San Francisco

→English

4月12日の午前、東京大学の入学式に参加して、一時、浜田総長ほかの方たちと、しばし歓談し、成田へ向かいました。San Franciscoで開催されているAmerican College of Physiciansの年次総会があり、わたしも ‘Meet the Professor’で‘Why Fukushima Happened: What You Can Do from Tomorrow’で、1時間ほど話をすることになっているからです。

この年次総会には2011年には参加しましたが、2012年は国会事故調の活動中でもあり欠席。

San Francisco には同じ12日の午前に到着、ホテルで一休みして学会の開催されているMoscone Centerへ。California には今年3度目となります。相変わらず青く透き通った空、素晴らしい天気です。

わたしのセッションは、思った以上に、150人ほどでしょうか、多くの方が参加され質疑応答も途切れなくありました。皆さんがそれぞれの立場で関心が高いと思いました。2011年にこの年次会でお会いしたMona Khannaも参加、去年も東北訪問に来ているので、被災地のことが気になるのでしょう。

夜は日本支部のレセプション、小林会長はじめ、今年のFellowほか何人も会員が参加、また多くの理事、会長なども顔を出され和やかな会となりました。 いつものことですが、前田先生にはお世話になります。

翌日は最終日、ディナーをUnion Square近くのScala’s Bistroに6人の方たちと。土曜日の6時ですが満杯でした。

明日は日曜日、何人かはNapaを回ってから、私は午前に帰国の途につきます。

 

Health Summit、そしてRio de Janeiroへ

→English

Paris-Bostonから一回りして東京に1週間、いろいろ忙しくしていましたが、22日には医療政策機構HGPI恒例のHealth Summit (1)開催。素晴らしい方たちのパネルと、素晴らしい方たちの参加で盛会のうちに終わりました。いろいろな方たちからお礼と、励ましの言葉をいただきました。2011年3月11日の東北大震災と福島原発事故からほぼ2年が経って、いくつかの日本の課題をテーマにフォーカスを当てたのが良かったのかもしれませんが、パネルの方たちが素晴らしかったですね。根本 匠復興担当大臣もごあいさつに来られ、また男女共同参画パネルについてはRoos米国大使夫人も参加してくださいました。Health SummitについてはHGPI のウェブサイトを訪ねてください。随時報告を掲載します。

24日の日曜から30時間をかけて真夏のRio de Janeiroへ。Copacabana日本学術会議の要請もあり、この10年ほど、私も深くかかわってきた「InterAcademy Panel」の総会でパネルに参加することになったのです。

今回はDubai経由で、成田―Dubaiが12時間、Dubai空港で2時間、そこからRio de Janeiroまで15時間の行程で、ともにEmirates、快適でした。時々眠り、いくつか映画を見て、疲れない旅でした。

Rioは30~35度の暑さですが、ほとんど会議場の中ですし、何人もの友人たちにも会えてよい時間を過ごせました。大きなテーマは「Grand Challenges and Integrated Innovation: Science for Poverty Eradication and Sustainable Development」です。午後最後のセッションから会場へ。CanadaのPeter Singerがひっぱっています。

翌朝はCopacabanaの海岸を1時間ほど速足で気持ち良く歩き、1日中会議に参加、夜は日本学術会議の大西会長、春日副会長ほか数人で食事のあと空港へ。午前2時過ぎのEmiratesで往路と同じ経路で帰路につきました。

多様に変化していく世界の変わりようから考えると、アカデミーの役割も多様な利害関係者の一つとしての意識がもっと高くなっていかないとちょっと物足りないように思いました。その点で英国のThe Royal Societyの報告書「Science as an Open Enterprize 2012」について、NatureのEditor-in―Chief Philip Campbell(彼もこの報告書の委員の一人です…)も参加した「非公式」セッションはなかなか良かったです。先駆的テーマについての報告書を次々と発表し、いろいろな形で世界へ広げようとするところが英国の科学者(政府も同様ですね、例えば「Stern Report」など…)の意識と行動力のすごいところです。 

ところで、今回の往復各24‐27時間の機内でみた映画で、私がよかったと思ったのは「Chasing Mavericks(米国) 」、「All About My Wife (韓国) 」でした。ビジネスクラスでもスクリーンは大きいし、ラインアップは沢山あるし、「Lincoln」(アカデミー主演男優賞、良かったですね)などはとっくに見ていますから。

しかし、往復とも成田-Dubai間がFirstでないので〝例のシャワー”体験ができなかったのが残念です。

 

新春対談、そして2つのイベントへのお誘い

→English

皆さん、あけましておめでとうございます。

こんなに遅く今年の初ポストとはいかがなものかと思いますが、申し訳ありません。

再び安倍政権となりました。いろいろな会議が立ち上がり、各省庁は補正予算や来年度予算など、正月も返上で大忙しでしょう。

私も何となくせわしなくしています。

今年は皆さんにとってより良い年になることを心から期待していますが、どんなものでしょうか?

さっそくですが、公明新聞の元旦号に公明党の山口代表との「新春対談」が掲載されていますのでご紹介します。短いものですが、私の視点は、国会事故調以降に再開したこのブログに来ていただいている方にはおなじみのことです。

さて、2つの会への参加のお誘いです。

1) 1月14日、午後2時から東京の渋谷で、留学支援をしているAGOSで私のトークがあります。できるだけ対話形式で行きたいと考えています。よかったら参加しませんか?

AOGSはUCLA同窓会メンバーの横山さんの主宰する留学支援の組織です。ULCA学部卒で、あの有名なCollege Basketballの伝説のJohn Woodenチームのマネジャーをやった初めての日本人、東洋人です。このブログにも、何度か紹介しているH-LABプログラム1)を、AOGSとは独立して支援してくれています。

2) 1月29日、午後7時から、これも東京の丸の内で、渋沢健さんたちJCIEと私たちの医療政策機構HGPIとで、今年の6月の横浜で開催される東京アフリカ開発会議「TICAD 5」に向けた活動「アフリカ成長の鍵:グローバルヘルス」を開始します。アフリカに興味のある方たちも、そうでない人たちも、ふるって参加してください。
私も10月にNairobi12)へ行ってきました。

今朝は、USAIDのJay Shighさんのお話を聞くHGPIの朝食会でした。日本の企業と米国のODAの協力なども、これから前向きのテーマです。

何かあわただしい年の始まりですね。

 

台北へ、偶然の重なり

→English

 

Prof-Kurokawa-CGMH-visit
Prof. Yang 2nd from left. Next to the right between Prof. Yang and me is Prof. Tomino of Juntendo University.

GEWの初日に参加した翌日は、朝から台北へ向かいます。去年、約束していたChang Gung Medical Centerとの小さな研究会が「3.11」の大災害、大事故で伸びてしまっていたのです。Chih-Wei Yang教授とは長いお付き合いがあり、現在は国際腎臓学会International Society of Nephrologyの理事、Chang Gung College of Medicineを率いる学部長です。ご多忙の中、空港まで迎えに来ていただき、恐縮しました。

この間にも、偶然ですが、Chang Gung Medical CentersとArizona State University、さらにMayo Clinicも参加する予定という画期的なプロジェクト「Biosignatures」1)が始まっていることに米国側から相談を受けたばかりだったので、その偶然のタイミングがYang教授との話題の一つとなりました。

翌日はYang教授も参加した勉強会で若手の発表会に参加したのち、午後4時過ぎには羽田に向かいました。短い台北滞在でした。

でも、このようないつもの偶然に見えることは、何も偶然ではなく、いろいろな方たちとの出会いとその中から生まれる相互の信頼関係によるものだと思います。このような偶然の重なりと自分のその時々に所属する組織と関係ない、むしろ自分の履歴にみられる能力の「属性」に由来する信頼に基礎を置くユニークな人間関係は、これからの国境を超えるグローバル世界では、何よりの価値のある性格のものだろうと思います。

若いころからの自分の価値創造は、10代、20代から30代初めに自分の「属性」を世界のプロに接して磨くいくつもの機会を作ることと、そこから自分なりの目標を感じ取れる、そこへ向けた自分なりの努力目標を感じ取れることは大事なことです。

自分のユニークな価値を見つけ出す、自分にも謙虚になれる、世界での自分なりの立ち位置を設定できることは、キャリア形成にもとても役に立つことと思います。

帰国した翌日の11月11日夜には、成田からDubaiへ向けて出発です。

 

2日間でMalaysiaとNorwayの首相にお会いする

→English

Malaysiaの首相Mohd Najib Abdul Razak1)は「科学とイノベーションのグローバル顧問会議」を設置、私も委員に招聘を受けています。

今回は、11月1-3日にわたってKuala LumpurとJohor Bahruで開催。10月31日の朝に成田を出発。Kuala Lumpur空港から1時間半ほどかかってホテルへ到着、夜のレセプションに参加。

翌11月1日の第1日はKuala Lumpurの首相官邸での会議。首相のほかにも関係閣僚も数名出席、Food Security、Nutritionと環境の問題などのいくつかの進捗の報告など、活発な意見交換と政策への反映などが議論され、指示されました。特に今回はJohor Bahruを中心とした「Iskandar Malaysia Smart City Framework」の現地視察も兼ねた会議でしたが、私は残念ながら2日、3日の現地視察は失礼することとし、1日の夜にはKuala Lumpurを出発、2日の早朝に成田へ戻りました。

帰宅後、一息ついて、昼はNorwayのJens Stoltenberg首相1)との会食、日本側は私だけで、フクシマ原発の国会事故調の報告書と、去年の夏のNorwayで多数の死者が出た乱射事件でのNorwayの独立委員会の報告を踏まえた、リスクと政府の対応などについて意見交換という趣旨です。

フクシマ原発の国会事故調報告書は世界でかなり広く読まれているようで、意見交換に興味のある方が、多くの国の要職にある方たちにもおられるのはうれしいことです。

さらにStoltenberg首相は「Global Health」についての意見交換という提案です。特にNorwayはこの分野ではGAVI1)などへの積極的な支援で知られ、首相も大いにこれを推進されているのです。私たちの主宰するHGPIも、先日GAVIと共催で会議を開催したばかりでしたし、9月初めに私も参加したOsloでのKavli Science Forumでも、首相はこの点を強調されておられたのは報告したとおりです。

あっという間に時間がたち、そのあとはNorwayのテレビ局と共同通信の取材などが続きました。

夜はStoltenberg首相歓迎のレセプションへ。平野復興大臣も出席され、大勢の関係者が出席され、Salmonなど海産物料理を皆さんで楽しみました。

2日続けて、お2人の首相にお会いするなど、考えもしないことでした。

 

山中さんのノーベル賞、私のコメント

→English

山中伸弥さんのノーベル医学生理学賞受賞、素晴らしいですね。10月にSTS Forum出席で京都にいるときに山中さんにお会いしました。このことにはちょっと触れましたね

とてもインパクトのある素晴らしい業績ですし、世界からも期待されていたのです。はじめの論文が2006年ですから、どれだけ山中さんのiPSの発見のインパクトが大きかったかが理解されます。本当にうれしいです(1)。

私はノーベル賞について、このサイトでもいくつもコメントしていますし、今回も新聞などからもコメントを求められ、私の従来からの意見と同じコメントをいたしました。

私の意見の中心は日本の大学を含んだ、皆さんが当然と考えている日本の社会制度の課題です。つまり「タテ」社会についての意見です。

以下のようなポストで私の意見を理解していただけると思います。

1. 「東大とノーベル賞」

2. 「なぜ東大からノーベル賞が出にくいか」

3. 「ノーベル賞とアカデミー賞」

4. 「人材育成は国の根幹」

5. 「ノーベル賞100周年を記念して」

6. 「我が国の研究者養成の現状と緊急課題」

7. 「「出る杭」を伸ばす他流試合」

山中さんのような研究のインパクトは「インパクトファクター」ではないのです。世界でのインパクトなのです。

それらは多くは反骨精神であり、本流からはなかなか出てこない、“Crazy Ones”1)のすることなのです。

21世紀になって、日本の方は11人のノーベル賞になりましたが、南部さん(物理)、下村さん(化学)、根岸さん(化学)は、米国でキャリア作ってきた方たちです。利根川さんもそうです、San Diego、Baselですね。

「出る杭」「Crazy Ones」であることを恐れてはいけません。「出る杭」こそが世界を変えるのです。

 

Nairobiから -2: Hideyo Noguchi Africa Prize、活躍する日本の若者たち

→English

Nairobi、第2日です。日本の若者たちの活躍は素晴らしいものがあります。主としてJICA経由の方に多くお会いしますが、他の経路、国際機関や米国の大学などの経路からの方たちもいます。活躍の場所はGabon, Congo, Kenya, Burundi, Senegal, Palestineなどです。ほとんどが若い女性たちです。すごいパワーです。

また、この会議を推進してきた大阪大学の中村安秀教授とそのスタッフで参加している留学生たち、Dr. de Los Reyesや大学院生のBelargaさん、また中村さんの活動から派生したHANDSの方たちの活動はKenya、Ethiopiaなどへも広がっている素晴らしいものです。

日本から米国へ留学している若い人たちで、キャリアの一部としてAfricaで活動している方たちにもお会いしました。若い人たちは素晴らしい人たちもたくさんいます。

昨日、初めてお会いしたのですが、以下のようなメールをいただきました。本当にうれしいです。

黒川 清 先生

本日MCH booklet conferenceでお話させていただいた現在UCLA School of Public HealthのMasterコースに在籍中で、この2か月はJICAでケニアに滞在しています。

黒川先生の「他流試合をしなさい、いろいろな人と混じりなさい」「世界に目を向けなさい」というメッセージに、学生時代のわたしはとても背中を押され、アメリカの病院でエクスターンをしたりカナダの医学部に2か月ほど在籍をしたり、東ティモールのNGOのクリニックにエクスターンに行ったり、今思えば英語もそれほど堪能ではないのにもかかわらず当時はとても勇敢だったと思うのですが、自分なりに世界に目を向けることのワクワク感を見つけるようになったと思っています。メーリングリストで黒川先生の勇気の出るお話や東海大学の同学年くらいの学生さんたちのアメリカエクスターン留学記を楽しく拝見させていただいたこと をよく覚えています。

私は卒業後、沖縄県立中部病院でのトレーニングと、その後、久米島という離島で臨床経験を積み、日本国内でもhealth disparityがあったのだという新鮮な驚きと、そこからsocial determinants of healthやcommunity empowerment、social capacity buildingなどに興味を持ち、UCLAでCommunity Health Sciencesを勉強することになり、今ケニアまで流れ着いたところです。

はじめから絶対こうなるんだ!!という大きな夢や強い意志があったわけではありませんが、自分のキャリアを決めていく過程で自分が必要だと思ったことや、おもしろそうだと思ったことを何となく選んできたら、だいぶ遠いところまで流れてきました。きっと学生時代から「いろいろなひとと出会いチャレンジすることの楽しさ」を知ってしまったのだと思います。

このケニア滞在中もケニアの田舎町出身のUCLAのクラスメイトが「私の実家に遊びにいったら」と言ってくれ、一人でマタツ(ぎゅうぎゅう詰めのケニアのバスです)を乗り継いで、彼女の実家に宿泊してきました。それほど裕福ではないけれど愛情にあふれたご家族で、見ず知らずの私をあたたかく迎えてくれ、別れた帰りにはひとのあたたかさに涙がポロポロこぼれました。

世界は広く、世界は狭いですね。

まだわたしも今後どのような道でチャレンジするべきか、この経験をどこでどのように生かしていくべきか、悩みはつきません。

いつも背中を押してくれる先生の発信をこれからも楽しみにしております。

夕方から、Hideyo Noguchi Africa Prize12)の特別セッションがありました。Wereさんが設立したUZIMA財団の若い男女2人による野口英世の紙芝居プレゼンに始まり、ビデオ映像を使ったHideyo Noguchi Africa Prizeの説明、私も委員長として挨拶、第1回の受賞のKenyaのMiriam Wereさんも横浜でのTICAD4の授賞式の様子の映像を見せ、長い間Africaで活動している外科医の杉下智彦さんが、若い時に自分が野口英世に触発され、この10年超をAfricaで活動していること、そしてWereさんに師事して活動している感動の物語、このセッションの最後はWereさんの熱い思いのスピーチで締めくくりました。

そのあとはレセプション。在Kenyaの山田公使も参加して、参加者みんなが一緒に踊り、とても楽しいひと時を過ごしました。

独立した多くの日本の若者たちのこのような活動こそが、人材育成の根幹であり、国の信用の基盤なのです。

 

London、そしてNairobiへ: Hideyo Noguchi Africa Prizeの話をする

→English



Photos in Nairobi by Mr O.T. Belarga of Osaka University Graduate School of Human Sciences.

New YorkからLondonへのフライトの出発が遅れたので、LondonのHeathrow到着前にNairobi への便には間に合わないと告げられました。幸いにNairobiでの時間には余裕があったので、あわてることなくHeathrowに隣接するSofitelで一泊。夕食はLondonで、連絡のついた友人1家族と、国会事故調でインターン、秋からOxford大学院でPolitical Sciencesの勉強を始めた留学生と日本食レストランへ。いろいろな話題に花が咲きました(写真)。

翌日は、Nairobiへ。夜9時過ぎに現地に到着、外務省からのお迎えの方とともに、ホテルに。明日から4日間、第8回母子手帳の国際会議です。これは大阪大学の中村安秀教授とHANDSが中心となって活動している会議です。

母子手帳は、皆さんもご存知の、日本のODAとしてアジアで成功したものの1つです。これをAfricaにも広めようという趣旨です。

Kenya政府も、4年前の第1回 Hideyo Noguchi Africa Prize受賞のDr. Miriam Wereさんも、かなり気合を入れて準備に対応してくれた、と伺っています。いくつかの国際関係機関ばかりでなく、アフリカ諸国、アジア諸国、Palestineからも代表が参加されました。全部で30数か国からの参加があるようです。

翌朝早くから会議場のMultimedia University of Kenyaへ。KenyaではMinistry of Public Health and Sanitation (MPHS)  とMinistry of Medical Servicesが別になっているようですが、なかなか理にかなった体制と思いました。

私はこの始まりのOpening Plenary Panelで、Wereさん、Minister of Public Health and Sanitation Honorable Beth Mugo大臣などと参加。在Kenya山田公使がご自分の母子手帳を見せながらの話されたのは、なかなか良かったです。私はこのOpening Plenary Panelで、「Japan Support for Global Health and the Hideyo Noguchi Africa Prize」について25分ほど講演しました。

お休みの時にいろいろな国の方にもお会いしましたが、Africaのいろいろなところで活躍している日本の方たち(やはり若い女性が圧倒的に多いのです)にお会いしました。その中には私がJICAのタイのパヤオのAIDS対策プログラムを統括していた時に、現地でお手伝いいただいた看護師さんもおられ、彼女はその後アフリカで活躍しているということです。このような出会いがある世界は素晴らしいですね。そして日本の若者たちの生き生きとした活躍がうれしいです。

明日の夕方には「Hideyo Noguchi Africa Prize, 4th Anniversary」セッションがあり、私も前回、また現在進行中の来年のTICAD5に向けた今回も委員長をしていますので、もちろん参加です。

広がる世界、そして日本の立ち位置などを考え、多くの方たちにお会いできる良い機会です。

 

台北へ、国内でもいろいろと

English

ソウル、沖縄の次の週末は台北へ。台湾内科学会での招請講演です。もう一人は米国内科学会の会長のVirginia Hood さん、今年の4月にSan Diego でもお会いしています。

日曜の午後、台北から車で40分ほどのところにあるJiufen (資料1)へ。映画「非情城市」のロケ地、また宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」のモデルにもなった建物や坂道の商店街など、話を伺いました。なかなか、面白いところで一度は訪問されるとよいところと思います。天気のよい日曜だったので、大勢の人、車で大変でしたが、、。  

あまり景気がよくないのでしょうか、昔に比べて、なんとなく台北も元気がないような気がしました。

この週末に前後して、例年の人間ドック検診、UCLAの同窓会、Canon財団の研究グラント審査、米国大使館での今年で2度目のThe Entrenpreneur Awards Japan 2011, Second Annual Awards Ceremonyなどに参加しました。Roos大使の肝いりのイヴェントのひとつです。

毎日があわただしく過ぎていきます、ちょっと困ったものです。

 

ソウルで日韓中の医薬品審査プロセス討論、そして日本の元気な若者たち

English

医薬品の承認が、日本では欧米より遅れているという「Drug Lag」のあることが指摘されています。

20年ほど前に日米欧の3極で始まった「ICH -International Conference of Harmonization」が続いていますが、私もその一部にかかわりました。日韓英米の「ガンの治験」についても去年、検討の会議 (資料1)を開催しました。

成長する中韓などにもこのような制度の導入があるわけで、この辺を中心に議論しようと目的で「ある製薬企業」のおさそいで、私が1日半の会議の全体のmoderatorとして、14日(月)からソウルに出かけました。

到着してすぐに、今の韓国 Lee大統領が、この政権の最初の首相を務めたHan Seung-Soo資料1)さんをトップとして開設した「Global Green Growth Institute」をたずねました。事務局長を務めるRichard Samansさんに会うためです。彼がWorld Economic Forum で仕事をしていた頃からの知り合いのです。

翌日から1日半、製薬の審査についての、日韓中の審査制度を中心に色々な議論をしました。

ホテルでの夕食の後、ちょっと繁華街「ミョンドン」に行ってみました。たくさんの若者が多く、なかなかの活気です。ZARA、H&MのそばにUniQloが旗艦店を出しています。このような元気あふれる日本企業ががんばっているのを見るのはちょっと気持ちのいいものです。

1日半の会議では色々な方達に会えましたし、お互いにこれから交流が始まる予感がするのもいいことです。

金浦空港から2時間で羽田空港へ。そこから都心のSwiss大使館へ直行。先日も紹介した「Global Shapers Community」(資料1)とのレセプションです。元気に活躍する若者たちに会うのは楽しいことです、こちらも元気をもらいますし。その後、The Economistの記者と1時間ほど取材をかねて時間を過ごし、夜の11時ごろに帰宅しました。

長い1日でしたが、充実感のあった1日でした。