沖縄OIST、そしてアジア太平洋腎臓学会

→English

Los Angelesから成田経由で沖縄那覇空港に夜10時半ごろに到着。タクシーで1時間ほどで恩納村にあるホテルへ到着。

翌日は、世界に開かれたOIST(Okinawa Institute of Science and Technology)の理事会に参加です。

ちょうど、Nobel Museumによる「Sketches of Sciences」1)という素敵な展示のオープニングもあり、これにも参加。

これはVolker Stegerさんの作品で、そのユニークな着眼点などの話を聞くとこができました。その50人の中の一人のTim HuntさんもOISTの理事でいっしょでしたし、なかなか素敵な展示でした。

このNobel Museumは2001年、Nobel賞100年を記念して「Cultures of Creativity」というテーマで始まった企画です。最初の海外展示は、2002年に東京で行われ、高円宮殿下によって開会(久子妃殿下も去年、ご訪問されています)、私は日本学術会議の副会長として、東京大学の安田講堂で開かれた記念シンポジウム(NHKでも特番として放映されました)など、いろいろお手伝いしたことを思い出します。

当時のNobel Museum館長のLindqvistさん(1)の話題にも触れながら、現在の館長のOlov Amelinさんと当時のころの話をしました。いろいろな方とのつながりは楽しいものです。

翌日は午前の予定のあと、東京へ向かい、フライトが遅れて少々焦りましたが、アジア太平洋腎臓学会でのKeynote講演です。ここでは、多くのアジアの旧友たちに遇えて、とても懐かしく、うれしかったです。

この学会の3日間、久しぶりにいくつかの活動に参加しました。もっぱら、海外からのお客様との会食とか「課外」活動で、台湾の仲間との再会もありました。

アフリカ支援の集まり、アニャンゴさん

→English

日本の企業、ゲイツ財団、そして日本政府が資金を出して、途上国の主要病気であるマラリア、結核、HIV/AIDS、さらにほかの主要な病気に貢献しようという企画が始まっています。Global Health Innovation Technology Fund1)です。私が代表理事をしています。

Malaria No More JapanHealth and Global Policy Institute、GHIT Fund の共催で、若い人たちを中心にキャンペーンイベントを開催しました。楽しく、しかもとても明るい雰囲気の集まりでした。

2年前、ナイロビでお会いした若いお医者さん、さらに杉下先生にもお会いしました。久しぶり、懐かしかったです。杉下先生は帰国されているのですが、ご家族はナイロビにいらっしゃるということです。

ニャティティというケニアの楽器は男性だけが演奏できるのだそうですが、その例外となったアニャンゴ(向山恵理子、ムコウヤマエリコ)さん(12)がこられて素敵な演奏と歌を聞かせてくれました。

日本の女性は強いですね。アフリカの音楽に魅せられて、一人でアフリカへ、そして世界へ。いろいろな苦労もあったでしょうが、女性で初めてこの楽器を演奏する許可を獲得したということです。

素敵な一晩でした。

今年の1月

→English

すっかりご無沙汰です。正月以来です。

1月10日からボストンへ。沖縄科学技術大学院の将来計画の委員会。Boston、New Yorkの方も多いので、このようなことになりました。英国からHuntさんも。前日まで米国中東部は大雪でしたが、10日からは大丈夫でした。

2泊して帰国、翌日から沖縄へ。沖縄科学技術大学院での「オープンエネルギーシステム国際シンポジウム」に出席。ここで実際に実験もされているデモもあり、なかなかの試みでした。

これからのエネルギー政策の基本は「分散型、ローカルな再生可能エネルギー資源、スマートグリッド、電気使用の見える化とアプリ」へと進むことです。インターネットでは「http – www – iPhone – iPad」というように、21世紀になってネット関係は規制改革、各種のソフトと次々と起こる技術革新によるアクセスの充実とともに急速に進んだように、分散型サービスによって、使い手の意識が変わってくるのです。エネルギーでも政治も企業もどんな組織でも、リーダーは大きな方向性を示すことが大事です。

18日は、恒例の医療政策機構による「医療政策サミット」を主催。企画とパネルの皆さんほか、大勢の方たちの参加があってとても盛り上がった会になりました。

20日の週にはいろいろありましたが、仙台へ。東北大学の長い友人のお葬式で弔辞を奉読させていただきました。ご遺族にも久しぶりにお会いしました。前夜は東北大学にお願いして、東北大学を代表する女性科学者の方たち4人と夕食を楽しみました。

27日の午後は、英国から来ているRoyal Societyの副会長でもあるAnthony Cheethamさんと、英国大使館でHitchins大使、Elizabeth Hogben科学・イノベーション担当部長の4人で午後のお茶。ちょっと優雅な時間を楽しみました。

30日は医療政策機構の今年初めての朝食会。恒例なのですが、新年の挨拶を兼ねて私のセミナーでした

あっという間に1ヵ月が過ぎてしまいました。

12月、いろいろな交流、忙しい日常

→English

12月に入り2日のGarrettさんのセミナーに続いて、世界銀行と日本政府主催のUniversal Health Care1)に参加(5、6日)。素晴らしい基調講演をされたJim Yong Kim総裁とも2人でお話しする機会をいただきました。Kim総裁がWHOに勤務していた時に私がWHO Commissionerをしていたこともあり、お互いに間接的に知っていたのです。

6日の夕方は数年ぶりに東海大学医学部へ向かい講演、7日は東大で公共政策大主催のコロンビア大学、シンガポール等の7つの公共政策大学院の「GPPN」で、100人弱の学生さんたちと福島原発事故後のグローバルリスクについて、司会はエネルギー政策の国際派の田中伸男さん

9日はフランス大使館で、フランスの「エイズ、及び、伝染病対策担当大使」を務めるPhilippe MEUNIER大使をお迎えして数人での昼食。

11日は米国マサチュセッツ州のPatrick知事とご一行をお迎えして、医療政策機構1)の主催で議員会館国際会議場でHarvard大学のJohn Hamalka教授もSkypeで参加。これはとても素晴らしい会議となり、知事も大満足でした。夜は知事をお迎えして米国大使館でレセプション、ホストがケネディ大使、大勢の方を迎えて大変でした。

12、13日は出井さんたちとのAsian Innovation Forumで、これはもう報告しましたね。

14日からカリファ大学の理事会へ、3週間前に数日間に渡って滞在していたアブダビに向かいました。15日にカリファ大学学長から、海外からの理事3名への報告、翌日の理事会はよい議論と前向きの計画が進みました。

昼食後、素晴らしいYas Linksでゴルフをたのしみ、空港へ向かいました。

17日に帰国。帰宅して一休み、夜はNorway大使館でErik Solheimさんを迎えたディナー。Solheimさんは若くして政治家をめざし、大臣も経験、しかも世界的に大事な活動もしています。

やたらと忙しいのですが、いろいろな出会いがあります。

11月の海外いろいろ -4: 台北、医師の教育の話題

→English

春頃でしょうか、台湾の内科学会から講演のご招待を受けました。その後、台湾の原子力関係からもご招待を受けました。ちょうど日にちが3・4日ずれていたので、何とか摺合せをお願いして今回の訪問になりました。

22日にアブダビから帰国し、家で久しぶりに一泊。翌日、台北へ向かいました。内科学会総会には2年前にも参加しましたが、今回は米国内科学会オレゴン支部からのThomas Cooneyさんとご一緒でした。根っからの教育者です。

医師の教育の話題だったので、映画「The Doctor」について私がコメントしたところ、そのモデルはDr Edward Rosenbaumで、立派な医師のご一家です。同じオレゴン大学病院で勤務、またご子息(といっても年配ですが、、)もオレゴンでの同僚の一人で、お孫さんは Univ Penn のDr Liza Rosenbaum、New Yorkerにも寄稿しているよく知られたカラムニストでもあるのです。何でも話題を出してみることですね。いい話を聞きました。

お互いに講演が前後でしたが、医学教育・研究に本当に立派な見識を持って、実践されています。

翌日は台湾の原子力関係者との交流、講演ですが、私のほかにも国会事故調で協力してくれた方も参加してくれました。

「わかりやすい国会事故調」の6部のビデオは大好評でした。「字幕は漢字だからわかるし、英語のナレーションでよくわかった」よ、と言われました。

大事故の教訓を共有することは大事なことです。

11月の海外いろいろ -1

→English

11月は忙しかったです。すっかりBlogもご無沙汰しました。

10日からNew York City(NYC)へ。到着した午後、現地で臨床研修をしている日本からの医師の方々にお会いしました。今回は10人ほど、3人は女医さんで、お子さん連れで研修している方もいるのです。素晴らしい若者たちです。その方たちの先輩にもあたる桑間先生も参加。夜はBroadwayのWickedを見に行きました。今年が10周年ということですが、二人の女性主役の歌の力は素晴らしかったです。役者さんたちの層の厚さを考えると、競争のすごさにも同情しますが、何かすごさを感じます。

翌日は友人と3人でNYCの紀伊国屋、MoMAの内庭を見ながらの素敵なランチ、先日六本木でご一緒した館長のGlenn Lowryさんとしばらく館内を散策して、Magritte特別展示を見てからGHITFUNDの理事たちと、明日の理事会に備えて会食です。場所はなんとThe River Club、このNYCでも最も格式の高いClubとか。130億ドルのコンド1)が5つあり、現在Henry Kissingerさんも住人の一人とか。地下にはテニスコートがあるのです。

翌日は1日、GHITFUNDの理事会でした。5月末に立ち上がったばかりですが、世界初ともいえる、日本発の画期的なPublic-Private-Partnershipで、日本政府、企業6社とGates財団とでGlobal Healthへの新しい貢献のメカニズムです。今年の5月末に発足しましたが、私が理事長を務めています。

夕方から、Japan Societyで、New York Academy of Sciencesと共催でGHITFUNDについて紹介するパネルが開催されました。

レセプションの後は GHITFUNDの理事さんたちとShun Lee Palaceで夜遅いディナー。

New York Cityは寒く、ちょっと雪も降りました。

翌日は成田へ、そこで乗り換えてKuala Lumpurへ向かいます。

Philadelphia-2: Fireside Chat With Dr. Kiyoshi Kurokawa

→English

今回の主目的は、何年もお誘いを受けていながら、参加できなかったJapan America Society of Philadelphiaが企画する”Health Sciences Dialogue”、2日間の集まりです。いろいろ聞いてみましたが、日米の製薬企業、バイオべンチャーをつなぐ会としてよい評価を受けています。

朝7時から、日本からの参加者との朝食がセットされ、10人ほどですがいろいろな話題に花が咲きました。

9時からセッションが始まり。New York から日本総領事館から相(あい)広報センター長も参加し、ご挨拶。

バイオテクべンチャー、べンチャーキャピタル等々の良いテーマとパネリストで、製薬、米国と日本の動きなどを中心に話が進みます。昼食の終わりを見計らって、私の登場、”Fireside Chat with Dr Kiyoshi Kurokawa: How Can Japan Better Foster Innovation?” というセッティングで80分ほど、David Flores(Co-Founder of BioCentury Publications)とHoward Brooks(Partner, Americas Life Sciences Sector Leader, Earnst and Young; この会議中に同じ部門のGlen Giovannettiともいろいろ話ができましたが、、)の2人からの質問に答え、あとは会場との質疑応答という趣向です。

Philadelphiaは私といろいろ関係というか、ご縁があります。University of Pennsvlaniaは私にとって初めての外国ですし、ここでの2年間が私のキャリア1)を日本から世界へと変えたところですし、私のとても尊敬している津田梅子(このサイトの中で「検索」してください)が学んだところですし、私の関係しているNoguchi Hideyo Africa賞1)の野口英世の世界的キャリアの始まったところでもあります。ほかにもいろいろなつかしい思い出のあるところです。

この会議では、充実した1日を過ごせました。

翌朝は朝7時に出発、3時間弱、車でJFKへ向かい、帰国の途に就きました。

あっという間でしたが、Philadelphiaは、なにか懐かしかったです。

最近の出来事

→English

このブログ、最近は途絶えがち。なんだか、やたらと忙しくて、5月31日の早朝にBangkokから戻り、英国大使館での朝食のあとから途絶えていました。

いずれご報告と思いますが、5月31日の午後からはHGPIとJCIEとのジョイントで、TICAD5へむけたアフリカ開発シンポジウム(5回シリーズの最終回)1)を主催。夜は翌日の朝から開催されるGHIT(Global Health Innovation Technology)理事会の理事の皆さんとの会食で横浜へ向かいました。横浜で一泊です。

GHITは、世界でも珍しい、日本でも初めての官民とGates財団とがタッグを組んだ5年企画。これからのかじ取りが大変そうです。

翌日は朝からGHITの理事会、続いて評議員会、記者会見と続いて、一瞬、東京へ。石倉洋子さんとの「Global Agenda Seminar 2013」の始まりにお話しをしに東京へ戻り、またすぐに横浜へとんぼ返り。夕方からHideyo Noguchi Africa Prize授賞式へ。まずは受賞のお二人、Dr Peter PiotDr Alex Cortinhoをお迎えし、天皇皇后陛下へ受賞者のご紹介、夜は表彰式と晩餐会に追われて、夜遅くに帰宅しました。

これが5月31日のBangkokから翌日6月1日の2日間の出来事のあらましです。やれやれ、いくつかの大役を果たしました。

6月2日は、10年という間に、世界に通用する本物の大学生を育ててきた、今や最も評価が高いとも言われる国際教養大学中嶋嶺雄先生12)のお別れの会へ。素晴らしい学者であり、本物の教育者、本当に、本当に惜しい方をなくしました。先生が亡くなられたのは本当に急なことでした。合掌。

東大のPresident Council in Bangkok

→English

NorwayのKavli関係の行事が終わると、28日夜の羽田を出発し、Bangkokへ向かいました。東大のPresident Councilの開催です。ホストはPresident Councilのメンバーの一人であるタイの王女様、Royal Highness Chulabhornのお招きによるものです。私は今年の東大の入学式にもお招きを受けていますので、お礼の気持ちもあり出席しました。日本からは浜田総長、江川理事他の東大関係者、Council memberでは吉野Harvard名誉教授(1960年代の後半にはUCLAでも教鞭をとられていました)」、横山さんなど、またインドのMunjalさん、FinlandのRaivio博士、Hassan Jamilさん、Rita Colwellさんです。Colwellさんとは今年3回目の出会いです。

Chulabhorn Research Institute、それに隣接するChulabhorn Cancer Hospitalを訪問しました。施設も充実していて、活発な研究が行われています。地元の海の生物や植物などからの特にがんに効くような化合物も探索などが行われています。ある研究室の主任は高校から渡米、Johns Hopkinsで学部教育を受け、さらにPhDも取得したという若手の素晴らしい研究者。楽しくなります。どんどん成果のあがることを期待したいです。

Cancer hospitalも比較的新しく、100床、がんに特化した病院です。ロビーには造花の桜の木が数本飾ってありました。ここは新しいので、診療のほかに「がん標本の採取、分析」などのセンターになっていく方針も持っているようです。王女様によると、最近は予算が厳しいので、なかなか大変ですよ、ということでした。

夜は、王女様とのディナー。翌日はPresident Council、東大のいろいろな課題、世界の動きなどのほかに、清野所長による粘膜免疫をお米に抗原をいれて誘発するという「米ワクチン」、医科学研究所の研究の発表がありました。ワクチンに冷蔵庫などを必要としない、というコンセプトのなかなか面白い研究です。米国で20年ほどキャリアを積んでこられているだけにプレゼンもなかなかうまいものでした。

インドのHero Groupを率いるMunjalさんはお父様にもお会いしたことがありますが(現在90歳でお元気とのこと)、長い間教育の支援をしてこられ、今度Munjal Universityを構築中という壮大な計画を進めています。新しい世界の教育について意欲的に取り組んでいくでしょう。

夜の便で帰国の途へ、早朝0545に羽田に到着。一度帰宅してシャワーを浴び、0720からの英国大使館での英国 エネルギー・気候変動担当 Edward Davey大臣(このように行政府を時期によって変えるところがすごい、そしてうらやましいです)との朝食に出席しました。

先日のWest Sussexでもそうでしたが、英国の政治家は、政治家としてなかなか優れた方が多いと思いました。