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Michael Jackson (MJ) が急死して、ちょうど1年が過ぎました。本当に残念なことです。20世紀の60年代末に「Jackson Five」のリードヴォーカルでデビュー、最初のシングルが続けて(I Want You Back, ABC, The Love You Save, I’ll Be There) ヒットチャートの#1になりました。
80年代初めに「Billie Jean, Beat It, Thriller」など、歌と踊りとヴィジュアルをあわせた時代を先取りするような作品を次々とだして、Pop Musicを根本的に変えた、稀有な天才です。「King of Pop」といわれるのも当然です。今はよく見られる歌、踊り、ヴィジュアルを組み合わせた「時代の新しい芸術」にしたといえます。しかも、彼の作品は今でも燦然と輝いています。
彼が急死する前、予定されていた最後の公演シリーズ「This Is It」を世界中が楽しみにしていたと思います。そのリハーサルのClipから作った「This Is It」 を見ると本当に彼の才能と、人となり、そして本物のプロ興行のスゴサ、厳しさを感じ取れます。何度見ても飽きないすばらしい作品です。リハーサルのclipからの編集ですから、彼自身が本当に歌っているのではないのがちょっとさびしいですが、もし彼が死んでいなかったらどんな公演、そして作品になっていただろうか、想像するだけでもとても残念です。私も彼の大ファンです。いくつかのヴィデオも持っています。
彼の死後1年間ですが、「This Is It」などからも彼の人柄がそこかしこに垣間見え、彼の人気はますます上がっているとの話も聞きます。DVDなどの売り上げは3,000万枚を超え、1,000億円近い売り上げだとか。すごいことです。
実は1977年の夏、私はUCLA に戻り、Encino というUCLAの横のFreeway 405 を北へ車で15分ほどのところ、Santa Monica Mountains の峠を超えてMulholland Drive (映画でも有名な道路です 資料1 )からSan Fernando Valley へ降りていく途中の町に家を買い換えて移りました。16465 Refugio Road、どんづまりCul de Sacの家です。見晴らしも、環境も、近所の方々もよい方ばかりでした。
その後、まもなくでしょうか、なんとMichael Jackson (MJ)が近くに引っ越してきました。4641 Havenhurst Avenue です。当時すでに有名でしたが、彼のキャリアでは、次への一歩を模索していたころですね。その後、1988年にEncinoから200kmほど西のSanta Maria に近いところ、Neverland に移りましたが、1年前、彼が亡くなったときには、ここには彼のご両親が住んでいることになっていました。
ところで、その頃のことですがMichael Jacksonと私たちは時に会うことがあったのです。私の一家がよく行く近くのスーパーマーケットGelson (Havenhurst Avenue とVenture Blvdの交差点にある高級スーパーです)で時々会うのです。彼は1人でショッピングしていて、そのときには言葉を交わすのですが、とてもシャイで、素敵な若者でした、MJが19歳のころです。
私が日本に帰国したのは1983の10月。MJはすでに大スター、1982年のAlbum「Thriller」 のリリースです。このalbumにはThrillerのほかに「Beat It、Billie Jean」などが入っているのです。すごいアルバムです。そして、あのころは「Thriller」のヴィデオがテレビで盛んに流れていました。
私が渡米した1969年に始まり、1983年のMJ、そしてその後のMJ。20世紀を21世紀につなぐ、最高のEntertainerでした。
ところで、Google Maps(地図、Street Viewなど)はすごいもので、MJの家から北にHavenhurst Avenueを100mほど行くとGelsonが見れます。南へ400mほどでLanai Roadへ、400mでHavenhurst Driveを東へ、300mでBallina Driveへ、300mでBallina Canyon Roadへ、どんどん山へあがっていくのです. 200mで右にRefugio Roadをはいると5軒目で突き当たり。右側が私たちの住んでいた家です。様子はStreet Viewでも、航空地図でも見れますが、家の様子は、ここ(リンク)を見てください。その頃ですが、今はなくなられた作家の城山三郎さんが尋ねてくださり、私のことを書いてくださった小文に、この家の様子にちょっと触れておられます。
Michael Jacksonの1周忌の機会にこのポストにしました。