかのもので、多くのするどい質問が出ましたが、丁寧に答えられていました。さすが外交官でもあり、感心しました。

長崎は快晴でしたが、外を尋ねる時間がなく残念。しかし、なかなか充実した時間でもありました。

ところで、今年も二人の日本人がノーベル賞を受賞しました。広島、長崎、Pugwash、ノーベル受賞者とその意義、湯川博士の受賞のメッセージ、ノーベル平和賞などなど、ノーベル賞にはそれなりの大きな社会的、世界的なメッセージが明示的に込められていると思います。興味のある人は、例えば伊東乾さんの「日本にノーベル賞が来る理由」を読むのもいいですよ。

今回の Pugwash 会議も原爆、広島、長崎、湯川さんπ中間子の発見、核の時代の冷戦などなど、深い思考的メッセージがあると思います。

Kavli賞受賞者の講演会とNorway大使館でのレセプション

Kavli賞とは、2010年に始まり、2年ごとに天文学、ナノ材料、神経科学の分野の研究者を顕彰する新しい科学賞です。創設者のKavli氏は昨年亡くなられましたが、日本からはカーボンナノチューブの飯島澄男先生が、その第一回の受賞者の一人です。また、世界の優秀な研究所が「Kavli」の冠(カンムリ)のEndowmentを受けており、この分野では、広く世界に知られています。

日本でも、東京大学の村山先生の率いるIPMUが「Kavli」の名前を付けていますし、CalTechの大栗教授もKavliの名前の教授です。他のKavli研究所のリストはこちらで見ることができます。

2014年の受賞者のお二人、Big Banの膨張のMITのAlan Ruthさん 、ナノ物質のThomas Ebbesenさん(NECのつくば研究所での活躍が、この受賞の対象の始まりでした)をお招きしての講演会が、10月31日、東京で開催されました。

その前夜に大使館でレセプションディナーがあり、私もお招きを受けました。私も2013年にKavli受賞式のScience Forum1)にお招きを受けて、授賞式にも参加しました。Kavli財団を引き継いでいる Bob Connさんにも久しぶりにお会いしました。

Arne Walther 前大使の時には、そのお人柄もあって、特にはディナーにクジラの肉が、シンボリックに出されていたのですが、最近はあまり見ませんね。

今年のノーベル賞

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今年もお二人の日本人がノーベル賞を受賞しました。うれしいことです。

大村先生のご業績については、私も先生のことを良く知っており、とてもうれしく思いました。共同受賞のCampbellさん、さらに中国のマラリア特効薬の同定での受賞も、タイムリーで、いい選択です。この三人の受賞は、世界的な大問題への大きな貢献ということでしょう。

ノーベル賞発表の夜、私は京都にいたのですが、電話でインタビューを受けました。一つは朝日新聞で、山中伸弥さん、福岡伸一さんとの鼎談でした1)。

もう一つは、共同通信の取材で、京都新聞にも掲載されたので、両方とも翌日の朝刊で見ることができました。

ノーベル賞発表の夜、大村先生に何度かお電話を試みましたが、もちろん「お話中」。翌日、お昼ごろ電話が通じて、短い時間でしたが、お祝いと、ちょっと楽しい会話を持つことができました。

夜には、今度は梶田先生。ニュートリノです。すばらしいですね。これは梶田先生もおっしゃるように、恩師の小柴先生、さらに戸塚先生との研究ですが、本当に残念なことに戸塚先生は早くお亡くなりなりました。 戸塚先生は、本当にすばらしい方で、十数年も前のことですが、私も一度、ワシントンに一緒に講演に行ったことがあります。

とにかくうれしい受賞でした。 私のノーベル賞に対するコメントも、このサイトで「サーチ」してください。最近ではこちらの記事で紹介している「応用物理の巻頭言」などがあります。失礼な部分もあるかもしれませんが、気を悪くしないでくださいね。

私は、若者たちへのメッセージを送っているつもりですので。

医学会総会、認知症、「5つのM」、そしてWHS

4月の中頃、桜がほぼ終わりになるころ、京都で4年に一回開催される医学会総会がありました。私も一時間ほどの講演を二つ、パネルに一つ参加しました。

ひとつは「認知症」、約700~800人ほどの方がこられたようです。もちろん、私はこの分野の専門ではありませんし、専門家ばかりの学会の集まりでもないので、G8の世界認知症諮問委員の意義、実際の活動、日本の評価、これからの課題などを中心にお話しました。ビデオを入れたり、世界の変化を入れたり。聞いた話ですが、なかなかよかったという評価だったということでした。

もうひとつは、医学と社会の変化のあり方などです。19年前、1996年に私が東大での最終講義でのメッセージのひとつ、「5つのM」について触れました。この「5つのM」については当時の内科学会でも講演をしています。

「マーケット(市場)」、「マネジメント」、「モレキュラーバイオロジー(当時ヒトゲノムが2000年に解析されるとは思われていなかった)」、「マイクロチップ・メディア(つまりはどんどん広がるインターネット、2000年問題、当時はまだ電話回線、IT基本法が施行されたのは2001年、今ではモバイル、すっかり様変わりしている)、そして「モラル」、これらは、今でも大きな課題ですね。

さらに日本では、大学などの研究でさえも基本的には“家元制”だ、などといった話をしました。このことは、100年前にすでに指摘されているのです。

大学人には(研究でも同様ですが)将来の世代を、自分の手足ではなく、世界で活躍できる人間力の形成に尽くしてほしいのです。

続いて、13、14日にはWorld Health Summit(WHS)が同じ会場で開催され、京都大学の福原教授の努力と多くの方の支援も得て、すばらしいプログラムになりました。

私も、この二年間、世界でも全く新しいモデルでグローバルヘルスの資金支援をしているGHITの紹介を兼ねた「グローバルヘルス」のパネルへの参加など、いろいろでした。このGHITは、日本の製薬企業が出資、それにマッチしてゲイツ財団が資金を提供し、両方の合計に日本政府がマッチした資金を提供するものです。20ほどのあまり支援されてこなかった途上国で問題になっている感染症対策として、世界でもユニークなメカニズムです。理事会の構成も日本人はマイノリティで運営しており、思考も、運営も 典型的な日本的でない、“グローバルなマインド”の組織です。世界でも注目され始めています。

ところで、この医学会総会は、いつまで続けようというのでしょうか。

ボストン‐2

今回のボストン滞在中には、米国内科学会、ハーバード大学公衆衛生院訪問の他にも、いくつかの別の機会をもちました。

ひとつは「福島原発事故のその後」といったテーマのビデオ取材です。米国では とても質が良く、しかも番組の途中でコマーシャルを入れないことでも知られている「PBS」1)の取材です。やはり、どこでもこの歴史的大事故への関心は高いのです。今年の一月にも別件でトロントを訪問した際にも同じ趣旨の会合にお招きを受けました。

もうひとつは、MITメディアラボ1)の訪問です。安倍総理も今回のボストン滞在では、ここも訪問されたということです。所長が「Eテレ」の「スーパープレゼンターション」でおなじみになったジョイ伊藤さん123)などの存在があったのでしょう。

ここでは4人の研究者とお会いしました。皆さん、さすがなのですが、経歴も変わっている人も多く、研究もとてもユニークで面白いのです。アートとテクと何でもありの融合というか、一人ひとりが、メジャーから外れているところに価値を持っているところがここの面白さなのです。わたしもここの関係者の一人です。

今回、わたしがお会いしたのはピカードさん(認知症に関して何度かメールで交流していたのですが、とうとう会えた、みたいな具合です)、オックスマンさんとフェローのシャルマさん、ボイデンさん、そして石井さんです。皆さん“とんでもないこと”をしています。

また、船橋洋一さんが「日米関係」についてのカンファを開催していたのですが、突然、「ボストンにいるんだって?レセプションに招待するけど?」と電話をいただき、ハーバードファカルティクラブに。ハーバード大学公衆衛生院訪問から内科学会に戻る途中の20分ほどですが、伺いました。金曜の夕方でしたから道がとても込んでいました。

快晴の土曜の午前は、ボストンのファインアート美術館で、「ホクサイ」コレクション特別展示がありましたので、行ってきました。本当にすばらしい展示でした。また、東北大震災「3.11」の写真展示もあり、これはちょっと変わった表現に注目した、深く考えさせる企画でした。この時間だけが、今回の訪問の本務とは まったく関係のない時間でした。

レッドソックスの試合もあったのですが、観戦する機会はつくれませんでした。残念。

ボストン、特に古いボストン、ケンブリッジの町並みはとても落ち着きます。

研究者のモラル、小保方さんが開けたパンドラの箱

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かなり下火になっているようには見えますが、研究者をめぐっていろいろと問題が起こっています。

理研の小保方さんの事件、東大を含んだ教授と製薬企業との「癒着」の問題などです。繰り返し起こって、しばらくメディアで大きく取り上げられますが、しばらくするとまた繰り返すのです。

このような問題は どこでも起こりうることですが、そこから学ぶ姿勢、さらにもっと社会的にも、根本的な問題にも注意を払う必要があります。研究者の「自律精神」の欠如です。

国会事故調で明らかにしたのも、そのような日本社会に深く存在している問題を指摘したのです。

今年の5月19日のブログ「日本の科学と精神」でも指摘したところです。日本の研究は基本的に「家元制」だと。

米国で、独立した研究者として私と同じように長い年月を過ごした市川さんは、理研問題の外部審査の委員も務めました。そこから見えたことについて、きわめて示唆に富んだ意見を「小保方晴子が開けたパンドラの箱」として述べています。

ぜひ参考にしてください。これは正しく鋭い指摘です。

特に関係者は知っていることかもしれませんが、「不都合な真実」を無視することなく、意識して解決していくことこそが、指導者たちの責任と思います。

将来の研究者を育てる意識が不足している、あるいはその精神が受け継がれていないのではないかと思います。